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黒澤明監督「赤ひげ」コミュのいいとこ好きなとこ

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本作は、世界に誇れる素晴らしい名作だと思います。

ということで、この素晴らしい作品のいいとこ好きなとこを
思いつくままになんでもかんでも挙げていただきたいと思います。

コメント(24)

本作は、世界に誇れる素晴らしい名作だと思います。

ということで、この素晴らしい作品のいいとこ好きなとこを
思いつくままになんでもかんでも挙げていただきたいと思います。


この映画で私が好きなのは、
まずは映画の冒頭に出てくる小石川養生所のセットです。

これは門構えも堂々としてるし立派ですね。
そんで内部の造りもシッカリしてる。
廊下なんかかなり磨き込まれててピッカピカですよね。

ピッカピカと言えば、後半部分でたくさん映る薬だんすもスゴい。
照明を直にあてられてものスゴくキレイに光ってる。
そして素材の質感もちゃんと感じられますね。
でもって、この薬だんすは一度も開けられることはなかったのに
(全部じゃなかったそうだけど)薬箱にちゃんと
薬が入れられてたんですよね。

これはスタッフが、少しでもいい作品が出来るように
頑張ってセットを作っていることを
端的に示してるいい例だと思います。

あと、個人的には途中に出てくる手術台も素晴らしいと思います。

手術台ってのは、本来はあぁいう感じじゃないんですよね。
油紙を敷いて床でやってたわけですよね。
でも史実通りだと画的に面白くないから、
あんな感じで立って作業を行なうような形にしたんですよね。

だからこのシーンの最初で主人公が手術室に入ってくるカットは
下から撮ったアオリの画面になってますけど、
これは立った状態じゃなかったらあんな映像は撮れないし、
あの迫力は出ないですよね。

んで、この映画のあとに作られたドラマなんか見ると
みんなこれをなんの疑いもなくこれとおんなじことをやってますね。
特に萬屋金之助&田原俊彦版では、原作小説の部分をずいぶん出して
黒澤版との違いを出そうとしてたようですが、
でもこの手術シーンは画面構成を映画のまんまマネしてましたね。

ところが、このテレビ版を作ったスタッフは
黒澤サンの演出意図が分かってないから
小手先でマネしてるだけでしたよね。
比べて見ればその違い(特に主人公のそのときの気分)が
ハッキリ分かりますよね。

でも、ついついマネしたくなってしまうくらい、
この映画は素晴らしいってことなんでしょうね。

ってことで、セットが素晴らしい!
>ひまわりサン
音楽も素晴らしいですよね〜!

ってことで、ここはこの映画のいいとろ好きなとこを
なんでもかんでも挙げてしまおうってトピックなので、
他にもなんか(個人的なことでも些細なことでも)教えてくださいね〜。

ってことで、私は保本役の加山雄三サンが素晴らしいと思いました。
加山サンはこの映画の三年前に、同じ黒澤映画の
『椿三十郎』
にも出てましたけど、このときとは顔つきが全然違いますよね。
目付きも眉毛もキリっとしてるし、口もキュっと閉まってる。

何年か前に女のコの友達にこの映画を見てもらったとき、
彼女が一番驚いてたのは、加山サンのカッコ良さでした。
先日お約束したように、いま調べていることがあるんです。

赤ひげを見て衝撃的なのは手術のシーンなんですね。
とくに医師になってからはなおさらそうなりました。
あの患者は女人足で事故により腹部に裂創を生じてます。「いかんはらわたがでてきた。半太夫押し込め」というセリフにすさまじい状況が伺われます。

あの手術台のシーンがあおりになっているのは、いくら白黒だといっても画面を汚さないという意図がある。そして突っ張っていた保本があまりの凄惨さに気を失うのは、あまりの血の量に苦しみ悶える患者の姿にどう対応していいのか分からず、立ち尽くすしかない自分への恐怖が見事に描かれているんですね。

そして若い女人足というのがミソで豊満な乳房も開脚されてむき出しになっている女陰も童貞の彼にはすべてが衝撃であるという二重の構造なんですよね。

それにしても女人足の外傷には土やどろも付いていたでしょうから、多くの縫合例では土壌菌により感染を生じてミゼラブルな結末となったであろうことは想像に難くない。

大変な挑戦であり労苦であったと感心します。

資料によれば小石川養生所では施薬により恢復の見込みが立たない患者は退所させたとありますから六助のような患者が臨終まで入所できたかはあやふやですが、それでは映画になりません。

あの薬箪笥を背にして三人が並列に調剤しながら話をしているパン・フォーカスはボクの一番好きなカットです。

音楽もいいですね。佐藤勝の担当する作品の予告編でよく流用されました。今井正の『海軍特別年少兵』の予告編のなかで延々と流れます。

演出の技術的分析はキャベタローさんにお願いして、非力な管理人としては、どなたも書かれてないことを少しでも目指しますね。
~ヽ('ー`)ノ~
キャベタロウさんでした!

当直の夜に携帯でチマチマ打ってるから、こんなことなる!

お詫びして発表を発想に代えさせていただきます。
σ(^◇^;)。。。
>北京波サン
>あの手術台のシーンがあおりになっているのは、
>いくら白黒だといっても画面を汚さないという意図がある

ということですが、確かにそういう配慮もあるとは思いますが、
でもそれは床に寝かせた場合でも
そういうグロい部分を写さない方法は他にもあるわけですから、
それが目的であのような手術台を設定したというより、
やはり画的な面白さ、あとは演出のし易さを考えた上でのものだと
私は思います(実際この映画でもほんのちょっとだけだけど
傷口を見せてますし)。
このことは美術の村木サンもインタビューで
「画的に面白くないからあぁした」
的なことをおっしゃってますね。

まぁここは好きなことを挙げるトピックだから
あんまし演出のことをゴチャゴチャ言うのもどうかとは
思いますが、

ここでは手術室に入ってきた保本が
手伝いを命じられて最初はちょっと躊躇しますが、
意を決した彼は身支度をして、
患者の足を縛ってるヒモの下をくぐって
シッカリと向き合いますよね。

この、下にくぐって上に顔を出すってところに、
彼のこの場面での決意が表れてると思うんですよね。

でもこれがもし患者が床に寝かされてたら
こういう見せ方は難しいですよね。

あと、赤ひげ先生と森が作業を行ってる向こうで主人公が顔を出し、
患者と向き合うっていうのも同じですよね。
立ってるからこそこういうやり方が容易に出来るわけで、
同時に素晴らしい演出も施せるんですよね。

>そして突っ張っていた保本があまりの凄惨さに気を失うのは、
>あまりの血の量に苦しみ悶える患者の姿に
>どう対応していいのか分からず、
>立ち尽くすしかない自分への恐怖が見事に描かれているんですね

っていうのも、立ってるからこそより一層
それを強調出来るわけですよね。

で、これは前でも言いましたけど、
この見せ方は萬屋&田原のドラマ版でも同じことを
やってるんですよね。
でも、そっちの方は今一つ北京波サンが説明してることが
伝わってこない。
これはなんでかっていうと、ドラマの方は普通に撮ってるからですね。

普通に撮ってるっていうのはどういうことかというと、
赤ひげ先生と森の間に主人公が入った場合、
これを上から見ると
患者のお腹のあたりに赤ひげ&森がいて、
患者の股にあたりに主人公が立つってことになりますよね。

で、これを、患者の頭の方から撮ると、
まずは患者の頭部が一番大きく見える。
その次は患者の胸、次は二人の医者、
そして、一番奥に主人公が見える
って感じになるわけですよね。

でもこれを、普通の撮り方で見せると
「あまりの血の量に苦しみ悶える患者の姿」
が、主人公のすぐ近くにある感じがあまりしないので、
その分、主人公の気持ちが分かりづらくなるんですよね。

一方、映画の方は望遠で撮ってる。
だから画面の前後がギュっと凝縮されて、
本来だったら画面の奥にいるはずの主人公が、
ここでは傷口のすぐ近くにいるように見えるんで
余計に主人公のそのときの気持ちが観客に伝わりやすいんですよね。

んで、このシーンでは最後に主人公は気を失って
倒れるわけですが、
ここも、立ってるところから下に座るっていう、
「画面上の動き」がそれをより一層強調してるわけですよね。

さらにこの場面では、
立ってるときは近くに窓もあって明るいんですが
でも低いところでは光があんまりないし、
手術台の影もあってより暗くなってるんですよね。

だから気を失う主人公の感覚がより分かりやすいようになってる。

そういう、明るさでの表現っていうのも、
手術台を高い位置に設定したからこそ出来たのではないでしょうか。

仮に患者が床に寝かされていた場合、こういう描き方をしても
あまり効果はなかったかもしれません。
それはなんでかっていうと、
その場合は保本も座ってるか中腰だろうから、
そういう低い位置から下に倒れても
画面上の明るさはあまり変わらないだろうと
思えるからです。

それに座ってるか中腰の場合、倒れるときは
バターン!って感じで動きが速くなると思われますが、
この映画では後ろの壁に体をもたれて
ズズ ズ〜っ・・・って割合ゆっくり落ちるんですよね。
だから主人公の位置や光の変化も判りやすいわけですね。

ということで私としては、
「画面を汚さないという意図」ということよりも、
画的により効果的に、より面白く見せるためだったのはないか
と思うのでした。


>資料によれば小石川養生所では施薬により
>恢復の見込みが立たない患者は退所させたとありますから
>六助のような患者が臨終まで入所できたかはあやふやですが、
>それでは映画になりません

ってことですが、
そのエピソードはまぁ原作に書かれてて、
その原作を元にして映画を作ってるわけですから
なんら違和感はないですよね。

それを言うのであれば、
大抵の時代劇の侍の日常の描き方もおかしくなるわけですよね。

ちなみに、
『七人の侍』
ってのは、最初はある侍の一日を描くっていうところから
始まったそうですが、でも実際に調べてみたら
侍の日常の資料っていうのはあんまりなくて
結局は分からなかったそうですね。
で、その調べてる途中で、
当時の農民は野武士から村を守るために侍を雇っていたことがある
ということが分かって、
それをヒントにしてあの映画が出来たんですよね。


>あの薬箪笥を背にして三人が並列に調剤しながら話をしている
>パン・フォーカスはボクの一番好きなカットです

「あの薬箪笥を背にして三人が並列に調剤しながら話をしている」
ってありましたっけ?

あと、薬だんすが出てくる場面って
焦点を全ての被写体に合わせるという画面
(私は専門用語や難しい言葉を使うのが苦手なので
あえてそういう言い方を避けます(笑))
ってそんなに強調されてましたっけ?

ちなみに私的にそういう場面で言うと、
狂女のいる牢の近くで主人公とお杉が話すシーンが
メチャクチャ素晴らしいと思います。

あの、寝そべってる主人公と、
座ってるお杉が横に並んで映ってる画面では
二人の間に木が一本立ってますよね。
これは浮世絵みたいな素晴らしい画面構成だと思います。
画家志望だった黒澤サンならではの美的センスですよね。


ってことで最後に些細なことなんですが、

>キャベタロウさんでした!

っていうのは、私的には
却ってそっちの方がいいんじゃないかって
今思ってるんですよね(笑)。
だから変えようかどうしようか、今思案中であります。
そっちの方がシックリくるような気がする。
「いいとこ」とか「好きなとこ」とかいった、プラスイメージとはちょっとズレるかもしれませんが…、
私がずーっとスゲ〜と思い続けているのは、

保本が始めて養生所に来た時にのぞいた待合室。
「果物のすえたようなにおいが…うんぬん…」のところで、
あの役者達というか、あの衣装というか、メイクというか、撮影というか、・・・
んもう、本当に「貧困」が滲み出ているあの光景。
実ににおいまで伝わってくるあの映像。
ホンマに役者か?といつも思わされます…。

こういう貧しい庶民のありのまま、のような映像、黒澤映画にはけっこうありますよね?
『七人〜』でも、戦の前日に「今晩はかーちゃんをゆっくりかわいがってやれ」と言った後の、あの歯の欠けたかーちゃんたちの屈託のない笑顔。あれ、役者とは思えないぐらいスゴイ。

私が『赤ひげ』を好きだな〜と思うのには、こういう日常のフツーの姿の描き方のすばらしさというのもあります。
こういうのがないと、他も何もかも引き立たない。
観客をその世界に引きずり込むための重要な部分だと思ってます。

いやはや、感動モノです、アタクシには…。
あ、一番最初の書き込みの冒頭は
余計な文がありますね(笑)。

ホントは削除したいけど順番がヘンになるからいいか。

ということで、どうもすんませんです。


>ひまわりサン
あの待合室の病人の描写は
「いいとこ」ってことになるんじゃないですかね。

この場面ではひまわりサンがおっしゃってるように、
まずは衣装とかメイクがいいですよね。
んで、あとはそういう衣装を着てそういうメイクを施した俳優の
見せ方がまたいいなぁ、と個人的には思います。

普通、病人を描く場合って
過剰にゼェハァ言わせたりゴホゴホ咳させたり
額に手を当てて熱の具合をみたりっていうやり方をしますけど
(仮に私が演出してもおそらくそんな感じになると思います)、
でもこの映画では、アップで映る病人達は
殆ど動かないでジっとしてますよね。
でもって、首をうなだれてる。
こういう感じの方が実はリアルに見えるんですよね。

そして、最も効果的なのは陰影を活かす照明だと思います。

例えば人間の手の甲っていうのは
正面から光をあてると普通に見えますけど、
でも斜めからあてるとスゴくボコボコしてるように見えて、
それが病的な感じがするんですよね。
このシーンでは特にそういう部分を強調してるような気がします
(ちなみに上の絵はちょっくら自分で描いてみたんですが、
この映像の真ん中にいる人なんか特に影を活かしてますよね)。


あと役者の自然な演技ってことですが、
これは黒澤サンはずっとそういう部分を
重要視してましたよね。

私的には
『隠し砦の三悪人』
で、主人公達が宿場町に着いた場面で、
宿の中で博打を打ってる人達のものスゴく自然な感じが
スゴく印象に残っています。

黒澤サンは異常なくらい技巧的な監督だと思いますが、
でも監督自身は
「まずは写す被写体をちゃんと作ることだ」
ってインタビューで言ってますよね。

だからまずはリハーサル等で俳優をみっちりと鍛えて、
そんで、ちゃんと出来上がったのちに撮るんですよね。

仮に中途半端な状態でやったとしたら、
おそらく技巧が見えてしまって
あざとい感じになるのではないでしょうか。

『椿三十郎』
なんかを見ると分かりますけど、
ある場面では俳優は10センチ範囲内での動きを
強いられたりするんですよね。
普通にそういうことをしたら
その大変さが画面に出てしまうと思いますが、
でも黒澤サンの場合は撮る前に被写体をちゃんと作ってるので
みんな(一見)自然な感じに見えるんですよね。

でも
『七人の侍』
での、あのおばちゃん達は
そういう感じではなかったと思いますが(笑)。
あれはそのまんまって感じでしたよね。
そういう部分を上手く映画に取り入れて活かすっていうのも
黒澤サンの素晴らしさだと思います。

んで、そうやって自然な感じを目指してた黒澤サンは
『トラトラトラ!』
において、素人を抜擢して
重要な役をやらせようとしたわけですよね。

で、それが挫折したあとは、
今度は
『影武者』
で大々的なオーディションを行って
有名なプロ以外の人を起用したんですよね。

つーことで、黒澤映画ってのは
トコトンまで被写体を作り上げて、
それを技巧を凝らして自然に見せてるんだと思います。
キャベタロウさん、
いつもご丁寧なレスポンス、ありがとうございます。
またしても、「う〜む、納得」でごじゃります。
(なんとな〜く感じてることを説明されると、「ほぉ〜」ってなるんですよ、私、単純なんで…。)

ところで、『影武者』のオーディションの話、そう、そう、そうなんだよね〜、って…、思い出しました。
そうです、そうです、『影武者』は…。

ああ、それにつけても『トラトラトラ!』は残念でした…。
黒澤の手垢のついた『トラ〜』を観たかった…。
>ひまわりサン
『影武者』
のオーディションは、その企画意図がとっても素晴らしいと思いました。

この映画では特に信長役の隆大介サン、家康役の油井昌由樹サン
が個人的にはホントに素晴らしいと思いましたねぇ。
隆サンは元々俳優サンだったわけですが、殆ど無名だったんですよね。
でも私的には『影武者』を見て以来、
「信長といったら隆大介」っていうイメージになってしまいました。
それほど素晴らしかった。

ちなみに竹丸役の油井孝太クン(今はもう「サン」ですね(笑))は
油井昌由樹サンの息子サンなんですよね。
子役がなかなか決まらなかったときに、現場に遊びに来てた彼を見て
監督が抜擢したんでしたっけ。

んで、
『トラトラトラ!』
はホントに惜しいことをしましたよねぇ。
でも惜しいということで言ったら、私的には
『影武者』の勝新です(笑)。
ああ、勝新。確かに!(忘れてた…)

そうそう、隆大介、あれはホントにエエ役者ですなぁ…。
『乱』もすばらしくカッコよかった。(ミーハー的すぎ?笑)

そっか、あの子役は油井さんの息子だったのね?
現場で見つけた子っていう逸話は聞いたことあるんですけど、まさかご子息とは知らなんだ…。ほぉ…。


そういえば、全然関係ないですけど、正月に衛生放送か何かで、
三船敏郎、勝新太郎、中村錦之助、石原裕次郎、浅丘ルリ子
が総出演の活劇&娯楽劇映画を見たんですが、タイトル忘れちゃった…。
なんだったかなあ…。
・・・[検索中]・・・
今調べました。
『待ち伏せ』(1970)でした。稲垣浩監督の遺作?!
いや、撮影やら脚本やらはそれほど大したことはないんですけどね、とにかく、こんだけの役者が一緒に出てる映画って、そうなかなか見られるもんじゃないな〜ぁと。一体ギャラだけでいくら使ったんだろ?って、勝手な想像してました。
ただ、立ち回りに関しては全員素晴らしかった。ひゃ〜〜、カッコいいっ!(ミーハー第二弾)

すみません、コミュともトピとも全然関係ないコト書いて。
いえね、誰かに話したかったんですけど、今まで話相手が見つからなかったものですから、ついつい、ここなら…と思って書いちゃいまいした。お許しを…(笑)
ひまわりさん、『待ち伏せ』楽しめましたか?
この映画はゴールデンウィーク作品で大作だったんですが今なお不名誉な記録を持っています。それは東北のある映画館でとうとう観客ゼロの報告がなされたことです。

あの頃スターたちの起こしたスター・プロがたくさんあり、あまり競演も目新しくなかったんですね。どの映画館も記録になりたくなくて招待券を切ったりして水増ししていたのですが、あまりの不入りに抗議の実数報告がなされたわけです。

あの頃の日本映画の小屋は本当にさびしかったものです。

ボクもいちばん残念なのは勝新で『影武者』が見られなかったことですね。当初言われた勝と若山でやるというアイデアが黒澤監督への畏敬の姿勢を示してまずは恭順な撮影が開始されていたなら…また幸福な展開もあったでしょうに。若山はお山の大将ですから仕方ないとしても、監督もやる勝には黒澤演出を体感して欲しかった!

『トラ・トラ・トラ』はダリル・F・ザナックの思い入れから成った企画です。権利関係のシビアなメジャーが一切合財ネガごと持ち帰ったはずですから、戦後60周年でDVD特典として出ないかと期待してましたが実現しません。
つぎは真珠湾攻撃70周年にあたる五年後ですか。三島の『憂国』だって出るんですから諦めはしません。
しかし早く出してもらわないとキャベタロウさんやひまわりさんは大丈夫でしょうが、こっちはこころもとないです。

『白痴』の完全版リリースとどちらが先でも、こっちがねぇ。

それと最後にどうにもならないことだけど、戦後最高の女優である高峰秀子との作品が実現しなかったこと…日本映画にとっての不幸のひとつだと思います。
>北京波さま
『待ち伏せ』はですね・・・、えーっと…。
正直言うと、あれらの役者でもった作品というのが実感。
ストーリーがメチャクチャ悪いわけでもないし、
撮影がメチャクチャ悪いわけでもないのですが、
なにかもう一つ足りない…って感じました。
だから、もし他の役者を使ってたら、もっと完成度の低い作品になっちゃったんじゃないかなぁ?・・・と。
脚本にいささか無駄な部分が多かったというのも感じたことであります。ふむ。
まあ、正月にみかん食べながら家族でだら〜っと見るには悪くない娯楽作品でしたけど…。
(でも、勝新が異常に光って見えました。はい。)

『トラ〜』のDVD…、う〜〜ん、一体、何がそんなに問題なのでしょうか?出せばいいのに…、と私は単純正直に思うわけなんですけど…。ま、いろいろあるんでしょうねぇ、いろいろ…。

あーーー、すご〜く良い邦画が観たくなってきたっ!!
何か、お勧めあります?
お気に入りだと悪いので『待ち伏せ』にはあまり触れませんでした。(*^_^*)
黒澤以外の作品をお薦めするのもなんですが清水宏の『有りがたうさん』浦山桐郎の『キューポラのある街』岡本喜八の『江分利満氏の優雅な生活』小林正樹の『この広い空のどこかに』熊井啓の『忍ぶ川』などはいつも見返している元気の素です。これらはTSUTAYAにあります。江分利満氏の優雅な生活はこの度DVDがリリースされます。

最近再評価が高い鈴木英夫は『その場所に女ありて』はぜひ見て頂きたいですがビデオなしです。

恩地日出夫の『めぐりあい』もこころのオアシスです。軟弱な男の言うことですから、お役に立てますかどうか…。

┐('〜`;)┌
こちらも軟弱な女。
観てみよっかな〜ん。
(キューポラは私も好きですっ!)

ご紹介、ありがとうございました*^^*
>ひまわりサン
隆大介サンは
『乱』
も良かったですよねぇ〜。
こっちはクールさに加え、優しさもあった。

でも彼は他で出ると今イチでしたね。
TVでも悪役とかけっこう多かったし、いい役をやってもあんまり光らない。

やっぱ三船サンもそうだったけど、使う側にちゃんとした実力がないと
素晴らしい素質を持ってても俳優は活かされませんね。

んで昔の映画の話ですが、私は
『待ち伏せ』
は見てないんですが、その前年に公開された、
同じ稲垣監督&三船プロの
『風林火山』
は名画座で何度か観ました。これは面白かった。

こっちは三船敏郎、中村錦之助、佐久間良子、石原裕次郎
って感じでしたけど、とにかく三船サンが良かった。
あ、あとこの作品では若い頃の田村正和サンが
猛々しい武将を演じてましたね。

やっぱり今見ても昔の俳優サンは
上手くていい演技をする人が多いですよね。

昔やってた堺マチャアキ版の
『西遊記』
って今埼玉なんかで再放送されてますけど、
やっぱりみんな演技が素晴らしい。
でも、今フジテレビでやってる香取版の西遊記は
どうも今イチ・・・(まぁ演出がダメってのもあるわけですが)。

一方、今昼間にフジテレビでリメイク版の
『白い巨塔』
を再放送してますけど、これはオリジナルと比べても
あまり遜色はないし、けっこういいんですよね。
それはなんでかっていうと、
やっぱりこっちは主役級の人がワンサカ出てくるからですよね。

普通だったら同じ画面に出てきて演技してるはずのない人達が
たくさん出てきて素晴らしい演技を見せてくれるのはホントに楽しい。

でも、逆にいうと今は主役クラスじゃないと
魅力的な演技を見せることが難しいってことですよね。

そういう意味では昔の映画なんかは
みんな味があって良かったように感じます。

『赤ひげ』では養生所の病人や賄いのおばちゃん達や
長屋の住人等々、みんな良かった
(三井弘次サンの酔っ払い役なんか最高ですよね)。

ちなみに私はこの映画では最初のキャスト紹介での

東野英治郎
志村喬
笠智衆
杉村春子
田中絹代

ってのを見て今だに「う〜ん・・・!」ってうなってしまいます。

この人達は余裕で主役か特別出演扱いみたいな感じがしますけど、
でもこの映画ではこの五人の名前がまとめて出てくるんですよね(笑)。
でもってこのあとも例えば西村晃、菅井きん
なんて俳優サンもゾロゾロ出てくる。
そしてそういう素晴らしい俳優サン達が脇をガッチリ固めてる。
こういうのは今の日本の映画やドラマではもう不可能でしょうね。
ものスゴくぜいたくだな〜って思います。


>北京波サン
『影武者』
は、最初オファーを受けた若山サンはすぐに断ったんですよね。
弟と黒澤サンが衝突したら巻き添えになるからって言って。
そういう意味では賢明だったな、って思います(笑)。

でも勝新も初の黒澤組ってことでかなり焦ってたんですよね。
だからビデオカメラを持ち込んで自分の演技をチェックしようとした。
それで黒澤サンとぶつかった。

まぁ監督と俳優がぶつかるっていうのは割とあることなんでしょうが、
この場合は両方がすでに超大物だったから
周りが誰も取り成せなかったわけですよね。
だから結局はそのままになった。

実に残念なことでした。
>キャベタロウさん 三船敏郎は黒澤に愛され憎み否定しようとして足掻いた人なんですね。岡本喜八作品にて狂人や弱い役がくると喜々として演じたらしいです。その彼が三船プロをつくり、『風林火山』に『上意討ち拝領妻始末』という傑作を誕生させたことは感嘆します。初公開のとき中1だったボクは稲垣浩のよさがわからず、1978年のリバイバルで真髄に感激し、五回見てみました。

あの由布姫の打ち掛けの裏地の真紅、旗さしものの色彩の鮮やかさ。和のいろなす色調の豊かさに参ったのです。

赤ひげの脇役に至るまでの超豪華キャストは空前にして絶後で、もはや日本にはこんな面構えの役者は壊滅しました。ロマン・ポランスキーの『オリバー・ツイスト』をみると、こんな顔した俳優がいくらでもいるなら撮れるわなぁ…って思いますよ。

キャベタロウさんが『待ち伏せ』ご覧になった日にゃ呆れてしまいますよ。

テレビじゃわからないけど、雪道での立ち回り…アスファルト道路です。

ボクはね黒澤監督が遺した芸術的にも作品的にも妥協しなかった粘りの産物である数々の名作を見る度に、その奇跡に感銘を受け、年ごとに敬慕の念が強くなってきます。『椿三十郎』からのすべてをリアルタイムに見られた幸運に感謝してます。

よくぞ完遂してくださった!という感激です。

しかしですね、そのときに頭によぎるのは〈一将功成って万骨枯る〉という言葉であります。

黒澤監督が頑張れば頑張るほど、その陰で泣かされた映画人があまりにもたくさんいることに心が痛むのです。

東宝でほとんどの作品で制作費が1〜2割カットされて上納されたといいますからね。

掛け持ちを許さないために、黒澤作品に東宝の看板だった池部良や森繁や小林桂樹〈椿一本だけですからね〉なんかがフル回転でプログラムピクチャー体制を維持したからですものね、

ボクはそういった報われることのない、日が差さない映画人への思いが払拭できないんですよ。

軟弱な、という所以のひとつです。
>北京波サン
三船サンが撮影してる時期に黒澤サンに対して腹を立て
酔っ払って夜中に黒澤邸に車で行って空砲をぶっ放しながら
「黒澤のバカヤローっ!」
って怒鳴ったってのは有名な話ですよね。

あと、なんのときの撮影かは知りませんが
(面子を考えると『二百三高地』かな)
三船サンが黒澤サンの悪口を言い出して、
同席してた仲代サンとケンカになって
丹波サンが止めたこともあるそうですね。

で、三船サンは『赤ひげ』以降黒澤作品に出ることは
なくなったわけですが、
でもだからといって二人が仲悪かったかというと
そういうもんでもなかったんですよね。

黒澤サンは、三船サンの初監督作品では主演の三船サンのアップを
もっと増やした方がいいとかアドバイスしたそうだし、
『風林火山』
も多少は関係してたか、予定はあったけど、
結局はダメだったか、ってことだったんですよね。

で、三船サンは
『デルスウザーラ』
のときはわざわざ撮影してるシベリアまで
陣中見舞いに行ったりしてるし、
『乱』
では「どんな役でもいいから出してくれ」
ってお願いしたけど、黒澤サン的には
「三船チャンに小さい役をやってもらうわけにはいかない」
ってことで結局三船サンの出演はなくなったんですよね。

んで、一部では三船敏郎という俳優は大根だ
という意見がありますよね。
私もある程度はその意見に賛成しています。
どの映画に出ても大体同じ演技ですしね。

でも、やっぱり黒澤映画での三船サンは全然違う。
どの作品も素晴らしい。
それはやっぱり監督の黒澤サンが三船サンの良さを
最大限に引き出してるからですよね。

それは三船サンも分かっていた。
でも黒澤サンの演出はキツかったから頭にも来た。

というような感じだったのではないでしょうか。


で、『風林火山』のことですが、
私は面白いとは思いましたが、
でも個人的には映画として良く出来てるかというと
あんまりそうでもないかな、と思いました。
時代劇で空撮するっていうのはどうかなぁ、とも思いましたし
(兵隊達をヘリで撮ってるなって分からせた時点で
時代劇ってのは一気にウソ臭くなりますよね)。

ということで私としてはあまり稲垣監督は評価してないんですね。
私はお話と、豪華なキャストがとにかくいいと思ったのでした。


んで、
>黒澤監督が頑張れば頑張るほど、
>その陰で泣かされた映画人が
>あまりにもたくさんいることに心が痛むのです

ということに関しては、まぁ良く分かるんですが、
でも映画っつーのは面白い作品を作ってなんぼだと思うし、
そういう意味では、作った作品のほとんどが高く評価されてる
黒澤サンの仕事には文句の付けようがないと私は思います。

そりゃまぁ我がままや、いわゆる「黒澤伝説」では
いき過ぎって部分もありますけど
(『影武者』のメイキングでの、武田の武将に対する叱責は
かなり可哀想だと思いました)、
でも程度こそ違え、そういうのはどこでもあることだと思います。

仮に、私が当時東宝で監督やスタッフで働いてたとしたら、
黒澤サンのやり方とか優遇のされ方には腹立ったと思いますけど、
でもやっぱり出来た映画を見たら文句は言えなかったと思います。
「じゃあオレはどんな作品撮ってんだ」って思うだろうし。

こないだ北野武監督がTVのインタビューで
「前々から黒澤映画はスゴいと思ってたけど、
でも自分が監督するようになって改めて見たら、
ホントにものスゴいと思った」
的なことを言ってましたね。

やっぱり同業者から見ても(というか同業者だから分かるような)
スゴいことをやってるんですよね。黒澤サンっていう方は。

で、黒澤サンがただ単にお金だけをかけて安穏とやってたら
それは批判の対象にもなると思いますが
(まぁそしたらあんな素晴らしい映画は撮れないと思いますが)、
でも黒澤サンの場合は、スタッフやキャストにも厳しかったけど、
でもまずは自分自身に対してホントに厳しかったんですよね。
だから目を痛めてサングラスが必需品になったわけだし、
『七人の侍』
では泥田にずっと立って指示してたから
足の指がダメになったんですよね。

他にも、例えばセットや小道具を磨くのも
監督は自らやってたそうですね(もちろん他の作業も)。
でもそういう作業はものスゴく地味だから
スタッフもコッソリ抜けていったそうですね。
で、最後に残ったのは監督だけだった
っていう話もありますよね。


黒澤サンは監督になる前、
助監督やっててものスゴく忙しくて疲れてるときでも
毎晩机に向かって脚本を書いてたそうですね。
同じ部屋で寝泊りしてた谷口千吉監督が寝た横で
ずっと書いてたそうですが。

だから黒澤サンはそうやって、自分自身がまず頑張って
少しでもいい映画を撮ろうと頑張ってたんですよね。

ということを踏まえた場合、
「報われることのない、日が差さない映画人」達は
果たして黒澤サンと同じような努力をしたんでしょうか?

もしちゃんとやってたとしたら、もうちょっと他の映画も
(予算の問題ではなく)いい出来になってたような気がしますし、
そういう人は黒澤サンと同じように
いい環境で仕事が出来たような気がします。
それでいい作品が出来なかったとしたら
それは才能がなかった、ということなのかもしれませんね。
キャベタロウさんのおっしゃっていること…以前のボクが考えていたことと寸分違いません。

作品がすべてですからね。

ただ年間110作品製作公開された年でも続映されたとしても3週間。その他の夥しい時間は他の映画人が埋めていたのです。
そのとき多くの埋草要員がやっぱり黒澤さんは違うやと唸ったことでしょう。

同業者なればこそね。

黒澤さんは唯一無比の作家ならばこそ、自分に厳しい作家だからこそ不滅の作品を遺したのですよ。

このコミュは赤ひげではありますが黒澤作品の集大成としての赤ひげである以上、他の作品にも触れたいし、あれほどに生命の輝き、生命への畏敬の念をこめて世界最高の映画を見た喜びを伝えたくて開いたものです。

その背後にあるものに話が及んだとしても赤ひげや黒澤さんに対していささかも貶めるものではありません。
むしろそこまで追い込む作家としての姿勢に表れる鬼と仏の形相に人間としての動揺も感じることを大切にしたいだけですから。

ボクは映画にいかに人間がえがかれているかが最も興味があるんです。キャベタロウさんの独壇場である演出術への観察や分析はいままで誰も著わしたことのないレベルで感服していますが、あなたのおっしゃったようにアプローチするだけでは凡人には感心するばかりで、フツーの観客がエモーショナルな部分へ進展させるには多大な知性を要求されるのではないかなぁ。
ボクはあなたの教えてくれることにびっくりしていると同時に、これがあまり頭を働かせていないようなファンにも伝わればなぁ…って思ったりするんですね。
なんか上手く言えないのでいったん終わらせますが、あなたもボクも黒澤さんに心酔している者同士なのに随分厳しいなぁ。それは人生そのものへのスタンスの違いなんですかね?

こっちは人生全肯定、スカスカのスカだからなぁ。

あなたの綿密な理論…雑談のなかに終わらせるのは黒澤研究の大打撃ですよ。なんとか論文にされてはどうですか?

ボク真っ先に買いますよ。署名をお願いしますね。

~ヽ('ー`)ノ~
>北京波サン
私は読解力に乏しいんで今一つ分からなかったんですが、

>あなたのおっしゃったようにアプローチするだけでは
>フツーの観客がエモーショナルな部分へ進展させるには
>多大な知性を要求されるのではないか

っていうのはもうちょっと簡単に言うと
どういうことなんでしょうか?
ホントにすんませんが、
私くらいのやつでも分かるくらいの程度で説明していただけると
大変ありがたいです。
それと、

>あなたも黒澤さんに心酔している者なのに随分厳しい

というのは、どこに対してどう厳しい
ってことなんでしょうね。
ちょっと自分的には分からないので
それについても教えていただけると嬉しいです。

ホントにどうもすいませんです。
キャベタロウさん、本当にすみません。
あなたのレスにきちんと返す余裕が今夜からのボクにはないんです。この2日間で完成せねばならないものがあるのです。

そもそもボクはこういう媒体で自分の考えを自分の文章で考えて発表することは出来ても、こういう会話というか、スタイルではやはりうまくできないんです。

できれば、お会いして、あなたの目をみながらお話したいです。なぜなら、文章を書くというのは旧人類のボクには長年やってきたスタイルなので責任はもてますが、この考えたことを会話のように自然にお伝えする技術に我ながら自信がありません。

論理的に、しかも肉声としての軟らかいニュアンスをもって伝えることが自分のやり方だと思います。

あなたのような人ときちんとお話したいという欲求が湧き起こって実は久しいのです。

この2つの問いかけに慌ててお応えしたとしても、自分の言いたいことが表現できるか?自信がありません。

ミクシイという媒体で交信するようになったのですが、つくづく、こういう内容のことを交わすには向いていないなぁと思えてなりません。

なぜなら、ここには文章化された言葉だけがことさらに響く感じがあるからです。ボクのような人間は、強い否定にも強い肯定にも、時には荒涼を感じてしまうからです。

あなたの書き込みに、あなたに他意はなくとも正論で、しかも力強い主張を感じた場合、自分の気がつかなかった部分での指摘であればあるほど、感心よりも萎縮が起こることがあるのです。

ミクシイはボクにとって見知らぬひととコミュニケーションできる息抜きの場です。そこに、自分が本来持っている誠意と友好の念だけでは対応できない緊張が生じると、それは楽しみや息抜きとはいえません。

少なくとも友人との対話には、それは生じないものでしょう。


>あなたも黒澤さんに心酔している者なのに随分厳しい
というのは、あなたの言葉のなかに黒澤さんの神髄を知り尽くしているからかもしれませんが、他の凡百たる映画や映画人、はたまた能のないテレビ・ドラマに対しての批判が厳しいなぁと思うことも関係しています。

たしかに予算も技術も能力も比較しようがないかもしれないですが、ボクはすくなくとも、それを生業としている人々に、そこまで厳しくはなれません。

映画は他人の作ったものを見せてもらっているのでしょ。ファンはお金は払っているだけで、製作にも、創作にも関わっちゃいないじゃないですか。

なにを言いたいのかニュアンスとして感じていただきたいと思います。たしかにボクの映画の見方は、当然のごとく貴方とは違うでしょう。

あっ、もう時間が来ました。なんか書けば書くほど、自分の考えていることと微妙に違ってきているような気がします。

いつの間にかコミュの登録者が増えたのは、貴方のお陰だと思います。ただ、参加者が、あなたの素晴らしい分析を読み、そうですよね!と気軽に書き込んできて、初めて、貴方の労作もより一層輝くのではないのかな、とロートルは思うのです。

だから、貴方は、雑談というレベルでなく、文章として、黒澤の演出術について著わしてもらいたいなぁと思うのです。

旧人類の慣れないオヤジでも、それなら理解できるのになぁと腹を明かしているのです。

ボクタチの書き込みは常に長くなるので、もはや携帯からでは読むことが叶いません。

携帯でしか読めない人々からの、苦情というよりお願いが寄せられたりすると、非力な管理人はまた胸が重くなります。

今日は半徹夜になるかもしれないのに、もう20分も書き込みしてしまいました。

それもあなたを認めているからですよ。僕はどんなことだって、気がつかないことを教えてくれる人は先生だと思ってます。

それでは、また。どうも、です。
>北京波サン
お忙しい中わざわざ応えていただいてありがとうございます。
どうもすいません。

んで、どういうことかよく分かりました。

が、私的にちょっと納得するのが難しいなぁ、
という部分もあったんですね。それは、

>映画は他人の作ったものを見せてもらっているのでしょ。
>ファンはお金は払っているだけで、
>製作にも、創作にも関わっちゃいないじゃないですか

って部分です。

上記のことは、それは確かにその通りなんですけれども、
でも北京波サンは、
食堂でマズいラーメン食ったときに文句言ったり、
自分が買ったCDを聴いたら歌や演奏がヘタだったときに文句言ったり、
自分が買った小説やマンガがつまんないときに文句言ったり
したことはありませんか?

もしそれをしたことがないとしたら
それはかなり珍しい方と言ってもいいのではないでしょうか。

上記のことは、これは全て自分が考えて作ったものじゃないですよね。
ってことは、

>映画は他人の作ったものを見せてもらっているのでしょ。
>ファンはお金は払っているだけで、
>製作にも、創作にも関わっちゃいないじゃないですか

ってのと同じだと思うんですがいかがでしょうか。

私は、世間でよく言われるところの
「頑張ったからいいじゃないか」
っていうのがどうも納得出来ないんですよね。
それは当事者的にはそれでいいのかもしれませんが、
でも、それを受け取る側としては単に頑張ったからいい
ってもんじゃないと思うんですよね。

しかも、上記の例も映画も、受け取る側としては
お金っていう対価を払ってるわけですよね。
それでつまんないものを出された場合、
これは文句を言ってはいけないのでしょうか。

よく、
「そんなに文句言うんだったら、じゃあお前がやってみろよ」
って言う人がいますが、それは実にヘンだと私は思います。

映画監督も料理屋も音楽家も歌手も小説家もマンガ家も、
全て受け手がいてお金を出してくれて初めて成り立つわけですよね。
これは全ての商売でも言えることだと思いますけど。

その受け手が、
企画や制作をしてないから批判すべきじゃない
っていうのは、それは逆に言うと、
どんなにダメでくだらないものでも甘んじて享受せよ
ってことですよね。

『赤ひげ』は医者の話ですからそれを例にして言うと、
仮に、いい加減な診療のせいで患者が死んだとしても、
自分が考えた診療法ではないから患者側は医師を批判してはいけない
ってことですよね。

北京波サン的にはそれで納得出来るのかもしれませんが、
でも一般的にはどうなんでしょう。
少なくとも私は納得することが難しいです。

いや、相手も一生懸命やってるんだよ、
ってことであるとしても、
ホントにその相手が一生懸命やってるかどうかっていうのは
なかなか証明は難しいですよね。

そんで、相手は一生懸命やったわけだし、
こっちは企画も制作もしてないからってことで、
こっちの払ったお金がムダになったとしても、
それはそれでガマンしなきゃいけないのでしょうか。

つーか、私はそもそも
>映画は他人の作ったものを見せてもらっている

という考え方が今一つ納得出来ないんですよね。

それって映画を作ってる側が上の立場ってことですよね。
それって果たしてそうなんでしょうか。

仮に私が映画を作ったとしたら、
私だったら映画を見せてやる、とは思いません。
どうぞ見てください、って思います。
これが有料ならなおさらです。
わざわざ自分の作ったものに対してお金を払ってくれるわけですから
(だから映画関係者はいろんなメディアに出てきて
「見てくださいね」ってお願いするわけですよね)。

また、そういう考えでやらないといいものを作ることは
ちょっと難しいのではないでしょうか。

以前TVで、日本のコンビニが中国に店を出すっていう
ドキュメント番組をやってましたけど、
その中で私が面白いと思ったのは
元々中国にあるコンビニで働いてたおばちゃん達です。

彼女らは実にいい加減な仕事をしてるんですよね。
それはちょっと冗談じゃないかって思うくらい
適当な仕事ぶりでした。

でも彼女ら的にはそれでいいんですよね。
適当に仕事をしててもちゃんと給料が出るわけですから。

ところが、日本のコンビニが近くに出来たら
状況はガラリと変わりました。

日本のコンビニの店員はちゃんとした仕事をしないと
給料がもらえないわけですからみんなちゃんと働くし
お客に対してもちゃんとしたサービスをするわけですよね。
でもって、お店の品揃えもちゃんとしてる。

上記の例はいい悪いの話ではないのかもしれませんが、
でも実際その後、お客は日本のコンビニに集まるようになり、
中国のコンビニは閑散としてしまったんですよね。

企画や制作をしてないからといって批判をしなかったら、
上の例の中国のコンビニのようになるのではないでしょうか。
私としてはそれはあんましいいことではないような
気がするんですよね。

もし映画でそういうことをやってたら
映画を観に行く人は減っていって、結果、日本の映画産業は
今よりも衰退していくような気がするんですけどどんなもんでしょ。

そういうわけで、私はいいものはいいって言いたいし、
ダメなものはダメって言いたいのです。


で、ちょっと個人的な話を。

映画関係のコミュなんかを見ると
いろんな映画に対して批判してる人がけっこういますけど、
でもそのほとんどが
単に自分の好みじゃないからっていう理由で文句を言ってるようですね。

それはそれでいいと私は思うんですが、
でも、私的には、それは公平な批判とは思えないんですよね。
やっぱ人の好みは千差万別ですから。
だから例えば
『タイタニック』
なんかでも傑作だ!っていう人もいるし、大駄作である
っていう人もいるわけですよね。

なので、私は個人的な好みで批判はしないようにしてるんです。
だから私の場合は面白くない、っていうことではなくて、
作り方がダメだ、って批判をしてるんですね。

で、
>予算も技術も能力も比較しようがないかもしれない

ってことですが、私は予算のことは言わないようにしてるんですよね。
それは作り手側の問題ではないと思うので。

で、技術と能力のことですけれども、
料理を作る場合、ダシのとり方がヘタだったり
上手く包丁を使えなかったらまともな料理を作るのは難しいですよね。
音楽家の場合は演奏がヘタだったらせっかくのいい曲が
台無しになってしまう可能性が高いですよね。
外科医だったらメスがちゃんと使えなかったら
もしかして患者を殺してしまうかもしれませんよね。

そういう人達の作るものや行うことに対して
お金を払いたい人ってあんましいないと思うんですよね。

私的には、これは映画についても同様のことが言えると思うんです。
話のジャンルは人それぞれの好みですけれども、
その話の描き方がヘタだったらせっかくのいい話が
ダメになる可能性が高いですよね。

これは古典落語でも同じだと思います。
古典落語っていうのはみんなが知ってる有名な話ですが、
でも噺家サンによって面白さが違ったりしますよね。
同じ話なのに人に面白さが違うっていうのは、
これはなんでなんでしょ。

当然ながら、これは噺家サンの力量の違いによるわけですよね。
だから上手い人は真打になれるんですよね。

ってことで私が批判をしてるのは落語でいうと、
真打には程遠い、全然実力のない噺家サンに対してなんですよね。
それくらいの力量しかない人が撮った映画を見ても、
仮に話は面白くても映画的にはいいとは評価できないのであります。

で、私がそういう監督に対して納得いかないのは、
才能がないならないなりに、どうしてもっと努力をしないんだろう
ってことなんですよね。

黒澤監督はメチャクチャ才能あるのに、
それで満足するってことはなく、常に努力をしてましたよね。
だからこそアカデミー賞でのスピーチで
「僕はまだ映画がどういうものかよく分かりません」
っていう言葉が出てくるわけですよね。

世界の三大巨匠の一人と言われてる黒澤明が
そんなことを言うなんて・・・。
私はその言葉を思い出すたびに感動するし、
今の制作者達はその言葉をどう聞くだろうって思うんですよね。

予算や技術や能力がないんだったら、
せめてそれを補うような努力をしてちょ〜だい、って思うんですよね。

ですから、私の場合は

>黒澤さんに心酔している者なのに随分厳しい

のではなく、

>黒澤さんに心酔している者だからこそ随分厳しい

ということだと思います。

つーことで、またまた長くなってしまいましてどうもすいません〜。
またまた長く語っていただいてありがとうございました。
あなたのおっしゃったこと、ボクも理解できるところと、ちょっと分からないところがあります。

ボクはニュアンスでしか伝えられないようで難しいのですが、あなたの言うように、ラーメンやCDの例の件ですが、そんなことをやったことがない人間はいないはずありません。

ボクも当然、映画ファンに与えられた唯一の権利である、作品を見て好き放題に喋ってます。

ボクは映画を見せてやるなどと思って作っている監督は皆無だと思ってます。そんなことはあえて口に出すレベルの前提ではないですよね。「人の生命は尊い」といった真理に近いものでしょう。

「頑張ったから・・・」という気持ちで評価しないことはありませんね。しかし、誰がどう頑張ったのかか問題じゃありませんか?あなたは小泉堯史の「雨上がる」のところで、宿屋のシーンだったかと記憶していますが、その演出について傍で黒澤演出をどうみていたのか、といった意味の発言をされていましたね。たしかに、あの部分はボクもしんどさばかりが感じられて辛かった。しかし、全体には清々しいものの方が残って、新人監督としては次作に期待を繋いだものでした。


>しかも、上記の例も映画も、受け取る側としては
お金っていう対価を払ってるわけですよね。
それでつまんないものを出された場合、
これは文句を言ってはいけないのでしょうか。
よく、
「そんなに文句言うんだったら、じゃあお前がやってみろよ」
って言う人がいますが、それは実にヘンだと私は思います。
映画監督も料理屋も音楽家も歌手も小説家もマンガ家も、
全て受け手がいてお金を出してくれて初めて成り立つわけですよね。
これは全ての商売でも言えることだと思いますけど。
その受け手が、
企画や制作をしてないから批判すべきじゃない
っていうのは、それは逆に言うと、
どんなにダメでくだらないものでも甘んじて享受せよ
ってことですよね。
『赤ひげ』は医者の話ですからそれを例にして言うと、
仮に、いい加減な診療のせいで患者が死んだとしても、
自分が考えた診療法ではないから患者側は医師を批判してはいけない
ってことですよね。
北京波サン的にはそれで納得出来るのかもしれませんが、
でも一般的にはどうなんでしょう。
少なくとも私は納得することが難しいです。

この引用させてもらった部分に、貴方とボクの決定的な違いがありますね。甘んじて享受せよということか・・・とはボクは露ほども思っていないですよ。その自分の意見が相手に伝わってこそ発言した甲斐もあると思うんです。
他人の作った映画や作品に対して、貴方も人にない鑑賞眼を持ち、文章化もできるわけでしょう。それなら、そのことで相手になにかしらの変化を生じせしめるようなやり方、言い方はできないものだろうか?
ボクはアマチュアだけれども、感激して誉めたことも、あるいは批判したことも当事者の方にお会いしてじかに手渡したり、お話してきました。自己満足かもしれないけど、映画を愛するがゆえに、その気持ちからやっていることです。

>『赤ひげ』は医者の話ですからそれを例にして言うと、
仮に、いい加減な診療のせいで患者が死んだとしても、
自分が考えた診療法ではないから患者側は医師を批判してはいけない
ってことですよね。(おはなしにならない論理です。そんなことを申し上げたこともないし、人倫の道にもとるないようです)
北京波サン的にはそれで納得出来るのかもしれませんが、
でも一般的にはどうなんでしょう。(一般的にも、どういう条件でも納得するしないという問題じゃないでしょ)
少なくとも私は納得することが難しいです。(貴方でなくても、世の中の誰も納得はしないですよ)

いま往診の途中なので時間がありません。
しかし、これだけは信じてください。
あなたと対立したりしようとは思っていないのです。
あなたは騒がしい子どもたちに声をあげて叱るより、睨みつけるほうが静かに出来ることがある、といった意味のことを書かれたことがありましたね。

あなたのような理論派が、普通に書かれたことのなかに、文章ではありながら語気の強さを感じてしまい、貴方へのレスを気軽には出来なくなってしまう人がいるかもしれないことを。

あれほどの内容を伝えているあなたじゃないですか。
それに気がつかず、眼のウロコを落としてビックリしたほかの人の言葉を聞きたくはないのですか?
そのなかには、理路整然とではなくても、あなたが気がつかなかった発見が隠れていることもあるのではないでしょうか?

ボクのような単純な人間は容易に沈黙します。ミクシイだって楽しくなくなればやめちゃいます。

映画を見て、明日も変り映えのない生活に立ち向かっていく元気が欲しくて、映画館に通っているおっさんなんですよ。

表面上のお付き合いは意味がないですよね。

不特定多数の見知らぬ人間の目に触れる媒体です。
そこには怜悧な観察と、知的な行動に培われたキャベタロウさんのような存在は、絶対に必要です。

文句は言いません。もし、どうしても生ぬるい返答だと思われたら、『赤ひげ』コミュを立ててください。

大半の登録者はあなたのコミュに移られるかもしれませんが、それもいいことです。

ボクには演出技術から赤ひげや黒澤明の素晴らしさを語ろうという、あなたのアプローチにある素晴らしいものに心服すると同時に、顔も名前もしらない赤ひげのファンの方からの声を聞きたいという欲求を抑えられないのです。

ボクとキャベタロウさんとひまわりさん以外の方の肉声が聞きたいのです。

ボクたちがやり取りすればするほど、彼らは参加しないんじゃないかなぁ。

またまた長いし、書けば書くほど自分が嫌になります。
あなたの目を見ながら喋りたいですね。

そんなアナログおやじなんですよ。
>北京波サン
お忙しいのにホントにどうもすいません。

それと、私の書き込みで不愉快な気持ちにさせてしまったことも
お詫びします。

どうもすいませんでした。

ということで、

>引用させてもらった部分に、
>貴方とボクの決定的な違いがありますね。
>甘んじて享受せよということか・・・
>とはボクは露ほども思っていないですよ

ってことは、北京波サンも私と同じってことですよね。
てことは決定的に違ってるわけでもないってことかな。

んで

>『赤ひげ』は医者の話ですからそれを例にして言うと、
>仮に、いい加減な診療のせいで患者が死んだとしても、
>自分が考えた診療法ではないから患者側は医師を批判してはいけない
>ってことですよね

っていうお話にならないことを言ったのはですね、

>映画は他人の作ったものを見せてもらっているのでしょ。
>ファンはお金は払っているだけで、
>製作にも、創作にも関わっちゃいないじゃないですか

と北京波サンがおっしゃっていたので、
製作にも創作にも関わってないファンでも
大いに批判してもいいのではないか、
ということを言いたかったからです。

でも上手く伝わらなかったのは
ひとえに私の頭が良くないからですので、
それについてもお詫びします。
どうもすいませんでした。

で、

>貴方も人にない鑑賞眼を持ち、文章化もできるわけでしょう。
>それなら、
>そのことで相手になにかしらの変化を生じせしめるようなやり方、
>言い方はできないものだろうか?

ってことですが、
う〜ん、これはどういう言い方をすればいいんでしょうか。
私は頭が良くないのでそういう言い方が分かりません。


>これだけは信じてください。
>あなたと対立したりしようとは思っていないのです。

あぁ、それは良く分かっております。
私もそういうつもりは全くありませんっ!

>あなたのような理論派が、普通に書かれたことのなかに、
>文章ではありながら語気の強さを感じてしまい、
>貴方へのレスを
>気軽には出来なくなってしまう人がいるかもしれないことを

あ〜、そういう方っていらっしゃるんですかね。
単なる素人考えのつもりで書いてたんですが、
もしそうだったとしたらいかんですね。

>眼のウロコを落としてビックリしたほかの人の言葉を
>聞きたくはないのですか?

それはぜひとも聞いてみたいです。

>そのなかには、理路整然とではなくても、
>あなたが気がつかなかった発見が
>隠れていることもあるのではないでしょうか?

あるでしょうね。あると思います。

>もし、どうしても生ぬるい返答だと思われたら、
>『赤ひげ』コミュを立ててください

私はいい加減なヤツなので上手く運営していく自信がありません(笑)。

>顔も名前もしらない赤ひげのファンの方からの声を聞きたい
>という欲求を抑えられないのです。
>ボクとキャベタロウさんとひまわりさん以外の方の肉声が聞きたいのです。
>ボクたちがやり取りすればするほど、彼らは参加しないんじゃないかなぁ。

まぁ私としてはそう思ってこのトピックを作って
軽〜い話をしようとしてたんですが(笑)。
でも上手くいかないもんですね。

でもそうかぁ。それだったら私が発言しなきゃいいって感じですよね。
もしくは言い方や内容を変えるってことがいいと思いますが、
でも言いたいことは言いたいし、
話し方もどうやって変えていいか分かんないしなぁ。

ってことで、とりあえず私は今後書き込まないようにしたいと思います。
そんで、
他の人にイヤな感じを与えないような文章が書けるようになったら
また書き込ませていただきますね
(果たして出来るのか(笑)。でも努力しますっ!)。

それでは、どうも長々失礼いたしました。
ありがとうございました〜。

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