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広瀬淡窓コミュの上野彦馬

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 上野彦馬は天保9年8月27日(1838年10月15日)の生まれ。 幕末期から明治時代にかけて活躍した日本における最初期の写真家として知られる。

彼の写真のコレクションは以下のサイトが参考になる:
http://lize.nime.ac.jp/TradPic/html150/

彦馬は1838年(天保9年)、長崎の銀屋町で蘭学者・上野俊之丞の次男として生まれた。16歳から広瀬淡窓の塾、咸宜園で学んだ後、三年後に帰郷し、長崎で通詞名村八右衛
門に蘭後を学ぶ。彦馬はここで塾生から海外知識の習得の重要性を教わったのではなかったか。
1858年(安政5年)、幕府第二次海軍伝習所医官として長崎に来たオランダ海軍医ポンペの塾「舎密試験所」に入り、舎密学(化学)を学んだ。このとき、蘭書から湿板写真術を知り大いに関心を持った。同僚の堀江鍬次郎らと共に蘭書を頼りにその技術を習得し、感光剤に用いられる化学薬品の自製に成功するなど、化学の視点から写真術の研究を深める。その後、堀江鍬次郎と江戸に出て数々の写真を撮影し、耳目を開いた。

1862年(文久2年)、故郷の長崎に戻り、中島河畔で「上野撮影局」を開業した。ちなみに、これは日本における最初期の写真館であり、彦馬は日本における最初期の職業写真師となった。「上野撮影局」では、坂本龍馬、高杉晋作ら幕末に活躍した若き志士や、明治時代の高官、名士の肖像写真を数多く撮影した。竜馬の有名な一枚の写真は彦馬による。

明治維新後の1874年(明治7年)には金星の太陽面通過の観測写真を撮影(日本初の天体写真)、1877年(明治10年)には西南戦争の戦跡を撮影(日本初の戦跡写真)、同年に開催された第1回内国勧業博覧会では鳳紋褒賞を受賞するなど、その写真は歴史的・文化的にも大いに評価されたのである。
一方で、海外に支店を持つ(ウラジオストク、上海、香港)など写真業繁栄の傍ら後進の指導にもあたり、内田九一や冨重利平ら多くの門人を輩出した。1904年(明治37年)、長崎で死去。享年67。 日本写真界の祖として、高く評価されている人物である。

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