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電波男コミュの『バブル文化論』で『萌える男』批判

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原宏之著『バブル文化論 〈ポスト戦後〉としての一九八〇年代』慶應義塾大学出版会
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4766412869
に本田先生の『萌える男』を批評した文章がありましたので、下記に一部転載引用させていただきます。内容は本田先生の認識を肯定するものも含みつつ、論理的な矛盾点や学術的あるいは実経験上の観点からの批判がされていますので、

「嫌オタク流」などと異なりある程度“手ごわい”と思われます。ただよくよく読み下せば、矛盾点や、前提が間違っている点が理解できると思います。

この本自体は今年の6月に出版されたものですが、私自身やっと読み終えて、しかも最後の注釈で(笑)この批判が記述されていましたので、ご報告が遅くなりました。すでにどこかの掲示板で話題になっていたりしたらご容赦ください。

※あくまでこのトピの目的は本田先生の理論体系の完成を目指すための議論であって、批判者を中傷するためのものではありません。

むしろ今までオタクを相手にしなかったバブル研究家のほうから、本田先生への批判が出てきたということは歓迎すべきことであると受け止めるべきです。それだけ論壇にも影響を与え始めていると言えます。

※また基本的に『萌える男』は『電波男』の論文版ですし、参加数も多いのでこちらのコミュニティにトピックを立てさせていただきました。

できるだけ多くの本田透研究者の皆様に参加していただきたいと思いますので、宜しくお願いいたします。

====以下、引用(P230)====

 本書執筆の途中、おたく文化を巡る重要な本が刊行された。本田透『萌える男』である。同書は「おたく」(萌える男)顕揚の書であり、おたくに向けられる世間のひややかな視線や無理解、侮蔑に対して、おたくの真の像を呈示しこれを擁護しつつ、また新手のおたくバッシングに反駁する。バブル世代の倉田真由美や負け犬論の酒井順子などから、「恋愛できないおたく」への新しいかたちの批判が出て来ているなかで、おたく文化を深く知悉する本田のような書き手が、現在形のおたくのいまを説いた書として、本書は注目に値する。

 本田の考察は、恋愛市場におけるモテ男ともてない男の二極化との認識から始まっている。ちなみに「萌える男」は市場にすら参加できない対象外というのが、本田の現状認識だ。二極化の原因をふたつの主要因(宗教システムと経済システム)に帰してゆくときに、同書は徹底的な躓きをしているといわざるをえない。思うに、モテ男とは本田のいう八〇年代の「恋愛の商品化」にともなうマニュアルをマスターした者たちではない。本田によれば「萌える男」はそのような恋愛ゲームにのることを拒否している者となるが、実際に『ホット・ドッグ・プレス』や『アンアン』を字義通りに身につけて恋愛をする者は「きもち悪い」。それにもてないだろう。モテる人間とは、遊びに長けているのでアンテナにいつも情報が集まるし、遊べば遊ぶほど話題も豊富になり、会話など社交も得意になり、遊び場所も覚えてゆくので、ますますもてることになるのだろう。私見だが、モテる人間とはマニュアル人間であるよりも、ある特定の趣味に打ち込んでいる(料理、キャンプ、音楽、利き酒、旅行、なんでもよいがアニメではない)人間であることの方が多いように思われる。

 だが第一章での「おたく」の位置づけはほぼ秀逸といってよいのではないか。八〇年代後半を「ナンパ」がスタンダードになる時代としてその裏側で徐々に拡大した勢力が「おたく」であり、同時期に伸張したAVやライト風俗を《恋愛からセックスの面を切り売りする》もの、キャバクラやテレクラを《恋愛の口説きの要素を切り売りする》ものと整理するあたりも興味深い。しかしながら第二章の議論にはまったく乗ることができない。ここで本田は「恋愛」の発生を「キリスト教文化における神の死」に、「恋愛格差」の発生を同氏が、「恋愛資本主義」と呼ぶものに帰因させている。仮に百歩譲って「恋愛」がキリスト教の代替物であったとしても、本田のいうプラトニックな恋愛幻想(相手を神とする)が崩壊しきったのがそれこそ八〇年代であり、それゆえ「恋愛資本主義」とか「恋愛の商品化」というものは、実は(純愛はないとの)現実に直面してプラトニック幻想が剥がれ落ちたとき後の、リアリストでかつニヒロ−アイロニカルな正しい選択であるよりほかない。

 『東京ラブストーリー』における赤名リカの「カンチ、セックスしよう」(台詞)とは、そのようなプラトニック幻想崩壊後のきわめてリアルで、フェミニスト的でさえある発話にほかならない。たしかに十代の性体験は加速している。だがなぜフリーセックスがいけないのかとの問いに、「性病感染は危ないから」というような功利・科学主義的な返答しかできず、道徳的には何もいえないのが現代の現実ではないだろうか(功利主義と倫理の問題についての説明は他所に譲る)。

 周囲を見るかぎり、モテるモテないは、モテる努力の如何によって多少なりとも変わる。本田はそのような恋愛ゲームに参加することを拒否する集団としておたくを規定した上で、「恋愛格差」を資本主義という経済・社会システムに帰責している。議論の措き方として問題であるだけでなく、元も子もないことをいってしまえば、恋愛格差が資本主義の帰結でないことは、封建制度下で有力武士階級が側室達を独占していたことを思い出すだけで、議論の転倒ぶりが明らかになってしまうのだ。

 また本田がおたくを顕揚する際のポイントのひとつに、おたくは女性を尊重するということがある。鬼畜系/萌え系などの区別のもとに、いわゆる渋谷系−モテ系たちは想像力(妄想)という能力が欠如した野獣だとされるのである。「萌えには男性市場主義や暴力から男性自身を解放するという機能もある」(八八頁)。

 しかしながらわたしがこの議論にまったく組みできないのは、育成ゲーム、さらに「飼育ゲーム」またメイドの人気、おにいちゃん−妹など明らかに男女の従属関係を強いる構造が、おたくの愛好対象の要素の中に含まれているからである。ロボットもメイドも意思をもたないかまたは意思を殺した存在である。つまり自分を決して非難しないもの(≠現実)の象徴と考えられるのである。とりわけ萌え要素を含むアニメやゲームに特徴的なのは〈父親〉>(超自我)の不在であるように思われるのだがどうであろうか。

 「メイドさんは御主人様(オタク男)に『ご奉仕』することを至上の歓びとしている存在で、現実の女性にはありえない価値観の持ち主だが、御主人のほうは御主人のほうで自分に献身的に愛情を注いでくれるメイドさんを尊重しており、実際には御主人様のほうがメイドさんの尻に敷かれて支配されている……という相互補完的関係になっているストーリーが多い」(一四〇頁)。

 たとえばここでは「相互補完的関係」といわれているのだが、満たされる存在としての男と満たしてくれる対象としての女(メイド)には、何らかの対称的な関係はない。このような構造がいつでも前提とされているかぎり、「女性は他者である」つまり「女性はもうひとりの自分自身である」という他者の思想が忘却されているのだ。

 また本田は再三『電車男』を批判しておたくを「恋愛資本主義」の側に回収する試みだと非難している。これにはうなずける部分も多い。だが、そこからたとえば〈男の方が口説かないといけない〉ルールを教えるエルメスの支配を「マッチョ」として退けるのはどうだろうか。ましてや電車男の告白をマッチョと呼べるのだろうか。自分の方からくどくということが、自らをひとつ下の位置においてリスクを背負い、相手を讃える行為であるとするならば、そのように一刀両断にしてしまうわけにもいかないだろう。

 最後に「思いこみ」は極力避けるべきだと思われる。たとえば、「ヤラはた」(ヤラズの二〇歳、二六頁)が最近のセクシャリティの傾向を指すことばとして再三論拠にされているが、これはごく最近のことばなどではなく、遅くとも一九八八年には流通していた若者ことばである。また、「エヴァ以降、エヴァに匹敵するオタク向けアニメが登場しないままに十年が経過したのは、ひとえにエヴァがアニメというジャンルにおいて『オタク否定』を行ったからにほかならない」(九一頁)と、実証しようのないひとつの仮説をこのように断定口調で語ることもやはり思い込みのひとつであると思われる。第一章の三八頁周辺での「萌えない男」批判では、女性にも性欲があるとの現実を見ずに、女性を神格化することで、実際にはフェミニズム以前の状態に回帰しているように思われる。

====以上、引用(P233まで)====

コメント(10)

まず、最初につっこめるのが、

>私見だが、モテる人間とはマニュアル人間であるよりも、ある特定の趣味に打ち込んでいる(料理、キャンプ、音楽、利き酒、旅行、なんでもよいがアニメではない)

なんでやねん!(笑)

何故アニメを除外したがる??

検証するならば「なぜアニメではダメか?」の論拠を示して欲しいです。
>なんでもよいがアニメではない

これは単なる現状認識でしょう。阿部の北朝鮮を仮想敵国とするのを批判するのと同じく、現状認識に突っ込みを入れても仕方ないと思います。が、

>実際に『ホット・ドッグ・プレス』や『アンアン』を字義通りに身につけて恋愛をする者は「きもち悪い」。

その前にこれらファッション雑誌の型にはまらない恰好をした男が、つまり服飾に一切金をかけない男がもてる事はほとんど無いという現状認識をしていない発言は突っ込めます。
また

>モテるモテないは、モテる努力の如何によって多少なりとも変わる。

努力が全く報われない男が存在するという認識ができないのも、やはり著者がもてた経験があるからでしょう。こういう人間の喪男批判はどうなのか。どうせ批判するなら、喪男が批判するべきなのではないか。

>リアリストでかつニヒロ−アイロニカルな正しい選択であるよりほかない。

正しい選択は、純愛を探す事だと思います。

>封建制度下で有力武士階級が側室達を独占していた

もっと言うと、裕福な商人、豪農も妾を持っていた。
しかし、それこそ恋愛が市場経済である事を証明している。

>満たされる存在としての男と満たしてくれる対象としての女(メイド)には、何らかの対称的な関係はない。

前提条件として、メイドさんが奉仕に無上の喜びを得ているというのを読み飛ばしている。何よりも、一度ゲームをやればこのような発言はできない筈だ。ゲームをやらずしてゲームを批判する姿勢もいかがなものか。
>育成ゲーム、さらに「飼育ゲーム」またメイドの人気、おにいちゃん−妹など明らかに男女の従属関係を強いる構造が、おたくの愛好対象の要素の中に含まれているからである。

これもお決まりのパターンですね。

ルサンチマンの噴出が飼育ゲームに吸収されることによって、社会的には貢献していることになる、と再三申し上げているではないですか、と。

それこそが“解放”なんですよね。
>実際に『ホット・ドッグ・プレス』や『アンアン』を字義通りに身につけて恋愛をする者は「きもち悪い」。

もてる人の市場にイノベーター〜アーリーマイナーという存在があるとすれば、逆に『ホット・ドッグ・プレス』や『アンアン』のほうがそっちに迎合した、ということも考えられないでしょうか?

問題はそこにマーケティングサイクル(その雑誌を見たもて市場のレイトマジョリティが追従し、アーリーマイナーが次のファッションサイクルに移行した頃に、また雑誌が追従してのループ)を作ってしまったことで、

まさにそれはキャズム理論以降の現代市場主義経済の原理そのものなのですが、非モテとはそのサイクルに入れていないこと(結論としてそれは正しい行為)を指すとしたほうが論理的に補強できると思います。
>それこそが“解放”なんですよね。

全く同感です。そして、兄-妹が従属関係であると言うのは著者の価値観そのものではないかと。若しくは願望ですか? 

>ロボットもメイドも意思をもたないかまたは意思を殺した存在である。

これは明らかにオタクに対する偏見ですね。そんな意志の無い存在に恋をするとでも思っているのか? それともオタクを性欲の権化だとでも思っているのか? 我々(で語弊があれば僕)が欲しいのはダッチワイフではなく、生涯の伴侶です。
そこがリアリストでかつニヒル−アイロニカルなDQN男と違う所だと言うのを理解していない。もっと言うなら理解できない。
>もてる人の市場にイノベーター〜アーリーマイナーという存在が〜

経済用語、いや経済に関しては無知も甚だしいので何も言えませんが、

>(結論としてそれは正しい行為)

この正しい行為というのは、オタとして正しいという事ですか?
>オタとして正しいという事ですか?

そうですね。萌える男として、ということですね。

このキャズム理論は図解しないと分かりにくいので、
近いうちにアップします。
>女性にも性欲があるとの現実を見ずに、女性を神格化することで、実際にはフェミニズム以前の状態に回帰しているように思われる。

この批判の結論とも言うべきこの部分が、一番理解できません。

スーパーフリーで犯られまくっていた女のほうにも責任があるって言いたいんでしょうか?
>そんな意志の無い存在に恋をするとでも思っているのか?

もっとつっこんで言えば、本来ロボットのように意思の無いはずの物に意思や感情が芽生えることで萌えると、

つまりセリオではなくマルチである!と、いうことですね(笑)

メイドさんに関しても、本来従順たる存在に叱られたり、意地悪しちゃって泣かれたり、逆に意地悪されたり、尻に敷かれたりするのが萌えであると、

それが本田先生の言う“相互補完”であると思います。
>スーパーフリーで犯られまくっていた女のほうにも責任がある〜

全く同感ですね。この著者は女性にも性欲があるのだから、それを汲み取って「嫌」は「いい」の裏返しだから犯すのがフェミニズムだ。とでも言いたいんでしょうか?

そして「女性を神格化」は、オタのロボメイド萌えが性的搾取対象でしかないとの自説と矛盾した総論でもあります。

>もっとつっこんで言えば〜

そうですね。ボクの意見ではロボ萌えなどあり得ないと聞こえかねませんね。反省orz

>本来従順たる存在に叱られたり〜

いや、ここでツン萌えを出したらオタはしょせんMの変態だと批判されかねません! まぁ萌えのMはマゾのMでもあるんですがw
なのでここは家族愛、そして忠愛から説明するのがいいと思いま す。そもそも雇用者、労働者という関係に、金銭的やりとりしか無いという価値観はマルクス主義的であり、女性が男性に対して金銭的価値しか見出していないという、それこそ非フェミニズム的蔑視であります。
人が人を愛するのは当然の事であり、それは時として血を越えます。子供が死んだ時、実母は泣かず乳母が泣いたという話がありますが、著者はこの乳母を否定するのでしょうか?
三次元はしょせん金と性欲でしかないのだから女性を服のように取っ替え引っ替えするのがフェミニズムだというのなら、そんな現実に背を向けて二次元に引きこもれ! と言ってるようにしか聞こえません。

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