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スーダンコミュのスーダンの最新情報

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適当にスーダンの情報を書いてみます。


新しく5000ディナール札が発行されるそうです。


アフラ内の両替屋(UAE EXCHANGE)の
営業時間がラマダーン中は変更されています。
朝から午後3時まで営業
そして休憩
夜8時から深夜1時半まで営業


アフリカンロードに新しくオープンした
バーガー屋は美味しいらしいです。


7年後ぐらいに空港が移転するそうです。
オムドゥルマン?


ブルーナイルに建設中の橋はあと数ヶ月で
完成らしいです。


自動車の免許取得方法が変わりました。
自国の運転免許を持っていても
もう一度スーダンで試験を受けねばなりません。


オムドゥルマンのスークは金曜日でも開いてます。


国立博物館の入場料は100SD

コメント(86)

日本で取得するスーダンビザの有効期間と滞在可能期間が変わりました。(以前は3ヶ月有効の2週間滞在でした。)



(大使館HPより引用)
http://www.sudanembassy.jp/visa.htm

>2.種別に拘わらず、査証の有効期間は発行日より1ヶ月、滞在可能日数は1ヵ月です。
ジョンガランの一周忌ということで
暴動が起こる可能性があります。
エチオピアの大雨によってナイル川が氾濫しそうです。
スーダンから帰国した人で、大腸菌O−25??で下痢をし、隔離された日本人がいるらしいです!(笑)
アフラの2階にコシャリが売っています!!!
エジプトの味が恋しくなった人は行きましょう!!!
おお、コシャリ。あの究極の炭水化物セット。
懐かしい。
先月行ったのだけれど、
アフラのコーヒーショップは普通に高いですね。
600SDDって、高いよね?
コーヒーはおいしかったですけれど。
アフラにいろんなお店が増えていて
びっくりしました。それも、しゃれたお店。

先日ジュバで鳥インフルエンザが確認されました。
アフラ近郊にアフラの様な大型ショッピングセンターが他にも建設される予定です。


夜中のハルツームに季節外れの大雨が降りました。
1時間ぐらいでしたが、台風級。
朝、空のバケツに4センチほど水がたまっていました。
道路は救いようがないほど泥沼になっています。
ハルツームの排水溝は大雨には全く対応できないので、
ラマダーン直前にちょっとした惨事です。
23日からラマダン。
22日の夕方、正式にラジオで発表があったそうです。
明日はラマダン初日。
街中にいらいらしている人が増えるので気をつけましょう。
蚊を殺すために一斉に殺虫剤を散布するとのこと。


11日、水曜
朝5時半〜7時、サッジャーナ

12日、木曜
朝5時半〜7時、ハルツーム1,2,3
夕方5時〜7時、アマラート

14日、土曜
朝5時半〜7時、マンシーヤ
夕方5時〜7時、ターイフ、リヤド


体に悪そうなので僕は郊外に逃げます。
22日でラマダーン月は終了。

23日からイードゥ・ル・フィトゥル(通称イードゥ)です。
会社にもよりますが、多くは4連休です。
外国人登録、ビザの延長、
出国ビザ・再入国ビザの申請及び
取得などの手続きをする場所が
ナイル川沿い(中央郵便局近く)からブリに移転しました。

新しい場所はブリのガーデンシティー。
イラク大使館の裏手です。
ちょっと見つけにくいところにあります。
(旅行者には相当わかりにくいと思います)

新しい所の周辺には、まだコピー屋がないので
必要なコピーは事前に済ませておいたほうがいいです。
さすがスーダン人ですね。太っ腹。



::::::::::::::::::::::::::::



http://www.cnn.co.jp/business/CNN200610270018.html

スーダンの億万長者、政治家に6億円の賞金創設
2006.10.27
Web posted at: 16:14 JST
- CNN/AP

ロンドン──アフリカ・スーダン出身の億万長者モー・イブラヒム氏(60)が26日、自国の発展に寄与したアフリカの政治家を毎年1人選出し、500万ドル(約5億9500万円)の賞金を贈る表彰制度を創設すると発表した。


賞金は政治家が引退後、10年に分割して贈られる。10年後も生存していた場合は、生涯にわたって年間20万ドルを受け取ることができ、賞金総額はノーベル賞を上回る世界最高額となる。


選出の基準は、自国の経済発展だけではなく、医療や福祉の向上などで業績を挙げたかどうか。携帯電話事業で資産を築いたイブラヒム氏は、アフリカの政治家は引退後の生活に保障がなく、権力の座から退けば何もかも失う。これが、政治腐敗の要因のひとつだとして、「政治が劇的に向上しなければ、アフリカの問題は解決できない」と、賞金創設の意図を語った。
はじめまして、

ジュバの交差点にエミンなどの探検家標識塔がたっていましたが??そんなものは??

オムドルマンの白色チーズ(みたいな!・山羊脳味噌スライス)サンドはうっているのでしょうか??
情報提供ではないです・・・むしろ情報くださいです。
すみません。
来年7月〜8月ぐらいからスーダン、ハルツームに語学留学に行きたいと思っています〜。←時期があいまいですが学校しだい。
が、部屋が借りられるのか。一ヶ月いくらなのか見当つかず。
借りられるとはハルツームのひとに聞いているのですが、なにぶん不自由なアラビア語と英語のおかげで意思疎通が…。
情報がある方、教えていただけるでしょうか?
ハルツーム市内が希望です。なんならオンドルマンでも。
一ヶ月の生活費(だいたいです!贅沢しません。)、いまビザ期限が2週間ですが、更新するとどれくらいかかるのでしょうか?(2008年5月まで滞在予定)なぞも教えていただけると幸いです。
今でも脳みそサンドイッチは売っています。
主に売っているのは労働者の多い地区のようです。



部屋はピンキリです。100ドルぐらいからあるみたいですが、これは本当に厳しい環境です。扇風機はないし、トイレはただの穴です。
ある程度の環境を求めるなら数百ドル〜です。

電気代、水道代の支払い、ガスの交換などが面倒です。
地元人の家にホームステイするのが一番だと思います。
学校に行くなら寮があると思いますよ。

ビザの更新費用はビザの種類によって異なります。
観光ビザなら一ヶ月の延長で約100ドルだったような気がします。
それと学生ビザの取得は難しいです。そしてかなり面倒です。

具体的な数字はわかりませんが、
贅沢しなくても生活費は安くありません。
ショウギーさん、早速の情報ありがとうございました。
やっぱり安くはないですねぇ。
まずは学校の寮をあたることにします〜
今年の冬は異常な寒さ。
先日は朝方なんと気温9度を記録。
初の1桁、去年は17度ぐらいまでしか記憶にないが。
地元のスーダン人も今年は寒いと凍えています。
昼間でもジャンバーが必要。
夜も薄手の毛布では足りません。
凍死者が出るかも。
昨日30日から犠牲祭が始まりました。
あちこちで羊の大量虐殺が行われています。
年末年始とも重なり、多くの人が田舎に帰ったためか、ハルツームは閑散としています。
昨日はムスリムにとって神聖な日、その日にフセインの死刑が行われたと、その話題で持ちきりでした。
街中での騒ぎなどはなかったようです。
今年は犠牲祭と重なり年末年始の休みは2日までのはずでしたが、3,4日も休日にすると政府からの公式発表があったそうです。
と言うことで、5日の金曜日まで役所はやっていません。
外国人登録をする場所が
昨日からアメリカ大使館近くのビルに移りました。
?スーダンでは、1)エリトリア難民と、2)ダルフール紛争による国内避難民、3)南北間の紛争停止による帰還民など、450万人が保護を必要としている。
これに対し日本は過去10年間に7800万ドルの支援を実施。
日本、UNHCR、NGO5団体などとのパートナーシップを組み諸問題の解決を図る。

?2010年4月スーダンで大統領選が行われたが、二重投票を防ぐため投票者は72時間で消える特殊な染料を指に塗られた。
女性の多くは「ヘンナ」と呼ばれる伝統的な染料で指や手を装飾しているため、人さし指と中指の間に染料を。
一方、与党の不正を理由に野党がボイコットしたためバシル大統領は再選。

?内戦が続くスーダンに対し、日本の自衛隊をPKOとして派遣するよう国連が要求。
北部の政府と南部の反政府勢力は和平と紛争を繰り返しているが、来年1月に南部の独立をめぐる住民投票をするので、そのため監督係が必要とされていた。
しかし、防衛省の概算で自衛隊の派遣には100億円かかることがわかり中止。


引用
twitter 山本敏晴
http://twitter.com/yamamoto1208
スーダン西部ダルフール地方の紛争への関与で、国際刑事裁判所(ICC)の逮捕状が出ているバシル大統領が10年8月、ナイロビを訪れ、ケニア新憲法の公布式典に出た。
ケニアはICC加盟国。
逮捕に協力する義務を無視した。

ケニア観光相のエスコートで現れたバシル氏は、つえを振って、どよめく群衆に愛敬を振りまいた。
事前に発表された外国要人の出席者リストに、その名前はなくサプライズ出席だった。

2007年末の大統領選をめぐって起きた暴動や民族対立の解決を目指し、ケニアは新憲法を制定した。
暴動の首謀者の捜査はICCに委ねた。

それだけにバシル氏を、国の一大行事の賓客として招いたケニア政府の対応は、人々を驚かせた。
ICCは同日、国連安保理に事態を報告、しかるべき対応を求めた。

ダルフール紛争の犠牲者は推定30万人。
ICCは09年3月に人道に対する罪などで、今年7月には集団殺害罪で、バシル氏の逮捕状を出した。

だが、バシル氏はアフリカ外遊を繰り返し、7月にはICC加盟国のチャドを訪問。
アフリカ連合は同月の首脳会議で、ダルフール和平に悪影響を及ぼすから逮捕に協力しないよう、加盟国に呼びかけた。
そのため、バシル氏のアフリカでの行動は事実上、逮捕状に影響されていない。

参照 asahi.com
http://www.asahi.com/international/update/0828/TKY201008280296.html
『ルポ 資源大陸アフリカ 暴力が結ぶ貧困と繁栄』
2009年 東洋経済新報社
白戸圭一
第4章 グローバリズムが支える出口なき紛争―スーダン民主共和国

本書は、アフリカに特派員として駐在していた著者のルポルタージュです。
本章では、スーダン(主にダルフール地方)においての紛争、それを支える油田採掘について記されています。
特に、スーダン陸軍の元大佐や民族救済戦線(NRF)の司令官への取材(インタビュー)が見所だと思います。
■緊張高まる南部 来月、分離独立問う住民投票 日程先延ばし案、火種に■

スーダンで来年1月9日に予定されている南部の分離独立の是非を問う住民投票を巡り、独立を目指す南部の政治勢力と「独立阻止」を狙う中央政府(北部)の間で緊張が高まっている。
投票実務を担う住民投票管理委員会が、「投票日の先延ばし」を示唆したことに対し、南部の独立推進派が「意図的な遅延だ」と猛反発。
住民投票が実際に先送りとなれば、混乱は必至の情勢だ。

同国では、政府が83年にイスラム法を導入し、キリスト教徒主体の南部が反発して内戦が始まった。
内戦は、05年の包括和平合意で終結し、この時に住民投票が約束された。
南部には現在、旧反政府勢力「スーダン人民解放運動」が主導する自治政府が存在し、住民投票による独立承認を目指している。

投票の有資格者は推計約600万人おり、投票管理委は当初、先月15日〜今月1日を有権者登録期間としていた。
しかし同委は先月26日、「技術的な問題の発生」を理由に登録期間を今月8日まで延長した。
同日までに約300万人が登録したとみられるが、同委は登録締め切り前の2日に「投票日の3週間先延ばし」を決定するようバシル大統領に要請する意向を示唆した。

これに対し、南部の自治政府側は「独立阻止を目指す政府の投票引き延ばし」と反発。
予定通り1月9日に投票を強行する構えを見せており、大統領が投票先延ばしを決定するかが焦点になっている。


参照
毎日新聞 2010年12月12日
http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2010/12/12/20101212ddm007030094000c.html
■住民投票の準備進む 1月実施へ■

スーダンからの独立の是非を問う住民投票が来年1月に行われる南部スーダンに、20トンあまりの投票用紙が到着した。

投票用紙を積んだ飛行機は南部スーダン自治政府の首都ジュバの空港に着陸した。
その後、投票用紙は国連統合住民投票・選挙部(UNIRED)スタッフらの確認を受け、トラックで安全な場所へと運ばれた。

住民投票は、1月9日から15日まで行われる。
UNIREDは選挙監視を支援するための専門家委員会を設置しており、タンザニア前大統領のベンジャミン・ムカパ氏が委員長を務める。

この住民投票は、スーダンの南北内戦を終結させた2005年の和平条約に重点条項として盛り込まれたものだ。
内戦はアラブ系のイスラム教政府と、キリスト教やアニミズムを信仰する南部の黒人住民との間で戦われ、1983〜2005年に200万人が死亡、数百万人が南部スーダンなどから追放された。


参照
CNN 2010年12月24日
http://www.cnn.co.jp/world/30001343.html

西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/217604
■大統領 南部訪問 独立選択なら尊重■

スーダン南部の分離独立の是非を問う住民投票を9日に控え、同国のバシル大統領が、南部ジュバを訪問し「統一維持が最善と信じるが、南部が分離を選択するならば決定を受け入れ、支援する」と述べた。

バシル氏とそろって演説した南部自治政府のキール大統領は、「投票後もバシル氏の訪問を歓迎する」と強調した。

住民投票は、イスラム教徒中心の北部とキリスト教徒などの南部の間で、20年以上続いた内戦を終結させた和平合意の一部。南部の独立支持が多数を占めるのは確実な情勢だが、両者が対立する未解決の課題は多く、内戦再燃の恐れも指摘されている。


参照
西日本新聞 2011年1月4日
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/218940
ケニアから
リファレンダムは土曜に向けて一週間継続とあります。南部独立が優勢、南部の人口も北部より多いから投票数稼げるし、
難民のバイオレンスがとり正され、UNHCRでもケニア受け入りを準備中だそうです。
南部独立可決され、混乱が起こらなければ、開発に向けてこれまで資金注ぎ込んでいた大国から小さなNGO、ウガンダ人、キクユ人らがこぞって石油マネーに群がることでしょう??


投票用紙には、南北が 手と手を握る「合同か?」と 手の平を見せてノオ即ち「独立か?」が問われています。
石油がでて中国アメリカが地下工作し、ダルでは多数の死者が出てバシール大統領にKCC逮捕状が出ています。長年の内戦で南は疲弊しきってます。
うちのドライバー・ワウエルさんも南スーダンで井戸掘ってました。独立後の開発ラッシュになるのか、新国家に向けてケニアウガンダはチャンス到来に期待。
ODA−NGOも大挙して向かうのでしょう。
ジュバは大昔に行きましたがCNNでみると大きなインフラ整った町になっています。


行ってみますか!?新南スーダン国家に、
■南部の住民投票 高投票率は確実■

スーダン南部の分離独立の是非を問う住民投票は、投票2日目を迎えた。
南部の主要都市ジュバでは、初日と同様に投票所前には夜明け前から多くの人びとが列をつくった。

投票は、15日までの7日間にわたって行われる。
2005年の包括和平合意で住民投票が有効となるには60%以上の投票率が必要と定められているが、これまでの有権者の出足から投票率が60%を超えるのは確実な情勢だ。

■教会から投票所に直行
西バハル・アルガザール州、レイク州でも投票は順調に進んでおり、あまりに列が長いため、投票の順番がくる前に投票所が閉まってしまうとの苦情が寄せられるほどだという。

キリスト教徒が多数を占めるジュバでは、日曜の礼拝に参列したために投票に出遅れてしまった人びとも多く、翌日は礼拝に参列した服装のままの投票所に訪れた人びとの姿も見られた。

住民投票の登録者は393万人で、このうち約375万人が南部の住民だ。最終的な投票結果は今月30日以降に発表されるが、個々の投票所では15日から開票結果の発表を始めるという。
内戦で傷つき、舗装道路がわずか40キロしかないスーダン南部の各地に散らばる投票所から投票箱を回収する作業は容易ではなく、集計に時間がかかるのは避けられない。


参照
AFP 2011年1月11日
http://www.afpbb.com/article/politics/2782094/6651276?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics

BBC
http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-12150292
本日で、ナイロビのスーダン難民の投票は終了します。独立して新故国に帰りたい人、ケニアにとどまりたい人がいます。

新独立国家はどうなるのでしょうか??

ジュバで選挙管理に出かけている栗源さんという方の講演が週末にナイロビで開催されます。
■住民投票終了 独立賛成が圧倒的多数の見通し■

スーダン南部の分離独立の是非を問う住民投票は、開票作業に入った。

南部の主要都市ジュバにおける開票途中結果では、D投票所における独立賛成が3066票、北部との統合支持票は25票、ジュバ大学投票所では独立賛成2663票、統合支持69票、独立賛成が圧倒的多数を占めていることから、独立賛成票が過半数に達することは確実とみられる。

独立が決定すれば、7月には新国家が誕生し、スーダン南部は193番目の国連(UN)加盟国となる。

今回の住民投票について、1960年代に外相を務めた住民投票委員会のモハメド・イブラヒム・ハリル委員長は、「スーダン史上、最も平和的に行われた投票だった」とたたえた。

一方、オマル・ハッサン・アハメド・バシル大統領が率いる与党・国民会議は、国家を二分する結果となった場合でも、北部は住民投票の結果を尊重すると発表した。

■最終結果は2月に
現時点では、ジュバ以外の都市での投票結果は分かっていない。
さらに、スーダンでは広大な国土を家畜とともに移動しながら生活する遊牧民も多く、集計作業は困難で、最終的な投票結果が判明するのは2月となる見通しだ。


参照
AFP 2011年01月17日
http://www.afpbb.com/article/politics/2782459/6677272

BBC
http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-12190101
■スーダン南部 唯一残った「白人」族の男性の今■

「僕は『ディンカ人』でも『アチョリ人』でもありません。部族で言うならスーダンの『ギリシャ人』で、南部スーダン人です」
スーダン南部のジュバに住むジョージ・ギネスさんは、誇らしげにこう語った。
ジュバ生まれの彼はギリシャ人入植者の末裔であり、50年間続いた2回にわたる内戦後もジュバに暮らす唯一の純血のギリシャ人だ。

同地では現在、南部の独立を問う住民投票が行われている。
ギネスさんも投票したいのだが、有権者登録もままならない状況だ。
「登録は困難です。彼らが白人の南部スーダン人というものを目にしたことがないからです。彼らは、白人のスーダン人が存在すること、白人のスーダン人にも投票権があることを認めようとしません」

■ギネスさんの祖先
ギネスさんの祖先は1905年、スーダン南部に入植した。
当時スーダンを統治していた英国植民地政府がギリシャ人の「商才」を見込み、ギリシャ人の入植を奨励したため、20世紀初頭の20年間にギリシャ人がスーダン南部に大挙して押し寄せたのだ。
入植者たちはやがて、商業の中継地点としてジュバの街を築いた。

ギリシャ人たちはジュバの「ギリシャ人地区」に家を建てて暮らした。
ギネスさんの父親も、英国の植民地支配が終焉する約20年前、ここに居を構えた。

「彼らはパイオニアです。こんな仕打ちを受けるべきではありません。ギリシャ政府も怠慢で、ギリシャ政府にとってわれわれは存在しないことになっています。悲しいことです」と、ギネスさんはため息をついた。

■内戦後のスーダンに唯一帰国したギリシャ人
ギネスさんはギリシャとスーダンの両方のパスポートを持っている。
ジュバとハルツームの学校に通ったあと、大学教育を受けるためギリシャ・アテネに渡った。
そんな折の1983年、南北間で第二次内戦が勃発する。

ギネスさんの生まれ故郷であるジュバは政府軍の駐屯地になり、南の反政府軍に包囲されて度重なる砲撃を受けた。
故郷に帰れなくなったギネスさんは、難民として中東・北アフリカ諸国を渡り歩いた。
そして2005年に包括和平合意が成り、22年ぶりに内戦が終結すると、ジュバに帰郷した。
だが、スーダン南部に戻った純血のギリシャ人はギネスさんだけだった。

ギネスさんは現在、ギリシャ料理と南スーダン料理を出すレストランを経営している。
店名は「ノトス」、古代ギリシャの南風の神を指しており、スーダン南部の独立を支持するギネスさんの気持ちが反映されている。

■「欧米支援団体の職員」に間違われることが残念
なお、ジュバには、ギリシャ人と黒人のハーフが数多く存在している。ギネスさんによると、サルバ・キール・マヤルディ第1副大統領兼南部スーダン自治政府大統領の夫人も、ギリシャ人の父とディンカ人の母を持つという。

ギネスさんは最後に、次のように語った。
「自分は同郷の多くの人々から、四輪駆動車に乗って大渋滞を起こしている、西洋の支援団体職員や外交官といった白人たちの1人としてみられています。傷つきますよ」


参照
AFP 2011年01月18日
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2782593/6669971
■住民投票 開票が完了 約99%が独立支持■

スーダン南部で行われた同地域の分離独立を問う住民投票の開票が完了し、公式の開票結果(暫定値)が発表された。

開票の結果、投票者の98.83%が独立を支持したとの結果が出た。
住民投票管理委員会が、発表した。

1月9日から15日まで7日間にわたり実施された投票では、海外在住の南部出身者を含む数百万人の有権者が投票した。


参照
CNN 2011年1月30日
http://www.cnn.co.jp/world/30001653.html

BBC
http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-12317927
■南部独立で対米関係改善へ ダルフール問題は置き去りか?■

住民投票で独立支持票が99%近くに達したスーダン南部が7月にも新国家となることが確定し、北部のスーダン中央政府と米国との関係も改善されようとするなか、ダルフール問題が置き去りにされることへの懸念が広がっている。

米政府は、住民投票が平和裏に行われ、スーダン政府が結果を承認したことを受け、スーダンのテロ支援国家指定解除に向けた手続きに着手した。
米政府高官は、手続き完了までに約6か月かかるとの見通しを示した。

しかし、スーダンで活動する支援団体は、ダルフール問題が国際的な議題から脱落してしまっていると警告を発している。

■ダルフール紛争 2か月前から激化
西部ダルフール地方で2003年、アラブ系の中央政府に対抗して、非アラブ系住民が反政府組織を結成したことを発端とするダルフール紛争。
国連(UN)によると、この紛争による死者は少なくとも30万人にのぼっている。

紛争は現在も続いており、しかも政府軍と反政府軍との戦闘は前年12月から激化している。
国連の推定では、この2か月間で新たに4万3000人以上が難民になった。

国際NGOオックスファムの現地スポークスマンは、「この数週間に新たな戦闘が勃発し、空爆も行われた。北ダルフール州を中心に多くの住民が避難した。ダルフール地方には解決には程遠い多くの困難な問題が残っている」と危機感を口にした。

北部を拠点とする野党の党首たちは、南部が独立すれば、ダルフール地方や反体制派の多い北部の複数地域で、分離独立運動が激しさを増すのではないかと危惧している。

一方、ダルフール問題をめぐっては国際刑事裁判所(ICC)が09年、戦争犯罪や人道に対する罪などでオマル・ハッサン・アハメド・バシル大統領に逮捕状を発行したが、バシル大統領はICCへの出頭を拒み続けている。

■ダルフール和平への長い道のり
米政府高官らは、米国はダルフール問題のことを忘れていないと口をそろえる。
住民投票の結果を受けたバラク・オバマ大統領は声明を出し、南部の住民を祝福した上で、ダルフール紛争の完全終結を訴えた。 

しかし、政府軍と反政府武装組織の和平交渉は前年12月以来、暗礁に乗り上げている。
このときカタールで行われた和平協議で、政府側は「進展がない」ことを理由に代表団を途中で引き上げさせた。

また、主要反政府組織「正義と平等運動(JEM)」は前月、交渉の席に着く用意はあるが、それは紛争の根本原因である非アラブ系住民の政治的疎外や難民などの諸問題が討議される場合に限ると表明した。

こうしたなかスーダンの外相は、スーダンと米国が「ダルフール和平の実現に向けて両国が協力し合う」旨の協定を締結したことを明らかにした。
米国のスコット・グレイションスーダン担当特使も、国際NGOや国連・アフリカ連合ダルフール合同活動(UNAMID)の活動を容易にするため中央政府が努力していると賞賛した。

しかし、支援団体側は最近、ダルフール地方で治安悪化や政府軍の妨害によって活動が制限されているとして抗議している。


参照
AFP 2011年2月10日
http://www.afpbb.com/article/politics/2784943/6789016?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics

BBC
http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-12416967
■スーダン大統領 次期大統領選に不出馬の意向■

スーダンのバシル大統領が2015年に予定されている次期大統領選に出馬しない意向を示した。
与党・国民会議党(NCP)の幹部が、明らかにした。
また新世代への権力移行を図るため、NCP党首の座も退く意向だという。

同幹部は、バシル氏の決断はエジプトなどで起きている民衆蜂起に影響されたものだとの見方を否定。
「エジプトでは大統領と民衆の間に隔たりがあったが、スーダンでは大統領が週末に社会的、公的式典に参加する姿が見られる」と語った。

バシル氏は1989年にクーデターで実権を握って以来、政権の座にある。
2010年の大統領選挙ではバシル氏が勝利したが、野党勢力の大半は不正を理由にボイコットしていた。

2005年にはスーダン南部の武装勢力「スーダン人民解放軍」と和平合意を締結し、数十年に及ぶ南北内戦を終わらせた。
これに基づき2011年1月に行われた住民投票で南部の独立が決定。
南部地域は、2011年7月9日に正式な新国家となる。

一方でバシル氏は、西部ダルフール地方での紛争を巡り、大量虐殺や戦争犯罪、人道的犯罪に関与したとして、2010年に国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状を出されている。
ICCが現職の国家元首に逮捕状を出したのはバシル氏が初めて。
大統領職にあるため訴追を免れているとの指摘もある。

前述のNCP幹部は、ICCによる逮捕の可能性がバシル氏の退任を妨げるのではないかとの見方を退けた。


参照
CNN 2011年2月22日
http://www.cnn.co.jp/world/30001888.html
■スーダン南部 独立決定後も暴力激化■

国連(UN)は、住民投票で独立が決まったスーダン南部で暴力が激化しており、今年にはいってからの犠牲者が800人を超えたと発表した。
避難民も約9万4000人に達しているという。
スーダン南部は7月の独立に向けて、治安の維持が大きな課題となった。 

スーダンでは2011年1月に南部の分離独立の是非を問う住民投票が行われ、7月に独立することが決まった。
住民投票はおおむね平和的に行われたが、それ以後、武力衝突が激化しており、過去1か月で避難民の数は倍増したという。

スーダン南部では武装勢力と政府軍の武力衝突のほかにも、土地や家畜をめぐる部族間の衝突、スーダン南部に主力を移したウガンダの反政府勢力「神の抵抗軍(LRA)」による攻撃も散発的に発生している。

スーダン南部の主要都市ジュバで会見したLise Grande国連人道調整官(スーダン担当)は、「少なくとも7つの民兵組織が存在し、共同体の中でも暴力が続いている。その上、LRAの存在もある。非常に憂慮している」と語った。

暴力の激化は、2010年の統計と比較しても明らかだ。
スーダン南部における暴力の犠牲者は、2010年には年間で980人程度だったが、今年はすでに3か月あまりで800人に達している。


参照
AFP 2011年04月14日
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2795731/7086746
■スーダンの子どもと運動会 宮城県の小学生■

津波で壊滅的な被害を受けた宮城県名取市の閖上地区の小学生らと、訪日しているアフリカ・スーダンの子どもたちによる運動会が名取市で開かれ、両国の子どもたちが一緒に玉入れや徒競走などを楽しんだ。

運動会は、内戦が続いたスーダンで医療活動をし、震災後は宮城県でがれき撤去などの支援を続けているNPO法人「ロシナンテス」が企画。
スーダンから8〜18歳の男女22人が訪れた。
二つの組に両国の子どもが分かれて、競技を行い声援を送りあった。

スーダンのナレダ・ヨゼフさん(14)は運動会の後、「すごく楽しかったから別れるのが悲しい。みんなには頑張ってほしい」と涙ぐんだ。


参照
西日本新聞 2011年7月3日
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/251670

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