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信長公夫人濃姫〜帰蝶〜コミュの妙覚寺

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 何年か前のことなので、写真もなしで申し訳ないのですが、
ちょっとコミュの皆様にもご紹介したく思ったので、書き込みします。
 タイトルにある京都の妙覚寺。司馬遼太郎さんの国盗り物語では、斉藤道三が若き日に僧として修行をした所として登場しますし、本能寺の変では同時に織田信忠がこのお寺で宿泊、変を聞きつけて、二条城で討死にしたという話には度々出てきますが、表舞台としては余り登場しないお寺です。

地元の方に聞きながらで行った感想ですが、まず、観光スポットではない、かなり近所で聞いたのによく知られていない有様でした。
 ションボリしながら妙覚寺にたどり着くと、可もなく不可もなくといったそこそこの敷地内にお寺がありました。
一般的なお寺と考えれば、ごく普通なのかもしれません。自己満足で来たので散策して帰ろうとした時に受付の案内を見付けました。
  入ってみると中は意外と広く、良かったのは妙覚寺のお坊さんです。史実と小説を分けながらも、上手なバランスでお話をしてくださいます。お坊さんがおっしゃられるのは、やはり歴史というのは常に勝者の歴史なので、斉藤や織田、むろん豊臣も結果同じで遺跡はもちろん、真実までもが敗者は曲げられてしまうということです。
 必見なのが2つありました。
 1つは妙覚寺の本尊(栞が手元にないので、わからないっ。
スミマセン)信長は京都での宿所に本能寺より実は妙覚寺で宿泊した回数の方が多かったそうです。理由として、斉藤道三が敗れる時に「児 まいる」で送った遺言に出てくる息子が遺言とおり妙覚寺に入り、住職の座に就いていたということです。妻の弟が住職を務めるお寺に宿泊していた信長。その本尊というのは当時のまま残っているものだとのことで、信長・信忠は見ているだろうし、もしかしたら濃姫も見たかもしれないという、お寺のお坊さんの言葉に興奮してしまいました!!
 2つ目は庭園。
名前も法姿園(ほうしえん)というそうです。庭園の縁側に円座を敷いて、お坊さんが簡単なお茶と菓子を用意して下さいました。観光スポットであれば、人だかりでとてもこのようなおもてなしは受けられないと思います。身頃は若葉の頃と紅葉の頃だとのことです。
 お坊さんの話によると、この妙覚寺は道三や信長が滞在した場所とは違うそうです。現在の本能寺が実際の本能寺があった場所と違うのと同じです。それは豊臣政権が神社仏閣を移動させた政策に起因するのだそうです。それでも当時の遺物もあり、濃姫たちに思いを馳せたいい経験でした。
 機会があれば、訪れてみて下さい!
 ちなみに、お坊さんの話では俳優の原田大二郎さんが信長ファンで、何度か妙覚寺に足を運ばれたそうですよ。。。
 
 

 

コメント(1)

先日本能寺へ行ってきたのですが、宝物館の展示品の解説に妙覚寺のことが少し触れられていました。
本能寺の変の前日に茶会を催していたように、妙覚寺でも何度か茶会をしていたそうです。当時の地理から言えば、両寺ともに近い位置にあったので交互に使っていたのではないでしょうか?
この日、妙覚寺へも一緒に行こうと思ったのですが場所がよく分からず帰ってきてしまいました。二条城へも足を運んだのですがその日は休館日で、泣く泣く写真だけを撮って帰りました。
今度はちゃんと下調べをしたうえで妙覚寺と二条城へ行こうと思います。

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