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史跡コミュの南滋賀町廃寺跡

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 滋賀県大津市南志賀1丁目・2丁目

 1957年10月11日指定

 南志賀の地は昔から古瓦が出土することが知られていたが、昭和3(1928)年と昭和13(1938)年〜昭和15(1940)年にかけての二度の発掘調査によって、塔・金堂・僧坊跡等が発見され、この地に寺院が存在していたことが明らかにされた。また、その後の調査で、この寺院跡の伽藍配置は塔と西金堂が東西に対置し、これらを取り巻いて回廊が巡る川原寺式伽藍配置である事が判明した。このうち、塔・西金堂・金堂の基壇は瓦積みで仕上げられていた。
 調査の際には多数の瓦や土器が出土しており、その中にはこの地でしか見られない蓮華を横から見た文様で飾られた方形軒瓦もある。これらの遺物等から、白鳳時代から平安時代末頃までこの寺院が存在していた事が明らかになった。
 この寺院は、天智天皇建立の崇福寺とも、桓武天皇建立の梵釈寺とも考えられていた。しかし『扶桑略記』に崇福寺が大津宮の乾(北西)の方向に建てられたとの記事があり、この南志賀の地の寺院跡と同時に調査された滋賀里山中にも寺院跡が発見されている事から、そこが崇福寺跡として妥当性が高く、また『日本後紀』には崇福寺と梵釈寺が近接した位置にあったと推察される記事が見られる事から、この南志賀廃寺の正体は不明のままとなっていたが、平成23(2011)年に近隣の畑から出土した9世紀末頃の土器片に「錦寺」と刻まれている事が確認され、『続日本紀』に記されている錦部(ニシコリ)寺だった可能性が高まった。
 この廃寺跡から約300m西の地点で、この寺で使用した瓦を焼いた瓦窯群が見つかっており、榿木原(ハンノキハラ)遺跡と命名されている。

コメント(4)

遺跡では多くの花々が咲き乱れていました。

左;平戸躑躅(ヒラドツツジ)
中;西洋蒲公英(セイヨウタンポポ)
右;西洋石楠花(セイヨウシャクナゲ)
左;射干(シャガ)
右;芋片喰(イモカタバミ)

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