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東アジア歴史文化研究会コミュの『日本人が知ってはならない歴史』?

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『日本人が知ってはならない歴史』?

9.朝鮮植民地化のウソ

 前掲の教科書(『世界の歴史』山川出版社)を引こう。
「経済的にもまだ弱い日本が、二十世紀はじめ帝国主義諸国の仲間にはいれたのは、日本が天皇制のもとで強力な軍備を保持し、また当時列強の分割競争のおもな舞台であった中国にもっとも近く位置して、ここに大兵力をすばやく送れる有利な条件をもっていたことによる。たとえば義和団事件で列強が中国へ出兵したとき、ここに一カ月以内に一万の大軍(連合軍総数二万弱)を送れたのは日本だけで、結局、日本は義和団鎮圧の主力になった。こうして日本は東アジアで 帝国主義列強の利益を守る「憲兵」の役割をはたしながら軍事的・経済的大国に成長したのであった」
 ここにはウソが書かれている。義和団事件のときに、十余万の大軍を満州に駐屯させていたのは、ロシアである。ロシアは思惑から、満州の大軍を救援に用いなかっただけである。
 動かないロシア軍の思惑を警戒していた英仏などは、日本に球援軍の派遣を懇請したのであった。日本は四回の正式要請に接して、第五師団の派遣を行ったものである。連合軍二万弱は天津から北京に入城に成功した。確かに、日本軍が半数以上を占めていたが、ロシアは義和団事件を機に満州に大軍を送り続け、満洲全土をほぼ占領することに成功したのであった。・・・
 ロシアは北京の外交使節団全滅は秘かに期するところだったのである。なぜなら、義和団を清朝は利用するだけでなく、自らも国軍を動かし、排外の軍事行動に出ていたからである。ロシアは清国の国軍との交戦を欲しなかったし、密約もあった(露清密約)。
 ロシアの思惑はこの限りでは、成功した。満州の占領が成功したからである。
 義和団事変議定書は、清国は賠償金約五千万両(テール)を連合軍十一カ国に支払い、十二箇所に外国軍隊の駐屯を認めた。この議定書に基いて、日本は諸外国とともに支那駐屯軍を置くにいたったのである。議定書の成立は1901年9月である。日露戦争の三年前である。このときからの支那駐屯軍が、盧溝橋事件に遭遇するのだが、これが昭和十二年七月七日のことである(正確には七月八日が正しい)。
 満州が占領され、朝鮮にロシアの軍事基地が構築されるにいたり、日露戦争が勃発した。
 日本を列強の「憲兵」と教科書は書くが、日本は超大国の清国・ロシアと国の存亡を賭して自衛の戦いを遂行したのである。「帝国主義諸国の利益を守る『憲兵』の役割」とは、あまりに日本の歴史を汚してはいないだろうか。日清・日露戦争で国に殉じた日本人青年十万余の死を、東アジアでの帝国主義列強の「憲兵(犬兵)」の死であるかのように語り、高校の教科書に書いて恬然としておれる神経は尋常ではない。
 私は高校の「社会科」の教師を三十八年間勤めて退職した。日本史でも世界史でも、当初多くの生徒たちは「また日本の悪口の時間」という感覚で臨むのだ。教師たちのうち、近現代史を逃げている者は多い。
 この教科書のくだりは、まだ仕掛けが単純な部類だから、日清戦争・日露戦争と学習した生徒は「またか・・・!」と呟き、笑っている。「犬兵」と私が誤記するとニヤリとする。
 数年前のことだ。忠魂碑のことを話した。ランニングをしていた野球部の生徒たちが、忠魂碑の前で整列して「脱帽! 礼」とやって、走り去ったことが、モン ダイとなった。喜んだ人が学校に電話してきたのだが、当時の校長は当惑気であった。学校で私をウヨク視する人はいないが、校長はなぜか当惑していた。自身の史観のせいだ。
 教科書は、朝鮮の植民地化と平気で嘘を書く。だから、殆どの日本人が日本は朝鮮を植民地として支配したのだ、と思って生活している。この生活の常識とされた「植民地」常識は、日本人の知が痴れていることの証左なのである。
 日本人は朝鮮を植民地にしたのではない。併合して、合邦国家になったのである。チェコ・スロバキアやイギリス、ユーゴ・スラビアと同じ合邦国家となったのである。合併といっても対等合併ではなかった。これは、会社の合併でも同じことである。現実の力関係が合併の内実を決定する。大韓帝国という国名も、消えた。韓国も消えた。
 だが、一進会に結集した韓国の先覚者たちは、日本との併合によるしか韓民族の亡滅を防ぐ手立てはないと分析したのである。このまま漂流していたら、民族の消滅が待ち受けている、と見た一進会の先覚者たちは、日本の内部で生きる道を選択した。これが一進会の合邦決議であり、合邦の申請であった。
 超大国の清国・ロシアに支配され民族消滅・亡国の危機に瀕した現実の経験の中で、そして日本で生活した経験をもつ志士たちの日本人との連帯の感覚が、日本との合邦しかないと決意させたのだ。
 東学党や一進会の真実を、彼らの覚悟と血涙を理解しなければならない。例えば東学党は、「東学党の乱」からの歴史的な変遷や国民的な組織の拡大・変様が学 問的に研究されねばならない。ロシアと戦う日本軍との共同行動や、日本人との共同生活の経験が日本との連帯を生んだのだが、これを乱暴にも「日本の御用団体」と片付けてしまうのは、歴史と先祖への侮辱である。

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