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超流派・ヨーガコミュの「私が見たアドブターナンダ」より抜粋

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「私が見たアドブターナンダ」より抜粋



◎シュリー・シュリー・ラーマクリシュナの到来


 自然主義者であったドクター・ラームチャンドラダッタは、1879年にシュリー・ラーマクリシュナのところへやって来て、彼の生命を蝕んでいた疑問を吐露した。
 そして、そのリシの微笑みは、一瞬でその難題を解決してしまった。
 この医者の人生を知っている者ならば誰でも、彼がシュリー・ラーマクリシュナを見たそのときから、神の信者に変わってしまったのだと証言できるだろう――そこに議論の余地はない。
 聖典には、リシはその存在によって、彼と接触しに来た者たちすべての中に神への信念を植え付ける、と説かれている。

 ドクター・ラームチャンドラの心の砂漠に撒かれた神への信の種は枯れることなく、少しずつ芳しい花々とみずみずしい果実をつけた美しい樹へと――神聖なる愛、不変の平安へと――成長していった。
 それは普通の変化ではなく、人格の完全なる変革、心と見解の完全な変化であり、それによって、干からびた知性が取り除かれ、永遠に広がり続け、永遠に深まり続ける無限者への求道の扉が開かれたのだった。
 個性の中の美が開かれるというのは、常に圧倒的なことである。
 シュリー・ラーマクリシュナとの束の間の交わりによって、ラームチャンドラダッタは彼に魅了され、人間をグルとして受け入れることに断固反対であったはずの彼の中に、あらゆる事物に関してシュリー・ラーマクリシュナを導き手として持ちたいという溢れんばかりの欲求が生じた。
 彼はその望みを叶えるために、シュリー・ラーマクリシュナに懇願し続けた。

 霊性の修行への彼の熱意は急速に増大し、彼の家族全員にもその火がつけられた。
 少年召使のラクトゥラームも、その火から逃れることはできなかった。
 とはいえ、読み書きができず、(現代教育的な意味で)無学であったその少年は、ブラフマン、真理の複雑微妙なる概念を理解することはできなかった。
 しかし彼は、この問題から抜け出す道を見出した。
 彼は、最愛の理想神(イシュタ)であるシュリー・ラーマをそのブラフマンとして受け入れ、その彼の御足に、強烈でけがれなきハートの愛を注いだのだった。


 ラームダッタの家でのある祝い事のときに、その少年は(ラーマクリシュナの教えである)以下のことを耳にした。

「主はそのバクタの心の中をごらんになる。その人が何者か、どこにいるのかは気にしない。
 主を見ることに夢中になっている人、主以外の何ものも求めない人、そのような人に、主は自らを現わされる。
 誠実に、夢中になって主を求めなければならない。自分の中から策略や陰険さを追い出さなければならない。単純な子供のようにならなければならない。そういう人に、主は自らをお現わしになる。
 人は一人になって憧れを持って主に呼びかけ、主を思って泣かなければならない。
 そうして初めて、主はお恵みを与えてくださるのだ。」

 これらの言葉を主人であるラームダッタの口から聞き、少年ラトゥの心は深い感銘を受けた。
 晩年になってからも、アドブターナンダ(ラトゥ)はよく、これらの言葉を、彼が一番最初に聞いたときと同じようなイントネーション、アクセント、句読で、信者に繰り返していた。
 彼は数えきれないほど、これらをわれわれに繰り返し説いてくださった。それは毎回、われわれにとって非常に新鮮で魅力的だったので、毎回、まるでそれを初めて聞いたように感じるのだった。

 そして彼は非常に真面目に、それを実践していたようだった。

 ラトゥが少年時代から、これらの教えをサーダナーの種子であると見なしていたことは間違いないだろう。

 ラームダッタの次女は、後にこう証言している。

「私たちはよく、ラトゥが応接間の隅に横たわって、頭から足まで毛布に包まっているのを見かけました。
 彼の眼は赤く、しばしば涙で溢れていました――彼はそれを左手でよく拭っていたのでした。
 最初、私たちは、彼はホームシックにかかり、叔父さんのことを考えているのだろうと思っていたので、お母さんはよく彼を慰めていました。
 しかし彼は黙ったままで、何も言いませんでした。」


 この涙の理由が、誰に理解できようか!

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◎師ラーマクリシュナとの出会い


 ラームダッタはよく、シュリー・ラーマクリシュナがお説きになった、深い真理を説明している素朴な例え話を繰り返し話していた。――そしてそれはラトゥの心に強く訴えかけたのだった。
 それらの例え話は、彼の中に、神への愛、神への情熱を呼び覚ました。
 彼の心は、シュリー・ラーマクリシュナに会うことを切望した。
 その熱望が苦悩となり、その苦悩で彼は落ち着かなくなり、彼の心の中に数えきれないほどの疑問が沸き起こった。

「えっ? そのパラマハンサとは誰だろうか?
 このような素晴らしい言葉を語る御方は、どこに住んでおられるのだろう?
 ドッキネッショル? ここから遠いのかなあ。
 ご主人様に頼んだら、一回だけでもそこに連れて行ってくださるだろうか?」

 強烈な切なる思いに襲われて、自分の気持ちを抑えきれなくなり、ラトゥはある日曜日に、勇気を出して手を合わせ、興奮して早口でこう言った。

「そこに行かれるのですか? 是非とも、僕も連れていってくださいませんか?
 僕はあなたのパラマハンサに会いたいです。
 僕を彼に会わせてくださいませんか?」

 自分のお気に入りの少年から発された、これらの簡素で愛のこもった懇願の言葉は、ラームチャンドラの心を掴み、ラトゥはその日にドッキネッショル寺院に連れて行ってもらえたのだった。


 ラトゥがシュリー・ラーマクリシュナに初めて出会った年については、いくつかの若干相反する説があるが、1879年というのがかなり信憑性のある説である。
 二人が最初に出会ったときには、他には誰もいなかったという説もあるが、われわれはそれとは異なる説を立てる。
 われわれは、二つの情報源からこの情報を得た。
 まず最初に、シュリー・ラーマクリシュナの甥であるシュリー・ラームラル・チャッタールジから聞いたことを述べよう。

「ある日私は、ラーム・バーブが少年の召使を連れてきたのを見た。
 その召使は背丈が低く、強健で、がっしりとしていた。
 見た目は小太りではあったが、非常に力強いということを思わせるものがあった。
 私はそのときは、彼の名前を知らなかった。
 私は、その少年が西側のベランダに立っているのを見た。
 ラーム・バーブは部屋の中にいて、おそらくシュリー・ラーマクリシュナを探しているようだったが、彼はそのとき部屋の外にいたのだった。
 シュリー・ラーマクリシュナは、シュリー・ラーディカーのムードで、鼻歌を歌いながらベランダへと来られた。
 師はこの詩を即興で歌っておられた。
 
『そのとき、私は扉のそばに立っていた。
 けれども、私の愛するクリシュナとお話しをする機会は、
 ちっとも巡ってこなかったわ。
 それは兄弟バライ(クリシュナのお兄さん、バララーマ)が彼と一緒にいたから。
 私は彼と言葉を交わすことができなかったの……』


 ラーム・バーブは、その歌を聞いて、部屋から出てきたようだった。
 そのとき、タクル(シュリー・ラーマクリシュナ)は、ベランダにお着きになった。
 彼はラーム・バーブにこう尋ねられた。

『この子を連れてきたのは、お前なのか?
 この子をどこで手に入れたのだね?
 彼にはサードゥのしるしがある。私にはそれがわかる。』

 そう言うと、タクルとラーム・バーブは部屋に入った。
 しかし、ラトゥはそこで立ったまま待っていた。
 私は、彼に入るように言った。
 タクルが彼を呼ぶと、彼は入るか否かを考えていた。」


 この部屋の中での出来事を、われわれは運良くラーム・バーブから直接聞くことができた。
 ある日、シュリー・ラーマクリシュナの驚くべき御力について話をしているときに、ラーム・バーブは以下の話を語った。

「サードゥなのか紳士なのか見てもわからないようなサードゥに私が礼拝していたとき、どんな思いや感情がラトゥの心に浮かんだのか、私にはわからない。
 私がシュリー・ラーマクリシュナに礼拝して、頭を上げたとき、私は、ラトゥが主の御足を掴み、頭をそこに置いているのを見た。
 タクルは、まるでその少年に全く気付いていないかのように、私と話を始められた。
 そしてラトゥは起き上がって、合掌して彼の前に立ち、その間ずっと彼の言葉に聞き入っていたのだ。
 タクルはいつものように笑いながら話をしていたが、ときどき、ラトゥの方に視線を投げかけていらっしゃった。
 彼は仰った。

『ほら、お座り。なぜ座らないのかね?』

 そのときのわれわれの話題は、永遠に自由で、マーヤーの手中に決してさらされない魂についてだった。
 彼はこう話された。

『その永遠に自由な魂は、皆、生まれ変わりはするのだが、決して真の本性、宇宙の主との関係を見失ったりはしない。
 彼らはまるで、石で出口を塞がれた泉のようなものだ。
 石工が泉の吹き出し口を見つけてその石を取り除けば、ただちに水が勢いよく見事に湧き出てくるよ。』

 そう言うと、シュリー・ラーマクリシュナは突然、ラトゥに触れた。
 そのとき、その少年の中に凄まじい感情が湧き上がってきたのだった。
 彼は肉体と外界の意識を失った。
 まるで、われわれの誰もが知らない国へと運ばれていったかのように見えた。
 彼の体の毛はすべて逆立ち、声は詰まってものが言えなくなり、頬には絶え間なく涙が流れ、唇は激しく震えていた。
 私は、この前代未聞のラトゥの感情の高まりに驚いて、口をぽかんと開けたまま、ただただ立ちすくんでいたのだった。
 しかし、ラトゥがその状態のまま、一向に収まる気配を見せずに泣き続けているのを見て、私は我に返り、師に取り成した。

『確かに、これは間違いなく、あなたがおやりになったのでありましょう。
 しかし、この少年はずっと泣き続けております。』

 すると、師は再びその少年に触れた。
 その瞬間に、あんなに激しく泣きじゃくっていた少年は、正気に戻ったのだった。」


 少年の感情が収まると、タクルはラームラルに、少しばかりのプラサードを彼にあげるように仰った。
 プラサードを食べると、彼はすっかり普通の状態に戻り、タクルは彼に寺院に行くように仰った。


 初対面で、シュリー・ラーマクリシュナは、このチャプラ地方出身の無学の少年――激しいサーダナーによって、ほとんど計りしれないような霊性の巨匠となるであろう輝かしい霊性の未来を担った少年の、心の内なる働きを理解した。
 それゆえに、ラーム・バーブがその少年と共に帰る準備をしていたときに、シュリー・ラーマクリシュナは彼に、その少年をときどきドッキネッショルに送るようにと、愛情を込めて仰ったのだった。
 そして彼はラトゥにこう仰った。

『またときどきここへおいで。わかったかい?』

 ラトゥはドッキネッショルから戻ったが、放心状態のまま日々を過ごした。
 彼はもはやこの世の何にも魅力を感じなくなっていたのだが、すべてを振り払って忠実に自分の心に従うこともまだできなかった。
 この神聖なる不安の状態、この神聖なる不満の正体が、そのわびしさの狭間を通り抜けた者たちにしかわからないとは、なんと悲しいことだろう!
 この期間、ラトゥは、自分の意志で動いているというよりは、機械的に動くネジ巻き時計のように見えたと、このころの彼を見た人々からわれわれは聞いた。
 彼の肉体は、どこか別のところに行っている彼の心によって動いているのではなく、まるで川の中にある小石が川の流れに押しのけられて川底であちこちに転がるように、自動的に日々の務めをこなしているようであった。――彼の肉体を動かしていたのは、心ではなく、日々の義務であった。
 ドッキネッショルに行く前は、この少年の明るく楽天的な気質が、ラームダッタの家を、笑いと陽気な騒ぎの声で賑わしていた。
 しかし今やその家は、彼の急激な心変わりのために、暗く、陰鬱になってしまったかのようだった。――夢のない眠りのように、その家の中は死んだように静かだった。
 シュリー・ラーマクリシュナに出会う前、彼は不屈のエネルギーと熱意を持って、素早く自分の務めを終わらせると、人々と一緒に、会話に夢中になったり、冗談を言ったりして過ごしていた。
 しかし今や、彼は生きることに完全に興味を失い、まるで失望を絵に描いたかのように見えた。
 一家の人々は皆、この変化を目撃していた。
 このようにして数週間が経っていった――そしてさらに長い日々が同様に過ぎ去って行ったが、彼は元の状態に戻ることはなかった。ただ再びドッキネッショルに行けることだけを夢見ていたのだった。

 ある日、ラトゥは口を開いた。

「それを全部僕にください。僕が全部あそこにお届けします。
 道は忘れてませんよ。何とかお寺にたどり着けます。」

 こうしてその日、彼は一人でドッキネッショルに行ったのだった。
 それは、1880年の春だった。
 鹿のように速く、彼は6マイルの長い道のりを進んでいったのだが、早く到着することはできなかった。
 なぜなら、彼は道のりを正確に覚えていなかったからである。
 彼はくじけずに、道のりを人々に尋ね続け、寺院に到着したのは午前11時だった。彼は師のために果物とお菓子を包んで持ってきた。
 遠くから寺院の尖塔を見つけ、さらに少し近づいてシェーナイ(インドのオーボエ)や太鼓の音が聞こえてくると、彼の喜びには際限がなかった。
 寺院の咲き乱れた花や蔓草のあずま屋を通っていると、彼は楽園にいるような気持ちになった。
 そして、庭の道に立っているシュリー・ラーマクリシュナが目に入ると、この少年はもう感情を抑えることができなくなった。
 彼は駆け出して……いや、というよりはひとっとびで、師のもとへ行き、込み上げる帰依の思いで、その御足に礼拝したのだった。
 長い間ひれ伏し、そしてその二人はいろいろな話をしながら、寺院へと向かっていった。

 カーリー寺院の神像の前で灯明が振られているのを見ると、ラトゥの頬を涙が伝った。
 そこから、彼はヴィシュヌ寺院へと行った。
 特にそこでのアーラティ(灯明を振る儀式)の光景に、彼は非常に感動して、自分を制御できなくなった。
 その寺院には、「ラーマに勝利あれ、ラーマに勝利あれ(ジェイシュリーラーム)」の声がこだましていたのだった。
 われわれはこれらを、この出来事を自らの目で目撃したラームラルから聞いた。


 アーラティが終わると、師は彼に寺院のプラサード(神聖なおさがり)を食べるように言った。
 ビハールで生まれた彼は、カーリー寺院のおさがりを食べるのをためらった。そこでは動物の肉が捧げられていたからである。
 師はそれを理解して、こう仰った。

「ねえ、カーリー寺院では、肉が捧げられるのだよ。
 でもヴィシュヌ寺院では、菜食の食べ物だけが捧げられる。――さらに、全部ガンガーの水を使って調理されている。
 どっちが食べたいかね、息子よ。
 でもね、神に捧げられた食べ物を食べることをためらうのは良くないよ。
 わかったかね?」

 無学のラトゥは、深く考えることなく、子供のように単純に、無邪気にこう言った。

「僕はあなたがお望みのものを食べます。
 僕はあなたのプラサードしか食べません。」

 師はその少年の率直さを見て、お笑いになり、ラームラルを呼んで仰った。

「この子の賢さをごらんよ。
 私が食べるものを食べたいのだとさ。」

 食事のときに、師はラトゥをそばに座らせて、彼にご自分が食べたものの一部をお与えになった。
 その少年は、自分が最も神聖だと思っていたものを食べ、自分は祝福されていると思った。
 彼の歓喜は、言葉に表わせないものであった。


 午後に、信者たちが少しずつ集まり始めた。
 師は彼らと話をしていらっしゃった。
 夕暮れになった。
 師はラトゥを見て、こう仰った。

「もう日が暮れた。カルカッタに帰らないのかね?
 お前は今日一日中、ここで過ごした。」

 そしてまた、師は、乗り合いの篭を借りるお金があるかどうかを彼にお尋ねになった。
 少年は、何も言わずにポケットを振った。
 小銭がジャラジャラとなった。
 師は彼の純真さを見てお笑いになり、それ以上は何も仰らなかった。


 ラトゥはシムラーにある彼の主人の家に帰ったのだが、もうこれ以上、仕事に従事するのは不可能であった。
 彼は、何かを頼まれたらもちろんそれをこなしたのだが、ただそれをポーズとしてやっていた。しかし誰も、彼がそれらを全くの不本意でやっているとは気付かなかった。
 しかし彼の主人のラームダッタだけはそれに気づき、心配した。
 家の女主人は、彼の召使いらしくない振る舞いに少し傷ついたが、何も言わなかった。

 ある日、ラームチャンドラダッタはドッキネッショルに一人で行き、ラトゥが仕事に対して全く興味をなくしてしまったことを師に知らせた。

 師はこうお答えになった。

「ラームよ、それは仕方がないよ。
 彼の心はここに来ることを渇望している。
 どうか、またあの子をここに送っておくれよ。」


 それに従って、ラームダッタは次の日に、ラトゥをドッキネッショルに送った。
 師と少年の間で何が起こったのか。
 われわれはそのことを、医者であるカヴィラージ・マハーシャヤから聞いた。
 彼はある日、ドッキネッショルに来て、健康がすぐれないラーマクリシュナに、転地療養のために故郷のカーマールプクルに帰るようにと助言していた。
 われわれは以下のことを聞いた。

 シュリー・ラーマクリシュナは仰った。

「なあラトゥ、お前がここに来たいという真剣な願いは知っているよ。
 だがね、そのために、主人のお勤めを疎かにするのはよくないねえ。
 お前はラームから、寝るところとか、食事や衣服、それに必要なものはぜんぶもらっているじゃないか。
 それなのに彼の仕事をしないなんて、その報酬に対して不誠実だよ。
 いいかい、絶対に恩知らずになってはだめだよ。」


 おしかりを受けて、この純真な少年は泣きじゃくり、感情で声をつまらせて、自分の無力さをさらけだしてこう言った。

「もう他の誰にも仕えません。
 僕はここであなたと一緒にいたいのです。
 僕はあなたにお仕えいたします。」
 
 師はこうお答えになった。

「ここにいたい、と言うのかね? でも、ラームの仕事はどうするんだ?
 ラームの家族は私のものでもあるのだよ。
 どうして、その一家の中で暮らせないんだい?」


 それでも、その少年はそれを理解しなかった。
 おそらく、話を聞いていなかったのだろう。
 眼をキラキラさせて、彼はこう言った。

「もうあそこには帰りません。ここに住みます。」


 師は笑って、こう仰った。

「でも私はここからいなくなるんだよ。
(カヴィラージ・マハーシャヤを指して)彼らが私を故郷に連れていくんだとさ。」

 ラトゥは無言のままだった。
 こう言われて、彼は何も言い返せなかった。
 しかし、師は彼のハートに希望を植え付け、こう仰った。

「私が故郷から帰ってきたら、お前はここに来て、私と一緒に暮らすとよい。
 だから、ちゃんと辛抱するのだよ。」

 ラトゥは、心を希望に満たしてドッキネッショルに行ったが、傷ついた心と共にシムラーに帰った。
 しかしこのとき、彼はあるたとえ話を聞いた。それは、師がドッキネッショルから離れている間、彼の心の支えとなった。
 シュリー・ラーマクリシュナは、その話を別の信者に語っていたのだが、ラトゥはそれを耳にして、覚えたのだった。

「一家の務めをぜんぶ果たしなさい。しかし、神のことを思い続けなさい。
 わが身内として、妻子や父母に仕えなさい。しかし、彼らは自分の所有物ではない、ということを常に知っていなさい。
 女中は、金持ちの家で働いていても、故郷の自分の家と、愛する家族のことを思っている。
 彼女は主人のおさない子供たちの面倒を見て、『私のラーム』とか『私のハリ』と言う。
 しかし、心の奥では、彼らは自分のものではない、ということを知っている。」


 この話が、ラトゥの悲嘆にくれた心を幾分か慰めてくれたのだった。われわれは後に、彼の口からそのことを聞いた。
 しかし、ラトゥは何か安らぎを得たのだろうか?
 いや、ラトゥはずっと一人で、他人に気づかれることなく、悲嘆に苦しんでいた。
 彼は、たとえシュリー・ラーマクリシュナが直接的に何か指示を与えていなかったとしても、言葉通りに、心から、念入りに、師の指示に従うように心掛けた。
 深い信と敬意をもって、彼はその傷ついた心で理解したこの話の解釈に、几帳面に従ったのだった。

 そして彼は常に、これらの指示に対する自分の心の反応を行動に移そうしていたので、それらは彼にとって生き生きとしたものとなり、彼を鼓舞した。
 彼は教えの真の意味を理解するのに、論理や哲学に走ることはなかった。
 時間を無駄にすることなく、彼はすぐにそれらを実行に移した。
 その結果として、他の方法で行うよりもより鮮やかに、教えの隠れた意味が理解できたのだった。
 この少年のアプローチ方法は、現代的なやり方――つまり、まず最初に知性を働かせて、事を十分に理解し、それからそれを実行しようとする現代的な傾向とは全くの正反対なのであった。
 人々は、この彼の子供の頃からの風変わりな性質に気づいた。
 彼は思索よりも、実行する方を好んだ。
 彼は、師に指示されたことを几帳面に実行することが、どれだけ自分の心を広げ、自分の人格を高めていたのかということに気づいていた。このメソッドの効能を完全に確信していたのだ。
 
 後年、彼はこのように言っていた。

「君は何もしていないじゃないか。君は何もしないというのに、サードゥを悩ましている。
 君はサードゥが、君のけがれを浄化し、君の欠点を取り除いてくれるとでも思っているのかい?
 性向は君のものだ、君は自分の努力によってそれらを変えなければならない。
 サードゥの言葉や単なるロジックが、それらを取り除いてくれると思うか?
 君には信や献身があるのかい?
 それらなくしては、理解が完全になることはありえない。
 実践なくしては、誰も悪しき性向を取り除くことはできないのだ。」


 師が故郷に帰り、ラトゥはラーム・バーブの家に戻った。
 ラトゥはその日々を、どう過ごしていたのであろうか?
 彼自身の言葉で、彼の心境を描写してみよう。

「僕があの辛い日々をどう過ごしていたか、君たちにはわかるかい?
 僕は、悲しみにわれを忘れていた。
 あの別離による心の痛みは、耐えきれないほどだった。
 僕はラーム・バーブのところで暮らすことができなかったから、こっそりとドッキネッショルに行った。
 それでも、そこで喜びを見出すことはできなかった。
 僕は、師(シュリー・ラーマクリシュナ)の部屋に入れなかった。
 すべてが、虚しく、空虚で、死んでいるように見えた。
 僕は、庭やその周辺をぶらついた。
 そしてガンガーの岸辺に座って、独りで泣いていた。
 ……どうして君が、この苦しみを理解できようか?
 言っておくけど、これを理解するのは君には不可能だ。
 ラーム・バーブは少し理解できた。
 彼は僕をよく慰めてくれた。僕は彼から、シュリー・ラーマクリシュナのお写真をもらったんだ。」


 聖者ニティヤゴーパールが、この時期のラトゥの心境について、簡潔にわれわれに語ってくださった。

「ラトゥの心境はまるで、喉が渇いて死んでしまおうとも雨の滴しか飲まないチャータカ鳥のようだった。」



◎強烈な切望と奉仕


 ラトゥはよく、シュリー・ラーマクリシュナがカーマールプクルにいるときでさえ、ドッキネッショルを訪ねたという。
 彼は、誰もいないパンチャヴァティか、ガンガーの岸辺で、数時間を過ごした。
 あるとき、ラトゥをよく知るシュリー・ラーマクリシュナの甥のラームラルは、遠くから彼を見つけた。
 彼は、静かに座り、河辺で意気消沈し、涙を流している少年を見たのだった。
 彼は思った。おそらく、その少年の主人であるラーム・バーブが、彼がお務めをおろそかにしたために彼を叱り、彼はそれに傷ついて泣いているのだろう、と。
 しかし、彼に近づいて泣いている理由を聞くと、ラームラルは驚いてしまった。
 以下に、ラームラルが語った出来事を記そう。

「私は河辺で座って泣いている少年を見つけた。
 泣いている理由を聞くと、彼は、タクルジ(ラーマクリシュナ)がいなくてとても悲しいのだ、と言っていた。
 彼がシュリー・ラーマクリシュナに抱いていた発想は、非常に驚くべきものだった。
 彼は、シュリー・ラーマクリシュナには不可能なものはないと思っていた。師はもし望みさえすれば何でもできるのだと思っていたのだ。
 そう思って彼は、師が実際に彼の目の前に現われるように、彼に呼びかけていたのだった。
 彼は、シュリー・ラーマクリシュナはドッキネッショルに永遠に存在していて、師が生まれ故郷に帰っていたとしても師はドッキネッショルにいるので、彼に会うことができるのだ、ということを誰かから聞いたらしかった。
 この考えを持って、彼は正午から夕暮れまで、そこに座っていたのだった。
 日が暮れて暗くなってくると、私は少年に家に帰るように言った。
 あなたは、彼の返答を聞いて驚くだろう。
 彼はこう言ったのだ。

『僕は、パラマハンサ・マーシャヤ(彼はよく師のことをこう呼んでいた)は絶対にここにいるって、完全に確信していますから。』

 何度も何度も、私はこう言った。

『いやいや、彼は帰郷されたんだよ。』

 そうしたら、彼は何度もこう言い返してきた。

『いいえ、あなたはわかっていません。パラマハンサ・マーシャヤは、絶対にここにいらっしゃるんです。』

 この少年の確固たる信を見て、私は黙って、寺院の夕拝に参加するために戻っていった。
 寺院に戻ってきてから、私はラトゥにプラサードをあげていないということに気づき、プラサードを持って彼のもとに戻った。
 そこに戻ると私は、彼が額を大地につけて平伏しているのを見た。
 私は当惑して黙っていた。
 数分後に、私が目の前に立っているのに気付くと、少年は驚いて、私にこう尋ねた。

『ああ! パラマハンサ・マーシャヤはどこに行ってしまわれたのですか?』

 不意を突かれて、私は何も答えられなかった。
 私は彼にプラサードを渡すと、寺院に戻っていった。」


 われわれは、ラトゥと親しい関係にあった多くの人々に尋ねてみた。
 彼らは皆、この時期における彼の生活を、同様の描写で話していた。

「彼は食物、飲み物、仕事、娯楽、そして主人であるラームへの義務にも、全く無関心だった。
 彼は眠ることができず、仕事をしてもその緊迫した感情から解放されることはなかった。
 彼は、肉体の維持に必要な生理的な作用にさえも、全く衝動を感じていなかった。」

 少年のこのかつてない変化は、彼の主人ラーム・バーブを悩ませた。
 ラームはこの少年を心から愛していたのだ。
 彼の誠実さ、簡素さ、務めへの献身、これがラームを彼に惹きつけていた。
 そして、この少年のシュリー・ラーマクリシュナとの別離から生じる激しい悲痛は、ラームに感嘆の念を湧き起こさせたのだった。
 彼は、この少年の、グルへの揺るぎない信に魅せられたのだ。
 この理由から彼は、この少年の義務の放棄を見逃してあげていた。


 彼自身バクタであったラームは、バクタのハートの悲痛をよく理解していた。
 彼自身、深くシュリー・ラーマクリシュナに献身していた。――それなのに、彼がラトゥに共感をもたないということがあろうか?
 この愛、この別離の悲痛は、二人に共通したものだった。
 ラームがラトゥという天使を守り、同情心のない縁者や友人の厳しい批判から彼をかばったのは、ごく自然のことだったのだ。
 彼は、他者が少年に家住者の義務を押し付けないように取り計らった。
 彼はこの間、他の召使いを雇い、ラトゥを外的な心配から解放してあげたのだった。
 しかし、もし少年が仕事を失ってしまったら、彼の心は、為すすべのない状況により一層くよくよと考えてしまい、少年の苦しみはさらに増大するかもしれない。
 それゆえに、ラームは彼にある簡単な仕事を任せた。――その仕事とは、何か責任があるものではなく、霊性の開示をもたらすものであった。

 あるとき、ラーム・バーブと共に住んでいたニティヤゴーパールが、腸チフスにかかった。
 死が、彼の命と共に恐ろしい遊戯を演じていた。
 アヴァドゥータ(ニティヤゴーパールはそう呼ばれていた)は、高い段階の聖者だった。
 彼は、霊性の修行をしているときには特に、よく恍惚状態になっていた。
 それらの感情が強烈に高まっている間、彼には、発汗し、鳥肌が立ち、戦慄が起き、わけが分からないことをしゃべり、しわがれた声になり、泣く、笑う、怒るなどのような興奮、そしてその他のサットヴァ的な肉体的変化がよく見られた。
 腸チフスに襲われていながらも、それらの強烈な変化は何の前触れもなく起こった。
 これに、ラーム一家の人々は非常に神経質になった。
 いろいろ考えた末に、ラームはラトゥを彼の看護につけた。
 ラトゥは喜んで承諾した。
 ラームは、その患者の体にそれらのサットヴァ的な変化を見つけたらすぐに、彼の耳元で主の御名を唱えるように助言したのだった。
 それは、その病に対しての最高の薬であった。なぜなら、バクティの聖典に、「御名の中にバーヴァは住まい、御名の中でそれらは弱まる」と説かれているからである。
 この御名とバーヴァの風変りな関係は、ラトゥの仕事を二倍困難にした。
 なぜなら、主の御名を聞いているうちにアヴァドゥータは恍惚境から戻ってくるが、同じようにずっと繰り返していると、また恍惚境に入ってしまうからだ。
 それゆえに、ラトゥは昼夜ずっと休むことなく、主の御名を唱え続けなければならなかった。
 主が、彼のお気に入りの信者のために、主の御名を休みなく唱える機会を設けたのだ。それは明らかである。
 
 ラトゥがこのように主の御名を繰り返すことでどれほどの平安を楽しんだのかということは、記録されていない。
 しかし聖典には、絶え間なく主の御名を唱えることで、不安は取り除かれ、心が平安になる、と説かれている。


 アヴァドゥータは、四か月もの間、病気にかかっていた。
 その間ラトゥは、ずっと献身的に彼に奉仕した。
 以下に、アヴァドゥータがそれについて感じたことを記そう。

「私は、ラトゥの心からの奉仕を決して忘れることはできない。
 昼夜、彼は私の寝床のそばにいてくれた。そしてすべてのものを事前に準備していてくれた。
 私が何かが急に必要になったときはいつでも、それはすぐに供給された。
 彼が疲れたり、冷淡になったのは一度も見たことがない。
 彼は神の御名の絶え間ない激流を私の耳に注いでくれた。
 彼は手を抜くことは一度もなかったし、すべての仕事をこなした。それに、用を足しに行くのも手伝ってくれたのだよ。――汚物は彼にとって汚物ではなかった。
 彼の口からラーマの御名を聞くと、私は苦しみをすっかり忘れてしまったよ。」

 アヴァドゥータが少し回復すると、ラーム・バーブは、毎晩彼にチャイタニヤ・チャリタームリタ(シュリー・チャイタニヤの生涯)を読んで聞かせていた。
 ラトゥは、それを一度も聞き逃さなかった。
 この本には、主と帰依者の主従関係について多くのことが論じられており、ラーム・バーブとアヴァドゥータはよくこれについて論じ合った。
 ラトゥは、それらの会話を耳をそば立てて聞いていた。
 ときどきラーム・バーブは、シュリー・ラーマクリシュナのおっしゃったことや例え話を引用して、自らの解説を装飾した。
 これは、非常に明快な効果があった。
 われわれは、ラトゥが大事に心にしまい込み、後になってわれわれに語ってくれた一つの話を以下に綴ろう。

「ほら、村には機織りが住んでいた。
 彼は敬虔な男で、人々は彼を心から愛していて、彼に大きな信頼を置いていた。
 彼はよく市場で布を売っていた。
 あるとき買い手がやってきて、彼に布の値段を聞いた。彼はこう答えた。

『ラーマのご意思により、糸の値段はこれくらいで、ラーマのご意思により、労働の費用はこれくらいでしたので、ラーマのご意思により、私の利益はこれくらいでしょう。』

 そのようなことから、人々は彼を信頼し、すぐにお金を払うと、布をもっていくのだった。
 ある日、夜に彼が神に祈りを捧げ、御名を唱えていると、強盗を犯した追いはぎの集団がそこを通りかかり、彼を無理やり荷物持ちにして同行させた。
 彼らが機織りの頭にその荷物を載せて帰っている途中、警察と出くわしてしまった。
 追いはぎは皆、頭に荷物を載せた機織りを残して逃げた。
 その哀れな男は、警察の手によるさまざまな尋問に耐えなければならなかった。
 しかし機織りは、『ラーマのご意思』と言うのをやめなかった。
 彼は法廷にあげられた。
 そして事実を語るように求められると、彼はこう言った。

『主よ、ラーマのご意思により、私は神の御名を唱えていました。そうしたら、ラーマのご意思により、追いはぎがやってきて、私を無理やり同行させました。
 そしてラーマのご意思により、彼らは私の頭に荷物を置きました。ラーマのご意思により、われわれは歩き出しました。
 するとラーマのご意思により、警察がやってきました。ラーマのご意思により、追いはぎ達は逃げました。
 ラーマのご意思により、私は捕まりました。
 ラーマのご意思により、私は尋問を受けました。
 そしてラーマのご意思により、あなた様方の前に連れてこられたのです。』

 判事はその状況を理解し、その機織りを解放した。
 法廷から帰る途中、彼は『ラーマのご意思により、私は解放された』と言っていた。」


 この主従関係を、ラトゥ・マハラージは晩年によく、非常に生き生きと力強く語ったので、聞き手の心に消えることのない印象を残した。

「息子よ、君は神にお仕えするためにいるんだよ。媚びへつらうためじゃない。
 主は、金持ちがするようなごますりがお好きだと思うかい?
 君は、金持ちがおべっか使いに囲まれているのを見たことがないか?
 彼らは大げさに話す。なぜだかわかるか? それによって何かを得るためだよ。
 しかし彼らは何かを得るとすぐに、その金持ちのところを去って、別の金持ちのところに行って、同じように彼にひと芝居打つ。
 彼らは、二人目の金持ちを喜ばせたなら、最初の金持ちを悪用したことをちっとも悪いと思わないだろう。
 こんな感じで、彼らはまた三人目、四人目と続ける――これが彼らのやり方なのさ。
 君はこのようにして主にお仕えすることができるか?
 彼にお仕えしたいならば、すべてのもの――財産、評判、名声、羞恥心、屈辱への恐れ――それらを全部投げ捨てなければならない。
 下心をもって主にお仕えしてはならないんだ。
 さらに、人は彼が恐れ多くもわれわれに与えてくださったものに対して、たとえ小さなものでも感謝の気持ちでいっぱいになるべきだ。
 われわれは何と愚かなんだろう!
 彼は初めからずっと、最高のもの、一番有益なものをわれわれに与えてくださっているということを、われわれは理解していない。
 われわれはそれを忘れている。彼を忘れている。
 われわれは彼にお仕えしていない。
 われわれの苦しみはすべて、それが原因だ。
 君は、自分のために良くしてもらっているということを忘れてしまう者が、向上すると思うかい?
 われわれは彼を忘れているばかりに、苦しみが終わらないんだよ。」

 この神との主従関係について、ラトゥ・マハラージによって説かれたものはたくさんある。
 それらはわれわれに、この主従関係という考え方についての正しい発想を与えてくれる。



 シュリー・ラーマクリシュナは、八か月の長い期間の後に、ドッキネッショルに戻ってきた。
 その戻ってきた日に、師はラームの家を訪れた。
 その日は、ナヴァラートリの7日目(ドゥルガー・プージャの日)で、ドゥルガーが礼拝されていた。
 女神の偉大なる信者(シュリー・ラーマクリシュナ)が、女神の到来と共に現われたので、カルカッタの信者たちは歓喜と至福の恍惚の中に投げ入れられた。
 そしてラーム・バーブの家の寺院は、歓喜の声が響き渡っていたのだった。

 そして、ラトゥの歓喜は!
 それをどうやって、言葉で言い表わすことができようか?
 冬の冷気が去って、春の風が木や植物に触れたかのように、シュリー・ラーマクリシュナの帰還は、ラトゥの中に新たなを命を自然に芽生えさせたのだった。
 皆が、彼が喜びに満ちた顔で機敏に動き、大きな声で話し、活発に活動していることに驚いた。
 驚いたことに、ラーム・バーブは、彼の助けだけで多くの仕事をすぐに片づけることができた。
 ラーム・バーブは彼に命じて、師がお帰りになったことをカルカッタ中の信者たちに知らせ、このおもてなしの用意をし、サンキールタンの一団などを招いたのだった。
 この少年の人生の引き潮の流れは、ちょうど、哀れに雨の滴を切望するチャータカ鳥が、突然遠くに雷鳴が轟き渡る黒い雨雲を見つけて忘我の喜びに心躍らせるように急展開を迎え、突如満潮になったのであった。
 

◎イニシエーションと訓練


 師(ラーマクリシュナ)は、真の奉仕の精神をラトゥに教えた。ある日、師はラトゥ・マハラジに仰った。

「ねえラトゥ、肉体に翻弄されてはいけないよ。骨と肉の集合であるこの肉体に奉仕することによっては、おまえは利益を得ないのだよ。でも、もしその中に住んでいる者に奉仕をするなら、おまえはすべてを得るだろう。」

 
 "召使い"のラトゥと師のそのときの会話を、私たちは年長のゴーパール(シュリー・ラーマクリシュナの直弟子、スワミ・アドワイターナンダ)から聞いた。彼が語ってくれたことを一字一句そのまま下記に記そう。


ラトゥ「誰がその中にいらっしゃるのですか? 私は知りません。」

師「神がいらっしゃるのだよ! ジーヴァとしてその肉体に住んでいらっしゃるシヴァ神だ。」

 これに対して、ラトゥは沈黙してしまった。そして、師はより強く仰った。

「ねえ、愛するラトゥよ。(心臓を指さして)彼を忘れるな。完璧に彼に従えるか? 絶対に、絶対に彼を忘れるな。」

 これを聞いて、奇妙な変化がラトゥ・マハラジに起こった。彼は手を組んで、どもりながら言った。

「私はあなたをとても愛しています。あなたは私にとてもお優しい。――あなたを忘れることなどできましょうか。もし私があなたに従わないのなら、それは恩知らずで恥知らずなことです。疑いなく、私はあなたの命令を実行いたします。私は決してあなたを忘れません。」

師(笑いながら)「私は自分の言葉を話しているわけではないのだよ。――(心臓を指さして)ただ"ここ"からの言葉を話しているだけさ。」

 ラトゥは答えた。

「私は"ここ"が何だかも知りません。分かりやすく教えて頂けませんか。」 

 これらのラトゥの言葉を聞いて、師は、年長のゴーパールに向かって仰った。

「ゴーパール、ラトゥがたった今、何と言ったか聞いたか。彼は『"ここ"という言葉をご説明ください。』と言った。
 "ここ"という言葉を説明できるか? なあ、できるのかどうなのか早く言っておくれ。私はなんておかしなことを強制しているんだ!」

 (この真面目でしかも滑稽な師の行いに)ゴーパールは言った。

「なぜですか。あなたは"それ"をご存じのはずです。なぜあなたがそれをご説明なさらないのですか?」

 これに対して、師は(まるで恥ずかしがるように)仰った。

「なんておかしなことを言うんだ! "ここ"の性質を・・・・・・明かすべきかね?」

 (年長のゴーパールは、負けじと答えた)「私たちは、このためだけに――『ここ』が何かということを知るために――あなたの周りに集まっているのです。あなたがそれをお隠しになるなら、私たちはどのように知ればよろしいのですか?」

師(笑いながら)「今は駄目だ、今は駄目だ。『ここ』は、今は知らせてはならない。それは時が来ればお前たち全員が知ることになるだろう。」



 師が、ラトゥを神への奉仕の実践に導き入れる前でさえ、絶対服従の約束でラトゥを縛った理由は、明らかではない。
 しかし、奉仕の修行においてグルの指導は重要であり、もし弟子がグルを信じて従わなければ、その修行に効果はない、ということを示しているのではないかと私たちは推測する。
 したがって、シュリー・ラーマクリシュナは初めから服従を約束させたのかもしれない。師はよく仰ったものだ。

「最高のグルは、怠惰で指示を実行したがらない弟子を見つけると、力を行使したり、強引に服従させたりもする。」

 グルは、すべての霊性の実践の中になくてはならない存在であり、神への奉仕の道においては、その存在はより重要になってくる。
 繰り返し言う必要はない。その道に熟達した案内人なしに神への奉仕に専心する霊性の初心の修行者は、舵なしでボートに乗るようなものである。――ボートは波によってはじかれたり、激しく揺らされたりして、風が吹くところはどこにでも流されてしまうのだ。
 未熟者は大量の仕事の海の中で、そのような運命をたどる。――彼は目的を見失う。すなわち、神の実現、神の人生という目的を。
 慈善的またはその他の仕事の中でも、中毒の類のものもある。それは人を狂わせる種類のものである。――彼は目的を忘れる。行為が衝動、つまり怒りを生じさせ、それにより人は足元をすくわれる。彼は疲弊し、混乱し、休息できなくなる。
 シュリー・ラーマクリシュナは、ラトゥがサットヴァであると、また彼は神を切望するに十分な基準に達していると見ていた。
 シュリー・ラーマクリシュナは、ラトゥが未成熟の段階にあるうちは、彼を行為の渦の中に投げ入れたくなかった。したがって、このように忠告したのだ。

「ねえラトゥ、"ここ"を絶対忘れちゃ駄目だよ。」

 ラトゥは師との約束通り、生涯を通じてシュリー・ラーマクリシュナの真の召使いであり続けた。
 師を忘れて過ごした日は一日もなく、命令を破った日も一日もなかった。――また、師へのご恩を忘れて過ごした瞬間はひと時もなかった。ドッキネッショルでそうだっただけではなく、シュリー・ラーマクリシュナが亡くなった後も、ラトゥは一つの考え、発想、そして目標に徹した。――師に完全に従うため、そして瞬間といえども彼を忘れないために。

 こうして、神を忘れないというラトゥの約束を聞いて、師はラトゥに、神の召使い(ダーシャ)たるものは一瞬たりとも神を忘れてはいけないという感銘を与え、彼はそれを生涯忘れることは決してなかったのだ。

 神の召使いであったラトゥは、師への最高の帰依と依存によって霊性の修行を始め、最後まで忠実に付き従ったのだった。
 彼の帰依心は本当にすばらしく徹底していたので、後年、彼のグルバイつまり兄弟弟子たち、特にナレンドラ(スワミ・ヴィヴェカーナンダ)は、こう語っていた。

「私たち全員の中でラトゥだけが真に師を掴んでおり、私たちは単にラトゥの言葉を繰り返していただけだ。」


 私たちがラトゥ・マハラジを実際に目の当たりにしなかったなら、人が一人の人にそのように完全に依存し、自己を明け渡すことが可能なのだということを理解できなかっただろう。
 他者のために自分の命を犠牲にすること――それはたった一回行なえば済むものであるが、それよりも、完全に個を滅し、自分ではない者に自分を明け渡して、人生すべてを他者のために捧げ続けることの方が難しい。


 ラトゥ・マハラジは、シュリー・ラーマクリシュナに奉仕することを許された日以来、一度も他に行くことなく、師一人に完全に依存していた。
 ラトゥの心には、少年期そして青年期を迎える前でさえ、この印象が深く刻みこまれていた。その結果、心の葛藤の潮はいつも引いており、彼自身の努力ですべてを成し遂げることができ、エゴイズムは完全に払しょくされていたのだった。

 一般的に私たちは、自分で理解したことを実践することで、成長し幸福になると思っている。
 したがって、私たちの向上心は、自分の理性の幅と方向性によって制限されている。当然、私たちはそれを超えることはできない。
 もしその見解を変え、理解の幅が広くなれば、私たちの向上心も増大するだろう。
 世俗的欲望によって抑圧されている一般の人々は、自分で自分の知性の外周を狭め、それによって視野をより狭めてしまっている。
 しかし、寛大な見解を持ち、俗世を離れており、また自分自身を世俗的欲望に結び付けることを許さない人達は、いとも簡単に自らの知性を広げ深めていくことができる。その結果、彼らの向上心はより高まり、より広い範囲を覆うことができるのだ。

 ラトゥは、神への奉仕の人生の手ほどきを受けた青年期の終わり頃、他の人達と同じように、世人のように狭く一般的な知性によって人生を送っていくかどうかという問題に直面しなければならなかった。
 もしラトゥが私たちのような人だったら、つまり自分の力と知性に誇りを持つような人だったなら、為すべきことを選択するのは難しかっただろう。

 しかしラトゥは違った。――彼は無学で直感的だったため、心の葛藤に圧倒されることもあまりなく、容易に自己放棄の道を選択できたのだった。
 師の教育を受けた多くの信者たちは――内輪に属している者も外輪の者も――疑念と葛藤の時期を経て、師を受け入れた。
 彼らは、自分たちの知性の試金石で師を試した。
 ある者は、(師を試して受け入れる前は)師を偏執狂者と呼んだことさえあった。
 しかしとても驚いたことに、ラトゥの心には、師を試すという考えは一度も浮かんだことはなかったのだった。
 ラトゥは、師に言われたことは何でも完全に信じ、疑いなく実行した。
 子供とその父親のように、ラトゥは師に完全に自己をゆだね、それによって、他の者には与えられることのない安らぎを楽しんでいた。

 神に近づくために奉仕をしようとする者は誰でも、まずは自己を完全に消し去るだろう。自己中心性を残したままでは、誰も本当の意味で他者に奉仕したり、癒すことはできない。なぜなら、自己中心性はその高い理想を実現する妨げとなってしまうからだ。
 私たちは奉仕の道を簡単なものだと思っているが、もしその背景に愛がなければ――それは自己中心性を滅した愛であるが――奉仕が重荷となり、単調となり、苦痛となって、取り留めもない心配を作り出すだろう。
 彼の自己は得ることと失うことに依存しているから、召使いは希望と絶望の狭間で切り裂かれる。
 利益が見込まれないときには、奉仕は無機的になる。そのような奉仕は、いずれにせよ人を向上させない。
 しかし、心が本当に無私の奉仕にからめとられているときは、それは至福になる。――何にも結び付けられることなく、何の利益も危険も顧みない召使いは、簡単に引き上げられ、彼自身が神に守護されていることが分かる。


 師はラトゥに教えた。

「ラトゥよ、聞きなさい。利益や動機というどんな希望にも揺り動かされてはいけないよ。――お前自身を完全に『彼』に差し出しなさい。
 お前が『彼』を手放さなければ、お前はすべてを得るだろう。手放してしまうと、渇望は残る。あるいは増しさえする。そしてお前を翻弄して、不幸にするだろう。」
 

◎出家と苦行


 師ラーマクリシュナがこの世を去ってからしばらく経ったある日、ナレンドラはラトゥに言った。

「私たちは皆、正式にヴィラジャ・ホーマを行い、そしてサンニャーシン(出家修行者)となった。 君にも同じようにしてほしいと思っている。」

 ラトゥ・マハラジは、ナレンドラの提案に快く賛成した。
 ヴィラジャ・ホーマを行う前に、先祖達のために、そしてさらに自分自身のためにシュラッダーの儀式(葬儀)を行うことが慣習となっていた。儀式の最中、ラトゥ・マハラジはいくぶん奇妙な様子でふるまっていた。経典通りにサンスクリット語のマントラを呟かずに、彼は自分の出身地の方言を使って、簡単なやり方で死者の霊を呼び出し、こう言いながら供物を捧げていた。

「おお、父よ、ここへ来て、お座りください。そしてこの食べ物と飲み物をお受け取りください。」

 その後、彼は座ってヴィラジャを行なった。



 出家後、ラトゥ・マハラジは、一年半の間、一日も空けることなく、バラナゴル僧院に住み続けた。彼は、法友達と共に厳しい苦行生活に励んでいた。

 ここで、この時期のバラナゴル僧院についてのラトゥ・マハラジの回顧録を記そう。

「私たちは霊的な話に没頭していた。もしその時間に、僧院の資金面を支えていたスレシュ・バーブが僧院に現れたときには、ロレン(ナレンドラ)はすぐに会話をやめ、屋根の上に隠れた。これに対してスレシュ・バーブはこう言ったものだ。

『なぜ君は小さくなって、私を避けるのだい? 私にほんの数パイサを君に与えさせるのは、師の恩寵なのだよ。
 そうでなければ、君に給仕するという特権を得ている私は誰なのだい?』

 スレシュ・バーブの大らかな態度を見なさい。――彼(師)がスレシュ・バーブに与えさせる。だから彼は与える! そのような態度は本当に稀だ・・・・・・。
 また別の日、スワミジ(ヴィヴェーカーナンダ=ロレン)は、スレシュ・バーブが来たのを見ると、僕たちを屋根に上がらせ、こう言った。

『彼のくだらない噂話に、誰が長時間、付き合うものか!』

 よって、僕たちは全員屋根に上った。スレンドラ・バーブが僧院に入って来ると、そこには誰もいなかった。彼は、涙をこらえきれずに泣き叫んだ。

『世間の心配事に焼き焦がされて、私は、しばしの間、あなた達との癒しの触れ合いを求めに来たのに、このような扱いをされるなら、私はどこに行けばよいのだろうか?』

 彼の気持ちを考えても見てよ。
 彼は、僧院のすべての経費を負担していた。彼は自分の存在を私たちに押し付けることもできたはずである。――彼には全面的にその権利があった。しかし彼はそれをせず、その代わりに、どれだけ私達のふるまいに傷ついたかを表現しただけだったのだ・・・・・・。
 最初、ロレンは僧院に滞在していなかった。――兄弟たちシャロト(シャラト)、シャシ、ニランジャン、バブラーム――みんながよく行き来していた。彼らはアントプルから戻り、正式にサンニャーシンになってからは、僧院で生活し始めた。
 ブラザー・ロレンは、当時、家族が住んでいた家の訴訟のために、窮境に追い込まれていたそうだ。だから僧院に住めなかったのだ。
 1887年5月、家庭での問題が落ち着いた後、ロレンは僧院に来て、永住したのだ。また、その他の兄弟たちも集まり始め、僧院に住み始めた。――だから、彼らの親たちはよくブラザー・ロレンに苦情を言いに来た。

『この若者は諸悪の根源だ。パラマハンサが亡くなった後、私達の息子は家に安住していた。このナレンという詐欺師が彼らの心を掻き乱し、みんなを僧院に連れて行った。こいつが彼らの首謀者だ。』

 ある親たちは僧院に来て、ブラザー・ロレンに罵倒を浴びせかけた。彼は言った。

『なぜ私を責めるんだ! ここにあなたの息子たちがいるではないか。連れて帰りなさい。私が彼らをここに拘束しているわけではない。』
 
 ブラザー・ラカールは、彼の父親に直接こう話したそうだ。

『もう二度とここに来ないでください。私はここで幸せに暮らしていますから。』

 ブラザー・シャシは、彼の家族の者が来たと聞くと、僧院の敷地から出て行ったものだ。彼は家族に会おうともしなかった。
 ブラザー・サーラダーもまた同じような態度だった。彼は一歩先を行っていた。――放浪の旅に出たのだ。
 ブラザー・ヨギンが巡礼から戻って来ると、僧院には、明らかに霊的な雰囲気が創り出されていた。その頃、バララーム・ボースも僧院を手助けし始めてくれていた。
 マスター・マハーシャヤも後に続いた。僕たちは当時よくマドゥカリ・ビークシャ(托鉢)を行なっていた。」

 この時期のおかしくも真のバラナゴル僧院の全体像が、シュリー・マヘンドラナートダッタによって描かれている。

「僧院の家は、とても古くて荒廃していた。地下の部屋の床は沈んでおり、ある箇所では床下にまで沈み込んでおり、蛇やジャカルの住みかになっていた。
 一階に下りる階段の段のほぼ半分はなかった。二階の部屋の床の表面は、一角は見え、一角は下にある小石がむき出しになっていた。扉の雨戸と窓は、ほとんどなかった。
 屋根の垂木はほとんど落ちてしまっていて、割れた竹でレンガを支えていた。僧院の周囲は茨の茂みで覆われていた。それは噂通り、本当にお化け屋敷だった。階段で一階に行くと、右側にいくぶん大きな部屋がある。――それはカーリー・ヴェーダーンティンの部屋だといわれている。
 そして階段をもう二段上がったところに、他の部屋へと続く入り口である小さな扉がある。もう少し進むと、目の前に小さな部屋の聖堂があり、その前には閉鎖された玄関があり、その西側には大きな広間がある(みんなは悪魔の広間と呼んでいる)。
 広間を通り抜けると、その北西側には、飲み水を蓄えたり、みんなで食事をしたりする小部屋が一つある。この部屋のもっと北西側にはトイレがある。食堂の東側にはキッチンがある。コシポルのガーデンハウスで師が使っていた品々は全部聖堂に保管されている。みんな床の上で寝ている。簡易ベッドを所有するなんて贅沢は考えられない。敷物のようなものが2〜3枚――敷物なんて呼べないくらい粗末なもの――を縫い合わせて絨毯にし、『悪魔の広間』の床に敷いている。広間の隅には、安心して泥棒にさえ預けられるほどのドゥッリ(絨毯)が巻いて置いてある。その敷物の縦糸がこっちにあると、横糸はあっちにあって、その二つが時々会釈し合っている――つまり、海で大きな魚を捕まえるために漁師が使う網のような感じだ。それから、枕? そんなものは必要ありません! 彼らは『悪魔の広間』に使っていたマットのようなものを、石のように柔らかいカルカッタのレンガの上に敷いていた。これらが彼らの部屋と家具である。」

 この僧院で、ラトゥ・マラハジは『悪魔の広間』に席を陣取っていた。


 ある日、チャプラ地区の男(かつての彼の保護者であった彼の叔父だと思われる)が来て、彼の故郷の村を一度訪れてほしいと言った。このように要求されたとき、ラトゥは、彼がよく使っていた言い回しで返答した。

「あなたは自分のダルマを行いなさい。僕は自分の道を知っています。」

 ラトゥが強い語気でこのように言ったので、その男は重い心持ちで僧院を去った。彼が去った後、何人かの同胞の弟子達は、彼は本当に君の叔父さんなのか、と尋ねた。ラトゥは言った。

「この僧の叔父はみんな死んだよ。 」


 後日、ラトゥ・マハラジは、それぞれ異なる時と場所で、バラナゴル僧院で起こった様々な出来事を私達に話してくれた。私たちはそれらをここに集めたので、読者に紹介しよう。


「バラナゴル僧院では、ブラザー・シャシがアラティを執り行なっていたが、それは一見の価値があった。そこにいた全員が師の存在をはっきりと感じた。しまいにシャシは叫んだ。

『グルに勝利あれ、グルに勝利あれ。』

 そしてブラザー・カーリーはサンスクリット語の賛歌を歌った。数日の間に、ブラザー・カーリーは師の礼拝のためのマントラを作った。それ以来、それらのマントラは礼拝で使われるようになった。
 僕たちには食べる物がほとんどなかったが、師に高級な果物を捧げ、そのお下がりを儀式の参加者たちに振る舞っていた。これについて、人々はよく言ったものだ。

『この者たちはお宝でも発見したに違いない。そうでなければ、どうしたらあんな高価な物を聖堂のグルに捧げることができるだろうか?』

 ブラザー・シャシは、日夜、どうやって最高の礼儀を尽くし、最高の供物を捧げて、師への礼拝を執り行なうことができるのかという一つの考えしか頭になかった。彼は昔、プージャーに関するすべての仕事を一人で行なっていた。ブラザー・シャシは僕たちに言ったものだ、

『君たちは何にも心配しなくていいよ。ただ、瞑想と祈りと数珠を操ることに没頭していればいい。師の恩寵を通して、必要な物は全部もたらされるだろうからね。』」

「バブラームはときどき、僧院を出て、彼の親戚たちの家に泊まっていた。これについて、何人かはこう言って彼を非難した。

『バブラームはサードゥになったというのに。――彼は施しで生きるべきだ。それなのに、彼は親戚たちの中で贅沢な暮らしをしている。』

 それを耳にした時、僕は言った。

『兄弟よ、君はサードゥだ。君は自分の時間を瞑想と祈りと数珠を操ることに費やさなければいけない。なんで君は他人がやっていることを観察するために――彼らがどこに行ったとか何とか――で時を無駄にしているんだい?』」


「大勢で共同生活をしていると、意見の相違によって、人間関係がぎくしゃくしてくることはよくあることだ。しかし、不思議なことに、それは僕たちには一度も起こらなかった。僕たちがお互いを批判し合わなかったというわけではない。というより、あまりに頻繁に、ざっくばらんにやっていた。でも、次の瞬間には、愛がすべての悪感情を払しょくしてしまっていた。ときどき、あまりに辛辣な批判に、頭に血が上る者もいた。でもみんな、瞑想や祈りを続けていたおかげでとても冷静だったので、辛辣な言葉は僕たちの心にしこりを残さなかった。ブラザー・シャロト(シャラト)は忍耐において僕たちの中で誰よりも優れていて、それはあまりに素晴らしかったので、ロレンはこう言った。

『彼、シャラトはベレフィッシュの血を引いている。いったい彼は、熱くなることがあるのだろうか?』

 僕たちの中で年長のブラザー・ターラクは、すごく楽しくて、物まねばかりしていた。彼はときどき言ったものだ、

『ブラザー、もし僕が、君の経費で冗談を削減しても、怒るなよ。』

 しかし僕はそういうのが好きじゃなかったので言った。

『そんなふうにジョークを言うために君は家を出てきたのかい?』

 するとブラザー・ラカールは言った。

『ああ! 僕たちがやっていることは、師が行なっていたことの100分の1にも満たない。笑い過ぎて頭がクラクラするときがたくさんあったもの。
 よく涙が出るくらい大笑いして、お腹が割けないように両脇を抱えていなきゃいけなかった。何度、師に、話すのをやめてくださいと言ったものか。

「もういいです、もういいです。僕たちはもう耐えられません」

とね。』

 ブラザー・ラカールのこれらの言葉を聞いて、僕もそれらの場面を思い出し、沈黙した・・・・・・。」

「アントプルでは、彼らは赤々と燃えるドゥニ※の面前で、サンニャーシンになることを誓った。そこでサーラダーが貯め池で沐浴し、溺れた。
 そのとき、ブラザー・ニランジャンが彼を救った。そのような危険な状況においては、いつもブラザー・ニランジャンが中心となっていた。
 危機が彼を行動へと駆り立てた。以前、ブラザー・シャシが旅に出たとき、その道中で彼は発熱に襲われた。知らせを聞いたニランジャンは彼を連れ戻した。
 また別の折、ヨギンがアラハバードで病床に伏していることを聞くと、彼はすぐに駆け付けた。僕たちの誰かが病気にかかったときにはいつでも、ブラザー・ニランジャンがすべての仕事を引き受け、人に会ったり、食事や薬の世話をしたりするために駆けずり回ってくれた。――ブラザー・シャロト(シャラト)は患者の隣に座って、よくニランジャンの手伝いをしたものだ。」

※神聖な赤々と燃える木の幹が火の神または至高のブラフマンの象徴として崇められている。24時間ドゥニの火が燃えるのを絶やさないことが、(シュリー・トータープーリー――シュリー・ラーマクリシュナのヴェーダーンタの師――が属していた)ナーガ派サンニャーシンの慣習であった。


「僧院では、僕はみんなが一生懸命に勉強しているのを観察していた。そしてある日、僕はブラザー・シャロトに聞いた。

『やあ! どうして君は山のような本を読んでいるの?
 もう学校も大学も卒業したじゃないか。なのに君はまだそんなに勉強している! 試験でも受けるの?』

 ブラザー・シャロトは答えた。

『兄弟よ、勉強することなく、どうやってこれらの宗教の深淵な事柄を理解するというんだい?』

 僕は返答した。

『師はこれらの深淵な事柄についてたくさん話していたけど、僕は師が本を読んでいるのを一度も見たことはなかった。』

 ブラザー・シャロトは言った。

『彼の場合は全然違うよ。(宇宙の)母が、彼に山のような知識をくださると仰っていたではないか。
 僕たちはその境地に至っているか、または至りたいと思っているか? 僕たちは知識を得るために、たくさんの本を勉強することで、なんとか進んでいくべきだろう。』

 僕はまだ諦めずにこう返答した。

『でも師は、僕たちは本を読むことによって真理の一つの概念は得るが、全く別の概念は霊的な経験から得ると言っていたよ。』

 シャロトは言った。

『でも師は、アーチャーリヤ(宗教上の師)になる者は経典も勉強しなければいけないと言っていなかったか?』

 それで僕は、人はその精神の素養に応じて様々なかたちで理解するということ、そして師は各人にその気質に応じて相応しい教えを説かれたのだということに気づいた。そしてそれ以後、僕は何も言わなくなった。」


「当時バラナゴル僧院では、熱狂的な賛歌を長く歌う集いを設けていた。これらのキールタンは、ただただ素晴らしかった。
 ブラザー・ヨギンは、ヴリンダーヴァンの聖なる土を持って来て、額に印をつけた。
 ある日、彼らは、ある意味無理やり、ブラザー・ロレンをこの土で飾った。すると彼は恍惚になった。その日、キールタンは多くの聴衆を魅了する雰囲気を作り出した。そして彼らは一人ずつ賛歌を歌った。――歌がとても熱烈だったので、たくさんの人たちが、僧院の中にも、周囲にも集まっていた。ときどき、ブラザー・バブラームとガンゲース(スワミ・アカーンダナンダ)は踊っていた。」


「ある日ブラザー・ロレンは、カーリー女神を礼拝したいという願望をあらわしていた。すぐにスレンドラが礼拝のための準備を整えた。
 ――当時、僕たちは僧院内で師の誕生日の礼拝を執り行なっており、ドッキネッショルのカーリー寺院の庭園は公共の場になっていた。僕たちは皆カーリー寺院をよく訪れては、師について一日中話をしていた。
 あるときブラザー・ロレンは、師の礼拝のために、連続で4〜5時間座って過ごしていた。ブラザー・シャシはこれに驚いた。僕はその日、ブラザー・ロレンは深い瞑想に入り、師に礼拝したと聞いた。」

 前述のように、ラトゥ・マハラジは出家後一年半の間、バラナゴル僧院にずっと滞在していた。この時期(おそらく1888年の冬)、彼は肺炎にかかった。シャラト・マハラジとニランジャン・マハラジは、彼が回復するように看病していた。病気中、ラトゥ・マハラジは、以前にもまして風変わりだった。――彼は医師の命令に従わなかった。

 以下の情報は、ラトゥがちょうど回復した後に僧院を去り、ラーム・バーブの家に滞在していたころのことである。そこでは、ラーム・バーブの妻(ラトゥはよくマザーと呼んでいた)の世話と管理下で、彼はすっかり元の活力ある健康な体を取り戻した。以下に述べるこの時期の出来事は、ヨゴディヤーナのシヴァラーム が報告してくれた。シヴァラーム は、とても頻繁にラーム・バーブの家を訪れていた。

『その時期、ラトゥ・マハラジの体からはある種の光が発せられていた。――そして、彼の目はいつも半分閉じていた。唇はいつもかすかに動いていた。本当にたまに、彼は誰かと口をきいた。彼はまっすぐな首を少し左に傾けて座っていたが、それはまさに彼が誰かと戦っているかのように見えた。彼の体は、日夜、厚い布と毛布で覆われていた。午後の間中、彼はお日様の下に座り、数珠を操っていた。』


 マザーがプリに行ったとき、マハラジは僧院に戻り、4〜5か月間僧院に滞在した。以下は、この時期に起こったことについて、ラトゥ・マハラジの口から直接聞いたことの一つだ。

「ある日、ブラザー・シャシが"オールド・スワミ"(スワミ・サッチダーナンダ)に、早朝寺院に捧げる師の歯ブラシとして、葉っぱを取り除いた新鮮な木の小枝などを取ってくるように頼んだ。オールド・スワミは、小枝の先端の片方を打って柔らかい繊維状にしてブラシのようにすることを知らなかった。だから彼は普通の人がしているように、小枝をそのまま打たないままで持っていった。師に朝ご飯を捧げる時間、シャシは"オールド・スワミ"をこっぴどく叱り、彼に駆け寄って言った。

『ろくでなし! 君は今日、師の歯茎を血だらけにした。よく教えてやろう。』

 僕は"オールド・スワミ"に叫んで、

『親愛なる兄弟よ、何を見てるんだ? 逃げなさい!』

と言った。そして彼は飛んで逃げ、事態はすぐに鎮静化した。シャシは他の枝をしっかり叩いて、柔らかい繊維状にし、前の歯ブラシは捨てた。
 見てください! ブラザー・シャシの、師に対する奉仕の精神を!」

 1888年のファルグンの月(2月〜3月)、ヨギン・マハラジがアラハバードで天然痘にかかり寝込んでいるという知らせがバラナゴル僧院に届いた。すぐに、シャシ・マハラジとアドワイターナンダ以外の全員がそこに行き、彼に奉仕しようと決めた。
 しかし、バラナゴル僧院の日々の仕事を行う十分な人手がないことが分かり、ラトゥ・マハラジは僧院の兄弟弟子に来るように頼まれ、すぐにそれに従った。
 バナラゴル僧院に来てから約5か月が過ぎた頃、ラトゥ・マハラジはホーリー・マザーと一緒に巡礼に発った。マザーはプリから戻り、アントプルでバブラーム・マハラジのお母さんと数日を過ごした。そのとき、たくさんの僧院のスワミ達、ヴィヴェーカーナンダ、ヨーガーナンダ、サーラダーナンダ、ニルマラーナンダ、そしてマスター・マハーシャヤやヴァイクンタ・バーブのような在家の弟子たちがホーリー・マザーに同行した。
 全員がアントプルからカルカッタに戻り、ラトゥ・マハラジ、カーリー・マハラジ、そしてその他の何人かはターラケーシュワル経由でジャイラームヴァーティにマザーと同行した。ラトゥ・マハラジやカーリー・マハラジはそこで1週間を過ごし、師の生地であるカーマールプクルに出発した。そこで彼らは共に、師の人生に由来のある重要な場所を全部訪れた。そして師の最初の付き人であったフリダヤラム・ムッコーパディヤーヤに会い、彼らはカルカッタに戻った。


 そして、1890年という運命的な年に入った。
 バラナゴル僧院の2人の重要な信者が亡くなった。まず初めにインフルエンザがバララーム・ボースを、そして水腫がスレン・バーブを連れ去った。バラナゴル僧院の信者であり後援者でもあったこれら2人がいなくなったとき、僧院のハト小屋に自然と羽ばたきが起こった。このとき起こった出来事について、私たちがラトゥ・マハラジの口から聞いた事をここにご紹介しよう。

「バララーム・ボースが病床に伏していたとき、僕達は彼を頻繁に訪れた。ときどき僕はそこに4〜5日間滞在した。そして僕はよくマスター・マハーシャヤのカンブリアトラ・ハウスからバララーム・ボーズの家まで、ホーリー・マザーをお連れした。
 そのとき、マハープルシャ・マハラジ、ブラザー・ニランジャン、グプタ・マハラジ(スワーミー・サダーナンダ)は、真心こめて彼に奉仕していた。
 彼が病床に伏している間、ラーム・バーブ、ギリシュ・バーブ、スレシュ・バーブとマスター・マハーシャヤ、マノモハン・バーブ――全員がバララーム・ボーズをよく訪れていた。
 バララーム・ボースが亡くなった日、彼は師のことだけを絶え間なく話していた。マーク、彼はそれ以外の事は何も話さなかったのだ。」

「スレシュ・バーブの病気について聞いたとき、ブラザー・シャシは僕を馬車に乗せて、見舞いに連れて行ってくれた。スレシュ・バーブはシャシを見て言った。

『兄弟よ、(ここに)500ルピーがある。このお金で師に小さな聖堂を建てて下さい。』

 これに対してブラザー・シャシは言った。

『なんて馬鹿げたことを君は話しているのですか。まずは病気に打ち勝ちなさい。お金を渡すのはそれからです。』

 スレシュ・バーブはなおも主張しつづけたが、ブラザー・シャシはお金を受け取らなかった。
 
 スレシュ・バーブはこの病気から一度も回復しなかった。彼は誰かと一緒に、シャシにお布施するお金を貯めていたそうだ。――しかしシャシが病床に伏しているスレシュ・バーブを見舞いに行ったとき、彼はそれを受け取らなかった。
 ベルル僧院が設立された時、大理石の厚板がこのお金で購入され、寺院の床に張られた。スレシュ・バーブの気持ちだ。臨終の際でも、彼は師と師の子供たちのことを考えていた。」

◎ガンガーの岸辺での苦行


 師が亡くなった1897年からの12年間のラトゥ・マハラージの生活の出来事については、ほんのわずかしか知られていない。
 しかし、それらのわずかな出来事が、彼がその間に行なった激しい苦行を示唆している。
 これは彼のグルバイ(兄弟弟子)たち皆が認めていることである。
 スワミ・ヴィヴェーカーナンダは晩年にこう仰っていた。

「ラトゥが生まれた環境とわれわれが生まれた環境、そしてまたラトゥの霊性の成就とわれわれのものを比べると、われわれは、ラトゥはわれわれを遥かに凌駕していると認めざるを得ないのだ。
 われわれは皆、立派な家系に生まれ、十分に教育を受け、鋭い知性を持って師のもとへ来た。
 ラトゥはというと、全くの無学であった。最初にラーム・バーブのもとへと行き、それから少年召使いとして師のもとへと行ったのだ。
 瞑想と祈りに飽きると、われわれは勉強をして退屈をしのいだ。――しかしラトゥには、そのような選択肢はなかった。ラトゥは全生涯を通してたった一つの支柱しか持たなかった。
 彼があらゆる逆境に対して冷静さを保ち、最高の霊性の悟りを得ることができたという事実は、彼の人格の内なる強さ、そして彼に降り注いでいた師の無限の恩寵を示している。」

 実際にラトゥ・マハラージは、シュリー・ラーマクリシュナ以外に他の拠り所を持つことはなかった。
 師だけにすがりながら、ラトゥは全生涯を送ったのだった。
 ああ! シュリー・ラーマクリシュナは彼のすべてのすべてであった。――口には出さなかったが、師は彼の行為のすべてであり、インスピレーションのすべてであり、憧れのすべてであり、人生の達成のすべてであったのだ。
 師がこの世に生きておられる間、ラトゥは師の要求に盲目的に従った。
 師がこの世を去った後も同様に、彼の態度が変わることはなかった。
 師は、人生の指針を彼に残してくださったのだ。――ラトゥは一瞬たりとも、導き手として師以外の人を受け入れることは決してしなかった。
 師の没後、ラトゥがいかにして彼の導きを理解していたのかは、われわれの理解を超えている。しかし、彼自身が何度も、われわれにこう語ってくれた。――「私を導いていたのは彼ただ一人だった」と。

 われわれが聞いた事柄から、ラトゥ・マハラージの師の導きへの信と信頼は、まさに文字通り「絶対的なもの」であったと断言できる。
 師は亡くなった次の日に、ホーリーマザーのところに現れ、こう仰った。

「私がどこへ行ったというのだね? 私は今ここに、お前の前に立っているではないか。一つの部屋から別の部屋に移っただけなのだよ。」

 上記の一言一言が、ラトゥにとってはまさに真理が現れたようなものだった。

 何か問題に直面したときはいつでも彼は師に頼り、師から指示を受け取らない限りは、決して措置を取らなかった。
 ラトゥはずっと待った。――必要とあれば、それが一生待つかのように思えても――自分で決定したり、師以外の人に決めてもらうよりはむしろ、あらゆる困難、苦しみに耐えた。
 ときには丸一年経っても、問題が未解決のままになっていることもあった。

 かつてバララーム・バーブの家で、彼はわれわれにこう言った。

「君たちは、主への『おまかせ』ということを実に表面的な意味で話している!
 二日間ずっと『彼』に呼びかけても何も答えがなければ、君たちは次の日には自分の気まぐれに従うのだ。――まるで、彼よりも自分のほうが自分のことをよく知っているかのようにね!

 『彼』におまかせするということがどういうことかわかるかい?
 それは彼の命令によって動く、ということだ。
 『彼』からはっきりとした指示を受け取らないでは、何もしてはいけないのさ。そのためにさまざまなものに対面しなくちゃいけないだろう。
 その境地に達して初めて、君たちは本当に『彼』におまかせした、ということができるんだ。その他はありえない。
 ブラザー・ヴィヴェーカーナンダはよくこう言っていた。

『ラーマが得られなければ、シャーマと生きようというのか? もし必要ならば、この生涯はシュリー・ラーマクリシュナのために棒に振ろう。』

 彼の師に対する献身の深さをごらん!
 彼は師のためにならいつでも、何の見返りもなしに命を捧げる覚悟ができていた。
 このように師にすがるべきなのだ。
 そのときに初めて、彼は君たちを正しい道に導くことがおできになるのだ。」


 ラトゥ・マハーラジにこう言われた信者は、次のように言った。

「マハラージ、なぜわれわれはそのような献身の精神を持っていないのでしょうか?」

ラトゥ「それは君が『彼』よりも自分の知性とエゴを上に置いているからだ。君は彼の命令を待つ覚悟ができていないし、さらに、忍耐をすぐに失ってしまうだろう。」


 上記の会話は、ラトゥ・マハラージが自身が師の命令を辛抱強く待っていたことを、明確に示している。

 われわれは以前に、コシポルのガーデンハウスで、サマーディの世界がラトゥ・マハラージに開かれたということを語った。
 サーダナー、霊性の修行は、サマーディにおいて最高潮になるというのが、一般に信じられていることである。

 われわれはラトゥ・マハラージからこのように聞いた。

「サマーディは、取るに足らないものだろうか?
 人は、瞑想や祈りなどを長い間絶えず実践して初めて、『彼』を味わうことができる。
 そしてさらなる激しい努力によって、彼のムードと光輝を垣間見るのだ。
 彼のムードは無限であり、彼の光輝も無限だ。
 しかし、人はそのすべてを超えなければいけないと感じる。
 主のムードと光輝を知ろうとして何千万回もの生涯を送っても、彼について何も理解することができないだろう。
 主ご自身は、それらすべてを超越していらっしゃる。
 彼のムードや光輝は、いわば、彼の衣服や装飾のようなものだ。――彼はそれらすべてを、遥かに、遥かに超越しているんだ。
 それらを超えようなんて、お笑い種さ。
 人間がそれらを超えるなんてほとんど不可能なほど、それらは非常に甘美で、驚くべきものなのだ。だから、彼の本性の啓示をいただけるように祈りなさい。
 主の恩寵さえ降りれば、主がご自身を御示しになろうとお望みになれば、『彼』は、直観の自由なる遊戯の道における、心と知性という二つの大いなる障害を溶かし去るのを可能にする。――そうでなければ、それらを溶かし去る個々の努力は、役に立たないどころか有害だ。
 努力というのは、ある段階の上のみに成り立つ。――それを超えて、神聖なる恩寵は唯一の希望であり、支えなのだ。
 心と知性が役割を演じるのを止めたとき、幸運なる魂はサマーディに入る。これを覚えておきなさい!」


 これを聞いていた一人が唖然として、こう叫んだ。

「マハラージ、何をおっしゃいますか?
 人は自分の努力の力で瞑想と心の集中を実践することによって、サマーディに至ると聞いております。」


ラトゥ「君たちが聞いたことは、間違いではない。――しかし、集中と瞑想によって達成されるサマーディを、師はよくチェータナー・サマーディと呼んでおられた。
 それには、神のムードと光輝との相互作用がある。
 しかし師は、心は溶け去り、エゴは完全に消滅するもう一つの種類のサマーディについても話しておられた。
 本当のことを言うと、そのサマーディは、神の恩寵なくしては誰も到達することができないんだ。」


信者「マハラージ、皆が、実践してシッディ(成就)に達せよ、と言います。」

ラトゥ「そうそう、シッディは得られるさ。でも彼らはシッディのことを知っているのか?
 ほとんどの人々は神のムードと光輝をシッディとして経験する。誰がそうではないと言ったか。
 しかし、それらは最終ではない。
 それらは驚くべきものではあるが、それらさえも超越したものがある。
 後者の種類のサマーディは、まさに遥かかなたの世界だ。
 それらの力と光輝の経験は、修行者に力などを与え、そしてその修行者自身が全人類の奇跡となる。
 光の中で、ジャダ・サマーディは、瞑想など何もすることなく、彼に主ご自身をもたらしてくれる。
 主が到来すると、修行者は完全に変革する。――個性がなくなるのだ。
 そのサマーディの経験は、言葉では表せない。遠回しのヒントさえも与えられないのだ。
 主の御力、光輝は、ある程度は表現できる。
 しかし、主ご自身を表現することはできない。
 その力と光輝でさえ、無限だ。限界を知らないのだ。
 それなのに、それらすべては、無限の中でさえ、彼を表現することはできない。
 すべてのものの中で、彼はすべてを超越しておられる。
 ちょうど君が多くの性質を持ち、多くの力を持ち、それらを隠すこともできるし、望めばそれらを表現することができるが、君の本性がそれらの中で明かされることはないように――彼の本性はそれらすべてに行き渡っているにもかかわらず、それらのどこにも存在しない。
 修行者にとって、『彼』の御力と光輝を少し理解することは可能だが、『彼』、『彼』の本性を理解することは微塵もできないだろう。
 しかし、『彼』ご自身が、修行者を恵み深くご覧になるとき、彼は無言のうちに『彼』を知る。
 われらの師はこう仰っていなかったか?

『人がどうにかして主人のことを知ったなら、彼の資産も所有物もわかるだろう――主人は彼にそれらを見せるんじゃないかね?』

 しかし主人と会い、知り合いになることは簡単なことか?
 まず最初に門番を喜ばせ、それから召使いや執事を、そしてもしかすると彼に主人を紹介してくれる親友を、という感じだ。
 主人は、役人を通じて彼の懇願を聞き入れるかもしれない。彼を自分のもとへと呼んでくださるかもしれない。ご自身が彼に会いに出かけるかもしれない。
 主の態度も同じだ。そして『彼』への近づき方も同じなのだ。
 主が非常に恵み深い御方ならば、彼は修行者のところに来てくださるし、『彼』のところへ呼んでくださる。または、ヴィシュヌ派が説くさまざまな解脱、つまり――主と共に浄土に住む、主の宮殿に住むなど――に応じるために、自らお現れになるだろう。あるいは、(天使などの)役人を君に遣ってくださるかもしれない。
 すべては主の『気まぐれ』にまかせられている。
 これらの事柄に関して、君が個人の努力に心を注ぐことにどんな価値があるだろうか!
 主のしもべに、主の役人に祈りなさい。これだけで十分だ。
 これまでは霊性の修行の実践が君を導いてきたのだろうが、真意はそれを超越している。
 そうして君は、主の恩寵に――主の恩寵だけに完全におまかせすることができる。
 そして、修行者の人生の中のこの時期は、極度に苦しい時期なのだ。」


信者「マハラージ、それが非常に苦しいとはどういうことですか?
 役人が喜ぶというのは、懇願が――少なくともある程度は聞き入れられるという意味でありましょう?」


ラトゥ「君は『ある程度』と言ったけど、それでは修行者は満足できないのだよ。
 ゴールは得られていないのだから。
 心は絶望に襲われるのだ。」


信者「マハラージ、どういうことですか?
 そのような超人的な努力の後に、シャーンティを得られないならば、気がめいるだけです。」


ラトゥ「まあ、この一つのことを覚えておいておくれ。
 満足は、霊性の実践の道における大いなる障害だ。
 それを得てしまうと、それ以上の進歩の妨げとなるのだ。
 無限の境地に限界があり得るだろうか?」


もう一人の信者「それはそうかもしれませんが、マハラージ、すべての厳しい苦行の実践がシャーンティを獲得するためにあるということは事実ではないのですか?
 それにあなたは、シャーンティはさらなる進歩の障害になることはないと仰いました。」


ラトゥ「そうだよ。すべての修行はシャーンティを得るためにある。
(少し黙ってから、また話し始められた)
 でも、シャーンティとは、すべての欲求が消え去ったときに現れる満足感なのだ。――欲求がなかったら、どんな衝動が、われわれをさらなる境地へと導いてくれるのだ?」


信者「つまり、シャーンティを超えた境地があるのですね?」


ラトゥ「その通り。シャーンティを超えた境地は無数にある。
 しかしそれらを得るためには、まず最初にシャーンティを得なければならない。
 君たちはこのシャーンティの性質を知っているのか?
 それは充実した感覚、それ自体で満ち足りているのだ。
 悩み、苦難、不安は心に影響を与えない――この境地をシャーンティという。
 しかし、より高い霊性の境地への扉が開くと、また別の種の不満が心を満たすのだ。
 この不満は、全く違った種類のものだ。それは説明できるようなものではない。
 そこにおいては、修行者はぼんやりとしていることができなくなる。そのうえ、個人的な努力が無益だということに完全に気づいてしまうのだ。」


ある信者「それは全く謎めいた言葉でございます、マハラージ。われわれの理解では追いつきません。
 どうか、われわれの言葉で説明してください。」


ラトゥ「なあ、それを理解するには、少しばかりの修行が必要なんだよ。
 苦行や深い思索をしないでは、これらの事柄は謎めいたままなのだ。
 君はちょっとしか実践していない。――それだと、私が何千回説明しても、それらはずっと謎のままだ。」


 上記の会話から、このジャダ・サマーディは個人の努力によるものではなく、そのうえ、その努力なしでもそれは得られない、ということがはっきりとわかる。――その言葉は謎めいているが、その内容は明快である。

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