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信長公夫人濃姫〜帰蝶〜コミュの見聞録

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コメント(11)

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9888131&comm_id=1160294
以前いただきましたgaoさんの岐阜城禄です。
清洲城に行った時の写真です。


城内に桶狭間出陣前の様子を再現した人形模型が展示してあります。
写真はその人形の信長公と濃姫です。敦盛を舞ってるところです。


清洲城裏にある公園に濃姫の銅像があります。


お城近くの「清洲ふるさとの館」という土産店で「濃姫」というケーキが売られてます。
同じ種類で「清洲城」と「信長公」もありました。
味は。。。(。-`ω´-)
岐阜城に行った時の写真です。


歴史資料館の体験コーナーやってきました(*≧∀≦*)
信長公と濃姫です。


土産店で「織田信長」と「濃姫」という日本酒が売られてます。
ちょっと解りにくい写真で申し訳ないですが。。。
日本酒飲めないんですが各1本ずつ買ってしまいました。
信長は辛口で濃姫はうまくちらしいです。
先日、岐阜城へ行った際に信長と道三に縁のある場所へも行ってきたのでご報告させて頂きます。

始めに「道三塚」に行ってきました。
場所はJR岐阜駅、もしくは名鉄岐阜駅から岐阜バス「?長良・さぎ山まわり」「?三田洞団地」「?八代」行きのどれかに乗車し、「メモリアルセンター前」で下車。歩いて3分程の岐阜市道三町の住宅街の一角にあります。目印は家具屋で、その斜め裏手にあります。
先に「長良川国際会議場北口」で下車し、お鍋の方の依頼で建てられた織田信長父子廟、墓のある崇福寺へ赴いてからならば、歩いて5分程の距離にあります。
塚は本来、崇福寺の西南に道三の遺体を埋葬してあったそうですが、長良川の氾濫などで流され現在の地に移して碑を建てたそうです。

次に崇福寺へ行きました。
先に述べた廟、墓以外に岐阜城最後の城主織田秀信(三法師)が関ヶ原戦いで西軍に属して落城した際に、戦死した兵たちの霊を弔うために城の床板を天井に張った「血天井」や稲葉一鉄寄贈の梵鐘などもあります。
斎藤家の家系図があったのですが、道三からの血筋には義龍と龍興としか書かれていませんでした。明智光秀の家臣となった斎藤利三の家系は詳しく書かれていました。
拝観料は大人で150円です。

次は岐阜城です。
ロープウェーから岐阜城へと続く道の途中の城壁屋根に織田瓜(家紋)をあしらった瓦がありました。道三が考案した立波の紋は天守入り口に飾られた垂れ幕にあった以外、特に見当たらなかったです。
出土した瓦や茶器、槍や脇差などが主に展示してありました。
以前史跡のトピックに載っていた濃姫の絵のことですが、左下に描いた人の名前とともに1964-65というサインがありました。他に、道三や光秀などの絵もあったので、紹介用の絵を誰かに描かせた、若しくは描いた人が寄贈して紹介用に飾ってあるのではないでしょうか。この濃姫の絵の隣にはNHKで使用された濃姫の打掛も展示してありました。
隣接する資料館には陣羽織や日本の城の写真(旧大阪城など)がありました。入り口入って左手には、ショーケースの中に信長や道三、城に関する資料や文庫、漫画などが並んでいました。
拝観料は200円でこのチケットで資料館も見ることができます。ちなみにロープウェーは往復で1050円かかります。
12月10日まで「道三から信長へ」という特別展示をしていたそうです。授業やバイトさえなければ飛んで行ったものを、と後悔がやみません。

下山後、金華山山麓の岐阜公園内にある織田信長居館跡をみました。とても広いスペースで、濃姫はここで城から帰ってくる信長を待っていたのだろうかと感慨に耽りながら見てきました。宣教師のルイス・フロイスも著書のなかで壮麗だと書いているほどなので、そんな広い豪華な家の中で待つ濃姫をいろいろと想像もしてみたりしたり。

岐阜市歴史博物館は休館日で行けなかったです。

博物館から歩いて5分程の距離にある常在寺には、濃姫寄贈の道三の絵があるそうです。ここは道三縁の地です。
行ってみたのですが、誰もいないし、どこに何があるのかもわからないので、門前の紹介文とお寺の写真だけを撮って帰ってしまいました。

最後にJR岐阜駅、名鉄岐阜駅から歩いて5分程の距離にある円徳寺に行きました。
ここは織田信秀(信長父)と道三が争った際に亡くなった兵を弔うための織田塚があり、織田秀信が岐阜城落城後に剃髪、出家した場所です。
常在寺からは目の前にあるバス停「大仏前」で乗車し、「金宝町」で下車すると歩いて3分もかからないところにあります。下車する場所は金宝町ですが、交差点は金宝町ではないのでお気をつけ下さい。私は迷子になりました(汗)

写真も撮ったのですが、容量オーバーで載せられないのが残念です。

長々と書かせてもらいましたが、濃姫と関わりがない場所が多くてごめんなさい。今度、時間がある時には信長の許へと嫁ぐ濃姫の輿がでた鷺山城跡へも行ってみたいと思っております。
実家(名古屋)に戻ってきているので、尾張にある関連場所へも行こうと思っております。よろしければここへ載せてもよろしいでしょうか?
稚拙な文でありますが、どうぞご容赦下さい。    
上に書き込んだコメント関連でひとつ疑問がありましたのでここへ書き込ませていただきます。

山麓から岐阜城付近まで楽に運んでくれるロープウェーの売店で売っていた本、2800円也に書いてあったことなのですが、濃姫再婚説というものです。
濃姫が信長に嫁ぐ前に、別の武将に嫁いだ(婚姻関係を結んだ)そうで、その後直ぐにその武将が亡くなり実家に戻った。すると、直ぐに信長との縁談が持ち上がって……というような内容だったと思います。
何分、見本を立ち読みした上に金銭面で買うことができなかったので詳しいことを書けないのですが、皆さんはご存知でしょうか?

別にトピックたてるべきならばやり直します。
>kukacchonyan様

濃姫が土岐頼純に嫁いでいたという説ですね。
土岐頼純自体が、年齢経歴等いろんな説があり、よく分かっていないのが本当のところです。
土岐頼純と道三の娘が結婚したという説もありますが、濃姫と確定ではないです。
また、道三の娘と結婚した時、土岐頼純が23歳なのか、48歳なのかも分かっていなかったと思います。
残っている肖像画からは、40代くらいの男性に見えるそうです。
48歳の男性と、12歳の濃姫の婚姻が成立するというのは、ちょっと疑問に感じますね。
道三の娘だから、濃姫の事だろうと思われただけな様な気が……。
明けましておめでとうございます。
だいぶ、日にちが経過してからのスレで申し訳ありません。
今年もこちらで色々、教えて頂きたいと思います。
よろしくお願い申し上げます。

  濃姫再婚説についてはマユツバに思います。
 絢女様の説が至極、当然かつ自然な考えだと思われます。
 土岐頼純の妻が道三の娘だというので、濃姫だと思われただけのことでしょう。それより、濃姫の兄弟姉妹というのは一体、どれほどいたのでしょうか?
 織田家の家臣になった者、妙覚寺の住職になったという男児の他、姉小路頼綱(三木自綱)の妻の他、信長の養女となって嫁いだ娘もいるみたいですよね!?(自然、濃姫が母親代わりということか?)語るほどの資料が出ていないのでしょうが、道三死後、濃姫は天涯孤独かと思いきや、意外と兄弟姉妹、明智光秀のような縁戚筋が多くいたようで、小説に出てくるような世を哀しむという気持ちはあっただろうとは思いますが、そんなに淋しいものではなかったのでは!?という気がしてきます。
濃姫の兄弟って、何人いたんでしょうねぇ。

言継卿記には「信長本妻兄弟女子十六人」という記述がありますから、姉妹は16人以上いたのかな?
ただ、女子には女性という意味だけじゃなくて、子供や妻の意味もあるから、濃姫の兄弟の妻や、兄弟姉妹の成人していない子供も含まれてるかもしれませんけど。
 16人て多い気がしますが、絢女様の解釈であれば、自然とそれ位はいそうですよね。
 この言継卿記の記載で伺えるのは、濃姫の元で彼女の血族が一致団結して結束がある様子です!
 あと、これに出てくる信長がしうとめ(姑)に挨拶に行くので、門前まで同道したという話。
 姑って、小見の方のことですか?
 小見の方は、濃姫の輿入れ後に亡くなっているのでは!?
小見の方が亡くなったと出てくるのは、美濃国諸旧記ですね。
後年書かれたものである事と、明智一族に関して不確かな記述が多い事で知られている文献ですので、判断が難しいところですが、一次史料の方が信憑性が高いと思いますので、永禄12年には小見の方は生きていたと考えるのがいいと思います。
斎藤道三の正室で斎藤一族の長老であり、土岐氏の血筋でもある小見の方に頭を下げる事で、斎藤家と美濃の国衆にも頭を下げたと同義になる事から、信長はわざわざ自分で足を運んで、禮にいったのではないでしょうか?
姑が積極的に仲裁に動いたとは思いにくいので、基本は濃姫が仲裁をし、信長はそれを受ける形で、一族を代表する小見の方に頭を下げに行ったのだと思います。
>絢女様 たっちん様

回答ありがとうございます。
返事が遅くなって申し訳ありませんでした。
この時代の婚姻関係や親族、兄弟関係は複雑過ぎてついていけなくなるときがあります(汗)
自分、もっと勉強が必要ですね。頑張ります。


画像は名古屋城で撮った紙人形の濃姫です。
誰もいない、薄暗い場所に大名行列を模した形で展示してありました。
名立たる侍達の他に千姫と築山殿もいました。
何分ケータイで撮ったものなので劣化の激しい画像ですが、ご容赦ください。

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