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死刑廃止と死刑存置の考察mixi版コミュの【議論】一般予防論

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コメント(73)

 ええと、私は反廃止論派なので、一応存置派のほうにはいると思います。
自己紹介の方には書いたのですが、ここでも先に書くべきでした。申し訳ない。

ただ、一般予防の論点での私の立場は、存/廃どちらでもありません。この論点で存置派と廃止派が議論する事自体に疑問があるのです。
存置側を擁護していないから廃止派だと思われたのでしょうか?廃止側の擁護もしてはいないと思うのですが・・・
データの提示は、自分の論を相手に通すための単なる裏づけです。
「ああ、この人はここを根拠に、こういう主張をしているんだな」と
理解させる手段。

そのデータを信じるか信じないかは人それぞれであり、
データが真実かと言えば、そうではない可能性もあります。

でもだからと言って、データを出すのが無意味かというとそうではない。
例えば何かの思いつきで企画したものを、クライアントに通そうとする場合、
発想の根拠としてデータ分析は必要になり、
「このデータから、こんな背景が読み取れ、だから私はこんな企画を
考えた」とプレゼンすれば、説得力は高くなるという訳です。

特にデータというのは、自分の周りにいる数人の知り合いから聞いた話
ではなく、それなりのサンプル数の統計と想定できるため、
プレゼンや議論上での有効性はあると思います。

そういう意味で、れおぱさんは
廃止派の方々が声高々に主張される部分の根拠を探りたいと思ったのでしょう。

データ出しも分析も無意味と、無視するのではなく
自分の思考を裏付ける事実(データでも何でも)を探し出し、
コジ付けでも何でも解釈を付けられるのが、
上手なプレゼンのやり方だと思います。







>タッキーさん

 私はデータを出す事や分析が無意味と言っているわけではありません。
今はデータが出せていない状態なので、データを盾にせざるを得ないこの論点の存置派vs廃止派の議論は、結論が出ない水掛け論=無意味にしかならないという事です。
もともと一般予防論がデータそのものの分析や採取法の研究の場であるならともかく、そうとも思えないのですが。

 信じるか信じないかは人それぞれ、で良いようなものをデータと呼ぶなら、それは確かにあると言えます。ですがそれは果たしてデータと呼べるでしょうか?単なる好みや信仰とどう違うのでしょうか。

データは、全くの他人が再調査しても同じような結果が出る、公平な方法で作られないと、確認ができないので真偽の区別がつきません。真偽の区別がつかないものを足がかりにいくら精密な理論を展開しても、それは砂上の楼閣でしかありません。

 確かにプレゼンでクライアントを説得するための体裁としては都合がいいかもしれませんが、それはあくまで話術や政治的手腕の次元の話であり、データそのものの信憑性とは無関係です。

クライアントさえ説得できれば良いとするなら、国民や学者に全否定されても、一部の権力者さえ説得できたものが正しいデータだ、という本末転倒も許されてしまいます。

思うのですが、存置派/廃止派の人は、一般予防について一体どのようなデータが出出されれば自らの過ちを認め、相手のいう事に従うのでしょう?そのハードル設定なくして議論に決着はありえないはずですが、私にはそれがわかりません。
是非皆さんの基準を聞きたいです。

私は「ある時点で日本が死刑廃止した地球と廃止しなかった地球をつくり、同時に観察して犯罪の増減を調べる事を、廃止する時期をずらしたりしながら何度も繰り返す」までやらなければ、データとしては信用しません。なので、一般予防効果については結論は出せないものとして無視する事にしています。
 
 個人的には、データは半信半疑です。
情報過多な現代、データは作成の動機から、引用の意図まで確認が必要だし、相反する内容すら作成可能に思われるからです。
 
 コメント036文末の仮定は、なるほどと思いました。
以前、被害者選択極刑制という試案を提起しました。
(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14877895)
 
 これなら少なくとも <ありうる仮定> まで引きあがります。
もちろん、死刑防犯力 (予防効果) よりも被害当事者の主権性を上位に置く私見ですが。
 
>個人的には、データは半信半疑です。
>情報過多な現代、データは作成の動機から、引用の意図まで確認が必要だし、相反する内容すら作成可能に思われるからです。


公的な殺人認知件数のデータを人口で割っただけのデータ(黒騎士さんのHP、カナダとフランスの例)がどうやったら相反する内容のデータが作成可能なのか知りたいです。

アムネスティの見解でのカナダの事例のように意図的な2点の数値を単純に比較して、自らの有利な結論に導くデータならともかく、黒騎士さんのデータは死刑廃止前後の連続した年毎の殺人認知件数なので、意図的な操作が入り込みにくいと思いますけど、いかがお考えでしょう?

 
 コメント035と036がデータについての一般論だと読めたので、僕もデータというもの全般へ意見しました。
特定への否定ではなく。
 
 ただ、データの条件として、 <複雑な情報をわかりやすく> という点があると思います。
だから当然、出されたデータはどれもわかりやすいわけです。
が、示された範囲 / データの示す状況の背景 / 出す場面やタイミング / になわされる役割など、再確認しなくてよいデータはありません。
 
「半信半疑」 としたのはそういう文意です。
確信を深めるために出されるけど、過信に注意すべきでもある。
データは、示す内容もさることながら、以上のような信頼性 ・ そして公正な論理 (解説) と共にあらねばならないと考えます。
 
 むしろ案ずるのは、データや主張を丸呑みしてしまう閲覧者です。
良質なデータが増えることを願います。
 
どこかで既出かもしれませんが
各国の「住人10万人ごとの殺人率」が、年別にまとまっているページを見かけました。
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_countries_by_homicide_rate

ざっと見たところ、「死刑廃止と死刑存置の考察」HPの掲載データとは数値が異なるものもあるようですし、このページのデータの信憑性は私には検証できませんが、廃止年と突き合わせれば、何かわかるかもしれないですね。
>アホロテさん
ざっと3ヶ国のデータを拾ってみました。
カナダについては事実上の死刑廃止年(1966年)頃のデータがなかったので検証できませんでした。


◆フランス◆
1976 0.9
1977 1.0
1978 1.0
1979 1.1
1980 1.0
1981 1.0←死刑廃止年
1982 1.1
1983 1.3
1984 1.3
1985 1.3
1986 1.2
1987 1.1
1988 1.0
1989 1.1
※1.0〜1.1で推移してた数が1981年の死刑廃止と共に1.1〜1.3に増加

◆イギリス◆
1960 0.62
1961 0.57
1962 0.64
1963 0.65
1964 0.63
1965 0.68
1966 0.76
1967 0.73
1968 0.74
1969 0.68←反逆罪・海賊罪以外の死刑廃止年
1970 0.69
1971 0.83
1972 0.83
1973 0.79
1974 1.06
1975 0.90
1976 0.99
1977 0.85
1978 0.95
1979 1.10
〜〜〜〜
1990 1.09
1991 1.22
1992 1.13
1993 1.10
1994 1.22
1995 1.28
1996 1.12
1997 1.24
1998 1.43←全ての犯罪において死刑を廃止
1999 1.45
2000 1.61
2001 1.52
2002 1.62
2003 ----
2004 1.62
※1969年、1998年を境に数値の増加が見られる

◆デンマーク◆
1976 0.7
1977 0.7
1978 0.5←死刑廃止年
1979 1.0
1980 1.3
1981 1.4
1982 1.0
1983 1.2
1984 1.0
1985 1.4


ざっと見たところ、死刑廃止年を境に3ヶ国共に数値が上がっていると読み取れます。
何の数値なのかは英語を読めない私には解りかねますけど、アホロテさんが言われる10万人あたりの殺人率なら抑止力肯定派にとって有利な数値と思われます。
もちろん他の要素もありますしアイルランドは1990年死刑廃止で数値が跳ね上がってるのが1995年だったりして関連性があるのかどうか疑われます。
ただ、どの国を見ても死刑廃止直後から数値が急激に減った国は無く、(数値が殺人率であるならば)死刑に犯罪促進力は無く、抑止力が働く場合と働かない場合があるという結論が仮定できると思います。


>れおぱさん

おつかれさまでした。
私のほうでもやってみたので、結果をここにお知らせしておきます。

各国の廃止年については、こちらのページに従いました。
http://www.infoplease.com/ipa/A0777460.html

このページによると、
冒頭で「アムネスティ・インターナショナルによれば、133の国々で死刑が廃止されている」とし、具体的な国名と廃止年について124が挙げられています。
死刑を(全面的に)廃止した国が90、通常犯罪について廃止した国が10、事実上廃止した国が24。
私が調べたところによると、これらのうち、40番の投稿で挙げたページにおいて、死刑廃止年前後の数値がそれなりにそろっているのが、わずかに15。
以下、その内訳です。


○死刑廃止年を境に、数値が上昇している国(カッコ内は廃止年)

オーストラリア Australia(1984)
ベルギー Belgium(1996)(ややデータ不足だが)
フランス France(1981)
ギリシャ Greece(1993)
ポーランド Poland(1997)
イギリス United Kingdom(※1)

※1
イギリスを構成する4地域のうち、イングランド・ウェールズ・スコットランドについては1965年から5年間の死刑保留を経て、1969年に殺人罪に対しての死刑が廃止された。北アイルランドは1973年に足並みをそろえた。
(http://en.wikipedia.org/wiki/Capital_punishment_in_the_United_Kingdomの「Abolotion-Murder」の項より)


○死刑廃止年を境にしても横ばい、もしくは際立った変化がみられないもの

グルジア Georgia(1997)
リトアニア Lithuania(1998)
ウクライナ Ukraine(1999)
アイルランド Ireland(1990)※2

※2
れおぱさんのご指摘のとおり、アイルランドについては、廃止後しばらく変化なしの後、1995年から一転増加しているので、ここに分類するのが適切かはわからない。


○死刑廃止との関連は不明だが、数値が廃止年前後で減少傾向にある国

アゼルバイジャン Azerbaijan(1998)
ブルガリア Bulgaria(1998)
エストニア Estonia(1998)
南アフリカ South Africa(1995)
ラトビア Latvia(1999)


というような具合になりました。
なお、れおぱさんが挙げてくださったデンマークですが、
私が参照したページの廃止年とはズレがありました。
(アホロテ参照ページ→1933年、れおぱさん→1978年)
調べてみたところ、デンマークの死刑廃止には以下のような経緯があるようです。

1933年 死刑廃止(軍法以外)
1945〜47年 第二次大戦に関わる戦争犯罪について、死刑を復活する法修正
1952年 戦争、大逆罪、および極端な状況下で行われた犯罪について死刑を復活
1978年 死刑廃止(今度は軍法も)

(http://en.wikipedia.org/wiki/Capital_punishment_in_Denmarkより)

したがって、平常時における犯罪については1933年からずっと死刑廃止のままということになるので、1978年の廃止が「犯罪防止力」に与えた影響力については疑問が残ると考え、デンマークを排除しました。


雑感としましては、れおぱさんとほとんど同じですね。
死刑廃止は、殺人を増加させる場合とそうでない場合がある。と仮定できそうです。
データの正確性についてはもちろん括弧に入れておかなければなりませんが、結果をみると、当初私が考えていたよりは殺人が増加しない場合が多い、とも思いました。
どのような国、どのような場合に、死刑廃止後の殺人が増えやすいか、ということについて確かな傾向がわかれば、この手の議論も少しは前進するのかもしれません。
それと、死刑廃止後、殺人率が数年にわたり増加するも、その後次第に減少し、廃止年前より低水準までになることもあるようです(オーストラリア・ギリシャなど)。
これを、死刑廃止に長期的な犯罪防止力があるものと考えるのか、潜在的殺人者が廃止に触発されて犯行を前倒ししたものと考えるか、死刑存廃に関わり無く殺人が減ったものと考えるか、いろいろと考えることは出来そうですが、やはりサンプルが足りません。
また、死刑廃止年とは違うところで、突如として数値が上下している場合も多く(たとえばアイルランドの1995年、フランスの1994年など)、各国それぞれの社会全体についての詳細な調査・考察なくして、殺人率と廃止年を突き合わせるという程度では何もわからない、少なくとも「何もわからないということはわかった」というのが正直な感想でしょうか。
◆アゼルバイジャンの例◆
アゼルバイジャンは死刑廃止年で3.54→3.03と減少してますが、廃止数年前からずっと減少傾向で、図?の様に減少傾向が緩和されてるとも読み取れます。
5.90
5.29
3.74
3.54←死刑廃止年
3.03
2.81
2.69
2.59

◆ブルガリアの例◆
ブルガリア4.61→3.98の減少もアゼルバイジャンと同じく、前年までの減少傾向をそのまま維持してるだけで、死刑廃止によって急激に減少したとは言えないでしょう(図?)
5.88
5.24
4.79
4.61←死刑廃止年
3.98
4.07
----
----
3.15
3.08

とりあえず2カ国だけ。
あとも同様の結果になる気がしますけどね。
>れおぱさん

あぁ、すいません。
「○死刑廃止との関連は不明だが、数値が廃止年前後で減少傾向にある国 」
という書き方は、少々誤解を招くものだったかもしれませんね。
れおぱさんのおっしゃるとおり、「前年までの減少傾向をそのまま維持」と言えばよかったですね。申し訳ない。
あとまぁどうでもいいことではあるんですが、
数値が0に近づくにしたがって、漸近的に減少幅が鈍っていくのは当たり前なことですから、死刑廃止によって勢いが鈍ったかどうかというと、正直何とも言えないような。
アホロテさんが区別してくれた国に一番最近のデータを当てはめてみた。

○死刑廃止年を境に、数値が上昇している国(カッコ内は廃止年)
オーストラリア(1984) 0.81(2002)
ベルギー(1996) 1.50(2002) 
フランス(1981) 1.64(2004)
ギリシャ(1993) 0.76(2000)
ポーランド(1997) 1.64(2004)
イギリス(※1) 2.03(2002)


○死刑廃止年を境にしても横ばい、もしくは際立った変化がみられないもの
グルジア(1997) 6.22(2004)
リトアニア(1998) 9.38(2004) 
ウクライナ(1999) 7.42(2004)
アイルランド(1990) 0.90(2002)


○死刑廃止との関連は不明だが、数値が廃止年前後で減少傾向にある国
アゼルバイジャン(1998)  2.41(2004)
ブルガリア(1998)  3.08(2004)
エストニア(1998)  6.82(2004)
南アフリカ(1995)  39.50(2005)
ラトビア(1999)  8.58(2004)


アホロテさんが区別してくれた国に一番最近の数値を当てはめると、比較的犯罪の少ない国が死刑廃止後に殺人率が増加して、犯罪の多い国は死刑廃止前後で大きな変化が見られないと読み取れるようなデータですね。
そうなると、世界でも有数の安全な国である我が国は、死刑廃止後に殺人事件が増加するのではないかとの仮定に結び付けられそうです。



このデータの真偽は分かりませんが、もし正しいとしたら国連やアムネスティの誘導方法は政治の圧力によるものだと思われて仕方ありません。
死刑による抑止力の論文が『抑止力が無い』と結論付けられる論文が発表されるのも、同じく政治的圧力によるものなのかなぁって疑いたくなります。

もちろん単に殺人事件の率を死刑廃止前後で比較しただけで、それ以外の要素は一切考慮されていないので、一概には言えませんが、『抑止力は無い』と結論付けた意見はどんなデータを参考にしたのか、その中身を知りたいですね。
私には、年毎の犯罪発生件数だけを追っていても、犯罪の増減はその地域の景気や、その年にあったちょっとした出来事に左右されただけの可能性の方がはるかに高い気がしてなりません。

たとえば景気が悪いと増えたり、警察の取締りが厳しくなると減ったりするのは因果関係が比較的はっきりと数字に表れます。
しかし、ある一つの刑罰の一般予防効果で犯罪が増減したと認定できるような、はっきりした因果関係はどんなものなのか、そもそも本当に存在するのかどうかも不明なのではないでしょうか。

死刑が直接一般予防効果を及ぼしたと認定できるものとして思いつくのは、
「凶悪犯の○○の死刑が執行されました」というような報道を見て実際に犯罪を思いとどまった、というような例ですが、それは(現在のところ)人の心の中を確認する方法がない以上、「そういう人は死刑でなくても犯罪を思いとどまる」という可能性を持ち出されればそこで水掛け論が成立してしまいます。

また、報道の言葉上のテクニックによって抑止された可能性もあり、そうなると必ずしも刑で抑止したとは言えなくなってしまいます。

さらにそれがどれだけ数字に出るかも疑問です。表面的には犯罪自体が増えていても、死刑の存在によって犯罪を思いとどまった人間がそれより増えていれば、相対的に予防効果があることになりますが、犯罪を思いとどまった一般市民というのを数えるのは非常に困難で、比較は現実的には無理でしょう。

主に以上のことから、「犯罪の数から予防効果の有無を見出そうとすること自体不可能」だと私は考えます。
「死刑廃止で犯罪が減った」というのは、その理屈が誤りなだけで、実際には犯罪が減っている可能性が排除されたわけではないということです。


ちょっと聞きたいのですが、
根本的に皆さんは、死刑の何によって犯罪が増減すれば「一般予防効果がある」と言えることになるのでしょうか?

私は、あるとすれば「死刑」という言葉のキャッチーさからくる自然伝播力だと思います。
特に複雑な倫理を教えなくても、「してはいけないことへの罰」として浸透しやすい、というような。
これは犯罪の数からは測れない効果ですが、もし死刑存廃と犯罪の件数の間に因果関係がないか、あってもほとんど同等なら、差がつくのはここのはずです。

まあこれは本来廃止論者が考えなければならないことで、目的が「廃止したら犯罪が減った」というデータを否定することなら、そこまで考えなくていいのですが。
>私には、年毎の犯罪発生件数だけを追っていても、犯罪の増減はその地域の景気や、その年にあったちょっとした出来事に左右されただけの可能性の方がはるかに高い気がしてなりません。

それは第二弾としてやらなければならない事かもしれませんが、今私がやりたい事としては、『死刑を廃止すれば犯罪が減る』という死刑廃止派の誤った認識を正す事であって、抑止力を証明する事ではありません。

私の意見としては、『死刑廃止によって犯罪が増えるかもしれないし増えないかもしれない。でも犯罪が劇的に減る事は無い』を全面に押し出して、『犯罪が増えるかもしれないのに国民の命を担保に「死刑廃止」という勝ち(犯罪が減る)の無いギャンブルをすべきではないでしょう』と言いたいだけ。

あとは情勢等を挙げて抑止力を否定したいのであれば、否定したい側が働いたであろう可能性を挙げて、その事を精査すれば良いだけであって、何も精査もせずに否定するのは無意味な事でしょう。

エドさんにぶつける事では無いのかもしれませんが、上に挙げたオーストラリア・ベルギー・フランス・ギリシャ・ポーランド・イギリスに死刑廃止と同時期に何かしらの景気の変動や出来事があったのでしょうか?
『抑止力があるという仮定』を否定したいのはけっこうですけど、否定するなりの根拠を挙げて欲しいと思います。
>死刑廃止派の誤った認識を正す事であって、抑止力を証明する事ではありません。

それ自体に異論はありませんし、それはできていると思います。

>『抑止力があるという仮定』を否定したいのはけっこうですけど、否定するなりの根拠を挙げて欲しいと思います。

そのために「死刑の何によって犯罪が増減すれば「一般予防効果がある」と言えることになるのか」を聞きたいのです。
否定するにも肯定するにも、対象が何かを知らなければできません。

「神様はいる」とだけ言われても、神様とは何かを定義してもらわないと否定も肯定もできないのと一緒です。「神様とはこの世界をつくった全知全能で、アダムとイブを似姿とするコミュニケーション可能な存在だ」といわれれば「客観的に確認できない」と否定できますし、「神様とは擬人化された自然現象である」といわれれば「いると言える」と肯定できます。

しかしこの問題では、何を以って「一般予防効果が出た」と呼ぶのかわからないので、この状態では否定も肯定もできません。

繰り返しになりますが、私は『抑止力があるという仮定』を否定しているのではありません。否定でも肯定でもなく、それを考えるために「何を抑止力と呼んでいるのか」を知りたいのです。

「死刑廃止派の誤った認識を正す」のが目的なら、抑止力の有無については、「わからない」という答えでも全く問題ありません。
「在るか無いかわからない」というは「抑止力があるとわかる」と同様に、「抑止力がないとわかる」とは並び立たない相反する答えだからです。

おそらくれおぱさんの話は「廃止派の測定方法によれば、一般予防力はあるとも言える」ということで、廃止派の定義以外の定義をはっきりと持っているわけではないという意味で、私と同様「実際の抑止力の有無はわからない」だと思うのですが、どうでしょうか?

あと、抑止力の有無が数値に表れるとは思われない理由として>>49では不足と思われましたら、どこがどう不足か指摘してもらえると助かります。
>「何を抑止力と呼んでいるのか」

死刑があるが故に抑えられてる殺人
死刑が無ければ起きたであろう殺人
これが1件でもあれば「抑止力」でしょう。


ただ、抑止された場合は殺人が起こらない⇒抑止力を測る術は無い
なので、本来なら同一条件で死刑がある/ないで比較しなければならないのですが、それも不可能なので、近い条件(同じ国、同じ国民で死刑廃止前後)でデータを取るしかありません。

あとは「抑止力が無い」という論を否定する事でしか抑止力は肯定出来ないでしょうけど、私の論拠としては抑止力は絶対に必要ではなく、
『死刑による犯罪抑止力は働く場合と働かない場合があり、死刑の犯罪促進力は抑止力を上回る事は無い』
これがデータ的に示されれば、死刑を存置する為の私の言い分としては必要充分です。
>エドさん

まぁ実際に簡単にでも調べてみると、死刑廃止によって殺人は増えてるかどうかっていうのは、増えてるようでもあり、そうじゃないようでもあって、数字にあらわれにくいってのは確かにそうだなぁと思いましたね。殺人が増えているけれども、死刑廃止以外にその社会的原因が見つからないような場合に、死刑に一般予防効果がある(というか死刑廃止に殺人喚起効果がある)と、かろうじて言えるかどうか。

でも個人的には、アナウンスメント効果といいますか、死刑が実際に廃止されたときに、報道や議論の盛り上がり次第では、それがたとえば寛刑化的なメッセージとして読み替えられて、それをうけて犯罪が増える、みたいなことはあるかもしれない、もしあるとしたら、それは数字に顕著にあらわれるのではないか、という一種の妄想はあります。特に根拠はありませんが。増税と買い控えの関係みたいなイメージで。

あとは、もし日本で死刑廃止する段になったら、どういうところに注意すればより犯罪増加のリスクを下げられるかみたいなことは、数字と各国情勢や廃止の経過を眺めればちょっとだけ見えてくるかもしれないなんて思ったりします。もっとも、ほんとに全く数字にあらわれないとしたらいくら眺めても徒労でしょうが、それでも気休めくらいは導けるかもしれません。

>「死刑」という言葉のキャッチーさからくる自然伝播力

「悪いことをしたら牢屋に入れられる」では弱いですかね。


>48:れおぱさん

一番最近の数値を当てはめたのはなぜなんでしょう。
死刑廃止直前の数値のほうが良さそうに思えます。
結果はそう変わらないでしょうが。

あとは、いかんせんサンプルが少ないので、
グループごとの特徴を大雑把につかもうとしても誤差が大きくなりそうな気がしますね。真っ先にグループ分けしたのは私でしたが。すいません。
>一番最近の数値を当てはめたのはなぜなんでしょう。

あ〜何も考えてません。
単に『廃止しても未だに危険な国なんだろうなぁ』って思って最新の数値にしただけの事。
要は『死刑を廃止しようが存置しようがどっちでも大差ないくらい荒んだ国』って事を無意識のうちに言いたかったのかもしれない。
>>53 れおぱさん
>死刑があるが故に抑えられてる殺人
>死刑が無ければ起きたであろう殺人

それの認定基準を知りたいのですが。どのような例ならば「死刑が原因である」といえるのかと。
それがわからなければ、たとえ近い条件でも、たとえ一件でも、あるかどうか調べようもありません。

何のデータをとればいいのかわからければ、データ採取の技術の有無にかかわらず取りたくても取れないので、
>これがデータ的に示されれば、
と言われても永久に無理だと思います。
>エドさん

ならば重力は何が原因で重力があると認定してるんですか?
たぶん未だに原因(要因)は分かってないはずですよ。

全ては仮定から始まってます。
物理学的なものでも数学的なものでも全て仮定でしかない。
データを積み上げて仮定を事実として認めていくのですが、一点でも崩れればまた仮定に後戻り。
ってかそんな哲学的な事を語りたかったら他の誰かと語ってください。


例えば前年まで100年間殺人事件が皆無だったので、死刑制度を廃止した。
翌年から殺人事件が毎年数千件起きた。
人口、経済状況、人種、全てに於いて死刑廃止前年までと何ら変わらなかった。
それでも貴方は死刑の抑止力を否定しますか?
否定するならこれ以上語る事はありません。

否定しないのであれば、何故今のデータで人口、経済状況、人種等で変わったところを探そうとしないのですか?
どのような例ならば『死刑が原因ではない』かを挙げて、それをひとつづつ潰していくしか『仮定』を『真実』に近づける術は無いと思ってますけどそれでは不足ですか?

私はあくまで『仮定』を論拠にデータを積み上げて、否定を否定する事しかできませんから。



これ以上はトピズレになると思います。
直接データが取れない場合は消去法で残ったデータを真とする、これはどんな学問でも使われてる手法です。否定するのはけっこうですけど、これ以上無駄なレスを伸ばすのはやめましょう。
>>54 アホロテさん
結局、より多くの人が「死刑には一般予防力がある」とか「極悪人は死ぬべきだ」と信じていることが、この論点では最も重要なのだと私は思います。
この「信じられる力」を一般予防の力と呼んでいいのかよくわかりませんが。
もし呼ぶとするなら、要するにほぼ多数決ですから、日本のみならず世界のほとんどで死刑を廃止できない理由の一つになります。

>「悪いことをしたら牢屋に入れられる」では弱いですかね。

それ自体が弱いかどうかはともかく、「悪いことしたら殺される」に比べたら弱いでしょうね。言葉自体のインパクトも弱く、文字数も多いですし。

また、ちゃんと調査したことは無いですが、長く親しまれている童話には、悪者が最後に牢屋に入れられる話より、死んでしまう話の方が数も多いしウケも良いように思われることや、子供が作る替え歌の類で「死んじゃった」という言葉が、良いか悪いかは別として、比較的入りやすい傾向にあるのが、証拠になり得そうな気がします。

>どういうところに注意すればより犯罪増加のリスクを下げられるか〜見えてくるかもしれないなんて思ったりします

そういう対策で「死刑があったらできない/効果が薄い」とまで言えるものは無いと思います。少なくとも私は思いつきません。
死刑が在っても無くても関係ないなら、法律を変えること自体がリスクですから、現状維持が賢明でしょう。
世界トップクラスの治安を誇る日本ならなおさら。
>>57 れおぱさん
まず何度も言っているように、私は死刑の抑止力を否定しているのではありません。抑止力が在るか無いかわからない、と言っているのです。

重力を例に出されましたが、重力は原因がわからなくとも「物が落ちる」とか「星の動きが計算で実際に出る」などの現象としてだれでも確認でき、定義も「天体の表面上あるいは上空にある物体がその天体から受ける力」と言うようにはっきりしているので、「重力を探せ」と言われれば探せます。また現象と矛盾する仮定はできないので、可能な仮定が非常に限られています。

しかし 
>死刑があるが故に抑えられてる殺人
>死刑が無ければ起きたであろう殺人
というような一般予防力は、現象として確認できません。定義も、起こっている現象をさして「あれが一般予防だ」と言える様なものではありません。そのため自由に仮定ができてしまいます。
これは、全くのファンタジーだったとしても区別がつかないと言うことです。

>例えば前年まで100年間殺人事件が皆無だったので、死刑制度を廃止した〜

そういう調査が出来る可能性が少しでもあるなら何も問題はありません。
なぜ私が否定するかも知れないと思うのですか?

>それをひとつづつ潰していくしか『仮定』を『真実』に近づける術は無いと思ってますけど

ならば、まさに私がこの論点であげているあなたへの疑問がその作業です。
>まさに私がこの論点であげているあなたへの疑問がその作業です。

ならばどのような例ならば『死刑が原因ではない』かを挙げてもらえませんか?
それに付随するデータも添えてくれれば幸いです。

例)
フランスでは1981年(死刑廃止年)と同時に雇用が不安定になった。
<参照データ>
1979年 ○○
1980年 ××
1981年 △△
1982年 □□
こんな感じで挙げてもらえばけっこうです。
>>例えば前年まで100年間殺人事件が皆無だったので、死刑制度を廃止した〜

>そういう調査が出来る可能性が少しでもあるなら何も問題はありません。


どのラインを基準に問題ある/無いを決めてるのでしょうか?
この例が
?前年まで50年間殺人事件が1件/年で廃止したら100件になった
?前年まで20年間殺人事件が10件/年で廃止したら50件になった
?前年まで10年間殺人事件が1000件/年で廃止したら1200件になった

エドさんは何処まで認めて何処まで認められないのか?
認めることが出来るラインの根拠は?
>>60
死刑が原因ではないと言える例も、それが数値として出ないと言う根拠も>>49に書きました。

これに反論するのであれば、「死刑が原因だと言える例」「数値として出る根拠」を、私と同程度かそれ以上の理論による仮定を示すのが筋で、データの出し合いによる検証はその後ですし、そもそも私は最初から理論的に検証できないから一般予防力は証明できないと言っているのですが。

>>61
認めるラインは数値の程度問題ではありません。
>人口、経済状況、人種、全てに於いて死刑廃止前年までと何ら変わらなかった。
という、非現実的な好条件での調査が可能か不可能かという問題です。
私はこれは現実には不可能だと考えます。
可能なのであれば、それがたとえ一件のみの増減でもこの上ない説得力を持つでしょう。
不可能なのであれば、どんなに似ていようと別物・誤差の範囲内といえてしまいます。
実際、死刑の廃止によって犯罪が急に増減したデータが無いのですから、死刑の一般予防効果の変化による犯罪件数は、あったとしてもほかの要因に埋没する程度の数と考えるのが自然です。
まぁエドさんは完璧な比較が出来ない限り、データは無効であるとの認識なんですね。
ならば市場調査とかも一切意味を持ちませんね。
でも市場調査ってちゃんとひとつの業態としても充分に成り立ってるし、エドさん曰く無意味なデータを取るって事に大金を払う企業だっていくらでもありますよね。

まぁエドさんの認識だからこれ以上は何も言いません。
>>63
企業の市場調査と、ここにあげられているような一般予防の調査は質が全く違います。
一般予防の調査は(今の技術では)有意なデータが出ないので、仮にデータを必要とする市場があったとしても業態として成り立つ要素が全くありません。
少なくともれおぱさんの定義では一般予防と他の現象を区別する定義もそれを抽出する方法もありませんから。

今現在日本は死刑が存在しているので、死刑を支持する根拠がどんなファンタジーでも、それで法を守る気になるなら全く問題ありませんし、死刑も存置されますが、何かの要因で日本が廃止国になってしまったとしたら、根拠の理論がファンタジーでは法律を元に戻すことはできません。
廃止派のファンタジーなデータを、同じファンタジー世界で否定することだけしかできない理屈は、そういう質のものです。

どうも根本的な誤解があるように思うのですが、
死刑に抑止力が無いことを否定できることと、死刑に抑止力があることが証明されることは、イコールではありません。
「抑止力が無い説」と排他項目になるのは、「抑止力がある説」のほかに、「抑止力は完全なカオスで、死刑存廃とは関係ない説」「抑止力と言う現象そのものが実は存在していない説」といろいろあるのですが、れおぱさんは「抑止力が無い説でなければ抑止力がある説である」と思い込んでいるように見受けられます。

埒が明かないので、どなたか「何がどうなれば「死刑の一般予防効果によって犯罪が防がれた」とする」のか、個人的な定義でかまわないので聞かせてもらえないでしょうか?
私が矛盾していることを言っているかどうか、の客観的な意見もあると助かります。
>58:エドさん

あんまり深みに嵌まりたくない議論ではありますが3点だけ。

>>「悪いことをしたら牢屋に入れられる」では弱いですかね。
>それ自体が弱いかどうかはともかく、「悪いことしたら殺される」に比べたら弱いで
>しょうね。言葉自体のインパクトも弱く、文字数も多いですし。

「死刑!」が「牢屋〜」より伝播しやすいっていうのはその通りだと思うんです。
ただ、死刑の無い場合というのを考えてみると、「死刑!」と「牢屋〜」の伝播性能の差というのは必ずしも問題ではない。「死刑!」が無いとき、「牢屋〜」が「死刑!」の不在を十分に補いきれるかそうではないのか、ということのほうが問題になると思うんです。あんまりうまい喩えとは言えないかもしれませんが、たとえば、洗濯機と洗濯板があったらたいていの人は洗濯機を使うけれども、洗濯板しかなかったらみんな洗濯板を使う(使わざるを得ない)し、それで不便を感じることもきっとないでしょう。同じように、「牢屋〜」しかないのであれば、それはそれで「牢屋〜」が「死刑!」の代わりを果たすだけになるのではないかという、そういうようなことが気になったわけでして。


>そういう対策で「死刑があったらできない/効果が薄い」とまで言えるものは
>無いと思います。少なくとも私は思いつきません。

死刑存廃に関係のない犯罪防止対策のことではなくて、死刑存置→廃止という動的なインパクトに対応して一時的に起こりうる負の影響、というものを考えています。むしろ探している、といいますか。


>死刑が在っても無くても関係ないなら、法律を変えること自体がリスクです
>から、現状維持が賢明でしょう。

「存廃の是非」を考えるにあたってはその通りなのですが、たとえば、国際政治の舞台で取引材料にされたり、あるいは冤罪事件が立て続けに発覚することによって瞬間的に国民感情が高まったりして、死刑廃止が急に現実味を帯びるような可能性(それほど高くはないでしょうが)に目を向けたとき、「賢明でない政策」を取らなければならない場合の次善策を考えておくというのもあながち無駄ではないかなと思います。私は一応廃止派の端くれですから、そんなとき手続き的な不具合に目をつむってでも流れに便乗して結果を優先させたいという気持ちがある反面、タイミングややり方次第で負の効果が無視できないものになるような予測が立つなら廃止に慎重にもなりたいので、そのへんのことを考える取っ掛かりになればと思ったのです。廃止時の経済の好不況だとか、内容や主旨の周知徹底のされ方だとか、モラトリアム期間の有無・長さなど、きっとそれなりに重要だと思うのですよね。議論できるほどのデータは積めそうにないですが。
まぁどうしても抑止力という言葉を嫌悪するのであれば、言い換えます。

?死刑を廃止する事は殺人の衝動を促進する可能性がある
?殺人の促進は殺人率の低い国に高い可能性で現れる

こんな感じですか。




死刑が殺人を抑えていたのではなく、死刑廃止を引き金として殺人を促進してるのではないか、そういった仮定なら実際のデータを拾えばある程度の傾向は見えるでしょう。

犯罪抑止効果を保つ為よりも犯罪促進効果を防ぐ為の死刑存置です。
これなら納得いただけるでしょうか?
>>65 アホロテさん
>「死刑!」と「牢屋〜」の伝播性能の差というのは必ずしも問題ではない

 死ぬという言葉や現象がなくなるわけではないので、自然な「死刑!」の伝播を押しのけて「牢屋〜」を同等以上に伝播させる努力をする必要があり、教育に相当の時間と労力をかけなければなりません。その点で問題があります。
伝播性能に差があるならば、「牢屋〜」は常に努力を続けなければすぐに「死刑!」にその地位を奪い返されることになります。その手間は無料ではありません。どこか他がしわ寄せで削られるのです。

>「牢屋〜」しかないのであれば、それはそれで「牢屋〜」が「死刑!」の代わりを果たすだけになるのではないか

 そこだけ見ればありうる話ですが、その理屈を使うと今度は「なぜ無期懲役は廃止しないのか」「どこまでの刑なら許されるのか」というような問題が出ます。
また、今も日本には絞首刑以上の苦痛を与える死刑や身体刑が無いことから、すでに「不自由を不自由と思っていない状態」だとも言えるため、ここでさらなる不自由を許可するとなると、最高刑をどこまで下げても「もっと不自由でも良い」ということになってしまい、刑罰全体の否定につながってしまいます。

 一つ下の刑罰とだけ比べるなら、差がわずかしかないので、それで代替が利く気がするのももっともですが、だからといってそんな理由で最高刑を引き下げるのは近視眼的過ぎるのではないでしょうか。

>死刑存置→廃止という動的なインパクトに対応して一時的に起こりうる負の影響、というものを考えています。

 それは政治的手腕の問題で、それができるなら、死刑問題以外の何の問題にでも応用できるものです。許されるなら、政府が廃止論者をばっさり切り捨てるときにも使えます。
むしろそういうテクニックでフォローしなければならないほど理解を得られないものなら、死刑廃止論の本質はあまり上等なものではないと考えるべきではないでしょうか。

>国際政治の舞台で取引材料にされたり、あるいは冤罪事件が立て続けに発覚することによって瞬間的に国民感情が高まったりして

 まあ私は、EUのようにそういう状況で経済的リターンがあったり、多数決であると明確な場合は廃止しても仕方ない、と思っているのですが、
それって廃止論が正しいから廃止されてる状況ではないですよね?
もしそういう状況を作って、理屈抜きで押し付けていくのも廃止論の戦略の内だとするなら、それは単なる「勝てば官軍」という思想に過ぎず、あまり褒められたものではないと思います。崇高な理想を掲げる廃止論者はそれで満足するのでしょうか?

 批判ばかりになってしまいましたが、前述のように私は必ずしも、廃止するのがいついかなるときでも悪だ、とは思っていません。ただ、廃止論は自分が否定されるルールをわざわざ自分で作り出している気がしてなりません。論であるがゆえに論の根本的な不備は致命的なので、いっそ論は捨てた方が廃止の可能性が高まるとすら思えます。
>>66 れおぱさん
ですから私は抑止力や仮定を否定しているわけではありません。
抑止力は「わからないことがわかっている」のではないかと言っているだけです。


>そういった仮定なら実際のデータを拾えばある程度の傾向は見えるでしょう。

 確かに廃止論者以外の一般人を説得できるだけの自然な仮定はできますが、それでどれだけの廃止論者が納得しますか?統計学者に認めさせられますか?
当人が「死刑が怖かったから犯罪を思いとどまった」と言っても、「そういう人は死刑が無くても最初から罪を犯さない人だった」と返し、実際そうである可能性も完全には否定できないのですから、もっと根本的な部分で平行線をたどっているのです。

 「可能性はあるけど多数決で決まった」ならともかく、もし「常識的だから」を最大の理由として論敵を排除し、事実認定してよいことにしてしまったら、地動説が公に否定されていた時代は実際に天が回っていた、という本末転倒なことにもなってしまいます。
「常識的であるかどうか」と「事実であるかどうか」は別問題です。

 私は>>27の時点から「実際の一般予防効果がどうであるかはわからない」という話をしています。
 れおぱさんが最初から、「常識的であるかどうか」で話をされているのならば、その時点で話は食い違っていたことになります。
常識的であることは私も全く疑っていません。
>エドさん

まずご理解いただきたいのは、私はここで殊更に死刑廃止を訴えるつもりはないということです。廃止にしろ存置にしろ、「持論の正しさを証明するため」の議論は、両者の間に無用の緊張や軋轢を生みますし、データや論理を追う目も曇り、存廃の結論が出ればそれで良しの議論に終わってしまいがちなので(それはそれで必要とされる場面はあるでしょうが、少なくともこの場においては)好ましいとは思いません。社会状況、国民感情、政治情勢など死刑存廃を取り巻く環境は大きく変化する可能性があり、それをふまえると(存廃の結論を導くことよりも)各論の内容を存廃両方の視点から充実させ緻密化し豊かにしていくことこそが重要だと考えますし、それは存置派にとっても同じことでしょう。たとえば、状況によっては存置派が劣勢に立たされるようなことが将来起こるかもしれません。そのときに廃止派がより良い廃止を考えるために参照できるような、あるいは逆に存置派がより広範な観点から緻密な論理で廃止に反対するために参照できるような議論を目指したいのです。
そういう問題意識を前提に、私は(当初)エドさんのいう「死刑の自然伝播力」についてもう少し補足して欲しい、もう少し詳しく知りたいと思い、質問をぶつけてみた次第です。

次回以降も返事をくださるなら、ひとまずそれをご了承いただけると助かります。
議論の地平がすれ違いはじめている気配を感じましたので、蛇足ながら。
以下67への私の応答です。

>死ぬという言葉や現象がなくなるわけではないので、自然な「死刑!」の伝播を
>押しのけて「牢屋〜」を同等以上に伝播させる努力をする必要があり、教育に相
>当の時間と労力をかけなければなりません。

死ぬことは無くなりませんが、「罰としての死」が無くなることになりますので、最終的にはそこまでの差は出てこないのではないかというのが私の考えです。ただ、懸念として、可能性としてはおっしゃることよくわかります。
伝播させる努力や教育というのは具体的にどのようなものをイメージされているのでしょうか。

>一つ下の刑罰とだけ比べるなら、差がわずかしかないので、それで代替が利く気
>がするのももっともですが、だからといってそんな理由で最高刑を引き下げるの
>は近視眼的過ぎるのではないでしょうか。

内容についてはその通りだと思うのですが、話がずれています。
ここでは自由刑が死刑と代替可能というような話ではなく、「牢屋〜」(「悪いことをすると牢屋に入れられるぞ」という言葉)が、「死刑!」(「悪いことをすると死刑になるものだ」という言葉)の代わりを果たせるかどうかが議論の焦点となっています。


これ以外の部分については、この投稿の冒頭部分が私からの応えになります。
ちなみに、死刑廃止論が上等なものではないという点については深く頷けます。
【ニュース】
性犯罪者を強制的に去勢へ、ポーランドが刑法改正方針

ポーランド政府が性犯罪者を強制的に去勢する方針を打ち出した。同国東部の男(45)が自分の娘(21)に性関係を強要し、男児2人を生ませた事件がきっかけで、トゥスク首相は薬品投与による強制去勢を法制化すべく、刑法改正に向けた準備を司法省と保健省に指示した。子供を狙った性犯罪者の去勢は英国やドイツなどでも行われているが、精神治療や本人の同意が前提で、強制ではない。欧州連合(EU)内には「強制去勢は現代刑法になじまない」(クラウス・ヘンシュ欧州議会元議長)などと人権侵害の懸念が広がっている。しかし、ポーランドの有力紙ジェンニクの世論調査では国民の84%が賛成し、与野党の大半も支持する方針で、刑法改正はほぼ確実な情勢だ。

読売新聞 2008年9月25日

死刑廃止国も肉刑はOK。ただ同意が必要か、強制なのかという違いは大きいですね。
アムネスティ事務総長発→大韓民国千正培法務大臣宛2006年6月20日付公開書簡

死刑が特別な抑止効果をもたないという証拠は世界中にあります。米国、カナダあるいはその他の国ぐにで、死刑がなければ暴力犯罪が増えるという証拠は出ていません。たとえば2004年の米国では死刑存置州の殺人発生率は人口10万人に対して5.71件でしたが、死刑廃止州ではわずか4.02件でした。さらにカナダでは、死刑が廃止されて27年たった2003年には、死刑を廃止する前の1975年に比べて殺人発生率が44パーセントも低下しています。 最近の例では、1995年に死刑が復活したニューヨーク州があります。1990年代の終わりに、それまで上昇していた殺人発生率が下がり始めました。2004年6月、州最高裁は、死刑制度を違憲としました。現在、議員は死刑の再導入に反対しています。死刑が抑止力になるのであれば、死刑が廃止されれば(広く喧伝されるように)潜在的犯罪者は自由に犯罪を実行し、殺人発生率は上昇するでしょう。しかし、その逆の事態が起きています。2005年の上半期(最高裁が違憲と判断してから1年後)、殺人事件は5.3パーセント減少しました。

↓結果

国際人権団体のアムネスティ・インターナショナルは昨年から、韓国を「実質的な死刑廃止国」に分類している。だが偶然なのか、韓国ではこの11年間に殺人犯が32%も増えた。法務部によると、死刑が執行されていた1994年から97年までの4年間には、年平均で607人が殺人罪で起訴されたが、執行を中止した1998年から2007年までの10年間には、年平均で800人が殺人罪で起訴されており、その数は32%も増えたというわけだ。(朝鮮日報)



……朝鮮日報としては死刑を復活すべきだというような論調のようです。アムネスティ・インターナショナルの事務局長はでてきて説明すべきだと思うのですが。死刑廃止論で「特別な一般予防効果はない」とかって言い切れるのは何故なのか…。この数値も経済問題等に結びつけるんでしょうが…死刑廃止は応報刑論からしか導けないんじゃないかと思うようになりました。
一般予防の立証責任について

他コミュでも盛り上がってますけど、死刑廃止派は死刑による特別な一般予防効果が立証されていないと言う点から死刑制度の廃止を訴える事も多々ありますが、制度を維持するのに立証責任は無いと思ってます。
立証されない以上制度が維持出来ないのであれば、収監刑や罰金刑の一般予防効果についてのデータ提示が無い以上は、全ての刑罰に於いて制度維持が不可能になってしまいます。

変えたい側が、変えても良いという立証責任があると思うんですがいかがお考えでしょうか?

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