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史跡コミュの大安寺旧境内

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 奈良県奈良市大安寺・東九条町

 1921年03月03日指定

 高野山真言宗熊凝山大安寺の縁起は、7世紀初期の聖徳太子建立の熊凝精舎(クマゴリショウジャ)にまで遡る。以後、百済大寺→高市大寺→大官大寺と名前を変え、場所を変えて、歴代の天皇が建設に力を注いだ事が『日本書紀』や『続日本紀』に見える。
 また考古学的にも、百済大寺とされる吉備池廃寺や大官大寺の建物跡が同時代では抜きん出たスケールであり、特別視された寺院であることを裏づける。
 平城遷都により大官大寺も左京六条四坊に移り、745年、大安寺と名前を変える。大安寺の建設にあたっては、唐からの帰国僧道慈の活躍があったらしい。大仏開眼の導師となった天竺僧菩提遷那が居住したのもこの寺である。他にも、林邑僧仏哲・新羅僧審祥など歴史に残る仕事をなした異国の僧侶が住居して、大安寺は当時の最も国際色豊かな文化センターのような寺であった。
 南都七大寺の一つに数えられ、南大寺とも呼ばれて三論宗根本道場として壮大な伽藍を誇ったが、中世になると衰退し、江戸時代の初期には、小さなお堂が一つあるのみで、仏像も庭に打ち捨てられていたことが『和州旧跡幽考』にある。
 さらに、明治維新の際の廃仏毀釈で全ての堂塔が消滅したが、現在は高野山真言宗寺院として復興されており、本堂・嘶堂(イナナキドウ)・讃仰殿(サンゴウデン)が建てられて木造聖観音立像等の重要文化財の寺宝が保存されている。
 また、東西の塔跡には巨大な礎石が残る。
 なお、当寺の荘園であった京都府綴喜郡井手町の石橋瓦窯跡も附(ツケタリ)として史跡に指定されている。

*大官大寺跡
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=16834933&comm_id=398257

コメント(5)

左;南門・南大門基壇
中;本堂
右;手前;護摩堂 奥;小子坊
左;嘶堂
中;僧房跡
右;大伴家持歌碑「うつせみは 数なき身なり 山川の さやけき見つつ 道をたつねな」
境内では様々な花々が咲き乱れていました。

左;槿(ムクゲ)
中;酔仙翁(スイセンノウ)
右;蓮
左;芙蓉(フヨウ)
中;姫檜扇水仙(ヒメヒオウギズイセン)
右;紫君子蘭(ムラサキクンシラン)

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