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ミラクルミネラルサプリメント コミュのebook日本語版

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ここでは、hifi@FreeTJCさんがMMSジャパンのホームページに掲載されているMMSの発明者ジム・ハンブル氏の著書21世紀のミラクル・ミネラル・サプリメントの翻訳文を、携帯からアクセスしている人にもご覧いただけるようにこちらに転載していきますのでコメントの書き込みはしないでください。

転載元はこちらhttp://mms-japan.web.officelive.com/mms.aspx

コメント(11)

「21世紀のミラクルミネラルサプリメント」part1

ジム・V・ハンブル著 hifi@FreeTJC訳

この本について

この本に書かれているのが、よくあるような「何カ月も摂取した後で一部の人達が救われるようなサプリメント」のことだとは読者に思ってほしくない。そうではないのだ。
このミラクル・ミネラル・サプリメントは2〜3時間で効果が現れる。今日の世界における一番の死病はマラリアであるが、このサプリメントを使うと通常ほとんどの場合、たったの4時間で克服できる。
このことは東アフリカの国であるマラウイでの臨床試験によって証明されてきた。人体に寄生したマラリア原虫を殺すに当たっては、一度の失敗もなかった。7万5千人以上ものマラリア患者がミラクル・ミネラル・サプリメントを摂取し、現在は仕事に戻り、生産的な人生を送っている。

ミラクル・ミネラル・サプリメントを摂取した後、エイズ患者は大抵、3日で治癒するし、他の病気や症状もただ消え去ってしまう。もし、あなたの最寄りの病院の患者がこのミラクル・サプリメントを用いた治療を受ければ、その50%以上が一週間以内で帰宅できるだろう。

100年以上もの間、診療所や病院はその床やテーブルや備品などを殺菌するためにこのサプリメントの成分を使ってきたのだ。今、まさにその強力な殺菌剤を、体内の病原菌を安全に殺すために、免疫システムを通して利用することができる。

驚くべきことのように思われるかもしれないが、この殺菌剤を正しく使用することによって、免疫システムはバクテリアやウィルスなどの人体に有害な細菌だけを攻撃することができる。そして体内の善玉菌や健康な細胞には影響がない。この本では私の能力の限り、ミラクル・ミネラル・サプリメントに関して起こった事実をそのまま述べるようにしている。

この本は、今までになかった最も驚くべき免疫システム増強剤の発見と、更なる発展の物語である。従ってこれは、人類にとって、現在知られている数々の病気に対する最大の解決策なのである。そして医薬品ではない。
もしあなたが、このデータを発展させ広く知らしめようとする私の努力に関心を持ってくれているなら、この物語を読むことでそれが現実味を帯びるだろうし、あなたはそれを試してみようと納得してくれるだろう。
そのため私は、サプリメントをお宅の台所で作る方法や、材料のほとんどを迅速に購入する方法についての完全な詳細情報を提供している。
ミラクル・ミネラル・サプリメントは免疫システムの効率を上げるスーパーチャージャーとして機能するので、ある特定の病気の治療を目的としたものではない。むしろ、多くの病気を克服できるぐらいにまで免疫システムを強化することが目的である。大抵の場合、24時間以内に。

私がこの本を書くのは、この情報はあまりに重要なので、ある1人の人間や、1つもしくは複数のグループによるコントロールを許すわけにいかないからである。
これは全世界が持つべき情報なのだ。本来なら多くをなし得たであろう、とあるグループが何事も成さないのを5年もの間見てきて、私は思った。この情報はとにかくできる限り多くの人々に提供されるべきだと。そうでなければこの「命を救うデータ」を受け取る仲間から外れる人が常に出てしまうだろう、と。人々の命を救うかもしれない多くの重要な医学的情報があるのにそれが社会の人々からは隠される、ということは定期的に起こるのだ。
この情報に関してはそれが起こらないようにすること、それが私の意図する所である。
前書き


この前書きはメキシコ、ソノラ州の医師であるヘクトル・フランチェスコ・ロメロ博士の手になるものである。彼はかの地の診療所で、ガンやその他多くの不治と見なされる病の治療を行い、大変成功している。彼はこの本で言及されているMMSと、それ以外の刺激の少ない治療を数多く用いている。彼はソノラ州では、メキシコ先住民に行った治療で有名である。
ロメロ博士は私を実際の人間よりずっと偉大に見せてしまうが、だからと言って彼の前書きを拒絶することはできない。

ロメロ博士は書いている:
このメキシコの不毛の州、ソノラに住む古くからの親愛なる友人で、尊敬すべき哲学者であり教師であり、気のいい人間を駆り立てずにはおかない人物はこう言ったものだ。
「『人生の大学』を生きる人間こそがこの世界に足跡を残すのだ」

これは単に誰かが自分自身のアイデアを「本」にするというだけの話ではない。我が友人ジム・ハンブルもこれに当てはまる。挑戦者であり、世界を歩く者であり、強い願いを持つ者である彼は、生涯を賭けた研究によって人類に貢献し、足跡を残してきた。この本に書かれている調査からもわかるように、命を危険にさらす伝染病であるマラリアに耐えながら、新しい代替治療が有効であるということを医療関係者に実演しつつ、彼は膨大な距離を旅してきた。
ジムが言うように、その代替治療を用いれば、赤道直下のアフリカやアジア、そして南アフリカなどの風土病地域に住む病人達は、もっと質の良い人生を送ることができるようになるだろう。そういった地域では、マラリアやHIVなどのウィルス感染症による死者が多く、世界の他の地域に比べて統計的にも多数の死者が出ている。

彼の製品はアフリカのある国の医療関係者達によって研究され、非常に評価されている。彼はMMSを用いて、更なる希望と質の高い人生を人々に提供しているのだ。特に、人類を滅亡させかねないような病気に脅かされている人々に。我々はメキシコのソノラ州において、MMSを用いることで接触伝染性の熱病、炎症性変性腫瘍、前立腺ガン、その他の悪性腫瘍を治療し、良好で希望の持てる結果をもたらした。

私は神に祈る。世界のどこかの、希望を失い忘れられた町に住む人々を助け、特に我々が注目すべきである子ども達に命とより良い未来を与えることを続けるために、彼が偉大なる知恵を持てることを。


*ロメロ博士のガン診療所の詳細については、以下の番号に電話して下さい。

アメリカからかける場合:011 52 662 242-0422 これはメキシコの電話番号です。
同じくアメリカから:1-937 558-5703 これはアメリカの電話番号ですが、メキシコを呼び出します。
第1章

発見

家の向こう側で電話が鳴っていた。細く狭い家で、そちらに行くためには家具を迂回し、廊下を通り抜けなければならない。が、それでも私はそうした。シカゴに住む旧友のビル・デニコロからの電話だった。我々は話し、彼は尋ねてきた。
「ジム、君は金鉱の探査が上手いのかい?」

私はそんなに謙虚というわけではないので、正直に(あくまで私の思うことだが)を話した。
「うん」
と私は言った。
「一番上手い人間の1人だと思うよ。私が一番というわけじゃないにしても」
彼はそれを聞いて納得したようだった。彼は友人で、既に私の鉱山での仕事のことをよく知りつつあったので、私の言うことを信じた。彼は続けた。
「私は南米のジャングルで金鉱を採掘したいっていうグループと仕事をしていて、君の助けが欲しい。相場通りの報酬を払うよ。それに加えて利益の分配も受けられる」

そういうことなのだった。私はちょうど1カ月後に出発することに同意した。彼らは私の金の抽出技術を使うことに乗り気なのだった。そうなると、私は設備を前もって送っておかなければならなかった。必要なものを整え、ジャングルに出発する用意ができるのには丸1カ月かかった。私の持ち物の中で最も重要だったのは、この物語に関係ある物なのだが、数瓶のスタビライズド・オキシゲン(水の浄化剤)だった(そのスタビライズド・オキシゲンが私がこの本で書こうとしている『奇跡のサプリメント』だということではない)。ジャングルの水はすべて、飲料用としては危険なのだ。北米では、急流を流れる水は通常、飲んでも安全である。しかしジャングルでは、川がどんなに速く流れていようと関係なく、飲むと危険なのである。実際、1つかそれ以上の種類の病原菌が存在しているということは保証してもいいほどだ。その知識があったのにもかかわらず、私は結局、ジャングルにいた時に急流の水を飲んでしまい、腸チフスにかかってしまった。
多くの人々が「スタビライズド・オキシゲンは、その成分である酸素で水中の病原菌を殺すことによって水を浄化するのだ」と私に言った。特にその水を一晩中置いた場合はそうなのだと。私は一度、汚水にスタビライズド・オキシゲンを加えた検体をある研究所に送ったことがあるが、「すべての病原菌が死滅した」という結果が返ってきた。私は、ジャングルで自分の飲料水を浄化できるだろうということに比較的自信を持っていた。

私はある機会にスタビライズド・オキシゲンを治療用として試したことがあった。ラスヴェガスにほど近い場所に住む友人が、彼の飼っている動物にかなりの量を与えたことがあったのだ。彼は鶏の健康を保つために飲み水に入れて与え、犬にも飲ませた。一度、犬が病気になった時に血管に注射したことさえあったが、犬は数時間で回復した。私はどんな様子か見るために、よく彼の家を訪ねた。

ビル・デニコロは、私が金鉱採掘から引退して住んでいたネヴァダ州ラスヴェガスに契約書を送ってきた。その契約書はかなり私に有利なものだった。ジャングルで金鉱を見つけ出すことができれば、私は適切な給料を支払われ、事業の所有権の20%を持つことができるのだった。私は契約書にサインして送り、それと引き換えに航空券を受け取った。私は64歳だったが健康状態はすこぶる良く、ジャングルで案内人を務めるのには何の問題もなかった。
行き先の国はガイアナだった。国名はその数年前に英国領ガイアナからただのガイアナに変わっていた。ガイアナは南米東海岸のベネズエラの真南にある国である。読者はもしかしたらジム・ジョーンズとそのカルト教団の話に関連してこの国を覚えているかもしれない。カルト教団の全員が自殺を図ったとも、メンバーのうち数人が子ども達や他の大人達を殺した後、自殺を図ったとも言われている。生き残ったのはほんの数人だった。

私がガイアナに到着したのは1996年の中頃の、普通の日だった。雨が降ってはいたが。私は何人かの地元の人々に迎えられた。彼らは採掘事業のメンバーになる人達で、空港の行列をかいくぐって速やかに私を案内してくれた。我々は車で約30マイル走って、ガイアナで一番、大きな都市であり首都でもあるジョージタウンに着いた。私は内陸部に出発するまで滞在することになる民家に案内された。内陸部で我々は、ガイアナ最大の熱帯雨林とジャングルを探査することになるのだった。
その民家で私はマイクに会った。彼は地元の人間で、ジャングルのかなり大きな部分の所有権を持っていて、我々の仲間の1人になるのだった。
ジョエル・ケインは、アメリカ東部の住人だったが、彼も私がサインした契約書にリストアップされていた仲間の1人だった。彼は2週間以内に、我々がジャングルに出発する前に合流することになっていた。
もう1人、間もなく到着予定の仲間がいたが、おそらく我々がジャングルへ出発した後になるだろうとのことだった。彼の名前はベータで、政府の高官と繋がりのある人物だった。その高官の名はモーゼス・ナガモトで、彼は副首相だった。(ベータの本名はサトクマール・ヘムラジと言ったが、ベータと呼ばれる方を好んだ)

ベータはそこにはいなかったが、彼が我々の仲間だったことから、私は滞在して2日目の夜に副首相(モーゼス・ナガモト)宅に夕食に招かれた。訪問中、副首相は、背中に痛みがあって政府の仕事にも差し支えるほどだと訴えた。私は、首の不具合を訴える人々を整体によって治したことがあるという経験を話し、彼の背中にもそれが効くのではないかと言った。なので夕食後、私は彼の首に整体を施すことを許された。私はとても慎重に、急に動かしたり痛い思いをさせたりしていないことを確かめながらやった。数分のうちに、彼の背中の痛みは引き始めた。我々は皆驚き、間もなく彼は、かなり楽に家の周りを歩き始めた。

翌日、使用人の1人が私に電話をかけてきて、モーゼスの娘さんの首を整体してくれないかと尋ねた。彼女もまた、背中にひどい痛みを抱えていたのだ。私が電話口で了解したので、滞在3日目となるその夜、彼らは私を夕食に招くために車を迎えに寄越し、夕食後に私は娘さんの首を整体した。
彼女の名はアンジェラと言った。モーゼスにはもう1人、アディラという娘さんがいたが、彼女には悪い所はなかった。驚くべきことに思えるかもしれないが、アンジェラは間もなく楽に歩けるようになり、背中の痛みは消えたようだった。私はいつもそういう劇的な結果を得られたわけではなかったが、時にそういうことが起こるのだった。私は、首の整体を勉強しておいて良かったと思った。
モーゼス・ナガモトのような有力な友人を持つことは重要なことだった。その時はそれがどんなに重要なことか気付いていなかったが、のちに彼のお陰で私が獄中で過ごすことを免れることができたのは疑いない。
記録と今後の参考のために書いておくと、サム・ハインズが当時の首相だった。ジム・プンワセーが鉱業大臣で、我々はよく彼に会いに行き、家も度々訪問した。
政府は金の研究所を所有していて、そこで地元の採鉱業者から金を買っていた。問題は、そこに運び込まれる金鉱がすべて、完全に水銀で覆われていたことだった。彼らは金鉱をテントの下に置き、重さを計る前にガスバーナーを使って水銀を焼き飛ばしていた。そう、誰もが知っているように、水銀が出す刺激性の煙は極めて毒性が高い。その煙は排気用の煙突を上って政府の中庭や総合ビルのエリアに入ってきた。この習慣には苦情を言う人が多く、私が施設の見学に案内してもらった時、そのことも話題になっていた。私は簡単な仕組の煙洗浄機を設計することを提案し、彼らはその申し出に応じた。彼らにはそのような改善のための予算がほとんどなかったので、私は55ガロンの樽を2個使って洗浄機を設計した。私のラスヴェガスの家の倉庫には偶然、数千個のピンポン玉が保管してあったので、私はそれをガイアナまで送ってもらって洗浄機を作るのに使えるようにした。ピンポン玉が届く前に私はジャングルに行ってしまっていたが、彼らはピンポン玉を私が改造した樽にただバラバラと入れて、ウォータースプレーを作動させて金鉱を洗浄し、私が戻る頃には上手く行くようになっていた。洗浄機は役目を果たしたのだ。

水銀洗浄機を考案したり副首相とその娘を助けたりしたお陰で、幸運にも私は数人のガイアナ政府の役人と仲良くなることができた。私のある友人がロシアからガイアナに移住したがっていたのだが、私が鉱業大臣にその話をすると、2日後には入国管理大臣から電話があり、友人に電話してモスクワのガイアナ領事館を訪れるように言ってくれ、とのことだった。そこには友人がガイアナに入植することを許可する書類が用意してある、と。
そんなわけで、私が実際、ちょっとした優遇を受けていたことがお分かりいただけると思う。このことを書くのは、私の幸運について例を挙げて説明したかったからである。
我々はジャングルへの最初の遠征に8人の男を連れて行くことになっていた。彼らは食料を運んだり、色々な地点に着く度にキャンプの設営を行ったりするのだった。我々のために働く作業員は「ドロッガーズ」と呼ばれていた。彼らの雇い主はマイクで、出発の1週間前に我々の滞在する家に到着したが、それは食料や装備をまとめるためだった。「ドロッガーズ」の1人は監督で、それ以外はもちろん作業員だった。

ついに遠征の日が来てもジョエルもベータも到着していなかったが、我々は待てなかった。作業員達の報酬は米ドルにして1日たったの6ドルだったが、それを彼らを拘束するのに支払わなければならなかったし、我々はやるべきことをやってしまいたかった。なので最終的なメンバーは私と地主のマイクと8人の「ドロッガーズ」となった。

内陸部への旅には2日ほどかかった。最初にジョージタウンからマザルニ・クユニ川の近くのパリカという町まで車で行った。我々は食料を大きなトラック1台とタクシー4台に積み込んだ。我々は午前9時にパリカに着き、食料を大きな高速モーターボート数隻に積み替えた。川はその地点で5マイル以上の幅があった。もし読者が物語のこの部分について独自に調べてみようと思うなら、高速と言える速さでその川を移動すれば我々の旅の次の行程は4時間ほどかかることがわかるだろう。

我々は次の地点であるバルティカという町に到着した。その町はガイアナ内陸部への入口と見なされていた。我々はその町で食料のほとんどを買った。倉庫のような建物の食料品店がたくさんあり、そういう店はほとんど、内陸部に向かう団体を相手にしていた。我々の購買担当者が買ったのはほとんど豆と米だった。普通はそういう旅には米だけを買うものらしいが、私がいたので豆も数袋買ってくれたのだ。私は別な旅の時には、もっと多くの種類の野菜を買ってもらうことができた。

それから我々は食料をすべてボート数隻に載せ、川を横切って1マイルほど先の対岸にある港に行った。そこで食糧や装備を2台の巨大なトラックに積み込んだ。そのトラックのタイヤは直径が6フィート(約180cm)以上もあったが、それはジャングルの道のほとんどが泥道で、そこを走らなければならないからだった。道のない所にはそういう大きなタイヤでさえも行けなかった。食料はしっかりと荷造りされていて、作業員のほとんどはジャングルへの次の中継地点までの近道を歩くことを選んだ。彼らがなぜ歩く方を好んだのか、私には間もなくわかった。道があまりにも粗く、トラックはひどくバウンドし、ただ座り続けるだけでもずっと注意を払っていなければならないのだった。トラックで旅の最後の行程への中継地点に辿り着くまでの5時間はずっと眠れなかった。
我々は暗くなってから到着した。赤道近くのジャングルでは、午後6時にはもう暗くなって午前6時には明るくなるのだった。その夜はとにかく、どこであろうと眠れる所で眠った。私はその地の小さな店の前のベンチで眠った。
翌朝、我々は再び食料を数隻のボートに積み込んで川を上ったが、もはやそこは支流のクユニ川だった。よく言われているように、この川を通るボートはギリギリまで荷物を積むのが普通だ。船のへりは水から4インチ(約10cm)も出ていなかった。そこそこ大きな波が来たらボートのへりを越えてしまっただろうし、そうなると、そういう荷物の積み方をしているのだから川底に沈んでしまっただろう。しかし、こういう川ではほとんど大きな波は立たないのだった。ジャングルでは嵐は起こらないのだ。
雨は激しく降るが、風はほとんど伴わないので、単に嵐は起こらないのだった。実際、世界のこの地域には嵐やハリケーンや山火事や地震のような自然災害がないのだ。

我々は川を上って4時間ほど旅をし、本当に最後の中継地点に到着した。我々がボートから荷物を下ろしてボートが去ると、作業員達は食料を自ら持った。「ドロッガーズ」は荷物を背中に背負ったが、重さは頭にかかるようにしていた。頭のてっぺんに紐を巻きつけ、それが背中の荷物に繋がっていたのだ。彼らは、他のどんな荷物運びの方法よりもこれが一番疲れが少ないのだと言い張った。
彼らは80ポンド(約30kg)にもなる荷物を背負ってジャングルや山の中を歩くのだった。もう午前10時半になっていた。我々はジャングルの山の向こう側まで旅しなければならないのだった。そう、我々は山と呼んだが、その地域では丘は1000フィート(約300m)を越えて初めて山と見なされるのだった。
この丘は997フィートで、頂上に辿り着かないうちに我々は「これはれっきとした山だ」と思った。

その山は全体がジャングルに覆われていた。この地域の湿度は100%で、時に110%になるので、雨が降っていようがいまいが関係なかった。汗が蒸発しないので、人はすぐびしょ濡れになる。着ているものはすべて濡れるのだ。革のブーツを履いている人は、ブーツが水で一杯になってしまうだろう。雨か汗がすぐに溜まってしまうからだ。地元の人達が着ているものを注意深く見た結果、私はテニスシューズしか履かなくなった。ブーツは蛇から守ってくれる働きはするが、すぐ汗で一杯になるのでもう履いていられなくなる。私は蛇に関してはとにかく気を付けていようと決めた。

仲間の何人かは、すべての食料を山の向こう側へ運ぶために、山越えの旅を何往復もしなければならなかった。キャンプ地に辿り着くまでには丸2日かかった。このことから、我々がジャングルの中をどれほど遠くまで行っていたかおわかりいただけるだろう。
数日後に仲間の2人がマラリアにかかった時、我々は相当、心配になった。我々はジャングルのこの地域でマラリアにかかることはないと確信していたし、マラリアの治療薬を持ってくるなどという考えはなかったのだ。私はすぐに一番近くの採鉱キャンプに人を2人送った。そこにマラリアの薬があればいいと思ったのだ。
着くまでに2日はかかるはずだったし、もしそのキャンプにマラリア薬がなければ彼らが戻るのに6日はかかっただろう。我々は、それが今できる一番のことだという事実をただ、受け入れるしかなかった。
ヘリコプターを呼ぶこともできたかもしれないが、我々は通信用のラジオを持っていなかった。あったとしても、ジャングルではごく短い距離でないとラジオでの交信はできないのだった。そしてスタビライズド・オキシゲンに関して私が知っていたあらゆるデータを考えてみると、水の中の病原菌を殺すのだからマラリアに効くかもしれないと思えた。私はマラリアにかかった2人の近くに座り、アメリカから持ってきたこの「健康ドリンク」を試してみる気はあるかと尋ねた。
彼らは相当、ひどい症状に苦しんでいて、ハンモックに横たわって寒気と高熱の両方で震えていた。更に頭痛や筋肉痛、関節痛、むかつき、下痢、嘔吐という症状も見られた。彼らは何でも試してみたい気持になっていて、実際そう言った。

私が彼ら2人にスタビライズド・オキシゲンの適切な量を水に入れて与えると、2人は一気に飲み干した。今自分にできるのはこれだけだ、と私は思った。我々はただ、使いの人間が戻って来るのを待つしかないだろうし、と。すると1時間で彼らの震えは止まった。震えは来ては治まるものなのでそれほどの意味はなかったのだが、彼らの具合は少し良くなっているように見えた。
4時間後、彼らは起き上がり、自分達がどんなに具合が悪かったかについて冗談を飛ばし始めた。夜になると彼らは寝床から出て、食卓に着いて夕食を取った。翌朝、更に2人の男がマラリアでダウンした。彼らは同じ量のスタビライズド・オキシゲンを服用し、昼までには元気になった。我々はみんな驚いた。(話はこれがすべてではない。そしてスタビライズド・オキシゲンはいつも効くわけではないのだ)

私は金鉱の探査を続けた。私は試金(鉱石の中の金の含有量を調べること)の方法を開発していて、それはとても簡単な方法だった。私は、分析対象の金鉱を研究所に送って2週間ほど結果を待つ代わりに、自分で試金を行うことができたのだ。間もなく私は金の鉱床の場所をいくつか割り出すことができ、我々はジャングルに金の精錬所を建てる計画をし始めた。これは金についての物語ではないのでかいつまんで話すと、精錬所を建設して金鉱を更に遠くまで探査しに行っている間、私はジャングルの中、相当の距離を旅したのだった。
どこへ行っても私はマラリアにかかった人々を治療した(時にはチフスの患者も)。スタビライズド・オキシゲンが効いたケースは全体の70%ぐらいだったが、私がジャングルで有名になるにはそれで十分だった。

ジャングルへの最初の旅からの帰り道、我々は休暇のため閉鎖されている採鉱会社に着いた。そこには、精錬所がまた動き出すのをただ待っている人間が何人もいた。その中の1人がテーブルに座っていたが、ひどく具合が悪そうだった。私が彼にどうしたのかと尋ねると、彼はボートが来て連れて行ってくれるのを待っている所だと言った。彼はチフスとマラリアに同時にかかっていたのだ。
私はスタビライズド・オキシゲンのことを「健康ドリンク」と言って彼に話したが、彼は飲んでみたいと言った。私が町から戻った時、彼は私に会いに走って出てきた。彼は私の手を握って上下に激しく振った。彼は私が出掛けてから数時間で良くなり、もう町には行かなくていいのだと言った。私はジャングルの他の場所でしていたように、小瓶に入った液剤を彼への置き土産にした。
そのようないい話はいくつもあったが、不運なことにその当時はスタビライズド・オキシゲンが効かなかった人も多くいた。それでも、スタビライズド・オキシゲンはその地で使われていたマラリア薬よりはるかに良い効果をもたらす治療法だった。マラリア地域の人々にとってマラリア予防薬を飲むことは大変なことだ。
いつも、飲んでしばらくすると副作用が出てくるからだ。それゆえ、地元の人々はマラリア予防薬を飲もうとしないのだ。彼らはマラリアにかかると、標準のマラリア薬による治癒に頼ったが、不運にもマラリアはそういった薬に対する抵抗力をつけてしまっていた。旅行者はマラリア予防薬を飲むが、短期間しか耐えられない。
結局、私の仲間の何人かは、マラリア予防薬を飲んだ結果病院に行く羽目になってしまったほどだ。

私はジャングルの採鉱村の近くにある、宣教師が運営する診療所を訪れた。私の記憶では、そこのベッドは4床あった。私は彼らに「健康ドリンク」を勧めたが、彼らは「マラリアは罪深いセックスの習慣を持つジャングルの住民がかかるもので、神が彼らにマラリアの治癒をもたらすことを望んでいるとは思えない」と言った。
彼らの考え方を変えるために私にできることは何もなかった。私は苦しんでいる人々を見て恐ろしくなったが、そこを去らなければならなかった。それにかかわっている宗派がどこなのかは言わないことにする。
彼らは現在までに、マラリアの犠牲者を助けることについて考え方を変えたに違いないという感じがするからだ。

ジョージタウンに戻ると、私は友人のボブ・テイトに電話して、スタビライズド・オキシゲンがマラリアを治したことを話した。彼はすぐに飛行機でガイアナにやってきた。我々はその件について話し合い、スタビライズド・オキシゲンをガイアナで売ることができるかどうか調べてみることにした。
我々は地元紙に、スタビライズド・オキシゲンがマラリアを治す、という広告を載せた。それは間違いだった。すぐに地元のテレビ局が我々の所に記者を送ってきて、我々はテレビに出て液剤について話すことになった。それからラジオや新聞の記者達がやってきた。我々は3日ほどで有名になった。それから政府が我々に爆弾を落とした。保険衛生大臣が我々に電話してきて面接したいと言ったのだ。
彼女が言うには「これ以上1人でも多くの人に液剤を売ればあなた方は我が国の刑務所に入ることになるだろうし、あなた方は我が国の刑務所がお好きではないでしょう」とのことだった。
私は刑務所を見たことがあったが、確かに彼女の言う通りだった。

私はある夜、友人の副首相モーゼス・ナガモトにこのことを話したが、彼は「2つの製薬会社の人間が保健衛生大臣に電話をかけてきて、『マラリアを治せる』と主張している人間に対して何かしなければ地元の病院に薬を送るのをやめる、と脅したのだ」と言った。
そして「今回は政府が君のためにできることは何もないのだ」とも言ったが、保健衛生大臣にはいくらか大目に見るように提案してくれたらしかった。

その時点で、私は更に大きなミスを犯した。我々は新聞広告をやめたが、必要としている人々に液剤を売ることは続けた。ビジネスパートナーのボブ・テイトは既に本国に帰っていたが、私はまだジャングルでの金鉱採掘を計画していた。我々がもう採鉱のための必需品を用意して出発しようとしていたその時、「政府があなた方を告発するだろうから、立ち去るか他の所へ行くかした方がいい」という知らせが入ってきた。ジョージタウンの人々がラスヴェガスから来た人間以上にジャングルを恐れていることに私は気付いていたし、彼らがジャングルで人を追うことはめったになかったので、私はすぐに川を上って移動し、必要な品々は私を追いかけるように2〜3日後に届いた。
これが、マラリアを治すこともあるスタビライズド・オキシゲンの発見の物語の基本的な部分であるが、これは物語の始まりに過ぎない。私はまだそれを奇跡のサプリメントだとは思っていなかった。私は川の上流に6カ月と少し滞在し、金を抽出する精錬所で働いていた。私はその行程を自費で行っていた。
それと言うのもジョエル・ケインはなかなか到着せず、追加の資金を提供してくれることはなかったからだ。その後やっと到着して私の精錬所が抽出した金を見ると、彼は所有権をすべて欲しがり、私の所有分を、契約書に書かれていた20%の代わりに3%にしないかと言ってきた。私がそれに同意しなかったので、彼は地主であるマイクと、マイクが雇った「ドロッガーズ」に命じて私の精錬所を取り壊させ、ジャングルに運び去らせた。ジョエル自身がそう言ったので私はそのことを知っているのだ。契約書には、もし彼が私の技術を使わない場合は私に所有権20%を持たせる必要はないと書かれていた。問題は、地主のマイクが実行した新しい技術が上手く行かなかったことだ。
それゆえ、彼は私の出資金だけでなく彼自身のものまで失ってしまった。彼は億万長者だったので気にしていなかったが、私にとっては少しばかり厳しいことだった。

その6カ月間の後、私が町に戻ると、保健衛生省に関する問題はすべて消え去っていたので、私はアメリカへと発った。私は出資金を失いはしたが、私にはスタビライズド・オキシゲンができることについての知識があり、それはとても刺激的なことだった。私はもはや金のことなど気にしていなかった。
私は、帰国後に「スタビライズド・オキシゲンがなぜ効く時と効かない時があるのか」について突き止めるために実験を始めるのが待ち遠しかった。

私は2カ月後にガイアナに戻った。別な会社が、金の抽出方法を改善する手伝いのために私を雇ったからだ。私はまだスタビライズド・オキシゲンの研究をしていた。ある夜、私は不注意から、100回も蚊に刺されることになってしまった。
計画したわけではなかったが、蚊が私を刺し始めた時、私はただ、されるがままにした。数日後、私にマラリアの症状が現れ始めた。マラリアの一番最初の症状は、食事時の軽い消化不良である。はっきりそう言い切れないような、15分ほどで消えてしまう、かすかなむかつき感なのだ。
本当のむかつきは翌日になってから起こる。具合が悪くなってから、私はどうせなら自分の薬が効くかどうかチェックしようと決めた。なので私は、ジョージタウンの病院で血液検査をするまでは何の治療も始めないことにした。それはほとんど致命的なミスだった。ジャングルのその地域からジョージタウンまで行くバスは来ず、治療を受けるのを引き延ばし過ぎた人は結局、死んでしまう場合がほとんどだということを私は知っていた。
私は2日間バスを待ったが来ることはなく、私は相当、具合が悪くなりつつあった。それでも私は、血液検査を受けて自分がマラリアであるとの確証を得たかった。私は間もなく帰国する予定だったし、アメリカでこのようなテストを更に行う機会はなかっただろうから。

私は、自分自身を実験台にしているということを誰にも言わなかった。雇い主の人達は、私のあまりの具合の悪さを見て、私を町に戻らせる責任があると感じた。なので、私を乗せて行ってくれる飛行機の代金の一部を私が払うことに同意した時、彼らはすぐにそれでいいと言ってくれた。
ジャングルのその地域にはラジオがあり、着陸できる滑走路も近くにあった。翌日、やっと飛行機が来た(私が体調を崩して4日目だった)。私は自転車で滑走路まで行った。その時までに、私の容体は相当、悪くなっていた。ジョージタウンに着くと、彼らは私をタクシーに乗せて病院に直行させた。

病院で私は、血液検査を受けるまで数時間待った。私は明らかにマラリアの症状を呈していた。医者は、私の血液検査の結果はマラリア陽性だと言った。私は外来患者だったので、彼は私に小さな瓶に入ったマラリア用の錠剤1本だけをくれた。もちろん、私は錠剤を飲まなかった。
代わりに私は自分自身の薬を多めに飲んだ。数時間のうちに、私の具合は良くなっていた。私にも効いたのだ。まず最初に、私は病院に戻ってもう一度血液検査をしてもらい、その結果はマラリア陰性だった。私は有頂天だった!私はスタビライズド・オキシゲンを服用する前と後の両方の状態で血液検査を受けた最初の患者だったのだ。
私は、自分がマラリアの治療薬を見つけたことを確信した。

検査がマラリア陰性だとわかってすぐ、私はガイアナを離れることを考えた。
ある時私は、初めてガイアナの地に到着した時に町の郊外で買ったホンダのバイクに乗って走っていた。通りを走っていると、カナダから来た旧友に出会った。
彼はダイヤモンドの採掘のためにガイアナに来ていたのだった。私はバイクを止めて彼と握手し、歩道のカフェに入って話をした。我々が話していると、彼は自分の友人が足を引きずりながら道を歩いてくるのに気付いた。
彼は声をかけ、その友人はこちらにやってきた。旧友は私とその友人をお互いに紹介し、その友人は我々の席に招かれた。彼はとても疲れているようで、少し具合が悪そうにも見えた。私は彼にどうしたのか尋ね、彼はマラリアなのだと言った。そして、病院でくれる薬はあまり効いていないようだ、と。
私は言った。
「ふむ、君はたまたま、ちょうどいい所に来たね」

私はマラリア治療に関して自分が発見したことについて説明し、
「何分か待ってくれたら、バイクで宿に帰って飲み薬を持ってきてあげるよ」
と言った。彼は待つことに同意した。戻ってくると、私は飲み薬を混ぜ、カフェに備え付けのグラスに入れて彼に渡し、飲むように言った。それから我々は話を続けた。30分ほど経つと、彼は
「何だか少し気分が良くなった。気のせいに違いない」
と言った。彼が液剤を飲んでから、我々は合計して2時間ほどそこにいた。その短時間の間に、彼の症状はすべて消えていた。私は液剤の小瓶を彼に与えたが、その夜もっと遅くなってから、彼は私の宿舎を訪ねてきて、もう1瓶を手に入れた。

その時点での私の計画は、研究を完成させて情報を世界中に広めることだった。何らかの方法で世に出すことができるだろうと私は確信していた。

第1章はここで終わりです。

章ごとにトピックを分けた方が見やすいように感じたので、章ごとに分けることにしました。

第2章はこちらからhttp://mixi.jp/view_bbs.pl?id=41718876&comm_id=3431769

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