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旅の交心 そして郷土の交心コミュの転載 『 小さなニュースの伝える大きな未来 』  by ミッシェル

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 ミッシェルさんの [『世界の肖像』] トピック より。

☆☆☆  『 小さなニュースの伝える大きな未来 』
♭♭♭    http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=15595666&comm_id=1808806



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『 小さなニュースの伝える大きな未来 』
         by ミッシェル
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2007年2月19日付けのBBCのニュースで、
ウガンダのある少女が、
次のようにインタビューに答えた。

「嬉しいわ。
 だって、勉強するチャンスができたのよ。」



ウガンダは、世界で、
もっとも貧しい国のひとつで、
小学校を卒業した子どものうち
毎年、6割が、
貧しさのために学費が払えず、
中学校に行くことが出来なかった。


だが、ついに、ウガンダで、
中学校の学費の無料化制度が始まった。


数年前までは、ウガンダ政府は、
子どもたちのために使う教育費と、ほぼ同額、
およそ170億円(1億5,500万ドル)を、
借金の返済に、毎年先進国に支払っていた。


2000年に採択された「国連ミレニアム宣言」と、
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/doukou/mdgs.html
その後、
それを、各国政府に、ちゃんと実行させようとする
世界の人々の声により、
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=285072412&owner_id=5766188
ウガンダの毎年の借金返済額が減額された。


これにより、ウガンダ政府は、
新たに約1億7千億円(150万ドル)を、
中学校の無料化のために
使うことが出来るようになった。


2億円にも満たないプロジェクトの開始は、
今の世界から見たら、
本当に小さなニュースだろう。


そして、このプログラムも完全ではなく、
学校に行くには、
学費の他に、教材費、施設費などがかかり、
結局、それが払えず、
なお学校へ行けない子どもたちも多い。


だが、
これまで中学校をあきらめていた子どもたち
約10万人が、このプロジェクトにより、
新たに学校へ通えるようになると予測されている。

その子どもたち1人ひとりにとっては、
人生に関わる大ニュースだ。



冒頭のインタビューの少女もその1人だ。

少女の夢は、
将来ナースになることだという。



ウガンダは、まだまだ貧しく、
また、経済や教育だけじゃなくて、
HIV/エイズや北部地域の内戦など
問題は山済みだ。

その多くは、
彼ら自身で乗り越えなくてはならないだろう。


その世界のもっとも貧しい国の、
もっとも貧しい子どもの
「学校で勉強したい」という小さな夢を叶えることは、
ウガンダだけじゃなくて、
世界の未来にとって、
どれだけの価値を持つだろうか。


10年後、20年後、
このウガンダの子どもたちが、
学校を卒業して大人になったとき、
わたしたちは、いったい、
どんな世界に住んでいるのだろうか。

わたしたちは、未来のために、
何が出来るのだろうか。


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関係リンク
BBC
Boost for free Uganda schooling
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/6374927.stm

ニューヨークタイムズ
Uganda: Free Secondary Education
http://www.nytimes.com/2007/02/20/world/africa/20briefs-freeeducation.html


日本外務省
「国連ミレニアム宣言」と、
「ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals:MDGs)」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/doukou/mdgs.html


コメント(24)



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「わたしたちは、いますぐ、始めなきゃ」
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☆☆☆  『 誰かが、この世界を変えてくれるのを、ただ待ってるなんて出来なかったの。 』  by ミッシェル
♭♭♭   http://mixi.jp/view_diary.pl?id=462298792&owner_id=5766188

 より、【 転載 】




 2006年夏、アメリカのマサチューセッツに住む高校生のニック・アンダーソン(Nick Anderson, 17歳)とアナ・スレイヴィン(Ana Slavin, 16歳)は、 スーダン・ダルフール地方のジェノサイド(虐殺)のことを知った。




20万人もの人びとが殺され、
何百万もの人びとが、
住む家を追われていることを知って
ショックを受けた彼らは、
まだ高校生の自分たちにも
何か出来ることはないかと考えた。


そこで彼らが思いついたのは、
「全米には、2700校も高校がる。
 1校につき、たった10ドル(1200円)集めれば、
 軽く20万ドル(2400万円)は集まるよね」
ってことだった。


思いついたら、即実行。


彼らは、全米の180の団体が関わる
「Save Darfur(ダルフールを守ろう)」キャンペーンと協力して、
各高校ごとに募金を集めるウェッブサイト
「Dollars for Darfur」を立ち上げた。


そして、全米中の高校生に、
ダルフールの惨状を伝え、
自分たちのホームページに、
キャンペーンのリンクを張り、
また、FacebookやMySpaceといったSNS…
…(日本のMixiみたいなの…
…のコミュニティへの参加を呼びかけた。



そして、その期限を今年の4月末までとした。


結果は…
…参加した高校2500校。

集まった募金は31万ドル(3700万円)だった。


「わたしたちの世代は、
 何年かしたら、
 この世界を受け継ぐの…難しい問題も含めてね。

 わたしたちは、
 誰かが、この世界を変えてくれるのを、
 ただ待ってるなんて出来なかったの。」

…と、アナは言う。

「わたしたちは、いますぐ、始めなきゃ」
 

ニックとアンをはじめとする、
キャンペーンに参加した高校生たちは、
先週6月7日に、
アメリカ・ワシントンの議会に招待され、
そこで、彼らは、
ダルフールに対する政策を強化するように訴えた。


また、ニックとアンは、先週、6月8日、
全米3大ネットワークの一つabcの
パーソン・オブ・ザ・ウィークに選ばれた。




近年、輸出量の増加しているスーダンの石油は、
ダルフール地方を攻撃する兵器の
資金源になっていると指摘されている。

スーダンの石油の最大の輸出相手の中国は、
「1つの世界、1つの夢」をテーマに、
2008年、北京でオリンピックを企画している。

スーダンの石油の2番目の相手国、
日本の首相、安部は、
「政治とスポーツは分けて考えるべき」とし、
オリンピックのボイコットには
反対の意向を表明している。


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関係リンク
abcのパーソン・オブ・ザ・ウィークの記事
Person of the Week: Ana Slavin and Nick Anderson
June 8, 2007
http://abcnews.go.com/WN/PersonOfWeek/story?id=3260220

昨年11月にニックとアンの活動を伝えるBBCの記事
Americans take up Darfur's cause
20 November 2006
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/6156610.stm

アナ・スレイヴィン(Ana Slavin)のインタビュー記事
Virtual Activism: Connecting Online to Raise Darfur Awareness
http://www.teenvoices.com/issue_current/tvteen_activist_february07.html

「Save Darfur(ダルフールを守ろう)」キャンペーン
www.savedarfur.org

「Eyes on Darfur(ダルフールを見つめる目)」
http://www.eyesondarfur.org/
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=19273218&comm_id=1808806

Oxfamのダルフール支援のページ
http://www.oxfam.jp/sudan/index.htm

国境なき医師団のプレス・リリース
While attention is focused on Darfur,
an emergency situation is unfolding in eastern Chad
08.06.2007
http://www.msf.org/msfinternational/invoke.cfm?objectid=0A0DABB4-15C5-F00A-259A5C8A40070665&component=toolkit.pressrelease&method=full_html&mode=view

アムネスティ・インターナショナルの
ダルフール・チャドの危機キャンペーンのページ
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=503

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『 お母さんが、わたしたちを売ったの 』   by ミッシェル
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☆☆☆  『 お母さんが、わたしたちを売ったの 』   by ミッシェル より。
♭♭♭   http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=19551166&comm_id=1808806


 アフリカに、ガーナという国がある。

 農業国で、特にチョコレートの原料カカオは、生産量、世界第2位、輸出量でも世界3位で、日本が輸入しているカカオの6割〜7割が、この国からやって来ていてる。

 さらに、鉱物資源も豊富で、金の埋蔵量は、南アフリカ共和国、オーストラリアに次ぐ 世界第3位だという。

 「豊かな農産物」と「豊かな資源」と聞くと、素晴らしく豊かな国に見えるが、残念ながら、ガーナの人びとの暮らしは豊かではない。

 ガーナは、世界で最も貧しく、最も重い債務を負っている国、「重債務貧困国(HIPCs)」の1つだ。

 そんなガーナの中でも、さらに貧しい家で、アドゥア・ナイニャヌ(Adjoa Nyenyanu)ちゃんは、生まれ育った。
「ある夜、お母さんが言ったの。
 『お前を学校に行かせてあげたいけど、家にはお金がないんだよ』って。
 『だけど、お母さんにはね、お金持ちの友だちがいてね、明日の朝、わたしたちのために、ここへ来てくれるんだよ。』、そう言ったの。
 そして、その人が学校へ行かせてくれるからって、わたしは、その人に付いて行くように言われたの。」

 アドゥアちゃんが、そういわれたのは、7歳の時だった。
 次の日の朝、アドゥアちゃんは、3人の妹たちと一緒に、お母さんに、8000円で売られた。

 アドゥアちゃんと妹たちは、知らない女の人に連れて行かれた先は、ヴォルタ湖のほとりの村だった。
 そして、アドゥアちゃんたちは、毎日、漁師の手伝いをさせられた。
 毎日、湖にもぐって、前の日に仕掛けた網を集めた。なにか、へまをすると、親方に木の棒で殴られた。
 そんな生活が5年間続いた。

 アドゥアちゃんは、今年1月、国際移住機関(IOM)によって救出され、リハビリやカウンセリングの後、「国際家族デー」の5月15日、同じ境遇の他の25人の子どもたちとともに、母親の元に戻された。

 「あの人たちは、子どもたちに、定期的に会わせてくれるって言ったんです。でも、二度と会うことは出来ませんでした。」
 アドゥアちゃんのお母さんは、アドゥアちゃんたちを売ったことを後悔していると言っている。

 当時、アドゥアちゃんのお母さんは、家族を養うために、毎日おかゆを売って、良くて1日に500円を得るのが精一杯だった。

 人身売買業者は、貧しさに苦しむ人々に、甘い言葉で付け込んでいる。
 ガーナでは2005年に、子どもの人身売買を禁止する法律が可決されたが、実質的には機能していない。
 今年、5月、ガーナの女性・児童福祉大臣ハジア・アリマ・マハマは、2年間眠っていたこの法律を厳格に適用すると表明した。

 2002年より、IOMは、ボルタ湖周辺の25の村から、612人の子どもたちを人身取引の被害から救出し、リハビリテーションを行い、マイクロ・クレジットの貸付を行うなど、子どもたちの帰還、社会統合などの支援を実施している。

 国際労働機関によると、現在、世界の子どもたちの12人に1人にあたる、1億2600万人の子どもたちが、最低の状況で働いている。
 特に、そのうちの7400万人の子どもたちは、危険な労働をさせられている。

 今、地球上で、840万人の子どもたちが、借金のためや人身売買、奴隷といった状態で、兵士、娼婦、ポルノ、その他、違法な大人の娯楽のために、時に国境を越え、世界中で強制的に働かされている。


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☆☆☆  『「いちゃもん化社会」という言葉に触れて・・・ 』   by のぅ
♭♭♭   http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=19502553&comm_id=2282336

★★★  『 つながり愛がエコロジー  』
♪♪♪   http://group.jocoso.jp/424256437497/index.nwz?act=view&seq=442778

★★★  『 第9条、未来の子どもたちに贈る最高の宝物 』
♪♪♪   http://group.jocoso.jp/katariai23/index.nwz?act=view&seq=430821&ref=1&page_no=0

★★★  『 セックスにオープンな中国の高校生 』
♪♪♪   http://www.excite.co.jp/News/odd/00081168651246.html

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【 転載 】
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 『 「犯行といえるような証拠は、極めてゼロに近かった」  』 by  ミッシェル

 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=20084457&comm_id=1808806

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1966年、6月30日午前1時30分頃、
日本の静岡県清水市(現在の静岡市)の
味噌製造会社の専務、
橋本藤雄さんの家から出火、全焼した。

焼け跡から、
橋本藤雄さんと、妻のちえ子さん、
そして、17歳の次女と14歳の長男の
一家4人の遺体が見つかった。

遺体には、刃物による多数の傷があった。

警察は、放火殺人事件として捜査を開始した。


4日後の7月4日、警察は、
住込みとして働いていた男の部屋から、
肉眼では見えない程度の血痕が付いてる
パジャマを押収したと発表した。

さらに、8月18日、このパジャマには、
放火で使用したものと同じ油も付着していたとして
その部屋の住人、袴田巌さんを逮捕した。



真夏の8月、エアコンもない部屋で、
警察は、毎日12時間、袴田さんを尋問した。

警察は、便器を取調室の中に持ち込み、
捜査官の見ている中で排泄をさせた。


そして、取調べ20日後の9月6日、
袴田さんは、自分がやったと、自白した。

検察は9月9日、袴田さんを
強盗殺人、放火罪で起訴した。


11月15日、裁判が始まった。

袴田さんは、
一貫して「無罪」を主張した。

裁判所は、
検察の提出した45通の供述調書のうち、
44通を違法として却下した。


唯一、裁判資料として認められた調書には、
「パジャマの上に雨合羽を着て侵入し、
 合羽を途中で脱いで犯行を行い、
 放火後工場内の風呂場でパジャマを洗った」
と供述されていた。


ところが、事件から1年以上たった
1967年8月31日、
味噌タンクの中から、5点の衣類
(ズボン、ブリーフ、アンダーシャツ、
 半そでシャツ、ズボン下)が発見される。

すると、9月12日、
捜査官が、袴田さんの実家で、
生地と切断面が一致する布を発見したと発表した。



1968年9月11日、
袴田さんに、判決が下った。

「本件においては
 正義の観念が最後の手段として要求するものは
 極刑以外にないものとの結論に達し
 所定刑中死刑を選択する。
 
 よって、被告人を死刑に処する。」


その後、1976年5月18日、
東京高裁で控訴棄却。

1980年11月19日、
最高裁で「死刑が確定」した。



しかし、その後、
検察が証拠として提出した写真が捏造だったことや、
味噌タンクから見つかった5点の衣類が、
実は、小さ過ぎて、
袴田さんは着ることが出来ないことなどが判明した。


1981年、
袴田さんと弁護団は、静岡地裁に再審請求。

1994年、
静岡地裁、再審請求を棄却。
袴田さんと弁護団は、東京高裁に即時抗告。

2004年、
東京高裁、即時抗告を棄却する。
袴田さんと弁護団は、最高裁に特別抗告し、
今、審議中だ。



今年、2007年、
一審の静岡地裁で死刑判決を下した
当時の裁判官、熊本典道元が、

「公判当初から無罪の心証があった」

「袴田君の犯行といえるような証拠は、
 極めてゼロに近かった」

「自白調書は臨場感がまったくなかったが、
 有罪を書かねばならなくなったため、
 心ならずも妥協して一通だけ採用した」

「39年間、
 有罪判決を書いてしまった責を背負ってきた。
 私に出来ることがあれば償いたい」
 
と語り、
6月25日、
再審を求める上申書を最高裁に提出した。




【 転載 】つづき
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 『 「犯行といえるような証拠は、極めてゼロに近かった」  』 by  ミッシェル  その2

 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=20084457&comm_id=1808806

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袴田さんは、
当時、2歳だった息子さんに向けて
次のような手紙を書いている。

「息子よ。どうか、力強く、
 勇気ある人間に育つように。

 そして、お前の友だちから、
 お前のお父さんは
 どうしているのだと聞かれたら、
 こう答えるがよい。

 僕の父は不当な鉄鎖と対決しているのだ。


 息子よ。
 お前が正しいことに力を注ぎ、
 苦労の多い冷たい社会を
 反面教師として生きていけば、
 遠くない将来にきっとチャンは
 懐かしいお前のところに
 健康な姿で帰っていくであろう。


 そして、必ず証明してあげよう。

 お前のチャンは決して人を殺していないし、
 一番それをよく知っているのが警察であって、
 一番申し訳なく思っているのが裁判官であることを。

 チャンはこの鉄鎖を断ち切って
 お前のいる所に帰っていくよ」



袴田さんは、30歳のときに逮捕されてから、
41年間、収容されたまま、
今年、3月10日、71歳になった。

今、袴田さんは、
弁護士はおろか、家族とも、
ほとんど、面会を拒否しているという。

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☆☆☆  『 ER緊急救命室とダルフール 』   by ミッシェル
♭♭♭   http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=20571983&comm_id=1808806

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日本でも放送されている
アメリカNBCの人気テレビドラマシリーズ
「ER(緊急救命室)」。

その第12シーズンの第15回(#260)放送のタイトルは、
「ダルフール(DARFUR)」だ。


NHKのサイトには、次のように紹介されている。

「アフリカ・スーダンの
 ダルフール地方にある難民キャンプ。

 国際的支援の遅れているそのキャンプで、
 カーターは現地の医師ダカライとともに
 医療活動を続けていた。

 劣悪な環境に加え、
 アラブ系民兵と、
 ダルフールの非アラブ系住民の衝突は
 今も続いている。


 そこに民兵にレイプされた
 血まみれの女性ガダが運ばれてくる。」



スーダン政権、ジャンジャウィードによるレイプは、
偶然や手当たり次第ではなく、
戦闘の戦略の1つだ。


レイプは、
被害者だけではなく、
被害者の属する部族に対して、
屈辱を与える行為になる。

彼らにとって、
敵の女性をレイプすることは、
敵に対する攻撃そのものだ。



初めのころは、
スーダン政府軍が
ダルフールの村々を空爆し、
住人を村の中に閉じ込め、
その後、ジャンジャウィードといわれる民兵たちが、
村へ押し入り、
女性や少女たちを男たちから引き離し、
「もっと肌の色が明るい子どもを授けてやるよ」…
などと言って、女たちをレイプした。


やがて、村々が破壊され、
たくさんの人々が、難民キャンプへ逃れるようになると、
スーダン政府の軍や警察、そしてジャンジャウィードたちは、
キャンプの周りを"パトロール"するようになった。


キャンプの中は、AUなどが保護しているため、
比較的安全だ。

しかし、キャンプを一歩出れば、
そこは「政府公認の非道地帯」だ。


そして、毎日の炊事に使う薪(まき)は、
キャンプの中にはなく、
薪を集めるには、
キャンプの外へ出なくてはならない。

そして、それは、女の仕事だ。

なぜなら、もし、
男たちが捕まれば命はないが、
女ならば、殺されるリスクが少ないと
考えられるからだ。


女性たちは、集団で、薪を集めに出かける。

そして、ジャンジャウィードたちは、
そんな、彼女たちを狙っている。


ERのシーンは、そんな状況を描いたものだ。





 【 転載 】 つづき

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☆☆☆  『 ER緊急救命室とダルフール 』   by ミッシェル
♭♭♭   http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=20571983&comm_id=1808806

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また、NPOの
Refugees International(RI-国際難民支援会)の
2007年6月に発表した報告書
「Laws without Justice」によれば、
スーダンの法律システムが、
レイプ攻撃を擁護していると言う。


スーダンの法律には「姦通罪」というものがあり、
未婚者の性行為は、ムチ打ち100回、
既婚者が、配偶者以外の人と性行為を行うと、
石打で処刑される。

そして、被害者が、
それがレイプであったことを
証明しなくてはならない。


もし、レイプだと証明できなければ、
その女性は「姦通罪」として、
逆に罪を着せられることになる。


スーダンの多くの裁判で、
その証明に必要なものは
4人以上の「信頼できる男性」の目撃証言だという。

それ以前に、軍や警察などの政府関係者については、
免責により、まともな裁判さえ行われないのだが。



2007年3月、
スーダンの大統領、アル・バジルは、
アメリカの3大ネットワークの1つ
NBCのニュースのインタビューの中で、

「レイプは、スーダン、
 そして、ダルフールの文化の中にはない。

 レイプなど、存在しない。」

そう、言い切った。

スーダン政府は、これまでも、
繰り返し、そう主張してきた。



2005年、
国境なき医師団のメンバーが、
4ヶ月間に起きた、500件におよぶ
ダルフールのレイプ被害の状況をまとめていたところ、
スーダン政府に突然逮捕され、国外追放された。

また、今年、2007年、
スーダン政権自身が調査を許可し、
レイプの状況と法システムを調査していたRIも、
1週間で、突然、国外追放させられた。



ERのシーンでは、被害者の女性の太股に、
2本の線が引かれていた。


ヒューマン・ライツ・ウォッチの
2005年のレポート
「Sexual Violence and its Consequences
 among Displaced Persons in Darfur and Chad」の中には、
ジャンジャウィードの攻撃の中で、
3人の男にレイプされた女性についての、
次のような記述がある。


「おまえは、"111"の女になるんだ。

 それぞれの"1"は、おまえの仕事だ。

 最初の"1"は、(大統領)オマル・アル・バジルへの食事の支度。

 次の"1"は、オマル・アル・バジルの奴隷。

 そして、最後の"1"は、
 アル・バジルが望む全てを、お前がやることだ。」


そう、男たちは言い、
そして、彼女の頬に、3本の線の傷をつけた。。


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美しい海と砂浜のリゾートで、子どもたちとの触れ合い
by ミッシェル
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アフリカの観光大国ケニア。

アフリカならでわの
野生の動植物だけではなく、
インド洋に臨む美しい海岸線は、
世界中に誇れる
リゾート地となっている。


毎年、世界中から150万人以上の人々が
この国を訪れ、
サファリの動物たちや
豊かな大自然、
美しい海と砂浜、
そして、素朴な現地の人々との触れ合いに
癒されていく。



2006年12月、
国連の機関・ユニセフ(国連児童基金)は、
そんなケニアの海岸リゾート地に住む
子どもたちのレポート
「The Extent and Effect of Sex Tourism and
 Sexual Exploitation of Children on the
 Kenyan Coast」を発表した。


それによると、
ケニアの海岸のリゾート地周辺の
12歳から18歳の少女のうちの
25%から30%、
数にして1万人から1万5000人が、
お金のためにセックス産業に関わっているという。


1年を通して、この仕事をしている少女の数は、
2千人から3千人、
そのうちの半数近くが、
12歳から13歳、
10%以上が、
12歳より幼い年齢から関わっている。


「16歳のとき、妊娠してしまったの。
 両親は怒って、
 わたしは家から追い出されて、
 学校をやめちゃったの。

 それで、彼と、都会のモンバサに行って、
 新しい生活をすることに決めたの。

 でも、3ヵ月後、彼は離れて行ったわ。

 わたしにはお金が必要だったけど、
 仕事なんてなかったわ。

 そして、お金も無くなって。

 わたしには、赤ちゃんを育てるために、
 お金が必要だったの。」

17歳の少女は、IRINのリポートの中で、
そう語った。


また、ユニセフのウェブサイトに
15歳になったばかりの、
アニーという仮名の少女が登場する。

アニーは、ケニア・モンバサのそばのムトゥワカで
生後11ヶ月になる
女の赤ちゃんと一緒に暮らしている。

「わたしには、もっとお金が必要なの。」
アニーは言う。

彼女は、毎日、男たちをさがす。

「ほとんどは、ケニアの男よ」

アニーは、400円から1000円ほどで、
男たちとセックスをする。

まれに、観光客とセックスをする。
観光客は、3倍のお金を払ってくれる。

「でもね、観光客を
 つかまえることは簡単じゃないわ。

 観光客を探しに、ビーチには近づけないし。 
 ビーチでは、いつも警察が見回っていて、
 逮捕されちゃうから。」

「あんまり、いい生活じゃないわ。

 乱暴に扱われたり、
 お金を払ってもらえなかったり、
 逆に、お金を取られちゃったりもするし、
 それに、とても言えない
 ひどいことをされることもあるし。

 怖い男の人たちに、クラブに連れて行かれて、
 観光客たちの目の前で
 セックスさせられたりもしたわ。」





 つづき

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美しい海と砂浜のリゾートで、子どもたちとの触れ合い
by ミッシェル
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子どもたちが観光客相手のセックス産業に関わるのは、
ここの人々の多くが、この問題を容認していることと、
子どもたちの家庭の貧しさが関係していると、
ユニセフは分析している。



これらリゾート地で、
子どもたちの「客」の60%は、
外国人、特にヨーロッパからの観光客だと、
ユニセフは指摘する。


毎年、世界中のお金持ちの国から
たくさんの男たちが訪れ、
サファリの動物たちや
豊かな大自然、
美しい海と砂浜、
そして、素朴な現地の
貧しい子どもたちとの"触れ合い"に
癒されていく。

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関連リンク
ユニセフのレポート(PDF)
「The Extent and Effect of Sex Tourism and
 Sexual Exploitation of Children on the Kenyan Coast」
http://www.unicef.es/contenidos/582/Kenia_Tourism_exploitation.pdf

ユニセフ
Report reveals Kenyan child sex industry of ‘horrific’ magnitude
http://www.unicef.org/infobycountry/kenya_37817.html
Sex tourism in Kenya: One girl’s story
http://www.unicef.org/infobycountry/kenya_37823.html






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★★★  『 光パワーがほしいよ 』   by のぅ
♪♪♪   http://geocities.yahoo.co.jp/gl/aoyagijin23/view/20070716

★★★  『 授業を通して考えたこと、学んだこと 06 』
♪♪♪   http://jocoso.jp/sei77/1838069

★★★  『 求める力 』
♪♪♪   http://jocoso.jp/sei77/1830816

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 【 転載 】
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「この子はジャンジャウィードなの」  by ミッシェル

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ニューヨークタイムズの記事の中で、
腕の中に抱いた女の赤ちゃんを見つめながら、
16歳の少女は、そうつぶやいた。



アフリカで最大の国スーダン、
そのダルフール地方では、

スーダン政府軍と、
ジャンジャウィードと呼ばれる
スーダン政府にバックアップされた
アラブ系の民兵たちによって、
非アラブ系の人々に対する攻撃が、
2003年より激化。

村々を爆撃し、家に火を付け、破壊し、
略奪、レイプ、そして虐殺を行っている。

そして、それは、4年経った今も続いている。



16歳のファトマ(Fatouma)ちゃんは、
青いビニールシートで作られたテントの中、
藁(わら)のシートの上、
自分の腕の中で、もぞもぞしている、
5日前に生まれたばかりの赤ちゃんを、
1日中見つめている。

そして、何度も何度も、
赤ちゃんの手や足の指を数える。



戦火を逃れて、
難民キャンプにやってきたファトマちゃんは、
キャンプの他の女性たち同様、
生活するためのお金を稼ぐために、
キャンプの外へ、焚き木を集めに行った。

しかし、そこには、
ジャンジャウィードが待っていた。


「ジャンジャウィードが追いかけてきて、
 でも、わたしは、早く走れなくて。

 彼らは、わたしを捕まえて、
 わたしを殴ったわ。」


彼女は、5人の男たちに、
一晩中、繰り返しレイプされた。

朝になり、彼女は逃げだした。

「お母さんは、わたしを見て泣き出しました。」


数ヵ月後、彼女は、
変な痛みを感じるようになった。

はじめのうち、彼女は、それを無視しようと努めたが、
やがて、お腹が大きくなり、
お腹の中で、何かが動くようになった。

お母さんに連れられ受けた診療所の検査は、
ファトマちゃんの妊娠を証明した。

「わたしは、泣き続けました。」



しかし、苦しい出産は、彼女を母親に変えた。

「お母さんになれて、わたしはとても幸せなの。
 この子を、心から愛しているわ。」

5日前に出産を終えたばかりのファトマちゃんは、
赤ちゃんを見つめながら、そう言った。

押さえられない母乳が、
Tシャツに、染みをつくっていた。


だが、美しい母子のシーンとは対照的に、
この母子の将来には、暗い影が差しかけている。


「赤ん坊は、しばらくは、
 私たちと共に暮らすだろう。」

ファトマちゃんの村の族長
アドゥーラは、そう答えた。

「私たちは、この子を、
 自分たちの子どもとして扱う。
 
 だが、この子の成長については、
 慎重に監視していく。


 もし、この子が、
 ジャンジャウィードとして振舞うようになれば、
 もう、この子は、
 われわれとは共に居ることはできない。」


「ジャンジャウィード」として生まれた子どもたちには、
たとえ戦争が終わっても、
辛い人生が待っているかもしれない。

そして、宗教や風習の中、
レイプされた女性は、
結婚も、新しい子どもを
産むこともできないかもしれない。


援助団体や助産師の話によると、
レイプは日常茶飯事であり、
ファトマちゃんのいるアルリヤドの難民キャンプには、
レイプの結果生まれた赤ちゃんが、
20人以上いるという。



国連や様々な人道援助団体は、これまで、
2003年1月の、
別々な男に、15回もレイプされた
ワディ・ティナ(Wadi Tina)さんや
2004年3月に、
10歳の少女を含めた16人の少女たちが、
150人の兵士に誘拐され、
レイプされた話など、
ダルフールの女性や子どもたちの惨劇を、
いくつも報告してきた。



【 転載 】 つづく



 【 転載 】 つづき

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「この子はジャンジャウィードなの」  by ミッシェル

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それに対し、スーダン政府は、
組織的なレイプ攻撃などは存在しないと主張している。

外務大臣のジャマル・イブラヒム(Jamal Ibrahim)、
「人道団体、援助団体が
 自分たちの活動のために作り上げたフィクションだ」と
語った。



今年2007年2月27日、
国際刑事裁判所(ICC)の主任検察官ルイス・モレノ・オカンポは、
スーダン政府の人道担当大臣アフマド・ハルンと
ジャンジャウィドのリーダーであるアリ・クシャイブに対し、
誘拐や殺害、レイプなど、
51件の罪状に関する100ページに渡る証拠を、
ICCに提出した。


2007年3月3日、
国連婦人開発基金(UNIFEM)のエグゼクティブ・ディレクター
ノエリーン・ヘイザー(Noeleen Heyzer)は、
ニューヨークタイムズに寄稿の中で、
ダルフールをはじめとして、世界中で、
女性や子どもが、戦闘の重要なターゲットとなっていて、
「女性と子どもたちの体そのものが、
 戦場となってしまっている。」
と、訴えている。



2005年2月に、ファトマちゃんの記事が、
ニューヨークタイムズに掲載されてから、
すでに、2年半が過ぎた。


当時、数万人と伝えられていた
ダルフールの死者の数は、
今や20万人以上となった。

現在、ダルフールでは、
250万人が、住む場所を終われ、
420万人が生活基盤を奪われ、
援助を必要としている。


人道援助団体コンサーンのディレクター
ジャヌ・ラオ(Janu Rao)によれば、
2006年には12.3パーセントだった
5歳以下の子どもの栄養失調率は、
今年に入り、緊急ラインの15パーセントを超え、
17.4パーセントとなった。

そして、1.4パーセントの子どもたちが、
深刻な飢餓状況におかれている。


1万3千人もの人道援助団体のスタッフが、
ダルフールの人々のために働いているが、
国連人道問題調整事務所 (OCHA)の
スーダン北部マネージャー
マイク・マクドナー(Mike McDonagh)は、
人道援助に対する妨害、攻撃は、
日に日に悪化しているという。

今年は、すでに80件の、
人道援助に関わる車両が攻撃され、
殺害事件も起きている。



もし、2人が無事であるならば、
ファトマちゃんは、18か19、
赤ちゃんは、2歳半になっていることだろう。


「わたしの夢はね、
 いつか、結婚することなの。

 わたしとわたしの赤ちゃんを愛してくれる、
 そんな人と結婚したいの。」

ファトマちゃんは、
2年半前に、そう語った。


彼女は、そして、あかちゃんは、
今も無事でいるだろうか。

そして、彼女は、
その夢を、今も信じているだろうか。

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関係リンク
ニューヨークタイムズのファトマちゃんの記事
Darfur's Babies of Rape Are on Trial From Birth
http://www.freerepublic.com/focus/f-news/1340944/posts

ロイター
Child malnutrition above emergency in West Darfur town
31 Jul 2007 16:18:14 GMT
http://africa.reuters.com/top/news/usnBAN132763.html


国連の9つの機関が立ち上げた
「国連紛争下の性暴力に対抗する活動」
(UN Action Against Sexual Violence in Conflict)

屈辱の戦争
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=16020904&comm_id=1808806

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【 転載 】
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『 理由は知らない。僕は、ただ生まれただけだ。 』  
by ミッシェル

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「きみは、奴隷を見たことがあるのか?
 きみは、奴隷市場を見たことがあるのか?

 当然、そんなものは、
 見たこともないはずだ。」

モーリタニア政府の人権委員会のディレクター
バマリアル・コイタ(Bamariam Koita)は、
2004年12月13日付けの
BBCのインタビューの中で、そう言った。



モハメドさんは、自分の苗字も、
そして、年齢も言うことはできない。

モハメドさんには、
苗字も年齢も所有する権利はなかったからだ。

「理由は知らない。
 僕は、ただ生まれただけだ。

 だけど、僕の家族は奴隷だった。

 僕たちは、ひたすら『主人』のために、
 きつい仕事をして、
 僕たちが受け取ったのは、
 暴力だけだった。」


軍が、モハメドさんの住んでいた
地方の砂漠の村を通りかかったとき、
モハメドさんは、
『主人』のところから逃げ出し、
軍に助けを求めた。

『主人』が軍に対し、
モハメドさんを引き渡すように要求したとき、
モハメドさんは、兵士たちに言った。

「『主人』のところに戻すくらいなら、
 この場で、わたしを撃ち殺してくれ」



モハメドさんは、自分が残してきた…
…そして、今も奴隷として扱われている…
8名の家族の名前を語る。


「もし、わたしが、誰かの名前を言ったら、
 それが、何かの証拠になるのかい?
 
 ならないだろ?」

モーリタニア政府の
バマリアル・コイタは、そう言う。

「われわれは、国際基準に準拠している。

 モーリタニアで、
 奴隷問題で起訴されたものは、
 今までに一人もいない。

 モーリタニアでは、当の昔に、
 奴隷制度は一掃されているのだから、
 当然のことだ。」











【 転載 】つづき

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『 理由は知らない。僕は、ただ生まれただけだ。 』  
by ミッシェル

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「わたしは、昼も夜も縛られていました。」

スキラ(Skyra)さんは、奴隷の母親から生まれた。

そして、疑問さえ持たず、
家畜のように扱われていた。


「わたしは、レイプされ続けました。」

怒りに震えながらスキラさんは語る。

「夜になると、彼らはやってきました。
 わたしには、止めることができませんでした。


 わたしの最初の子どもの父親は、
 『主人』でした。

 2人目の子どもの父親は、
 『主人』の息子でした。

 そして、この女の赤ちゃんの父親は、
 『主人』の従兄弟です。」


しかし、彼女は、いつまでも、
『従順な奴隷』でいることはできなかった。

スキラさんは、暴力の中、チャンスを待ち続け、
そして、逃げ出した。

それは、自分の娘を、
自分と同じような
『生まれながらの奴隷』から
救い出すための決断だった。



これまで、モーリタニア政府は、
国際社会から非難されている『奴隷制度』について
ただ否定するばかりか、
アムネスティ・インターナショナルなどの
国際的な人権団体の調査を拒否し続け、
また、国内でこの問題に対して活動している人々を、
逆に、弾圧し、取り締まってきた。


しかし、今月、2007年8月、
奴隷制度を本格的に取り締まる法律が、
モーリタニア議会を通過した。


現在、モーリタニアでは、
数千人とも数万人とも言われる人々が、
奴隷として扱われているというが、
その実態は、不明である。


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関連リンク
BBC
Mauritanian MPs pass slavery law
9 August 2007
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/6938032.stm

Slavery: Mauritania's best kept secret
13 December 2004
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/4091579.stm

Anti-Slavery International(反奴隷インターナショナル)の
今回の法律に対する声明
Mauritania makes slavery a criminal offence
9 August 2007
http://www.antislavery.org/homepage/news/latestnews.htm

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『世界の肖像』より


☆☆☆ 『 理由は知らない。僕は、ただ生まれただけだ。 』  by ミッシェル  より【 転載 】
♭♭♭  http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=21811246&comm_id=1808806





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★★★ 『 儚さや今日の命を愛おしむ 』★ 瘋癲老仁妄詩 2601
♪♪♪  http://blog.livedoor.jp/livejin23/archives/51053313.html

★★★ 『 愛すれど届かぬ愛を抱きしよ益にも害にもならぬが哀し 』★ 瘋癲老仁妄詩 2604
♪♪♪  http://plaza.rakuten.co.jp/rakujin23/diary/200708140000/

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かぐや姫と「ゆりかご」と女の子 by ミッシェル より

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☆☆☆ 『 かぐや姫と「ゆりかご」と女の子 』  by ミッシェル より【 転載 】
♭♭♭ http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=22319739&comm_id=1808806



今年、2007年、
インドのある田舎の村で、
1人の農夫が、
土の中から何かが出ているの見えた。

彼が、掘り出したものは、
生後2日の生きた女の赤ちゃんで、
見えていたのは、その子の手だった。


まるで、かぐや姫か何かの
おとぎ話のような出来事だが、
その現実は、
恐ろしく、そして、悲しいものだった。


ほどなくして、警察は、
赤ちゃんの祖父、
アブル・ラーマン、52歳を逮捕した。

彼には、未婚の娘が4人いて、
これ以上、自分の家に、
新たに「女の子」が加わることは、
無理だと考え、
赤ちゃんを、生きたまま埋めたと自白した。



インドでは、結婚するとき、
女性の家が、男性の家に、
お金を払う風習がある。

そして、それは、貧しい家庭では、
大変な負担となる。

このため、多くの人々が、
女の子を望まない。



インド政府は、20年以上も前から、
胎児の性別を知らせることと、
性別を理由に堕胎することを
禁止してきている。

しかし、国連の機関、ユニセフによると
生まれてくる赤ちゃんの性別の比率は、
インド全体では、
男の赤ちゃん1000人に対して、
女の赤ちゃんの数は、927人。

特に、インド・パンジャーブ州では、
男の赤ちゃん1000人に対して、
女の赤ちゃんの数は、
たった798人だ。



また、2003年の
ブリティッシュ・メディカル・ジャーナルに発表された
インド、デリーの
セント・ステファンズ病院の調査によると、
インドの(特にある地域の)女の子の赤ちゃんは、
男の子の赤ちゃんよりも、
多く死んでいるという。


「一般に、女の赤ちゃんの方が、
 男の赤ちゃんよりも、
 強い(生き残りやすい)にも関わらず、
 ある特定の地域では、
 女の赤ちゃんの方が多く死んでいる」

調査を行った、Dr.アモット・クマール医師は、
そう語っている。


別の調査では、
タミル・ナードゥという地域では、
生まれた1000人の赤ちゃんのうち、
16人の女の子が、
生まれてすぐに殺されてしまうといい、
また、インド南部の特に貧しい地域では、
女の赤ちゃんの死因の15%が、
殺害によるものだという。


実際、多くの母親が、
自分の子どもを殺害したとして、
逮捕、実刑を受けている。


だが、その母親も、被害者だと、
元ボンベイの高等裁判所判事
スレシュ(Suresh)さんは言う。

「赤ちゃんを殺すことは、
 夫や、義理の両親によって決定されます。

 もし、その命令に従わなければ、
 家族から、彼女が、
 攻撃の対象とされてしまいます。」

【 転載 】つづく




【 転載 】つづき
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かぐや姫と「ゆりかご」と女の子 by ミッシェル より

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今年、2月には、
複数の胎児、または、新生児のものと思われる
390個の骨が見つかり、
また、7月には、
ポリ袋に入れられて捨てられていた
白骨化した胎児、または、新生児の死体が、
40体分見つかり、医師などが逮捕された。


インド政府によれば、
この20年間に、
堕胎された女の胎児と、
生まれてすぐ殺された女の赤ちゃんの数は、
1000万前後だという。


だが、たとえ生きていたとしても、
「邪魔な女の子」は、
お金で、奴隷同然で、
売られてしまうケースも後を絶たない。



今年2月、インド政府は、
日本の「赤ちゃんポスト」とおなじような
何らかの理由で、
家族が育てられない赤ちゃんを引き受ける
「ゆりかご」を、
インド全国の
あらゆる場所に設置する方針を打ち出した。


冒頭のおとぎ話の赤ちゃんは、
名前もないまま病院に収容された。

体重は、1700グラムだった。

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関連リンク
BBC
Girls at risk amid India's prosperity
18 August 2007
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/6934540.stm

BBC
Baby survives being buried alive
5 July 2007
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/6275770.stm

BBC
Cradles plan for unwanted girls
18 February 2007
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/6373043.stm

RTE
Female baby skulls found in well
25 July 2007
http://www.rte.ie/news/2007/0725/india1.html

The Guardian
Foetuses aborted and dumped secretly as India shuns baby girls
July 28, 2007
http://www.guardian.co.uk/india/story/0,,2136618,00.html

Reuters
REFILE-Indian police find 30 bags filled with baby bones
23 Jul 2007
http://www.alertnet.org/thenews/newsdesk/DEL167328.htm

BBC
India police probe baby bone find
18 February 2007
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/6374083.stm

BBC
Life for India baby girl killers
17 April, 2003
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/2956065.stm

BBC
India rights campaign for infanticide mothers
17 July, 2003
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/3071747.stm

BBC
India's lost girls
4 February, 2003
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/2723513.stm

BBC
Indian girls 'more likely to die'
18 July, 2003
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/3076727.stm

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『世界の肖像』子ども関連
美しい海と砂浜のリゾートで、子どもたちとの触れ合い
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=20907510&comm_id=1808806


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☆☆☆ 『 マサイからの贈り物 』  by ミッシェル より【 転載 】
♭♭♭  http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=22733180&comm_id=1808806

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2001年9月11日、その日、
キメリ・ナイヨマ(Kimeli Naiyomah)は、
たまたまニューヨークを訪れていた。


そして、そこで、彼は、
巨大なビルに、旅客機が突っ込み、
崩れ落ちるのを目撃した。

彼は、非常にショックを受けた…
…と同時に、大変失望もした。

「ぼくは、消防士でも、何者でもなかったから、
 何の助けもできないって思ったんだ。」


その心の痛みは、
キメリを、生まれ育った自分の村へと向かわせた。


キメリの村は、
アフリカのケニアのサバンナにあった。

そこは、マサイ族の村であり、
キメリは、マサイの戦士として生まれ育った。


マサイ族の人々は、
現代社会と関わりを持ちながらも、
今でも、牛を中心とした、
伝統的な暮らしを大切に守っている。


水道も電気もない生活の中、
テレビも観ないマサイの人々は、
半年がたった2002年になっても、
9.11のニュースを知る者は、
ほとんど誰もいなかった。


そこへアメリカのスタンフォード大学へ
留学生としていたキメリが、
マサイの村へ帰ってきた。


キメリは、自分の家族をはじめ、
村の人々へ、自分の目撃したことを伝えた。

見たこともないアメリカという国で、
雲に届くような巨大な建物が火に包まれ、
そこから人々が、次々に、空から落ちてきて、
そして、たくさんの人々が死んでいったことを…。

「みんな、そんな高い建物のことも、
 そこから人が飛び降りることも
 信じられなかったみたいだよ。」

キメリはそう言う。


だが、キメリの言葉は、
マサイの人々の心をとらえた。

マサイの人々は、
キメリと同じように、
心を痛めた。

そして、1ヶ月もしないうちに、
マサイの人々は、
アメリカの苦しんでいる人々を助けるため、
「援助」を送ることにした。


それは、マサイの命ともいえる「牛」だった。


マサイの人々は、
14頭の牛たちに祝福を与え、
歌や踊り、そして、
「皆さんを助けるために、牛を贈ります」
そんなメッセージと共に、
牛たちを、ケニアのアメリカ大使館へと渡した。


キメリは、そんなマサイの人々について、
こう説明している。

「マサイは、とても、情け深いんだよ。
 時には、激情的でもあるんだけど、
 他人の痛みを感じて、
 簡単に泣いちゃう
 そんなタイプの人たちなんだ。」

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関連リンク
BBC
Kenyan Masai donate cows to US
3 June, 2002
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/2022942.stm

New York Times
Where 9/11 News Is Late, but Aid Is Swift
June 3, 2002
http://www.nytimes.com/2002/06/03/international/africa/03KENY.html

CNN
Interview With Kimeli Naiyomah
June 9, 2002
http://transcripts.cnn.com/TRANSCRIPTS/0206/09/sm.26.html

動画
http://simtech.stanford.edu/published_worlds/Maasai_donation001.mov

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☆☆☆ 『 250万人が、住む場所を追われ、20万人以上が死んだ 』   by ミッシェル 【 転載 】 ♭♭♭

♭♭♭  http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=26849561&comm_id=1808806

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アフリカ東部の国、スーダンのダルフール地方。
非アラブ系住民に対し
差別政策を採ってきたスーダン政府は、
2003年、
ダルフールの抵抗組織と、それを支持する市民の
一掃作戦を開始した。

スーダン政府軍は、
ハイテクの戦闘爆撃機や軍事ヘリコプターにより、
ダルフールの非アラブ系の村々を焼き払い、
地元のアラブ人に武器を与え、
非アラブ系の人々を襲わせ、
耕作地は荒らされ、
家畜は奪われ、
男たちは殺され、
無数の女たちがレイプされた。


2004年、国連の調査によれば、
戦争下におかれた子どもたちの21.8%が、
深刻な栄養失調状態となった。


国連が非常事態の境目としてる15%を
はるかに超えた事態に、
世界中は驚愕した。

そして、AUが平和維持部隊7000人を送り、
国連をはじめとする国際機関、NGOが、
数百億円相当の予算規模で、
ダルフール支援にのりだした。


その結果、2005年には、
深刻な栄養失調状態子どもたちの割合は、
11.9まで下がって行った。


2006年、国連安保理は、さらに、
2万人の国連の平和維持軍を送ることを決定した・・・。



わたしが、この話を書いたのは、
ちょうどそんな時期だった。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=223830336&owner_id=5766188


結局、スーダン政府は、国連の部隊の受け入れを拒否、
かろうじてAUの部隊は残ることにはなったが、
資金と権限の不足から、
ほとんど、効果的な活動はできなかった。



 【 転載 】 つづく


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 【 転載 】 つづき

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☆☆☆ 『 250万人が、住む場所を追われ、20万人以上が死んだ 』   by ミッシェル 【 転載 】 ♭♭♭
♭♭♭  http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=26849561&comm_id=1808806

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スーダン政府が、国連と合意し、
国連が、スーダンに平和維持部隊を派遣することを決定するまで、
この後、1年かかった。


そして、今年2008年1月1日から、
やっと国連の部隊(UNAMID)が展開されることとなった。


その間に、
深刻な栄養失調状態子どもたちの割合は、
2006年は、12.9%となり、
そして、2007年には、
ついに、非常事態の15%を超え、
16.1%になると、国連は発表した。



今年1月1日、展開される国連の部隊は、
スーダン政府や各国の思惑の違いや喧騒の結果、
必要なヘリコプターなどの機材も集まらず、
当初計画の3分の1の9000人だけ。

しかも、そのうちの6200人は、
もともと展開していたAUの部隊のメンバーとなった。


もうすでに、撤退を訴える部隊もあり、
実際に、まともな活動に入れるのは、
国連国連平和維持事務次官ジャン・マリ・ゲーノによれば、
「半年後」、
国連事務総長バン・キムンによれば、
「2008年の年末」だという。


スーダン、ダルフール地方。
250万人が、住む場所を追われ、
20万人以上が死んだ。

この20万と言う数字は、
もっとも少ない見積もりだ。



1月8日、展開したばかりの国連の車両が、
スーダン兵によって攻撃され、
タンクローリーが破壊、
運転手が重症を負った。


スーダン、ダルフールの人々にとって、
この地に、生まれた子どもたちにとって、
2008年は、
どんな年となるのだろう。



Have a happy new year!





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関係リンク
New York Times
Despite Aid, Malnutrition in Darfur Rises
December 27, 2007
http://www.nytimes.com/2007/12/27/world/africa/27darfur.html

France 24
New peace force to take over in Darfur
Sunday, December 30, 2007
http://www.france24.com/france24Public/en/news/world/20071231-darfur-sudan-african-union-un-force-peacekeeping.html

Sudan Tribune
World powerless to stop Darfur’s killing and carnage
Wednesday 26 December 2007
http://www.sudantribune.com/spip.php?article25320

Guardian (AP)
Darfur Peacekeeping Set Back by 6 Months
Thursday January 10, 2008
http://www.guardian.co.uk/worldlatest/story/0,,-7212402,00.html

Sudan Army Shoots at UN Darfur Convoy
Tuesday January 8, 2008
http://www.guardian.co.uk/worldlatest/story/0,,-7208869,00.html

「Eyes on Darfur(ダルフールを見つめる目)」
http://www.eyesondarfur.org/

アムネスティ・インター・ナショナル
ダルフールから目をそらさないで!
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=503

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☆☆☆ 『 世界の大切な海と、忘れられる人々 』   by ミッシェル
♭♭♭  http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27521243&comm_id=1808806

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昨年秋、日本では、
ほとんど話題に上らない国名が登場した。

「ソマリア」


日本のタンカーが、この国の沖合いで、
海賊に襲われたとして
ニュースになった。

実は、以前から、ソマリア沖の海域では、
海賊による事件が多発していて、
海運関係者には有名な場所だった。



だが、その海岸にあるソマリアに住む人々のことが、
世界の話題になることは、ほとんどない。


ソマリアでは、もう16年も内戦状態にあり、
ちゃんとした「政府」というものが存在しない。

一昨年の暮れから激化した内戦は、
首都モガディシュから60%の住人を追い出し、
ソマリア中南部を中心に、
生活基盤を破壊し、
国連やNGOの支援を妨害するなど、
ソマリアの人々の状況を、
この16年間で最悪のレベルにまで引き下げてしまっている。



さて、このソマリアで活動している
数少ない国際NPOの一つに、
国境なき医師団がある。

この団体は、フランス発祥なので、
欧米の白人たちが、
貧しい人々の国に医療援助をしているといった
イメージがあるかもしれないが、
実際はそうではない。

ソマリアで働く、
国境なき医師団の国際スタッフは60名ほどだが、
自分の国のために働いている現地スタッフは、
800人を超えている。


彼らは、このソマリアで、
毎年、1万人の入院患者と、
30万人の外来患者を診察している。


そのソマリアで働く国境なき医師団のスタッフと
地元の少年など5名が、
今月1月28日、爆弾事件により殺害された。


死亡した国境なき医師団のメンバーは、
これまで、スーダン、ダルフール地方やシエラレオネなど、
何度も国境なき医師団の活動に参加してきた、
ケニア人の外科医、ヴィクター・オクム医師、51歳。

フランス人の物資調達管理調整員で、
国境なき医師団では2度目の活動だった、
ダミアン・ルアール、27歳。

そして、ソマリア人運転手のビランの3名だ。



毎日、世界中の船が、たくさんの富を載せて、
ソマリアの沖を行き交う。

その海の向こうの土地では、、
外国から持ち込まれた武器や兵士たちに囲まれ、
医療も教育も福祉も、
何一つ国の保護のない中で、
人々が、毎日を必死に生き抜いている。


だが、世界の多くの人々の前には、
ソマリアは、
ハリウッドの戦争映画の舞台として、
そして、世界中の物資を運ぶ船が、
海賊に襲われる危険な場所としてしか登場しない。



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関連リンク
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/
1971年にフランスで設立
世界約70ヵ国に年間約4700人以上の医師、看護師、助産師らを派遣して、
危機に瀕した人びとの救援活動を行っている。
1999年度のノーベル平和賞を受賞

ソマリア:MSFスタッフ3名が深刻な事件に巻き込まれ死亡
http://www.msf.or.jp/2008/01/29/5992/msf3.php
2007年10の最も報じられなかった人道的危機
http://www.msf.or.jp/special/Top10_2007/
ソマリア:戦火を逃れてもなお人道機器に直面する避難民
http://www.msf.or.jp/special/Top10_2007/crisis07.html


BBC
Aid workers die in Somali blast
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/7213058.stm

ニューヨークタイムズ
Somalia: Aid Workers Killed in Blast
http://www.nytimes.com/2008/01/29/world/africa/29briefs-somalia.html

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 『 ・・・生きることをあきらめなくてはならない 』  by ミッシェル

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☆☆☆ 『 ・・・生きることをあきらめなくてはならない 』  by ミッシェル より【 転載 】
♭♭♭  http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=30401454&comm_id=1808806




最近、食べ物の値段が高いと
感じたことはないだろうか。

だが、世界には"感じる"だけではすまない人々がいる。


国連の食糧援助機関WFPは、
最近の食料価格の高騰により、
ほんの数ヶ月前まで、
援助を必要としてこなかった1億の人々が、
今、深刻な、食糧危機に直面していると、
今週火曜日(4/22)、声明を出した。


この半年で、食料費が倍近くになった。


WFPの事業は、食糧援助だけではない。

飢餓や食糧不足の根本的な解決のためには、
教育が必要だとして、
子どもたちが学校へと通えるように、
「給食プログラム」を行なっている。


だが、この食料費の高騰によって、
2000万人の子どもたちに行っている
「給食プログラム」の見直しを検討していることを、
WFPは、明かした。


WFPは言う。
「これは、音のない津波だ」



今、世界では、
毎日、25,000人が、
食べ物が"買えない"ために死んでいる。

そのうちの70%の17,000人が子どもだ。


今、この刻、世界では、
食べ物を"買うことができない"ために、
5秒間に1人、
子どもが死んでいく。


今、世界には、世界中の人々が、
十分食べられる食料があるにも関わらず・・・。



1日の収入が
2ドル以下であれば、
医療や学校を、あきらめなくてはならない。

1日の収入が
1ドル以下であれば、
食事の肉や野菜を、あきらめなくてはならない。

1日の収入が、
50セント以下であれば・・・

・・・生きることをあきらめなくてはならない。




『人が人を飢えさせている。
 飢餓は淘汰でも自然災害でもない…

 …人びとが良心の呵責(かしゃく)から逃れるために、
 あるいは現状に対する激しい怒りを抑え込むために、
 自分でもそれと気づかないうちに
 このエセ理論に頼っている。

 悲惨な光景を忘れ、
 抑え込み、
 ないものとして
 心の目を閉ざそうとしている……。

 そして「やり過ごそう」というわけだ。』

   http://mixi.jp/view_item.pl?id=81275
   世界の半分が飢えるのはなぜ?
    ―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実
     ジャン ジグレール (著), Jean Ziegler (原著),
     たかお まゆみ (翻訳), 勝俣 誠 (監訳)


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関係リンク
BBC
UN food chief urges crisis action
http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/7360485.stm

Washinton Post
Food Crisis Is Depicted As 'Silent Tsunami'
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/04/22/AR2008042201481.html

UN Food and Agriculture Organisation
http://www.fao.org/

UN Permanent Forum on Indigenous Issues
http://www.un.org/esa/socdev/unpfii/

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毎週2人のペースで、 戦場のジャーナリストが死んでいる。

by ミッシェル

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☆☆☆ 『 そのニュースの裏側で… 』  by ミッシェル より 【 転載 】 ♭♭♭
♭♭♭ http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=32244176&comm_id=1808806



「わたしたちは、
 このソマリアの10年間で、
 最悪の惨劇を目撃している」

赤十字国際委員会(ICRC)の
パスカル・ハント(Pascal Hundt)は、
2008年6月4日付の
ニュースリリースの中で、そう語った。

「多くの家族が、
 生きるのに極めて困難な状況におかれている。

 人々は、生き残る闘いに、
 すっかり疲れ果ててしまった。


 戦闘や犯罪の真っただ中で、
 家族のために水や食事を探すのは、
 毎日の試練だ。」



1980年10月18日、
ソマリアの、エチオピアとの国境に近い
アブドゥワク(Abudwak)地区で、
1人の男の子が産まれた。

その子は、ナセフ(Nasteh)と名付けられた。


ナセフが、10歳のとき、
この国で内戦が始まった。

それ以来、ずっと戦争の中で生きることになる。



そんな男の子が目指したものは、
ジャーナリストだった。

男の子は、いつしか青年になり、
フリーランスのジャーナリストとして活動し始めた。

やがて地元ラジオ局の編集主任となった。


また、22歳の時に、
ソマリアの公正と自由な報道、
そして、ジャーナリスト自身を守るための
ソマリア・ジャーナリスト組合(NUSOJ)の
設立メンバーの1人となり、
2004年には、南東支部の支部長に、
2005年、25歳の時に、NUSOJの副代表となった。


そして、
イギリスBBCが、彼をレポーターとして抜擢し、
2006年のアメリカのソマリア空爆以降、
ますます緊迫した状況を、
リアルタイムに伝えるナセフの声が、
世界へと向けて発信されるようになる。


そのときの様子を、
BBCの同僚セレステ・ヒックス(Celeste Hicks)は、
次のように語っている。

「ほんとに驚いたわ。
 彼は、教育システムが崩壊した国で育ったのに、
 英語で、堂々と、次々に報道していたわ。」



内戦と暴力が悪化し、
国連や国境なき医師団といった支援団体への攻撃
メンバーの殺害といった状況下で、
外国のメディアが入れない場所で、

ナセフは取材を続け、
また、NUSOJの副代表として、
ソマリアのジャーナリストたちの活動を守る活動を続けていた。



今年、2008年6月7日、夜の7時頃、
ナセフは、いつものように家路についた。

すると、自宅の前で、
2人の男たちが後ろからやってきて、
ナセフの名前を呼んだ。

ナセフが振り返ると、
男たちの手にはピストルが…。


ナセフは、胸や腹を撃たれ、
10分後、病院に運び込まれたときには、
もう、彼は死んでいた。



誰が犯人なのかは分かっていないが、
これが普通の犯罪ではなく、
ジャーナリストをターゲットにした
意図的な犯罪であると、
多くの人は考えている。


しかし、ソマリアは、内戦の中、
政府は崩壊し、
犯人を捕まえる警察も、
犯罪を裁く司法システムも存在しない。



戦場のような危険な場所をレポートする職業、
ジャーナリスト。

そんな彼らのことを、
「命知らず」のようにイメージする人も
いるかも知れないが、
実際には、「取材が命より大切だ」と
そう答えるジャーナリストは
ほとんどいないだろう。


どんな危険な状況を取材していても、
やっぱり自分の命を守ることは忘れない。

第一、死んでしまったら、
「伝える」ことができない。



ナセフ・ダヒル・ファラウ
Nasteh Dahir Faraah
享年27歳

妊娠したばかりのイディル(Idil)さんの夫であり、
生後10ヶ月の男の赤ちゃんム
ハマド・シディク(Mohammed-Sidiq)くんの
お父さんだった。



「もし、世界が違ったら、
 彼は、優秀な若手ジャーナリストとして
 活躍したことでしょう。」

BBCの同僚セレステ・ヒックスは、そう語っている。



この10年間、世界では、
分かっているものだけでも、
毎週2人のペースで、
戦場のジャーナリストが死んでいる。

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片手だけだったけど、この世界に生まれてこようとした男の子

by ミッチェルさん 

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☆☆☆ 『 アフガニスタンの感動的な話 』  by ミッチェルさん より【 転載 】 ♭♭♭
♭♭♭ http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=34997155&comm_id=1808806


 今年の夏は、オリンピックが開かれ、
また、日本のテレビのチャリティ番組では、
タレントが、
長時間、長距離を走るという企画が人気らしい。

人が、全力を尽くすという姿が、
人を感動させるのだろうか?



では、こんな話はどうだろう。

国連系の通信機関IRINは、
北京オリンピックの閉会式のあった8月24日、
シャリファ(Sharifa:仮名)さんという女性と、
その赤ちゃんについてレポートしている。



アフガニスタンに住む、
シャリファさんは23歳、
彼女にとって、4度目の出産の刻を迎えた。


「わたしは、前の3人の子どもと同じく、
 自宅で出産しようとしました。
 
 今回も、同じように生まれてくると思っていました。」


 でも、赤ちゃんの手が出てきたとき、
 もう、どうしようもないくらいの痛みを感じました。」



シャリファさんも、その場にいた家族も、
それが、異常事態だということに気付き、
シャリファさんを、医者に診せるべきだと考えた。


だが、この村には、病院もなければ、
医者もいなかった。


家族は、シャリファさんを、
病院のある村まで連れて行こうとした。

しかし、ここには、
車もなければ、その村へ向かう道すらない。


ロバに、彼女を乗せようとも考えたが、
赤ちゃんの片手が、もう出て来ていて、
シャリファさんは、ロバに座ることが出来ない。


結局、シャリファさんを、木のハシゴにくくり付けて、
みんなで担いで、病院のある村へと向かった。


だが、やっと、たどり着いた、その病院の医者は、
街の病院まで行かなければダメだと、
シャリファさんと家族に告げた。


その街の病院へは、200キロも離れていた。


だが、他に、方法はない。



 ( ・・・ つづく )

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 ( つづき ・・・ )

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片手だけだったけど、この世界に生まれてこようとした男の子 (その2)

by ミッチェルさん 

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シャリファさんの夫は、
車を借りると、200キロ離れた街の病院へと向かった。


「どのくらい、かかったかは覚えていません。
 
 覚えていることは、
 何時間も、痛みに泣き叫び続け、
 土ぼこりと涙で、
 わたしの顔は、泥だらけだったことだけです。

 病院に着く前には、気を失っていました。

 気付いたときに、告げられたのは、
 赤ちゃんが、死んでしまっていたことです。」


「男の子でした。とてもハンサムな男の子でした。」

「お医者さんは、言いました。
 わたしが、もう2度と、妊娠することはできないと」


「もし、車があって、道路があって、
 村に病院があったら、
 あんな痛みも感じずにすんだし、

 そして、わたしの赤ちゃんも
 死ぬことはなかったでしょう。」



アフガニスタンは、
アフリカのシエラレオネと並んで、
世界で最も、妊娠出産の危険が高く、
毎年、2万4千人以上の
お母さんたちが命を落としている。


日本では、
6,000回の妊娠出産で、1人のお母さんが、
スウェーデンでは、
29,800の妊娠出産で、1人のお母さんが、
命を落としている。


アフリカの国シエラレオネ、
そして、ここアフガニスタンでは、
6回の妊娠出産で、1人のお母さんが、
命を落としている。



そして、世界では、
"毎日"、2万8千人以上の赤ちゃんたちが、
5歳の誕生日の誕生日の前に死んでいる。

そして、この死んでしまう赤ちゃんの
99%は、発展途上国の赤ちゃんだ。


だが、国連のWHOやセーブ・ザ・チルドレンは、
この、およそ6割は、
比較的、安価なお金と、簡単な努力で、
助けることができたという。



シャリファさんやその周りの人たち、
そして、その男の赤ちゃんも…
全力を尽くして、命を懸けて、
200キロ以上の道のりを移動した。


数億人が観たというオリンピックの閉会式と
同じ日に伝えられたこのニュースは、

シャリファさんやその周りの人たち、
そして、この男の赤ちゃんは、

オリンピックの選手たちや、
チャリティ番組のランナーと同じように、
あなたを感動させることができただろうか。



残念ながら、わたしには、
そんなに感動的な話は書けなかったかもしれないけど、
そして、何億人も読むことはないけれど、


片手だけだったけど、
この世界に生まれてこようとした男の子、

そして、世界の、懸命に努力して、
だけど、今日1日を越えられずに死んでいく
2万8千人の赤ちゃんの、
1人1人の物語と、
生きた証が、ここにある。


 ( おわり )

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イスラエル軍の攻撃を逃れるために国連の運営する学校に、家族で避難してきた子どもたち・・・が攻撃された



☆☆☆ 『 倒壊した家の瓦礫の下から見つかった女の子 』by ミッシェル より【転載】 ♭♭♭
♭♭♭ http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1049090173&owner_id=5766188



1月7日〜1月10日 2009年01月11日04:56

●1月7日

写真1
イスラエル軍の攻撃を逃れるために
国連の運営する学校に、
家族で避難してきた子どもたち

7 January: Palestinian children are seen at the United Nations school where their families took shelter following Israeli strikes, in the refugee camp of Jabaliya
Photograph: Mohammed Saber/EPA
http://www.guardian.co.uk/world/gallery/2009/jan/09/gaza-human-rights?picture=341550372

※6日、ジャバリヤ難民キャンプの
国連の運営するファフラ中学校に対し、
イスラエル軍戦車が砲撃。

少なくとも43人が死亡した。

ファフラ中学校には、
戦闘の激化を恐れた地元住民約350人が避難していた。


【エルサレム前田英司】毎日新聞
http://mainichi.jp/select/world/news/20090108ddm007030004000c.html
 イスラエル軍は6日夜、初期調査の結果を公表。死者の中にハマス戦闘員2人が含まれていたとして、「ハマスが住民を『人間の盾』に利用したために起きた悲劇だ」と強調した。

 これに対し、UNRWAガザ事務所のジョン・ギング所長は「学校に戦闘員などいなかったし、校内からの攻撃もなかった」と反論する。UNRWAが運営する学校約20校が避難所として使用されており、所在地情報はすべてイスラエル軍に提供してあるという。
 イスラエル軍は一般住民の被害を避けるため、学校など安全な場所に避難するよう住民に呼びかけていた。



●1月8日
バスの車内から外を見つめる子どもたち

赤十字国際委員会(ICRC)は、
およそ250人の外国籍を持つ人々を、
ガザから連れ出し、戦闘の及ばない地域へ移動させた。

8 January: Palestinian children with dual nationality watch from inside a bus as it departs the International Red Cross headquarters in Gaza City. About 250 foreigners left Gaza under a Red Cross escort after several attempts to get them out of the conflict-stricken territory were cancelled because of shelling, officials said
Photograph: Mohammed Abed/AFP/Getty Images



一般のパレスチナ人は、
イスラエル当局の許可無く、
国内外を移動することは出来ない。


パレスチナ人居住地域は、
「イスラエルの道路」により分断され、
パレスチナ人居住地域間でさえ、
移動は困難となっている。


たとえ、移動許可があったとしても、
パレスチナ人は、何度も何度も、
イスラエル当局の検問で、
何度も、何時間も止められ、
あなたが30分で行けるようなところでも、
パレスチナ人たちは、
1日では、たどり着けないかもしれない。


イスラエル警察の嫌がらせは、
パレスチナ人にとっては日常で、
当たり前のように、
意味もなくパレスチナ人の若者は、
警察に拘束されていく。





【転載】 つづき


メディアの中には、
今回のことについて、
「イスラエル対ハマス」のように語ることもあるが、
それは、あまりフェアな捉え方ではない。


イスラエルは、パレスチナ人に対して、
60年以上に渡り、
土地を奪い、
文化を奪い、
そして、生活と命を奪ってきた。


だから、ハマスなどのイスラエルに対する攻撃は、
抑圧する者に対する抵抗運動だ。


もちろん、暴力を正当化するつもりはないし、
ハマスが正しいとも思わない。

だけど、だからといって、
イスラエルが、パレスチナ人を虐殺することの
理由には全くならない。


ナチスに占領されていたポーランドで、
ポーランド人の地下組織が、
ナチスに攻撃をしたからといって、
ナチスのポーランド人の大虐殺を
正当化する理由にはならないし、

南アフリカ共和国で、
アパルトヘイトで、抑圧されていた黒人たちが
暴動を起こしたからと言って、
黒人たちを虐殺していいはずがない。


かつて、南アフリカ共和国の白人たちが
「テロ組織の首謀者」と呼び、
28年間も刑務所に閉じこめられた男、
ネルソン・マンデラは、
後に、ノーベル平和賞を受賞し、
南アフリカの大統領となった。



ナチスの下、
抑圧されてきたポーランド人やロマの人々。

アパルトヘイトにより、
白人政権のに抑圧されてきた
南アフリカの黒人たち。


それと同じ扱いを受けてきた
パレスチナ人たち。



60年間も、そんな状況下におかれ、
抑圧されてきた者たちの抵抗と、
抑圧してきた者たちの、さらなる抑圧と虐殺は、

決して、比較して語れるものではないはずだ。



●1月9日
国連によれば、
今回のイスラエル軍による攻撃で、
パレスチナ人の子どもたちは、
250人以上殺され、
1000人以上が怪我を負わせられた。

つまり、全体の死傷者3分の1は、
子どもだ。


●1月10日
イスラエルは、
さらに攻撃を激化すると警告した。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7822049.stm


写真3
倒壊した家の瓦礫の下から見つかった女の子
http://www.guardian.co.uk/world/2009/jan/09/gaza-palestinians-israel-evacuees-zeitoun


--------
12月29日
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1049001627&owner_id=5766188

12月31日
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1049040575&owner_id=5766188

1月1日
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1049053635&owner_id=5766188

1月5日
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1049057191&owner_id=5766188

1月6日
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1049060572&owner_id=5766188


--------
「赤ちゃんは、お腹を空かせて、死んだの」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1045582488&owner_id=5766188

「『おめでとう!』って、パレスチナの国旗を振るよ」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38567771&comm_id=1808806

ターニャちゃん
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=246799613&owner_id=5766188


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