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文芸の里コミュの遊園地

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            Julia Fischer - Grieg Piano Concerto, Part 01

  ☆


 遊園地


湖畔の遊園地では

お手伝いの子守女が

幼児をブランコに乗せて遊ばせている



シーズンオフとあって

静けさを遮るのは

目の前をしきりに翔けるあまたの落葉のみ



子守女は別れた男の影を

ブランコに乗せ

うっかり強く手放してしまった



蒼天まで昇りつめた幼児が

逆さ吊りになって

降りてくる



落葉を掃き分けて届いた幼児の頭を

いい子いい子と女は撫でる




この子守をする女性が神の召しに与っている人であるなら、
それを破壊してしまった別れた男は、悪魔のしもべとして働いたことになります。というより悪魔に入り込まれるようなものは、はじめから悪魔の一味、小悪魔であったと言えます。
この子守女のその後はどうなるのでしょうか。自分が神の花嫁の一人であったと気づいたとしても、既に手遅れです。天国に新しい体に復活してからはどうかというと、それも不可能です。
彼女に残された道は、そんな軽薄な男の誘惑にひっかかったことを深く悔いて、神に赦しを乞うことです。その祈りが真剣なものであり、神が認めれば御霊が下って、喜びに充たされるでしょう。イエスと直にまみえることはなくても、御霊を通して間接的に交わることができるからです。これがキリスト教で言われる一般的な神との結婚です。

前に召し人として登録されたはずの人に斜に構えたような不届きな発言をする人が現われ、過去に濃密な男関係があったと睨み、神もそう言われるので花嫁の列から削除しました。しかしその後、あれを男女の情交ととられ、せっかくの花嫁のポストを失い、神に背いたとして形見の狭い思いをして生きていくなんてごめんだ。男は軽薄で、肉体のことしか頭になかったが、私はそんな誘惑に負けなかったし、処女を守って、男を捨てた。それでもいくらか肉的に関わったというだけで花嫁の資格を剥奪されるのか。
ということで、居直って問い詰めて来た人があります。花嫁ともなれば人一倍良心には潔癖なのですから、神を欺こうとしたとは思いません。
しかしこの人を清純な女性と信じるのは大変な決断を必要とし、勇気がいることです。そんなことからすぐ記事にもできないでいると、
私の体調がおかしくなり、鼻血が出て止まらなくなりました。風邪の症状も重なっていると思われますが、尾篭な話、鼻血は止まっても、鼻をかむと瘡蓋を剥がすことになり、そこからまた血が出るというようなことを連日繰り返しています。鼻をかまずに全治するのを待てばいいのでしょうが、息が苦しいのでつい瘡蓋を剥がす方向に行ってしまいます。最近になって、鼻血とそれが治らない訳が判ったのです。以前から再三ここで取り上げているので、お分かりの向きもあるかと思いますが、Nさんが北のnorthと受取って、誰なのか判らずにきたのですが、鼻のnoseを出すことで、そろそろ信じてよいと、神は私に迫っていると考えられたのです。
神は人を切るときは潔く、回復させるときも極端です。それは私をいつまでも悩ませて置かないための手法だと考えています。しかし決定してしまったものは絶対動きません。
神が嫌うのは、肉の交わりだけではありません。悪い霊を住まわせるものとの交わりも、同じように忌み嫌います。私など人のホームページに出かけて、そこの並んだ顔ぶれの中に、花嫁を見かけることもありますが、すぐ隣に濃厚に悪霊のにおいを漂わせるものがいたりすると、よくこんなものと、平気で交わっていられるよな、と花嫁の品性を疑うこともしばしばです。このことは書き足りませんので、そのうち稿を改めて書くつもりです。

次に当面するものとして、猫の問題があります。このところ我が近辺にも出没しているのですが、猫が何人かの花嫁の顔を持って歩き回っているというのですから、猫の動きを通しての解釈にも一喜一憂といったところです。猫は多くはありません。一匹のみです。しかし猫の背後にぶら下がっている花嫁とは、いったいどういう人たちなのか。猫の性格にヌーボーとしたものがあるように、この猫たる花嫁たちもはっきり掴めないのが現状です。他の花嫁との違いは、猫は単独行動で、他の花嫁の背後には預言者なるものが存在すということです。この預言者に私は助けられているのですが、めったに表舞台には登場してきません。しかし重大な働きをしていることは明らかです。もし預言者がいなければ、地球上にこれだけ多くの神を信じるものが現われては来なかったでしょう。
にもかかわらず、旧約の時代には預言者はいたが、新約の今は存在しないのだと強弁するものが、信徒の中に幅を利かせているのです。
そういうものと平気で交われるものが花嫁の中に存在するとは、いったいどういうことなのか。後述するはずのものが、またまた出てきてしまいました。抑えれば抑えるほど、隠せば隠すほど出てきてしまいます。キリストがいつ裁きの剣を抜くか。見ものになってきました。不可欠なのは外部を取り繕うことではなく、本質を貫くことです。

最後に同性愛者について触れておきます。以前最初の同性愛者が現われたときに書きましたが、同性愛者が復活のいのちの発生にかかわることはありません。あくまでも天に移ってからの約束を伝えただけです。天ではれっきとした女性の花嫁として復活に与り、いのちの木となって機能することでしょう。
ではこの世では何もないかというと、再臨の主と出会い、語らいの中で御霊を受けるということはあるようです。御霊が下れば残りの人生を夢のように自由に生きていけるでしょう。ただし甦りのいのちは他の女性の花嫁から貰うことになります。


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