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史跡コミュの日光山内

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 栃木県日光市

 1998年05月14日、史跡に指定。
 1999年12月02日、UNESCO世界文化遺産に指定。

 日光国立公園内。
 下野国の僧勝道上人(735〜817)が前日光から更に奥地に修行場を求め、大谷川北岸に766年に現在の四本龍寺の前身の紫雲立寺を建て、それに続いて767年、二荒山大神(フタラヤマノオオカミ)を祭る祠を建てたのが当社の始まりと伝える。この祠は現在の別宮となっている本宮神社である。上人は標高2484mのニ荒山(男体山)の登頂を志して多くの失敗を重ねたあと、782年に到頂に成功し、そこに奥宮を建て、日光修験の基礎を築いた。
 二荒山大神とは男体山(ナンタイサン)の大己貴命(オオナムチノミコト)・女峯山(2464m)の田心姫命(タゴリヒメノミコト)・太郎山(2368m)の味耜高彦根命(アジスキタカヒコネノミコト)の総称である。二荒山神社は下野国一ノ宮となった。
 一方、848年、慈覚大師円仁が来山した際に、三仏堂・常行堂・法華堂を建立、これが天台宗日光山輪王寺となった。
 二荒山神社と輪王寺は神仏習合によって一体化し、中世には多くの荘園を所有して繁栄したが、小田原北条氏と結んでいたため、1590年の北条氏滅亡の際、豊臣秀吉によって所領を没収されて衰微した。
 しかし、徳川初代将軍家康の霊廟である東照宮が1616年に造営されて以来、徳川幕府の聖地となり、東照宮は、その後1636年に全面的に大規模な造り替えが行われ、現在の規模・構造になった。東照宮の建築により、日本の代表的な神社建築様式である権現造が完成、彫刻や彩色などの建築装飾についても、当時の最高水準の技術が用いられた。東照宮では本殿・石の間・拝殿、陽明門など8棟が国宝に、34棟が重要文化財に指定されている。
 さらに、1653年には3代将軍家光の霊廟である大猷院が輪王寺境内に造営、輪王寺は門跡寺院となった。輪王寺では大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿が国宝に、その他の37棟が重要文化財に指定されている。
 二荒山神社も幕府によって新たに本殿や社殿が建立され、明治時代には国幣中社となった。本殿や神橋等23棟が重要文化財に指定されている。
 1868年の戊辰戦争の際には戦場となったが、社殿の燃亡は免れ、現在では国際的な観光地として賑わっている。なお、日光杉並木街道は特別史跡・特別天然記念物に指定されている。
 泉温36.1℃のアルカリ性単純泉「日光温泉」も湧出する。

☆日光杉並木街道
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=13014083&comm_id=320240

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