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小説を書いてみよう!コミュの抜粋

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「抜粋」

「 五月九日晴れ
 そもそも私は人様よりちょっとだけ血の気が多いらしい。うすうす感じていたことだが、件の事で私はそれをはっきりと自覚することとなった。そういった後ろめたさもあって、また家族にも勧められて、私はこの山奥深い別荘に隠居する身となった。都会の喧騒から離れ、心を落ち着かせると言うことに最初は随分と抵抗を感じたものだ。
 ここに隠居してから、かれこれ半年は経とうとしている。窓から見える景色は風光明媚で、なんとも心を落ち着かせてくれる。あの時の私は、どうしてああも血の気が多かったのかと思う。やはり人の多く住むごみごみとした町と言うのは、それだけで人の心から余裕と言うものを奪い去っていくのかも知れぬ。
 ここでの新しい生活をするに当たって、新しい楽しみが増えた。それは極々最近のことなのだが、随分と私の性に合っているようだ。こう書くと、一体どんな素晴らしいことをするのかと思ってしまうが、何のことは無い。ただの散歩だ。散歩といっても、歩くわけではなくて自転車に乗る。木々の間を通る簡素な田舎道ではあるが、あるいは返ってそれが良かったのかもしれない。木々を抜け、すうっと走る感覚は町では味わえぬ趣がある。最近、同じ道でも、走るたびに感覚が違うことに気がついた。それが自転車によるものなのか、あるいはその日の道の状態であるのか、はたまた私の健康状態に由来するものか、それは分からない。しかし、同じ道を走っているのに、毎回感覚が異なると言うのはなんとも言えず楽しいものだ。そういうことに気づくようになったあたり、私も一端の自転車乗りになってきたと言うことなのであろうか。召使や下働きの下人どもは、どうもそれが気に入らぬらしく、いつも自転車をどこかへ隠してしまう。だから私の散歩は自転車を探し出すところから始まる。すぐ傍にあったり、随分遠かったり、彼らの隠し場所には幾つかのパターンがある。最近は段々とそれが分かってきたが、全くけしからんとは思う。頭の悪い彼らなりに私のみを案じてのことだ、と誰かが言っていたな。
 なんと言っても楽しいのは下り坂だ。視界が傾き、そして徐々に速度を上げていく。その速度が上がると、まるで鳥が空を飛んでいるかのような錯覚に陥ることがある。何者にも妨げられず、大空を飛ぶ鳥。それは私の憧れである。その気持ちを味わいたくて、私はいつも下り坂では速度をあげることにしている。
 下り坂の先には、大きな湖がある。名前は知らぬ。地図で見れば、あるいは大した大きさではないのかもしれない。水面はいつも静かで、時々魚がぱしゃりと跳ねたり、水鳥が優雅に泳いでいたりするのを見るのが好きだ。だから私はいつも湖の辺に自転車を止めることにしている。そこで少しぼんやりする。
 ぼんやりしていると言っても、無心に茫漠としていると言う風ではなく、色々な考えが頭の中を駆け巡っている。ただ、あまりにもその考えは漫然としていて、纏まることはない。だから結局、何も考えていないのも同じかも知れず、従って端から見ればぼんやりしているようにしか見えぬだろう。まあそれについては取り立てて構うようなことではない。
 例えば、空を飛びたいと思う。かつて、人間は空を飛べたとか、子供の頃、空を飛んだことがあるとか、なんだかそういうことを思う。どうして空を飛べなくなったか。疑うからだという。どれだけ信じようとしても、心のどこかで人は飛べぬ。翼がないから大空をまうことはできぬと、そう思い込んでいるからだと聞いたことがある。なるほどと思う。ならば飛べると信じれば、信じることが出来れば、人は飛ぶことが出来るのだろうか。自らの体が、大空に舞い上がり、鳥と戯れる姿を一心に信じれば飛べるのだろうか。しかし、一心に信じなければいかんと言うことは、疑いの心を持っていることになる。疑いを振り払うために信じるのだ。つまり、信じると思っている限りは疑っていると言うことだ。すると、疑えば信じることが出来るのだろうか。信じれば飛べる。しかし、それは飛べることを疑っているのと同じことだから飛べぬ。
 こうして、思考がぐるぐると廻り始めたころ、召使達が私を見つける。慌てて駆け寄ってきた召使達に、私は四方を固められ、連れて帰られる。まるで罪人でも引っ立てるかのように。この風光明媚でのどかな土地にあって、彼らだけがどうしてこうもぴりぴりしているのか。大空を飛んで、彼らの手の届かぬところへいけたらどんなに良いだろうか。
 今日、湖からの帰りに一度だけ後ろを振り返った。凛とした静けさを漂わせる水面から、一羽の水鳥が飛び立った。その瞬間だ。電撃が走り抜けた。信じるとか信じないとか、そういう次元を私は超えた。私は飛べるのだ。そういうことなのだ。今迄だって飛びかけていたのだ。あの下り坂、そうなのだ。どうして気付かなかったのだろう。大空に行こう。今こそ。(日記より抜粋)」
 五月十日、湖にて溺死した入所者第四百八号の日記より抜粋。
※なお、入所者四百八号に於いては、記憶の混乱及び自己防衛的な差し替えよる障害あり。施設を自らの所有する別荘と称していた。自転車の無断持ち出しによる施設の脱走を常習的に行っていた記録あり。過去にも自宅の窓から飛び出そうとしたところを取り押さえられた記録あり。今回も衝動的な自殺であると考えられる。
 件の顛末を記すものとして、以上を報告書に代えて提出するものなり。
                  五月十一日  報告者(虫食いにより判別できず)

コメント(1)

 最近、人の作品にあれこれ言う割りに、自分は載せていないなーと思ったものですから、短い話を一つ書いてみました。
久しぶりの掲載にも関わらず、偉くダークな話になってしまいました。
秋口から書いている長編が、軽くて暖かい系の話にしていたものだから、その反動と思われます。
しかし、こういう作品の方が筆が軽くなるのも事実。

ご感想、批評などお待ち申し上げておりますです。

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