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浦和REDS【受傷から復帰まで】コミュのギド・ブッフバルト

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このトピックは怪我と戦う【ギド】を記録していきます
■■■■■■■■■■受傷履歴■■■■■■■■■■■■■
■20060730:右足首捻挫&鼻を負傷
・PSMバイエルンOB戦に向けた練習中に中村と激突し受傷
■20061027:右大腿部肉離れ
・大原練習でのミニゲーム中に受傷⇒20061117:試合前日恒例のミニゲームに参加
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
選手経歴:SVバンバイル-TSVプリーツハウゼン-シュツットガルターキッカーズ-VfBシュツットガルト(以上ドイツ)-レッドダイヤモンズ(1994)-カールスルーエSC(ドイツ)
ブンデスリーガ通算:12シーズン334試合出場28ゴール
ブンデスリーガ2部通算:6シーズン177試合出場21ゴール
Jリーグ通算:4シーズン127試合出場11ゴール
1984.1992.ブンデスリーガ優勝
1992.ドイツスーパーカップ優勝
ドイツ(西ドイツ)代表A:76試合出場4ゴール
1990.ワールドカップ優勝
【youtube倉庫aboutギド】
・Guido BUCHWALD in Yabecchi FC
http://www.youtube.com/watch?v=jorvdYN8Gds

コメント(22)

RPより
練習中に残念な問題も発生した。OBマッチにレッズ・オールスターズの一員として出場予定だったブッフバルト監督が、参加していたミニゲームの最中に選手と接触。左足首を捻挫し、鼻を4針縫うなどケガを負ってしまった。明日の試合では、先発出場が濃厚だったが、出場そのものに暗雲が立ち込めてきた。切れ味鋭いスライディングなど、往年を髣髴とさせるプレーを楽しみにしていたサポーターも多いだろうが、ひとまずは相手の名将・マガト監督を慌てさせるような采配で埼玉スタジアムを沸かせてもらいたい。
【sponichi記事より】
一方、バイエルン戦前に行われるOB戦に出場予定だったブッフバルト監督は鼻を負傷し4針も縫うアクシデント。「残念だがOB戦はノー」とこちらは欠場の方向だ。[ 2006年07月31日付 紙面記事 ]http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2006/07/31/05.html
【浦和・ブッフバルト監督続投】
 J1首位の浦和のギド・ブッフバルト監督(45)が来季も続投することが13日、決定的となった。過去2シーズンでタイトルを手中に収めてきた指揮官は、今季もチーム史上初のリーグ年間王座獲得に絶好の位置に付けるなど、絶大な功績を残している。指揮官の残留確定で足元を固めた“赤い悪魔”が優勝へ向けて突っ走る。
 浦和を常勝軍団に成長させたブッフバルト監督の続投が決定的になった。浦和幹部はこの日、「この成績で、来季監督を代える理由や必要性はない。ブッフバルト監督には欧州のクラブからの監督就任要請の話も届いていない」と説明した。
 ブッフバルト監督はすでに来季出場権を得ているアジアチャンピオンズリーグ制覇に向け、フロント側と補強点などの構想について継続的な話し合いを進めている。クラブ側との1年間の契約更新は来月以降となる見込みだ。04年1月の監督就任以来、チーム史上最長の4シーズン目という長期政権に突入することになる。
 浦和幹部の証言した通り、現役時代に3シーズン戦った浦和で監督人生をスタートさせた指揮官の残してきた功績は絶大だ。04年にナビスコ杯準優勝。同年横浜Mとの年間王者決定戦には敗れたが、J1第2Sで浦和をリーグ初制覇に導いた。05年はリーグタイトルは逃したが天皇杯優勝を飾った。今季も2位G大阪に勝ち点3差のトップに立っている。過去3年間のリーグ戦は通算54勝19敗17分けで、その勝率はJ1最高に君臨している。
 成績だけではない。オシム・ジャパンに大量7選手を輩出し、日本代表など実力者を擁する国内最強勢力を誇るが、個性派をまとめきるカリスマ性も高い。碧眼(へきがん)の巨人に導かれた赤い悪魔は、来季Jクラブ初のアジアの頂点を目指す。
 ◆ギド・ブッフバルト 1961年1月24日、ドイツ・ベルリン出身。45歳。78年シュツットガルト・キッカーズを経て、83年シュツットガルト移籍。94年から97年まで浦和で活躍した。99年に現役引退。90年イタリアW杯優勝に貢献した西独代表では通算76試合出場4得点。02、03年には浦和のテクニカルアドバイザーを務めた。(2006年10月14日06時03分 スポーツ報知)http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/jleague/news/20061014-OHT1T00077.htm
■■■不定期観察■■■
20061025@大原サッカー場
最近一部の選手の間で流行っている練習後の遊び
「ゴールのクロスバーにボールを当てそのはね返りをダイレクトでシュートする」というもの
今日はギドも選手に混じってこのお遊びに興じていた

ギドの好きな所は感情表現が豊かな所と負けず嫌いな性格(監督という立場を忘れて選手を削りにいくのは如何なものかと思うけれどw)
「名選手は必ずしも名監督にあらず」なんて言葉を良く聞くが喜怒哀楽をストレートに表現するギドは人間臭くて親しみすら覚えてしまう
普段の接し方を見るにつけレッズの選手達もそんなギドを信頼しているように感じる

写真はシュートを外して悔しがるギド
20061027@大原サッカー場
13:30-
見てる時は何が起こったのか解からなかった、見るとギドが顔を歪めて座り込んでいる・・心配そうに周りを囲む選手と駆け寄るドクター、でもまぁ監督だからそんなに心配はしなかった(ごめんギド)

RPによると右脚の肉離れらしい、アイシングの箇所を見ると右脚太腿裏なんだと思う
以下RPよりギドのコメント抜粋
「(私のケガは)肉離れですね。やはりウォーミングアップをしないとダメだね。それをきちんと理解していないといけない年齢だが(苦笑)。ヒールパスをしようとしたら、ピリッときた。」
11/16 RPより
「目標が間近に迫っているため、選手の目の色が違う。選手たちのモチベーションも高い証拠だ。そういった雰囲気がチーム全体に湧き上がっている」


【J1浦和のブッフバルト監督、退任へ=「家族と暮らしたい」と独紙に明言】
 【ベルリン16日時事】16日付の独メディアは、Jリーグ1部(J1)で首位を走る浦和のブッフバルト監督(45)が今季限りで退任し、母国ドイツに帰国すると報じた。家族と一緒に暮らすためとしている。
 同監督はウェルト紙に対し「これ以上、家族がばらばらに暮らすことはできない」と語り、たとえ慰留されても帰国の意思が固いことを明らかにした。帰国後については「とりあえず少しゆっくりしたい」と、次のポストが未決定であることを明言。ただ、妻のジルビアさんは「いくつかのチームから、夫の連絡先を問い合わせる電話があった」としており、ドイツなどのクラブチームで指導する可能性もある。
 同監督は、ドイツ代表DFとして1990年のワールドカップ(W杯)優勝に貢献し(当時西ドイツ)、94年W杯にも出場。94年から97年まで浦和でプレーした。ドイツで現役引退後、2004年に浦和の監督に就任。同年のJ1後期で優勝したほか、昨季の天皇杯も制した。(時事通信) - 11月17日0時30分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061116-00000144-jij-spo

【ブッフバルト監督、退任へ 既にオファーも=訂正】
 【ベルリン16日共同】16日付のドイツ紙ウェルトは、サッカーのJリーグ1部(J1)浦和のブッフバルト監督が今季限りで退任し、家族がいる母国のドイツに帰国することを決めたと報じた。チームが一定の成長を遂げたことも理由だとしている。
 同監督は「家族をこれ以上、おいてきぼりにできない。少しゆっくりしたい」と同紙に語ったとしている。妻ジルビアさんと2人の息子がドイツ南部シュツットガルト近くに住んでおり、ジルビアさんは「いくつかのチームからオファーがある」と、ドイツなどのチームへの転身を示唆した。
 1990年のワールドカップ(W杯)で西ドイツ代表として優勝を経験したブッフバルト監督は94年から97年まで浦和でプレー。2004年に監督に就任した。
 浦和の藤口光紀社長は報道に対し、「今季の浦和にとってはリーグ優勝がすべて。監督とはそれまで今後のことは話さないということになっている」とコメント。「就任3年目で家族の問題があるのは事実。父親として子どもの教育のことなどいろいろ考えるところがあるだろう」と話した。(了)[ 共同通信社 2006年11月17日 0:08 ]http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/headlines/20061116-00000043-kyodo_sp-spo.html

【浦和に衝撃!ブッフバルト監督、今季限りで退任へ】
 【ハンブルク16日=円賀貴子通信員】J1浦和のギド・ブッフバルト監督(45)=写真=が今季限りで退任し、家族がいる母国・ドイツへ帰国することを決めたと16日付の独紙ヴェルトが報じた。浦和は現在2位G大阪に勝ち点6差の首位で悲願のJリーグ初制覇を目前にしているが、今季残り4試合を前に衝撃が走った。
 首位快走中の浦和に、思わぬ衝撃の報。それはブッフバルト監督の母国ドイツから飛び込んだ。
 16日のヴェルト紙は「ブッフバルトがドイツに帰ってくる」との見出しで、同監督が母国で家族と暮らすため、今季限りで浦和の監督を退任すると伝えた。同紙は「浦和は今季残り4試合で優勝が確実だが、お祝いムードが邪魔されるだろう。ブッフバルトが辞任を宣言するからだ」などとし、同監督の「私はこれ以上、家族をおいてきぼりにできない。ドイツに帰国して、少しの間ゆっくりしたい」とのコメントを報じた。
 さらに同紙は「浦和は引き留めるためにすべてのことをするだろうが、今回の彼の決断は覆せない」などと辞任意思を断定して報道。今後について妻のジルビアさんが「いくつかのチームから夫の連絡先を問い合わせる電話があった」と語っていることも伝えた。
 関係者によると、既に来季の続投を要請している浦和に対し、同監督は態度を保留しているという。ブッフバルト監督はドイツ代表DFとして90年W杯優勝に貢献し、94年から97年まで浦和でプレー。現役引退後、04年に浦和監督に就任し、同年J1第2ステージで優勝すると、昨季天皇杯も優勝するなど着実にチームの実績を上げてきた。そして3季目の今季ついにクラブ念願のJリーグ制覇を目前にし、勇退の意思を固めたもようだ。
 ブッフバルト監督が退任の意思を固めたという独紙報道について、浦和の藤口光紀社長は「優勝に向かっている大事な時期でもあり、監督の来季(去就問題)については、すべてシーズンが終わってから話をすることになっている」と困惑気味。クラブ初のリーグ制覇達成となれば、続投を強く要請することになるが、勇退なら後任人事に着手。チームをよく知るエンゲルス・コーチの監督昇格などを視野に入れることになる。
■ギド・ブッフバルト
 1961年1月24日、ベルリン生まれ、45歳。78年シュツットガルター・キッカーズ(現南部リーグ=3部相当)に入団。83−94年シュツットガルト、94−97年J1浦和、97−99年カールスルーエ(2部)に在籍。ブンデスリーガ通算334試合28得点(84、92年優勝)、Jリーグ通算127試合11得点。代表ではW杯に90年イタリア大会、94年米国大会の2度出場、90年には優勝も果たした。現役引退後はカールスルーエGM、キッカーズのアドバイザーを務め、04年に浦和の監督に就任し、同年の第2ステージ(当時は2ステージ制)でチームを初のステージ優勝に、05年には天皇杯優勝へと導いた。http://www.sanspo.com/soccer/top/st200611/st2006111700.html

【ブッフバルト監督 退任へ】
 16日付のドイツ紙ウェルトは、サッカーのJリーグ1部(J1)浦和のブッフバルト監督が今季限りで退任し、家族がいる母国のドイツに帰国することを決めたと報じた。チームが一定の成長を遂げたことも理由だとしている。
 同監督は「家族をこれ以上、おいてきぼりにできない。少しゆっくりしたい」と同紙に語ったとしている。妻ジルビアさんと2人の息子がドイツ南部シュツットガルト近くに住んでおり、ジルビアさんは「いくつかのチームからオファーがある」と、ドイツなどのチームへの転身を示唆した。
 1990年のワールドカップ(W杯)でドイツ代表として優勝を経験したブッフバルト監督は94年から97年まで浦和でプレー。2004年に監督に就任した。
 浦和の藤口光紀社長は報道に対し、「今季の浦和にとってはリーグ優勝がすべて。監督とはそれまで今後のことは話さないということになっている」とコメント。「就任3年目で家族の問題があるのは事実。父親として子どもの教育のことなどいろいろ考えるところがあるだろう」と話した。http://www.daily.co.jp/newsflash/2006/11/16/0000169066.shtml

【ブッフバルト監督退任、ドイツ帰国へ】
 16日付のドイツ紙ウェルトは、サッカーのJリーグ1部(J1)浦和のブッフバルト監督が今季限りで退任し、家族がいる母国のドイツに帰国することを決めたと報じた。チームが一定の成長を遂げたことも理由だとしている。
 同監督は「家族をこれ以上、おいてきぼりにできない。少しゆっくりしたい」と同紙に語ったとしている。妻ジルビアさんと2人の息子がドイツ南部シュツットガルト近くに住んでおり、ジルビアさんは「いくつかのチームからオファーがある」と、ドイツなどのチームへの転身を示唆した。
 浦和の藤口光紀社長は報道に対し、「今季の浦和にとってはリーグ優勝がすべて。監督とはそれまで今後のことは話さないということになっている」とコメント。「就任3年目で家族の問題があるのは事実。父親として子どもの教育のことなどいろいろ考えるところがあるだろう」と話した。 (共同)
[ 2006年11月16日 23:16 速報記事 ]http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20061116040.html

【ブッフバルト監督退任、ドイツ帰国へ】
 16日付のドイツ紙ウェルトは、J1浦和のブッフバルト監督が今季限りで退任し、家族がいる母国のドイツに帰国することを決めたと報じた。同監督は「家族をこれ以上、おいてきぼりにできない。少しゆっくりしたい」と同紙に語ったとしている。妻ジルビアさんと2人の息子がドイツ南部シュツットガルト近くに住んでおり、ジルビアさんは「いくつかのチームからオファーがある」と、ドイツなどのチームへの転身を示唆した。浦和が一定の成長を遂げたことも帰国を決意した理由だとしている。
 浦和の藤口光紀社長は報道に対し、「今季の浦和にとってはリーグ優勝がすべて。監督とはそれまで今後のことは話さないということになっている。家族の問題があるのは事実」と話した。
 1990年のW杯で西ドイツ代表として優勝を経験したブッフバルト監督は94年から97年まで浦和でプレー。2004年に監督に就任した。(2006年11月16日22時53分 スポーツ報知)http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/jleague/news/20061116-OHT1T00217.htm

【浦和ブッフバルト監督、退任へ】
 16日付のドイツ紙ウェルトは、浦和のブッフバルト監督が今季限りで退任し、家族がいる母国のドイツに帰国することを決めたと報じた。チームが一定の成長を遂げたことも理由だとしている。
 同監督は「家族をこれ以上、置いてきぼりにできない。少しゆっくりしたい」と同紙に語ったとしている。妻ジルビアさんと2人の息子がドイツ南部シュツットガルト近くに住んでおり、ジルビアさんは「いくつかのチームからオファーがある」と、ドイツなどのチームへの転身を示唆した。
 90年のW杯で西ドイツ代表として優勝を経験したブッフバルト監督は94年から97年まで浦和でプレー。04年に監督に就任した。浦和の藤口光紀社長は報道に対し、「今季の浦和にとってはリーグ優勝がすべて。監督とはそれまで今後のことは話さないということになっている」とコメント。「就任3年目で家族の問題があるのは事実。父親として子どもの教育のことなどいろいろ考えるところがあるだろう」と話した。[2006年11月17日0時29分]http://www.nikkansports.com/soccer/f-sc-tp0-20061117-117853.html
■■■経過観察(試合前日恒例のミニゲーム参加)■■■
20061117@大原サッカー場
11:30-
大原の滞在時間約20分、ギドの姿だけ確認してその場を離れた
RPによると試合前恒例のミニゲームにも参加したらしい

■06.11.17 [ ファン・サポーターの皆様へ ]
みなさん、こんにちは。いつも応援ありがとうございます。ギド・ブッフバルト監督について、来季はレッズの監督をやめてドイツに帰国するという報道が、ドイツの新聞でありました。ギドが来季もレッズの監督を続けるかどうかは、リーグ戦終了後に発表します。
現在、レッズはリーグチャンピオンに向けて最後の階段を昇っているところであり、今の段階で交渉を続けることはチームにとってプラスではないと思います。
今はチームが練習や試合に集中できる状況を作りたいと思っています。したがって監督問題は、リーグ戦終了後に決定しようということでギドと合意しています。

最後までみなさんと一緒に闘い、共に頂点へ昇りましょう。
2006年11月17日
浦和レッドダイヤモンズ 代表 藤口光紀ttp://www.urawa-reds.co.jp/tools/cgi-bin/view_news.cgi?action=view&nid=2826

【浦和 ブッフバルト監督、家族理由なら退任容認も】
 J1浦和の監督を今季限りで退任して帰国すると、母国のドイツ紙ウェルトで報じられたブッフバルト監督は17日、名古屋戦(18日)に集中したいという本人とクラブの意向で、去就に関する質問には応じなかった。19日の練習後、自ら進退について報道陣に話すという。
 同紙は、ドイツに居住する家族の事情が続投を断る理由としている。浦和の藤口光紀社長は、その場合に「受け入れざるを得ないかもしれない」とした上で「今季はリーグ優勝が第一目標だから、終わってから話をすることになっている」と説明した。(2006年11月17日19時04分 スポーツ報知)http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/jleague/news/20061117-OHT1T00184.htm

【浦和ブッフバルト監督今季限りで退任】
 浦和ギド・ブッフバルト監督(45)が今季限りで退任することが16日、分かった。今季を含め就任3年間すべて優勝争いに加わり、昨季は天皇杯優勝を果たすなど安定した成績を残し、チームからも来季続投を要請されていた。だが家庭の事情もあり、母国ドイツへ戻る決意を固めた。リーグ戦初優勝を目前にした時期に衝撃的な事実が判明。来季からゲルト・エンゲルス・ヘッドコーチ(49)が監督に昇格し、指揮を執る。
 初優勝を目前に、ブッフバルト監督が電撃的な決断を下した。約2週間前に来日したシルビア夫人と家族会議を開き、今後の身の振り方について話し合いを行った。すでに10月にはチームから来季続投要請を伝えられていたが、母国ドイツで家族とともに生活を送ることを優先し、今季限りで退任する意向を固めた。チームも必死に慰留したが、決意は固い。
 04年に古巣でもある浦和監督に就任。指導者として初の指揮だったが、1年目から第2ステージ優勝に導いた。昨季は25年ぶりの天皇杯優勝を達成。クラブ史上最長となる就任3年目の今季は、リーグ戦残り4試合の時点で2位G大阪に勝ち点6差をつけて初優勝が目前だ。オシムジャパンにも最多時で代表7選手を輩出し、スター軍団を統率した人望も評価されている。来季のアジアチャンピオンズリーグ制覇の野望を託され、4年目の指揮を依頼されていた。
 だが夫人、2男が暮らすドイツと離ればなれに生活することに郷愁の思いも抱いていた。今季途中にもクラブ幹部は「家族の問題があった時期もある」と話していた。現役時代の名声と日本での指導者としての成功からドイツでも評価は高い。W杯ドイツ大会前にも母国代表のディレクター就任要請の話も持ち上がった。帰国後も指導者としてさらなるステップを図れる土壌がある。
 今季終了まで現体制が続くが、来季からはエンゲルス・ヘッドコーチが昇格し指揮を執る。横浜Fで天皇杯制覇、京都でもJ1昇格に導くなど豊富な監督経験を持つ。ブッフバルト体制を1年目からサポートしており、クラブの実情を把握している強みもある。だが、リーグ初優勝に向けて佳境の時期に指揮官退任が明るみに出たことで、チームへの影響が懸念される。最速で23日にも優勝が決定するが、文字通り正念場を迎えることになる。[2006年11月17日7時56分 紙面から]http://www.nikkansports.com/soccer/p-sc-tp0-20061117-117896.html

【浦和 家族理由なら退任容認も】
 Jリーグ1部(J1)浦和の監督を今季限りで退任して帰国すると、母国のドイツ紙ウェルトで報じられたブッフバルト監督は17日、名古屋戦(18日)に集中したいという本人とクラブの意向で、去就に関する質問には応じなかった。19日の練習後、自ら進退について報道陣に話すという。
 同紙は、ドイツに居住する家族の事情が続投を断る理由としている。浦和の藤口光紀社長は、その場合に「受け入れざるを得ないかもしれない」とした上で「今季はリーグ優勝が第一目標だから、終わってから話をすることになっている」と説明した。
 また、同監督が退任した場合の後任については「すごくリスクを負うことになるが、優勝するまでは次のことは考えない」と話した。http://www.daily.co.jp/newsflash/2006/11/17/0000169882.shtml

【ブッフバルト監督今季限りで勇退へ】
・今季限りでの勇退が有力となった浦和・ブッフバルト監督
 浦和のギド・ブッフバルト監督(45)が今季限りで勇退することが16日、有力となった。今季終了後、家族との生活を優先しドイツへの帰国を希望。浦和の藤口社長も理解を示す発言をした。浦和は現在、リーグで2位のG大阪に勝ち点6差をつけ、首位を独走中。悲願のリーグ初制覇がブッフバルト監督の置き土産となりそうだ。
 ブッフバルト監督のベンチ前でのオーバーアクションも、今季で見納めになりそうだ。インタビュー記事を掲載した16日付のドイツ紙ウェルトの中で就任3年目の指揮官は「これ以上、家族を置いてきぼりにはできない。少しゆっくりしたい」と話した。
 関係者によれば、今季序盤には既に帰国の意思を固めていた。現在、ジルビア夫人と2人の息子はシュツットガルトで生活。今月に入り、家族を来日させるなど家族思いの一面を見せていた。浦和は04年から指揮し同年第2ステージ優勝も果たした。現在もリーグ初制覇に向けて独走中。目指すべきチーム像に近づいたことも勇退を決意した理由の1つという。
 手腕を高く評価する浦和の藤口光紀社長も勇退を否定しなかった。「家族の問題があるのは事実。子供の教育などいろいろ考えるところがあるだろう」。90年W杯の優勝メンバーでもある同監督のもとには非公式ながら地元ドイツのクラブからオファーもある。ジルビア夫人は「複数のクラブから夫の連絡先を問い合わせる電話があった」とコメントした。
 注目の後任には98〜99年に浦和、02年から昨年までFC東京の監督を務めたOBで元日本代表FWの原博実氏(48)が最有力候補となる。98年には当時ルーキーのMF小野の力を見いだしレギュラーに抜てき。第2ステージ3位に躍進させた。身上はスペイン流の攻撃的サッカー。00年に指揮した斉藤和夫氏以来の日本人監督で黄金期を目指すことになる。[ 2006年11月17日付 紙面記事 ]http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2006/11/17/01.html

【家族理由なら退任容認も 浦和のブッフバルト監督】
 Jリーグ1部(J1)浦和の監督を今季限りで退任して帰国すると、母国のドイツ紙ウェルトで報じられたブッフバルト監督は17日、名古屋戦(18日)に集中したいという本人とクラブの意向で、去就に関する質問には応じなかった。19日の練習後、自ら進退について報道陣に話すという。
 同紙は、ドイツに居住する家族の事情が続投を断る理由としている。浦和の藤口光紀社長は、その場合に「受け入れざるを得ないかもしれない」とした上で「今季はリーグ優勝が第一目標だから、終わってから話をすることになっている」と説明した。
 また、同監督が退任した場合の後任については「すごくリスクを負うことになるが、優勝するまでは次のことは考えない」と話した。(了) [ 共同通信社 2006年11月17日 18:49 ]http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/headlines/20061117-00000026-kyodo_sp-spo.html

【浦和のブッフバルト監督、19日に説明=Jリーグ】
 16日付の独メディアに今季限りでの退団を報じられたJリーグ1部(J1)浦和のブッフバルト監督が、19日に自身の去就について説明する見込みになった。浦和は17日、さいたま市内の練習グラウンドで名古屋戦(18日、豊田ス)に向けた練習を行ったが、同監督は退団報道については何も触れなかった。[ 時事通信 2006年11月17日 19:01 ]http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/headlines/20061117-00000109-jij-spo.html
【浦和 大一番へ“アメとムチ”作戦】
・急きょ休日を与えた浦和・ブッフバルト監督(中央)=さいたま・大原グラウンド
 Vスケジュールで天王山に挑む。J1浦和のギド・ブッフバルト監督(45)が27日、最終節・G大阪戦(12月2日)に向け、28日を急きょ異例の休日に変更した。DF田中マルクス闘莉王(25)ら代表勢にとって22日ぶりとなる待望のオフ。今季限りでの退団が決定的な指揮官は、最初で最後の“仏の顔”で満身創痍(そうい)のチームを回復させ、29日から2日連続の非公開練習で直接対決に備える。まさに“アメとムチ”の操縦法で天下を取る。
 アメとムチだ。ブッフバルト監督は練習前に「家族サービスでもして、リフレッシュしてほしい」と突然の“休暇”をプレゼント。MF三都主は「こんなの初めて。みんなびっくりしていた」。3年目で初めて見せた仏の顔にどよめいた。
 「特別なことをするのを嫌う」というドイツ人らしい謹厳実直な指揮官が日程を崩すのは、選手側から要望があるときだけだったが、23日・甲府、26日・FC東京と連戦が続き、最終節に優勝がかかったことで臨時休暇を決めた。同監督は退団前に“北風”から“太陽”になった。選手たちが“プレッシャー”や“疲労”といった重苦しい「コート」を脱ぎ捨てやすくする配慮だった。
 満身創痍のチームの復活が急務だった。この日もFWワシントン、MF山田、長谷部、平川、鈴木、DF闘莉王、ネネら、主力の大半が別メニューで調整。疲労や負傷の影響は限界に達していた。札幌遠征に帯同した代表組は6日以来1度も休んでいなかった。特別休暇はメンタル面でもオアシスになるはず。中村GMは「いい判断をしてくれた」と話した。
 一方で29、30日の非公開練習でG大阪対策を練る。戦術面をチェックする非公開練習は通常、試合前々日の1日だけしか行わないが、04年の横浜Mとのチャンピオンシップなど大一番限定の追い切りモードに変更。「水曜日(29日)から試合に集中させる」。指揮官がラストスパートに入った。http://www.daily.co.jp/soccer/2006/11/28/0000178349.shtml
【“ギドチルドレン”欧州移籍後押し】
 今季限りで退団する浦和のブッフバルト監督が、総力戦で有終の美を飾る。2日のG大阪戦には、DF闘莉王、坪井とともに左足に不安を抱える選手に備えるため、前泊メンバーも通常の18人より2人多い20人で乗り込んだ。3点差以上で負けなければ、リーグ初Vが決まるが「アドバンテージは忘れて0―0の気持ちで戦う」とすさまじい気合を見せた。
 頂上決戦は、ブッフバルト監督の母国でも注目を集めている。この日からドイツ国営放送ZDFが密着取材を開始した。同監督は「ギド・チルドレン」を強烈プッシュ。欧州市場に推薦する選手に闘莉王、坪井、長谷部の名前を挙げた。ヘルマン・プロデューサーは「監督の手腕はドイツでも高く評価されている。ドイツで監督をするか興味深い」と話していた。
[ 2006年12月02日付 紙面記事 ]http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2006/12/02/02.html

【J1頂上決戦 独メディアが徹底取材】
 ギド・ブッフバルト監督のリーグ最終戦となるJ1頂上決戦に、ドイツも注目だ。1日、ドイツ国営放送「ZDF」の取材クルーが浦和を徹底取材した。
 「浦和の優勝だけでは日本に来ない。ギド最終戦の話題とのコンビで来た」と話したのはディレクターのヘルナン・ファルキーザー氏。元西ドイツ代表の英雄の日本最後の雄姿を、決戦翌日の3日夜のスポーツ番組で8分間、取り上げることを明らかにした。
 一方、欧州進出の可能性もある浦和の若武者も特集予定。「日本人のいい選手も取り上げる。欧州市場に注目されるメリットがある」と同氏。試合当日にはドイツテレビ局「ARD」も取材予定となっている。(2006年12月2日06時06分 スポーツ報知)http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/jleague/news/20061202-OHT1T00074.htm


【浦和ブッフバルト監督、母国に雄姿を】
・リラックスした表情を見せるブッフバルト監督は(撮影・蔦林史峰)
 今季限りの退任を決断した浦和ギド・ブッフバルト監督(45)が母国テレビ局のバックアップを受けてリーグ戦ラスト采配に臨む。2日にG大阪とのV決戦を控えた1日、ドイツ国営放送ZDFの取材を受けた。同国内で退任後の進路が注目されており、まずは浦和をリーグ制覇に導く手腕が特集されることが決まった。
 大一番を控えた表情は硬かった。練習後、約70人の報道陣に囲まれたブッフバルト監督は緊張感を高めていた。「明日は得点を狙って攻める。優勝できる好条件は忘れ、ゼロからのスタートで臨む」。2点差以内の負けでも優勝は決まる。リーグ制覇の可能性は限りなく高いが、負けられない。母国のテレビ局の取材が、さらに「勝って優勝」の気持ちを高揚させていた。
 ドイツの国営放送ZDFのインタビューを受けた。最終調整を指導する勇姿もテレビカメラで追われた。今回の特集を担当するヘルマン・ファルキーザー・プロデューサーは「ブッフバルト監督が最後の指揮だということで特集が決まった。ドイツに戻って監督をやるのか非常に興味を持っている」と説明。坪井、長谷部、闘莉王の紹介も含め、現地時間3日夕方(日本時間4日)にニュース番組内の特集として約8分間、放送される予定だ。
 04年の浦和監督就任後、ドイツ新聞各紙にブッフバルト監督のインタビューが掲載されてきた。Jリーグの好さい配ぶりも定期的に放送されており、同プロデューサーは「監督としての実力はドイツでも評価されているので、われわれも取材に訪れた。今後、ドイツや欧州各国で監督をやる上で、浦和の指導は良い経験になっていると思う」と分析。ブッフバルト監督がリーグ戦ラスト指揮で優勝を決めれば、母国にも大きなアピールができそうだ。
 同監督は04年の横浜とのチャンピオンシップでもZDFの取材を受けたが、PK戦の末に敗れた悔しい経験がある。今度こそ負けられない。埼玉スタジアムではJ1新記録でもあるホーム21戦無敗を続けている。既にG大阪戦のチケットは完売。約6万人のサポーターが集結する中、リーグ戦最後の指揮を執る同監督が母国の注目も浴びながら優勝を決める。【藤中栄二】[2006年12月2日8時30分 紙面から]http://www.nikkansports.com/soccer/p-sc-tp0-20061202-124506.html

【ブッフバルト監督 記録更新で有終だ】
 今季限りで勇退が決定的な浦和・ブッフバルト監督は「アドバンテージは忘れ、0-0のスタートと考えたい」と勝利で花道を飾ることを誓った。「ホームでは21試合負けなしだが、その21試合と同じようにスタートしたい」。J記録のホーム無敗記録を「22」に更新し、就任3年目の栄冠を手にするつもりだ。
 母国ドイツの国営放送「ZDF」は浦和とブッフバルト監督の特集番組取材のため、さいたま市内の練習場を来訪した。ファルキーザ・ヘルマンプロデューサーは「ドイツでもギドの仕事は評価されている。彼が今後欧州で指揮を執るか注目されてます」と明かした。横浜Mに敗れた04年のチャンピオンシップの際も同局の取材を受けたが、今度こそ勝利の報を母国に知らせるつもりだ。http://www.daily.co.jp/soccer/2006/12/02/0000181750.shtml

【ブッフバルト監督が退任へ 浦和、後任の人選既に着手】
 Jリーグ1部(J1)を初制覇した浦和のブッフバルト監督が今季限りで退任することが2日、確実になった。4日に記者会見し、正式に表明する。
 2004年に就任した同監督は3年目の今季、クラブの目標だったリーグ優勝を達成。ドイツに居住する家族の事情もあり、退任の意向を固めたとみられる。
 浦和の中村修三ゼネラルマネジャーは「退任が決まってから動くのでは遅い。すでに候補は絞り込んでいる」と、既に後任監督の人選に着手していることを明らかにした。(了) [ 共同通信社 2006年12月2日 21:15 ] http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/headlines/20061202-00000068-kyodo_sp-spo.html

【ブッフバルト就任3年目で日本一/J1】
・【浦和−G大阪】胴上げされる浦和ブッフバルト監督(撮影・蔦林史峰) <J1:浦和3−2G大阪>◇第34節◇2日◇埼玉
 浦和が初のリーグ制覇を成し遂げた。序盤は重圧からか動きが鈍かったが、前半21分に相手の先制点を許してから目覚め、本来の動きを取り戻して反撃を開始。同27分にMFポンテがゴールを挙げるとFWワシントンが2得点を挙げて突き放した。2点差以内の敗戦でも優勝となったが、その後もセットプレーでの1失点に抑え、勝利でリーグ制覇を決めた。
 今季限りで退任するブッフバルト監督は「先に得点されて、1発殴られたようにうちが目覚めた。それで試合を逆転することができた。今のチームワークには何も言うことがない」と満足顔。就任3年目での日本一に達成感いっぱいだった。[2006年12月2日22時16分]http://www.nikkansports.com/soccer/f-sc-tp0-20061202-124978.html
【浦和 ブッフバルト監督が退任へ】
 J1を初制覇した浦和のブッフバルト監督が今季限りで退任することが2日、確実になった。4日に記者会見し、正式に表明する。
 同監督は今季、クラブの目標だったリーグ優勝を達成。ドイツに居住する家族の事情もあり、退任の意向を固めたとみられる。
 浦和の中村修三ゼネラルマネジャーは、既に後任監督の人選に着手していることを明らかにした。(2006年12月2日21時34分 スポーツ報知)http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/jleague/news/20061202-OHT1T00211.htm

【ブッフバルト監督退任へ J1浦和】
2006年12月02日21時46分
 J1の年間優勝を決めた浦和のブッフバルト監督が、今季限りで退任することが2日、明らかになった。11月中のミーティングで選手たちに退任する意向を伝えていた。5回戦に勝ち上がっている天皇杯全日本選手権が最後の指揮となる予定。
真っ赤に染まったスタンドの前で、ブッフバルト監督を胴上げする浦和の選手たち
 来季の去就について、同監督は先月19日、「監督として3年も一つのチームにいると、将来的なことを考えるものだ。ドイツに残している家族や経営している会社の問題もある」と、退任の意向をほのめかしていた。
 同監督は04年に就任。同年の第2ステージで優勝したほか、05年度の天皇杯も制している。http://www.asahi.com/sports/fb/TKY200612020289.html

【J1:浦和初V ブッフバルト監督「レッズが一番でーす」】
・試合後、電光掲示板に浦和・ブッフバルト監督が映し出される中、大喜びのサポーター=埼玉スタジアムで2日午後3時54分、小出洋平写す 「浦和レッズが一番でーす。サポーターのみなさん、ありがとうございました」。2日、Jリーグ1部(J1)初優勝を果たした浦和のギド・ブッフバルト監督(45)は、懸命に覚えた日本語を披露した。場内は大歓声で応え、母国ドイツにいる家族と一緒に暮らすため今季限りで勇退する指揮官を包み込んだ。
 試合中、ベンチに落ち着くことはない。背筋を伸ばして腕組みし、喜怒哀楽もあらわに選手を鼓舞した。2004年に就任し、1年目にJ1後期、2年目は天皇杯優勝。迎えた勝負の3年目。苦しい時も選手に責任転嫁せず、最後までチームを重圧から守り続けた。中村修三ゼネラルマネジャーは「(リーグ戦は)2年連続で2位だったから、今年は優勝が使命だった」と振り返る。
 現役時代、1990年のワールドカップ(W杯)で旧西ドイツ代表DFとして優勝した。94年W杯にも出場し、94年から97年まで浦和でプレー。実績にも裏打ちされたカリスマ性は、個性派ぞろいのチームをまとめるうえで大きな力になった。
 意欲的な補強を続ける浦和は、控えにも日本代表経験者がずらりと並ぶが、最後まで一丸となって戦う姿勢は崩れなかった。その陰には指揮官の気配りもあった。会見で「うちには2人の日本代表級GKがいるが、試合に出せるのは一人だけ。でもベンチに座る人がポジティブに、前向きに受け止めてくれているのが浦和の強さ」と話した。
 優勝直後のロッカールーム。「朝10時までに家に帰ったら罰金だ」。きまじめな指揮官もこの時ばかりは表情を和らげ、夜を徹しての祝勝会を宣言した。【安間徹】
 ◇「名実の日本一」…サポーター歓喜  
 最下位、J2降格など不振が続いても声援を送り続けた浦和のサポーターは、日本一熱狂的と言われる。さいたま市浦和区の会社員、海老原護さん(29)はその熱さに心奪われ、数年前に東京都内から引っ越してきた。「ようやく報われた感じがします。これで名実ともに日本一のチームと言える」と感慨深そう。チーム発足時からのサポーターで埼玉県菖蒲町の会社員、内田良夫さん(42)も「優勝は並大抵ではない」と涙を浮かべた。
 解説者で浦和OBの福田正博さん(39)は「サポーターが、苦しい時もチームを支え、チームは長い目で強化を続けてきた。その結果が優勝につながった」とほおを紅潮させた。【浅野翔太郎】毎日新聞 2006年12月2日 21時31分 (最終更新時間 12月3日 2時22分)http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/soccer/news/20061203k0000m050083000c.html

【浦和・ブッフバルト監督 苦難と栄光共有】
2006年12月02日21時47分
 控室で浴びたシャンパンの香りを発し、ギド・ブッフバルト監督(45)は記者会見場に現れた。「チャンスが来る時のために自分を磨き続けた控え選手が役割を果たした」。優勝への要因として、紅白戦でも手を抜かずにレギュラー陣の相手となった控え選手たちの存在を挙げた。
・前半27分、ポンテの得点に喜ぶブッフバルト監督
 浦和の監督に就任したのが04年。監督としてのキャリアの始まりでもあった。戦術に関して細かく言わないのは、日本代表のジーコ前監督に近い。
 西ドイツ代表選手として90年ワールドカップに優勝。屈強な元DFには、サッカーは自分で表現するものという考えが染みついている。今季の堅守から速攻というスタイルも、選手を適材適所に組み合わせながら自然とできあがった。
 Jリーグ発足2年目の94年に、選手として浦和に来た。勝てないチームが「Jリーグのお荷物」と言われていた時代。この年の第2ステージで、初めて最下位脱出に導いた。
 選手、監督として浦和の苦難と栄光を共有してきた。頂点に立ったこの日、自身の今季限りの退任も明らかになった。試合後、選手に言った。「今夜は、朝10時より前に帰宅したら罰金だぞ」http://www.asahi.com/sports/update/1202/224.html
【浦和のファンは一番です──日本語でブッフバルト監督】
 J1浦和がリーグ初優勝(2日)──浦和・ブッフバルト監督「(日本語で)浦和のファンは一番です。監督になって3年間、チームは本当に成長した。敗戦の後、原因をしっかり分析して改善したのが大事だった。毎年優勝するのは不可能だが、優勝争いに毎年加わるのは義務だと考えている。私からサッカーを取ったら何が残るか。今後も監督として携わりたい」(2006年12月2日22時22分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/news/20061202i415.htm

【ブッフバルト監督、退任後も「アドバイザー」で“残留”】
・選手に胴上げされるブッフバルト監督。有終の美を飾った(撮影・鈴木健児)
 J1最終節(2日、浦和3−2G大阪、埼玉スタジアム)今季限りで退任する浦和のギド・ブッフバルト監督(45)が、指揮3季目の初優勝で有終の美を飾った。後任監督には、ブッフバルト体制を陰で支えてきたゲルト・エンゲルスコーチ(49)の昇格が確実。同監督は退任後も「アドバイザー」として“残留”、浦和の黄金時代構築を目指す。
 栄光を告げる笛の音を聞くと、ブッフバルト監督は僚友エンゲルス・コーチらスタッフと輪になり、抱擁を繰り返した。低迷期も知る指揮官が、赤い軍団を頂点へと導いた。
 「浦和レッズはイチバーンです!」
 日本ハム・ヒルマン監督を意識したかのように、日本語で絶叫。いつもの険しい顔が崩れた。
 巨大戦力を操っての頂点。その中で“MVP”として真っ先に名前を挙げたのは出場3試合、ベンチ待機を続けたいぶし銀のMF酒井だった。「酒井は出番がなくても自分を磨き続けていた」。ときに先発外の選手の“ローテーション制”をしくなど、モチベーションを保たせ続けた。「うちには日本代表クラスのGKが2人いたのも強みだった」。山岸に隠れて出場機会の少なかったGK都築とは個人面談を行い、何とか気持ちを踏みとどめた。
 母国ドイツに残した家族の事情などで今季限りで退任。リーグ戦最後の一戦だったが、94年7月から3年半選手として戦い、04年から3年間監督を務めた浦和への熱意は、形を変えて生き続ける。「ギドには監督を続けてもらえなくても“アドバイザー”のような形でやってもらいたい」と、クラブ幹部は明かした。
 監督後任には、住まいも近所にするなど二人三脚で戦ってきたエンゲルス・コーチの昇格が確実。試合後、がっちりと握手を交わした。来年はアジアCLにも挑戦する。
 「今度はアジア制覇が浦和の目標になる」とブッフバルト監督。現体制の路線継承で、黄金時代構築を目指す。http://www.sanspo.com/soccer/top/st200612/st2006120304.html

【ギド有終の舞 04年退任直訴も残留し約束果たした…J1最終節】
・イレブンに胴上げされ、宙に舞ったブッフバルト監督
 ◆J1最終節 浦和3―2G大阪(2日・埼玉スタジアム) ロッカールームに、ブッフバルト監督の絶叫がこだました。「明日、朝10時までに家に帰ったヤツは罰金だあ〜!」朝まで飲み明かせとの大号令。選手も「ウオ〜!」と絶叫し、早くもお祭り騒ぎがスタートした。
 監督に就任した04年のチャンピオンシップ。横浜Mに負けて年間王者を逃した直後、当時社長の犬飼基昭氏に「ドイツに帰りたい」と直訴した。家族の健康状態が思わしくなかったためだが、犬飼氏の必死の引き留めに、残留を決断。3年目の今季、約束の優勝を手土産に母国ドイツに帰る。「この3年間、浦和はチームとして成長した。昨年よりも一昨年よりもいいチームになった」満足度は高かった。
 「今後も監督としてサッカーに携わりたい」。ドイツ代表76試合出場の名選手が、浦和で初めて積んだ監督としての経験は、サッカー大国でも生きるはずだ。(2006年12月3日06時03分 スポーツ報知)http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/jleague/news/20061203-OHT1T00052.htm

【ブッフバルト監督は闘莉王と帰国?】
・<浦和・G大阪>リーグ初制覇を決めて喜ぶ浦和・ブッフバルト監督 Photo By 共同
 【浦和3―2G大阪】今季限りで退団するブッフバルト監督が有終の美を飾った。先制されながら3ゴールを奪い「攻撃こそ最大の防御」という哲学を実践して大輪の花を咲かせた。
 「きょうの選手たちのチームワークに言うことはない。1人1人の力も大事だが、チームとしての力が発揮された。私が監督になって3年間、浦和レッズというチームが成長した」。指揮官は満足そうに振り返った。試合後には選手に「(3日の)午前10時前に帰ったら罰金だ」と夜通しの祝宴を“強制”するほど初優勝に興奮していた。
 潤沢な戦力を巧みに使った。ベンチに小野、田中達、永井、酒井ら実績ある選手を置いて控えまでローテーション制を敷く細やかな気配りで、現役時代にできなかったJリーグ制覇を果たした。そのブッフバルト監督には新たな野望がある。優勝の立役者DF闘莉王をドイツに連れて帰る計画だ。打診を受けた闘莉王の代理人が「話は聞いている。ブッフバルト監督がどのクラブに行くかが決まってからになる」と話した。
 ブッフバルト監督の闘莉王への信頼は厚い。もともと04年に水戸から浦和に移籍するよう自ら口説いた。W杯前には日本代表のジーコ前監督に代表選出を進言した。4日に退団を正式表明するが「いいオファーは来ている。私からサッカーをとったら何も残らない」と話しており、ドイツで監督を続けることが濃厚。闘莉王も欧州志向が強いだけに、第2の指導者人生も闘莉王とともに歩むことになりそうだ。
[ 2006年12月03日付 紙面記事 ] http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2006/12/03/04.html
【ブッフバルト監督有終の舞い/J1】
・選手に胴上げされるブッフバルト監督 <J1:浦和3−2G大阪>◇第34節◇2日◇埼玉
 ゲルマン魂の宿る巨体が3度、宙に舞った。188センチ、88キロ(現役時)のブッフバルト監督の体が、選手全員の頭上で大きく波打った。「騒ぎすぎて試合を振り返ることができない。浦和レッズはイチバンでーす!」。競技を問わず、もはや外国人監督が日本一に輝いた時には定番となったフレーズを、あかね色に染まる空に響かせた。現役当時に「浦和最高の闘将」と呼ばれた指揮官に、厳しい表情はない。笑顔で日本一の達成感に浸った。
 「新米監督」が浦和を屈強な集団に変えた。今夏、宴会で岡野がパンツ姿になった写真が、週刊誌に掲載された。落ち込んで謝罪するベテランを、笑って許した。途中交代に不満の態度をみせた選手には、戦術的理由を細かく説明して納得させた。クラブから、試合前夜の宿泊を2人部屋から1人部屋に変えるよう打診された時は「ドイツも2人部屋制」と、一時は拒否した。それも、日本を熟知するエンゲルスコーチの説明で納得した。中村GMは「監督経験があったら頑固で衝突したかも。初めての監督業だから柔軟だった」と振り返った。
 今季限りで浦和の監督を退く。「将来のことは2〜3日、時間をください」と口にしたが、既に11月上旬の家族会議で決断し、選手にも伝えており4日、退任会見を開く。浦和は来年以降、再びテクニカル・アドバイザーとして再契約する方針。以前から「レッズは私の一部」というブッフバルト監督も受諾する意向だ。
 好きなドイツのことわざがある。「一生懸命にやる者だけに幸運はやってくる」。運だけで大成功は得られない。コンスタントに良い仕事ができる準備をする者だけが成功できる−。リーグ制覇は運だけでは達成できない。ブッフバルト監督は3年がかりで浦和に幸運をもたらした。【藤中栄二】[2006年12月3日8時26分 紙面から]http://www.nikkansports.com/soccer/p-sc-tp0-20061203-125054.html

【J1:浦和のブッフバルト監督、退任の意向を選手に伝達】
 浦和のギド・ブッフバルト監督(45)が今季限りで退任する意向を選手やチーム関係者に伝えていることが2日、分かった。闘莉王は「非常に悲しいが、最後の最後に優勝をプレゼントできて良かったと思う」と話した。優勝会見でブッフバルト監督は「ここ2、3日はこのお祭りを楽しみたい」と話し、去就については明言しなかった。しかし、母国ドイツのクラブなどから監督就任の要請が来ているという。
 ブッフバルト監督については、11月にドイツ紙が今季限りで退任し、家族がいるドイツに帰国すると報じていた。毎日新聞 2006年12月3日 3時00分http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/soccer/news/20061203k0000m050107000c.html

2006年12月4日(月) 
【ブッフバルト監督退任へ 4日に去就会見J1浦和】
 浦和は4日、ブッフバルト監督の来季の去就に関する記者会見を行う。同監督は今季限りの退任が確実視されており、正式表明がなされる見込み。
 母国の大衆紙で退任が報じられてから、11月19日の会見では明言を避けていたものの、就任3年目となる今季にリーグ初制覇を達成。ドイツに居住する家族の事情もあり、退任の意向を固めたとみられる。また、同監督は来年以降も再び、テクニカルアドバイザーとして契約するもようだ。
 後任には、1995、96年に浦和の監督を務め、現在、FIFA技術委員のオジェック氏や、浦和のエンゲルスコーチなどが候補として浮上している。
 選手はリーグ初優勝から一夜明けた3日、完全休養日となった。優勝の余韻に浸りながら、家族や友人と思い思いの休日を過ごした。4日は午後4時から大原サッカー場で練習を実施する。2006年12月4日(月)http://www.saitama-np.co.jp/news12/04/03r.html

【浦和・記者会見でのブッフバルト監督コメント [ J's GOAL ]】
本日、埼玉スタジアム2002にて浦和レッズの記者会見が行われました。
その席でのブッフバルト監督のコメントは以下の通りです。
●ブッフバルト監督(浦和):
「まず最初に、過去3年間私を信頼して任せてくれたクラブに感謝したい。レッズから私を信頼してチームを任せようとしたオファーにも感謝をしたいです。そうは言っても、私の判断としてはここでいったんブレイクしたいということです。
理由はいくつもありますが、1つはすでに報道されている通り、プライベートなことです。もう1つは、1つのクラブで指導者として3年間結果を出しながら指導することの意味を改めて真剣に考えてみたという点です。
レッズが第2の故郷というのは今も続いています。就任した時は犬飼社長に森GMだったわけですが、この3年間、いろいろな意味で発展しました。日本代表選手を複数送り込み、成績もよくなりました。こうして私が監督として3年間やった後、クラブはどう発展していくのだろうという疑問が沸いてきたのです。
この決断に至るまでにはかなりの時間がかかりました。9月にクラブから来季もやってほしいというオファーをいただきましたが、このまま私がクラブを去っても大丈夫かと悩みました。来季はACLもありますし、監督として、人間としてこれに挑んでみたいという気持ちもありました。そういうオファーをいただき、いろいろ考えた結果がこの決定です。
今の浦和はそこにあるべきポジションにいます。チームとしてもよくなり、コーチ陣も素晴らしく、日本代表選手も数多くいます。クラブを取り巻く環境も世界に通用するものを整えていただきました。今後もつねに優勝を争えるクラブになったと思います。
本当に難しかったけれど、これだけ仕事をしていて楽しいチームで結果を出すことができ、いい環境も整えていただきました。そして日本で最高のサポーターもいます。そういうクラブをやめることは本当に心が痛みます。しかしやめるなら今の時期しかない。選手が揃い、将来を担う若手もいて、ゲルト・エンゲルスや池田太、土田といったコーチ陣も揃っているからこそ、やめるなら今だと思うのです。クラブが素晴らしい財産を発展させていける方向をとってくれることを私は希望します。
この後、質問されると思いますが、やめて何をするかという点についてです。まず最初にやりたいのは休むこと。そして他の世界のトップクラブの状況を見たいと思います。アメリカにも行きたい。ユルゲン・クリンスマンのところを訪ね、ドイツワールドカップで彼の下でコンディショニングを担当したコーチに話を聞いてみたいです。レッズでの3年間を分析し、何がよくて何が悪かったのか、次にはどこを改善するかというのを、まずは見極めたいです。どの監督にもそういう時間は必要。監督自身、成長していかなければいけないと思います。
これ以外にも感謝しなければいけない人は沢山います。メディカルスタッフだったり、選手だったり、コーチだったり、我々を陰から支えてくれた人だったり…。今ここで全ての感謝は表せません。我々には天皇杯という次なる目標もあります。それに集中しなければいけません。
年を取って私が日本に再び来た時、びっくりされる方がいるかもしれませんが、ここは私の第2の故郷。だからビックリしないでください。この場で1つだけ言わせていただきたいのは、サポーターのみなさんへの感謝です。3年半の現役生活、そして3年間の監督生活を本当に支えてくれたレッズサポーターのみなさんには心から感謝を申し上げたい。あと、メディアのみなさんにも心よりお礼を申し上げたいです。ドイツの新聞報道が出た時はまだクラブと去就について話していた最中でした。ドイツに帰る気持ちが傾いてはいましたが、チームにとって大事な時なのでリーグ戦に集中させてほしいとお願いしました。それを快く受け入れてくれたことは感謝しています」
Q:次回、監督をやるとしたら、レッズに戻ってくる考えはあるのか?
「これだけの結果が出て、環境の素晴らしさを知っているクラブは、監督として一番働きたいところ。私は心が通っているところで働きたい。もちろんレッズはそういうところだし、そういうお話があれば前向きに考えさせてもらいたいと思います。でもこの質問は時期尚早です。今、やめるといったばかりなんですから。早すぎるのではないですか」
Q:9月にクラブからオファーがあって、いろいろ考えたということだが、最初から今年を区切りにしたいと思っていたのか?
「時期のことだが、年が変わる時は自分の将来について考えるのは当たり前のことです。来季はACLがあり、新しい挑戦をしてみたい気持ちがありましたが、やめることを決めたのは、ある程度の時期としか言いようがないですね。私は直感で物事を決めるのではなく、自分で決定したことの影響を踏まえて判断します。今回はリーグ戦を制したことより、クラブを取り巻く環境ができているかどうかで決めました。逆にレッズが16位に低迷していたなら、私はこの席にはおらず、クビになっていたでしょう」
Q:勝者のメンタリティをどう選手たちに植えつけたのか?優勝にいたるターニングポイントがあったとすればいつか?
「メンタリティの件ですが、これを植えつけるというのは一方通行ではいけない。選手も耳を傾けてくれないとできないことです。だからこそ選手を集中させることが大事です。何のためにそのことが大事なのかを個人個人に理解してもらうことが大切なんです。2、3の言葉では全ては理解できません。長い時間が必要です。そのために選手1人1人と話をしたりもしました。その場で私が伝えたのは、個人より大切なのがチームということ。チームが成功を収めることで、個人も結果を得られる。それを理解してもらうことが大切でした。
よかったと思うのは、チームとして戦うというメンタリティをレッズの選手たちが持っていることです。チームとして1つの考えを持つためには、選手個々がそれを理解しなければいけません。彼らは自分の役割をしっかりと把握して、それがチームのためになるかを考えた。その結果としてチーム全体が勝者のメンタリティを持ったのです。次の監督が誰になるかは分かりませんが、選手たちがそういうことの重要性を理解していると強く思います。
ターニングポイントについては、3年間を通してみるとなかったと思います。というのも、最初から成果が出ていたから。1年目はリーグ戦に関してはチャンピオンシップをPK戦で落としました。ヤマザキナビスコカップも同様にPK戦で落としました。天皇杯も3位。あと一歩のところで落としたことが逆によかったのかなと思います。初めての年で全てがうまく行ったら、気持ちが浮わつき、過信してしまったかもしれません。あと一歩でタイトルを取れなかったことがうまく左右したんだと思います。それでも1年目はセカンドステージ優勝で星を1つ獲りました。他は運に恵まれず落としました。
2年目はチームの中心だったエメルソンや山瀬を欠くことになりました。しかしそういう選手が抜けた後でも天皇杯を勝ち取ることができました。そして3年目は必要な補強を行いました。各ポイントとなる選手を獲り、彼らがレッズになじんだことが大きかったと思います。これによってリーグ戦タイトルを獲ることができました。この3年間、1つ1つの目標を達成するために、どれだけ辛くて厳しかったよく分かっています。だからターニングポイントというのはありません」
Q:3年間監督を務めて、指導者として一番大切なことは何だと思いましたか?
「数多くあると思いますが、まず大切なのはサッカーの知識を持つこと。プロの世界の知識を持つことです。指導者ライセンスを取る時、フィットネスに関することは学べると思いますが、やはり監督というのは人間と接している。人間との触れ合いが一番大切なんです。選手が何を必要としているか、どんな話し方をしたらいいか、どうしたら心を1つにできるかということをひっくるめて、どう選手と触れ合うか。いかに彼らの心を理解するかが大きなポイントなんです」
Q:今後、クリンスマンと一緒に仕事をする可能性はあるか?代表レベルの監督に興味を持っているのか?
「クリンスマンとは子供の頃からの親友ですし、お互いによく理解しあっていると思います。が、今は一緒に仕事をする話はありません。代表のお話についても、私はまだ新米の監督です。監督を初めて3年しか経っていません。今、来年、5年後と考えることは全く違うでしょう。もしかして代表監督をやっているかもしれませんが、今の目標や予定には入っていません。
レッズは非常にいいチームになりましたが、レッズと代表の間にはまだまだ素晴らしいクラブがあります。だから、まず3年間を分析したい。その後、どこかで監督をやることをじっくり考えたいです。今はまだ具体的には考えていませんが」
Q:充電期間はどのくらいか?来季、欧州のどこかで指揮を採るつもりはあるか?
「充電や分析期間がどれくらいかというのは難しいですね。この3年は相当長いですから。ひょっとしたら1ヶ月で終わるかもしれないし、2週間集中すれば大まかな分析はできるかもしれません。でもどのくらい必要かといわれると難しいですね。
もう1つの質問ですが、今はいろんな電話とか軽い質問はきています。でも私のテーマには全く入っていません。やめてもレッズとは密接な関係でいられると思います。今、この質問に答えられることは全くありません」
以上http://www.jsgoal.jp/news/00041000/00041714.html

【浦和のブッフバルト監督が今季限りで退任「サポーターに感謝している」】
・笑顔ものぞかせながら今季限りでの退任を発表した浦和のブッフバルト監督【スポーツナビ】
 浦和レッズを初のJ1リーグ優勝に導いたギド・ブッフバルト監督が4日、埼玉スタジアム2002で記者会見を行い、今季限りで退任することを正式に発表した。
 悲願のリーグ制覇から2日、チームの指揮官は早くも次のステージへと歩み出した。ブッフバルト監督は辞任を決意するに至った理由について、「第一にプライベートな問題があった。そしてもう一つ。監督として3年間ハードな生活を続けてきて、いったん退いて見つめ直す時間が必要になった。ここで一度ブレークしたい」と説明した。
 気になる今後の去就については「まずは体を休めたい。そして、世界のトップクラブをこの目で見てきたい」とコメント。将来的な浦和への監督復帰の可能性について問われると「これだけの環境がそろったチームで働くのは監督として幸せなこと。その時が来たら前向きに考えたい」と答えた。
 ブッフバルト監督は、2004年に浦和の監督に就任。監督としての経験こそなかったものの、就任1年目の第2ステージで優勝。さらに翌05年のリーグ戦でも2位となり、05年度の天皇杯では25年ぶりの優勝を果たすなど、浦和を常勝チームへと押し上げた。そして迎えた06年のJ1では、チームの悲願でもあった初のリーグ制覇を達成。フロントからもその指導力を高く評価され、来季続投を要請されていたが、家庭の事情もあり、母国ドイツへ戻る道を選んだ。
 円満での退任のため、会見では晴れ晴れとした笑顔も見せたブッフバルト監督。「ひとつだけ言わせてほしいのは、サポーターには本当に感謝している。3年半の(浦和での)現役時代と、3年間の監督時代。ずっと支援し続けてくれた浦和のサポーターには感謝の言葉を言わせてほしい」と熱狂的な浦和サポーターに別れを告げた。
 ブッフバルト監督は今季終了まで浦和で指揮を執る予定で、天皇杯でのさい配が最後の舞台となる。また、会見に同席した藤口光紀代表は「世界のトップクラブになるためにはギドの能力が必要」と話し、今後はアドバイザーとして契約を打診することを明らかにした。[ スポーツナビ 2006年12月4日 15:25 ]http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/headlines/20061204-00000022-spnavi-spo.html

【浦和ブッフバルト監督が退任を表明】
退任会見で記者の質問に答える浦和のブッフバルト監督(撮影・たえ見朱実)  浦和のギド・ブッフバルト監督(45)が4日、今季限りの退任を表明した。同日午前、浦和の藤口光紀社長(57)と会談し、正式に来季のオファーを断った。午後には埼玉スタジアムで会見し、家庭の事情と指揮した3年間を一区切りとしたい気持ちを退任理由に挙げた。
 同監督は「来年のアジアCLを指揮したいという気持ちがあったが、いったん監督というポジションからひいて、3年間を振り返ってみたい」と口にした。当面は休養、指導者としての勉強などで「充電」するが、今後の欧州クラブ監督への就任に前向きな姿勢をみせていた。[2006年12月4日18時27分]http://www.nikkansports.com/soccer/f-sc-tp0-20061204-125778.html

【浦和レッズのブッフバルト監督、今季限りで退任】
 今季J1で初優勝した浦和は4日、ギド・ブッフバルト監督(45)が今季限りで退任すると発表した。
 天皇杯終了までは、指揮を執る。後任は未定。
 元西独、ドイツ代表DFで、1990年W杯イタリア大会優勝メンバー。選手としても浦和でプレーしたブッフバルト監督は、2004年に就任、同年のJ1後期を制し、ナビスコ杯でも準優勝したのをはじめ、昨季はJ1で2位、天皇杯優勝と好成績を残した。クラブ側は続投を要請していたが、本人が固辞した。
 会見したブッフバルト監督は、「退任の理由はいろいろあり、一つは(家族との生活など)プライベートな問題だが、この辺りで一度退いて就任からの3年間をじっくり分析し、指導者として成長したいと考えた」と説明した。クラブでは新たにアドバイザー契約を結び、引き続きチーム作りの助言を受ける方針。(2006年12月4日18時29分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/news/20061204it06.htm?from=top

ZDFドイツ国営放送より
http://www.zdf.de/ZDFmediathek/inhalt/28/0,4070,4085788-6-wm_dsl,00.html
【ブッフバルト監督が退任を表明】
・退任会見を行った浦和のブッフバルト監督 Photo By 共同
 J1で初優勝した浦和のブッフバルト監督は4日、さいたま市内で記者会見し「決断を下すのは難しかったが、やめるなら今だと思った」と今季限りでの退任を表明した。天皇杯全日本選手権終了まで指揮を執る。
 クラブから契約更新を求められたが、ドイツに居住する家族の事情などを理由に断ったという。退任後はドイツに戻り充電期間を取る意向。アドバイザーという形で浦和とは関係を保つ方向で話を進めているという。
 ブッフバルト監督は現役時代に西ドイツ代表として1990年ワールドカップ(W杯)優勝を経験。94年から97年までは浦和でプレーし、2004年から監督に就任した。[ 2006年12月04日 16:32 速報記事 ]http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20061204027.html

【浦和・ブッフバルト監督が退任表明】
・退任会見を行った浦和のブッフバルト監督
 J1で初優勝した浦和のブッフバルト監督は4日、さいたま市内で記者会見し「決断を下すのは難しかったが、やめるなら今だと思った」と今季限りでの退任を表明した。天皇杯終了まで指揮を執る。
 クラブから契約更新を求められたが、ドイツに居住する家族の事情などを理由に断ったという。退任後はドイツに戻り充電期間を取る意向。アドバイザーという形で浦和とは関係を保つ方向で話を進めているという。
 ブッフバルト監督「浦和にはいい選手、将来を担う若手がおり、一緒にやってきたコーチ陣がいる。クラブが素晴らしい財産をしっかりと発展させてほしい」(2006年12月4日16時38分 スポーツ報知)http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/jleague/news/20061204-OHT1T00179.htm

【浦和・ブッフバルト監督が退任】
 退任会見を行った浦和のブッフバルト監督=4日、さいたま市内のホテル  Jリーグ1部(J1)で初優勝した浦和のブッフバルト監督は4日、さいたま市内で記者会見し「決断を下すのは難しかったが、やめるなら今だと思った」と今季限りでの退任を表明した。天皇杯全日本選手権終了まで指揮を執る。
 クラブから契約更新を求められたが、ドイツに居住する家族の事情などを理由に断ったという。退任後はドイツに戻り充電期間を取る意向。アドバイザーという形で浦和とは関係を保つ方向で話を進めているという。
 ブッフバルト監督は現役時代に西ドイツ代表として1990年ワールドカップ(W杯)優勝を経験。94年から97年までは浦和でプレーし、2004年から監督に就任した。http://www.daily.co.jp/newsflash/2006/12/04/0000183867.shtml

【浦和レッズのブッフバルト監督、今季限りで退任】
 今季J1で初優勝した浦和は4日、ギド・ブッフバルト監督(45)が今季限りで退任すると発表した。
 天皇杯終了までは、指揮を執る。後任は未定。
 元西独、ドイツ代表DFで、1990年W杯イタリア大会優勝メンバー。選手としても浦和でプレーしたブッフバルト監督は、2004年に就任、同年のJ1後期を制し、ナビスコ杯でも準優勝したのをはじめ、昨季はJ1で2位、天皇杯優勝と好成績を残した。クラブ側は続投を要請していたが、本人が固辞した。
 会見したブッフバルト監督は、「退任の理由はいろいろあり、一つは(家族との生活など)プライベートな問題だが、この辺りで一度退いて就任からの3年間をじっくり分析し、指導者として成長したいと考えた」と説明した。クラブでは新たにアドバイザー契約を結び、引き続きチーム作りの助言を受ける方針。(2006年12月4日18時29分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/news/20061204it06.htm
【ブッフバルト監督、来季も浦和サポート】
・笑顔で乾杯する浦和・ブッフバルト監督
 今季限りで退任する浦和のギド・ブッフバルト監督(45)が4日、埼玉スタジアムで会見した。3年間を振り返って「今後の監督人生にいかすために良かったこと、悪かったことを整理したい」と話した。その後は、親友のドイツ代表・クリンスマン前監督の米国の住居を訪れ、コンディショニングについて話を聞くという。来季からは「第2の故郷」浦和のアドバイザーとして、チームをサポートする。(2006年12月5日06時05分 スポーツ報知)http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/jleague/news/20061205-OHT1T00098.htm

【ブッフバルト監督 正式に退任表明】
・祝賀会で乾杯の枡酒を手にするブッフバルト監督
 浦和のギド・ブッフバルト監督(45)が4日、埼玉スタジアム内で会見を行い、正式に今季限りでの退任を表明した。理由には「プライベートな事情と就任3年間でチームが成長したこと」の2点を挙げた。今後はしばらく充電期間に充て、米国に滞在する知人で前ドイツ代表監督のクリンスマン氏の元を訪ねる計画も明かした。浦和とはアドバイザー契約を結ぶ方針。また後任には元監督のオジェック氏が有力候補に挙がっており、エンゲルス・コーチの昇格の可能性も残されている。
 ≪来年はACL制覇だ≫浦和の優勝祝賀会が4日、さいたま市内で行われ、ブッフバルト監督以下、全選手が出席した。前社長でJリーグの犬飼基昭専務理事は「Jリーグには日本のクラブをアジアチャンピオンズリーグ(ACL)で優勝させようというプロジェクトがあり、私がそのリーダー。来年はこの場でACLの優勝をお祝いしたい」と話していた。[ 2006年12月05日付 紙面記事 ]http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2006/12/05/05.html
●○●去就関連●○●
■07.01.05 [ ギド・ブッフバルト監督がドイツに帰国 ]
ギド・ブッフバルト監督が、本日午前中のルフトハンザ航空でドイツに帰国いたしました。
「今は複雑な心境です。浦和でいい結果を出して、集中した3年間を過ごしました。昨日引越で運送屋さんがきて、そして今日家の玄関を閉めた時に本当に複雑な心境になりました。
レッズはチームが強くなったし、素晴らしい環境で、毎年タイトルを狙わなければいけないし、ACLでも勝たなければいけない。
実力という面ではなく、その国のリーグの中の位置づけという面では、レッズは、マンチェスター・ユナイテッドやチェルシー、バルセロナ、レアル・マドリード、アヤックスやPSVといったクラブと肩を並べる力をつけたと言っていいと思う。毎年タイトルを狙って欲しいし、タイトルを期待している。
ファン・サポーターやホームタウンの皆様には、言葉で言い表せないぐらい、感謝の気持ちでいっぱいです。これからもレッズを支え続けていただきたいと思います。
本当にありがとうございました。そしてまたお会いしましょう。
※ギド・ブッフバルト監督とは、監督就任前にも締結していたアドバイザー契約を結び、引き続きレッズをサポートして頂きます。今後、年に数回来日する予定です。

【浦和J初連覇!ブッフバルト監督有終…天皇杯決勝】
・スタンドに陣取ったまま帰らぬレッズ・サポーターの手で、ブッフバルト監督は宙に舞う
 ◆第86回天皇杯決勝 浦和1―0G大阪(1日、国立競技場) 浦和がG大阪を1―0で下し、Jリーグ発足後初の2連覇で、今年に続き2008年のアジアチャンピオンズリーグ(ACL)出場権を手に入れた。リーグ戦に続く、2冠を達成し退団するギド・ブッフバルト監督(45)はスタンドでサポーターからも胴上げされ有終の美を飾った。浦和はJ初の70億円を超える売り上げを達成。巨額資金で世界進出の足掛かりとなるACL制覇を目指す。浦和は2月24日のゼロックス・スーパーカップ(国立)で天皇杯準優勝のG大阪と対戦する。
 前代未聞の祝祭だった。試合終了から約2時間後、ブッフバルト監督がゴール裏のスタンドで待ち続けるサポーター約5000人に歩み寄った。「ギド、ダンケ(ギド、ありがとう)」ドイツ語で感謝の大コールが鳴り響く。万感の思いが込み上げてきた。「世界に類のないほど素晴らしいサポーターだ。このクラブで働けたことを誇りに思う」サポーターと握手を交わした指揮官は、なんと客席によじ登った。
 歓喜の抱擁を交わすと、指揮官の胴上げが始まった。シルビア夫人ら家族が見守る中、3度宙を舞う。選手からの胴上げを含めると6度。「日本でのさまざまな出来事が頭を巡った。感傷的になった」思わず涙ぐんだ。
 現役引退、そして、指導者人生第一歩を踏みしめた運命のクラブが浦和だ。「お荷物」と呼ばれたチームを常勝軍団に導いた。監督としての3年間、選手個々に長所を認識させると同時に克服すべき短所の課題を具体的に指示してきた。「勝者のメンタリティーを身につけた結果だ」指揮官は2冠を達成し記者会見で胸を張った。
 「勝者の自信」はこの日の試合でも発揮された。シュート数は6対21で完全劣勢だったが、GK都築が好守を連発。後半42分には、今季初めてFW起用された岡野のクロスから、FW永井が優勝弾を決めた。GK山岸、DF闘莉王、坪井、三都主、FWワシントン、田中達、この日いなかった主力の陰で、出場機会の少なかった選手にもギドの教えは浸透していた。
 天皇杯連覇は日産自動車(現横浜M)以来17年ぶり。1993年のJ創設後は初の快挙だ。「ギドは英雄になった。アドバイザー契約を結んだが、未来永劫(えいごう)かも知れない」藤口光紀社長は終身相談役就任案を明かした。
 目標はアジア制覇とクラブW杯出場。そして世界制覇だ。ギドの「勝者のメンタリティー」を継承した赤い悪魔がいよいよ世界に打って出る。(2007年1月3日06時00分 スポーツ報知)http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/etc/news/20070103-OHT1T00014.htm

【ブッフバルト監督が帰国】
 06年シーズンに2冠を達成した浦和のギド・ブッフバルト監督(45)が5日午前、母国ドイツに帰国した。天皇杯決勝を観戦したシルビア夫人ら家族とともに成田空港に姿をみせ、見送りのファンのサインに応じた。
 04年の監督就任後、同年にステージV、05年度に天皇杯V、06年度にはリーグVと天皇杯連覇を成し遂げ、以前よりも増して浦和への愛着は深くなった。
 ブッフバルト監督は「昨日、運送業者が来た時、そして今日、玄関のドアを閉めた時、複雑な心境になった。選手として浦和を離れた時よりも、その気持ちは重い」と名残惜しそうな表情をみせた。すぐに欧州クラブの監督に就く意思はなく、少なくとも半年間はドイツなどで静養する予定。[2007年1月5日15時19分]http://www.nikkansports.com/soccer/f-sc-tp0-20070105-138647.html
【ブッフバルト前監督が不調浦和にゲキ】
 【ミュンヘン27日】昨季浦和を2冠に導いたギド・ブッフバルト前監督(45)が、絶不調ぶりを一喝した。
 状況を日々気にかけている浦和のアドバイザーは「私の指揮した3年間で4点差で負けた試合は1度もなかったと思う。阿部という優秀な選手も獲得し、強化したはずだが…」と、G大阪に0―4の惨敗を喫した24日のゼロックススーパー杯の結果を嘆いた。
 ザルツブルクに1―3で、バイエルン・ミュンヘンには0―3で敗れた13日のブルズ杯もスタンド観戦。「あの大会では本当に失望させられた。攻撃にリズムもなく、全員別人のようだった。コンディションの問題を解決しなければ。海外遠征の疲労もあるのかも知れない」と指摘した。
 元来堅守が武器のチームが、180分間で10失点。そこで、再建の主役にDF闘莉王を指名した。「彼はJリーグ最強の選手で世界レベルで通用する逸材」と大黒柱を高く評価し、「ACL制覇という目標がある。浦和の強さはこれまでの結果が証明している」とゲキを飛ばした。http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/jleague/news/20070228-OHT1T00058.htm
【ギドの前で決める!浦和J1 300勝】
 浦和が7日のホーム磐田戦で“J1通算300勝”のメモリアル勝利を飾る。92年のJリーグ発足以降、J1公式戦(ナビスコ杯、天皇杯、ゼロックス杯、チャンピオンシップ、アジアCL)で積み重ねた白星は合計299勝と、大台まであと1勝。磐田戦には前監督で昨季2冠に導いたアドバイザーのギド・ブッフバルト氏(45)も来日し、新たな金字塔を共に祝う。
 赤い悪魔が新たな金字塔を打ち立てる。Jリーグが発足した92年以降、J1ではリーグ戦で214勝、ナビスコ杯51勝、天皇杯31勝、ゼロックス杯、チャンピオンシップ、ACLの1勝をそれぞれ加えた公式戦の通算勝利は299。区切りの“300勝”までマジック1とした。磐田戦は現在2勝2分けと波に乗れない王者を加速させるのに絶好のメモリアル戦だ。
 舞台も整った。磐田戦に合わせ、前監督で現アドバイザーのブッフバルト氏が来日する。昨季リーグ、天皇杯の2冠に導き、00年にはJ2降格の屈辱にまみれたチームに、勝者のメンタリティーを植え付けた功労者だ。出場すればJ1史上最年少で通算350試合出場を達成する山田は「恥ずかしい試合は見せられない」と力を込めた。
 選手にも燃える材料があった。レッドソックス・松坂の快投に、オランダでプレーした経験のある小野は胸を躍らせていた。「日本人選手が海外で活躍するのを見ると刺激になる」。3月22日には第2子が誕生。松坂を刺激にゴールを決めれば“ゆりかごダンス”を見られるかもしれない。
 1日の大分戦では自身のミスから同点弾を許した坪井は毎日、居残りでクロスのクリア練習を積んだ。動機は違うが、勝利への思いが一致する磐田戦。舞台は24戦連続不敗中の埼スタ。メモリアル勝利が王者を加速させる。[ 2007年04月07日付 紙面記事 ]http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2007/04/07/01.html

【ブッフバルト前監督が磐田戦視察】
 J1浦和は6日、さいたま市内で磐田戦(7日・埼玉)に向けて非公開練習を行った。昨季まで指揮を執り、初のリーグ年間Vと天皇杯連覇を勝ち取ったギド・ブッフバルト氏(46)が、磐田戦でアドバイザー就任後初の視察に訪れる。前監督時代から続くリーグ戦ホーム無敗記録(24試合)をストップさせないためにも、主将のMF山田は「恥ずかしい試合はしない」と必勝を誓った。
 同氏は原則年間2回の来日契約を結び、今回は1月にドイツに帰国して以来の来日。10日間ほど滞在予定で、浦和幹部と欧州移籍市場の情報交換を行う。古巣の試合観戦はブルズ杯(2月13日)以来となる。http://www.daily.co.jp/soccer/2007/04/07/0000293605.shtml
【ブッフバルト監督が解任 采配に経営陣が不満】
 【ベルリン26日共同】サッカーのドイツ2部リーグ、アーヘンのギド・ブッフバルト監督(46)が26日、解雇されたことが分かった。チーム関係者が明らかにした。
 昨季、Jリーグ1部(J1)浦和をリーグと天皇杯優勝に導いたブッフバルト氏はことし6月にアーヘン監督に就任したが、采配(さいはい)に経営陣が不満を持っていたといい、理事会の承認を経て解雇が通告されたという。
 アーヘンは第19節を終え、5勝4分け5敗で18チーム中の9位と成績が振るわなかった。[ 共同通信社 2007年11月26日 21:09 ]http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/headlines/20071126-00000046-kyodo_sp-spo.html
【ユーロ・ミスコン審査員にブッフバルト氏】
 7日開幕の欧州選手権(ユーロ08)を前に、各地でムードを盛り上げるイベントが展開された。5月31日にはドイツ南西部ルストで「ミスユーロ08コンテスト」が行われた。1200人を超える応募者から選ばれた、大会出場16カ国を代表する16人が美しさを競った。
 チェコ代表でオストラバの大学に通う22歳のドミニカ・フシュバロバさんが優勝。「幸せ。幼いころからのサッカーファン」と喜んだ。通常の審査にあるドレスや水着だけでなく、サッカー・チェコ代表のユニホーム姿でも際立った美しさを披露し、賞金5000ユーロ(約82万円)を手にした。2位はトルコ代表、3位はギリシャ代表だった。
 コンテストが開催されたドイツに限る話だが、フェミニスト団体は多数あっても、ミスコンテストに対する反対論は意外と少ない。モデルや歌手を志望する男性のコンテストも、テレビなどで盛んに行われているからかもしれない。男女ともにメリットを享受しているわけだ。
 10人の審査員の1人を務めた元浦和監督のギド・ブッフバルト氏は「魅力的な女性を見せてもらった。本大会では魅力的なサッカーが見られるといいですね」と話した。
 2日付のドイツの大衆紙エクスプレスは「チェコ優勝! 何とドイツは1次予選敗退。でもミスコンの話。よかった、本大会でなくて」と報じた。[2008年6月5日13時2分]http://euro2008.nikkansports.com/news/f-sc-tp3-20080605-368491.html
【Black Stars line up Buchwald】
・Will Guido get Ghana gig ?
German World Cup winner Guido Buchwald has met with the Ghana Football Association over their vacant managerial position.
The 2008 Africa Cup of Nations finalists parted ways with their French manager Claude Le Roy recently, and are scouring the market for a replacement.
Another German, Klaus Toppmoller, has been linked with the post but media reports now claim that Buchwald will be offered the job.
KickOffGhana claims that the 47-year-old held talks with the GFA last week in Accra which 'centered on his terms of contract after he agreed to take the job'.
The former Stuttgart defender is a relative novice in the coaching stakes. His stint at Alemannia Aachen lasted just five months and his only previous job was with Urawa Red Diamonds in Japan.
Sellas Tetteh remains an outsider for the top job. The current caretaker has led Ghana to two consecutive victories in the Africa Cup of Nations and World Cup qualifying Group Five.
Posted: 10/06/08 13:51http://www.football365.co.za/story/0,22162,14287_3673390,00.html
「Buchwald - New Black Stars coach」
Accra, June 16, GNA - Ghana has contracted German trainer Guido "'Diego" Buchwald as the new coach for the Black Stars.
A 'supreme' source at the Ghana Football Association (GFA) told GNA Sports that Buchwald has signed a two-year renewable contract to manager the Black Stars.
The GFA is expected to outdoor the new coach next week. The source said both parties agreed on contractual terms when the coach was interviewed in Accra by his employers a fortnight ago. The GNA Sports can confirm that the Ministry of Education, Science and Sports is scheduled to meet the Federation later today, (Monday) ahead of the coach's unveiling slated for next Monday, June 23. Buchwald, 47, is expected to witness the Black Stars World Cup/African Nations Cup qualifier against Gabon at the Ohene Djan Stadium, Accra on Sunday.
Capped 74 times for Germany, the former defender previously managed Japanese side Urawa Red Diamonds and Alemannia Aachen in his native country.
As a player, his best career game was probably the final of the 1990 FIFA World Cup final when he effectively marked the Argentine creative genius Diego Maradona, earning him the nickname 'Diego'. Buchwald who succeeds French coach Claude Le Roy was also part of Germany's disappointing 1994 World Cup squad.
Le Roy parted ways with Ghana last month when his contract was expected to have elapsed at the end of June citing personal reasons.
The GFA head-hunted for the French's successor in a move that drew names including Klaus Toppmoller and former trainer Ralph Zumdick close to the vacant position. 16http://www.ghanaweb.com/GhanaHomePage/SportsArchive/artikel.php?ID=145410
【ブッフバルト氏浦和アドバイザーで復帰へ】
・浦和の元監督ギド・ブッフバルト氏
 浦和が元監督であるギド・ブッフバルト氏(47)にアドバイザーとして再就任を要請することが9日、分かった。同氏は選手としても活躍し、引退後は浦和、ドイツ2部のアーヘンの監督を歴任したが、現在はフリーの状態だ。12日に来日し、クラブ側が細かい条件を提示する予定。合意に至れば、アドバイザーとしては3度目、04年から06年までの監督時代以来の「浦和復帰」となる。
 浦和側は、7月のバイエルンとの親善試合で同氏が来日した際、すでに打診を行っていた。クラブ幹部は「ギドの持っているドイツでのパイプは1つの強み。これからも使っていく」。ドイツ代表DFとして母国を90年のW杯イタリア大会で世界一に導いたブッフバルトの欧州の知名度は抜群。浦和は今夏にはブンデスリーガの選手をリストアップしており、欧州路線のさらなる強化が狙い。また、将来は監督再就任も視野に入れている格好だ。
 同氏は15日に行われるクラブのイベントにもサプライズゲストとして参加し、ACL準々決勝第1戦クウェート・アルカディシア戦(17日)にも弾丸で帯同するなど、契約後には早速業務に入る見込み。別の幹部は「クウェートでも助言をしてくれるのではないか」と、期待していた。[2008年9月10日8時23分 紙面から]http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20080910-406773.html

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