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史跡コミュの笠間城跡

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 茨城県笠間市笠間3613外(坂尾の土塁は笠間3727)

 昭和48(1973)年12月07日、笠間市が坂尾の土塁を史跡に指定。
 平成5(1993)年03月26日、笠間市が史跡に指定。

 元久2(1204)年、標高182mの佐白山(サシロヤマ)にあった真言宗佐白山正福寺を焼き討ちにした塩谷朝業が、その跡地に築城した山城。朝業は前年に生まれたばかりの次男時朝を名目上の笠間城主とし、城は嘉禎元(1235)年に完成した。
 慶長3(1598)年、蒲生秀行が会津920000石から宇都宮120000万石へと減移封されて来ると、笠間も蒲生領となり、家老の蒲生郷成(ガモウサトナリ)が30000石で笠間城主となった。この際、笠間城は立派な石垣を持つ西国風の近世城郭に大改造され、本丸のある佐白山の東隣の峰である標高203mの阿武山に天守閣も建設された。阿武山にあった延喜式内社の佐志能神社は下市毛字田宿(黒袴)に遷座された。
 本丸北方には二の曲輪・三の曲輪・腰曲輪が配され、北方山麓には枡形の坂尾土塁も築かれた。
 笠間城は中世山城がそのまま近世城郭に移行した珍しい例であるが、元和8(1622)年に入封した浅野長重が西方山麓に下屋敷を設けて政庁としてからは山城は形骸化した。
 城は廃藩置県翌年の明治5(1872)年に破却され、天守台には佐志能神社が復座する事となったが、その際、天守閣の廃材が神社拝殿、天守閣の瓦が土塀の建築に用いられた。
 また、八幡櫓が城下の日蓮宗長耀山真浄寺七面堂〔茨城県指定文化財〕として移築され、城門も二つ民家に移築されて笠間市指定文化財となっている。
 下屋敷跡は佐白山麓公園となり、時鐘〔笠間市指定文化財〕が移築されている。

*城下町笠間
  http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=50396537&comment_count=0&comm_id=194642

コメント(8)

 6日土曜日に行って来ました。

 日蓮宗長耀山真浄寺七面堂〔茨城県指定文化財〕です。天守・櫓類としては茨城県内で唯一現存する建造物です。
左;城門〔笠間市指定文化財〕
中;城門〔笠間市指定文化財〕
右;坂尾土塁〔笠間市指定史跡〕
左;千人溜り
中;大手門石垣
右;大手門付近の堀切
左;大手門付近の三の曲輪石垣
中;本丸石垣
右;本丸虎口
左;本丸と八幡櫓台
中;史跡碑
右;八幡櫓台
左;天守曲輪虎口
中;天守曲輪土塁
右;天守曲輪石垣
左;天守台石垣
中;佐志能神社〔延喜式内社〕祭神;豐城入彦命・建御雷之神・大國主神 拝殿
右;佐志能神社土塀
佐白山麓公園です。

左;下屋敷跡石碑
中;時鐘〔笠間市指定文化財〕
右;大石内蔵助良雄銅像

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