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憲法9条を世界遺産に−運営管理コミュの運営◎コミュニティ内の紛争処理

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◎◎運営◎◎本トピックは管理者によるコミュニティ運営用トピックです。
一般参加者はコミュニティ規約に従った投稿をおねがいします。

●トピック作成者 ID番号 1178149  ハンドル かなめ

本トピックはコミュニティ内での紛争の解決(コミュニティ規定第8条)を行なうものです。
これは本コミュ二ティの各トピックにおける、参加者同士の揉め事や紛争が長期化する場合に、
話し合いによって問題を解決するものです。

その紛争につき、当サブコミュ二ティに参加して頂き、紛争が解決しましたら
当サブコミュ二ティから退会して頂くようおねがいします。

コメント(72)

えっと 向こうのトピ主やってるので あまりこちらには関わらないつもりなんですが・・・

あの・・・こいとくん・・・・言葉がね・・・・もう少し柔らかくならないかなあ・・・・・。

君、普段そういうキャラじゃないやん・・・・。優しいじゃん・・・・。

ま・・・和を持って尊しとしたほうがいいよ、同じ日本人なんだから。

余計な口はさみました。 向こうのトピ主として なんとか左右が 平和裏に
着地できるような感じをめざしてみますー。 でわでわ・・・・
火山くん

今後は慎むことにするけど
あまりにも本音で語ってくれないもんでね。
怒りを表現したまで

まーあさん

まーあさんは自分の基本スタンスがサヨクであることを絶対認めないですからね。
僕は、サヨクだからって差別しないし
馬鹿にもしないしね。
自分がサヨクであることに何を怖れているんですか?


また怒ってもいないし、嫌いでないのならなぜマイミクを切るんですか?
もうここが理解できません。
マイミクの意味がないのはなぜ?


> No.34 こいとさん

こいとさんが、ま-あさんを「サヨク」だと認識されていることは分かりました。

ただ、ま-あさんが主張されているのは、自分が「サヨク」であるか否かは問題ではなく、
ま-あさんや他の参加者を「サヨク」という枠にはめ込んでしまうことによって、
各人がコメントしている内容や意図を捻じ曲げて捉えられ、
またそうした解釈に基づいて反論がなされていることへの不満であると思います。

この場でのこいとさんの目的が、ま-あさんを「サヨク」であることを認めさせることであるのなら、
話し合いの前提から変わってくるとものとも思いますが、いかがなのでしょうか?
ぷらさん

そうですね。
別にサヨクという枠にはめ込んで、コメントしている内容や意図をねじ曲げるつもりはありません。
サヨクであるからといって差別しているわけではないのです。

個々人の考え方において基本となるベースってあると思うんですよ。
もちろん同じ左寄りでも人の数だけ考え方が違うし、右寄りでもそうだと思います。
護憲派であっても改憲派であってもね。

結局、まーあさんの立ち位置を指摘しただけであって
それ以上でもそれ以下でもないのですよ。

それを過剰に反応して私のどこがサヨクなの?って言われても
自分のことなのにどうして人に聞くのか?
1、はぐらかしている。
2、本当にわからない。

このどちらかだと思うのですよ。

はぐらかしているのならまあよくはないのですが、おそらく自分がサヨクであることに何らかの感情があると思われます。

本当にわからないのなら、自分のことが認識できないんですからもっと謙虚に対応するべき。上から目線的なコメントをしている場合ではないですね。
もっと言うなら、自分のことがわからないのなら戦前の日本人がどうだこうだっていうことを言われたくありません。
では、仮にこいとさんが「サヨク」という人の考え方を下記のように定義していたとしましょう。

1. 憲法9条を護るべきだと考えている。
2. 戦前の日本人は悪人だと考えている。

おそらくですが、ま-あさんは1に関してはYESで、2に関してはNOだとお答えになると思います。(コミュでのコメントからの推測ですが)

その場合、こいとさんに「あなたはサヨクでしょ?」と問いかけられて、どう答えれば良いのか分からないと私は思いますよ。

また、1に関してYESであるなら「サヨク」であり、「サヨク」であるなら2もYESであるという三段論法的な理屈にも納得は出来ないものかと思いますが、いかがでしょうか。
2、戦前の日本人が悪人である。

この問い関して、まーあさんがNOというのはいささか疑問ですね。

南京事件や従軍慰安婦とは何か定義づけができない。

はっきりと日本人は悪いことをしたと言っているのですから。
定義づけができないのにね。
謝意を持つべきだとね。
南京事件や従軍慰安婦についてきちんとした定義づけができないにも関わらず謝意を持つということは卑屈な人間のすることか少なからず反日の意思があるかのいずれかだと思います。僕にはそうとしか思えないので・・・・。

9条を守る理由は、日本は戦争をしたからというコメントをどこかでしていると思います。

また捏造しているとか言うも知れませんが・・・・。
この捏造しているという表現もどうかと思いますが、僕自身は捏造しているのではなく
おそらくそうなんじゃないかと思ってコメントしているのです。

本当に違うのなら僕にも理解できるように説明してもらいたいのですが、そういうことをいうと話し合いができないとかなんかでうやむやになってしまうのです。
> No.38 こいとさん

> 南京事件や従軍慰安婦とは何か定義づけができない

こいとさんのおっしゃっておられる「定義付け」の意味合いがいまひとつ掴めないのですが、歴史認識の一致が無いという意味でよろしいのでしょうか?

歴史認識に関しての議論を紛争トピで一から始めるというのはご容赦いただきたいところではありますが、ま-あさんがご自身の歴史認識に基づいて「謝意を持つべき」と考えておられるのならば、それは一つの意見として尊重されるべきかと考えますし、「謝意を持つべき」という意見と「戦前の日本人は悪人」という認識とは、単なるニュアンスの違い以上の隔たりがあるものだと私は思います。

このことに関して、すでにNo.7に一部書かれておられますが、こいとさんがま-あさんの考え全てを汲み取っておられるわけではないように私には見えます。「戦前の日本人に不当な行為があったと考えるので、その点について謝意を持つべきだ」とするのがま-あさんの考えだとするならば、こいとさんは、「謝意を持つべきだとの考えは、戦前の日本人は悪人だったという考え方に基づいている」と解釈されているように見受けられます。

また「謝意を持つべき」という考え方が「卑屈な人間のすること」あるいは「少なからず反日の意思がある」のかということにも議論があるかとは思いますが、ここで明らかなのはお二人の間で主張と解釈にズレが生じていることであって、本トピで行うべきことは、そのような行き違いの解決や再発の防止について考えることなのかと思っております。

これは仲裁人としてではなくコミュニティ管理者としての提案になるのかもしれないのですが、議論を進めていく上で、その議論(今回で言えば、トピック【議論】尖閣問題(領土問題)と9条の解釈について考える)上でのコメントのみを取り上げることで、こうした行き違いから始まる揉め事は防ぐことが出来るのではないかと私は考えています。
ぷらさん

コメント遅れました。

もちろん歴史認識も違うのですが

南京大虐殺にしても慰安婦が軍の強制連行があったにしてもそれらの証拠が出せない(証言以外)ということは本当のところはわからないってことですよね?

それだったらそれでいいのです。

しかし本当の事実確認ができないのに謝意を持つべきというのはどういうことなのでしょうか?

こうした状況にも関わらず
「戦前の日本人は悪人」であると言っていないといってとしてもそれは果たして本当なんだろうか?
疑ってしまうのです。
もちろんまーあさんがそう思っていないことを信じたい気持ちはあるのですが、コメントを見るとなんだかなって・・・。


> No.40 こいとさん
> 証拠が出せない(証言以外)ということは本当のところはわからないってことですよね?



歴史認識の論争はここではしないという前提で少し。

ご存知かとは思いますが、歴史的事実というものが必ずしも歴史上の真実であるとは言えません。

これは歴史学という学問上どうにもならないところで、必ずしも真実であるとは言えないとしても、私たちはそれを歴史的事実として受け止めるしかありません。(あるいは一切の歴史を虚構として認めないという立場もあるのかもしれませんが)

また、歴史的事実は遺構や遺物、文献、証言や伝承、絵画や写真といった史料とその史料批判に基づいて得られるものです。

したがって、こいとさんの文脈の「証拠が出せない(証言以外)」という箇所については、歴史的事実において(史料批判を経た)証言は史料であり証拠であると言えますので、その部分の認識の相違があるかと思います。

またその後の「本当のところはわからないってこと」については、「歴史的事実として理解しているが歴史上の真実は分からない」という意味合いであるならその通りですが、それは「一切の歴史を虚構として認めないという立場」ではないま-あさんにとっては、こいとさんとは異なる見解になるのかとも思います。

つまるところ、ま-あさんは歴史的事実に基づいて「謝意を持つべき」とおっしゃっておられるとすれば、こいとさんは歴史上の真実であるとは言えないのに謝意を持つのはおかしいとおっしゃっておられるのではないでしょうか。

つまりそれは、右や左という立場の違いではなく、歴史そのものについてどう捉えているのかという立場の違い、またそこから来る誤解であると私には思えます。
ぷらさん

僕もぷらさんとここでは歴史議論をするつもりはないのですが

少しだけ

例えば僕自身が思う南京事件は

あくまでも南京において日本兵が何らかの事件を起こしたことは確かだと思っています。

証言や写真、文献、伝承等を全て否定しているのではありません。
歴史的事実を語る上で参考になることは重々承知しているつもりです。

南京において日本兵の大虐殺があったかどうか歴史的事実としては(証言等が証拠として挙げられるのなら)あるのでしょうが、本当のことはわからないですよね?

歴史的事実があったからといって謝意を示すのはどうかと思うのです。
本当のところはわからないのですから・・・。

なぜか?国単位で謝意を示すと必ず補償というものは付き物なんです。
補償をしないわけにはいきません。
個々人であれば、ごめんねの一言で済むのかもしれませんが、国家となるとそういうわけにはいかない。謝ったら終わりなんです。
それをまーあさんはわかっていません。
国際社会のルールを全くわかっていない。

あとは右や左の立場の違いではないといいますが
やはり大まかな立ち位置として
南京大虐殺や従軍慰安婦を肯定する人は左派に多く
南京大虐殺や従軍慰安婦を否定する人は右派が多いと思います。
統計を取っていないからなんとも言えませんが・・・・。
それをレッテル貼りだといわれればそれまでですがね。





> No.42 こいとさん

No.42コメントでのこいとさんの論旨が複数に及んでいるように思いますので、少し整理してみましょう。


> 歴史的事実としては(証言等が証拠として挙げられるのなら)あるのでしょうが、
> 本当のことはわからないですよね?

 →(1)歴史的事実は歴史の真実なのかという問題

この内容については既にNo.41にてコメントしておりますが、歴史的事実が「本当のこと」であるか否かは(当事者が生存しない限り)誰にも分かりません。私たちのような歴史学の研究者でもない者にとって歴史を学ぶということは、史料と史料批判あるいは科学的な検証や合理性から導き出される歴史的事実を学ぶことに尽きるのでしょう。


> 歴史的事実があったからといって謝意を示すのはどうかと思うのです。

 →(2)歴史的事実を私たち個人がどう受け止めるべきなのかという問題

この場合の「謝意を示す」ということは一例であって、「謝意を示す」ことの是非は次の(3)の論旨に振り分けられるものと考えられます。したがってここでは、歴史的事実を学んだ私たち個人がそれをどのように解釈し、自分のものにするのかという問題になるのかと思います。

ひとつの歴史的事実についての評価は人によって様々です。ある事象についてそれを「歴史を進める出来事」と捉える人もいれば、「大きな流れの中の一事象に過ぎない」と捉える人もいる。あるいは「後々のマイナス要因でしかない」と言う人もいるかもしれない。

歴史的事実をどのように捉えるのかは、その人の人生観や価値観に関連していると言えるでしょうし、そして、それを自身の生き方にどう活かすのかに歴史を学ぶ価値が関わってくるものと私は思います。

いずれにせよ、今回の紛争において(1)の合意の上での(2)について考えるのなら、他者の価値観を認められるのかどうかという問題に置き換えることが出来ると思いますが、如何でしょうか?


> 個々人であれば、ごめんねの一言で済むのかもしれませんが、
> 国家となるとそういうわけにはいかない。謝ったら終わりなんです。

 →(3)国家が謝意を示すのは国際社会のルールにおいて誤りか否かという問題

この問題については、これまでの文脈から切り離された論旨となるのかと思います。

歴史的事実を学び、そこから「(個人のレベルで)謝意を感じる」ことは(2)の範疇かと思われますが、「国家が謝意を示す」ことは個人のレベルとは異なるというのが論旨の半分。国家が謝意を示すことは国際社会のルールにおいて誤りであるというのが残りの半分かと考えます。

前半の「国家と個人とが同一の基準で語られるものではない」という点は、おそらくま-あさんも(というより誰もが)一致できる部分でしょう。後半の「国家が謝意を示すのは国際社会のルールにおいて誤りか否か」という問題については議論の分かれるところでありますが、そもそも、このトピックで解決しようとしている問題にこの議論は含まれるものではないと考えますが、如何でしょうか?


> 右や左の立場の違いではないといいますが やはり大まかな立ち位置として ・・・

 →(4)歴史認識には右や左の立場の違いが関わっているのかどうかという問題

そしてこの点については、No.5,6,7コメントあたりの論点に戻るのかと思います。
ぷらさん

(1)歴史的事実は歴史の真実なのかという問題


もちろん証言や伝承も歴史的事実を証明するのに十分なのかもしれませんが

その事実があったと証明する力はありません。

これは例えばレイプ事件などをとってみれば解りますが、

レイプがあったかどうかはその本人の「証言」だけでは事実とはならないのです。

第三者として目撃者、もしくは犯人の体液、DNAで特定可能なもの。

時間と場所とそれを裏付けるアリバイがあるかどうかです。

これなくして「事件」は存在しないのと同じ扱いになります。

ですから再三「物証」にこだわっているのです。ご遺体、遺体の解剖(銃創が日本軍のものかどうか、また、遺体が民間人のものかどうか、最大30万とも言われる異体ですから集団埋葬になったと思われるが、その埋葬場所は本当にあるのかなど)

感情論だけで歴史学的にも事実にもできないし、それを利用してくる国家の事まで
考えねばならないところを考えると、

「検証中の事項である」というのが普通の認識です。

僕自身が関心があるのは、歴史的事実ではなくまぎれもなく本当にあったかどうかの事実です。
やはりきちんとした物証がでないかぎり、南京において大虐殺があったと断定するのは難しいし慰安婦が軍による強制連行があったとするのは如何なものでしょうか?

ここがまーあさんと僕のずれなのかなって思います。

まーあさんは歴史的事実を事実とし
僕は歴史的事実を事実でないというよりも物証がでていない以上わからないとしています。

そこから

まーあさんは

歴史的事実は事実として国が謝意を示すことだとし

僕は

事実かどうかわからないのに国が謝意を示すことは如何なものかとしています。

まーあさんと僕の違いは
歴史的事実の捉え方なんだということはよくわかりました。

No.43の(1)と(2)は連動しているということですね。
> No.44 こいとさん

> まーあさんは
> 歴史的事実は事実として国が謝意を示すことだとし
> 僕は
> 事実かどうかわからないのに国が謝意を示すことは如何なものかとしています。

そうですね。たとえばそういう認識に立った議論になるのならば、これまでよりずっとスムーズに話し合うことが出来るという気がします。

またNo.5コメントから、ま-あさんは(文章表現上、こいとさんにとっては癇に障るところもあるかとは思いますが)こいとさんの人間性について認めていらっしゃると思われますので、後は感情的な縺れが解けるのを待つということになるのかなと思います。
ぷらさん


あとNo.43の

(3)国家が謝意を示すのは国際社会のルールにおいて誤りか否かという問題

ここも非常にまーあさんとの紛争の火種になる部分でありまして
(おそらく火山や右さん等の右派の人達も)

おそらくまーあさんが謝意を持つべきだというのは歴史的事実を事実と認めるところがあるためにやや感情的になっていると思われますが如何でしょうか?
個人において謝意を持つのは構わないのですが、国においてはぷらさんの指摘のとおり
「国家と個人とが同一の基準で語られるものではない」
ではないのですから
謝意を持つということはやはり「ごめんなさい」だけでは済まない一面があるでしょう。
それなりに補償問題が出るのもやむなしだと思います。

もちろん歴史的事実=事実であれば何の問題はないと思いますが
南京事件や慰安婦などについては
必ずしも
歴史的事実=事実とは限らないですからね。
だから人として謝意を持つことは悪い事ではないのですが、
その結果、日本人は30万人虐殺や慰安婦の強制連行を「事実」として向こうでは教育され、日本に対して復讐心を頂かせる結果となりました。
これは日本にとっても中国にとってもよい事なのでしょうか?
万一、民間人の虐殺が証言などより遥かに少なく、いや、むしろ日本軍が治安維持に努めていた、慰安婦は軍による強制連行ではなく斡旋業者を仲介とした募集であったなどということであった場合、とんでもないとばっちりになる可能性があるわけです。
これは国益を損なうことにもなりかねないと思われますがいかがでしょうか?

あとは納得できない方もいらっしゃるかもしれませんが
韓国と間では日韓基本条約
中国と間では日中友好条約
でこれらのことは解決済みにも関わらず
とやかく言ってくるのは国際ルール上ナンセンスという意味では誤りであることも付け加えたいと思います。

46の訂正

×とやかく言ってくるのは国際ルール上ナンセンスという意味では誤りであることも付 け加えたいと思います。


○とやかく言ってくるのは国際ルール上ナンセンスであることを付け加えたいと思います。
(4)歴史認識には右や左の立場の違いが関わっているのかどうかという問題
について

ぷらさん

ここらへんのコメントに戻るのでしょうか?


まーあさん

私は正直言って、こいとさんは嫌いでないし、こいとさんに対してあまり腹も立てていないんですよ。
私が思うこいとさんは、正直で素直、腹に何もない。 
ご本人も上で書いている様に、「ワザと困らせる」様な発言をする事もあるけれど、(こう言ったらこいとさんは上から目線だと怒るかもしれないけれど)なんだか小学生の弟みたいですしね。

けれど、議論に於いては、自分(私)のコメントをどこかで引用される場合、あまり捻じ曲げられると、それは私の主張とは違うので、もう話にならなくなるわけです。

例えばこれは議論トピの307にも書かせて頂いた↓の様な事。

『今日のコメントで言えば、  私が(何年も散々話してきたけれど、あまりに話が噛み合わないので火山さんとは) 話しをする気が失せる   
と書いたのに、
「改憲派は何もわかっていないから、馬鹿らしくて話合いができないという」 と、なってしまう事を言ってるんですよ。 』


なので提案ですが、(前にも言ったけど) 独自の解釈で相手の意見をこうだ としない様に、 コピペ引用をもっと利用しては如何ですか ?

改憲・護憲 と言っても、みんな微妙に考えも違う。
自分なりに考えて言葉を選び出したコメントに対しては、みんなそれなりの拘りがあると思うから、お互いにそこは尊重するべきだと思うんです。



ぷら さん

第三者的な立場でコメントの流れを再読し、感じたことを書かせていただきます。

ま-あさんNo.5コメントに書かれております、(本トピ No.307コメント)「あまりに話が噛み合わないので」の部分、ここに両者の解釈の違いがあるように感じます。

ま-あさんは、ご自身の考えや主張が曲げて捉えられ、コメントに反映されることへの不満を書いておられるのですが、こいとさんは、護憲・改憲といった立場の違いがあるので、議論が簡単に噛み合わないのは当然であると考えておられるように思えるのですが、如何でしょうか?

7 2010年11月05日 19:21

まーあさん

 その通りだと私も思います。

「考えや主張が曲げて捉えられ、コメントに反映されることへの不満」もそうですし、例えば、今回議論トピでこいとさんが盛んに書かれていた
(中国に対して)「謝罪することが素晴らしい」も、私は一度もそんな事は言っていません。   
「謝意を持つべきた」とは言っています。
私にとっては、大きな違いです。
(ついでに言えば、 補償金をもっと払うべきだ という様な事も言っていませんし現時点ではそう思ってもいません。)
つまり、 こいとさんにとっては、同じ事だと思われるのかもしれませんが、コメントしている本人(私)にとっては、「謝罪する事が素晴らしい」は、自分の考えでも意見でもないのです。


※ただし、ここで歴史認識の話まで絡めるのは止めるべきだと思います。



> No.46 こいとさん

この紛争処理トピックでは以下の点、

> まーあさんは
> 歴史的事実は事実として国が謝意を示すことだとし
> 僕は
> 事実かどうかわからないのに国が謝意を示すことは如何なものかとしています。

までで留めておくべきかと思います。

こいとさんの主張は理解いたしますし、こいとさんにとってこの議論が今回の紛争の一部であると考えられていることも分かりますが、上記のような物事を考える前提部分での議論を結論に至らせるということは非常に困難な作業です。

このトピックが紛争の解決にあるということをご理解いただき、誤解ある部分についての理解と主張や立場の違いの認識をもって一定の解決とさせていただきたいと思いますので、この議論に関しては別の機会にお願いしたいと思います。
> No.48 こいとさん

たとえば、下記のような点を考えてみましょう。

(No.5 ま-あさん)

> 独自の解釈で相手の意見をこうだ としない様に

> 改憲・護憲 と言っても、みんな微妙に考えも違う。

(No.42 こいとさん)

> 右や左の立場の違いではないといいますが やはり大まかな立ち位置として ・・・



ま-あさんは、たとえば改憲・護憲という括りがあっても、改憲派と呼ばれる人それぞれ、護憲派と呼ばれる人それぞれに、少しずつ考え方や主張の違いがあるとおっしゃっておられます。その上で、改憲・護憲、あるいは右・左といった括りによる見方で、ご自身の意見やコメントが不本意な解釈をされているという不満を出されているわけです。

一方で、こいとさんは、No.42コメント終盤にて

> 南京大虐殺や従軍慰安婦を肯定する人は左派に多く
> 南京大虐殺や従軍慰安婦を否定する人は右派が多いと思います。

といったことをおっしゃっておられます。私もよくこうした色分けがなされている状況は存じております。ただ、これまで話し合いをしてきた中で、たとえば歴史認識において、左派だから、あるいは右派だからそう考えると一概に言えるものではないという理解はいただけたのかと思います。


また心情的な部分(これはま-あさんの心情を正確に推測しきれないところがありますので私に置き換えますが)について、たとえば、

「ぷらさんはサヨクだ」

と言われることは私にとっては特に問題にならないのですが、

「ぷらさんはサヨクだから、○○だと主張されるでしょう」

と言われるならば、「いえそれは違います。△△だと考えています」となります。


No.5あるいはNo.7コメントにてま-あさんが主張されているのは、

「私は△△だと考えています」というコメントをしても、「サヨクだから」という認識のもとに「ま-あさんは○○だと主張されている」と書かれることへの不満であるかと考えるのです。


私としては、こいとさんが「右や左の・・・大まかな立ち位置として ・・・」といった考えを持っておられること自体は、ここでの問題ではないと考えますが、こいとさんのそうした考えに基づいて、他者のコメントの読み取りや解釈に正確さを欠く場合があるのならば、その点については考慮していただきたいと思う所です。
ぷらさん

NO.49に関しては承知しました。
この件についてはここでは終了します。

NO.50に関して

>ただ、これまで話し合いをしてきた中で、たとえば歴史認識において、左派だから、あるいは右派だからそう考えると一概に言えるものではないという理解はいただけたのかと思います。


僕自身もそう理解はしているつもりです。
そうであるならそれなりの説明が必要ですよね?
そして説明に納得できれば全く問題はありません


ぷらさんの例を引用させてもらいますが


「ぷらさんはサヨクだから、○○だと主張されるでしょう」

と言われるならば、「いえそれは違います。△△だと考えています」となります。

このように説明されているのなら全く問題はないのですが

まーあさんの場合

「いえそれは違います。△△だと考えています」

の部分の

「△△だと考えています」のところの説明があまりにも不足しているのです。
まーあさん自身は説明していると言うかもしれませんが、僕には全く理解できない。
ただ「私はサヨクじゃない」と一点張りでただなんとなく感情的にモノを言っているようにしか見えないのです。
そして終いには、話し合いはできないといってとんずらって感じです。

ここ数年のまーあさんとのやり取りはこんな感じです。
おそらく火山くんもそう思っていると思います。






こいとさんに質問です。

何度か
>「私はサヨクじゃない」と一点張り
という事が書かれていますが、

私がサヨクだ とかいう話題は、
私の記憶では、こいとさんとの(こいとさんが削除された)『つぶやき』の中で少し、 ただ事実として、「私はサヨクではありませんよ」 と答えた程度、


それから、
本9条コミュの 『アメリカと9条と・・』のトピhttp://mixi.jp/view_bbs.pl?id=34852470&comm_id=1278354&page=all 
123(こいと) の発言 護憲派はサヨク という様な発言、

また それに続く 129(こいと) の発言
「9条護憲の皆さま
125の問いに答えてください。
左翼じゃないんでしょう?
マゾじゃないんでしょう? 」 の

左翼じゃないんでしょう ?
マゾじゃないんでしょう ?

のコメントが、 あたかも 護憲は サヨク、マゾ  だという前提の様な意味に取れる。

そういう文脈に対して、 異議を唱えているたげで、
>「私はサヨクじゃない」と一点張り

と書かれるほど、 話題になっていないと思うのですが、もし違うなら、 
どのトピックスでその様な事があったのか ? コメントナンバーか、コピペで示して頂けますか ?
コメントの「全てを表示」にして、 メニュー「編集」→「このページの検索」で、キーワード入れて頂ければ、 割と容易に探せる筈です。


>「私はサヨクじゃない」と一点張

私は「反左翼・反右翼」のコミュに入っていたくらいで、 そもそも右とか左とか、捉われる事自体がナンセンス と思っていますので、ウヨクもサヨクもあまり興味がないし、定義さえよく詳しくは解らないというのが実情ですが・・。

まーあさん

最初に

どのトピックスでその様な事があったのか ? コメントナンバーか、コピペで示して頂けますか ?
コメントの「全てを表示」にして、 メニュー「編集」→「このページの検索」で、キーワード入れて頂ければ、 割と容易に探せる筈です。

>探せません。
なぜか?あなたのコメントや行動の全てがサヨクですからね。
あなたが違うと言おうとね。
僕にはそうとしか思えません。
申し訳ない。
全てとしか言いようがないんで・・・。
たとえ「反左翼・反右翼」のコミュに入っていようが関係ないです。

ちょっと僕の話を

左翼というよりもサヨク、リベラルというのは あちらのコミュで火山が
言っているように

理想だけぶちまけて、いざとなったら 発言に責任をもたずに逃げ出す人の事だと思ってます。

自分や火山はなんだかんだいっても逃げ出さずに話し合おうと努力した。

火山は護憲に転じて、少しでも歩み寄ろうとしているのに、まーあさんは自分を
曲げないばかりか、意味がないということで自分や火山とマイミクも切りました。


そりゃたしかに 自分の意見や 自分の考えに「イイネ」をつけてくれる人や
賛同してくれる人ばかりは気持ちがいいさ。

でもそれって結局のところマスターベーションだし、排外主義だし、なにも
かわらないじゃないですか。

今の日本は本当にやばいところまで来ていると思いますよ。

今、政治に関心をもつ人 みんなが力を合わせて 乗り切らないといけない時代
なんじゃないんですか?

インターネットは今まで歩み寄る事のなかった右派と左派に話し合いの場を提供
しているじゃないですか。

自分や火山は右派である自覚がありますよ。保守、右派、右翼、ネトウヨ、なんとでもよんでくださいよ。本当の事だから。自分たちの立ち位置が解っているという事は大切な事です。

でもまーあさんは解っていない。自分の立ち位置が解っていないから自分があえて指摘しただけです。


火山の受け売りだけど、左派の多くが反権力、反体制とかにアイデンティティを持つ人が多いけれど、比較的育ちのいい子女にも多い。恐らくまーあさんはそちらの方なんですよ。育ちがいいので現実の激しさ厳しさが解ってないから、ついつい表面的に良心的に見える左派に流されてるんですよ。しいたけさんなんか女性なのに結構いいこといってるじゃないですか。

自分はおおいにまーあさんと喧嘩してもかまわないと思ってます。ただ、お互いに立ち位置的に見えなくなっていることも必ずあるから喧嘩しても得るものがあればいいと思ってるんですよ。解ってください。

まーあさんの意見も全部飲めないから突っかかるけど相手してくださいよ。
それに政治の話は政治の話、自分の普段の生活では別にまーあさんとぶつかるような事は無いと思います。

あっちのコミュでは瀬戸山さんが結構バランスのいい発言してるし、まーあさんも
納得のいく意見も多いんじゃないですか?

火山がちょっとまた毒吐いてますけど、あれもわざとですよ。 きっと。

自分もまだまだ未熟ですが、切磋琢磨しましょうよ。 勿論まーあさんのペースでいいですから。

「火山の受け売りだけど、」

というよりも、 ここ最近のコメントの一部は、まるで こいとさん という名の火山さんの文章の様ですね。
流石に一枚岩ですね。

余談ですが。
>あなたのコメントや行動の全てがサヨクですからね。
あなたが違うと言おうとね。
僕にはそうとしか思えません。


なら、 
「『私はサヨクです』 と言わなきゃ、僕は納得しない」 

と言ってるのと、 どう違うのかしら・・・ ?
> こいとさん

たとえば、せめてこういう風な見方をしていただくことは出来ないでしょうか。

「右派だからこいささんは・・・」
「左派だからま-あさんは・・・」

ではなく、

「右派のこいささんは・・・」
「左派のま-あさんは・・・」

というような感じ。


それぞれの立ち位置をどう捉えるのかはお任せします。ただ、その人のコメント(ネットではコメントの一つ一つが、その人の人格とも言えますので)をちゃんと見極め、個人の意見、主張というものを尊重していく姿勢。

それさえあれば、立ち位置をどう捉えられていようとも、こうした問題は起きないものかと思います。
まーあさん

自分で立ち位置がわからないって言っているんですよね?
本当にわからないのなら
せめて謙虚に受け止めるっていうことはしないのですか?
そういうところが上から目線って言うんですよ。


>「『私はサヨクです』 と言わなきゃ、僕は納得しない」 

そういうことです。
認めましょう。




ぷらさん

これでも尊重しているつもりなんですよ。
ぷらさん

追加

立ち位置がわからないっていっていて
率直にサヨクだって指摘したら
私は違うサヨクじゃない。

それでどうしてなのか説明をしてください。って言えば

ただ単に私は違うっていうだけ
まーあさんは。

違うのならどういうことなのか説明してほしいですね。
僕がまーあさんの説明で納得できなければサヨクっていうことを撤回しますけど・・・

僕や火山をマイミク切りをしたわけですからね。意味がないとかいって・・・。
これはサヨクの行動の典型的パターンの一つです。

もう話し合いはしない。っていって逃げるのサヨクのパターンの一つですね。

> こいとさん

人は様々な世界観を持っています。

ま-あさんと私の世界観も違います。護憲派と言われるコミュの参加者もそれぞれに異なった世界観をお持ちです。

それは改憲派と呼ばれる参加者の皆さんにしても同じことでしょう。こいとさんと風林火山さんが全く同じ世界観というわけではないはずです。

私たちはそれぞれの世界観に基づいて考え主張します。ですから、護憲派だからといって関連する議論で何もかも同じ主張をするわけでもありませんし、改憲派も同様でしょう。

左派・左翼・サヨク・リベラル、その呼称の違いも定義も私には正確な所が分かりませんが、そうした「立ち位置」というものがそんなに重要なのでしょうか?

前にも述べましたが、私は自分がサヨクとかリベラルと呼ばれることを問題にはしません。どのように呼ばれようが、自分の主張を正確に読み取っていただけるのならば問題は無いのですから。

ただ、仮に私に「サヨクだと認めろ」とおっしゃられるのならば、では「サヨクって何なのですか?」と聞かざるをえません。

もしも、議論において出て来るであろう全ての返答において、そうした規定がなされるのであれば、ありとあらゆる議題についてどう答えるのがサヨクであるという定義が必要です。

そんなことをすることが、本当に重要なのでしょうか?

コメントの一つ一つでの主張、それを持ってま-あさんという人物を見ることでは、何か足りないものがあるのでしょうか?
ぷらさん

サヨクの定義というか特徴をまとめたものがあるのでこれを参照してください。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=57317167&comm_id=1278354&page=all

ここの4、7、8のコメントです。

サヨク 左派、の特徴は

1. 日教組の歴史観に痛く共感してしまう人々

 これが最大の見分けでしょう。 一番簡単なのは国定教科書のない自由な日本の教科書市場の中で、あまりに日教組史観の教科書が多く、日本が悪いといった自虐史観の近代史が多かった中、「新しい歴史教科書」が保守系の専門家から出され、別に教科書としてはなんら問題がないので通った。

 日本は思想言論の自由が保障されている国であり、国定教科書といった国家が一方的に押し付ける教科書はない。

 にもかかわらずこれに目くじらを立てる日教組をはじめとする人々、市民団体が異常なボイコット運動に出た。

 新しい歴史教科書に反対する人々、これがまずサヨクといわれる人々。

 何故なら、それまでの日本原罪説満載の歴史認識を進行しているからに他ならない。 これはもはや 「宗教」のレベルである事を知らなければならない。

サヨクであるかどうかは 日教組史観を聞いて 気持ちいいかどうかで
だいたい決定する。

 それが宗教の教えにあたるものだからだ。

 ゆえに、言論の自由のある日本であっても、戦前の日本の立場に理解を示そうとする人々を平気で裁くようになる。これは新興宗教の世界に良く見られる
光景と同じなのだ。

 「9条があったから日本は平和だった」 などという教えは

 「信じるものは救われる」

 という陳腐な新興宗教と同じレベルの思想だ。

続く
実際には、護憲の旗手として期待した、旧社会党を基礎とする民主党と
社民党といった、極左政権になって、それがいかに洗脳の賜物であったか、
と言う事が証明されつつあると言う事だ。


 憲法9条を護憲するには 安全保障も含めて 極めて優秀な官僚と政治家による、高度な外交戦術、戦略が必要なのだ。

 そうでなければ あの法律を護憲できない。

 私は右派ではあるが、ここでは 護憲することを前提とした話にする。

 サヨクの皆さん。 9条を護憲するのであれば、やたら簡単に日米安保
体制にヒビを入れるようなことをしないで頂きたい。

 普天間基地問題は、あの基地だけの問題ではない。あの基地の存在意義
そのものに様々な意見があるのは解るが、14年もかけて交渉し、一応
国家間で決着した問題なのだ。

 それをひっくり返すと言う事は安保そのもににヒビを入れることになる。

 沖縄の住民の意志はじゅうようではあるが 国家レベルの安全保障の話を
地方の選挙で左右してしまって良い訳がない。

 であるならば、米軍が引いた後、 日本は独自で北朝鮮中国と渡り合わねば
ならず、その未来図の中で護憲を貫くことが出来る自信があるのかと聞きたい。

 私達国民をその9条護憲という新興宗教に入信させるのはやめていただきたい。

 それが正しい教えだと信じているのは結構だが、巻き込まないで頂きたい。

 憲法はその時代その時代の社会変化に応じて柔軟性を持ってよいもののはずだ。

 中国の歴史認識にひたすら媚をうってきた日本の日教組とそれに心酔する教育者によって、完全なる証拠もない事件の数々まで「本当」にされてきてしまった。

 いまの中国の反日運動を見よ、あれはあなた方が煽って許してきた行動でもあるのだ。反日日本人による、日中合作の宣伝効果ここに極まれりだ。

 拿捕した船長の証言「ピストルを突きつけられ、机をバンバン叩いて 殺すぞと脅された」 これが数十年後には真実にされてしまう。

 センセーショナルなだけにサヨクが火のないところに煙は立たない論を作り上げ、状況的にはありえるとし、中国様に上申する。ついには船長は拷問を受けた事にまでなるだろう。

 いい加減、かの国が自国に都合の良い歴史観しか観ず、捏造すらする国である事に気がついて欲しい。

日本国憲法の前文に・・・・

人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した


 とあるが 現在の中国 韓国 北朝鮮 ロシア にそれを見出せるか、
と言う話だ。 

 安全の保持を 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と、外に求めている時点で正直国として終わっているが(GHQ統治下の憲法なので仕方がないが)、性善説を信じるのもいいかげんにしたほうがいい。

 中国の横暴など、上記には反するのであるから、この憲法は適用外と判断しても良いと考える。

 さて、ここでは9条を護憲していくには、の意見を

理想ではなく現実的な問題として話していきたい。

 9条教に狂信している人々の間では 新興宗教と同じように囲い込みに入り

   「放置しておきましょう」
 

    「みない みない」


    「スルー スルー」


というのが 常道だ。 宗教とまったく同じだから 
真実から目をそらさせたい。

 こういう事を言う人はだいたいもはや狂信者と断じていい。

  私達は悪魔扱いである。

そして洗脳から目が覚めないようにし続ける。

そういう 妄信 狂信の類からは抜け出て、 現実問題 日本の安全保障を
どうするのかという意見を聞きたい。

以上。

あと追加するなら

やはり自分の意見が通らなくなるとすぐ逃げる。

マイミク切りをする。ひどい場合はアクセス拒否をする(まーあさんはしていませんが・・・。)

話し合いをするのが意味がないからしないっていうことでしょうかね・・・。


僕が言いたいことは、

まーあさんがサヨクであると指摘した以上
それをただ単に否定するんじゃんなくて
ある程度受け止めてほしいと思っています。

それがお互いに尊重することではないのでしょうか?

違いますかね?



> こいとさん

No.60 No.61に引用されているものが、こいとさんの考えられるサヨクの定義であるならば、ま-あさんが否定されるのもしょうがないと私には思えます。これについては、ここでこれまで話し合ってきた内容で理解されているとは思いますが。


これまで述べてきたことをもう一度お考えいただきたいとも思います。

ま-あさんは、自分がサヨクであるのか否かの問いに問題意識を持っておられません。そのようなものに捉われる事自体がナンセンスだと思っていらっしゃいます。

こいとさんがそこに拘りを持たれるのも自由なのですが、そのことによってま-あさんご自身が主張されていることを曲げて解釈されたり、考えとは異なる内容でコメントされることを不満に思っていらっしゃる。

つまり「ま-あさんがサヨクであるのか否か」という議論について、「そんな議論に意味は無い」という、ま-あさんの意見と、「その議論に意味がある」という、こいとさんの意見があるわけです。

そのことと、ま-あさんが「主張されていることを曲げて解釈されたり、考えとは異なる内容でコメントされることを不満に思っている」こととは、全く別の問題であろうと私は思いますが、如何でしょうか?
ぷらさん

別に曲げているつもりはありません。
そのように見えるだけなんです。

それに

>No.60 No.61に引用されているものが、こいとさんの考えられるサヨクの定義であるならば、ま-あさんが否定されるのもしょうがないと私には思えます。

これはどうしてでしょうか?

まーあさんはどちらかという日教組史観だと思われますが・・・。
南京大虐殺肯定派ですし
慰安婦の軍の強制も肯定されている。

否定する理由がわかりません。
> こいとさん

たとえば下記のような記述。

(No.60 こいとさん  本トピNo.4 風林火山さん より引用)

> 日教組の歴史観に痛く共感してしまう人々

> 日本原罪説満載の歴史認識を進行しているからに他ならない。

> サヨクであるかどうかは 日教組史観を聞いて 気持ちいいかどうかでだいたい決定する。


これまで話してきたことで、こういった誤解についての理解が得られたと感じたのは、私の間違いだったのでしょうか?


また、下記のような箇所。

(No.61 こいとさん  本トピNo.7,8 風林火山さん より引用)

> 「放置しておきましょう」 「みない みない」 「スルー スルー」

> 宗教とまったく同じだから真実から目をそらさせたい。

> 私達は悪魔扱いである。


ま-あさんは、これまで長い期間に渡って、こいとさんとコメントを交わして来られたのではないでしょうか? マイミクにもなられ、実際にお会いになったことも、あったのでしょう。その中で、上記のような扱いをされてきましたか? よくお考えください。
ぷらさん

> 日教組の歴史観に痛く共感してしまう人々

> 日本原罪説満載の歴史認識を進行しているからに他ならない。

> サヨクであるかどうかは 日教組史観を聞いて 気持ちいいかどうかでだいたい決定する。


まーあさんの歴史観そのものだと理解しています。
だから否定するのがなぜなのか全くわからないです。


> 「放置しておきましょう」 「みない みない」 「スルー スルー」

> 宗教とまったく同じだから真実から目をそらさせたい。


このコメントも同様ですね。
日本以外の国の罪は全く見ていないようです。

但し

> 私達は悪魔扱いである。

こういうことはまーあさんはしていませんね。


おはようございます。風林火山です。

あのう・・・私の向こうでのコメントが引用されてる部分に対して、ぷらさんからこいとに対して教導されていることは 私に言われてるみたいで

微妙にバツが悪いのでこのコメントだけはさんでまた退散しますー。

サヨク、左翼の定義は 上記の通りです。 ポルコさんに日教組なんて、と
言われましたが、

戦後一定期間左翼全盛の時代があったことは事実です。

教育界もそれに巻き込まれていました。戦前を肯定する人なんか見たことありません。せいぜいいまでは正体がばれている街宣ウヨク(中身は在日と同和出身の者ばかり)程度でした。

ある一定の年数がたった現在だからこそ冷静に分析できるだけです。それでもメディアを初めとして基本的には左翼です。メディアの外国人株主率が20パーセントを超えているのもその要因でしょう。

少しでも保守的な報道は控え、左翼的な報道を大げさに報道する。沖縄数百人デモは何度も報道し、六本木の6千人を越える大規模デモは数秒しか報道しないところを観ても納得がいきます。

私は左翼を戦後教育の洗脳が解けない人々だと定義していますが、これは私の一意見です。言い切っていますが、あくまでも一意見であり、他の皆さんがそう思っていないのであれば別に強制力を持つものでもなんでもありません。

ぷらさんやまーあさんに「認めろ」と言わせる強制力も、権利もなんもありません。ですから上記の流れに関してはこいとが間違っていると思います。

私はあくまでも相手にサヨク思想にまみれていますね、と指摘はしますが、本人がそれを認めるかどうかまで強制しようなどとは思っていません。

ただ、立ち位置があきらかに左翼教育側においていると主観的に思うからそう指摘しながら議論を進めているだけです。

何故ならよってたつ思想の立ち位置が明確であるほうが議論は面白いし理解が早いからです。

微妙ながらこいととはやや考え方が違います。ただ、こいとと私は明らかに右翼保守と呼ばれる側に属します。私達は明確に自分の立ち位置を認識しています。
その中でも勿論細かく思想は歧れるわけですが、大枠では、という意味です。

ここを明確にして自由に発言しているわけです。左翼を悪者だ、と書いているわけではありません。何故なら日本は思想言論の自由が保障された国であるからです。
それを強調していながら、右翼的な発言に謝意を持つべきだと言ったりしたのが
まーあさんだったので、私は激突したまでです。(謝意だったのか反省だったのかまひとつ思い出せませんが)。 これは直接的な言葉でないにせよ、右翼のレッテルを貼って発言を封じさせる人達と同じです。これならばはっきり左翼だと言えよ、と言うこいとのほうがまだ清々しいものを感じます。
ここから激突し、まーあさんとはマイミクを存続できなくなりましたが、それはそれで仕方がないことです。ただ、議論もしないとか言われてしまうと少々頑固すぎやしないかとは思ってしまいますが。

私の友人にはリベラルが多い。私は友人達と日本ではあえてタブーとされる政治の話もします。激突もするし、飲みながら喧嘩腰にもなる。しかし、それで友情がなくなったことはない。互いに認め合っている部分があるからです。彼らは自分達をリベラルであるといいますし、誇りを持っています。右翼といわれるよりもリベラルと言われたほうが知的だと言われてしまいます(^_^;)

できればあちらのコミュではそれを実現したい、と考えています。

以上が、上で私のコメントが引用された部分についての私の見解です。

こちらは可能な限りまーあさんぷらさんこいとくんでやりあってすこしでも和解してください。

私はほとんど向こうのコミュに居ますので。でわでわ。
もちろんサヨクだと認めろという強制力はありません。

それは言いすぎだと思いますが、

ただ全否定ではなくて少しは認めたら如何ですかって言ったままでです。

立ち位置を知る事は重要じゃないという言いかたをまーあさんやぷらさんはおしゃっていますが
やはり様々な物事って、自分の今まで学んできた価値観や人生観等を通してどうしても見てしまう一面は否定できませんからある程度個々人において立ち位置を認識することは重要だと思います。
だからこそ議論するのでは?
もし、本当に右も左も関係ないのなら議論することすら必要なくなるのでは?
議論しなくても分かり合えるのでは?
でもそういうわけにはいきませんよね?
仲裁人として述べることはもうないように思いますので、最後にまとめておきます。

ここでの話し合いの流れは以下のようなものでした。

----------------------------------------------------------
ま-あさん(1)

「トピックでの自分のコメントを捻じ曲げて解釈されたり、そうした解釈に基づいてコメントを返されたりすることに不満を感じている」

   ↓

こいとさん(1)

「ま-あさんのコメントを捻じ曲げて解釈しているつもりはない」
----------------------------------------------------------
こいとさん(2)

「自分の立ち位置を知ることが重要だと思っているので、ま-あさんには自分がサヨクであることを認めてほしい。あるいは否定するなら説明してほしい」

   ↓

ま-あさん(2)

「議論においてサヨクであるのかどうかは関係ないし、サヨクだと認める必要性を感じない。右や左という考え方そのものがナンセンスなので、説明する必要性も感じない」
----------------------------------------------------------

以上のやり取りをまとめると、以下の2つの争点があると言えるでしょう。

A. ま-あさん(1) → こいとさん(1)

B. こいとさん(2) → ま-あさん(2)

A.でのポイントは、

A-1. こいとさんがま-あさんのコメントを捻じ曲げて解釈したり、あるいは捻じ曲げた解釈に基づいてコメントをされているのかどうかという点。

B.でのポイントは、

B-1. 右や左といった立ち位置の違いを知ることが重要なのかどうかという点。

B-2. こいとさんがま-あさんに「サヨクである」と指摘したのだから、それを認めるか、否定するな説明をするべきかどうかという点。

に集約されると思います。


B-2については、No.68においての「強制力はありません」というこいとさんのコメントにて結論付けられたものと考えられます。

また、B-1については、すでにお互いの価値観の相違について述べてきたわけですから、紛争処理トピックでのこの先の以上の議論は不要と考えます。

残る課題は、A-1のみとなりますが、これについても「曲げている」「曲げているつもりはない」とのやりとりに終始しておりますので、これ以上のやり取りは不要かと考えるところです。


和解に至るところまでには至りませんでしたが、問題点については整理されたと思います。こうした点について今後のコミュでの議論、コメント等に生かして頂ければ、今回のような問題も時間をかけて解決していけることかと思います。

おつかれさまでした。
ぷらさん

この様な事でお時間、労力を頂き大変申し訳ありませんでした。

また、問題点の整理、解説、提案等にご尽力頂けました事を、
心よりお礼申し上げます。

ありがとうございました。

ぷらさん

本当にお疲れ様でした。
そしてありがとうございました。
おっと 終ったんですか?

なんか玉虫色っぽい感じで無理やり終らせた感が否めないっすね。

僕は巻き込まれた感があるので 一度紛争トピを抜けますね。

読んじゃうといろいろ言いたくなるし。

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