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ミュージックマガジンコミュのとうようさん, 亡くなる

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コメント(8)

謹んでお悔やみ申し上げます。

辛口頑固おやじがいなくなっちゃ〜つまんねーよーたらーっ(汗)
約30年前、ミュージックマガジンを読み始めてから、ずっと影響を受けてきました。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
レコード・コレクターズの先月号(9月号)に
追悼 中村とうようさん として,
石坂敬一さんの文章を載せ,

レコ−ド・コレクター紳士録 特別編として
大鷹俊一さんが
中村とうようコレクション展の
紹介をしている。
ミュージック・マガジンの先月号(9月号)には
湯川れい子さんと
原田尊志さんの追悼文が載った。

今月号(10月号)は
追悼 中村とうよう特集号。

いろんな人がとうようさんや
とうようさんの好きなアーティスト・レコードについて書いてある。

これとは別に,
マガジンやその増刊号などにとうようさんが書いた文章などを集めた
増刊号 『中村とうよう アンソロジー』が17日に出た。
2011年10月号

【特集】 追悼・中村とうよう

創刊以来、長く本誌の編集長として、
ポピュラー音楽全般の紹介と批評を先導してきた中村とうようが
7月にこの世を去った。
フォークやロック、ブルースから、
アフリカ、アラブほかのワールド・ミュージックまで、
さまざまな音楽に向き合い、
ある時は素朴に愛情を示し、
ある時は怒りをあらわにしながら罵声を浴びせ、
読者を引きつけた。
我々の先輩として、追悼と感謝の気持ちをこめて、特集を作ります。

■ ミュージック・マガジンと中村とうよう(高橋修)
■ 日本のロック・ジャーナリズムの草分けとして(篠原章)
■ 内田裕也が語る思い出(近藤康太郎)
■ 中村とうようが愛したアーティスト
■ 中村とうようを思い起こさせる一枚(あがた森魚、小西康陽、鈴木慶一、
山下達郎、石田昌隆、今井智子、大鷹俊一、小野島大、北中正和、小出斉、
真保みゆき、高橋健太郎、萩原健太、原田尊志、日暮泰文、深沢美樹、
松尾史朗、松山晋也、宮子和眞、湯浅学、和久井光司、渡辺亨)
■ ポピュラー音楽のダイナミズムを魅力的に示した功績(深沢美樹)
■ “とうようズ・トーク”に示された思想(小熊英二)
■ 美意識を貫いた生き方(小倉エージ)

『中村とうよう アンソロジー』

1969年の創刊以来40年以上にわたり、
中村とうようが『ニューミュージック・マガジン』
『ミュージック・マガジン』、その増刊号・別冊に書いた
数多くの記事の中から、
音楽ファンのあいだで話題となった評論や、
大いに役立ったアルバム・ガイドなどを選びました。
ロック、ソウル、ブルース、ジャズ、サルサ、ブラジル、アフリカ、
アジア、歌謡曲──ジャンルを超越して音楽の楽しさ、
おもしろさを熱く説き続けた中村とうよう。メモリアルとして、
また、その全体像を知るための手引きとして、ぜひお読みください。

◆読者のバイブルとなったアルバム・ガイド
ブラック・ミュージックを知るためのレコード117(年鑑’77)
中村とうようのレコード100選(年鑑’78)
中村とうようが選ぶ大衆音楽100選(1989)
年間アルバム・ベスト10(1969〜2010)

◆新しい作品やムーヴメントを紹介した記事
ウィリーとプア・ボーイズ、南部へ行く(1970)
大きく盛りあがったブルース・フェスティバル(1975)
ローリング・ストーンズは前人未踏の境地を行く(1977)
さよならキャンディーズ(1978)
サニー・アデの時代がやってきた(1983)
みんながブッ飛んだカッワーリー(1987)
激論・チャックD〔パブリック・エネミー〕(1989)
ケルトとアフリカの“再会”がアメリカ音楽を生んだ(1996)
砂漠のブルース(2004)
クロス・レヴュー 絶賛・酷評セレクション
… ほか

◆若き日の愛聴盤を綴った未発表原稿
レコードが恋人だった(生涯の愛聴盤リストつき)


<もくじ>

■ はじめに

■ 『ミュージック・マガジン』の15年(ミュージック・ガイドブック/1983年5月増刊)
■ スーパー・グループと大型バンド〜ロックはオトナの音楽じゃない(1969年10月号)
■ とうようズ・トーク 第1回(1970年1月号)
■ ウィリーとプアボーイズ、南部へ行く〜クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル試論(1970年3月号)
■ レッド・ツェッペリンの与えた衝撃(1971年11月号)
■ なぜぼくは“ウエスタン”が嫌いか(1972年10月号)
■ ソウル・ミュージックとブラックの美学(1973年5月号)
■ 大きく盛りあがったブルース・フェスティバル(1975年1月号)
■ サルサ旋風の先頭に立つファニア・オール・スターズ(1976年9月号)

■ ブラック・ミュージックを知るためのレコード117(年鑑’77/1977年5月増刊)

■ 音楽をブティックで買ってくるなよ(1977年2月号)
■ ローリング・ストーンズは前人未踏の境地を行く(1977年11月号)

■ 中村とうようのレコード100選(年鑑’78/1978年4月増刊)

■ さよならキャンディーズ〜3人の“ふつうの女の子”はやはりスーパースターだった(1978年5月号)
■ はじめにリズムありき〜大衆音楽としてのサンバ、演歌、そしてジャズ(1978年12月号)
■ 800年前の大衆歌謡に新たな生命を〜桃山晴衣セカンド・アルバムの試み(1981年5月号)
■ ブラジル音楽の奥行きの深さ(ブラジル音楽なんでも百科/1981年7月別冊)
■ サニー・アデの時代がやってきた〜世界にはばたくナイジェリアのスーパースター(1983年8月号)
■ 一方的な“コピー天国”非難に反論する(1985年8月号)
■ クロス・レヴュー〜絶賛・酷評セレクション
■ この秋もっと音楽を楽しむための本(1986年10月号)
■ チャリティなんてものはナンセンスだ(1987年2月号)
■ みんながブッ飛んだカッワーリーの強烈なパワー(1987年11月号)

■ 世界の大衆音楽100選(1989年4月号)

■ 激論 ラップは黒人防衛の銃弾だ〜チャック・D(パブリック・エネミー)×中村とうよう(1989年5月号)
■ インドネシア音楽の底なし沼に耳までズブズブ(ノイズ第6号/1990年6月別冊)
■ WOMAD91日本開催までを振り返って(1991年11月号)
■ ケルトとアフリカの“再会”がアメリカ音楽を生んだ〜ジャズ/ロックのルーツはアイルランドにあり(1996年7月号)
■ 砂漠のブルース〜サハラの砂漠を掘り返したらブルースが噴出した(2004年5月号)
■ 音楽の未来と私〜何十年前に作られた音楽でも、フレッシュな感銘を与えてくれるなら、それが“未来”だ(2009年4月号)

■ ベスト・アルバム 1969〜2010)

■ レコードが恋人だった(未発表)
■ 『レコードが恋人だった』掲載予定レコード(未発表)

■ プロフィール
上の4で書き忘れたけど,
9月号には
とうようさんの最後の「とうようズトーク」が載っている。
自殺の理由の一つや
マンションを買ったとき,
飛び降りるには絶好の形をしてると思ったなどと書いてある。
とうようさんへの追悼文は,
朝日新聞では北中正和さんのが載った。
これは, 小倉エージさんに依頼されたのだが,
エージさんが断って, 北中さんを推薦したんだそうだ。

朝日は, これとは別に, 少し日がたってから,
惜別とゆう欄で, 何人かをまとめて取り上げるのだが,
すでに2ヶ月を過ぎたので,もう, 出ないのかと思ったら,
きょう載った。

書いたのは篠崎弘さん。
武蔵野美大へのコレクションの寄付は
周到な死の準備の一環であり,
コレクションの展示会場で開いた小さなパーティーは
親しい友人たちにひそかにお別れを告げる会だったのだろう
とある。

95年に, 独身の理由を尋ねると,
「音楽の研究に全エネルギーを捧ぐために,
家庭は持たないことにしたんだ」と答えたとゆう。

友人たちの手紙(遺書)には
「やらねばならない仕事に要する時間のあまりの長さに,
短気な私はウンザリしてしまったのです」
と記してあったそうだが,
これは,最後のとうようズ・トークの内容とは,
少しニュアンスが違う。

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