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東アジア歴史文化研究会コミュの『日本人が知ってはならない歴史』?

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『日本人が知ってはならない歴史』?

13.支那事変の発端は「西安事件」

 1937(昭和十二)年7月7日に響いた一発の銃声があの支那事変を引き起した、という戦争理解が日本人の常識化しています。まことに困った知性の混乱と言わねばなりません。
 支那事変の発端は西安事件にほかなりません。・・・・当時から日本人はこの事件を軽視はしなかったものの、おそるべき意味については無理解だったというしかありません。今日までこの無理解は尾を引いています。囲碁に例えれば、この一手の意味が理解できずにへぼな手を連発して敗けたようなものです。支那事変は西安事件こそが開戦の起点なのです。
 西安事件は1936(昭和十一)年12月12日に起きました。部下の張学良が蒋介石を監禁し、共産党に引き渡したという事件でした。毛沢東たちは狂喜し処刑しようとしますが、スターリンは許しませんでした。・・・要するにコミンテルンの方針に従い蒋介石をして対日戦争遂行の駒にしたのです。コミンテルンと中国共産党は蒋介石と日本の戦争の実現を希求し、1932(昭和七)年4月26日には中国共産党と中国ソビエト政府は「対日戦線布告文」を、そして重ねて1934(昭和九)年には「対日作戦宣言」「対日作戦基本綱領」を発表していました。中国共産党は盧溝橋事件の五年も前から、日中の戦争を宣言していたのです。日中両国の運命に深く関わるのが1928(昭和三)年のコミンテルン第六回大会の決定でした。主な方針は次の三つです。
一、自国の敗北を助成すること。
二、帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること。
三、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること。
 次の1935(昭和十)年のコミンテルン第七回大会はさらに「人民戦線戦術」を決議し、共産党は表に出ないで「民主勢力を利用して反ファシズム人民戦線(フロント)を結成する」という戦術に全力をあげていたのでした。
 このコミンテルン決議以来、共産主義者は一斉にフロントに潜りました。共産主義者の姿は消えました。自由主義者か共産主義者かの区別がつかなくなりました。尾崎秀実とゾルゲ・グループの結成も1934(昭和九)年です。日本にも一斉に各種のフロントが作られました。盧溝橋事件発生の時の首相は近衛文麿でしたが、近衛文麿の顧問は首相官邸に一室を構えた尾崎秀実でした。・・・
 さて西安事件です。12日の蒋介石逮捕の後、スターリンは殺すなと厳命し、周恩来が飛来し、張学良・蒋介石との間に第二次国共合作(人民戦線そのもの)の秘密協定が成立しました。・・・・
 西安で蒋介石は日本との即時全面戦争を約束させられたのです。そして釈放されました。盧溝橋などの小競り合いを約束したのではありません。二十九軍という中国軍の副参謀長・張克侠(共産党員)は、北京周辺に散り駐屯していた日本軍への攻撃計 画を策定していました。盧溝橋事件はその一部です。この攻撃の作戦計画案が、日本軍によって後日になって没収されています。・・・・
 フロントとして潜入した共産党員たちは、通州事件などのあらゆるテロを日本人に加えました。通州事件の酸鼻を極める犠牲者の様は、死者の無念を思うと記すことができません。劉少奇が指揮していたようです。テロの続発は反面では蒋介石への約束履行の督促でもありました。・・・・
 盧溝橋事件は支那事変の真因ではありません。盧溝橋事件は結果です。リンゴが落ちたから引力があるのではないように、盧溝橋事件はコミンテルンの第六・七回大会の決定の結果です。・・・・
 コミンテルンの意を体してコミンテルン・中国共産党のなした戦争拡大の共犯者は確実に日本の中にいたのです。日本人の中にはこの戦争を奇貨として、まさに日本「革命」(当時は「革新」と称した)を企図した勢力がいたのです。この勢力の今日の特徴は盧溝橋事件を支那事変の発端と言い、西安事件には触れないことです。西安事件についての研究が日本でなぜ行われないのか。それは日本の言論世界の一大利権構造に関わることだからです。西安事件の解明こそが、大東亜戦争のみならず第二次大戦の本質に関わる歴史の解明に欠かせぬ営為だと私は確信します。
 この勢力は支那事変を太平洋戦争に繋ぎ、「大東亜戦争」の実現も遂行したけれど、目的の「日本革命・日本のソ連化」には失敗しました。日本がポツダム宣言を受け入れて降伏したのは、この勢力には誤算でした。・・・
 戦後の日本には、西安事件や盧溝橋事件の真相が明らかにされることを恐れる大きな勢力が存在しました。存在したという過去形ではなくて、存在するし、現に彼らは今日も日本の言論界と思考制度を支配し続けているのです。戦後日本を支配している思考制度の例です。
*日本は中国を侵略した。
*あの侵略戦争は日本の軍閥と軍国主義のせいだ。
*日本人民は軍国主義の被害者だ。
 こう語る人がいるなら、その人物は大きな勢力の一員であるか、彼らのなしている言論支配の被害者に違いないのです。借問したいものです。
 盧溝橋事件の直後に、戦火の拡大を望んだ日本軍人の名を挙げてみてください。数人の軽薄な放言は別にして誰もいません。当時の日本軍部は、現地和平の方針でした。すぐに消火せよ、だったのです。・・・
 世界大戦を企画したのは、ヒトラーや日本軍国主義という思考制度が採用されています。この「制度」の裏でするりと抜けるのが、スターリンやルーズベルトたちの責任です。戦争責任を敗者にすべて負わせるという思考制度を組み立てていますが、数千万が死んだ世界大戦の道徳的な基礎は、そんな制度で支えることは不可能だと考えるのが普通ではないでしょうか。
スターリンやルーズベルトの戦争責任を言う人が、なぜ「いない」のか。それは現在の巨大な利権構造の基礎だからです。具体的に言います。
 日本のマスコミ界・言論社会を支えている道徳的基礎は何でしょうか。それは自己の立場を戦争反対だった、そして今も平和主義とすることです。

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