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中東・イスラム世界との対話コミュのパキスタンの宿命たるインド恐怖症についての考察

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コミュの参加者のかたから、カシミールでのムスリムのことに関する質問がありました。私はパキスタンにもインドにも行ったことがないので、直接この質問にお答えできません。
しかし、以前から対インド政策を巡るパキスタンの恐怖や強迫観念や政策の矛盾について非常に関心があります。

ちょっと、一旦、シリアから離れて、この問題を考えてみたいです。

もちろん、私は全く、ウルドゥー語もヒンディー語も出来ませんし、きちんとパキスタンの歴史や政策や宗教について勉強したことが無いので、無謀な試みを承知で取り上げます。事実と異なっている、説明不足、などなどありましたら、どんどんコメントください。

コメント(69)

私がビンラディンだったら、まず9/11を実行する前に、何が何でもマスードを殺しますね。

ビンラディンが敵である「米帝」を9/11で直接攻撃すれば、米軍がその報復のためにアフガニスタン攻撃に入るのは、だれでも予想できることです。となると、タリバンが国土の8,9割を抑えたとは言え、今も残る地域で頑強に抵抗し、しかもタリバン・ビンラディン精力とはまた異なる「穏健」なイスラム国家像を語ることができる思想家であり、政治家であり、軍事指導者であるマスードは、何が何でも排除しておかなければならない存在です。

自分の利権さえ確保できればあとはどうでもいい軍閥の頭領ドスタムやイスマイル・カーン、理論だけのラバニとマスードが決定的に違うのは、軍事力と人を惹きつける理念を持ち合わせていることで、マスードがいなければ、反タリバン各派の連係などコナゴナになる、とビンラディンが考えて不思議ではありません。

実際、マスード暗殺を8月中旬に行おうとしたものの準備がうまくいかず、9/9まで延び延びになってしまった、という情報もあります。

いずれにせよ、飛行機突撃攻撃でで米本土を攻撃し、それからアフガン攻撃の準備が整うまでは月単位の時間がかかります。その間にマスードを失って混乱した反タリバン勢力を一気に撃破してアフガンでの地歩を固め、「米帝」の上陸に備える。米軍を泥沼のゲリラ戦に引きずり込み、かつてのソ連軍のようにズタボロにしたうえで撤退に追い込み、アフガン侵攻の失敗がソ連崩壊の一要因となったと同様に、米国政府の威信や財政をズタズタにする。

これがビンラディンのシナリオだったと考えて間違いないはずです。


>ウサーマらのすることは、なんであんなに「アメリカのお望みどおり」
ブッシュ政権とビンラディン一派は、「他者、異者に不寛容で、暴力を深く信頼する」という共通点があります。互いの行動は読みやすいので、相手の行動を逆手にとって、次にどう自分にとって有利な状況に持ち込むか、という点でブッシュ政権には非常に「歓迎すべき敵」なんでしょうね。

ビンラディンたちが、中東・イスラム圏での米軍やイスラエル軍の非道をガンジーのような非暴力的な手法で切々と訴える手法を取っていたとすれば、また状況はぜんぜん違ったでしょうね。

「陰謀論」に関して言えば、世の中に陰謀の計画は実際に数々存在すれど、シナリオ通りに行く陰謀などほとんどありません。人間の知恵など限られているからです。ですが、一連の出来事をあとから整理し、シナリオをつくりだして「あれはこういうことだったのだ」と説明することは可能です。世に言われる陰謀論はほとんどすべて、この「後付け」の陰謀論で、検証の価値もないと私は思っています。一度でイイから「次はこうなり、その先はこうなる」というズバリ未来を言い当てる陰謀論を聞いてみたいものです。
アル・カーイダと呼ばれるグループが、架空のものではなく、曖昧なネットワーク的なものとして実在していることは、私にもなんとなくわかります。「あるんだな」って、思います、それは。

ウサーマは、反アメリカだからこそアメリカにとって都合がいい存在で、外にいる人間から見ると、「むしろ彼はアメリカの協力者である」とさえ思えてしまう。
CIAがウサーマらにどうかかわってきたか、また今も、どんな風に彼らを操っているのか、そういう暗闇の部分が実際にあったとしても、なかったとしても、そこに成り立つ等式は、、

アル・カーイダ=飛んで火にいる夏の虫。・・・か?

・・・・・やっぱり、阿呆じゃん、あの人たち。


マスウード司令官の殺害が、遠くからのCIAの間接的な操作の成功によるものだったとしても、あふぉんだら達の純粋な暴力の行使によるものだったとしても、その動機はマスウード司令官の人望と勇気と徳を恐れてのものだったわけで。(褒めすぎかな?でも、なんとなく、この人には生きていて欲しかった気がするんです。。)

ブッシュとウサーマは、同じ穴のムジナ。
両者は、もともと、始めから、10年戦争をするつもりで、9.11に踏み切り、またそれを容認したってわけか。


ところで、アメリカ財政はほんとにズタボロになっていますね。戦争のツケってのもあるかもしれないんだけど、主な原因は要するにローン破綻なんで、それって、ウサーマの手柄でもなんでもないと思うのですが、アメリカ軍が引いた後、過激派はいったい何を目標に人生を生きて行くつもりなのでせう?(もう間もなく引くんだろうと勝手に決めてる私なのでした。)
我ながらなんてバカバカしいこと↑↑↑を質問したのだろうと、自分で可笑しくなってしまいました。


中央アジア、トルクメニスタンからパキスタンへの天然ガスパイプライン構想がいつごろからあったものなのか、私にはよくつかめていません。

パイプラインの構想は、中央アジアからのものの他に、イランからのものも、計画されていて、こちらは、今年の四月に、イランのアハマディネジャド大統領がパキスタンとインドを訪問し、イランからパキスタンを通ってインドまでつながるパイプラインを作ることで、3カ国が合意。2009年に着工、12年までに供給を開始することで一致しました。
このパイプライン計画が実現すれば、パキスタンには年間6億ドルの通過料がインドから支払われる予定です。この計画は、89年にイランが発案して以来、20年を経てやっと実現される見通しとなったのでした。(ドルはこの先下落しそうなので、円で書くと・・・いくら?大雑把に、600億円ぐらい。ていうか、ルピーがすでにひどい有様なので、金額についてはなんて書けば正解なのか、わけわかんないのですが。)

イランからのパイプラインも、アフガン経由で中央アジアからやってくるパイプラインも、パキスタンのバルチスタン州を通ることになるのですが、ここは、いろいろ歴史的な経緯もあって、ずっと以前から反政府運動の活発なところで、去年はグワダール開発に係わる中国人技術者を殺害とか誘拐とか、いろんな事件が頻発していて、北西辺境州と並び、政府が手を焼いている、治安の悪い場所でした。バルチスタン州にも、天然ガスが埋まっていて、それをパキスタン政府に略奪されることをバルチスタンの人々は、恐れていたようです。

ですが、今年になって、そういった反政府民族主義者によるテロがぴたっとおさまったんです。少なくとも、日本語のニュースには、ぜんぜん出なくなりました。イランからのパイプライン構想が3カ国で合意するに至ったのは、バルチスタンとパキスタン政府とが、和解できたからなのかも、しれません。(もしくは、バルチの反政府運動を支援していたのが実はインドで、パイプライン構想に調印することに決まったから支援をやめた、とか。それもありえると思うけど。)



グワダールのことを、書きたいのですが・・・。長くなるので、また明日にします。たぶん。

一時期、パイプラインだけでなく、けしの栽培の話しも出てましたよね。

欧米を中心にガン患者が増えているので、ペイン・コントロールに必需品のオピオイドが不足してしまい、タリバンのけし栽培規制を解いて原料の確保をしたかったんじゃないか・・・
麻薬の闇取引でも資金源になるので、アフガン侵攻は一石四鳥のおいしい話しだったんじゃないか・・・・

って説をどこかで読みました。

現状はどうなんでしょうか?
ケシ栽培は、タリバン政権下では減少させる努力がされていました。政権の終わり頃には、ほとんどなくなっていたようです。北部のバダフシャン州やパンジシール渓谷では栽培が続いていましたが、この二つの地方はラバニやマスウードなど、北部同盟が支配していた地域です。タリバンがケシ栽培を禁じたのは、国連から政権の承認を得るため、もうひとつは、イスラームの教えで麻薬が禁じられているからでしょう。

アフガンでケシ栽培が盛んなのは、長期にわたる戦争状態で農業が壊滅しており、雨の降らない痩せた土地で育つのはケシぐらいしかない、という天候的な理由が挙げられます。

タリバンがケシ栽培の減少を成功させるためにはケシに代わる資金源を確保する必要があったはずだと思うのですが、もしかしたら、ケシによる収入の穴埋めは、ウサーマ経由での過激派からの資金援助で行われていたのかもしれませんね。お金のないタリバンと、居場所のないウサーマは、もちつもたれつの関係だったのではないかと、私は思います。
でも、ケシによる収入をウサーマがすべて補うことができたのか、と考えると、それだけじゃ足りないような気もしますが。

ケシ栽培は、カルザイ政権発足直後から増え始めたと記憶しています。取り締まりを怠るようになったので、ふつーに増えていったものと思われます。2003年の時点では、タリバン政権末期の栽培量の36倍に達しています。今ではカンダハルあたりのタリバンの支配地域でもたくさん栽培されているらしく、武器調達の資金源になっているようです。堕ちたな・・・、タリバン。
現在では、アフガン産のケシが、世界の90%以上を占めているようです。

世界のマーケットシェア90%ってことは、タリバン政権以前と変わらないか、それ以上の生産量ってことですよね?

医療用のオピオイドはけっこうな値段するみたいですから、アフガン国内で大量に精製・製品化できれば、国も人々にもかなりの利益をもたらすはずですが・・・

半端な形で流通させるから違法な麻薬にされちゃうのよねあせあせ(飛び散る汗)

生産から最終製品化(医薬品として)までアフガン政府がやっちゃえばいいのに・・・・

あ、それじゃアメリカにお金がおちないから、また攻撃されちゃうかあせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)
(35のコメ、削除しました。一部修正して再度投稿してます)

検索してる途中、道端でおもしろい記事を見つけたので貼っつけますね。今年1月の記事です。

なぜ続くアフガン紛争(1) 好戦的4民族が棲み分け
http://www.news.janjan.jp/world/0801/0801018288/1.php

なぜ続くアフガン紛争(2) 「夜間単独」は自殺行為
http://www.news.janjan.jp/world/0801/0801028332/1.php

なぜ続くアフガン紛争(3) アンタッチャブルの部族地帯
http://www.news.janjan.jp/world/0801/0801048404/1.php

なぜ続くアフガン紛争(4)ソ連に翻弄され続けて
http://www.news.janjan.jp/world/0801/0801058443/1.php

なぜ続くアフガン紛争(5) 米国陰謀説の説得性
http://www.news.janjan.jp/world/0801/0801078562/1.php

なぜ続くアフガン紛争(最終回) ケシ王国の聖戦士
http://www.news.janjan.jp/world/0801/0801088616/1.php


(5)の記事のことですが、筆者の方は「この手の陰謀説は好きでない」ことを前置きした上で記事を書いておられます。現地取材を通して出くわした事柄に「米国の策略」を思わせるものがあった、という内容です。マスウード司令官の死について、記事内容は私が思ったこととほぼ同じでした。「タリバンがマスウード殺害に賛成するはずがない」と思ってたのですが、やっぱり、タリバンはマスウードに対しては一目置いていたようです。
ムッラー・ボルジャンという人の名前は、初めて目にしましたが、アメリカの言いなりにならない人は、一人ずつ、闇から闇へ葬られてしまうのですね。。。
陰謀論をいくらたどっても、けして真実には行き着けないことはわかっていますが、陰謀を加味せずに9.11を理解することは不可能だと、私は思っています。
ハーミド・カルザイ大統領が米石油メジャー、ユノカル社の特別顧問だったというのも、興味深かったですね。マスウードが生きていたら、カルザイを大統領に据えることなど不可能だったでしょう。当時の民衆のカルザイに対する評価は、「一緒に地獄へ行こうと言うと何でもしてくれるが、一緒に天国へ行こうと言うと何もしてくれない人」というものでしたから。


9.11の闇は世界の暗闇の構造そのものだと思うし、今後もけっして解明されることはないのだろうと、私は思います。
陰謀説を追いかけたって、たどり着く先は陰謀説ビジネスの巣であって、カモになって無駄な出費をするはめにならないように気をつけるくらいのことしか、私にできることはありません。そして、他の多くの人にとっても、それは同様であろうと、思います。


「なぜ続くアフガン紛争」の記事を私なりにちょっと補足すると、(4)に、「タリバンはビン・ラディンの資金援助を受け、怒涛の勢いで勝ち進んで96年にカブールを占拠」ってありますが、この時期にタリバンを支援したのは主にパキスタンのベナズィール・ブット政権です。ウサーマもこの時期から資金援助をしてたんですね。
また、(3)に、「先日、暗殺されたブット元首相のような穏健派であれば、部族地帯はそっとしておくだろう。というより怖くて手をつけようなどとは思いもしないはずだ。」とありましたが、ベナズィールは暗殺以前、「アメリカ軍に部族地域(トライバルエリア)を直接攻撃させるべき」と繰り返し発言しており、お世辞にも穏健派とは言えない政治家であった、ということを強調したいです。(ベナズィールのこの発言に関して、パキスタン国内ではほとんどまったく報道されていないようでした。当時私はカラチにいましたが、このことについて知っていたパキスタン人は、ベナズィール支持、不支持を問わず、私の周囲には一人もいませんでした。)この記事は今年の1月はじめのものですが、ブットが暗殺されたのは前年の12月末ごろです。ベナズィールを意図的に良く描いているも感じますね。日本においては、ベナズィールの暗殺は「民主主義に対する暴力」であって、彼女の死は「非常に残念なこと」と捉えられていたんでしょうね、きっと。
すみません。24のコメントに誤りを発見しました。
こういう誤情報は、削除するべきなのかどうか、迷ってしまいますが、話の流れが見えなくなるとよくないので、消さないで残しておきます。

24に、「ムシャラフのクーデターが起きたのは2001年6月で、アメリカの9.11のわずか3ヶ月前。」って書いたんですが、それは間違いで、、

ムシャラフのクーデターは1999年10月で、大統領に就任したのが2001年6月でした。で、9.11はその3ヶ月後の2001年9月、です。

ですから、コメント37の(5)の記事にある「ボルジャンが、米国の諜報機関とパキスタンのムシャラフ大統領から、2つの計画への協力を要請されていた」というのは、ムシャラフがクーデターの後、「行政長官」であった時代の出来事と思われます。



24のコメを修正して書き直しておきます。
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ズルフィカール・アリー・ブットがエネルギー相だったときにソ連とつながりを持ち、その後政権を取って社会主義政策を進めたこと。そして、ジア・ウル・ハクのクーデターによる政権掌握、ハクの大統領在任期間がソ連のアフガン侵攻期間とほぼ重なること。この2点が興味深かったです。

ムシャラフのクーデターが起きたのは1999年10月で、大統領に就任したのが 2001年6月で、アメリカの9.11の3ヶ月前になります。
この2つの軍事政権に共通しているのは、アメリカがアフガニスタンに関連してパキスタンを軍事的に重要視した時代だった・・・ということ。

クーデターってのは軍と文民との対立が深まったときなどに「堪忍袋の緒が切れる」的な理由で起こるのかと思ってたんですが、ちょっと違うんじゃないかと思えてきました。
ハク政権とムシャラフ政権の命題は共に軍事的な方向でのアフガン対策でした。そして両者共に無血クーデターで政権を握っています。違うのは、ハクはイスラム主義であり、ムシャラフは世俗主義であったということかな。
両方とも、はじめから強力な軍事政権をつくりアメリカに協力させる目的で起きた無血クーデター、だったのかもしれません。

ズルフィカール・アリ−・ブットが「エネルギー相」だったっていうのが、特に気になってます。ここ3,40年間のパキスタンの政治的混乱は、実はぜーんぶ、中央アジアの地下資源にからんで起こってたのかも・・と、考え始めています。
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今日こそグワダールのことを・・・と考えて、資料になりそうな記事を見ていたら、「中国海洋石油がアメリカのユノカル社買収に乗り出したとき・・・」っていう一文を発見・・・。

ユノカル社って、アフガニスタン大統領のカルザイが特別顧問をしていたという石油会社・・・。

さらに、1997年12月にはタリバンが米石油メジャー(ユノカル)にテキサスに招待され、VIP待遇で接待されていた・・・・とか。(英テレグラフ紙の記事に載ったらしい)


・・・・・・(・_・ふーん。。。。
テキサスって、たしかブッシュのお膝元でしたよね。

なんか、どんどん規模がひろがって、とても、私の手にはおえなくなってきたような・・・。

ていうか、「華氏911」だっけ?あの映画、そういう石油会社とウサーマ一族とブッシュ一族の癒着みないなものを描いた映画なんですか?
私、見たことなかったのでよく知らなかったんだけど、実は、有名な話だったみたいですね?


グワダールっていうのは、パキスタンのバルチスタン州にある開発中の港で、西側のイラン国境に近い場所にあるんです。中央アジアからパイプラインでグワダールまでガスや石油を運び、この港から積み出す計画だってことなんですが、グワダールがスィンド州のカラチと決定的に違うのは、水深なんですね。グワダールは水深が深いんで、大型船舶の停泊も可能なんです。・・てことは、軍港としても、グワダールはこの先重要になってくるのかもしれませんね。

ここ、アメリカがすごく欲しがってて開発を申し出ていたんですが、ムシャラフはそれを蹴って中国にあげちゃったんです。ムシャラフは、アメリカの言うこと聞くふりしながら、決定的なとこで確実に裏切ってくれてるような気もします。。。


頭いい人は、もうみんな知ってることなんだろうなと、思いつつ・・・。
でも、自分が勉強になるから、いいや。書いておこっとえんぴつ

(すでにお気付きの方もおられるかと思いますが、私の灰色の脳細胞は非常にまとまりにくい性質をしておりまして、散発的に思いついたことが適当に並びながらなんとなく納得したようなしてないようなぼんやりした形で話を進めてしまう傾向を持っております。なのでとってもわかりにくい説明なのではないかと思うのですが、、、、またそのうち気が向いたら書き込むと思います。読んでくれた方には、ありがとうって言いたいです。ありがと。ね。)
あ、書くの忘れてた。
24のコメ、やっぱ削除しました。間違い情報は残さないほうがいいだろうと思って。
少しずつ、じりじり核心に近づいていければと思います。。。(いっぺんにやろうとすると、頭がこんがらがる。)
まず、ユノカルのことを調べようか。

ユノカルというのは、アメリカのカリフォルニア州に本社を置く、アメリカの石油会社。設立は1890年。


石油会社っていうのがまず具体的にピンと来なかった私です。調べてみたところ・・・。


海外大手石油会社は、石油の探鉱、生産、輸送、精製、元売りまでを一貫して手がける垂直統合を行っており、シェアの大部分を握り、石油メジャーと呼ばれる。エクソンモービル、シェブロンなどが有名。。(エクソンやモービルなどは、石油王ロックフェラーが1863年に創業し1911年に分割されたスタンダード・オイルが母体。なんで分割されたかって言うと、あまりに巨大であったため。アメリカの独占禁止法、シャーマン法の制定のきっかけになりました。)

第二次世界大戦後から石油輸出国機構(OPEC)ができるまで(1960年代まで)の間、石油の生産をほぼ独占状態に置いた7社を、特にセブン・シスターズ(セッテ・ソレレ、セブン・メジャーズ)と呼んだ。この時代はこれらの石油会社が、世界の石油のほぼ全てを支配していた。セブン・シスターズのうち、ブリティッシュ・ペトロレアム(BP)はイギリス資本、ロイヤル・ダッチ・シェルはイギリス・オランダ資本。その他はすべてアメリカ資本であった。

現在では、メジャーと呼ばれる石油会社は、サウジアラムコ、中国海洋石油など、いろいろある。ユノカルも、石油会社メジャーのひとつ。

ちなみに、昭和シェルなどの日本の石油会社は、自らは油田を開発せずに海外から原油を輸入して、それをガソリンや軽油に精製・販売することによって収益を挙げる石油精製会社としての色彩が強い。(帝国石油と国際石油開発が経営統合してできた国際石油開発帝石という会社は、石油や天然ガスなどの調査・探鉱・開発・生産・販売を手がけている。)


中東に大規模な油田が発見されたのは第2次大戦後。石油の探査には莫大な経費と高い技術が必要となるため、独自に採掘する技術と資本を持たない産油国は、巨大資本を持った欧米の少数の石油会社に独占採掘権を売り渡し開発を任せた。


1959年2月、石油を寡占していた石油メジャーが、産油国の了承なしに原油公示価格の引き下げを発表。それに反発した中東産油国はイラクの呼びかけに応じる形で、1960年9月14日、石油輸出国機構を設立する。これ以降、原油価格の決定権は、石油メジャーを牛耳る資本家から石油輸出国機構加盟の産油国側へと徐々に移ることになった。


1972年北アフリカのアルジェリア、リビアの油田が国有化される。

1973年、第四次中東戦争勃発。石油輸出国機構(OPEC)は原油価格を4倍に値上げするという、イスラエルを支持する先進国への嫌がらせ作戦を断行。オイルショックで経済は大混乱し、OPECはその存在感を世界中に示すことになる。さらに加盟国内の油田、石油パイプライン、製油設備の国有化をすすめ、石油メジャーの影響力を排除していった。

1976年、サウジアラビアで原油採掘を独占してきたアラムコの大株主である、エクソン、モービル、テキサコ、シェブロンの4社はサウジアラビア政府に株式を譲渡。ここに、セブン・シスターズによる石油支配は終わりを告げ、影響力は小さくなって行く。

が、その後石油会社は、合併とか統合とかの合理化を推進し、 スーパーメジャーと呼ばれる6社ができて、現在でも原油マーケットを支配しているらしい。(どうやって、どのよーに、というのは、私にはさっぱりわからんちんのとっちきちん♪)

さらに、非欧米諸国の主な国営企業7社(イラン、ベネズエラ、ロシア、中国、サウジアラビア、ブラジル、マレーシア)を新セブンシスターズと呼んでいたり、攻防は続いているのだな・・・って感じです。



(新セブンシスターズって、聞いたことはあったけど、タバコ会社か何かなんだと思っていたよ。マイルドセブンとか、セブンスターとか、名前が似てるからさ・笑)



う〜、ユノカルのことを知ろうとしたら、その周辺を調べただけで終わってしまったぞ。orz
とにかくわかったことは、石油を握る奴は世界を握るってことだー。(基本中の基本でしたね。)
続きはまたこんど。



※オイルショックというのは和製英語扱いらしいです。英語ではオイルクライシス(oil crisis)って言うんだってさ。へぇ〜、知らなかった。
だいぶ、見えてきた・・・・。

1989年 ソ連、アフガンから撤退。マルタ会談。冷戦終結。大量の武器が残され、アフガンは内戦に突入。

1991年 湾岸戦争。ウサーマ・ビン・ラーディンは米軍のサウジ駐留に反発。
ソ連で8月クーデター。ゴルバチョフ大統領失脚。12月にゴルバチョフは大統領を辞任。ソビエト連邦の解体が宣言される。(トルクメニスタンもこのとき独立)

1994年 ウサーマ、サウジアラビア国籍を剥奪される。国外追放され、一時スーダンに身を寄せる。

1995年 ユノカル社がカスピ海からアフガニスタン、パキスタンを経由してアラビア海に天然ガスを搬出するパイプライン敷設計画を立て、関係当事者と交渉を開始。トルクメニスタン政府とパキスタン政府は、トルクメニスタンからパキスタンへ天然ガスを供給すること、そしてその天然ガスをパキスタン政府が長期的に購入することを確認。

1996年 タリバン、首都カブールを制圧。ウサーマ、アフガニスタンへ。タリバンの客人となる。

1997年 パキスタン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦の各国がタリバン政権を承認。(UAEとサウジは9.11直後、国交を断絶した。)
    トルクメニスタンからイランまでのパイプラインが完成し、輸出が始まる。
   
1997年10月 トルクメニスタンで、セントガス・コンソーシアム(中央アジアガス会社)の設立のための調印式。中央アジアガス会社はトルクメニスタンに埋蔵されている豊富な天然ガスを、パイプラインを通じてパキスタンに供給するプロジェクトを推進するための会社。このプロジェクトに参加する各国企業および参加比率は次の通り。

ユノカル社(米国/参加比率46.5%)、デルタ社(サウジアラビア/同15%)、ガスプロム社(ロシア/同10%)、トルクメニスタン政府(同7%)、インドネシア石油(株)[国際石油開発(株)の前身](日本/同6.5%)、伊藤忠石油開発(株)(日本/同6.5%)、現代社(韓国/同5%)、クレッセント・グループ(パキスタン/同3.5%)

1997年12月17 英テレグラフ紙に「タリバンが石油メジャーに招待され、テキサスでVIP待遇を受けた」という記事が出る。


当時、ハーミド・カルザイ(現アフガニスタン大統領)は、ユノカルの最高顧問であり、タリバンとの交渉窓口役であった。カルザイが交渉を担当したセントガス・コンソーシアムは、タリバン政権に敷設料として19億ドルを提示したとされている。上記のように、ユノカルはセントガス・コンソーシアムの株の46.5%を持っていた。

カルザイはアフガン南部出身のパシュトゥーン人、1980年代のソ連によるアフガン侵攻時はムジャヒディン(聖戦士)のメンバーでもあった。さらに、彼はCIAやジョージ・ブッシュ(父)、それにパキスタン諜報局(ISI)とも親密な関係を維持し、相互にアフガン情報をやりとしていたとも言われる。また、現在のアメリカのアフガニスタン大使ザリメイ・カリルザドは、以前ユノカルのコンサルトであった。


ここまでは、べつに問題なくパイプラインプロジェクトは進んでいたようなのだが・・・・。

むしろアメリカは、サウジアラビア、パキスタンと共に、タリバンを間接的に支援してたんだし、アメリカにとってアフガンの安定は利益になることであって、混乱は望んでいなかったはずなのでは・・・。なんでこじれたんでしょう?
1998年1月 アメリカのクリントン大統領とモニカ・ルインスキーの不倫疑惑浮上。(パイプライン計画とは直接関係ないけど、ちょっと気になる・・・)

1998年8月 アフリカ北部諸国で米国大使館爆破事件。アメリカ(クリントン政権)はアフガンに巡航ミサイル、トマホークを撃ち込み、ウサーマ・ビン・ラーディンの引き渡しを執拗に迫る。ウサーマが事件の首謀者であるということが理由。(証拠は無かった。今回の事件はアルカーイダ系のテロリストの手口と異なる点が指摘されており、また爆薬が大量かつ高性能で、テロリストの扱う物ではないという意見がある。また、同時にスーダンも攻撃されたが、スーダンはすでにアルカーイダと決別していて、攻撃されたのは薬品とミルクを製造している工場であることが後になって露呈した。)タリバンは、ウサーマはアフガンの「客人」であるとして米国への引き渡しを拒否。
パイプライン計画の最大の出資者であるユノカルが、「タリバン政権下のアフガンは不安定、投資はできない」という声明を発表、プロジェクトを放棄。

1999年10月 パキスタンで無血軍事クーデター。当時陸軍参謀長パルヴェーズ・ムシャラフは行政長官に就任。

2000年 トルクメニスタンはロシア向けに大規模な輸出を始める。

トルクメニスタンの天然ガスは、世銀の調査によれば、世界第四位の埋蔵量。アメリカは、ロシアとイランに先を越されてしまいました。(アメリカはトルクメニスタンへ多額の経済援助をしているのにもかかわらず、です。ちなみに日本も援助はいっぱいしてます。)中央アジア資源については、他にも、中国へのパイプライン敷設計画や、トルコに向けたカスピ海海底パイプライン計画もあります。中央アジアには、ガスだけでなく石油も埋蔵されていて、アメリカにとってここの天然資源を失うことは、OPECに原油価格決定権を握られ続けるということにもつながると思われます。

2001年2月 タリバン、バーミヤンの大仏を破壊。

2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ。ツインタワー崩壊。サウジアラビアはタリバンと国交を断絶。アメリカはアフガン戦争へ突入。



こうして見てみると、1998年が転機だったみたいですね。暗転・・・って感じですが。
タリバンがウサーマにそそのかされてジハード病の原理主義思想にのめりこんで行ったのが、アメリカとの亀裂の原因だったんでしょうか。でも、アメリカのほうもタリバン政権を最後まで承認はしなかったし、歩み寄っていたとはとても思えない・・・(歩み寄ってたのは企業だけだったような・・)。

ウサーマはなんでパイプライン計画を頓挫させたかったのだろう・・・。
考えてみたんですが、パイプライン計画にはサウジも出資しているけど、ここを開発するのがほんとにサウジの利益に適うのかっていうのが、疑問でした。中央アジアからのパイプラインが実現して、ガスも石油も採掘されるようになると、中東の石油の価値が下がってしまいそうだし、サウジアラビアにしてみれば、アフガンは混乱したままで、アメリカが中東の石油に依存したままでいてくれたほうがよかったのかもな・・・と。国籍を剥奪された後、サウジとウサーマは、ほんとにぜーんぜん関係なかったのだろうか。。。

サウジはワッハーブ派のジハード思想を利用する(例:ソ連に対抗するためにアメリカと組んでアフガンにムジャヒディンを送り込む)一方で、1979年にマッカで起きたグランド・モスク占拠事件に象徴されるように、過激派が育ちすぎるのを抑えるのにも必死になっている(下手をすると自分の王権が転覆される)感じがします。サウジにとって過激派は、あくまでも「うまく利用して後はポイ」の存在なのだと思います。
9.11、そしてアフガンの悲劇は、サウジのダブル・スタンダードが原因のひとつなのかもしれません。単なるゲリラ戦集団が超大国に歯向かって勝てると本気で思ってたとは信じられないんです。勝算が多少あったとしても、国益に適うことでないのは明白だし、どう考えてもおかしいんじゃないかと。アメリカがアル・カーイダを利用して9.11を引き起こしたとすれば、その陰にはサウジアラビアの二枚舌があったとも考えられます。サウジとウサーマが、具体的にどんな取引をしていたのかは想像できないけど、彼らが無関係に行動してたとは考えにくいと思うんです。
つまり、タリバンはアメリカと協力できる体制を整えつつあったのに、それを壊したのがウサーマであり、その背後にサウジがいたのではないかと。アメリカは人権問題を持ち出してタリバンを承認しなかったけど、それはそれでまた、別の背景がありそうです。こっちの方はたぶん、イスラエルとかネオコンとか、そのあたりのアメリカを陰で支配してる勢力が関係してるんでしょうね。突き詰めると中東問題になると思います。

いろんな勢力の思惑がからまってこんがらがって、あの不可解な9.11が出来上がったのかもしれません。だから、見る角度によって、いろんな解釈ができてしまうんではないかと思います。

タリバンが9.11に巻き込まれていったのは、外交的な敗北が主な原因と言えるのかも。何故、彼らが国際社会の一員として認めてもらえなかったのか、後で考えてみたいです。でも、これは、政治的なことのほかに、現代でのイスラームのあり方っていうのもテーマになってくるので、ちょっと私の手にはおえないかもな。。。


中国の国有石油会社、中国海洋石油は、2005年にユノカルの買収を試み、破格の金額185億ドルを提示したのに、うまくいかなくて、ユノカルはシェブロンに買収されました。中国は、パキスタンからグワダールの開発を任されてノリノリなのに、いつまでたってもアフガンが安定しないので業を煮やしたのでしょうか。ていうか、グワダール港とパイプライン両方を押さえれば、願ったりかなったりですから、むしろ当然か。もちろん、トルクメニスタン関連以外でも、中国にとっておいしいものをユノカルはたくさん持っていたので、それだけが目的っていうわけではないんでしょうけど。

ここ、グワダールの生写真が載ってる貴重なブログです。
http://lww.blog.so-net.ne.jp/2007-09-29-1

この先、アフガン戦争がどういう方向に行くのかわからないけれど、アメリカが経済的に斜陽を迎えつつあることを考えると、この先大国として成長して行くであろうインドと中国、そしてパキスタンの力関係をどうやってバランスさせていくかっていうことが、重要な鍵になるのかも。

ちなみに、パキスタンにとってグワダールがどんだけ重要か、当のパキスタン人達はほっとんど知らずに暮らしています。少なくとも、カラチの一般人は、知らなかったです。アフガンからのパイプライン計画のことも、ぜーんぜん。


ちょっとつけ足しでこんな話も。
公式情報ではないので書くかどうか迷ったのですが、旧ソ連支配の時代の調査によれば、アフガニスタン北部にも天然ガスはあり、埋蔵量は5兆立法メートル。場所は北部のマザリシャリフ周辺。
マザリシャリフは北部同盟のドスタム将軍の本拠地。

1997年 マリクのクーデターにより、マザリシャリフを制圧したタリバン軍だが、武装解除を強行してマリクの反撃を受け、大部分がハザラ族兵士に虐殺される。ドスタム将軍、マリクを追放しマザリシャリフの実権を奪還。
1995年 タリバン軍再びマザリシャリフを占領。タリバンは、前年の報復としてハザラ族住民を虐殺。
2001年9月9日 マスウード、ジャーナリストを装った男の自爆テロで殺害される。
2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ。ツインタワー崩壊。

マザリシャリフに本当にガスが埋まっているのだとしたら、マスウードが「カンダハールまでは進軍しない。」と言ってたのも、もっともな話だとわかります。「ガス田は我々に、パイプライン利権はタリバンに。」ということだったのでしょう。また、ムッラー・ボルジャンというタリバン幹部が、2000年の時点でマスウード殺害に消極的だったのも、当然ですね。マザリシャリフはすでにタリバン支配下にあり、マスウードをわざわざ殺してタジク人の怒りを買う必要はなかったわけだから。
kawtharさん

私がよく分からないパキスタン・アフガニスタンの歴史を解説していただいてありがとうございます。

>サウジはワッハーブ派のジハード思想を利用する(例:ソ連に対抗するためにアメリカと組んでアフガンにムジャヒディンを送り込む)一方で、1979年にマッカで起きたグランド・モスク占拠事件に象徴されるように、過激派が育ちすぎるのを抑えるのにも必死になっている(下手をすると自分の王権が転覆される)感じがします。サウジにとって過激派は、あくまでも「うまく利用して後はポイ」の存在なのだと思います。

その通りです。

他の場所で書いた文章を挙げます。参考までに。

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「無政府状態が40日続くより、100年続く(ムスリムによる)圧制のほうが正しい」

という教義がスンニ派一般にあります。

よって、一般的に正統的(原理主義的という意味ではなく、エスタブリッシュメントとして組織の権威という立場のある法学者という意味です。)スンニ派法学者は、どんな圧制であっても、為政者に対する反乱を否定し、圧制者に対しては、改善のアドバイスをする姿勢に徹します。

しかし、一方では圧制者への反乱が認められる場合とはどのような条件かを巡って、いろいろな議論が歴史的に積み重ねられているのも事実で、それを現代において再発展させ、反政府「テロ」or「ジハード」を正当化する論理も、エジプトの原理主義集団を中心に発展しました。

で、問題のワッハーブ派、ですが、正統教義では「wali al-amr」(訳しようがないのですが、一言で言えば、「統治者」もしくは「国家元首」になります。文字通り訳すと、「ムスリムの一般信徒が従うべき、政治的権威」のことで、カリフが不在の場合は、次善の策として、ムスリム一般信徒は、この「wali al-amr」に従うことが宗教的な義務となります。)への盲従を非常に強く強調する宗派で、もともと上記のような解釈をしている他のスンニ派以上に、この教義を強調します。

この点は、非常によくできている装置で、ワッハーブ派は、分かりやすく言えば、ワッハーブ派以外の「ムスリム」は「似非ムスリム」であって真の「ムスリム」ではない(これを「タクフィール」といいます。タクフィールとは、他者を「カーフィル」と宣言する、という意味です。カーフィルとは、不信仰者、異教徒、異端という意味で、「コーランの啓示を受け入れない人」全てを含みます。)という隠し教義があり、よって、「似非ムスリム」は「ジハード」の対象として戦争をしてもかまわない、というか、すべきという世界観(これを「ジーハド主義」といいます。)を持っております。

この「タクフィール」と「ジハード」こそが暴力によるネジュド以外の地域への侵略と占領という、サウジ「建国」史を正当化する理論であり、ワッハーブ派のもっとも重要な教義です。

しかし、信仰告白をして、ムハンマドを預言者と認め、アッラーを信じると主張するムスリムを「タクフィール」することは、非常に危険な思想であります。つまり、イスラム世界内部の秩序そのものが崩壊する危険を孕んでいます。

よって、ワッハーブ派法学者は、権威のある法学者のみが「タクフィール」を宣言でき、「wali al-amr」のみが、ジハードを命令できるという「安全装置」をワッハーブ派の正統教義として組み込んでいます。

ですから、「wali al-amr」への絶対服従というのは、ワッハーブ派にとって、「タクフィール」による「ジハード」の暴発を防ぎ、ワッハーブ派教団国家であるサウジアラビアの体制を維持するのに必要不可欠な教義なのです。

しかし、サウード王族がイギリスと協定を結び、サウジの国境を画定し、サウジアラビアが地域国家としての成立したことは、「ジハード」の終結に他なりません。ジハードを命令できる唯一の権威者自身が、ジハードをやめて、シーア派のイラクやキリスト教徒のイギリスと条約を結んだわけですから。

この時点から、「王族は、イスラム法を裏切り、カーフィル達(=欧米のキリスト教徒、およびシーア派ムスリム)と取引をした。」との批判が巻き起こり、それは必然的に、「サウード王家はイスラム教を裏切って、カーフィルと取引をした→サウード王家は正しいムスリムではない。→サウード王家はカーフィルとみなすべき。→サウード王家へのジハードこそが正しいイスラム教徒の義務である」と発展するに至ります。これが、アル・カーイダ誕生の起源です。

このように、体制によるジハードとタクフィールの権威を認めず、逆に、体制側をタクフィールして、ジハードの対象とする過激派による王政への武力反乱というサウジの裏の近代史の始まりです。

で、よくサウジ政府やサウジ人が「ウサーマ・ビン・ラーデンやアル・カーイダは、ワッハーブ派とは無縁。彼らはエジプトのテロリストの影響を受けた異端者である。よって、サウジやワッハーブ派にはなんの責任もない。」と主張するのは、以上を踏まえ、「タクフィールとジハードは、体制派法学者と王家のみが命令できる」という正統的なワッハーブ派の教義を破っているので、彼らはワッハーブ派ではない、という主張なのです。

(※そもそも、サウジ人やワッハーブ派自身が、「ワッハーブ派」という名称を認めておらず、自分たちは「真のムスリム」であり、「真のイスラム教(=当然、スンニ派のイスラム教のみが正しいということは前提です)」を実践しているに過ぎない、これを認めない「似非ムスリム」や異教徒たちが、「ワッハーブ派」という名称により、われわれを貶めている、と主張します。彼らが敢えて、自分たちの勢力を自称する際には「サラフ主義者」という用語を使います。これは「サラフ(=イスラム教の初期の信者)」のイスラム教に回帰し、異端思想で穢れた今のイスラム教を矯正する、という思想で、私たちの言葉に約すと、イスラム原理主義と分類するのが妥当です。)

一方、アル・カーイダ(歴史の糸を解きほぐせば、30年代のイフワーン軍の反乱や80年代のマフディー主義者による反乱も含め)ら、過激派にいわせれば、体制派の法学者や王族こそ、イスラム教の裏切り者であり、われわれこそが正しいイスラム教徒である、ということになります。
整理すると、

自分たち以外の「ムスリム」は異端思想に汚されており、正しくイスラム教を実践していない、自分たちだけが、コーランとスンナに基づいたイスラム教を実践している正しい「ムスリム」である、と主張する思想を「サラフ主義」と分類し、

サラフ主義の中で、他のムスリムを「タクフィール」するようになった思想を特に、「タクフィール主義」と分類し、

さらにはジハードを主張し、実行する思想を「ジハード主義」と分類し、

これらを総称して、「イスラム原理主義」と分類するのが妥当であると思います。

一方「ワッハーブ主義」は、上記の分類で言えば、「イスラム原理主義」であり、「サラフ主義」であり、「タクフィール主義」であり、歴史的には「ジハード主義」も掲げて実践していた、ということになります。

サウジのイスラム原理主義をして「ワッハーブ派」と分類することが妥当なのは、

●他のサラフ主義には一般的でない教義(女性の運転・スポーツを禁止し、ベドウィンの服装をして「イスラム的」と主張し、アラビア半島全てを聖地とみなすetc)を主張しており、

●また、現代のイスラム原理主義が20世紀に入ってから成立した思想であるのに対し、ワッハーブ主義は18世紀に成立して活動し始めたという点で、独自の歴史を有している、ことによります。

そもそもアフガニスタンで米国やサウジの支援を受けて対ソ連ゲリラ戦を指導していたウサーマ・ビン・ラーデンが、なぜ、かつて支援を受けていたはずの米国やサウジに対するテロ活動を始めたのかというと、湾岸戦争がきっかけなのです。

イラクのクウェート侵攻により、サウジは張りぼての自前の軍隊ではイラク軍からサウジを防衛できないという事実を突きつけられ、悩んだ末に、米軍のサウジ駐留を求めることにしました。

これに対し、宗教勢力が大反対し、国民の多くもこれに賛同するようになりました。そのポイントは、「聖地であるアラビア半島にカーフィルの軍隊が進駐することは、カーフィルによる聖地蹂躙であり、占領である」ということです。まさに、アラビア半島全体を聖地とみなすワッハーブ派の教義どおりの主張です。

王族は、サウジ防衛のための米軍駐留を正当化するファトワー(権威あるイスラム法学者による、イスラム法に基づく判断)を体制派のイスラム法学者に発行させ、国内世論の反対を押し切って、米軍をサウジ領内に迎え入れます。

統治者への絶対服従を是とする教義と、アラビア半島を聖地とし、カーフィルへのジハードを義務とする教義の矛盾により、サウジ世論は分断され、サウジは建国以来始めての国民的な反体制運動を目撃することになりました。

これに対してサウード王家は、湾岸戦争終結後、統治基本法という憲法のような(ようなってのがミソです。サウジの憲法はコーランとスンナであり、人が作った世俗法を認めないからです。)法律を制定し、国会のような(ようなってのがミソです。人間が国会のような世俗的機関を通じて世俗法を制定することは、イスラム法の否定に他ならないからです。)諮問評議会を設置するという、サウジ建国以来始めての政治制度の改革で、「民主化」をアピールして、国内統治の安定化を図ることになりました。

このときの米軍進駐反対運動の指導者の一人がウサーマ・ビン・ラーデンであり、その運動は王政による弾圧と上記「民主化」により、多くが沈静化したものの、一部はより先鋭化し、最終的には、「サウード王家はイスラム教を裏切たカーフィルであり、統治者の資格を失った。よって、ジハードによりかかる王政を打倒し、真のイスラム体制を作ることがイスラム教徒の義務である」と主張するようになります。

これを実行に移し、聖地であるアラビア半島を侵略した米国とサウジ政府を対象としたジハードを開始したのが、ウサーマ・ビン・ラーデンに率いられたアル・カーイダだった、というわけです。

よって、アル・カーイダは当初は、結構サウジローカルな思想に基づいていて、アラビア半島の解放を目標にしていて、サウジ国内の米軍を対象としたテロなんかやっていたのですが、サウジ政府がウサーマ・ビン・ラーデンを国外追放して国籍を剥奪し、ウサーマ・ビン・ラーデンが拠点をスーダンやアフガニスタンに求め、アフガニスタンで築いた対ソ連戦を戦った先頭経験豊富なイスラム主義者を広くリクルートして、国際的な活動をはじめた辺りから、イスラム世界ひいては、世界規模の活動を展開するようになり、9.11を実行し、それに対し米国が同盟国を募ってアフガニスタンとイラクに侵略するに至り、サウジ政府の打倒やアラビア半島の解放なんてローカルなイシューは優先事項ではなくなり、敵は「ユダヤ・十字軍同盟」とそれを支持する勢力全て、となり、今のような文明の衝突に至るようになったわけです。

よって、タクフィール主義とジハード主義、アラビア半島を聖地とみなすという教義、という点では、むしろ、ウサーマ・ビン・ラーデンこそ、妥協のない純粋なワッハーブ派であり、サウジ王政を支持する体制派のワッハーブ派は、妥協した修正派ワッハーブ派である、と整理するほうが妥当というか、分かりやすいと思います。

ようは、ワッハーブ派の本家争いなわけで、そんなことはアラビア半島のなかでやってくれ、と、世界を巻き込むな、というのが正直な感想ですね。
ムスリムが誰か他の人をカーフィルと呼ぶ場合、ほんとはすごく慎重にならなければいけないと思うんです。

アブドゥさんはたぶんご存知だと思いますが、ハディースがありますね。「もし誰かのことをカーフィルと呼んで、実はその人が本当はムスリムであった場合、自分がカーフィルである」という意味のものを見たことがあります。

シャハーダしてムスリムであることを表明している人を指して「カーフィル」と呼ぶなら、自分の信仰と人生のすべてをかけて言うくらいの覚悟が必要なわけで、けして軽々しく放ってよい言葉ではないと思います。

ワッハーブ派は、ばらばらになっているイスラーム世界をひとつにまとめる目的で、自分たちの教義の正当性を主張しているつもりなのかもしれませんが、彼らのしていることは統一でなく排他であり、むしろ敵対と分断を呼んでいるように思います。

それに、何よりも、「心」を感じないんですよ・・・。うまく説明できないんですけど、なーんか、カラッポな感じがして。理詰めであれこれ言われても、心が惹かれないです。

これ以上暴走しないでくれればいいのですが。。。祈るばかりです。
いろいろ読みすぎたし、書きすぎたような気もするし、ちょっと疲れたな。

このトピのタイトルのテーマに、いまさら戻りますが、もしかしたら、インドとパキスタンの対立も、他のいろんな地域の紛争も、「仮想敵国がないと国家を維持できない」というあきれた現実を支えるために作られている部分が大きいのかも知れませんね。

このコミュのトピ、ぜんぶ読んでますが、いろいろと勉強になりました。

ふと、思ったのですが、人って、自分の存在を支えるために、争ったり、殺しあうのであって、純粋に相手に対する憎しみのために殺したり、ケンカする人っていうのは、ごくわずかにすぎないのではないかなぁ。。。

人間て、ほんとうに弱い生きものなんですね。


マハトマ・ガンディーの死について、ぼんやり考えています・・。
ガンディーの死は、インド・パキスタンの分離独立の翌年でした。この独立劇が、けして終わらない対立の始まりであることを知っていたのでしょうか、政治信条としてヒンドゥー教徒とムスリムとの融和と統一を主張していたガンディーは、独立記念祝典にもついに出席することはありませんでした。独立の混乱期、虐殺・略奪や暴行が相次ぎ、多く老人・女性・子どもが犠牲者となり、死者は全体で20万人とも50万人とも言われています。ガンディーは両教徒の団結を説く旅に出て、少数者の立場に置かれたムスリムの利益を守ることを主張し、ヒンドゥー教徒を批判する立場を鮮明にしていました。

彼の暗殺は、ヒンドゥー原理主義者によりなされたものです。ガンディーは、首都ニューデリーのビルラー財閥邸で、祈りのために庭園に出たところ、群衆をかきわけて接近したヒンドゥー教原理主義者ナートゥーラーム・ゴードセーに射殺されました。
3発のピストルの弾丸を撃ち込まれたとき、ガンディーは自分の額に手を当てました。これはインド系のムスリムが「あなたを許す」という意味を表して行う動作です(おそらくインド系のみ)。ヒンドゥー教には相手の前でかがんで右手で相手の足をさわり、その右手についた埃を自分の額に持っていくという挨拶の動作がありますが、状況から考えて、「許す」意味で額に手を当てて亡くなったものと考えるのが自然でしょう。そして、ガンディーは「おお、神よ」(「ヘー ラーム」)とつぶやいて事切れました。

ガンディーは、非暴力運動において一番重要なことは自己の内の臆病や不安を乗り越えることであると主張していました。ガンディーはまた、「神は真理である」または、「真理は神である」という言葉を残しています。

マハトマ・ガンディーを何教徒であった、と定義づけるとしたら、それはもちろん「ヒンドゥー教徒」であった、というのが歴史的事実です。
では、彼は、ムスリムの目から見て、はたして「不信仰者」であったと、言えるのでしょうか?

「真理」とは、イスラームにおけるアッラーの99の美名のうちのひとつであり、それは「アル・ハック」です。それは神を表す属性のひとつなのです。

マハトマ・ガンディーのような人が、神の僕(しもべ)でないというのなら、では、今のこの世でいったい誰が、本物の信仰者だというのでしょう。


私は学者ではないから、あえて、答えは出しません。
真相は、むしろ、光の中に、あるのでしょうね。
もうね、いい加減にして欲しいわけです。(−"−
アル・カーイダって何者よ?

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「パキスタン攻撃すれば代償」 アルカーイダがインドに警告
2009.2.10 19:17
 国際テロ組織アルカーイダはビデオ声明を発表し、インドがパキスタンを攻撃すれば、昨年11月のムンバイ同時テロ事件のような攻撃を加えると警告した。ビデオ声明を届けられた英BBCが10日、伝えた。

 生命では、昨夏、パキスタンで米軍の無人機に殺害されたと伝えられていたアルカーイダ戦闘部門のムスタファ・アブ・アルヤジド司令官が声明を読み上げ、「インドがパキスタンを攻撃すれば、インドは高い代償を払うことになることを知っておくべきだ」「経済の中心地をターゲットにし壊滅させる」などと警告した。(ニューデリー 田北真樹子)
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090210/asi0902101918002-n1.htm
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ありえない!
アフガン・パキスタン国境でゲリラ戦をやってる人たちは!
むしろ!
インドとパキスタンが開戦してくれたほうがよっぽど都合がいいはずなんですけど!!
なぜならばーー!

インドと開戦するとパキスタン軍は、アフガン国境なんかにかまっていられなくなり、北西部の戦線は半ば放棄して、対インド戦に備えないといけないわけです!

で!
実際にムンバイテロの後、パキスタン軍が東側のインド国境沿いに移動したために何が起こったかというと!

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パキスタン:NATO軍への物資輸送、業者が一部再開
 パキスタン北西部からアフガニスタンで活動する北大西洋条約機構(NATO)軍への物資輸送が武装勢力の攻撃によりほぼ停止していた問題で、輸送を受託しているパキスタンの輸送業者団体「カイバル運送協会」が一部業務を再開した。パキスタン軍が昨年末に掃討作戦を開始し、輸送路の安全が確保されたため。

 昨年12月上旬に武装勢力の攻撃で約200台が被害を受けたペシャワル郊外のトラックターミナルでは11日、業者がNATO軍の装甲車などをトレーラーに積み込み、アフガンへの出発準備を続けていた。運転手の男性(40)は「11月に私の前を走っていたトレーラーが迫撃砲で爆破され、同僚が死んだ。怖いが、働かなければ家族8人が路頭に迷う」と話した。

 同協会は、パキスタン北西部からのNATO軍向け陸路輸送の9割を受託。しかし、昨年11月のインド・ムンバイ同時テロ事件で印パ間が緊張したことを理由に、パキスタン軍はアフガン側国境での掃討作戦を事実上中断。米軍のパキスタンへの越境ミサイル攻撃に反発する武装勢力が「報復」としてトラック襲撃を激化させ、協会は12月中旬に業務を全面停止していた。【ペシャワル(パキスタン北西部)で栗田慎一】
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2558095/3685097
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補給路を断たれては“掃討作戦”どころではないではありませんか。アフガンなんてなんにもない所なのに。腹が減っては戦はできぬ、世界の常識じゃんよ?
な・の・に!アメリカは!
こんな意味不明なことを!
しているのでありますよ!

キルギスの米軍基地、閉鎖?中央アジアで唯一のNATO軍の補給地だったのに。
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補給路への襲撃続発 パキスタン アフガン駐留軍向け
2009年2月5日 朝刊

 【バンコク=古田秀陽】パキスタン北西部の部族地域カイバル管区で、アフガニスタン駐留外国軍への補給路が連日襲撃されている。米軍の越境ミサイル攻撃やパキスタン軍による掃討作戦に反発するイスラム武装勢力が、報復攻撃を強めているとみられる。

 現地からの報道によると、同管区内にある北大西洋条約機構(NATO)軍の輸送基地周辺で四日、武装勢力がロケット弾を発射、トラック十台が燃えた。

 三日には補給路上の約三十メートルの橋が爆破され、数百台の車両が立ち往生した。

 補給路襲撃で昨年十二月には一時、輸送を中断する事態も。NATO軍と米軍はアフガンに隣接する中央アジア諸国と代替補給路の交渉を開始。しかし四日には、中央アジアで唯一、NATO軍への補給拠点となっていたキルギスの米空軍基地閉鎖の方針が明らかになり、影響が懸念されている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009020502000086.html
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な・に・か・ん・が・え・て・ん・の!!!


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米軍やISAFを主導する北大西洋条約機構(NATO)はカイバル峠経由のルートの治安悪化を受け、アゼルバイジャン、トルクメニスタンやウズベキスタンを通じた補給路線の確立も検討している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090203-00000018-cnn-int
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カスピ海の向こう側から、陸路をはるばる???
なんともはや!ご苦労なこった〜〜〜〜〜〜げっそり


アル・カーイダ=アメリカに勝つ気まるでなし。このままずっと泥沼戦争続けたい派のマゾヒスト

アメリカ=アフガン派兵組なんて兵糧尽きて死んじゃえば?ふつーに負けて退却するのかっこ悪いからさぁ。


大ヒット映画でランボーって男が言ってたぞー!
「俺達が国を愛したように、国も俺達を愛してほしいハート」ってなー。
>kawtharさん

放置気味の怠慢管理人ですいません。ちょっと実存の展開がありすぎて、ミクシー引きこもり生活を続けられなくなっています・・・

面白い情報提供と、興味深い分析をありがとうございます。

>アル・カーイダ=アメリカに勝つ気まるでなし。このままずっと泥沼戦争続けたい派のマゾヒスト

いや、そのとおり。米国との闘争を継続しない限りは、組織として存在しえませんから。

イスラエルが究極的に、和平を選択できないのと同様です。

生存のための闘争ではなく、闘争それ自体が、政策目標になっている人たちですから。それは、やはり宗教原理主義の行き着く先なんでしょうね。

そのバランス感覚がしっかりしているのが、ヒズブッラーであり、やや疑わしいながらもある程度はイランのイスラム革命指導部なんです、と、またシーア派イスラム主義を擁護してみたり。

>アメリカ=アフガン派兵組なんて兵糧尽きて死んじゃえば?ふつーに負けて退却するのかっこ悪いからさぁ。

キルギス基地閉鎖の狙いはわかりませんね・・・

ロシアとの取引なんでしょうって思いますけど、直感的には。

まあ、私は、本音を言えば、要するに、米国の軍産複合体の影の組織が、CIAが設立に関与したアル・カーイダからリーク情報を入手した上で、9.11の情報をあえて見過ごし、イラク戦争まで導き、ソ連崩壊後の状況での新しい低強度かつ継続的な紛争状態という新たな冷戦構造を構築したと理解しています。

まあ、いくら新大統領が知恵を絞っても、この世界規模で構築されてしまった継続的な紛争状態を解消するのは、困難を極めるでしょうね。

米軍には戦闘部隊から手を引いてもらって、どっかの国でその穴を埋めて、タリバンの現政権への参加も模索する以外には解決の方法が考えられませんけど。それはとても実現される可能性が期待できませんね。

つくづく思うのですが、ワッハーブ派の原理主義者が支配する湾岸に原油が隠されていたのは、神様からの「アラブ人」やムスリムへの寛大な贈り物ではなく、逆に、ヨブ様ASに神様が厳しい試練を与えて信仰心を試したのと同様の、中東のムスリムたちに対する厳しい試練なんだと理解すべきでしょうね。

というわけで、このオイルマネーとワッハーブ派による汚染に耐えて、自らの誇りと生産と近代化に取り組んでいるトルコ共和国こそ、この地域のスンナ派ムスリムのモデルなんです。
>>アル・カーイダ=アメリカに勝つ気まるでなし。このままずっと泥沼戦争続けたい派のマゾヒスト

>生存のための闘争ではなく、闘争それ自体が、政策目標になっている人たちですから。それは、やはり宗教原理主義の行き着く先なんでしょうね。

>そのバランス感覚がしっかりしているのが、ヒズブッラーであり、やや疑わしいながらもある程度はイランのイスラム革命指導部なんです、と、またシーア派イスラム主義を擁護してみたり。

ヒズブッラーとタリバンとハマスとアリ・カーイダを自分なりに分類わけすると、

ヒズブッラー・タリバン・ハマス=自分の土地で戦っている

アル・カーイダ=自分の国から追い出されており、戦争が終わっても帰る場所がない。帰国しても逮捕される。


で、上の3つのグループの中で、きちんとした矛盾のない支援を受けていて、その支援国と宗派的にも対立していないのが、ヒズブッラー。

タリバンは、ワッハーブ系だから、本来はサウジアラビアに支援される立場だけど(実際、サウジはタリバン政権を承認していたし)、しかし、どうもサウジはアフガンが混乱から抜け出すことを望んでいない節がある。
理由はやっぱ石油。自分の影響下に置かれた組織にアフガンを仕切らせれば、中央アジアとロシアの原油に対して、一定の影響力を持つことができるので、、助っ人として国内の過激派をアフガンへ送り込み、金銭的にもタリバンを支援したが、いざ、タリバンが勝利し、安定政権を築き、石油がインド洋からアジアへ輸出されるようになると、中東の石油に依存していたアジアの国に対するサウジの影響力が弱まってしまう。タリバンも、石油利権を手にすれば、サウジからの自立を模索するようになるだろう。だから、タリバンとアル・カーイダが組んで現在の戦争状態を継続してくれるのが、サウジにとっては一番リスクが少なく、都合がよいことになる。
アル・カーイダも、戦争が終わるとタリバンの協力者としての立場を失い、ただのよそ者として疎外される運命にある。自分の国には今さら戻れないし、このまま戦い続けるしか生きる道がない。サウジだって彼らに帰ってきてもらっちゃ困るし。

と、私は思います。


ハマスについては、他トピにいっぱい書いてあるので、そちらで勉強させていただきました。本


で、NATOの後方支援をロシアが引き受けるということですか?
そっか、ロシアかー。

ロシアはヨーロッパ向けのガスを止めて彼らを凍えさせる権利をすでに持っていますが(あ、でも、トルコ経由のBTCラインができたから、ちょと弱まったけど)、さらに、NATO軍を飢え死にさせる権利までも手にすることになるわけですね。そりゃー、おもしろいわーい(嬉しい顔)


アメリカ、負けたんだヨ、きみは。
お前はもう、死んでいる。(ひでぶ)


>湾岸に原油が・・・(中略)・・・中東のムスリムたちに対する厳しい試練

ほんとにそうですよね。富って、そういうものだと思います。使い方を問われてるんですよね。

トルコは地理的にお得な立場なんだもん。
アフガンパキスタンも、シルクロード上の重要地域だから、アジアの再興とともにお得な立場になれるはずだと思うんだけどな・・・。もうちょっと時間かかりそうです。とほほたらーっ(汗)
キルギスの米軍基地閉鎖に一役買ったのは、やはりロシアでした。

米軍がキルギスに支払っている基地使用料は年間6300万ドル。
ロシアが基地閉鎖の見返りキルギスに提示した融資額は20億ドル以上。

比較になりませんな。ケタが違うぜ。


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アジア、米軍拠点消滅?
2月5日8時3分配信 産経新聞

 【モスクワ=遠藤良介】中央アジア・キルギスのバキエフ大統領は3日、訪露してメドベージェフ大統領と会談し、米軍がアフガニスタンでの対テロ作戦に使用してきたマナス空軍基地を閉鎖する考えを明らかにした。キルギス議会は5日にも基地閉鎖を承認する見通しだ。同基地が実際に閉鎖された場合、米軍は中央アジア唯一の対テロ作戦拠点を失い、ロシアは勢力圏とみなす中央アジアからの米軍排除に成功した形となる。

 インタファクス通信によると、ロシアは3日、経済危機に見舞われている貧困国キルギスに20億ドル(約1780億円)以上の巨額融資を約束した。基地閉鎖はその見返りとみられており、キルギス政府は4日、米軍駐留協定の破棄に関する法案を議会に送付した。

 米軍が基地使用料(年間6300万ドル=56億1400万円)の引き上げなどで巻き返しを図る可能性は残るものの、キルギス政府の正式通告があれば、180日以内に基地使用を中止する必要があるという。

 ロシアは2001年の米中枢同時テロ後、「対テロ協力」を旗印に米国と接近し、中央アジアでの米軍駐留も容認した。しかし、イラク戦争などを契機に米露関係は悪化の一途をたどり、ロシアは中央アジアでの米国の影響力拡大を警戒して米軍の長期駐留にも強く反発していた。

 アフガンでの対テロ作戦をめぐっては、物資の主要輸送経路であるパキスタン西部で武装勢力の攻撃が多発し、情勢が不安定化している。その上にマナス空軍基地が閉鎖された場合の影響は大きく、米国はロシアや他の中央アジア諸国の協力を得て新たな物資輸送経路の開拓を迫られそうだ。

 ロシアもこのことを見越し、アフガンへの物資輸送問題に関与して発言力の増大を狙うとみられる。ロシアは昨年4月、アフガン向けの非軍事物資の自国領通過を認めることで合意したものの、同年8月のグルジア紛争によって実質的な協力には至っていない。ロシアのロゴジン北大西洋条約機構(NATO)大使は4日、「ロシア領の非軍事物資通過に大きな問題はない」と合意が有効であるとの認識を示し、「物資の幅を広げることは政治的な問題だ」と軍事物資の通過容認にも含みを持たせた。

 アフガンの安定化は本来、南方からのテロ拡散を恐れるロシアにとっても重要だ。ロシアはアフガンをめぐる協力と引き換えに、NATOの東方拡大といった問題で米国の譲歩を迫る公算が大きい。

                  ◇

【用語解説】中央アジアの米軍

 2001年9月の米中枢同時テロ発生を受け、米軍は同年12月、キルギスの首都ビシケク近くのマナス空軍基地の使用を開始した。米、仏、スペイン兵計1000人が駐留している。ロシアは03年9月、約30キロ離れたカント空軍基地の使用を開始し、500人が駐留している。ウズベキスタンは01年、南部ハナバードの基地使用と米軍駐留を承認したが、米軍は同国の求めに応じて05年11月に撤退した。中露などで組織する上海協力機構(SCO)は05年、中央アジアに駐留する米軍に、早期撤退を事実上要求した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090205-00000070-san-int
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(たわば!あべし!あおおえへげえっ)
日付を見ると、このトピに書き込むのはほぼ3ヶ月ぶり。
大きな動きが出ているので、簡単ですがまとめてみます。

今年2月に、北西辺境州スワート地区のタリバンとパキスタン政府が和平の合意に至ってから2ヶ月後に、のらりくらりと逃げていたザルダリ大統領が正式に和平に署名したのが、先月、4月の15日でした。

パキスタンのタリバン指導者のスーフィ・ムハンマドはパキスタンの法体制をクフル(不信)であると声高に批判した上、和平合意後にスワートの南のブネル地区(首都のイスラマバードからわずか100kmほどの距離)にまで勢力を拡大させる姿勢を見せました。それが、4月23日のこと。

タリバンが南下する。それは、タリバンを育ててきた軍部に直接たてつく行為です。また、パシュトゥンがパンジャーブへの攻撃を開始する姿勢を見せたということにも、つながります。

政治家・文官は軍部を掌握できていないらしく、2〜3日の間、ニュースの中であわてている様子が見られましたが、26日になって陸軍参謀長のキアニが、おもむろにタリバンに対して警告の声明を出しました。非常に落ち着いた自信に満ちた内容で、薄ら寒いほどでしたげっそり。それを伝えるニュースキャスターの表情が、軍に対する信頼感に満ち満ちていて(笑)・・・。

軍の権力が強すぎることに、問題はあるけれども、パキスタンが軍の力なくしてまとまった国家として成立することはありえないのだな、と改めて思いました。なにしろ、文官があのていたらくだし。。。
関羽雲長や超雲子龍になれとはあえて言わない・・・。呂布や張飛でなかっただけ、よかったと思うしかないのかもしれません考えてる顔

軍は2日後の、4月28日からタリバンに対する戦闘を開始。「黒い稲妻」と名付けられた掃討作戦は(作戦名がついたのははじめてかも)、かなり本気の攻撃で、4日目の時点でタリバン側に100人死者が出ていました(こういう場合、数字はあんまり当てにならないかもだけど)。

また、和平を一番強く推していた野党のPML(N)と党首のナワーズ・シャリーフは、和平の支持を撤回、不支持に回りました。PML(N)は中部のパンジャーブ州を支持基盤としているイスラム政党です。

首都イスラマバードでは、ひげひげのおじさんたちがタリバン及びアメリカに反対する抗議集会を開き、シュプレヒコールをあげました。タリバンは、パキスタン国内では、すでに支持を失っています。

4月6日、アメリカでオバマ、ザルダリ、カルザイら大統領3人が会談。オバマはザルダリに医療、教育、インフラなど「あらゆる支援」の実施を約束。吝嗇で名高い大統領ザルダリはホクホク顔に。

4月7日、パキスタン政府はタリバンとの和平合意を正式に破棄。
今回の軍事作戦では、空爆も行われています。いままでパキスタン軍の「掃討作戦」は、ムシャラフ政権時代も含めて何度も行われましたが、ここまで本格的なものは初めてだと思います。
インド側の国境に配置されていたパキスタン軍も、北西部やイスラマバード方面に移動していて、インドとの話もつけたうえでの軍事行動であることをうかがわせます。

パキスタン国民の反応は、「軍を支持」が圧倒的。もともと90年代にパキスタン人が望んでいたのは、「タリバンの北上」であって南下ではありません。加えて、タリバンの体質自体も最近ではかなり腐敗が見られ、イスラームらしいとはとても言えない状態になっています。タリバンがアメリカと対峙しているうちは、同情も含めて、支持する声もありましたが、タリバンが鮮明に「対パキスタン」に転ずるならば、話は180度変わってくるようです。

国民が問題視しているのは避難民のこと。すでに数十万人の難民が出ているところへ持ってきて、この10日の間にさらに数万人の住民が家財道具を車に積んで逃げてきています。都市部では、流入する難民がこれ以上増加すると治安体制が維持できなくなるとの懸念も出ていて、頭の痛い問題になっています。

タリバン内部の対立が最近ではいろいろと伝えられていましたが、パキスタン軍が本気の戦闘を仕掛けてきたのを受けて、アフガン側のタリバンもパキスタン側に入って戦闘に参加しているようです。
いよいよ決着がつくのか??という雰囲気。

アメリカ軍もアフガン側で攻撃を強化しているようですが、5日の空爆で100人が誤爆の犠牲になりました。まったく、派手にやらかしてくれたもんです。こういうのは、マズイんです。下手をすると民意が動揺するきっかけになり得るので、やめてもらわないと・・・。

いままでの「掃討作戦」や「無人機での空爆」は、どこか生かさず殺さずの雰囲気で、ただ戦争状態がなんとなく長引いてしまうだけのものだった感じがするのですが、最近の戦闘は、経済支援やインドとの摩擦などの外交上の問題などを片付けて地盤を固めた上で行われていて、単なる火遊びではなさそうな様子です。戦争の終わらせ方のビジョンがまとまったのなら、出来るだけ早く決着をつけて終わりに持って行って欲しいですが・・・。


ちょっと気になるのはアメリカと中国のこと。
最近、アメリカが、アフガン国境付近のイスラム過激派と中国が関係しているかのような発言を、ちらほらと発するんです。かと思うと、パキスタンが武装組織のメンバーとして拘束していたウイグル人(中国国籍)を中国へ引き渡してみたり(在米ウイグル人組織や人権団体では、「処刑や拷問などの危険が高い」と反発を強めている)。どういうことなのかな?
パキスタンにおける覇権を、水面下でこの二国がじりじりと争っているようにも見えます。
>kawtharさん

さすが、パキスタンと深く関わる知的なシスターならではの分析と情報提供ありがとうございます。

勉強になります。

なんだか、最近、いっそう、パキスタン北部がきなくさー、大丈夫かいなー、とアル・ジャジーラ放送を見ながら思っていたのですが、やはりそういう新たな局面に突入しているんですね。

とはいえ、人工国家のパキスタンが、部族と中央政府の関係や、国民統合や、軍の独裁や、諜報機関の暴発や、米国と中国とインドの駆け引きの中での生き延びや、そんなことを全部うまく片付けて、安定した国家になるなんて、とてもとても想像できませんね・・・

となると、後見人のサウジへの依存はやはり、大切なカードになるわけですね。やっぱり、パキスタンの核は、パキスタン一国の核ではないのではないかという疑惑がさらに高まりますね。

なんでサウジは弾道ミサイルを所有しているのか?という疑問ですよ。

どうでもいいですが、アル・ジャジーラ放送で流れるたびに皮肉で笑ってましたが、このパキスタンの部族地域のタリバーン指導者の名前が、よりによって「スーフィー」!

原理主義で、武装闘争して、中央政府に反乱して、テロ活動まで行ってしまう「スーフィー」ですか?

サウジから十分にイスラム教の真髄を叩き込まれたみたいですなー。

「スーフィー」だって、笑えるー。

じゃ、俺は、トルコ国籍取るときに、「ワッハービー」と名乗りましょうか?
>とはいえ、人工国家のパキスタンが、部族と中央政府の関係や、国民統合や、軍の独裁や、諜報機関の暴発や、米国と中国とインドの駆け引きの中での生き延びや、そんなことを全部うまく片付けて、安定した国家になるなんて、とてもとても想像できませんね・・・

そうですね。すったもんだはこれからもいろいろと続きそうです。
まぁ、あの国の人たちはみんな駆け引き好きなんで、どんちゃかやりながらも、どうにか生きて行くんだろうと思ってますが。核を持ってる国を下手に分割するわけにも行かないしね。

あと1年半くらい経ったら、ムシャラフが正式に選挙に出る資格を得られるので、それまでに彼が支持基盤を作ることに成功すれば、オモシロいことになるかもしれません。彼は外交官の息子だったこともあってか外交に関してはセンスを感じるし、軍とのパイプももちろん太い、幼少時にトルコで過ごした時期があり、尊敬する人物としてケマル・アタテュルクをあげています。今、重要な局面を迎えながら、原理主義に幻滅しつつあるパキスタンにとっては、ちょうどいい感じの人なんです。
現在の最高裁長官のチョードリーとは対立関係にあるので、ウラの駆け引きに負けて裁判にかけられ、汚職を追及されたら、失脚・逮捕・国外追放・下手すりゃ死刑、となるのがパキスタン政治の倣いなので、それまでが彼の勝負の時かなぁ・・・。


>となると、後見人のサウジへの依存はやはり、大切なカードになるわけですね。やっぱり、パキスタンの核は、パキスタン一国の核ではないのではないかという疑惑がさらに高まりますね。

核のこと、気になりますよね。石油と並んで、これからの世界を左右することだと思います。
北朝鮮に核の技術提供をしたのはパキスタンだと言われてますが、北朝鮮の核兵器はプルトニウム型で、パキスタンのはウラン型なんですよ(ちなみに、インドのはプルトニウム型だったと思う)。そこらへん、明らかな矛盾があるんです。北朝鮮とパキスタンが無関係とはあえて言わないけど、直接つなげて考えるのはちょっと強引なんじゃないかと私は思います。もっとシンプルに、中国を疑うべきなんじゃないかと。そもそもパキスタンに核協力したのも、おそらくは中国なんだろうし。

パキスタンは、今、電力不足がすごい問題になっていて、中国の協力で原子力発電所を2基、建設してるところなんです(1基はすでに完成、もう1基は建設中)。
で、最近になって、アメリカが「パキスタンにプルトニウム抽出が容易な2基目の重水炉がほぼ完成し、近い将来、稼働が可能だとの分析(http://sankei.jp.msn.com/world/america/090424/amr0904241749014-n1.htm)」を発表したんですが、これ、やっぱ発電所のことなんですかねぇ?それとも違う施設のことなんでしょうか。

なーんーで、アメリカは中国のやってる核協力について、経済制裁はおろか、指摘すらしないんでしょうかね?わっかんないよなぁ〜。。。

去年、アメリカはインドに関して核輸出に関する例外扱いを求め、原子力供給国グループ(NSG)はインドに対して原子力関連の技術や核燃料の輸出を認めたので、その時点で、核拡散にはGOサインが出たも同然なんじゃないかなぁ。これからは、周辺国になし崩し的に核が広がっていく可能性が高いんでしょうね。

去年は、シリアも核疑惑核疑惑っていろいろ言われてましたけど、あれってなんなんだったんですかね。イランのことも、今はみんな忘れたふりをしてる感じだし。


>なんでサウジは弾道ミサイルを所有しているのか?という疑問ですよ。

そうですね・・・。
きっと、自爆弾志願者を搭載して空へ打ち上げるために・・・夜


>じゃ、俺は、トルコ国籍取るときに、「ワッハービー」と名乗りましょうか?

おもしろいので、ぜひやってみてください!(≧▽≦)ノ彡☆ばんばんダッシュ(走り出す様)
盛り上がる他トピをよそに、黙々とパキスタン道を進みます・・・ウマ

その後もおそろしい勢いで避難民は増え続け、以前から難民となっていた50万人(とか、70万人とか、数字はかなりアバウト)に加え、4月末から戦闘地を脱出して来た人々は80万人ほどに上っているようです。合計で130万人。民族大移動です。この先、さらに増えるだろうし、家と自分の農地を捨てて来た彼らをどうやって食わせていくか、大問題になっています。

数年前にカシミールで大地震があったとき、似たような感じにはなっていたので、テントなどはその時のものを使えばいいのかな?でも、足りないんじゃないかと、ちょっと心配です。難民が不満を募らせて背に腹は変えられずで犯罪に手を染めれば、治安が悪化し、軍事作戦を支えている世論の支持が揺らぐ可能性もあるし、けしておろそかにはできないことです。

国民の支持は何%くらいなのか?気になるところですが、先日読んだ記事(http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090512/asi0905121318006-n1.htm)で見出しに「掃討作戦支持は45% パキスタンで民間調査」なんて書いてあったもんだから腰を抜かしそうになりました。そんなに低かったら、国中が内戦に突入してしまっても不思議はないではありませんか。よく読んだら、世論調査したのは3月で、その頃は政府がまだ和平の道を探ってた頃。軍がキレたのは4月末にタリバンが和平協定を無視して南下の姿勢を見せたからで、世論が逆転したのもそれがきっかけなんです。
調査はアメリカの共和党系の民間団体が3500人を対象に行ったもので、集計に2ヶ月もかかったとはとても思えないんですけど、なんで今のタイミングでそれを発表するかね。ふらふら 意味わかんない(−"−。

実際のところ、軍を支持してるのは何%くらいなのか。戦渦に巻き込まれたパシュトゥンの支持は当然低いでしょうが、イスラマバードやラホールではタリバンに抗議する宗教指導者やニカーブ姿の女性たちのデモなども何度か行われたようだし、自分の周辺のパキスタン人の雰囲気も、「タリバン、ありえねー」な感じがします。軍事行動に反対する市民の動きは、ほとんど感じられません。
メディアはナショナリズムの鼓舞に全面的に協力していて(タリバン支配になれば、マスコミは圧迫されるので当然)、各都市での街頭インタビューはタリバンを批判し、軍を支持する人々のコメントばかりでした。ニュースだけでなくCMなども使って難民を国全体で支えねばならないことを強調して伝えています。一方的なナショナリズムの宣伝だけにはとどまらず、識者の活発な議論も多く放送されるようになって、私はそられを理解できるほどの語学力がないけれど、内容をかいつまんで説明してもらうと、そこそこ面白い内容のようです。

戦闘シーンは、最初はまったく放送されなかったのですが、国民の理解を得たと判断したのか、おとといあたりから、ちょこちょこ流れるようになりました。映ってるのは生きてる兵士だけなので、やらせかもしれませんが。( ̄- ̄;
避難民の逃げてくる様子。これはアル・ジャズィーラだけど。

すごい崖・・・。キャンプ地に牛を積んだトラックが映っていて、おもわず吹いちゃった。 牛よりも人を乗せてやれよと思わないでもないですが、家畜は、家財道具と同じで、大切な財産なので、仕方ないといえば仕方がないかな・・・。でも、もしかしたら普通に近くの市場から食べるために連れて来ただけかも。すごい数の人が食べるんだから、牛ごと買ってきた方が効率いいですもんね。田舎の人は、牛ぐらいみんな自分でさばけるし。

・・・生まれて初めて車に乗ったなんていうおばちゃんも中にはいると思います。マイクロバスだのトラックだの、チャーターしたんだろうけど、親戚一同、乗れるだけ乗り込んでいる、という感じですね。
中には徒歩で逃げている人もいます。こういう場所では、誰もが自力で車の手配をして移動できるわけではないんです。渓谷に住んでいる人はたいていが貧しいし、中にはすでに戦闘で夫子供を失った女性などもいますから。戦闘がひどければ避難はおろか外へ出るどころではない状況だろうし。キャンプまでたどり着けた人は幸運なほうなのかも。
こういうとき、自分の家族を逃がした後も、村の親戚・友人達を助け出すために奔走している人・・・というのが、パキスタンには必ずいるんです。そのおかげで逃げて来れた人も多いかも。そして、パキスタン人の理解している「イスラーム」、今までかの地で私が見、感じてきた信仰は、そういった献身の生き方でした。
イスラームスンニー派の法体系が崩れ、本物の信仰のなんたるか、新興宗教との違いが見えづらくなってきている今の時代に、そういった信仰の核心とも呼べるものに触れることの出来た私は、とても恵まれているのかもしれないです。

難民の移送に軍がかかわることができれば、パシュトゥンの反発心もすこしはやわらぐかもしれないですが・・・。インド側の国境を手薄にしてることから考えても、そこまでの余裕はないのかもしれません。

昨日のGEOニュースで言っていたのですが、ブネル地区の南半分は軍が完全に掌握し、危険はまったくなくなったので、その地域に家がある人たちはキャンプから出発し、帰宅を始めたそうです。ちょっとだけ、朗報でした。

パキスタンは、財政的には去年の段階でとっくに破綻しているので、お金がありません。アメリカとイギリスは、血眼になってパキスタンにお金をつぎ込んでいます。アメリカは、戦闘で家を追われた避難民向けに、まず500万ドル(約4兆8000万円)の緊急支援を実施すると発表。イギリスからは約1200万ポンド(約17億5000万円)。
この経済不安の中、どこからそんなお金ドル袋が?紙幣をを刷りまくってるとしか思えません。・・・・もう、3国で無理心中でもしてしまいそうな勢いです。
アメリカは、誤爆の常習犯である無人偵察機までプレゼントしてくれるんだそうで、なんか迷惑なような気がしないでもないのですが・・・。誰のための戦争なんだかわからなくなってきます。。。
ブネル地区ではほぼ軍が勝利したらしいですが、全体としては戦闘は激化の一途をたどっています。戦線はスワートからさらに広がり、今までアンタッチャブルとされていた部族支配地域、トライバルエリア内にまで拡大しています。
トライバルエリアっていうのは、昔から中央政府の権力が及ばない場所で、半独立状態の自治権を持っていた場所。干渉を嫌う住民の気性、また、険しい山岳地帯っていうこともあって、政府は今まで、下手な手出しを避けていました。
そこへ、今回はあえて踏み込んでいるのですが、どうなるでしょうか。。。

戦闘が始まって4日目にはスーフィ・ムハンマドの息子が死んだことが伝えられ、また昨日のGEOニュースによると、パキスタン軍の指揮官が一名死亡したそうです。

指揮官の戦士について、最初はシャヒード(殉教者)という言葉は使われていなかったのですが、一日たつと、TVが彼の実家を訪れて、「私たちは泣きません。息子はシャヒードだから」と語る家族が映されていました。父親も軍のOBだそうで、いかにも協力して言っているという感じだったので、見るほうとして感情移入は出来ませんでしたが・・・。(殉職と殉教は違うものだし。)

陸軍参謀長アシュファク・キアニは、国民へ向けて再び声明を出しました。内容は「人的被害は最小限度にとどめる方針であること」「小麦粉、砂糖etc.食料を軍のほうから20%を難民支援にあてること」などです。
戦時だから余計になのですが、軍の声明は政治家のそれよりもずっと重みがあり、また、内容には国民の不安や迷いを的確に払拭する力と自信を感じます。私は別に軍国主義に賛成したいわけではないんだけれど、パキスタンにおいて国民を理解し、守っているのは政治家よりも軍であり、パキスタンのナショナリズムとは軍への信頼であることを、毎日、再確認させられています。


英BBC放送はパキスタン北西部でのタリバンなどイスラム武装勢力の浸透度合いを示す独自の調査結果をまとめ、部族地域(トライバルエリア)のうち、政府当局が完全に支配を維持している領域は38%にすぎず、24%はタリバンなど武装勢力に支配されていると伝えました。

あの険しい山岳地帯で戦闘をかいくぐり、いったいどんな調査をしたというのか、想像もつきません。あっかんべー
アブドゥさん、kawtharさん、アフガニスタンとパキスタンの現状とその分析をありがとうございます。大変参考になります。

お二人のお話からはずれて申し訳ないですが、このトピックの最初の説明にあるカシミールのことを書きたいのですが…。

私にとってカシミールはとても気になるところです。カシミール問題は単にインドとパキスタンの間の領有権紛争ではないですよね。インド、パキスタンのほかに「カシミール人」(多くはイスラム教徒ですがヒンズー教徒、仏教徒もいます)と呼ばれる人々がいて、これらの人々の利益を代表する組織が「ジャム・カシミール解放戦線」(JKLF)とか「カシミール国民党」(KNP)とかで、パキスタンでもないインドでもない、むしろ両者の緩衝地帯としても機能するカシミールの独立を目指しているいわばカシミール・ナショナリストたちの存在です(アブドゥさんのシリア・ナショナリズムやトルコ・ナショナリズムと通じるものがありそうです)。

カシミール・ナショナリズムは、1947年にインドとパキスタンが分裂して独立したときから続いており、カシミール(住民の8割くらいはイスラム教徒)を支配していたヒンズー教徒のマハラジャが自分の藩王国をどっちに帰属させるか決める前に、パキスタンが「蛮族の大群」をカシミールに送りこんで無理やりパキスタンに併合しようとしたので、マハラジャがインドに軍事支援を要請して、それで印パ戦争になり、以来カシミールはインド占領地域(カシミール地域の大部分)とパキスタン占領地域に分割された状態が続いていますね。第一次印パ戦争終結時の両国合意の通り住民投票で帰属を決めろとパキスタンは言うし、インドは状況が変わった現在では住民投票は無意味だと言っています。カシミール人の祖国の分割は現在まで続き、それを元に戻し、カシミール人のアイデンティティ(Kashmiriyat)に基づいた独立国あるいは高度な自治州を作ろうという運動がカシミール・ナショナリズムですね。

ただこの運動も、インドとパキスタン双方からの切り崩しにあい、指導者たちの裏切りや内部分裂が続き、現在も苦しい戦いが続いています。1989年からは、アフガニスタンで戦っていたジハーディストたちをパキスタンが大量に送り込み、それを武力で迎え討つインド当局の間に挟まれて、地元のカシミール人たちは深刻な人権被害を被っています。彼ら彼女らの声も、印パの主張の声にかき消され、なかなか世界の人々に届きません。

私がカシミールのことが特に気になるのは、そこにはかつて高度な宗教文化が花開いていたからです。ヒンズー教とイスラム教と仏教の要素を統合した、カシミール ・ シャイビズム(Kashmir Shaivism、 キリスト教とユダヤ教の要素もあるんではないかと思ってますが)という実践哲学があり、その影響がカシミール渓谷の全域に広がり、少なくとも社会的には各宗教の間の調和と共存と寛容の文化がありました。カシミールにはリシと呼ばれる聖人たちが多数現れ、その中にはヒンズー教徒もイスラム教徒もいました。スーフィズムもインドの神秘思想も入っています。「宗教的ヒューマニスト」たらんとしている私にとって、かつて栄えたというカシミール文化と人々の生活様式つまり Kashmiriyatがとても貴重なものに思えます。もしかしたら、この地球の人類が到達した最高峰の一つを占めているのではないかとさえ思えます。このような地球人類の宝が、印パと原理主義ジハーディストたちの争いで荒らされるのは大変残念です。この Kashmiriyat を再度発展させる方向で、「カシミール問題」が解決されることを望みます。私が今いる研究センターでも、このような立場で紛争の平和的解決に乗り出せないかと思っています

このコミュに集まる方々もこのKashmiriyatに興味を持たれるのではないかと思い、以上書いた次第です。

カシミール・ナショナリズムの現状については、英語サイトですが、以下をご覧ください。

http://drshabirchoudhry.blogspot.com/

特に、2009年4月9日の日付の Dr. Shabir Choudhry のインタビューでは、これまでのカシミール・ナショナリズム運動を謙虚率直に振り返っています。
すみません!コメ60に関して、一点訂正を入れさせてください。
ムシャラフが選挙に出られるようになるのは、あと半年後でした!
月日がたつのは早い〜〜がまん顔


mikionzさん、ありがとうございます。カシミールのこと、私も気になっていたんです。
アフガンとパキスタン・トライバルエリアの問題がだいたいの解決を見たならば、次は、カシミールにスポットが当たるんじゃないかと、思ってるんです。

今、中国はパキスタンに原子力発電所を作ったり、バルチスタン州のグワダール開発を手掛けたり、カラコルム・ハイウェイの改修工事をしたり、すごい投資をしているんです。

mikionzさんはすでにご存知と思いますが、カラコルム・ハイウェイっていうのは、パキスタン北部からカシミール地方を通って中国北部の新疆ウイグル自治区を結ぶ路線で、アジアハイウェイの一部です。(アジアハイウェイ全体の地図はこちら【http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/inter/kokusai/AH2005/images/map.jpg】)

中国は、アフリカにもかなりの投資をしている(労働条件のことなどでいろいろ問題視もされていますが)んだそうで、アフリカと中国をつなぐ上で重要なものが、この、アジアハイウェイなんです。アフリカから船でパキスタンのカラチまたはグワダール港へ、その後は陸路でウイグル自治区まで。陸路が通れなくなると海路で東南アジアの南を大きく迂回しなければならなくなります。

なので、中国としては、カシミールに関しては、インドに対して譲れない部分があると思います。パキスタンにしても、今後は中国の力がないとやっていけないだろうし、中国と直接接する国境地域を捨てるわけには行かないと思います。インドとしては、ライバルの中国を利する動きは、当然、阻止したいでしょう。

アメリカのオバマ大統領が、就任前の発言でしたが、カシミール問題を国連で取り上げるというようなことを言っていました。中国は安全保障理事会の常任理事国であり拒否権を持っていますが、インドはその点で不利ですから、アメリカの力を借りたいところかもしれません。

アジアハイウェイがアジアの各国をつなぐものであり、石油やガスパイプラインが同様にアジア各国に利益をもたらし、現代のシルク・ロードとしてそれぞれをつなぐ作用をするように、カシミールも、カシミールらしさを保ったままで、周辺国にとって大切な緩衝地帯としての価値を発揮できれば、一番いいと、私も思います。
大陸の外交は、食うか食われるかのシビアなもので、現実に理想論は通用しないかもしれませんが、願うことは個人の自由ですから。
リンク先の記事、ちょっとだけですが、読んでみました。(でたらめほんやくコンニャクを使って・笑)

能力を持ちながらもそれを生かす場所を得られない若者など、社会の矛盾によってあぶれてしまった人々の受け皿として、過激派の闘争グループが作られた、ということでしょうか。政府や、人々から搾取して富んでいる富裕層に対して向けられる抗議のエネルギーの矛先を、別のものに向けさせるため、であると。
アラブ系のムジャヒディンが自分の国を出てアフガンに集まったのと同じ構造ですね。

4月9日の記事は、がんばってみたのですが、私には難しくって途中で挫折しました。すみません。(^^;

カシミールの信仰のこと、ずっと前にウィキペディアかどこかで読んで、私も気になっていました。日本人の宗教観に通じるものを感じます。

別サイトの、カシミール問題に関する論文のページもちょっと読んでみたのですが、アラブ人やパキスタン人主体の武装闘争組織ががカシミールにおいて勢力を増し、カシミール人が不快感を示しているが、アラブ人主体の組織は資金力、組織力でカシミール人をはるかに凌いでいる、という指摘する文章がありました。

カスピ海の向こう側のチェチェンにも、外国人義勇兵が行っていたようですが、そこでは、宗教思想上のことで大きな対立は生じていなかったようです。フリージャーナリストの常岡浩介氏の「「ロシア 語られない戦争 : チェチェンゲリラ従軍記」によると、チェチェン人自体はスーフィーのハジムリートが主(ナクシュバンディーも少しいる)で、外国人義勇兵はサウジからならワッハーブ派、トルコからならナクシュバンディー、といった感じだったのだそうです。

その本によれば、チェチェンへはワッハーブ派の資金は流れ込んでいなかったらしいですが、カシミールでワッハーブ系の過激派が資金を持っていて人数も相当いるとすれば、この方向では、どちらに転んでもカシミール人は、そもそもの目的を果たすことが出来なくなるのかな、と思います。この形で仮に勝利を収めたとしても、後で問題が必ず残りますね。
カシミール問題を今後、宗教問題として扱っても、解決は不可能ということでしょうか。。。

パキスタンでは、4月末に対タリバンの本格的な戦闘が始まって以来、ゲリラ支援に関しても、大きな方向転換の兆しが見られるようになって来ました。
TVの報道番組で、識者らしい人が、マドラサで過激派思想が教えられていることや、金曜礼拝の説教の内容を行政がチェックする体制がないことなどを、けっこう長い時間を割いて、きちんと指摘・解説していたんです。ムシャラフ時代にも、ラシュカレ・タイバなどパキスタンに本拠を置いていた5つの武装組織を禁止するなど、一定の取り締まりはされていましたが、国民誰もが見るTV番組で、ここまではっきりと根本の問題提起がされるのは、今までにはなかったことなんじゃないかと思います。

パキスタンはそろそろ、ゲリラの力を借りた弱者外交を卒業する時期が来ているのかもしれません。まだまだ時間はかかりそうですが、その兆しは、見え始めているように思います。
kawthar さん、

レスポンス有難うございます。パキスタンの国是(レーゾン・デートル)が、反インドにあるなら、パキスタンがその象徴としてのカシミール問題を解決することは見込み薄なんですかねぇ。テロ活動については、カシミールで活動している「ジハーディスト」たちへの資金の流れが止まれば、これらの人々にカシミールが蹂躙されることも止むのではないかと思いますが。

アジア・ハイウェイのことは知ってましたが、カラコルム・ハイウェイのことは初めて知りました。このハイウェイはパキスタンが占領しているカシミールの部分(Azad Kashmir)を通る計画なんでしょうか。ハイウェイがカシミールのパキスタン統合を強化する働きをしそうですね。ただ、カシミールの人々はモスリムが多数派とは言え、パキスタンに統合されるつもりはないようですね。

この問題、どういう決着が着くものか…。
mikionzさん

>レスポンス有難うございます。パキスタンの国是(レーゾン・デートル)が、反インドにあるなら、パキスタンがその象徴としてのカシミール問題を解決することは見込み薄なんですかねぇ。

パキスタンは、建前としてはカシミールの自己決定権を擁護する立場です。パキスタンは、一貫して国連の介入を求めており、カシミールの住民投票で事を決するべきだと主張しています。カシミールの領有権を主張しているのはインドであり、カシミール問題を自国の内政問題と位置づけ、国連の介入に反対しています。
去年の記事ですが、国連総会第三委員会で、インドとパキスタンがカシミール州問題をめぐって衝突した時のものです。
http://indonews.jp/2008/11/post-1804.html


>テロ活動については、カシミールで活動している「ジハーディスト」たちへの資金の流れが止まれば、これらの人々にカシミールが蹂躙されることも止むのではないかと思いますが。

パキスタンは超のつく貧乏国家ですから、北西と北東、両方のゲリラを自力で支援するような力はないと思います。資金を出している大元はパキスタンではなく第三国である可能性も高いと思うので、・・・問題は複雑なんでしょうね。

パキスタンとインドが和解する可能性ですが、「あり得る」かも、と私は思うんです。理由はやっぱり、「パイプライン」。(自分はこれしか持ちネタがないのか?(^^;)

去年の4月、イランのアハマディネジャド大統領がパキスタンを訪れてムシャラフ(前)大統領と会談し、両首脳はイランからパキスタン、インドに天然ガスを供給する「IPIガスパイプライン」について09年初めに 着工、12年までに供給を開始することで一致しました。これについて、インドも事前協議で合意していました。この計画は、1989年にイランが発案したものです。20年前からの構想が、やっと日の目を見ようとしていたのですが・・・。今はどうなったか、よくわかりません。ムンバイテロなどありましたし、また、棚上げになったかも知れませんね。

しかし、中国とパキスタンがカシミール問題をあいまいにしたまま、ハイウェイの改修工事を進め、事実上自国の領土として行き来するならば、この先、道路に沿ってパイプラインだって敷設しかねないと思います。そして、インドはパキスタンとケンカを続ける限り、エネルギー争奪戦において、中国に一歩先を行かれてしまう可能性も高くなるのではないでしょうか。パキスタンにしても、イランから、また、トルクメニスタンなど中央アジアからの石油とガスを発展目ざましいインドへも送ることができるなら、莫大な通過料が入ってくるわけです。これは、損な話ではないはずですよね。

パイプライン計画が実現すれば、インドとパキスタンは、共通の利益を見出しますから、対立関係は緩んでくるんじゃないかと思うんです。和解しないと中国に漁夫の利を与える結果になるだけですし・・・。

まぁ、インドと中国が直に対立するならば、カシミールか、パキスタンがまた戦場になる可能性だってあるわけですが・・・。
そこらへん、パキスタンは老獪になってうまく綱渡りしないと、いけないんだと思います。すっごく、難しそうですが・・・。

パイプラインは、アジア全体を発展させるものであり、国と国とをつなぐ架け橋だと思うんです。通過する国々のどこかで対立が発生すれば、当事者でない周辺国にも不利益を生じさせますから、互いに張り合いながらも、自然に友好的な態度をとらざるを得なくなるんじゃないかと私は思うんですね。


そして、思い切ったことを書かせていただくと、9.11以降の対テロ戦争は、シルクロードつぶしの戦争だったんじゃないかと、そんな風に私は思っているんです。。。
>アジア・ハイウェイのことは知ってましたが、カラコルム・ハイウェイのことは初めて知りました。このハイウェイはパキスタンが占領しているカシミールの部分(Azad Kashmir)を通る計画なんでしょうか。

そうだと思います。地図を見ると、インド側は通っていないようなので。「改修工事」と書かれていたから、道路自体はすでにあるのかもしれません。落石事故などが起きることもあるようですが。


>ハイウェイがカシミールのパキスタン統合を強化する働きをしそうですね。ただ、カシミールの人々はモスリムが多数派とは言え、パキスタンに統合されるつもりはないようですね。

建前どおりであれば、パキスタンは、カシミールに対してある程度の影響力を持つことができれば、カシミールの独立なり自治なり、譲歩はできるんじゃないかと思います。
カシミールは、独立しても、インドかパキスタン、どちらかの核の傘の下に入ることになるでしょうから、カシミールがどちらを選ぶか、問題はそこなのかもしれません。カシミールの存在意義として、中国とパキスタンをつなぐ中継地としての役割が強くそれに多くの利益をカシミール人が見出せるのならば、パキスタン側の傘に入るのが自然だと思います。(えぇ、ぜひいらしてください・笑ぴかぴか(新しい)


>この問題、どういう決着が着くものか…。

アメリカもパキスタンも、アフガンで消耗しつくしましたから、カシミール問題に関しては、あそこまで軍事費の大盤振る舞いをして混乱させることは、もうないのではないでしょうか。そうあって欲しいです。
アメリカは、アフガンの解決まではあと1〜2年、と見ているようですから、その後でなにか動きがあるんじゃないかと、私は思っています。


いろいろ、難しいかもしれないけれど・・・・。
私は、、、、期待!!!したいです!絶望よりも希望が好きなんです。

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