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マルクス研究コミュの資本論草稿について

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資本論草稿についてトピを立ててみます。

マルクスの遺した著作の中で『経済学批判』と『経済学批判要綱』と『資本論』は別のものなんですね。まあ、そうは言えどもこれを「別のもの」と割り切って断言するのはやや短絡的な言い方に過ぎるので、ちょっと諸草稿の関係等を整理して書こうと思います。

まず断っておきたいのは、やや大雑把な言い方ですが、「資本」および「経済学批判」の草稿類はいまだ全部の草稿がどこがどこに配置されるか、編集上の争点が多々存在するため、はっきりと確定していません。

厳密に言うとマルクスは『資本論』そのものの副題を「経済学批判」としていました。
要するにマルクスが考えていた『資本論』構想は理論的展開から成る第1部〜第3部と、学説史から成る第4部を合わせたものから成っていました。そのうちマルクスの生前に刊行されたのは第1部(諸版があり、独語初版、改訂第2版、マルクス校閲仏語版、ロシア語版)のみで、あとに残ったのは膨大な「経済学批判」に関するノート類なんです。現在それらの草稿のほとんどはアムステルダムの社会史国際研究所、あるいはモスクワの現代史文書保管・研究ロシアセンターに保管されています。
『資本論』は全4部として構想されていたのですが、「経済学批判」という題名でマルクスが最初に構想していたのは全6編と言われています。正直に告白すると、頭の悪い僕にはどこからどこまでが『資本論』でどこからどこまでが『経済学批判』なのかさっぱりわかんないんですね(爆)。

これ、結構当たり前のことと思っていたのですが、結構知らない方がいるようなので、成立の経緯など手元の資料でわかる範囲で整理してみましょう。自分の勉強も兼ねていますので、なるべくわかりやすく書こうとは思いますが、あまり自信がありません(笑)。
『資本論』の草稿とその準備労作と考えられるものを大別すると以下の7つに分けられると思います。


1.『経済学批判要綱』とその他の諸草稿(1857〜1858)

まず『要綱』“Grundrisse”の草稿が最初に書かれました。『経済学批判要綱』と『経済学批判』とは関係性があるけれども基本的には別の草稿・著作であり、紛らわしいので、この『要綱』のことをドイツ語読みで『グルントリッセ』と呼ぶ場合が多いです。
これらは1857年10月から翌1858年5月にかけて執筆された7冊のノートです。これに先行して書かれた「バスティアとケアリ」(1857年7月)及び「序説(“Einleitung”)」(1857年8月〜9月)とを総称して「1857年/1858年の諸草稿」と呼ばれます。これらが通常『経済学批判要綱』(グルントリッセ)と呼ばれる草稿です。これらをマルクスは最初に書き上げる中で、全6部から成る経済学批判の体系を構想していったと考えられます。邦訳版では大月書店から刊行された『経済学批判要綱』全5巻に相当し、また『資本論草稿集』全9巻中の第1巻・第2巻に収録された部分に当たります。


2.『経済学批判』第1部原初稿(1858〜1859)

これがいわゆる『経済学批判』として刊行されたマルクスの著作の原初稿になります。
これは先に書いたように全6編として構想されたものの第1部に当たり、「序文(“Vorwort”)」「第1章 商品」「第2章 貨幣または単純流通」から成る著作です。ちなみにこの中の「序文(“Vorwort”)」と、『要綱』の中の「序説“Einleitung”」は別のものです(これが一番紛らわしいんだよね・笑)。ちなみにいわゆる“唯物史観の公式”として知られる「上部構造・下部構造」の概念が出てくるのはマルクスの全著作中で、恐らくここだけだと思います。
『経済学批判』は『要綱』の中の「貨幣に関する章」をもとに作成した原初稿(Urtext)を更に改稿して成立しました。マルクスは全6部の構想のうち、第1部としてこの『経済学批判』を書いたわけです。当然続く作品は第2部以降として構想されていたのですが、この計画は後年に破棄され、書名を『資本(論)』“Das Kapital”に変更。『資本論』は全3巻4部構成で構想されました(1862年前後まではまだ『資本(論)』は『経済学批判』の第2部として構想されていました)。


3.『経済学批判』草稿(1861〜1863年草稿)

紛らわしいので前2者と区別するため「1861〜1863年草稿」と呼ばれたりします。
1861年8月から1863年7月にかけてマルクスは23冊のノートを書きます。マルクスは『経済学批判』第1部の続きとしてこれを「第3章 資本一般」から書き始めますが、途中でその路線を変更していきます。
1862年12月28日にマルクスは手紙の中で、すでに書いたものを推敲・清書して『資本論−経済学批判』として刊行する旨を書いているので、この頃に“経済学批判・全6部”のマルクスの構想が“資本論・全4部”構想に変化していったようです。ちなみにこの部分の「1861〜1863年草稿」は新MEGA(Zweite Marx-Engels-Gesamtausgabeの略、現在編集・刊行中の新『マルクス/エンゲルス全集』のこと。全114巻124分冊の刊行が予定されている)編集者によって「第2の『資本論』草案」と呼ばれています。この「1861〜1863年草稿」は、大月書店から出ている邦訳『資本論草稿集』の第4巻から第9巻に相当する部分です。


4.「1863〜1865年経済学草稿」

面倒くさい話を書くと、文章の量が膨大になってしまうのであえて割愛しますけど、上記「1861〜1863年草稿」を書き上げた後、マルクスは清書をするため、1863年8月から『資本論』第1巻第1部の「資本の生産過程」の原稿を書き始めます。その後、いろいろ紆余曲折はあるんですけど、1865年末までには第3部の全7篇までの草稿をほぼ書き上げるんですね。
またこの「1863〜1865年経済学草稿」では『資本論』全4部構想が確定し、「第1部資本の生産過程」「第2部 資本の流通過程」「第3部 総過程の諸形象化」の理論的な3部の後に第4部として学説史的叙述がまとめられることが確定します。ですからこの部分の草稿が重要でして、この時期に『資本論』の理論的な3つの部分が書き上げられたと考えられます。この部分がいわゆる資本論の初稿でして、この「1863〜1865年経済学草稿」は新MEGA編集者によって「第3の『資本論』草案」と呼ばれています。


5.「1865〜67年の経済学諸草稿」

そんなこんなで……1867年4月12日にマイスナー書店に渡された『資本論』第1部の印刷用原稿は同年8月に『資本論』第1部初版として出版されます。
第1部の執筆・出版に執心していたマルクスですが、実はどうもこの時期に彼は第2部と第3部への補足の必要性を感じていたようなんですね。そんな訳でこの時期に書かれた第2部・第3部補足のための諸草稿が存在しています。これに関してはエンゲルスがマルクスの死後に『資本論』第2部・第3部出版の際に「部分的に利用」しています(ということは当然エンゲルスによって加筆された部分も存在するということです!)。もちろんこの中には実際にエンゲルス版『資本論』に採用されずに埋もれたままの草稿もある訳です。これは確か新MEGA未刊行分の第?部第4巻第4分冊に収録される予定だったと記憶しています(ご存知の方、情報をお待ちしています)。


6.「1868〜81年の『資本論』第2部諸草稿」

この草稿群は主に『資本論』第2部の書き直しを含む長短種々の草稿です。これは要するに『資本論』第2部の全体草稿です。もちろん第2部は周知のようにマルクスの死によって未完成に終わったわけなんですけど。
この草稿類の中でも1868年12月初旬から1870年半ばまでに書かれたものは、「第2部の草稿のうちで、ある程度まででき上がっている唯一のもの」(エンゲルス)だそうです。これもまたエンゲルス版に「部分的に」利用されています。
1870年の草稿を書いてからのマルクスには一時期執筆を中断した時期がありまして、それをはさんで1877年3月末にマルクスは再びペンを執ります。これもまた第2部のための補筆・書き直しを含んだ諸草稿です。
ここでマルクスは3度にわたって第2部第1章の書き上げを試み、またその後、1880年末頃から1881年にかけて第3章の新たに書き直しています。これらの草稿がマルクスが生前に書いた『資本論』全3部のための最後の草稿となったわけです。


7.それ以外の諸草稿

上記以外の草稿ですが、まず第3部第1章に関して次の草稿が存在します。

○第3部第1章に関する断稿(1869年1月〜1871年8月)
○第3部第1章に関する断稿(1875年11月)
○第3部第1章に関する断稿(1875年5月)
○第3部第1章に関する断稿(1876年2月半ば)

このうち2つがエンゲルスによって彼の編集による第3部の冒頭部分に利用されたみたいですけど、僕はどれを利用したのかまでは知りません。専門にさほど研究しているわけでもなく、寡聞にしてわかりません。誰かご存知の方がいましたらこれも情報をお待ちしています。
で、それ以外の草稿類ですが……山ほどあります(笑)。多くは断片的なノート類やメモ、目次、引用資料などです。
またフランス語版『資本論』では、初版の後半部分にマルクスは改訂の手を加えていますが、このフランス語版とドイツ語版との統一に関してマルクスは完成することなくこの世を去ります。ところがマルクスは生前にドイツ語第2版のどこを削除し、フランス語版のどこに置き換える必要があるかを「第1巻のための変更一覧表」で一括整理していました。しかし第3版編集の際にエンゲルスはその存在に気づいていませんでした(!)。
そんな訳でエンゲルスは第3版を編集・出版する際に「変更一覧表」ではなく、その元になった第2版とフランス語版マルクス自用本の「書き込み」を参考にしました。ただ研究者によるとこの「書き込み」は単なる備忘録・メモの域を越えないものであって、「一覧表」の存在なしには意図が不鮮明な部分が多数あったようです。
そんな訳で依拠すべき草稿が取り違えられてしまい、フランス語版で訂正された箇所が第3版で訂正がされないままになったり、不正確になったりしました。
エンゲルスが「一覧表」の存在に気づいたのは、後年の英語版監修の時点・1887年のことだったのですが、エンゲルスはどうしたわけか第3版でも第4版(現行流布版底本)でも編集の手入れをほとんど行わず、またこうした事実を率直に述べていません。

ここまで大要7つの『資本論』と『経済学批判』草稿の状態を述べてきましたが……個人的な結論を言うと……もう何がなんだかわかりません(爆)。「ここまで書いてきて他人に読ませておいて今さらそれかよ?」なんて怒られそうなんですけどね(笑)。
でもまあちょっと真面目に書くと、マルクスの思想は未完成のまま残されたというのが正しいところだと思います。ですから僕たちはテクストクリティークを通して、マルクスが19世紀の歴史的文脈の中において「何を言いたかったのか」を考えないと、もはや資本論草稿を読む意義すらないと思うんですね。

マルクスが生前に完成した『資本論』は第1部の「資本の生産過程」のみです。個人的な意見ですが、この第1部こそがマルクスを読む白眉だと思っています。僕は読むたびに感じるのですが、この第1部の最初の「商品」の分析の部分は、非常に『経済学・哲学草稿』の内容と重なる部分があるように感じるんですね。純粋におもしろいんですよ。
まあ……マルクスの『資本論』『経済学批判』は、文脈を読むことが重要になってくるような気がします。

最後に少し『資本論』という書物の成立の歴史的な経緯を書きましょう。
1883年3月14日にカール・マルクスは亡くなります。ちょうどホワイトデーですね。
エンゲルスは残されたマルクスの膨大な文書の整理にとりかかることになりました。そこで彼は上記のような草稿の束を見つけ、第2部の編集を決意するんですけど、調べていくうちにそれがそんなに甘くないことにだんだん気づいていくんですね(笑)。
1883年8月30日、エンゲルスはアウグスト・ベーベルに宛てた手紙の中で書いています。

「完全に仕上げられた部分もあるが、それ以外は全くのスケッチだ。2つぐらいの章を別にすればすべてが下書きだ。典拠の引用は未整理のまま乱雑に山積されていて、あとで選り分けようと集めただけのものだ。おまけに絶対に僕にしか読めない――それも苦労してやっと読める――あの筆跡だ。」

……とまあ、こんな感じで……さぞエンゲルスさんも絶望感に浸ったことと思います。
マルクスは悪筆として知られていまして、ほとんど普通の人に判読不可能なくらい文字が汚いんですね(笑)。フォトアルバムの中に『ドイツ・イデオロギー』の草稿写真を一枚だけ載せてあるので興味があるかたはご覧になると良いでしょう。紙の左半分がエンゲルスの筆跡で、右半分の落書の隙間に垣間見えるのがマルクスの筆跡です(笑)。

○『ドイツ・イデオロギー』の草稿写真
http://mixi.jp/view_album.pl?id=558611

エンゲルスは相当の苦労をして、ほとんど断片の山に過ぎなかったものを第2部、第3部があたかも完成された作品であるかのように復元していくわけですが、この編集の姿勢は現在ではだいぶ問題視されているようです。
新MEGA編集委員の一人で大谷禎之介氏は、エンゲルスがこの編集に打ち込んだ理由はただその刊行を託して死んだマルクスの意思を実現するためだけだったのではなく、同時に労働者階級に理論的な武器を提供するためであったと書いているんですね。
つまりエンゲルスにおける第2部・第3部の編集の企図はマルクスの草稿を正確に再現することというよりも、むしろ既刊の第1部の続きを完結されたマルクスの著作の形で読者に提供するところにあったわけです。ま、逆に言えばだからこそ、こんな未完成の草稿の山がつながりのある著作として刊行できたのかもしれないんですけどね。
ここまでダラダラと長く……書いてきましたが、『資本論』は未完成です。そこには完成された理論など存在しない。だいたいエンゲルス版本文の3分の1近くがマルクスのものではないという新MEGA編集委員の報告もあるくらいですから(!)。ただ個人的にはエンゲルスによってまあ多少とも読める作品になったということに関して、ある程度エンゲルスを評価してもいいかなという気はします。

イデオロギーや政治的思惑に翻弄されつづけてきたマルクスの実像というのは、いまだに見えません。逆に言うとそれだけ自由にマルクスが読める時代に入ってきたとも言えるのかなと思います。


追記:
ところで上記の「1861〜1863年草稿」は23冊のノートから成っていると書きましたが、この中には「剰余価値に関する諸学説」の草稿が含まれています。エンゲルスはこれを『資本論』第4部として構想されていた「剰余価値学説史」の本体になるものと判断したのですが、それの編集はもはや自分には不可能であると考え、それをベルンシュタインとカウツキーに委ねることになります。そこでエンゲルスは彼等にマルクス独特のあの“象形文字”(笑)の読み方を特訓しました(笑)。後にベルンシュタインは『マルクス=エンゲルス往復書簡集』を編集・刊行。カウツキーは『資本論』の第4部となるはずだった『剰余価値学説史』を独自の一つの著作として編集・刊行します。
ですから『剰余価値学説史』も本来は『資本論』の第4部として構想されていたわけです。また『経済学批判要綱』も『経済学批判』も、『資本論』へ続く作品として関連して読むことが可能になってくるわけなので、「じゃあどこからどこまでがマルクスの『資本論』なのさ?」という課題は現代においてもまだ残されていると思います。

コメント(13)

新MEGAでは第?部15巻24分冊がいわゆる「『資本論』および準備労作」の草稿にあてられる予定です。既刊もありますが、以下のような構成になっています。

○第1巻・第1分冊、第2分冊
 ※「バスティアとケアリ」他
 ※「経済学批判要綱」(1857〜58)他
○第2巻
 ※「経済学批判」(1858〜59)原初稿他
○第3巻・第1分冊〜第6分冊
 ※「経済学批判」草稿(1861〜63)
○第4巻・第1分冊〜第3分冊
 ※「資本論」第1部・第2部初稿
 ※「資本論」第3部主要草稿(1864〜65)他
 ※「資本論」第2部・第?、?草稿、第3部関連草稿他
○第5巻
 ※「資本論」第1巻第1部初版(1867)
 ※マルクスの自用本の訂正他
○第6巻
 ※「資本論」第1巻第1部改定第2版(1872〜73)
 ※補遺及び変更
 ※初版との異同一覧、マルクス初版自用本への欄外書き込み
○第7巻
 ※仏語版「資本論」第1巻(1872〜75)
 ※仏語から独語への乖離一覧ほか
○第8巻
 ※「資本論」第1巻第1部増補第3版(1883)
 ※第1巻のための変更一覧表
○第9巻
 ※英訳「資本論」第1巻(1887)
 ※英訳の独語からの乖離一覧他
○第10巻
 ※「資本論」第1巻第1部校閲第4版(1890)
 ※独語第3版・第4版に採用されなかった仏訳テキスト一覧
○第11巻・第1分冊〜第2分冊
 ※「資本論」第2部第?草稿、第?〜第?草稿他(1868〜81)
○第12巻
 ※「資本論」第2巻第2部エンゲルス編集原稿(1884〜85)
 ※アイゼンガルテン/エンゲルスの書き込み一覧
 ※編集原稿とマルクス草稿との異同一覧
○第13巻
 ※エンゲルス版「資本論」第2巻第2部初版(1885)
 ※編集原稿とマルクス草稿との異同一覧
○第14巻
 ※マルクス/エンゲルス「資本論」関連草稿(1871〜94)
○第15巻
 ※エンゲルス版「資本論」第3巻第3部(1894)
 ※マルクス草稿との異同一覧




資本論草稿に関する新MEGA編集上の論点については後々少しずつコメントで書いていこうと思います。
のぶりんさん、大いに参考になりますので、どんどん書いてください。ありがとうございます。
やすいゆたか先生、どうもありがとうございます。
少しずつ整理して書いて行こうと思います。

新MEGA第II部の「資本論および準備草稿」は全15巻24分冊で刊行されますが、収録される草稿と執筆年代や編集上の問題点などを1巻ずつ書いてみたいと思います。

まず第1巻第1分冊からです。

○新MEGA第II部第1巻第1分冊
刊行年:1976年
編集:W・ブルシュリンスキー(旧マルクス=レーニン研究所所属)
タイトル:カール・マルクス 経済学草稿 1857〜1858年

「バスティアとケアリ」
・バスティア『経済的調和』
(1858年8月、ロンドン)
『経済学批判要綱』への序説
(1858年8月、ロンドン)
・I.生産、消費、分配、交換(流通)
  1 生産
  2 生産の分配、交換消費に対する一般的関係
(1857年10〜11月、ロンドン)
  c1 最後に交換と流通
  3 経済学の方法
  4 生産。生産諸手段と生産諸関係。生産諸関係と交易諸関係に対する国家諸形態と意識諸形態。法律諸関係。家族諸関係。
(c1および3は1857年11月、ロンドン)
(4は1857年11〜12月中旬にかけて執筆・成立、ロンドン)
『経済学批判要綱』第1分冊

・II.貨幣に関する章
アルフレド・ダリモン『銀行の改革について』、パリ、1856年
貨幣の成立と本質
貨幣関係の担い手としての貴金属
 a 他の金属との関係における金と銀
 b 種々の金属の間の価値関係の変動
貨幣の流通
 a 諸価値の尺度としての貨幣
 b 流通手段としての貨幣
 c 富の物質的代表者としての貨幣(貨幣の蓄積。その前になお諸契約の一般的質料としての貨幣、その他)
・III、資本に関する章
第1の項目 資本の生産過程
貨幣の資本への転化
 1 流通と流通から生じる交換価値が資本の前提
 2 流通から生じる交換価値は自己を流通の前提とする。また流通のなかで自己を保持するとともに、労働を介して自己を倍化させる。
資本と労働とのあいだの交換
労働過程と価値増殖過程
絶対的剰余価値と相対的剰余価値
剰余価値と利潤
(1857年12月中旬〜1858年1月22日の間に執筆・成立、ロンドン)

邦訳:『資本論草稿集』?、大月書店、1981年


○新MEGA第II部第1巻第2分冊
刊行年:1981年
編集:W・ブルシュリンスキー、V・ヴィゴツキー(旧ソ連、マルクス=レーニン研究所所属)
タイトル:カール・マルクス 経済学草稿 1857〜1858年

『経済学批判要綱』第2分冊
III.資本に関する章(続き)
第2の項目 資本の流通過程
資本の再生産と蓄積
(上記の草稿は1858年2月に執筆・成立。ロンドン)
資本主義的生産に先行する諸形態
資本の循環
剰余価値および利潤についての諸学説
固定資本と流動資本
固定資本と社会の生産諸力の発展
固定資本および流動資本の流通ならびに再生産
第3の項目 果実をもたらすものとしての資本。利子。利潤。(生産、費用、等々)
貨幣に関する章と資本に関する章への補足
価値の尺度としての貨幣
流通手段としての貨幣、および自立した価値としての貨幣
機械装置と利潤
疎外

(1)価値
金貨計量機
(上記の草稿は1858年2月末に執筆・成立。一部は同年5月末。ロンドン)

邦訳:『資本論草稿集』?、大月書店、1993年
○新MEGA第II部第2巻
刊行年:1980年
編集:L・ミシケーヴィチ(旧ソ連、マルクス=レーニン主義研究所所属)
タイトル:カール・マルクス 経済学草稿および諸著作 1858〜1861年

7冊のノートの索引
第1草案
第2草案
(1858年8月〜10月に執筆・成立。ロンドン)
『経済学批判』原初稿。
第2章 貨幣
 2 支払い手段としての貨幣
(1858年8月〜10月に執筆・成立。ロンドン)
 3 国際的な支払い手段および購買手段としての、世界貨幣としての貨幣
(1858年8月〜執筆・成立)
 4 貨幣関係の担い手としての貴金属
(1859年1月に執筆・成立。ベルリン)
 5 単純流通における領有法則の現象
 6 資本への移行
(1859年7月〜8月に執筆・成立。ベルリン)
第3章 資本
A 資本の生産過程
 1 資本の生産への転化
 追補
(1859年春または夏に執筆・成立。ロンドン)

『経済学批判』第1分冊(1859年)
序言
第1部 資本について
第1篇 資本一般
(1860年1月〜2月に執筆・成立。ロンドン)
第1章 商品
A 商品の分析の史的考察
第2章 貨幣または単純流通
(1861年6月〜7月に執筆・成立。ロンドン)
 1 価値の尺度
B 貨幣の度量単位に関する諸理論
 2 流通手段
  a 商品の変態
(1859年秋に執筆・成立。ロンドン)
  b 貨幣の通流
  c 鋳貨。価値章標
 3 貨幣
  a 貨幣蓄蔵
  b 支払手段
  c 世界貨幣
 4 貴金属
C 流通手段および貨幣に関する諸理論
カール・マルクス『経済学批判』第1分冊への書評(フリードリヒ・エンゲルス)
資本に関する章へのプラン草案
引用ノートへの索引
私自身のノートに関する摘録
分業について
地代について
(1861年末、ロンドン)

上記「新MEGA第II部第2巻」の補足

邦訳:『資本論草稿集』?、大月書店、1984年
この邦訳にはオリジナル『経済学批判』第1分冊(1859年)の正誤表が訳出されている。この正誤表はMEGA版には欠落。
○新MEGA第II部第3巻第1分冊
刊行年:1976年
編集:A・シュニックマン(旧東ベルリン、マルクス=レーニン主義研究所所属)
総タイトル:カール・マルクス『経済学批判』草稿(1861年〜1863年草稿)
収録草稿:『経済学批判』草稿(1861年〜1863年)ノートI〜V(S.1-211)

経済学批判草稿(草稿1861年〜1863年)・第1分冊
経済学批判
第3章:資本一般
I 資本の生産過程
 1.貨幣の資本への転化
  a)G-W-G.資本の最も一般的な形態
  b)価値の性質から生じる諸困難などαへの追補
  γ)労働との交換。労働過程。価値増殖過程
   労働能力の価値。労賃の最低限すなわち平均労賃
   貨幣と労働能力との交換
   労働過程
   価値増殖過程
   労働過程と価値増殖過程との統一
   (資本主義的生産過程)
   貨幣の資本への転化が分かれる二つの構成部分
  追補
  あとからなされた追補
 2.絶対的剰余価値
  a)剰余価値を特定の、すなわち労賃に支出された資本部分との単なる比率として捉えること。
  b)必要労働に対する剰余労働の関係。剰余労働の限度
  c)過度労働の利点
  d)同時的労働日
  e)剰余労働の性格
  追補
  剰余価値の率
 3.相対的剰余価値
  a)協業
  b)分業
   余論(生産的労働について)
   分業のさまざまな種類
   単純協業
  γ)機械。自然諸力と科学との応用
   あとからなされた第2項、第3項への補足
   分業への補足
   剰余労働
  10時間労働と過度労働
(上記は1861年〜1862年3月まで執筆・成立。ロンドン)

邦訳:『資本論草稿集』?、大月書店、1978年
収録の草稿 Heft V にはS.175-219の通しページ番号が記載されているが、同草稿 S.211の下段以降から末尾までは、新MEGA第2部において第3巻第6分冊に収録されている。


編集史上の争点について:
いわゆる「1861年〜1863年草稿」のうち、この第3巻第1分冊においてはノートI〜Vが収録されている。
ところで「1861年〜1863年草稿」のノートXVIの表紙には、恐らく起筆時期を示すであろう日付として“December”が記載されている。論争の争点はこの12月を「何年の12月」と考えるかにある。
当初、MEGA編集者はこれを「1862年12月」と理解した。この根拠はその前のノートXVの表紙にあり、この表紙には“October '62”という記載がある。つまり「ノート番号とノートの作成順序が一致する」という前提に立てばMEGA編集者の考えの方が合理的である。そのためノートXVI〜XVIIIまでの執筆時期を「1862年12月〜1863年1月」と推定し、これらは後半の分冊・第3巻第5分冊に収録されることとなった。
ところが「ノートXVI」「ノートXVII」は最初から「ノートXVI」「ノートXVII」であったのではなく、当初は「最終ノート」「最終ノート2」と題されていたことが判明した。
またこれらのノートに付された通しのページ番号は、のちになってからのものであり、当初のページ数はラテン文字やギリシア文字で書かれていたことが、モスクワ現代史文書保管・研究ロシアセンター保存のオリジナルテクストの調査により判明した。
また「ノートXVII」表紙上部中央の書き込み「最終ノート2。2。経済学批判」の1行下に、これと同一の筆記・筆勢で“Januar 1862”という日付があり、さらにその下には「1029ページからはノートXVからの続き、(1862年10月および11月)」と記されている。
つまりこれら2つの日付がいずれも1862年12月に先行しており、この点においては新MEGA編集者の「ノートXVI=1862年12月説」には矛盾が存在することになる。
この異論は日本人研究者である大村泉氏から新MEGAに対して出され、後にこの大村氏の推定を新MEGA編集者も受容することとなった。

参考文献:
大村泉『新MEGAと《資本論》の成立』八朔社、1998年




上記、新MEGA第II部第3巻第1分冊。
編集史上の争点についての補筆:

上記の大村泉氏と新MEGAとの編集問題の争点で明らかなように、ここで問題とされたのは「1861年〜1863年草稿」ノートXVI〜XVIIIが「1862年12月成立」なのか「1861年12月成立」なのかという点である。したがって争点をわかりやすく書くと……


※新MEGA編集者の以前の見解
「ノートXVI〜XVIIIの成立は1862年12月」

※大村泉氏の見解
「ノートXVI〜XVIIIの成立は1861年12月〜1862年3月」


……ということである。
したがって大村泉氏は「ノートI〜VとノートXVI〜XVIIIの執筆は同時並行で行われた」と考えた。

後に新MEGA編集委員が大村氏の批判を受け入れたため、この論争には形式上は終止符が打たれた形になっている。
したがって時代系列順に刊行するという新MEGAの編集方針からすると、現在の新MEGA第II部第3巻第5分冊に組み入れられたノートXVI〜XVIIIの草稿は、本来は第1分冊の内容の中に組み入れられなければならなかった内容ということになる。
訂正:

>コメント7「編集史上の争点について:」の部分

以下を訂正します。
コメント7・本文末尾より数えて7行目。
「ノートXVII」表紙上部中央の書き込み部分。

※誤
「最終ノート2。2。経済学批判」
※正
「最終ノート2。経済学批判」

正しくは以下のようになります。
“Heft Ultimum. 2. Kritik der Politischen Okononomie”
(ただし“Okononomie”の“O”にはウムラウト)
○新MEGA第II部第3巻第2分冊
刊行年:1977年
編集:H・スカンブラークス(旧東ベルリン、マルクス=レーニン主義研究所所属)
総タイトル:カール・マルクス『経済学批判』草稿(1861年〜1863年草稿)
収録草稿:『経済学批判』草稿(1861年〜1863年)ノートVI〜X(S.220-444)

『経済学批判』草稿(1861年〜1863年)・第2分冊
 5.剰余価値に関する諸学説
  a)サー・ジェームズ・ステュワート
  b)重農主義者
(ノートVI、1862年3月成立、ロンドン)
(ノートVII、1862年4月成立、マンチェスター/ロンドン)
(ノートVIII、1862年4月末〜6月初旬成立、ロンドン)
  c)A.スミス
   年々の利潤と賃金とが、利潤と賃金とのほかに不変資本をも含む年々の商品を買うということはどうして可能であるか、の研究
(ノートIX、1862年4月末〜6月初旬成立、ロンドン)
   生産的労働と不生産的労働との区別
   収入と資本との交換
  d)ネッケル
   余論:ケネーによる経済表
  e)ランゲ『民法理論……』、ロンドン、1767年
  f)ブレイ(J.F.)『労働の害悪と労働の救済策……』、リーズ、1839年
(ノートX、1862年6月成立、ロンドン)

邦訳:『資本論草稿集』?、大月書店、1980年


編集史上の争点について:
新MEGA第II部第3巻第2分冊には「1861年〜1863年草稿」のうちノートVI〜Xが収録されている。
ところでノートXはマルクスによるS.422-489のページ付けがある。しかしS.444でいったん文章を終わらせ、S.445から新たに「g)ロートベルトゥス氏」を開始している。新MEGA編集者はこの点を考慮し、S.444とS.445の間で草稿を内容区分し、S.444までを第3巻第2分冊に収録した。
○新MEGA第II部第3巻第3分冊
刊行年:1978年
編集:W・ヤーン(マルティン・ルター大学、ハレ)
総タイトル:カール・マルクス『経済学批判』草稿(1861年〜1863年草稿)
収録草稿:『経済学批判』草稿(1861年〜1863年)ノートX〜XIII(S.445-752)

『経済学批判』草稿(1861年〜1863年)・第3分冊
 5.剰余価値に関する諸学説(続き)
  g)ロートベルトゥス氏
   ロートベルトゥスのフォン・キルヒマン宛ての第3書簡。リカードゥ地代論の反駁と新地代論の基礎づけ、ブリュッセル、1851年
   いわゆるリカードゥの法則の発見と歴史に関する覚え書き
   次に最終的に、これを最後としてのロートベルトゥスへの回顧
  h)リカードゥ
   利潤、利潤率、平均価格などに関するリカードゥの所説
   平均価格または費用価格と市場価格
   リカードゥの地代論
   表(574ページ)の解説
   A・スミスの地代論
   剰余価値に関するリカードゥの理論
    1 労働量と労働の価値
    2 労働能力の価値。労働の価値
    3 剰余価値
    4 総体的剰余価値
    5 利潤率
      利潤率の低下に関する法則
   蓄積論
   リカードゥ雑論
    総所得と純所得
    機械
   補録

(ノートX、1862年6月成立、ロンドン)
(ノートXI、1862年7月成立、ロンドン)
(ノートXII、1862年8月成立、ロンドン)
(ノートXIII、1862年8〜9月成立、ロンドン)

邦訳:『資本論草稿集』?、大月書店、1981年 

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