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インチキ詩人の語り部屋コミュの〜インチキ書き殴り文〜

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コメント(6)

水の流れる音に混じって。生命の細胞たちのコーラスが聴こえる。それは、動物が食物を噛み砕き飲み込んでいくような音が無数に合わさって、一つの生きる歓びの歌になって聴こえてくる。
高速道路の破線が光線銃みたいでずっと外を見てた。
インチキアーチストだから間違ってコレを読んでしまっても気にせんでくれ。君らの事を言っているんじゃない。いや、言ってるかも知れんが、適当に受け流してくれ。
短歌ちょっと上手くなろうかな、なんて思って、本ではなく、ネットで入門記事ないかと探していると

《現在の短歌はとてもおもしろいことになっています。短歌に絵がつけられたイラスト集が登場されるなど、これまでになかった新しい短歌のブームが起こっている(honto編集員)》

突然怒りがこみ上げて来る。
てめーらの言葉に力が無いから下手な絵を提示しないといけないハメになるんだろ。という風に。
下手な、というのは、下手だから文字に手伝って貰わないと絵画として成り立たないんだろ。と思うわけだ。
こんな事思ってしまうのは、定型詩という皿の上での料理のようなものでありながら、果ては芸術、文学であると思う私には、画と短歌というのは逃げに過ぎないと思うからだ。
趣味ならいい。自己満足ならいい。
それだけだ。
自分の創作物を公にするという行為について
何故!
とダラダラ文を書き、行を重ねていくうち、収拾がつかない乱文に嫌気が差して、下から順に消去を押して文節を次々に消していくと、結局最後に残った文字が、
何故!
自己顕示の理由は生き残っていくために命の根源から刻まれたれた、レコードの溝のようなもので、どれだけ自分がつまらない物しか持たない人間である事に薄々感づいていたとしても、あるいはもしかすると、ある狭い領域でもてはやされるような偉人であると見られる可能性も無きにしも非ずと曖昧に勘違いしているわけじゃない事に気づかない振りで、私は、
「お母さん見て、お母さん見て、ほら、ぼく描いたよ、お母さん」
と渾身の駄作とまでは思っていない作品を頭上に掲げ踊りながら何かを待っている。
それはイイネではなく、もちろん「何かそれ、けっ」では到底あり得ない。何を欲しているのかは、幼児の〈ぼく〉を観察しているとよく分かる。〈お母さん〉はこう言う。
「〜今度は〜」
彼女はキッチンの洗い物が残っているから、時間稼ぎのために次のアートを描かせて時間をかせごうと目論んでいる場合もあるだろうが、現実的理由がどうあろうと、何より「ぼく」が楽しそうにしていることの継続を望むのだ。
「うん!今度は〜ね」
端からそのつもりに「お母さん」の後押しを得た。
私はずっと幸せ時間を続けていたいだけなのだ。
そして大人になった今でもこれからも周りの人々に偉そうにお伺いをたてていく。
「続けていい?」
そんな事を書いては、また
消去していく
本当は弱い力しか持たないアーチスト(げーじつ家)であろうと、見栄を張って強くアートを射ち出さなければ、ただの「弱いアート」の発信者に過ぎない。
私の友人の写真家(彼がそう言う)が若い頃、
「影響を受けるのが嫌だから他人の作品は見ない」
などと貧弱な事を言うので
「アートアートとうそぶいておきながら、そんなだからテメーのアートは弱いんだよ!」
と言ってあげたかったが、そこまで親しくないので言わなかった。
「アートを叫ぶなら、他人のアートも喰ってしまえ!」
(当然盗作のことじゃないぞ。アートをやってるひとは分かると思うけど)
時々素人製作のYouTubeを観ることがある。
やかましい。
日本人は音に麻痺していて
「音楽かけておかば良かろう」的感覚で音楽を流す。
延々テーマパークで同じ曲を流すとか
コンビニで雑音級の室内楽を流すとか
要らん。
壁に描いた下手な落書きと同じだ
中身が良ければ音楽は要らん。
うるさいYouTubeは大体面白くない。

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