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史跡コミュの大和天神山古墳

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 奈良県天理市柳本町

 2009年03月31日、奈良県が史跡に指定。

 柳本古墳群の一つで、4世紀前半築造の前方後円墳。行燈山古墳(崇神天皇陵)の前方部の西方に、北向きで設けられ、墳丘長は113m。
 後円部のほぼ中央に長さ6.1mの竪穴式石室があり、石室の中央部には、現存の長さ2.6mの板材が残っており、その中央は仕切り板で区切って、内法1.0×0.5mの木櫃状になっている。合掌式つまり石室の両側へと持ち送って、特に天井石を設けない特異な竪穴式石室である。
 石室の内部には、一見木棺のようであるが細部を検討すると木櫃(モクヒツ)とした方がよい大きな木製容器が置かれて、約4kgキロの朱が納められていたが、被葬者が埋葬された形跡は無かった。
 木櫃の内部に、20面の銅鏡が置かれていた。20面の銅鏡は木櫃の四周に連続して長方形の辺に置かれていて、前期古墳にしばしば見られるように一面だけ中央に置いてあるという配列とは全く異なる。 また、木口板の外部にも北方で2面、南方で1面置かれていて、計23面の銅鏡が検出されている。20面を種類別に見ると、方格規矩鏡5面、内行花文鏡4面、画文帯神獣鏡4面、斜縁変形神獣鏡2面、獣形鏡3面、画像鏡2面である。
 前方部から二重口縁壺(布留?式)から出土している。
 墳丘上には延喜式内社の伊射奈岐(イザナギ)神社が建ち、中世には菅原道真も合祀されて楊本天神とも呼ばれ、楊本荘の総鎮守となっていた。
 昭和35(1960)年に県道(現国道169号線)拡張工事で後円部の東側が削られた。

コメント(2)

伊邪奈岐神社です。

左;一の鳥居
中;摂社稲荷社
右;本殿

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