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インチキ詩人の語り部屋コミュの〜インチキ哲学〜

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インチキ哲学っていうくらいですから、何の根拠もありません。
物事について「深く考えたつもり」のものを載せましょう。

コメント(5)


 愛とは〜。などと仰々しく書き出せば、答えが有るように見えるが、そんな訳もなく、もともと外国から入ってきた観念だったりする訳で、結局は一人一人違う物を違う見方で迫り、なんとなく似てはいるが、皆別物だったりするのではないだろうか。哲学というのは、そんな物ではないかと、哲学書をほとんど(否、何も、と言った方が良いかもしれない)読んでいない私は、不変の、いわゆる「真理」というものを導きだせないだろう。
 が、しかし、詩を書いたり、実際の出来事について自分なりに深く考えたりしていると、脳ミソの私が何かに気づいたり、「答えのようなもの」を見つけ出したりすることがある。そんなものは、哲学の門の柱に既に落書きされている程度のものかもしれない。いつもそういったことを考えながら書いている。

 私が「愛」について考える前に、「恋」という言葉について考え、述べなければならないと思われる。つまり、私にとっての「愛」と「恋」というものは、判別しにくいところも有るが、全くの別物であって、「愛」を考える前に、より長い時間をかけて経験し、考えてきた「恋」を、「愛」との比較対象として位置付ける方が良いのではないか、と思うからである。

※あくまでも、インチキ哲学であることをご承知頂きたい。


 ある日、ある時、ある人への「好き」が、別のものに変わるのです。
自作の詩『唇』の冒頭は、「何が違うのでしょう」で始まるのですが、顔のパーツ一つ一つをとって科学的に検証してみると、誰かのパーツに似ている、などということが、さて、あるのでしょうか。心地よさ、美的感覚というのは人によって違うのでしょうが、クラスのただ一人にしか反応しない感情が湧いてくるというのは不思議です。限られた空間の中で、「何か」に脳が選ばされているのですが、理由は、どう考えたところでハッキリした答えは出ない。これは、思考では追いつかない世界の次元に理由があるに違いない。

 異性を好きになる、のずっと先にあるものは、おそらく、新しい命の誕生という結果なのだろう。そのための「キッカケ」が「恋」というもので、遠い過去の「命の根源」から仕込まれた「感情」だと言えると思う。

 なぜ、プラナリアのように分裂して殖えるというものから、交配によって殖える、さらに雄と雌に別れての交配へと変わっていくか、と言えば、生物学的な話になってくると思うが、まずは、生活環境に適応する個体が生き残っていくため、さらに競争によっていろんな意味での強さを選別して生き残っていくため。そのために交配相手がランダムに近い形で「感情」によって選別されるとすれば、それが、「何が違うのでしょう」の回答と言えるかもしれない。



 燃え上がる感情は、恋、怒り、戦いなどの際に著しく現れる。例えば、「怒り」。誰かに対して怒りが込み上がるとする。その怒りは、時が経てば沈静化する。いつまでも同じテンションで怒っていては日常生活をまともに送れないので、安全装置が働くのでしょう。ところが、完全には消えない。何かの拍子に込み上がる。しかし、例えば、人間関係などの理由で怒りをあらわにしてはいけない状況にあるとすれば、「意思」によってそれを抑えようとする。その抑え方は幾つか合って、興味のある方は「心理学」の入門書を読んでください。これは「インチキ哲学」なので、そこには触れません。
 意思によって事態の収拾をはかる。「失恋」という悲しい事実は、いつまでも引きずる訳にはいかない。その感情を抑える正義の味方が、意思ということになるでしょう。「もう、忘れろ」などと誰かに言われても、忘れるはずがありません。恋は意思ではなく感情だから。恋を沈静化させるためには理由をつけるのです。例えば、「振り向いてくれないから諦めよう」と。



 恋という感情だけでは全てはうまくいかない。理性を持って相手と接しないことには、別れに一直線ということになる。

 ドメスティック・バイオレンスという忌まわしい言葉がある。訳せば、家庭内暴力。大抵は夫が妻や子供に。あるいは子供が親に。有名な女子テニスプレイヤーから度重なる暴力を受けたと、その夫が訴えるというのがありましたが、そんな例は珍しい。夫が妻へ暴力をふるうというのは、家族や自分が、女性に暴力をふるうことのない生活を送ってきた者にとっては信じられないことである。
 恋という感情は野性だと言える。その野性を、愛という理性をもって整えていくことが出来れば、一般的には夫婦円満の道に進む。がしかし、恋という感情が薄れ過ぎて愛という理性が湧かない、あるいは、自己中心的な思考で暴力的感情が抑えられない「精神状態」に陥ると悲劇が始まる。
 この暴力性は遺伝子関連の問題であると思われるので、興味のある方はDVについて詳しく述べられた本をお読み下さい。
 妻を所有物とみなす夫は、暴力で制圧しようとする。妻が安全な場所へ逃げると、暴力はふるわない事と謝罪を告げ、再度妻を「獲得」するために誠意を見せる。しかし、ふりだしに戻るだけである。夫にとって、「所有物」「獲得」のための「告白」なのである。



 愛とは〜、については今後も考えていかなければならないほど難しい問題であります。
 恋という野性による感情と、愛という理性による意思の両立によって、夫婦生活の円満の要素の大半が満たされる。游月のところはどうか、というと、その辺はご想像におまかせ、というところ。今日、妻が私に対して話す立ち姿を、可愛い、と思った、というあたりでご勘弁。

 いままで述べてきたことから、恋と愛は別物であって、恋が愛に変身しているということではないことがお分かり頂けたと思います。まだまだ、この思考も発展途上にありますので、可笑しなところがあればご指摘頂きたい。

 皆様の恋愛事が円満でありますように。


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