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史跡コミュの命蓮塚(ミョウレンヅカ)

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 奈良県生駒郡平群町信貴山2280-1

 1992年03月25日、平群町が史跡に指定。

 金剛生駒紀泉国定公園内。
 信貴山真言宗総本山信貴山朝護孫子寺境内にある。朝護孫子寺は、生駒山系南部にある標高437mの信貴山山腹にあり、寺伝によると、西暦587年の寅の日寅の刻、大連物部守屋(モノノベノモリヤ)征討に向かう聖徳太子がこの地で四天王の一人である毘沙門天を感得、その加護によって勝利したことから、推古天皇2(594)年にこの地に毘沙門天像を安置して「信ずべき貴ぶべき山」と呼んだのが起源だとされる。
 命蓮(ミョウレン)上人は、延喜年間(901〜923)に朝護孫子寺を中興したとされる人物で、12世紀に成立した『信貴山縁起絵巻』〔国宝〕によれば、加持祈祷で醍醐天皇の病気を治したのみならず、超能力を行使して山崎の長者のもとに托鉢に使用する鉢を飛ばし、その鉢に校倉造りの米倉を乗せて飛行させ、信貴山まで持って来たとされる。さらに長者が中に収められていた米俵だけでも返してくれと訴えると、今度は鉢に乗せた米俵を先頭にし、米俵を数珠繋ぎにして飛ばし、長者のもとまで届けたとも記されている。
 命蓮塚は命蓮の墓だとされているが、墓の石碑は室町時代の物と推定されている。開山堂の後方、境内の閑静地に所在し、直径5m、高さ1.4mの円墳状をしており、表面には砂利が敷き詰められている。
 裾には室町期の一石一尊十三仏(山型板碑)を廻らせており、塚上には石室十三仏が設置されている。
 塚の周囲には新しい石柵により六角形に囲まれている。
 塚上の石室十三仏には銘文はないが、作風から江戸中期の作と考えられており、成福院墓地(現在は成福院境内に移設)にあった県下最古銘の石室十三仏(町指定文化財)を模したものと考えられている。
 奥壁の中央に仏の通字である「ア」字を小さく彫り込み、上から左回りに阿?(あしゅく)如来、虚空蔵菩薩、胎蔵界大日如来、右壁が中央に文殊菩薩、右上から時計回りに観音菩薩、不動明王、釈迦如来、地蔵菩薩、左壁は上に阿弥陀如来を配し、右上から薬師如来、普賢菩薩、弥勒菩薩、勢至菩薩を像容で陽刻している。

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