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東アジア歴史文化研究会コミュの『日本人が知ってはならない歴史』?

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『日本人が知ってはならない歴史』?

2.日本人が「知ってはならない」戦後の追撃戦

 支那事変は日本の侵略という。しかし、支那事変を始めたのは日本ではない。盧溝橋事件は、中国共産党軍の日支両軍への発砲により始まったものであり、そして、その背後にはコミンテルンの世界革命の戦略が深く関わっていた。民国政府・軍部も日本も盧溝橋事件の拡大を避けようとした。しかし、停戦協定がなるたびにテロが繰り返された。これらのテロは、コミンテルンの指示・支持を受けた中国共産党が実行したものである。
 大陸の日本人へのテロに憤激した軍部が、戦火を拡大していったという話は、非常に不正確なハナシである。事態はそんなに単純ではない。陸軍の参謀本部、海軍の軍令部もともに不拡大・収拾の方針であった。ただ陸軍省・海軍省が一撃後和平と割れていた。
 問題は日本政府の内部にあった。昭和に入ると、日本の政官界の内部には多数の共産主義者が要路に潜伏するようになっていた。コミンテルンの人民戦線戦術によるものである。先に書いたように、日本には一撃後和平論者はいたが、日本には支那事変拡大派はいなかった。ただし、二人だけいた。尾崎秀実と、工作された近衛文麿である。
 表の共産党は当局の取り締まりで、ほぼ壊滅させられたまま終戦にいたる。獄中十八年とかの「英雄的闘士」は、表の部分の残党にすぎない。獄中とは、生命と三度の食事が保証された世界である。善良な国民は職域に殉じ、戦陣に倒れていった。獄中での拷問を口にする人がいるが、内務班の辛さと戦地の地獄を思えば、獄中など天国だと吐き捨てるように言う多数の元兵士たちを、私は知っている。
 コミンテルンは、主戦力は潜り込ませたのである。尾崎・ゾルゲ事件は露頭部の一部にすぎない。これは捜査が中途で終っているからである。
 北進してソ連と対峙する路線が、なぜか米英と対決する南進に転換していった過程は十分に研究されなければならない。今や資料の類は続々と明らかになりつつある。
 中国大陸での泥沼の戦線に日本の大軍を貼り付け、ソ連への脅威を減じ、そして列強同士を噛み合わせるというコミンテルンの政策について、ひとり日本や中国にとどまらず米国の政策決定に関わる研究が急がれている。ルーズベルト政権内部にコミンテルンの影響の痕跡が歴然としている。日本、米国、中国(民国)ともにコミンテルンには存分にやられたのである。・・・・・朝鮮戦争の勃発とともに、マッカーサーは自分がかつての日本が歩んだのと同じ道を進んでいることを知り、愕然となった。日本がマットに沈んだら、たちまち中国、朝鮮、ベトナム、カンボジアは共産主義の制するところとなったからである。
 解任されて帰国したマッカーサーは、上院に喚問され有名な演説を行う。この聴聞演説は「老兵は死なず」のフレーズだけが知られているが、中心は「米国の自己批判」とも言うべき告白録の部分である。日本の戦いは「正当防衛(自衛戦争)」であった、という趣旨だが、演説を終え降壇する寸前の言葉が先出の「老兵」のフレーズである。
日本人のほとんどはマッカーサーの演説は知らされていない。戦後日本の言語空間を支配した反日本的劣情日本人は徹底的に隠蔽している。戦いの当の本人が、日本の戦いは正当防衛だったと言っているのである。もっともマッカーサーの演説は勝手な与太ではある。
 なぜかと言えば、マッカーサーはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)の作戦実施を命じた当の本人だからである。WGIPというのは、今度の戦争は日本人が引き起したのだという犯罪意識・贖罪意識・反省意識を徹底的に日本人に抱かせる作戦のことである。日本は、足かけ七年間、軍事占領されていた。七年間の軍事占領とは換言すれば、七年間の追撃戦を仕掛けられたということである。
 日本人はこのことを「知ってはならない」のである。
 昭和二十七年四月二十八日に日本は独立を回復するが、日本人の精神はみごとに骨を抜かれていた。日本を再び「強国」にさせないというWGIP作戦はみごとに成功したのである。日本はみごとに解体させられ、今やメルトダウンの寸前にある。
 東京軍事裁判とは、法廷に名を借りた作戦であることに思いをいたせば、軍事作戦であることを知るのに造作はないはずである。しかも、作戦勝利とは「知らない」という戦果である。四年間の激戦は「それで終った」のではないのだ。七年間の追撃戦を日本人は「知ってはならない」し、知ってはいないのである。完璧な敗北である。
「南京大虐殺」「従軍慰安婦」などのハナシは、追撃戦敗北の破片にすぎない。私の老母(九十四歳)は南支那派遣軍広東第一陸軍病院の初代の総婦長を命じられ、三年間の戦地勤務を経験している。老母は「従軍慰安婦」の語を嘆いてやまない。
 従軍記者、従軍カメラマン、従軍技師・・・これらは軍属である。当時には「従軍慰安婦」などバカげた言葉は存在しなかった、と老母は今日の日本人の無知を嘆く。高校教師の私には「生徒さんには正確に教えよ」と訓戒する。ついでに言えば、老母の弟は二十五歳を最後に、マーシャル群島のルオット島で玉砕している。
「妻もなく子供も残さず国のために死んだ」国民をまともに弔わないで、「なにごとぞ」と老母は小泉首相たちの背信を嘆いている。首相たるものが、「なにごとぞ」と言うのだ。
 日本はこの程度までに、追撃戦に完敗しているのである。
 政治家、官僚、財界・経済人たちのあいつぐ不祥事、ひいては少女の売春などの道義の崩壊・・・深まりゆく不況・・・これらは総じて、事態に対処する知性と気力を喪失した追撃戦敗北の現象形態にすぎない。

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