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伊能忠敬 コミュの佐原市の伊能忠敬記念館

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佐原市の伊能忠敬記念に行って来ました。50歳からの伊能忠敬と17歳からの伊能忠敬を知ることが出来ました。
婿養子であったため、頭は良く勉学好きでしたが、最初の奥さんには、頭が上がらず、伊能家再建のため尽くすよう言われぱなしだったようです。薪、米商、酒造、回船問屋などをやり、伊能家に再建、利根川の堤の修築事業で地元に多大貢献しました。
50歳で、長男に家督を譲り、江戸に出て天文学を学ぶ、19歳したの高橋至時の弟子となり55歳から、子午線の一度の長さを測定、江戸から蝦夷にこれから、日本地図をつくるため、全国を73歳で弟子と共に歩くことになります。幕府も財政が厳しい時、伊能家の資金がずいぶん使われたようです。
でも、第二人生を、日本のために地図を作ったのですから凄く貢献したのです。間宮林蔵などに天文学を教えたのです。
制作した地図、制作に使用した器材、人柄などを知ることが出来ました。


www.sawara.com/tadataka

写真1:伊能忠敬記念館
写真2:忠敬が使った象限儀(恒星の高度を計り、諸地点の経度をわりだす)
写真3:伊能忠敬の旧家の中庭の銅像

コメント(10)

沢山子孫の方がいるようですね、
私もその一人です。
伊能家との繋がりの方、血筋の繋がりの方で分かれるそうです。
私は、長女「稲女」の系列です。
こうして、忠敬を愛して下さる方に、感謝!
稲女系では 一昨年 幕張メッセに大地図がきた際、その場で会合をもちました。

おかげさまで 女性のわりには ナビより地図を見ているほうがスキです。
世代もかわり 色々行動もしていきたいのでどうぞよろしく。
地図を眺めて、おもしろそうなところを見つけて、行ってみたいな〜・・・と思いを馳せるのが大好きな私です。(実際にはなかなか行けませんが)
とっても惹かれるものを感じましたので、参加させて頂きます。よろしくお願いします。
伊能忠敬は、4回結婚しているです。死に別れは、悲しいですね。
妻に恵まれなかったのでしょうか?
仕事の出来る人は、もてるというのが常識でしょう。
でも、自分のやりたいことを使命感もってやるというは凄いです。
高齢化社会において、鏡のような(尊敬される)人ですね。
井上ひさし氏の小説「四千万歩の男」は、素晴らしいんですね。
「四千万歩の男」、あの調子で書くと全30巻くらいでしたっけ? 流石に5巻でやめてしまったようですね。
当時は 女房がいなくなると、妻を娶り。愛人もいたようですね、籍を入れたかどうかわからない妻も。女性には厳しく、かなり亭主関白な手紙もいくつかあります。息子もカンドウしてしまい。本気でそれきりにしたり、気性は激しいと言われています。
「四千万歩の男」講談社文庫は全5巻ですね。長編ですね。
他の本は、読んだのですが、「四千万歩の男」は、途中です。

写真1:幕府から賜った御用旗、これが、あることにより、幕府の    間者と思われることしばしばであった。
写真2:毎日下地に書いていた地図
写真3:完成されれた一部の地図
佐原は、天領で長閑な古い町並みが残っています。

写真1:伊能忠敬旧宅
写真2:博物館と旧宅間に小野川が流れ、樋橋
写真3:忠敬橋から観た小野川の風景
 「伊能忠敬記念館」行ってみたいです。
55歳から偉業を成し遂げるなんて、すごい人です。
尊敬しています。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=337942700&owner_id=7356246
佐原小学校出身の私は今年、50歳になります。
確か小学校の高学年の時、年に何回か生徒全員で、伊能忠敬の記念館、お墓、銅像(?)の周辺などを掃除したような記憶があります。
ああ、懐かしい。ゆっくり行きたい、と思う今日この頃です。

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