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宮崎の神話=高千穂・青島・鵜戸コミュの堀川祭り

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今週の土・日に日南で堀川祭りが開催されます。

油津の赤レンガ館では、土曜の18時からライブ(JAZZとかアコースティックだったと思います・・・)も開かれるそうです。

コメント(6)

外山いつきさん、日南の方ですよね。
若きリーダーとして、注目しておりますし応援しておりますよ!!


私は政治的なことはチンプンカンプンで分からないのですが、
宮崎県を盛り上げていく一つとして、宮崎県に残る神話や伝説や祭り、そして文化財や民俗文化などを大切にしていけたらと思っています。


どうぞ、よろしくお願いします。m( _ )m
油津港、堀川運河に関する情報です。



宮崎県の海岸には地形の利によって天然の良港が点在し、平安の頃から大陸との交易の中継港として利用されてきたのだという。

油津の港もかつてはそうしたもののひとつだった。

大陸の物資によって利益を得ようとする者たちの中には、海賊行為に及ぶものもあった。
いわゆる「倭寇」だが、油津の港がそうした倭寇の拠点となった時代もあったという。

「油津」は「吾平津」がなまったものともいい、吾平津神社に祀られる吾平津姫との関連が語られることも多い。

他説には荒波の無い穏やかな海面が「油のような」様子であることから「油津」と呼ばれるようになったとも言う。

港の東方は尾伏のハナ(現在の大節鼻)が海へ張り出し、天然の防波堤のような役割を持って入江のような地形を作り、油津を良港としている。尾伏のハナは本来は島であったものが古い時代に広渡川の洪積作用によって陸地と繋がったものであるらしい。

江戸時代に入ると幕府が海外との交易を長崎で独占したために、交易中継港としての日向沿岸は急激に寂れていったということだが、時代が安定し、伊東氏が飫肥藩財政の中心として飫肥杉による林業振興を進めるようになると、油津港は木材の積出港として活気を取り戻すことになった。

そして1686年(貞享3年)、広渡川河口部と油津港とを繋ぐ堀川運河の開削が完了すると切り出された木材の港への搬出の効率は飛躍的に向上、油津港から「千石船」に積まれて送り出される「弁甲材」は藩財政に大きな富をもたらすことになった。江戸末期には油津港から送り出される物資の三割ほどが「弁甲材」であったという。

時代が明治に入ると油津港と周辺の町は自由経済の繁栄を謳歌した。鉄道が普及する以前には、油津港は関西以東への海路の基地ともなり、港周辺には乗船を待つ人々を受け入れる旅館が数多く建ち並んで賑わったという。飫肥杉の「弁甲材」の産出が最盛期を迎えたのは戦後の昭和20年代であったという。「弁甲材」は造船材として適していたことから大きな需要を生んだものだったが、しかしやがて造船技術の近代化に伴い造船材としての木材の需要が落ちると、当然のように飫肥杉の需要も落ちた。「弁甲材」を筏に組んで堀川運河を曳く「弁甲流し」も、今は観光用のイベントとして伝えられるのみである。
運河沿いに歩いていけば、赤い鳥居の乙姫神社、優雅に眼鏡の形を水面に映す「堀川橋(乙姫橋)」。何よりも思い出になるのは、まちの人々の笑顔。明るいあいさつで始まるふれあいのドラマが、旅の魅力をふくらませてくれます。

 
マグロ基地として名が知られた港町。それが、日南のもう一つの顔。そして、港へと流れる堀川運河は、映画「男はつらいよー青春編ー」のロケ地になったところです。あの、寅さんの人情を思わせるあったかーい空気があちらこちらにあふれ、初めて訪ねても居心地の良い、人情と懐かしさのある町です。
ちなみに、上記の男はつらいよシリーズでは、
宮崎県都城市出身で小泉今日子の元旦那様だった
永瀬正敏(ながせまさとし)が出演しています。

厳密には都城弁と日南弁はアクセントやらが違うところがあるのですが、かなり宮崎弁キイテます。

ビデオショップで借りて観ました。
お祭りなんですか、週末。行ってみようかな。

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