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文芸の里コミュの旅立ち 1

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 旅立ち

  1


 岩見鶴夫はこれまで何度か飛行機を利用しているが、肉親の危篤や不幸の時ばかりで、旅行が目的で乗ったことは一度もない。いつか何の憂いもない状態で、のんびりと機上の人になってみたいと思っていた。
 九月最後の日曜日、鶴夫はひとり住まいのアパートを出ると、京浜東北線に乗り、浜松町で羽田行きのモノレールに乗換えた。今日念願の目的を果たすつもりではなく、下調べのつもりだった。いや、もっと漠然とした、空の旅への思いと、それに連なる空港の雰囲気に浸る愉しみのためと言ったほうがいいかもしれない。
 何しろ、肉親の死や危篤の電話を受けて、慌しく羽田へ駆け付けるのとは、雲泥の差なのである。この余裕を愉しんでくるだけで、十分な値があるというものであろう。
 実際に飛行機に乗るのは、もっとずっと先になるだろう。それでいいではないか。父も母も死んでしまったし、兄は一度大病を患っているから、これからは不幸が原因で呼び出されるとは考え難いというものだ。兄嫁は若く健康体だし、甥や姪たちもぴちぴちしている。彼等の祖父母の命までも吸い取ったと思えるばかりに元気溌剌としている。元気がよすぎて、逆に交通事故に遭いはしないかと心配するくらいだ。
 しかしそんなことをくよくよ案じていた日には、こちらの寿命をすり減らしてしまうというものだ。
 モノレールは、真昼問の明るく晴れ渡った都会の空間を静かに滑って行った。モノレールの窓から、こんなにくっきりとした都市の光景を眺めた記憶はない。何度も乗っているはずなのに、暗い気持に沈んでいたからであろう。建物の屋根や壁の看板も、いかにも目に付くように意匠をこらして、しかるべき位置に掲げてある。ビールの看板なら、一杯といわず二杯三杯たて続けに喉に流し込みたくなるように。スポーツ用品なら、それを身につけ、気持よい汗を流して競技したくなるように。
 モノレール内にも、(空をひとまたぎして、湯に入ろう)とか、(いま今大都市で活躍する君、一時間後には大秘境)などと、九州や北海道の観光地のポスターが貼ってある。あるいは、ビジネスホテルは○○館へなどというのもある。
 以前にも、車内にポスターなどあったのだろうか、と首を傾げたくなる。飛行機を不幸のときの乗物くらいにしか考えていなかった。飛行機は、日常の諸々の桎梏から脱出する文明の利器でもあったのだ。また、商用でいち早く目的地へ飛ぶ、便利な乗物でもあったのだ。
 鶴夫は皆がどんな思いで乗っているのかと、車内に目を配った。かつての自分のように、心配を抱えて打ち沈んでいる者はないだろうか。こんな観察眼を働かせられるだけ、今の鶴夫には余裕があるということだろう。
 後ろの一段高くなった座席には、さまざまな楽器を携えた若者の一行が乗り込んでいる。どこかへ演奏旅行に出掛けるらしい。浮かれた話の内容も、そういったものだ。
 他の乗客は、それぞれのシートに納まって、話声も聞えてこない。鶴夫はすぐ前のボックスに目をやった。こちら向きに腰掛けている通路寄りの若い娘は、化粧気もなく、髪もおどろといったところだ。ブラウスも普段着と変りなく、しかも下は色褪せたジーンズだった。旅馴れた若者のする恰好とはどうも違うのだ。面を伏せっぱなしで、そのくせ絶えずそわそわと肩を揺らしている。表情には険しいものがあって、モノレールの速度が遅いとばかりに、身を揉んでいるようなのだ。一見したところ、工場ででも働いていたのを、突然電話が入って、取るものも取りあえず駆け付けるといった感じだ。
経験を積んでいる鶴夫には、娘の気持がよく分かるのである。

 彼が最後に羽田の地を踏んだのは、母親が危篤に陥った二年前だった。電話を受けたのは深夜で、交通の便がなく、夜明けを待ってアパートを飛出したのであったが、電車も、モノレールも、のんびり走っているようで、焦れったくてならなかった。
 出来のよくない未っ子の彼は、さんざん心配をかけてきたから、こんなに早く死なせてはならないと思っていた。なんとか大学は出たが定職に就かず、アルバイトをしながら、研究生と称して母校の大学へ出入りしていた。
 その三年前に父親を亡くし、母親は心臓の持病に負担を増し加えたといえるだろう。
 鶴夫は母親が危篤で駆けつけたときのことを、何故か懐かしく思いつつ、目の前の娘の心を慮っていた。自分の今の余裕が、済まなく感じられた。といって、何も慰めるすべがない。どんな悲しみが待ち構えていようと、それを見に行かなければならないのである。娘の心には重過ぎる結果であろうと、受け入れざるを得ない道についている。
 心労に打ち沈んで俯きっぱなしの娘に、彼は哀れみが湧いた。この女にとって、この飛行機の旅は初めてなのだろうか。初めての飛行機で、不幸に駆けつけるのだろうか。あるいは、死に急ぐ肉親を追いかけて行くのだろうか。
 不幸と飛行機とが、ぴったりと重なってしまい、それ以外の場合を知らない鶴夫には、他を想像することは出来なかった。
 一人の娘にばかり囚われている鶴夫を、通路を挟んで二つ前のボックスから見ている者がいた。というより、目の置場がないから、なんとなくこちらを向いているのかもしれなかった。
 鶴夫はその者に、思いきって顔を向けた。背広上下にネクタイで正装してはいるが、不精髭で頭髪もぼさぼさの、顔を洗ったとも思えぬ冴えない男が、胡散臭げに鶴夫を見ていた。目が合っても、別にばつ悪そうな顔もせず、同類でも発見したような気色なのだ。床にボストンを一つ置いているから、物好きにぶらりと出掛けて来た鶴夫とは違う。
 しかしどうも男の表情には、似たものに出合ったというような喜色がほのぼのと匂っている。歳も三十を少し出たところだろう。年齢だけを見れば、似ていると思われても仕方ない。鶴夫は三十一歳を迎えたばかりなのだから。
 この男は近親者の死(多分親だろう)に見回れて、これから駆けつけても、もう死に目に合うことも出来ない。そういった諦めから、いくらか静まって車内を見回し、自分と同じ境涯の者がいないかと物色していたとき、鶴夫を見つけて慰められているといった感じだった。
 かういった男の態度に、鶴夫は些か傷つけれられていた。この勝手な観察には、事実誤認があるし、鶴夫のある種のゆとりを、自分の諦念と一緒にしたことが、たまらなかったのである。
 それは二年前のことなのだと言ってやりたかった。そして、その時だって、おまえのように車内を見回したりはしなかった。電話の内容から、覚悟はしなければと思いつつも、一縷の希望に縋りつくようにして、モノレールのスピードが遅い遅いと気を揉んでいたのである。
 今モノレールは羽田整備場を出たところだ。乗客は手荷物を引寄せたりしている。なかには立ち上がって、出口ヘ向う者もある。
 スピードが落ち、乗客は立ち上がって降車口ヘと詰めて行く。
 鶴夫も乗客に挟まれて進んだ。先程の男は、紛れて見えなくなっていた。娘の方は、三四人挟んだ前を進んでいる。
 鶴夫は手ぶらだから、旅が目的とは思えないだろう。先程の男は、鶴夫の空手に気づいて、いそいそと逃げだして行ったのかもしれない。
 ホームを急ぐ乗客たちの背について、ゆっくりと空港ビルヘと吸い込まれて行った。

 二年前は夏の旅行シーズンで、空港は混雑し、日航、全日空ともに満席だった。日本エアシステムなら乗れるかもしれないと言われて、急遽駆けつけ、空席にありつけたのだった。
 その時の、命拾いをしたという思いが、今もありありと残っていた。ことにその印象が強いのは、次の情景を誘発したからである。
 フロントで名を名乗りつつ見た、目前の係の女性の胸に、岩見鶴子とあったのである。彼女は初めぽっと赤面し、信じられないとばかりに聞き返した。
「イワミ、ツルオ」
 彼は戦慄きつつ、早口に繰り返した。ここにだけ飛び立つ道が残されており、しかも、「夫」と「子」一字違いの奇しき一致を、ただの偶然とは思えなかった。そもそも岩見からして、そうある名前ではないのである。これは何かの吉い徴だと受け取った。吉い徴となれば、母親が危機を脱出する以外には考えなかった。目前の女性が救いの女神のようにも思われて、見詰め返していた。
 岩見鶴子は上気した面も急速に冷めて、エキスパートぶりを発揮して事務的に処理していった。空に飛び立つ者の窓口を努める、華やかさと峻厳さを併せ持った高嶺の花として、一人の女性がそこにいるだけだった。
 鶴子は、美しく、凛々しく、空の玄関に花開いていた。大きく涼しい目元が余計そう思わせた。
 ところが、である。病院に駆け付けてみると、母親は既に息を引き取っていた。すると、《岩見鶴子》の徴は何であったのだろう。彼は母親のなきがらを前にして、裏切られた気持に沈み込んでいた。単なる運命の悪戯だったのだろうか。
 鶴夫はその後、厭なものを斥けるように、岩見鶴子を記憶の中から取り除いてしまった。たまに想い出しても、関わらないようにした。
 今も空港ビルに来るまでは、忘れていたのである。しかるに、空港ビル特有の雰囲気が蘇るなかで、甲斐甲斐しく窓口の応対をしている彼女たちを目にすると、二年前の、あのときめく名前の一致は一体何であったのだろうと、あらためて頭をもたげてきた。
 鶴夫の足は、知らず知らず二年前と同じコースを辿って踏みだして行った。
 日本航空、全日空を過ぎて、日本エアシステムまで来ると、足が疎んだ。窓口の女性は、どれも見覚えのあるお揃いの制服だった。一瞬の出会いであったから、顔から岩見鶴子を見分けられはしないだろう。何番目の窓口であったかも記憶にない。何しろ慌てていたし、もしかして、その名前さえも、一種の自己救済の手段として、幻を見ていることだって無きにしも非ずだろう。また、二年前は確かに存在したが、その後辞めてしまうなり、ポストが変わる場合だってある。高給取りの機長とでも結ばれれば、共稼ぎの必要もない。
 鶴夫はそんなどう考えても頼りない場所に立って、恐る恐る首を伸ばして物色した。人の陰になって胸の名札が見えないので、前へ出て行った。
 そうやって一人一人片付けるつもりで、端の方から確かめていった。肉眼で見つけるより先に、身震いが起こった。予感にたじろいだといったほうがいいかもしれない。奥の外れに近い位置に、岩見鶴子がいたのである。というより、岩見鶴子の名札を発見していた。
 白いランプの光に、彼女は幽けく、百合のように香っている。事実、口紅が蕊の如くに見えた。鶴子に気づかれなかったのが幸いだった。
 鶴夫は一度、その場所を離れるつもりで、広場の方へと足を運んだ。おぼろげに記憶にある岩見鶴子より、いくらか細面に見えた。彼女の前には、二人の客が立っていた。
 彼は到着ロビーのベンチに、鶴子からだいぶ距離をおいて坐った。混雑しており、ここなら鶴子に気づかれる心配はない。いや、たとえすぐ前のベンチにいても、発覚するはずはないのである。名札をつけていない彼は、行き交う群集の一人に過ぎないのだ。
 鶴夫は腕組みして考え込んだ。考えてみなければならない問題が、再び持ち上がってきた。二年前、母親の葬りをしてから、しばらく蟠っていた問題だった。
 羽田に駆け付けて岩見鶴子に出くわしたのは、母親が決して死ぬことはないという徴のように受け取ったのに、待っていたのは母親の死顔だった。そうすると、あの岩見鶴子はどういう意味があるのか、はたと行き詰まってしまった。そのうち、岩見鶴子が母親の身代りとしてあそこにいたのではないかと思えてきた。
 けれども、三十にもなってまだ自立出来ず、フリーアルバイターとしてふらついている自分の現実を見たとき、そんな甘い考えは妄想として斥けられていった。名前の見間違えであったかもしれないし、偶然の一致としても、何ら不都合なことはない。それを事々しく受け取り過ぎてしまったために、頭が変な混乱を起こしてしまったのだろう。
 ところが今、二年ぶりに羽田を訪れて、再び自家撞着していた。ここにくるまでは、思い及ばないことだった。岩見鶴子を目当てにやって来たわけではなかったからである。
 さて、こういう場合の常識として、しばらく彼女を眺め、その容姿を目に納めて立ち去って行くことになるだろう。主人公はかねてからの飛行場行きを、今日思い立って出掛けて来たのであるが、帰りは新たな感情を詰め込んで帰宅して行くのである。
 ここでもそういう帰着をするはずであった。ところが、この主人公にとって、そういう方向に流れていくのが、はたして自然だろうかと危しくなってきたのである。
 そうなると、なんとかして鶴夫と鶴子を結びつけなければならなくなった。結びつけるか、つけないかは天の決めることであってみれば、そこまではいかないにしても、先程ちらりと見ただけの名前を、迫って見届けるくらいはしなければならなくなった。
 そうだ。今の若者なら、このままで済むはずはなかったのである。当って砕けろである。そこまでいかなければ、歯痒いばかりで、リアリティーすら失われてしまう。何はともあれ、そういう現実なのであった。
 しかし鶴夫が鶴子に接触を試みてみようと決心したのは、さらに思考を重ねつつ展望台に上り、ジャンボ機が轟音とともに、空中に浮上するのを目にしたときだった。ここ空の玄関羽田では、つまらぬためらいを断ち切って、次々と空へ出立していたのである。
 接触を試みるといっても、何か切っ掛けがなければならない。それには、念願の空の旅を今日にしてしまえばいいわけである。北海道ではなく、別の方向へ飛べば、まったく新しい空への出発となるだろう。
 現金の持合わせはないが、空港ビル内でも、預金カードを換金するくらいは出来るはずだ。今日は旅先で一泊し、帰りは新幹線か、場合によっては飛行機となろう。それは、鶴子との間に希望が持てたときに限られる。逆に取り付く島もなく一蹴され、打ち拉がれて
機上の人となって行く事態については考えないようにした。そのときは、少し無理でも、鶴子などいなかったことにして、心を切り替えてしまえばいい。そもそも、先程空港に着くまでは忘れていたのである。

                   つづきます

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