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史跡コミュの鳥坂寺跡

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 大阪府柏原市大字高井田89番地

 2012年01月24日指定

 大和川に臨む生駒山地末端の丘陵上に位置する古代寺院跡。周囲には、鳥坂(トサカ)寺跡を含めて「河内六寺」と呼ばれる寺院跡の外、7世紀まで造営が続く平尾山古墳群が存在している。
 『続日本紀』には、天平勝宝8(756)年2月24日、平城宮を発した孝謙天皇・聖武上皇・光明皇太后が難波宮へと向かう途中、智識(チシキ)寺・山下(ヤマシタ)寺・大里(オオサト)寺・三宅(ミヤケ)寺・家原(イエハラ)寺・鳥坂寺の河内六寺に順次立ち寄った記事がある。
 この地には、天湯河棚命(アマノユカワタナノミコト)・天児屋根命(アメノコヤネノミコト)・大日霊貴命(オオヒルメノムチノミコト)を祭る延喜式内社の天湯川田(アマノユカワタ)神社〔村社〕が建つ。大日霊貴命は天照大神の別名であり、天湯河棚命は神皇産霊尊(カミムスビノミコト)の子である角凝魂命(ツヌコリタマノミコト)の三世の孫とされる。河内国大県(オホアカタ)郡には、鳥坂郷の東に隣接して鳥取郷があり、天湯河棚命の子孫と称する鳥取氏の居住地となっており、天湯川田神社の社家は近代に至るまで鳥取氏が務めていた。
 昭和4(1929)年に神社境内から大型鴟尾(シビ)が出土し、その後の発掘調査の結果、金堂・塔・講堂・回廊等が伽藍中枢部を構成、その東側では僧坊や食堂(ジキドウ)と推定される掘立柱建物群がある事も明らかとなった。神社本殿が建つ場所が塔跡である。出土した瓦や土器の分析から、7世紀後半に創建され、概ね10世紀まで存続していたようである。
 出土遺物には多量の瓦類や墨書土器がある。このうち、軒瓦は朝鮮半島の特徴を有しており、渡来人との関連が窺える。また「鳥坂寺」と墨書された土師器(ハジキ)が出土しており、この寺院跡が鳥坂寺跡である事が証明された。
 鳥坂寺跡は伽藍中枢部及び周辺施設の状況が判明し、特に金堂等の遺構の残存状況が良好であるのみならず、古代寺院関連の遺跡において寺の名称が明らかとなった稀有な事例としても重要である。
 大阪府立近つ飛鳥博物館に復元模型がある。

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