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史跡コミュの酒船石遺跡

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 奈良県高市郡明日香村岡

 1927年04月08日、「酒船石」として指定。
 2004年09月30日、指定範囲を拡大し「酒船石遺跡」に名称変更。

 酒船石は小高い丘の上にある花崗岩の石造物。主軸はほぼ東西で、現存の長さ約5.5m・幅約2.3m・厚さ約1mであるが、北と南の一部が欠けている。
 上面に皿状の幾つかの窪みとそれを結ぶ溝が刻まれており、曾ては酒を造る道具と推定されたため酒船石の名称が生まれた。
 薬等を造るための道具との説もあるが、近くで水を引いたと見られる土管や石の樋が見つかったため、庭園施設の可能性が高まった。
 欠けている部分は後に何かに流用したらしく、上面の造形を無視した石割の跡が見られる。欠けた部分には石割用の工具である矢が打ち込まれた跡があり、高取城を築く際に石垣用の石材として利用しようとしたためと推定される。
 平成4(1992)年に酒船石の北の斜面で石垣が発見され、『日本書紀』の斉明天皇2(656)年の条に「香山の西から石上山まで溝を掘り、舟で石を運んで垣を造る」と記されている工事に該当する遺跡と推測されている。記述中の「宮の東の山に石を累ねて垣とす」の「宮」が酒船石の南西にある伝飛鳥板蓋宮跡であり「東の山」が酒船石のある丘という事である。ちなみに、この工事は「狂心(タブレゴコロ)の溝」と呼ばれ、無意味な浪費として厳しく批判された。
 その後、平成12(2000)年に大規模な発掘が行われ、砂岩で出来た湧水設備とそれに続く形で小判形石造物と亀形石造物が発見された。これら二つは水槽になっており水を溜めたと推定される。さらにそれに続いて石を並べた溝や石段があり、全体を囲むように石垣や石敷がある。
 亀形石造物は花崗岩で作られており、全長約2.4m・幅約2mで頭や尻尾・足が造形されている。甲羅部分が直径1.25m・深さ20cmで刳り抜かれ鉢状になっている。頭の部分の穴から水が流れ込み尻尾の穴から流れ出したと見られる。尻尾に栓をする事で水を溜める事も出来る。小判形石造物は長さ1.65m・幅1m・深さ20cmで同じく水が貯められるようになっており、排水口は亀の頭に繋がっている。
 斉明朝に最初に造られ、その後平安時代に至るまで約250年間使用された形跡があり、何らかの祭祀が行われた遺構と推定されるが定かではない。
 酒船石と小判形石造物・亀形石造物は、斉明天皇が田身嶺(多武峰;トウノミネ)に造営した両槻宮(フタツキノミヤ)の一部、或いは両槻宮への入口施設ではとの説もあるが、酒船石と小判形石造物・亀形石造物が本当に関連する物なのか疑問視する説もある。
 なお、小判形石造物・亀形石造物見学は有料で300円の徴収が行われているが、酒船石と石垣は無料で見学出来る。

コメント(7)

 一昨日、行って来ました。
 酒船石です。
小判形石造物・亀形石造物です。近くではムクゲも咲いていました。
アジサイもまだ綺麗に咲いていました。

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