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ゴスペルハウスコミュの「秋の始まりに」2026.10.03

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ゴスペルハウスメッセージ 2026.10.03
「秋の始まりに」ガラテヤ6:7-10

7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。
8 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
9 失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。
10 ですから、私たちは機会があるうちに、すべての人に、特に信仰の家族に善を行いましょう。

吹く風が変わって、空の雲が変わって、トンボが飛んで、キンモクセイが香って、彼岸花が咲いて、田んぼでは稲刈りの真っ最中、まさに秋です。
今日は、「秋の始まりに」というテーマで、御言葉を開いていきましょう。

9月18日から10日間、お休みをいただいて、末っ子の結と2人旅をしてきました。
奇しくも敬老の日に愛知県の実家へ行くことになり、結はおじいさんと久しぶりに会うことになりました。

さて、実家と隣家との境界に、マキの木が植わっています。
ちょうど、マキの実がつき始めていました。
マキの実は、下の部分が緑色から赤紫に色づいていきます。
この部分は美味しいのですが、先っぽについている緑色の丸い玉には毒があります。
だから、食べるときには緑色の玉を取り除いてから食べるのです。
その時、まだ実は青く、食べられる状態ではありませんでした。
まだ、実が熟す時・収穫の時ではなかったのです。
私たちは、実家に3日間滞在したのですが、特に色の変化もなかったように見えました。

植物の成長や収穫には、時が必要です。
田植えをした次の日に、稲刈りはできません。
当たり前ですね。
日光、それから水、そして農家の方々の手入れが必要です。
そして、1日ずつでは見えないような、気づかないような成長、変化を繰り返して、今、秋の収穫の時があるのです。
日照りが続けば水が足りず、大雨が降れば稲が水に浸かってしまって、逆戻りしてしまうように思えることもあります。
しかし、人の目に見えないところで積み重ねられた成長が、秋の実りを生むのです。

聖書は、人も同じ、信仰も同じだと言います。
「人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。」(7節)とあります。
農家さんが日々田んぼの手入れをするように、マキの実が、見えないけれども少しずつ熟していくように、あなたの毎日は、あなたを形作るのです。
種蒔きの時、田植えの時、光を浴びて成長する時と同じです。

あなたは、どんな種を蒔きますか?
どんな種を蒔きたいですか?

「自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」(8節)とあります。

もっと具体的に言うと、例えば、次のようなことです。
自分がたとえ損をしたとしても、誠実で嘘のないことを選んで生きるのか。
それとも、自分が損をしないように、抜け目なく生きることを選ぶのか。
決して損をしないために、自分の得になるのなら、少しの嘘でも平気でつくことを選んで生きるのか。
また、他の人の失敗を許して励ますのか、それとも、他の人の失敗をことさら大騒ぎして責め、炎上させるのか。
祈りも、自分のためだけに祈るのか、他の人のために祈るのか。
御言葉を読むのか、読まないのか。
その御言葉を、自分のものとするのか、それとも他人事とするのか。
礼拝には心を込めて出席するのか、ただそこにいるだけなのか。
様々な生き方の種、信仰の種があるのです。

あなたがどれを選んだとしても、その1日だけを見れば、大きな違いはないように見えます。
1日だけでは、ほとんどの場合、大きな変化は何もないからです。
特に良い種を選んだ場合、変化がまったく感じられないことのほうが多いでしょう。
田んぼやマキの実が1日で大きな変化を見せないのと同じです。
だから、善を行おうとする人ほど、悩むことになります。

「祈ったけれども、何も答えがない。何も変わらない。」
「一生懸命に伝えても、相手の心に響かない。」
「誠実が報われない。踏みにじられることさえある。」
「神様を信じて生きることの本当の意味が分からない。」
そんな気持ちになることも、多くあるでしょう。
それは、何も大きな変化が見えないからです。
一目で見える変化がないから、失望してしまい、悩むのです。

しかし、あなたの蒔いた種は、失われたわけではありません。
まるで土の中の種のように、見えないところで根を出し、芽を出し、あなたの人生を変えていくのです。
だから、「失望せずに善を行いましょう。」(9節)とあるのです。
神様を信頼して、善の種を蒔くことを、善の手入れをすることを、諦めない。
神様が定めた収穫の時が来たときに、あなたの人生でしか結ぶことのできない、あなたの実りを手に入れるのです。

「機会があるうちに」(10節)とありますが、それは言い換えれば、「今でしょ!」ということです。
失望しないで、今、あなたが蒔くべき種を、蒔き続けましょう。

「だって、私にはまだ、苦しみ、痛み、恨みなんかがいっぱいだから。」
そう言う人もいるかもしれません。
いえ、そんな人ばかりと言ってもいいでしょう。
でも、大丈夫です。
マキの実は、毒のある玉と、美味しい実が、ひとつにつながっています。
あなたの中にも、苦しみや痛み、恨み、そして罪が、あなたの良いものとつながったまま、あるかもしれません。
それを、あなたの手で切り離す必要はありません。
神様が、取り分けてくれるからです。
その毒は、イエスさまの十字架につけられ、贖われ、癒されたのです。
イエスさまの血が、あなたを赦します。
あなたが結ぶ実は、もう毒のままではありません。
あなたは、甘くて美味しい、喜びの実を結んでいいのです。

さて、実家への旅の話に戻らせてください。
敬老の日に、結は、おじいさんと久しぶりに会いました。
おじいさんは、結を見て言いました。
「大きくなったねぇ。」
毎日一緒にいる私には、結の成長は見えません。
昨日と今日の結は、ほとんど同じ結です。
でも、久しぶりに会ったおじいさんには、はっきりと見えたのです。
結は、確かに育っていました。

神様は、毎日、あなたを見ておられる方です。
あなたには、何も変わっていないように思える日にも、神様には、あなたの小さな一歩の積み重ねが、全部見えています。
あなたの祈りも、あなたの誠実も、あなたが赦したその一度も、あなたが開いた御言葉の1ページも、神様は、一つも見落としません。
そして、時が来て、神様は、あなたに言います。
「大きくなったねぇ。」

だからこそ、私たちは安心して種を蒔くことができます。
それは、自分の力で自分の人生を完成させるためではありません。
神様に愛されるためでもありません。
すでに神様に愛され、赦されている者として、今日を生き、種を蒔くのです。

ヘブル人への手紙には、こうあります。
「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル11:1)
信仰とは、まだ見えていないものを、神様を信頼して待つことでもあります。
今はまだ、見えない。
今はまだ、変わらない。
今はまだ、実っていない。
でも、それで終わりではありません。

「何も起きていない」のと、「まだ、実っていない」のとは違うのです。

あなたの祈りも、誠実も、愛も、赦しも、励ましも、神様の前では、決して無駄ではありません。
だから、失望しなくていいのです。
今日、あなたが蒔くべき種を蒔きましょう。
今日、あなたにできる善を行いましょう。

秋の田んぼは、収穫の季節を迎えています。
けれども、人生には、まだ収穫が見えない季節もあります。
そんな時にも、神様を信頼しましょう。
失われたのではありません。
まだ、実っていないだけなのです。
神様は、私たちが見えていないところでも、働いているのです。

秋の始まりのこの時、トンボが飛び、キンモクセイが香るこの季節に、あなたの蒔くべき種を、神様の手にゆだねて、蒔いていきましょう。
神様の時に、喜びの刈り取りが、あなたのものとなりますように。

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