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史跡コミュの安福寺横穴群

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 大阪府柏原市玉手町7-21

 1973年03月30日、大阪府が史跡に指定。
 1984年05月01日、指定範囲を拡大。

 浄土宗知恩院派玉手山安福寺参道の両側に広がる。これらの横穴群は、谷間の凝灰岩が露出している所に掘られており、参道南側・北側に各16基計32基確認されている。かつては古代人の住居であるといわれていた時期もあったが、石棺・陶質棺・陶器等が見つかっており、中には騎馬人物像などの壁画が描かれたものもあるため、6世紀中葉〜7世紀の横穴墓である事が判明した。
 安福寺南方の玉手山丘陵東斜面にも同様の横穴群が見られ、玉手山東横山群と呼ばれている。
 安福寺は寺伝によれば奈良時代に行基菩薩によって建立された古刹だったが、中世には衰微し、小堂一棟があるのみであったという。
 寛文年間(1661〜73)に浄土宗の僧珂億上人がこの地を訪れて再建し、珂億上人の学徳に深く帰依した尾張大納言徳川光友が寺田を寄付、明治維新に至るまで歴代尾張徳川家により援助を受けて栄えた。
 光友が寄進した「山水蒔絵硯箱」「牡丹蒔絵硯箱」「菩提樹蒔絵香筥」は国の重要文化財に指定されている。また、境内には明治時代に玉手山3号墳(勝負山古墳)から出土したとされる割竹型石棺蓋〔重要文化財〕が置かれており、かつては手水鉢として使われていた。

コメント(5)

 3月2日土曜日に行って来ました。
安福寺です。

左;山門
中;鐘楼
右;表参道と中門
左;本堂
中;割竹型石棺蓋〔重要文化財〕
右;奥之院
 奥之院にある尾張侯廟所です。
 中央に第2代尾張藩主・権大納言徳川光友(1625〜1700)、左に正室の千代姫(3代将軍家光の娘;1637〜99)、右に第3代尾張藩主・権中納言綱誠(ツナノブ;1652〜99)の墓である宝篋印塔(ホウキョウイントウ)が並びます。
 実は尾張侯廟所は全長110mの前方後円墳である玉手山7号墳の前方部にあります。

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