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歴史は人によって作られるコミュの【一言二言で人物を語るトピ(25)イエス・キリスト編】

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宗教とは何だろうか?
そんな問いをもったことがある。
イエス・キリスト。ナザレのイエスはそんなときに避けては通れない。
また、西暦がBC(Before Christ)AD(Anno Domini)に分かれているように、西洋的な歴史の価値観にも重要な意味を持つ。
BCがキリスト以前ということであり、ADが主が統べたもう年ということである。
僕らも知らず知らずのうちに、主の統べたもう年のうちに生きている(笑)
前フリが長くなりましたが、そんなイエス・キリストについて語り合ってみたいと思います。


一人の歴史人をテーマにして、皆が「ちょっとした一言、二言」を加えてゆく軽いトピです。
気軽に参加したいがコンセプトです。
思いっきり書き込みたいことがあれば、一言二言ではなくても、書き込んじゃってください。

おふざけばかりじゃなくて、誰でも知っている事実から、マニアックな事実まで。なんでもありです。

よろしくお願いします。

コメント(278)

発火した(笑)。ROM三年は言い過ぎた。スマン。
仮説や解釈を(他のと交えて)復層的に並行的に考えろてことだよ。仮説を最初から否定してどーするよと、安直な肯定も安直な否定も思考放棄だぞと言いたいんだがな。

財政云々のやすいさんが示したという根拠は突き詰めたか?
そのまま持ってくるなよ。
やすいさん

その3行目以下だけど、すべて事実とは違いますよね。想定内の話であって
事実とは違うことくらい普通にわかりませんか?

事実というのは、弟子たちの親分がキリストであったことくらいで、それ以外は
その本の中の想定であることくらい理解してもらいたいですね。
やすいさんはつまり物語りは真であり疑う余地がないと言ってます。
となる、ギリシャ神話やアンデルセン童話も真実かもしれません。なんとロマンに
溢れたことでしょうか。
真実という言葉の重みは歴史が非常に苦労して長年議論してるところでして、
たかだか福音書ごときの文章ですべて疑う余地がないと言うようでは歴史として
すべてを検証する意味合いが失せますね。

?聖霊が宿ってるは事実ですか?嘘ですよね
?聖霊の力は悪霊にかてる?これは事実ですか、想定ですね
?センセーショナルを起こした集団がその後異端としてユダヤを締め出された
 これがセンセーショナルなんでしょうかね?
?イエスの復活?これは事実ですか。根拠がない想定の話で無いですか。

つまり、一般感覚から言わしてもらうと、想定の上塗りなんですよ。
福音書という物語はね。そこは一般感覚であると少しは理解してくださいな。



ぽんちんさん
仮説と歴史事実は違うでしょ、ここは歴史認識を論じるトピだぞ。
しかもその仮説は現代的に考えてもありえない話のオンパレード。
嘘は嘘らしいと話してどこがいけない?それくらい認識しないと
古代人から成長してないと笑われるよ。
空想世界を論じて正当化するトピではないはずだが?それ違う・・?

字が違うとか、年代がおかしいくらいならまだ仮説として論じるに
足る。人が生き返っただの、聖霊がどうだの?もうその領域を超えて
空想世界そのものだってことくらい理解してくれないかな。
こうめいさん、読解力確かですか?

 私は聖霊が宿っているとも、聖霊が悪霊に勝てるとも言ってませんね。そんな主張は一度もしてません。私が語っているのは、イエスとイエス集団の信仰の内容ですよ。つまり何を信仰していたかです。福音書は信仰の内容について嘘をついても仕方ないでしょう。教団の信徒に信仰を伝えるのが福音書なのですから。イエスやイエスの弟子たちはイエスに聖霊が宿っていると信仰していた。これは想定できるだけで信用できませんか。彼らは聖霊が悪霊を追い出せると信仰していた。福音書を読めばそう考えられますが、こうめいさんはそんなこと信仰していたかどうか分からないと思われますか。

 彼らをそれを示そうとした。それが悪霊追放のパフォーマンスです。それをしたかどうか分からないと、こうめいさんは思われていますね。で何もパフォーマンスをしないのもおかしいでしょう。そのパフォーマンスに対して、ファリサイ派は悪霊ベルゼブルの仕業だと攻撃したかどうか分からない、とこうめいさんは言われる。でもしなかったとも分かりませんね。何かしたことに対してファリサイ派が攻撃したことは十分考えられますし、そう考えることを否定する意味はあまりないですね。
 
 イエスの処刑と聖餐と聖餐による復活体験というのも、イエス集団のつきものとしての聖霊信仰のパフォーマンスが、ファリサイ派の攻撃で行き詰まった結果、彼らのつきものとしての聖霊信仰から必然的に出てくる聖霊引継ぎのパフォーマンスなのです。誤解のないように私が聖霊が引き継げたと信仰しているのではなくて、イエス集団の信仰の帰結として一貫しているじゃないかということです。そしてその結果弟子たちは聖霊を自らの身体に宿したと思い込んで全能幻想にはまり、イエスの復活を共同幻想として体験したと解釈できるのです。

 というようにすっきり解釈できるのにそれをわざわざ否定して何にも分からないみたいに言う必要はないということです。

 その行動をこうめいさんのような「正常な一般人」の「常識」から異常だから信用できないと考えるのは勝手ですが、私はイエス集団は類まれな宗教的感性で命がけで人類救済のために行動したすごい集団だったと思います。そして歴史にはそういう英雄的な人々も実在したということを信じたいと思います。わざわざそれを否定する根拠もないし、第一それぐらい奇跡的な行動をしたからこそ、キリスト教団はその後の発展にもつながったのではないでしょうか。もちろんそれだけではなくて、キリスト教団にはいろんな恐ろしい面もあるでしょうが。
229 ぽんちん様

「福音書について、いくつか大事な事が抜けている」との事ですが、
それは私のコメントの事でしょうか?
どのような点に疑問を持たれたのか、ご指摘くださいましたら、
私の分かる範囲内でお答えいたしますね。
私は聖書の専門家でもなんでもなくて、単に興味があって色々首をつっこんでいただけなので、
ご期待に添えるかどうかわかりませんが……。

ローマ帝政のはじまりとほぼ時を同じくして、帝国の辺境に生まれた男がいた。
その男は父の名を冠して呼ばれなかった。
社会から見捨てられた民に「このような者たちの方をこそ神は救われる」と説いた。
そして、社会の秩序を混乱させる「政治犯」として処刑された。
しかし……
その男こそが預言されていたメシアだと、固く信じる人々が現れた。
その人々はどんどん増え続け、そして、非合法組織だった「イエスの教会」が、
数世紀後、ローマ帝国の国教となり、
その後、イエスはついに「父と子と聖霊の三位一体の神」となった。

イエスを三位一体の神とあがめるに至る過程に、それを必要とする様々な
歴史的・社会的な事情があったのではないかと思います。
私個人としては、「三位一体の神イエス」や、様々な奇跡の信仰が必要とされる社会とは
どんな社会だったのか、そしてその中のどんな人々がそれを必要としていたのか、
という事に興味があります。
やすいさん

読解力に相違があるようですので再度説明しますよ。

>>イエスに聖霊が宿っていると信仰していた
この言葉がどう意味するか、よく考えてください。
聖霊が宿ることを信仰していた→聖霊が宿ると信じていた
と言い換えても過言ではありません。
さらに日本語らしくすると、
「イエスに聖霊が宿った。」と信じられていた。
これは言葉遊びでなくて、日本語として感受性が高いと普通にそこまで
想定がいきます。
この事例を、やすいさんは信じると言ってる。つまり(事実だと)認めている。

悪例の件含め、すべて同じ論法です。(意地悪ではないです、感受性です)

イエスの教えはイエスが神がかりであることを説いたのでしょうか?
キリスト教ってのはイエスが神であることを知る宗教ですか?
そうではないと思っております。神々を信じることでご加護があり救われる
だからこそ神の代理であるイエスを崇めることもあるべきだし、そのイエスを
信じて真っ直ぐ進みなさいと・・・云々かんとか言ってると理解してます。
福音書のイエスがどうだの宗教者が知ればいいことで、そこに本質がある訳で
ないのでないでしょうかね。だからイエスを神格化する必要性からあること
ないことを羅列してもそれ自体が宗教書である以上、違和感はないのです。

>>悪霊追放のパフォーマンス
事実であるかどうかの検証はされましたか?福音書にみられる悪霊追放は
実は当時あったその類の物語的仕草ととても酷似しており、文体も似通っている
両者の繋がり云々以前にその当時に似たような事が論じられておる訳でして、
聖書が先とは限らないところでしてね。
そして間違えてならないのはイエスのこの能力ではなくイエスは悪霊を追放
することで世を浄化するという真理こそが論点であるはず。
パフォーマンスの出来なんかどうでもいいことを論点する時点でイエスの
所業が知れてるというところですよ。実際は、もっと深読みして欲しいのを
やすいさんは表面でしか捉えていないのかもしれない。

うはぁwちょっとまって、キリストにおける聖霊(いわゆる神)はイエスのみ。
引継ぎなんて有り得ません。だとしたら多神教ですよ。
後日、3位1体説がなるのもイエスあってのこと。誰もそんな引継ぎを主とした
想像をすることはありません。

イエスが居た頃は大した集団ではなかった。その後異端とされ、非公認の宗教として
地を這うような時代だって経験してる。その不遇はあったものの大国である
ローマ帝国の国教として認められ、時代を経て多くに信じられるようになる。
それはイエスというよりは、打算的な要素はあったかもしれながキリスト教が
政治との密接な繋がりの中で進展したということも要因の一つだと考えてます。

英雄って表現はどうも自分としてはイエスは当てはまらないし、そんな人には
全然見えない。価値観がやすいさんと自分では全く違うだからやすいさんの
価値観がすべて当てはまるなど有り得ないってことですよ。
ある意味、単なる坊主ですよイエスは私にとってはそれ以上以下でない。

ところでそれだけ、書かれても福音書はやはり事実とは認めれませんね。
どこがその事実があるか全然見えません。それがいまもって変わらぬ回答です。
福音書の事実を肯定できる根拠が一切存在しないのがすべてでしょうね。
それどころか嘘分かるようなことも列挙してあるだけに信憑性はかなり低いです。

 私が事実と認めているのは「イエスに聖霊が宿った」ことではなく、「イエスに聖霊が宿ったとイエスと弟子たちが信じた」ことです。その信仰があってエクソシズムのパフォーマンスが出てきたということです。そのパフォーマンスも「聖霊が悪霊を追い出した」のではなく、「聖霊が悪霊を追い出したことを演じてみせる」パフォーマンスだったということです。霊を見せるパフォーマンスのヒントはバプテスマのヨハネの鳩から得ていますね、おそらく。

 聖霊や悪霊が姿を現すということを体験したことがガリラヤ湖周辺ではなかったし、ユダヤでもなかったので大変驚いたわけですね。アフリカやアジアでは霊が見えたりすることはあったかもしれませんが、ユダヤ教ではなかったので驚いているわけです。ヤマトタケルの霊は白鳥になっていますからね。

 聖霊の引継ぎはイエスがいったん昇天して聖霊をもって地上に戻り弟子達に注いだことになっていますが、それはイエスの聖霊をイエスの聖餐によって引き継いだことをカムフラージュしているわけです。カニバリズムは絶対的なタブーですから、ユダヤ教徒はイエスを神と認めない以上、その禁を犯したイエスの弟子たちは皆殺しにされてしまいます。ですからそれは公言できない秘儀なのです。でも「ヨハネによる福音書」でイエスは自らの肉体を「命のパン」だと明言し、それを食べた人が永遠の命を得るとしています。ヨハネはそのことを死の間際になって初めて書き遺したのでしょう。文書化されるのは一世紀末になっています。

 まあ長々と書きましたが、こうめいさんとはこれ以上は水掛け論になっているので、後はこの議論を読まれた方が、福音書を読み返されてどう感じられるかということですね。
やすいさん

すべてが福音書が作り事にしか見えない訳でして、それがすべて正だと
一切認めません。ま、やすいさんが認めるのは自由でして、誰もいろんな
考えがある訳ですよね。

>>聖霊や悪霊が姿を現すということを体験したこと
劇であって感動しませんが?当時はそれほど娯楽が不足していたんですかね。
ま、いまそれを知って感動するのは、極稀かと思います。
事実、イエスらが化けて演劇してるのがおおばれだからね。

>>カニバリズムは絶対的なタブーですから、ユダヤ教徒はイエスを神と認めない以上、
その禁を犯したイエスの弟子たちは皆殺しにされてしまいます。
イエス集団はもともと安息日すら守らないふしだらな集団ですしね。
ま、これくらいの違反がどうってことなかったのかもしれません。
どっちにしても、死人が生き返ることがある訳ないですよね。寝言ですよ。

>>ヨハネはそのことを死の間際になって初めて書き遺したのでしょう。
福音書は名前こそ使徒が用いられているけど、誰が記したか特定されて
ないはずです。だからヨハネその人が書いたかすらわからないはず。

やすいさんとは史実性にせよ、矛盾点にせよ折り合うことは無いですね。
福音書はそんなもので決定的な史書には成り得ないかもしれませんね。
イエスはどちらかというと謎の方がいいんですよ。事実が知れるよりね。
話が一気に進んだなぁ。ありがたい。勝った負けたとか俺もどーでもいい。他の人がどんなこと考えてるのか含め、情報を仕入れたいだけなんでね。


こうめい君

>>241

その認識や見解が異なってくるからすり合わせるんじゃね?。
「そうであると仮定する」ところから始めて矛盾やらおかしいところを洗い落としていくのは手段にならんかな?

>嘘は嘘らしいと話してどこがいけない?
いけなくないよ。言いにくいことを言ってもらって楽させてもらっちまうことになったよ。俺としてはやすいさんの説から‘意外な拾いもん’でも出ないか期待もしてるけどね。


>>235
>当時のイエス集団はお布施目当て…
つまり「イエスは当時の社会に怒りを燃やした人」とするのも聖書の粉飾と捉えるのかな?。それもありだろな。面白い。
俺は「あまりにも何でもない坊主」よりは「それなりに求心力があった坊主」の方が粉飾しやすいと思う。
結果的にはどっちでも神格化に成功しちゃうかもしんないけどね。
イエスの源像を咀嚼する際の手掛かりにさせてもらうよ。

>本当の家族は信徒たちだと撥ね付けた
>>イエスと釈迦は全然違う…
似たようなエピソードを誰かが持ってなかったか聞きたかったんだけどね……、炊きつけてたのは俺だから俺が悪い。これはホントに申し訳ない。

息子が変なこと始めてたから親が心配して出てきたんだろな。妙に生々しくて面白い。
こんなケースが他にあるなら、どこが似ててどこが違うか探るとなお面白いかなとな。

>イエスの高慢…
これはヨハネ福音書準拠のイエス像ってことでいいかな?。一般的なイエスへの印象もこれが基だろうし、別に悪いとか言うつもりはない。
ただ、俺がイエスを持ち出す場合はマルコ福音書のイエス像に近いもの。自分の神性を否定して、取り巻き(弟子)に神扱いされてもそれを怒って否定した人。(ちなみに、弟子以外の「民衆」もイエスを神の子とは捉えてないという話もあり)
こっちの方がまだ人間味があるからね。
誤解があるようだから一応説明してみた。

>>225
事実に即した面から事実と嘘を切り分けて、イエスという人物を噛み砕く…
こんな感じで掘り返したいと俺も思ってる。
反面として「何故その粉飾をしたのか?」にも興味あるけどね。


最後に。俺としてはこうめいどーんとかタンとか言って良い意味で遊びたかったけどな。遊びが通じるキャラだと勝手に思ったのは俺の方だ。これまたスマンかった。
固くなりがちな話なだけにどっかにシャレがほしい。
 ぼんちんさん、マルコによる福音書での神性の否定は、弾圧を逃れるためですよ。それを言ってはいけないということです。マルコによる福音書こそエクソシズムのパフォーマンスのオンパレードなのです。つまりイエスは自分に宿った聖霊によって世の救いをもたらそうと悪戦苦闘しているのです。

 父なる神ヤハウェ、子なる神イエス、聖霊なる神の三位一体ですが、やはり霊として実体的に同じだと捉えているようですね。ヤハウェの霊がマリアを通してイエスになって現れた。イエスの霊がイエスの肉であるパンと血であるワインを通して信徒に宿っているのでキリスト者には聖霊が宿っているという理屈です。

 イエス集団の財源は最大の財源は出家信者の財産ですね。共同体に入るときにすべて捧げたようです。それからエクソシズムなどを伴う心身の治療に対して宿と食事を与えるというようなことが想像されます。
246 マリーさま

「三位一体論」は、「ヨハネによる福音書」を元として
思索を深めていった(悪く言えば拡大解釈をしていった)
司教アタナシオスの学派が、4世紀はじめ頃に唱えだし、
4世紀半ば〜5世紀はじめの教父、
司教ヒッポ(現在アルジェリアのアンナバ付近)のアウグスティヌスが
417年に『三位一体論』を著した事により、
その「正統派」としての地位を不動のものにした神学のようです。

5世紀までに「異端」として公会議で排斥された主なものは、

アリウス派……エジプトのアレキサンドリア司教もつとめた、アレイオス(3世紀後半〜4世紀初頭)
          の教説を支持する一派。「イエスは父なる神の被造物であり人間である」と主張し、
          イエスの母マリアを「神の母」とする事に反対しました。
          当時ゲルマン人たちに多数の信奉者がいましたが、
          東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世を初めとする、アタナシウス派の為政者
          による激しい迫害を受け、消滅しました。

ネストリウス派……4世紀後半〜5世紀前半の、コンスタンティノープル総主教ネストリオスの教説を
            支持する一派。「キリストは『子なる神』ではなくて、キリストの中に『神性』と『人性』
            の二つの位格を持つ」と主張し、やはり、イエスの母マリアを「神の母」とする事に
            反対しました。「イエスの人性を産んだのが母マリアだ」という考えからです。

なお、ネストリウス派の教会は現存するそうです。

アッシリア正教会(ギリシア正教会とは全く別)……トルコ、イラク、および移民が移り住んだアメリカに
                               存在します。

インドのトマス派教会……12使徒のトマスがインドに宣教した事に
                 起源を持つと言われて来ましたが、実際は
                イランから渡ってきたネストリウス派に起源を持つらしいとの事です。

ちなみに、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世がミラノ勅令でキリスト教を公認したのが313年。
ニケア公会議でアリウス派を異端として破門したのが325年。
皇帝テオドシウス1世がキリスト教を国教と定めたのが380年。
翌年に第1コンスタンティノポリス公会議で、アタナシウス派が正統である事をあらためて通達し、
431年のエフェソス公会議でネストリウス派を異端としました。

マリーさまがおっしゃるとおり、国教化の動きが強くなるにつれて、
いわゆる「異端」の排斥も強さを増してきていますね。
アリウス派は「イエスは人間だ」と言っていますから、明らかに毛色が違うかもしれないけれど、
イエスの中に神性と人性の二つの位格があるというネストリウス派と、
子なる神の位格イエスの中に神性と人性が存在するというアタナシウス派の違いについては、
なぜ激しい論争にまで発展したのか、ちょっと私には理解できませんでした。
Mitchieさん

>>243

紛らわしい書き方して申し訳ないです。あれはこうめい君へのレスです。230でこうめい君はほとんど答えてますね。

230にもうちょっと付け足し。

一つはヨハネ福音書について。他の福音書とは毛色が違うとされてる。
他の三つの福音書より物語的な傾向が強く、宗教色も強い。イエスの行程もヨハネ福音書だけ違ったりもする(この辺はMitchieさんややすいさんの方が詳しいかな?)。
230の文だけだと福音書全部を指して作り物だと言ってるようにもとれるし、ヨハネ福音書を特に意識してるともとれ、判然としない。

果たして、ヨハネ福音書はキリスト教の宣伝文書として完成形なのか?。そもそも何故異なる四つの福音書を聖書にまとめて載せているのか?。ここが俺の疑問。この近くまでこうめい君の解説が来ていれば話が振れた。

二つ目は、それぞれ宗教的方向性の違う四つの福音書は、キリスト教団のどういう状況を反映してるのかということ。
俺の中でもはっきりしてはない。

例えば、マルコ福音書ではイエスの弟子たちを批判しているとすら受け止められる描写がある。弟子達のカッコ悪いシーンも載せてる。教団が一枚岩ではないことを示したいのか?教団がそれまでの路線を変更したことを暗に示したいのか?。何故布教の為の宣伝文書にこんなこと書いたのだろうか。

別の例では、マタイ福音書ではちょっと上から目線で罪人への「憐れみ」を強調してるというし、ルカ福音書なら罪人が「悔い改める」ことを強調してるという。
背景は何なのか。何か教団の危機を乗り切る為に作ったのか、それとも他の事情か。

そしてこの体質はヨハネ福音書に直接連なるものなのかどうか。


ついでで十二使徒にも触れてみる。実際に十二使徒という特別な扱いがイエスの当時からあったとは考えにくい。箔を付ける為に後の人々が12という数を宛てがった疑いが濃厚。都合が良すぎる。
おそらくはイエスのより身近にいた十名前後の弟子集団が母体じゃないかと思う。
>>251
訂正
ヨハネ福音書についての文にて。

×:福音書全部を指して作り物だと言ってるようにもとれる…

〇:福音書全部を指して作り物だと言ってる[だけの]ようにもとれる…
四つの福音書を「正典」であると主張したのは、2世紀ガリアの教父、司教エレナイオスだそうです。
当時のガリアではキリスト教徒の殉教が相次ぎ、
「信徒たちが命をかけるに値する、信仰のよりどころを見つけなければ!」という使命感にかられ、
当時数々あった福音書の中から、新約聖書の中の4つの福音書を選び出したとの事です。
「世界は東西南北の四方からなっている。だから主の教えの教典もこの4つなのである」という、
現代人からすればちょっと理解不可能な、しかし当時の人々にとっては大変説得力をもって
受け入れられたらしい説により決定されたのだとか。
エレナイオスはその著作『異端反駁』で、他の福音書、
特に「ユダの福音書」を激しく攻撃しているのだそうです。

今現在、聖書学者の間で有力なのは、3つの共観福音書が、
ユダヤ教ナザレ派ヘレニストグループの中で作成された文書であるという説です。
当時、ナザレ派は「イエスこそ預言されていたメシアである、と信じるグループ」として出発してまもなく、
異邦人への伝道に積極的なヘレニストと、保守的なヘブライストに分裂していたのだそうです。

ヘレニストグループはパウロの神学を基礎にしており、発足した初期には、
パウロは異邦人への伝道者、ペテロはユダヤ人への伝道者、と役割分担をしていたようです。
そのヘレニストグループもさらに派閥に分かれていて、

*ラテン語を母国語とし、ギリシア語も理解する、ローマ帝国西方のユダヤ人。
  ローマ、マルセイユなどの都市にも多くのユダヤ人居住区があったようです
  (「マルコ」グループ)。

*ユダヤ人の母語であるアラム語を日常的に話すが、ギリシア語も使えるヘレニスト(移民)の
  ユダヤ人。この人たちはわりとユダヤに近いシリアのアンティオキアなどにいたようです
  (「マタイ」グループ)。

*そして、完全にギリシア語を母国語とする(アラム語もヘブル語も理解できない)ユダヤ人。
 この人たちはエジプトのアレキサンドリアや、ギリシアや小アジアの都市など各地にいたようです。
  (「ルカ」グループ)。

などのグループになっていて、彼らの集会であるエクレシア(教会の語源)には、
非ユダヤ人も積極的に受け入れていたようです。
ヘレニストグループには神殿が身近にありませんから、信仰のよりどころが必要となります。
そこで、エヴァンゲリオン(なんか、昔アニメで聞いた名前ですね)つまり「良い知らせ」という
文書を作成する事にしたようです。
これが「福音書」と呼ばれているものに発展していったのだそうです。
つまり、それぞれの福音書のカラーの違いは、そのエクレシアに集まっている人々の文化的背景の
違いがあらわれたものであろう、との事でした。

一方、イエスの兄弟ヤコブを初代のリーダーとするヘブライストグループは、
あくまでユダヤ教の伝統の中で信仰し、伝道していました。
そのため神殿とトーラーがありましたから、
わざわざ新しく文書を作成する必要が無かったようです。
このヘブライストグループは、ユダヤ戦争中の70年、
エルサレムが破壊され神殿が炎上した後に消滅してしまったのだそうです。

ヨハネによる福音書は、90年代にユダヤ教のラビたちが正統派を定義したヤムニア会議で、
ナザレ派を完全に排除する事が決定された後に成立したようです。
そのためか、ユダヤ人(書いている人もおそらく民族的にはユダヤ人なんだけど)を
激しく攻撃する言葉が多いようです。恨み骨髄、という感じだったのでしょうか。
ユダヤ教から完全に排除され、新しい宗教、「キリスト教」として
エクレシアを存続させて行かなくてはならなくなった必要性に迫られて
書かれた文書だと考えられるのだそうです。
なので、教父たちの間では、ユダヤ教から完全に独立(というか、自分達は出て行くつもりはなかった
のに、ヤムニア会議の決定で強制的に追い出された形になった)した後に成立した、
ヨハネによる福音書が「福音の完成型」であり、キリスト教の根本としよう、という考えが
どうも強かったようです。

「自分達はもうユダヤ教とは関係ない。キリスト教として新しくやっていくんだ!」
という当時の「エヴァンゲリオン」の作者たちの姿勢が、
「ヨハネによる福音書」の独自のカラーとなってあらわれたのかもしれませんね。

そこら辺の事情を詳しく解説しているのが、
加藤隆著 『福音書=四つの物語』  講談社選書メチエ
という本です。著者はストラスブール大学神学部を出た、新進気鋭の聖書学者だそうです。
聖書講座の先生に勧められました。
以上、再び聖書学聞きかじりでした。
248

いくらなんでも嘘ってわかりきった仮説を長々論じてどうするの?
死人が生き返る?死んだ人を生き返らせることができる?
聖霊って何よ?ってもう精神世界の話になってる。歴史以前の問題。

あっ、やすいさんはそうはいっても神学者だから持論としての意見を
いろいろ提供してくれたね。学者さんとのしてどう考えるかはいい機会だ。
ただ、歴史としての捉え方はちょっと温度差を感じる。

>「イエスは当時の社会に怒りを燃やした人」
イエスが生きていた頃のキリストは主流でもなんでもない。半端な宗教だった。
それどころか、イエスなんて社会の末端みたいなものでしょ。
そこらへんを真っ向から勘違いして書いてるところはさすがだ。

TPOさえ弁えていればどうでもいい。たまに発火してるから、そこが見え透いて
よくわかるのよ。だから牽制を入れただけ、実に分かりやすい(笑)

12使徒はとりあえず12人いるみたいな感じだね。
ただ、福音書により若干違うので真相は定かでない。

ペテロ、ヨハネ、大ヤコブ、アンデレ、ユダ
あたりはおそらく確実だと思われ。
他に、ダダイ、小ヤコブ、シモン、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス
とか言われてる。

ルカの福音書とヨハネの福音書には12人との記述があるんで、大なり小なり
その程度はいたのだろうと思われ。
 現代人の信仰や常識でイエスの時代の信仰を批評してしまうと、彼らのせっかくの宗教的パトスが全くの迷信でしかないということで、まともに受け止められないことになります。

 自分の中に宿った聖霊の力で世を救えるのではないかと思い込んでしまった男がいた、そんな馬鹿なというのは現代人の常識です。現代でもそういう人はまれに居ますが、当時はたくさん求道者がいたようですね。

 その男が漁師や元犯罪者を仲間に引き込んでエクソシズムを実演し、トーラー秩序の下に絶望していた民衆に希望の光を与えた。エクソシズムなんていんちきだというのでそんな子供だましみたいなことと批評しますが、実際福音書には多くの例が見られます。それは土俗信仰が後から混じったのだろうなんて勘ぐる人もいますね。そんな幼稚なことをイエスがしたとは信じたくないのでしょう。しかし福音書の作者はみんないかに見事にエクソシズムが行われたかを伝えています。聖霊による悪霊追放こそ、イエス集団がこの世を席巻するための重要な方法だったのです。

 これはユダヤやガリラヤでは画期的です。特に悪霊を目に見える形で登場させたので、仰天された思われます。演劇的手法やトリックを取り入れていますが、それはイエスがセッフォリスという大都会で劇場の板張りをしていたこととつながるかもしれません。

 すごい勇気ですよね。ばればれのはずだと思うでしょうが、ガリラヤ湖周辺で迫真性があったのか、ファリサイ派もインチキ呼ばわりはしていません。これが福音書から読み取れるのですが、福音書自身が史料価値がないから信用できないという。じゃあどうしてイエス教団は生まれ、大きくなり、追い詰められたのか、そのいきさつが伝えられているのに、それがどうして嘘と決め付けられるのかということです。

 わざわざ疑うのはイエスを信仰している現代人が自分の信仰とずれるので、福音書を無視したいという動機が考えられます。キリスト教徒の福音書研究者にはそういう人が多いわけですね。それからキリスト教に対して反発している人にも福音書なんて信用できないという人が多い、これはまあ当然でしょう。

 そして「神の国」という共同体を築いたけれど、ファリサイ派に追い詰められ、エルサレムに乗り込んで神殿権力に挑むが、処刑されてしまう。でもそれは想定内で、自らの肉体を食べさせて聖霊を移転させようとしたということです。その結果、弟子達は全能幻想がたかまりイエスの復活を共同幻想の形で主観的にはリアルに体験したわけです。

 これは福音書を精神分析の方法で分析すればこう合理的に解釈できるということですね。もしそうでなかったら、それこそ本当に神がイエスを復活させたことにしなければなりません。だから福音書なんか信じるなということで、復活なんかありえないと言う議論が起こります。

 死者の復活はありえないのは科学的常識ですが、死者が復活したと思ったから驚いたわけですね。それで生死に対する見方もすべて変わります。命がけの信仰に踏み切ることもできるわけです。奇跡のような原始キリスト教団の活動も理解できますし、右の頬を打たれれば、左の頬も出せるわけです。そういうありえないことがあったという仰天体験を弟子達がしたと考えれば、このキリスト教団のパワーも理解できるのです。それは滅多に起こりえないことだけど、聖餐による復活仮説をもちいれば、共同幻想として説明がつくということです。
やすいゆたか様

「イエスは食べられて復活した」という学説は以前から耳にした事があります。
マルコによる福音書の「墓は空だった」というのは、
弟子たちが、みんなでイエスの死体を全部食べてしまったからなのですね。

個人的にはそういう考えもあって良いと思います。
ただ、「象徴的に復活したのだ」という人の考えも尊重されるべきだと思います。
その人々の中にもイエスは生きていると言える、と私は思うのです。

イエスの志を受け継いだ者には、イエスの心が生きているのだと思います。
マザーテレサはカトリックで、三位一体の神であるイエスを信仰していましたが、
常に社会から見捨てられた者と共にありました。
コルベ神父はアウシュビッツの収容所で、見ず知らずの一人のユダヤ人の身代わりになって
イエスの愛をほめたたえながら餓死してゆきました。
マーティン・ルーサー・キング牧師は、神のもとで人はみな平等であるという信念を持ち、
「人種差別を無くそう!」と命がけで訴え、そして本当に凶弾に倒れました。
みんな自らの命を惜しまぬ信仰の強さでした。

もしも、どっちが正しいか?なんて決着をつけようとしたら、
昔の宗教裁判のようになってしまうのではないでしょうか。
何が正しくて、何が異端なのか。そんな事は人間には分かりっこないと思うのです。
人間には、それぞれ自分に理解できる範囲の事しか理解できないからです。

エクソシズム、というのもそれはそれで役割があると思います。
国境無き医師団でアフリカに派遣されたある先生が、高熱を発して倒れたのだそうです。
すると、村人たちがとても心配をして、遠くからその部族の中では高名なシャーマンを
わざわざ呼んでくれました。シャーマンは早速悪霊払いをやりました。
先生は、心の中で密かに馬鹿にしていたのですが、
なんと次の日、本当に熱が下がって数日後に回復したのだそうです。
その先生は、その後西洋医学だけでは割り切れない精神世界の力に理解を示すように
なったのだと語っていました。

人間には理性や意識で割り切れない、感情や無意識に動かされている存在です。
だから、やすいゆたか様のイエス像も十分あり得る話だと思います。
私は真宗ですから、他人様の宗教に対してあれこれと言う権利はありません。
だけど、自分と違う考えを持っている人の話にも耳を傾けるというのは
宗教を超えて、人間としてとても大事な姿勢だと思うのです。

さて、大変前置きが長くなり、申し訳ありません。
ご承知の通り、「十字架刑」というのはローマ帝国の政治犯に対する処刑法であり、
ユダヤ教の宗教裁判による死刑は「石打ちの刑」です。
なぜ当時のユダヤ人自治政府当局は、
宗教家であるはずのイエスを、ローマ帝国に対する政治犯として殺したのでしょうか?
個人的には「復活」よりも大きな謎です。
Mitchieさま

>なぜ当時のユダヤ人自治政府当局は、
宗教家であるはずのイエスを、ローマ帝国に対する政治犯として殺したのでしょうか?

私、単純に責任をローマにかぶせるためかと思ってました。
あと、宗教の裁判にすると長引いちゃうから、さっさと終わらせて過ぎ越し祭前に処刑までやっちゃおう、みたいな。
・・・すみません。考えなしです泣き顔
やすいさん

現代人でなくてもある程度の知識人だとすぐわかることでして。
当時でも批判勢力があったからキリストは縮小した訳です。
聖書ではイエス以外にも死者からの復活という逸話が散見されます。
それは何故か、彼が聖なる御霊の主であることを紹介する宣伝手法です。

キリストが人類のはじめではなくキリストの前に多くの人がいた訳です。
そのキリストが生き返るという事象自体、実は当時でもおかしいとわかる
範疇の話です。
また聖霊が宿る件も、言われるようにファサイ派は悪霊が乗り移ったと
攻撃する訳です。敵方からみるとあれは悪霊に過ぎないと揶揄されたも
同然です。つまり科学的な知識が多少不足しても現代に限らずわかる事も
福音書にはスラスラと書いてある訳です。
インチキ呼ばわりは確かにしてないですが、聖霊が宿ることを肯定して
いませんので、同じことですよね。

いまの歴史の世界で言われるの話では、福音書は多数解析されてますが
やはり宗教的要素が邪魔をして正確には結論を導けないのが現実です。
その要素は、節々でイエスの生年没年すら割り出せない厳しい状況です。
もっというと、イエスの存在すら歴史の世界では確定していません。
もしかしたら居なかったのではないかと言われることもあります。
それほど、福音書に対する歴史的価値は相当低い状況なのです。

>>イエスの復活を共同幻想の形
イエスは使徒の前にしか現われていません。だからこれも信憑性はとても
低い訳でして、共同幻想という形のようで個別的な一事象と見られています。
ただイエスは歴史的な考察が正しいなら、1〜3年の間のみ布教活動を
行っており、信徒でもっと他にも幻想を体験した人がいてもおかしくないですが
福音書という形では限定的な復活という形で詳述されています。
また上でいろいろ議論されてる通りで実際は組織性はイエスが意識した節は
非常に薄く、使徒という存在があったかも疑われています。

死者の復活はイエス以外の話にはなく論理性矛盾が非常に大きい。
ただ福音書が宗教書という位置づけ故に、その論理性は破綻せず
現代に至ってるのが実情であると考えています。
もし、史書と考えられたなら論理矛盾で破綻していたことでしょう。

大昔、史官が「王、だれそれを殺す」と記したそうです。
それを知った王は、ならんと歴史書を朱筆で修正させたそうです。
ですが、それを知った別の史官は再度同じ事を書き・・・
それ再び知った王はその史官をも吊るし上げ去らせました。
その後を継いだ史官はさらに同様に文言を書きました。
王は諦めざる得ず、それが歴史として残ったのです。
歴史を語る人は嘘と事実をはっきりさせることで歴史を明らかにして
きたのです。その、歴史として認めるには、事実として認めるに足るか
そこが福音書においてちゃんと議論された上でなされたか?ということです。

もちろん、全否定まではしませんが史実性はかなり薄いのが福音書です。

聖書の内容を「史実」と捉えてる人なんて(やすいさんももちろん)いないのでは?
ただ、「当時はそれを信じる人がいた」ということが「史実」かどうかであって。

現代人の感覚からして、科学的に「極楽」もなければ「怨霊」もいない。
かといって過去において「それを信じた人はいない」とは言えない。
いや、むしろ言う方がおかしい。

物理学的に「地動説」を信じる人なんて、今はいない。
生物学的に「進化論」を全否定する人なんて、今はいない。
だから、地動説も進化論もなかったか?
あった。
信じる人はいなかったか?
いた。

福音書に書かれている内容の史実性が薄い?
それは皆が(やすいさんも含めて)認めるところ。そんなとこに論点はない。

当時、それを信じた人がいる。相当数いた。
それは史実でない?
 Mitchieさん、「「イエスは食べられて復活した」という学説は以前から耳にした事があります。」というのは私が唱える以前からという意味ですか?それでしたら私も先行学説があるのじゃないかと探していますから、是非お知らせください。私がその説を唱え始めたのは1998年頃からです。

 私は自分の仮説が実証されているとは申していません。蓋然性が高いのではないかと主張しているだけです。イエスが実在しなかった可能性も完全には否定できません。学説は全て仮説にすぎません。たとえ確たる物的証拠と思われるものがでてきても、それが偽造でないことを実証するのは大変難しいことです。

 歴史的事実とは何かについて論争する場合、決して百%の確実性を主張しているわけではありません。他の仮説よりも説得力があると言うことに過ぎません。私が他の仮説を間違いだという場合も、私の仮説よりも蓋然性が低いというにすぎません。それ以上断定するのは科学的ではありません。

 イエスの復活について本当にイエスが死んで三日目に復活することはありえないでしょう。数時間後ならありえるとしても。でも聖霊が入ったと思い込むことによる全能意識の高揚によってもたらされた共同幻想なら一応精神分析理論で辻褄があっています。その他の精神的な意味での復活だとかだと、それを主張したグノーシス派が復活体験した使徒たちに破門されたように、使徒たちを嘘つきばわりしていることになります。

 私は復活体験はやはり宗教的体験だったと思います。イエスと使徒たちは本気で聖霊を信仰し、メシアによる救済を信じていたからこそ、非常に危険なエクソシズムや聖餐を命がけでできたと思うわけです。
256 マリー様

「インドのトマス派」がなぜトマス派と名乗ったのか、について私はよく知らないのですが、
キリスト教の世界では昔から、自分達の教会を「使徒○○の教会」と名付ける事はよくあったそうです。
今でもカトリックや聖公会で「聖○○教会」というのがあちらこちらにありますよね。
カトリック教会の東京大司教区の聖堂は、「東京カテドラル聖マリア大聖堂」というそうですが、
それに似たような感じで名付けたのかもしれない、と個人的には考えます。
でも、もしかしたら、本当に使徒トマスの流れを汲む集団がインドに宣教に来たのかもしれませんね。

ネストリウス派が異端とされた経緯には、アレキサンドリア学派(アタナシウス派)と
アンティオキア学派(ネストリウス派)の間の深刻な派閥闘争があるようですね。
431年、ローマ皇帝テオドシウス2世の呼びかけによる、エフェソス公会議で決着をつける事に
なったのですが、身の危険を感じたコンスタンティノープル総司教ネストリオスが、
支持者が到着する前に会議場に入るのをためらっている間に、
アレキサンドリア総司教キュリロスが支持者と共に先に会場内に到着し、
ネストリオスがいない間に排斥を決議してしまったのだそうです。

259 まにゃ様

ユダヤ教は「血の汚れ」をとても嫌うのだそうですね。
現在、アメリカのユダヤ教徒には「正統派」「保守派」「改革派」の大きな3つの流れがあって、
正統派の人はニューヨークのSubwayで、女性の隣に座る時は垣根みたいに荷物を横に置いて、
女性に触れないようにするのだと聞きました。その女性が月経中かもしれないし、
そんな事をいちいち公共の場で相手に聞いてから隣にすわるのも失礼だから、との事です。
しかし、それについては、同じユダヤ教正統派の女性の間からも
「女性差別だ!」と憤慨する声もあるのだとか。
現在でさえそんなに嫌うのだから、当時、神聖な祭りである過ぎ越し(ペサハ)の前の流血を
嫌ったというのは十分ありうる事かもしれませんね。
イエスの処刑については、ユダヤ教側からの意見も聞いてみたいところです。
しかし、興味はシンシンなのですが、シナゴーグに行ってラビに聞く勇気がありません。
南部バプテストのアメリカ人に「イスラム教についてどう思うか」と聞くようなもので、
まだまだ命が惜しいので……

262 やすいゆたか様

色々な教会に行って色々な人の話を聞いてきたもんだから、
いつ誰に聞いたのか全然覚えていないのですが、
「聖遺物崇拝が頂点に達した、中世のキリスト教徒たちの中には、
 聖人の肉を食べ血を飲むとその聖人に近づけると信じて、実際に行った者がいた。
 その人々は、十二使徒たちも実際にイエスの肉を食べ血を飲んでいたと信じていた」
と聞いた事があります。申し訳ありませんが、出典は定かではありません。
やすいさんの説もその流れをくむものなのかもしれない、と思ってお聞きしておりました。
 Mitchie様 ありがとうございます。聖人の肉を食べたという噂話は聞いたことがありますが、それをした人もイエスの弟子がイエスを聖餐していたと考えていたはずだと論理必然的にそうなりますね。でも私のいままでの調べではそこまで書いているのはありませんでした。出典が分かったらまたご教示ください。

 私の仮説は福音書とヨハネ黙示録から来ています。聖餐による復活仮説に気づいてから先行説を探しているということです。発表するのに勇気のいる仮説なのでヨーロッパでは難しいようですね。精神分析をすればすぐ分かることなので、ユダヤ人の精神分析学者たちは分かっていたと思いますが、それを発表するとユダヤ人全体に迫害が及ぶので発表できなかったのではないかと思っています。
りゅうせいさん
やすいさんは史実性は大いにあるといって見解が違うところです。
そこだけは再度過去投稿を読み直してみてください。

>>当時、それを信じた人がいる。相当数いた。
ここは了解しています、ただ見破る人もいないことはない。
天動説も大昔の中国ですらうすうす気づいてた人はいます。

ちなみにやすいさんの立証の根源は福音書でありそれで仮説を
打ち立てて正当化しようとする向きがあるので、実証はかなりの
労力を要するとみます。

史料価値がほとんどないのは一般人なら感じることですので。
そこだけは誤解なさらないように、お願いします。
復活。キリストにおいて必要不可欠な出来事。
実は聖書にはさまざまな復活がある。
イエス以外の復活として・・・
?ペテロがダビタを生き返らせた。
?パウロが転落した若者を復活させた。
実際、これらのフィクションは聖なる力を魅せる為に創作された疑いが濃い。
それを読み取るにつけイエスの復活も同義であると実は誰も論じていない。
つまりキリスト教自体がそれを別物と扱った歴史があるからである。

またカニバリズムはキリストのみにならず、ユダヤ教では厳禁であり当時の
ユダヤ教一派である使徒たちがそれを為した可能性はとても低い。
何故なら、イエスも使徒たちも律法という存在を否定していない。
まして、禁じ手を使ってまで復活を形式的にすることができたか?
イエス死後、およそ50〜60年ユダヤ教一派として過ごしたイエス教団。
まさかそのようなことを行うなど、微塵も考えられる余地は存在しない。
田舎でしていた演劇ですら非難の的になったのが禁じ手を使ったと噂や
言い伝えがあるだけで即破門は想像に難くない。

歴史学的な考察からマルコ福音書記載の復活後の昇天は実は後付の要素が
高いと判断されることがある。復活後の昇天も実は曖昧な記述に満ちている。
また復活の為の聖餐という行為、つまりカニバリズムは復活という事実が
あり得ない限り想定に至らない。その復活すら曖昧な部分が多い。
 私が史実性があるというのは、福音書に書いてある内容がそのまま史実だという意味ではありませんよ。イエスの系図や誕生地などダビデ王の子孫に取り繕おうとしたごまかしがありますし、処女降誕説話なども嘘ですね。

 私はイエスが死んだけれど三日目に復活したとは言っていません。イエスに聖霊が宿っていて、それが悪霊を退散させたとは言っていません。

 そこのところをこうめいさんは誤解されていませんか。

 私が福音書の史実性を評価しているのは、信仰やパフォーマンスを伝えている点です。イエスの弟子やその後継者たちがイエスとその弟子達の信仰とパフォーマンスを伝承しているわけです。もちろんそこにトリックがあったとしても、そのままは書いていません。信徒に読ませるものですからね。イエスの聖餐をしたとしても書けません。でもエクソシズムのパフォーマンスをしたことや、最後の晩餐や復活体験の様子などは貴重な宗教体験として差しさわりのない形で伝えているわけです。

 そういうことを伝えようとしたことは教団ですから当然あるわけです。イエスや弟子たちの信仰を聖霊や悪霊退散を信じていなかったのに、イエスや弟子達が信じていたように歪めて伝えた考える必要はあまりありません。悪霊退散のパフォーマンスを何もしていなかったのにしたように伝える必要もありません。もちろんイエス集団が信仰に生きていたことが大前提ですが。

 結局、こうめいさんは教団というものは、聖典を作り上げるときに大衆に受けそうな信仰を書き、大衆が喜びそうな奇跡をしたことにし、そしてアリもしない聖餐や復活体験を創作して宣伝材料にするものだと受け止めておられるわけですね。

 実際そういう宗教団体もありますし、イエス集団がそういう連中と同じでなかったということを百パーセント立証することはできません。

 しかし私は福音書がまじめに信仰と宗教的パフォーマンスと復活体験を伝えようとしたとしても辻褄が合うし、精神分析的にみて聖餐による復活体験があったと解釈可能であるといえます。つまり史実と考えても問題ないということです。

 もちろん作り話であっても史実と考えて問題ないように作ることも可能でしょうが、これだけ終始一貫していればわざわざ史実でないと決め付けるのは、むしろそう決め付けたいからだと言わざるを得ません。
やすいさん

どうもなんというか支離滅裂な返信にみえて・・・
「そのままの史実性はないと言いつつも、史実と考えても問題ないということです。」
といってみたり、何が言いたいのかさっぱりわかりません。


生年も没年も不明なのにイエスがした事象、つまり宗教的要素は確実だと。
もっともこれは如何なものかと思います。
何より、福音書はイエスがした事象について触れています。
イエスの存在が明らかでもないのに、イエスが行った事象だけが明らかである
と言いきれるでしょうか?あくまでそれは伝説や伝承の類を脱しないと
考えています。
また、それを決定づける資料が福音書(聖書)以外に見られることが無い為
ますます史料価値として信憑性は薄くなると思っています。

また4つの福音書は似てるようで節々に違いがあり、統一性を考えると
微妙にズレを感じるところもあり点と点はあっても平面としての繋がりが
稀薄に感じます。その中で、全体像をそれだと決定づけるのは尚早では
ないかと感じております。

特に聖書は後日の加筆も多々あり、いまとなって事実部分との切り分けは
非常に宗教要素との兼ね合いもあり考察が難しいと言われています。
その聖書だけの一連の流れだけでその行いがあったないを論じるのは、歴史
側面からみるとおかしな話であり、議論が少ないところでもあります。

また福音書記者が実際イエスを知らない可能性が大きいこともその福音書
記載の内容がほんとうであるかどうかを疑わざる得ない部分です。
史実で無いとするのはそれなりに理由がある訳でして、その理由を克服
できないと未来においても福音書が歴史的価値を高めることは少ないと
判断しています。


>>253

Mitchieさん

度々の情報提供ありがとうございます。

一つ解消できない疑問があります。
何故ヨハネ福音書に統一しなかったのか?てことっす。四方に重きを置くとはいえ、食い違う物を残す危険はさすがに予想できたと思うんですよ。しかもあんなに異論にうるさい教団なのに。
これってローマ、アンティオキア、アレクサンドリアの顔を立てる為に、それぞれで昔から支持されてた福音書を生かした、とか考えられますかね?
宗教的ではなく政治的解決が計られたのかな、なんて。


あと追加の質問があります。すんまそ。
アタナシウス派とアリウス派の論争こそ、宗教ではなく政治的戦いだったと聞いたことがあります。皇帝が介入してることがその論拠だということらしいんですが、正直よくわかりません(^^ゞ
なんかこの辺で聞いたことありますか?
アリウス派とアタナシウス派の論争は何十年か続いたものだとも聞きます(ふっるーい情報ですが)。
論争が経過するに従い政治問題に変質したのかなとか考えたりもしますが…。


>何故、宗教家のイエスを政治犯として処刑したか。

当時のユダヤ政権は裁判権をローマに奪われていたから、とかいう話をどっかで聞いたけどどこだか忘れますた。
他に、宗教違反者ではなく危険な民衆扇動者と判断されたためとする話も聞きますよ(典拠『パンとワイン〜』他諸々)。


>天動説
キリスト教以前のエジプトやギリシャでは既に解明されてたよ。数学と天文学が発展してた地域でんな。
フェニキア人を初めとする船乗りたちも古代から気付いていたとかなんとか。向こうからやってくる船は先ずマストの先から見えてくるからだそーな。
やすいさんの説を大雑把に解読してみよう!


福音書に書いてある内容の全部が全部を史実と言ってる訳ではない。


イエスがどのようなアピール方法を取っていたかぐらいは当時の状況を反映してるだろう。


何故ならそこは作り話にしても意味がない。


こんなとこかな?。復活と聖餐は敢えて割愛。終始一貫してるかどうかについても触れない。
270 ぽんちん様

*4福音書について
以前、ケーブルテレビのナショナルジオグラフィックで「ユダの福音書」について取り上げられた
番組を見たのですが、ガリアの教父エレナイオスを中心とする一派が、
最も「福音的な書」として4つを決定したのだそうです。
その「福音的」というものの根拠ですが、実は、当時最も影響力の大きかった4つのエクレシアに
支持されていた、それぞれの福音書を採用したのではないか、と述べていました。

これは、個人的な推測ですが、90年代にユダヤ教から正式に破門され、
キリスト教としてやって行かなくてはならなくなった、ナザレ派のエクレシアの
古代版「エキュメニズム」であるかもしれませんね。
だんだん信徒が増えてくると共に、迫害も強まってきた頃ですので、
もしかしたら、エクレシアどうしの細かな違いになんてこだわっている場合じゃなくなってしまい、
一致団結して乗り切ろう!という事だったのかもしれません。

実際、キリスト教会史の本を読んでいると、
ミラノ勅令でキリスト教が公認されてから、
細かな違いで仲間割れがひどくなってきたという印象が残りました。

*アリウス派破門について
313年ミラノ勅令でキリスト教を公認した、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世ですが、
後世、キリスト教徒から「大帝」と呼ばれ、評価が高いにも関わらず、
実はキリスト教についてよく分かっていなかったのではないか、と言われているそうです。
彼の母ヘレナはキリスト教徒で、モエシア(現在のブルガリア・セルビア国境付近)の
宿屋の娘だったそうですが、コンスタンティヌスが二十歳の時に、
政略的な事情により離婚されています。
母親がキリスト教徒という事で、幼い頃から身近には感じていたでしょうが、
皇帝になってからキリスト教を公認したのは、
「神が選びたもうた」という自分の帝位に対する権威付けと、
キリスト教会の組織力を政略的に利用したかったから、という説が有力のようです。

なので、アリウス派とアタナシウス派の神学的違いについては全く分かっておらず、
学閥の闘争が政治に悪影響を及ぼすのをおそれ、
325年に皇帝の指導と庇護のもとに、キリスト教会初の公会議がニカイアで開催されたのですが
(第1ニカイア公会議)、アタナシウス派がなぜ正統派と決定されたかというと、
単に数が多い方に決めたのだ、という説も聞いた事があります。
なぜならば、彼は死の直前にキリスト教の洗礼を受けていますが、
それはアリウス派の司祭から受けているからです。
しかも、死後神格化されました(これはコンスタンティヌスの意志かどうかわからないけれど)。

アリウス派とアタナシウス派の闘争はコンスタンティヌス1世の死後もさらに続き、
381年、テオドシウス1世の主導のもとに第1コンスタンティノポリス公会議が開かれ、
アリウス派の排斥を決定的なものにしたのだそうです。
コンスタンティノポリスはアリウス派の支持者が多かったのだそうですが、
テオドシウス1世がアタナシウス派の支持者であり、
皇帝の意見を通した形になったようです。
この皇帝がキリスト教を国教化したのはご承知の通りです。
ローマ・アレキサンドリア学派(アタナシウス派) VS コンスタンティノポリス学派(アリウス派)
の対立に、帝国内の権力者が乗じて政治的権力闘争に発展してしまったようです。
なお、テオドシウス1世の前の皇帝はアリウス派の信徒でした。

*イエスの処刑について
東京在住のユダヤ系アメリカ人、ラビ・M・トケイヤーはその著書の中で
「ユダヤ教の裁きにおいて、全会一致の判決は無効とされる。
 なので、イエスの処刑が全会一致で決定した、というのはトーラーから見て
 あり得ない。これはキリスト教徒の創作である」
と述べているようです。
すみません。訂正です。
コンスタンティヌスの母ヘレナはブリタニアの宿屋の娘で、
コンスタンティヌスが生まれたのがモエシアでした。
「ユダヤ教の裁きにおいて、全会一致の判決は無効とされる。
 なので、イエスの処刑が全会一致で決定した、というのはトーラーから見て
 あり得ない。これはキリスト教徒の創作である」
と述べているようです。

 果たして史実としてそういうことが言えるのかは疑問ですね。十分無実かもしれないのに全会一致だった場合は圧力があったと考えられますが、圧力がなかっても、全会一致だったらどんな場合でも判決が無効になったのでしようか。

 イエスの場合は自ら神の子と認めるような供述もあり、ダビデ王の子孫ではないと認めたので、偽メシアの開き直りととられたかもしれません。

 イエス教団はエクソシズムの実演をしていたので、それなりの恐ろしい呪術を使うのではないかとおそれられていたでしょう。実際布教がうまくいかない町にはソドムよりひどいことになると呪いをかけていたようですから。そしてファリサイ派はガリラヤでは悪霊の親玉ベルゼブルがとりついていると攻撃していたので、エルサレムでもその話が伝わったかもしれません。

 イエス集団が安息日をわざと軽んじているのも反発をかっていたと思われますね。だから最高法院では有罪で死刑という判決が出て当然です。しかもイエスは三日目の復活まで予告していたので、その情報もユダを通して漏れていたら、ユダヤの最高法院は法廷を侮辱されたと感じたかもしれません。そういう場合でも創作と言えるかは難しいと思われます。

 それにイエスの処刑があったことを前提しますと、それはローマのユダヤ教分断政策から行って、ローマの意思とは思えません。
やすいゆたか様

「ユダヤ教の裁判では全会一致は無効なので、イエスの処刑決定はキリスト教徒の創作」
というのは、史実というよりも、あくまでユダヤ教側の言い分だと私も個人的には思います。
もちろん、ラビ・トケイヤーが約二千年前に実際に目撃したわけではないし、
イエス裁判の記録自体が現在の所、福音書以外に発見できないようなので。

ユダヤ人たちは「イエスを殺した民」として、
キリスト教徒からずっとひどい差別を受け続けていたから、
ラビ・トケイヤーは「それはイチャモンだ!」と言い返したかったのではないでしょうか。

イエスは確かに福音書にしか記録がないので、中には「イエスは実はいなかった説」を
唱える人もいます。でも、「史書や文献に記録がなければその人はいなかった」とするならば、
私を含め、今生きている大半の人は百年後には、
歴史学上では、この世には存在しなかった事になっていると思います。
やすい様は本を書いていらっしゃるから、文献が残ると思いますが。
なので、「イエスはいなかった説」はちょっと極端ではないかと個人的には思います。
「現在、歴史学者が正史と認める文献の中に記録はない」という事ではないでしょうか。
もしかしたら、記録があったんだけど、長い年月のうちに散逸してしまったのかもしれないですし。

現在日本語で読める聖書は、みなキリスト教徒の聖書学者たちが、コイネー・ギリシア語から
翻訳したもので、「翻訳というのは多かれ少なかれみんな誤訳である」と、
ある英文学翻訳家の方がおっしゃっていました。
日本語ではどうしても表現できない概念がたくさんあるからです。
私はギリシア語は単語を少ししか知りませんが、「プネウマ」=「霊」というわけでもないらしく、
活気とか生気とか色々な意味合いを含んでいる中から、
翻訳者たちの神学に基づいて、ふさわしいと思われる日本語をチョイスしているのだそうです。
なので、やすい様には「イエスは食べられて復活した」という観点で、
ギリシア語原典の「エヴァンゲリオン」と「アポカリプス」を研究し続けていただきたいな、と思います。
やすい神学にもとづく翻訳による、原典からの「福音書」と「啓示」の訳本が出たら、
是非読んでみたいです。
動物はなにをしていいか、なにをしていけないかを知っています。

人間は本能が壊れているので何もわかりません。

なので何千年ものあいだ宗教を基準にしてここまでやって来れたのだと思います。

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