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いつもは霊感のある按摩師さんのお話を書いているものです。

今日は今は亡くなられたある友人が小学校から社会人になった時期までに体験したある出来事について、昔ブログに書かれていた話(今は閉じられていますが)を思い出してご本人が書いた呈で書いてみたいと思います。

下の文章の私は、私ではなく友人ですのであしからず。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は小学校5年〜6年生の2年間をとある片田舎の町で過ごしました。
当時父は芸術系の大学の講師をしていましたが、助教授の昇進争いで破れ、派閥の力学とかでとある地方の新設まもない美術系短大の助教授に都落ち同然で赴任したからです。

都会育ちの私は最初は生活環境の違いに戸惑いましたが、元々都会で小学校3年から少年野球のチームに入ってた事があり、最初母親が赴任先の田舎のチームに入る事を反対(元々母親は野球をすること自体に反対でした)していたのですが、5年生の2学期から父の説得もあって入る事ができてから、友人も増えてそこそこに楽しい小学校生活を送る事ができたと思っています。

そんな小学校6年生の夏休み、お盆前のちょうど今の時期の暑い日の事でした。
平日は練習がない事もあって、チームの同級生らと市内の端にある山間部の川に泳ぎに行くことになりました。

お弁当を作ってもらう際に母から『孝之君の所にたまには遊びに行けば』と
嫌味を言われて少し気が重くなったのを覚えています。

孝之君と言うのは私が通っていた小学校の同じクラスのクラスメイトで、転校当初から2学期に入るまではよく遊んでた男の子でした。

孝之君は4年生から県の中心部の私立小学校から転校してきたそうで、実家は地元の有力な実業家の家でした。

しかしなんで地元では名門の私立小学校からこの片田舎の公立の小学校に転校したのかは小学生の私でも不思議に思ったものです。

後から知る事になるのですが孝之君の母親はこの地元を治めていた大名、明治以降は家族の一族の出で、当時も没落したとはいえ地元ではある種の敬意を払われている存在でした。

そして孝之君の母親は結婚を約束した相手がいたにもかかわらず、父方の祖父の意向もあり強引に政略結婚させられたとの事でした。

ですが孝之君の妹の出産時に母親が体が弱いこともあって出産時に亡くなったそうで、その妹もほどなく後を追うように亡くなったそうです。

そして父親はほどなく再婚、しかしあまり母親に懐かなかったそうでついに孝之君が小学校の3年生の時に再婚の継母が男の子を出産。

彼は実家のあるこの地方に引き取られ、当時は祖父母と暮らしていました。
祖父は先々代のこの地元の市長でしたが、今は本宅である屋敷を長男に譲り、そこそこ広い住宅ににお手伝いさん数人と奥さんである祖母、そして孝之君と暮らしていました。

同じクラスである孝之君は体が弱く、今ならいじめられるような存在だったと思いますが『お殿様の末裔』という事で旧の住民からは一目置かれる存在で、そおれが学校側や生徒の親にも浸透しており、当時近郊の都市のべッドタウンとして開発が始まっていたこの地元での新参の生徒も旧の住民のそんな雰囲気を察してか彼をいじめる者はいませんでした。

しかし孝之君自体が内向的な性格だった事もあり、あまり人と交わらない子供でいつも本を読んで、絵が得意な(地元のコンクールではいつも最優秀賞でした)彼を交わるものはごく限られていました。

何人かの中学は私立に通う予定の成績優秀な男子生徒と父が勤めていた短大が主催していた子供美術クラブの生徒の中の何人かが友達と言えるかどうかわからない程度の付き合いをしており、やんちゃな男子生徒には近寄りがたい存在でした。

しかし彼が心を許していたのはごくわずかな生徒だけだったと思います。
しかし私が転校してきた当時、母親の意向でその美術クラブに参加させられ
その際にめずらしい事だったそうですが彼から私に話しかけてきたこともあり
周りの大人が『気に入られた』と思い込んだのか私は小学校5年生の夏休みまで
よく彼と遊んでいた記憶があります。

少し古いが手入れは行き届き、庭の木も庭師さんが定期的に剪定にくる孝之君の自宅で絵を描いたり、2人でそれぞれ本を読んだりするのは苦痛ではなかったんですが、私はそれよりもクラスメイトが野山に遊びまわる姿をうらやましく思う子供でした。

そしてなにより遊びに行った時に孝之君のガールフレンドといわれる女の子も孝之君の自宅に遊びに来る時もあり、そんな時に母親から無理やり遊びに行かされても何かこの2人はとても仲が良く、私は場違いな感じで次第に彼の家に行くのが苦痛になっていました。

孝之君のガールフレンドは同級生で隣のクラスの女子生徒でした。
4年生から同じ時期に転校してきたということで彼女も体が弱く、読書と絵がうまいという事が馬があったのかどうかはわかりませんが当時から有名なカップルとして学校では有名だったそうです。

しかしその事を父に訴えて、少年野球のチームに入団して以降は日曜日が練習か試合という事もあり、次第に孝之君とは疎遠になっていきました。
(美術クラブも少年野球が休みの日に行くぐらいでした)

しかし孝之君は別に私がいなくても彼女がいれば平気な感じでした。
それが3学期に入ると次第に様子が変わってきたのです。

孝之君の彼女、R子がいる隣のクラスに男子の転校生が入ってきたのです。
彼、W君は子供心に見ても繊細そうな美少年でした。
しかも喘息持ちという事でしたが、走る事も含めてスポーツは万能に近く、私の属する少年野球チームの監督がスカウトに自宅に何度も行った程でした。

そんなW君とR子が急接近していき、3学期に登下校時に一緒にいる姿が目撃されるようになったんです。
(ちなみに孝之君は体が弱いという事で、いつも朝は校門まで祖母が一緒についてきていました、帰りは一人でしたが)

お勉強はそこそこでも体が弱く、力もなく、容姿も並以下、そして特殊な環境に育ち内向的な孝之君はそれに対して異を唱える訳でもなかったようでしたが、あきらかに表情は前以上に暗くなっていたのを覚えています。

そして6年生の時にとどめを刺す出来事が起こりました。
校区内に大規模な宅地開発が進み、今の小学校では手狭になったという事で幾つかの地区が新しく出来た小学校に通う事になったのです。

6年生からR子とW君はその学校に通う事になり、しかも同じクラスという事をその学校に転入した元同級生に聞くにつけて、おそらく孝之君は振られたんだな・・・・と思うしかありませんでした。

それが証拠にごくたまに行く美術クラブに孝之君の姿はあっても、R子の姿はなく、母が私に遊びに行くようにしつこく勧めたのも『あの女の子が遊びに来なくなったから』という事があったようでした。

前置きが長くなりましたが、私はそれに対して今度美術クラブに行く時があれば寄ると伝えながら『それでもあの子は来年、私立中に行く予定なんでしょ』
『受験勉強の邪魔だろ』と牽制して外に出たのを覚えています。

仲間と合流して山間部の清流まで自転車で1時間ほどの山道をひた走り、一日泳ぎ回って時刻は昼3時過ぎ、夏とはいえ山間部は日が暮れるのは早く、われわれは途中でカブトムシやクワガタがたくさん取れる事で子供の間では有名なクヌギ林のある山に向かいました。

しかし私は途中でゴーグルを忘れた事に気がつき、後で追いかけるというと川まで引き返し、再びクヌギ林のある山に向かいました。

しかし途中で道に迷ったのかいつも来ていた場所とあきらかに違う場所に来てしまっていました。

山道は細く、車一台が通れる程度でいつもの2車線ある道路とは違う。
そして元に戻るとしてますます分からない方向に向かっていくのが子供心に分かり、早く帰らないと母親に何を言われるか分からないという焦りと段々日が沈んでいく怖さで今にも泣きそうでした。

そんな中でようやく集落らしく所を見つけた私は、どこかの家で道を聞こうとその集落に向かって自転車を漕ごうとしました。

その時です、ちょうど集落の入り口付近に車を止めるスペースがあり、そこに1台の黒塗りの車が止まっているのに気がついたのです。

その車、社長さんがよく当時乗っていた高級国産車は確かうちらの市で乗っているのは・・・・・・

車が止まるスペースからは石段が続き、どうやらその上には神社があるようでした。なぜか私はその時、この石段を登れば人に会えると思ったのでしょうか、石段を登り、神社の境内に向かおうとしていました。

石段を上りきるとそこは小さいがよく手入れが行き届いた感じの神社がありました。

そして夕暮れが迫る中、その境内の裏に複数の誰かが登ろうとしていました。
その薄ぼんやりとシルエットからその中の1人は子供でもう一人は和装の女性と男性が1人ずつ。

おそらく『彼』だと思い、声をかけようとしたんですがなぜか声が出ない。
というか境内に入るにつれて頭がものすごく痛くて、私は神社の手水を使う場所までたどり着いたのを最後にそこからの記憶がありませんでした。

しばらくして気がつくと、私は病院のべッドの上でした。
医師によれば熱暑病で脱水症状だったとの事で山道の途中で倒れていたのを助けてもらったそうです。

助けてもらったのは地元の農家の方で軽トラックに自転車ごとかつぎ込まれたらしく、母からは泣きながら夏休み中は外出禁止と言われても反論する事ができなかったのを覚えています。

そしてあの時に見た黒塗りの高級国産車とあの神社の境内で見たシルエットの正体については夢で片付ける以外にありませんでした。

数日後に退院した私は夏休み中を父方の祖母の実家がある生まれ育った大都市ですごす事になり、そこでどうやら父と母が近い内に別居すると知らされました。

母は都会育ちでやはり田舎の暮らしが合わなかったらしく、早ければ2学期にもこちらに姉と私、そして母がこちらに帰ってくるとの事でした。

姉はここの高校受験、私も母の目論見ではこの都市の中学を受験するとかでこちらの学校に慣れた方が良いとの話に愕然としたのを覚えています。

せめて3学期まで待って欲しいと告げたのですが母はがんとして聞かず、私は6年生の2学期から転校というはめになって、最悪なことに夏休み途中から学習塾
と家庭教師というダブルパンチで一度転校手続きで戻っり、引っ越しの荷物を取りにきただけで、満足に挨拶もできないまま元の小学校に戻る事になりました。

そして某私立中になんとか合格、姉も名門の私立高に合格したのですが、姉は都会よりも田舎の方が会っているとぼやいていたのを覚えており、私もそれに共感を示していたのを覚えています。

そんな姉は中学時代の友人と(姉も田舎では地元の公立中でした)文通をしていたらしく、その中でその後の孝之君やR子、そしてW君の事を知る事がおぼろげながらできました。

どうやらW君は元々父が大企業の中間管理職さんで地元の子会社に期限付きで出向したしていたらしく、その期限が早めに終わったとの事で私と前後して東京に転校したそうでした。

そしてR子もその時期と同じ頃に父の転勤で東日本の某県に

まあ孝之君はあの美術系短大が運営母体の付属中学に進学しているそうで、それは彼の地位からすれば当然といえば当然なんですが

『なんでR子が引っ越したか分かる?』という言葉から続く姉の言葉に思わず子供心に唖然としたのを覚えています。

なんでもR子に孝之君は何度も手紙を送っていたそうで、しかしその内容がかなり・・・あれな・・・というか・・・小学生にしては切実というか・・・まあ・・・なんで会ってくれないのか?という内容で、しかも孝之君の祖母もR子の家に訪ねてきて孫と昔のように遊んで欲しいというか付き合って欲しいという内容という噂でした。

なんというか当時地元では孝之君の家はそれなりの威厳があるのは確かで、そのお殿様の血筋を引く方のお願いを聞き入れない(と地元では捉えられた)家として旧の住民からあまりよく見られなかったらしく、R子の父親も仕事に支障をきたすということでの急遽の転勤のようでした。

なんともはやなお話なんですが・・・・・・

話は高校時代にまで飛びますが、結局私の家は私が中学卒業と同時に離婚し、姉は東京の某国立大に、私は父方の祖父母の家から付属の私立高にエスカレーター進学。

しかし父は相変わらずあの片田舎の美術系短大の教授に昇進し、夏休みの暇な時期に顔を見せる為に何度かあの片田舎の町に来たことがあります。

高校の同級生の一人があの片田舎の小学校の同級生(少年野球の同級生)が親戚の家に下宿しながら私の通う高校に進学してきており、野球部でチームメイトになった縁で何度か一緒に帰る仲になっていました。

彼の家はあの片田舎の旧の住民で、祖母の家が山間部にあるという事で何度か遊びに行った事があります。

そして高校3年の夏、地区予選であえなく2回戦で強豪校に負けた我々は、大学受験の夏期講習の合間にあの片田舎の町に帰る事になりました。

その帰宅途中の列車で同級生の彼T君に小学時代に起きた私の水泳帰りの熱暑病事件を何気に話してみたんです。

あの時軽トラに乗せられて病院に行った事、でも道で倒れた記憶はなくとある神社の境内で倒れたことを話すと、T君はしばらく考え込んでいる様子でしたが、おもむろにこう話し始めました。

彼の祖父のいる山間部の地区はかつて飢饉の際に殿様から年貢を免じられて助かった事が何度かあり、それを感謝してその殿様を祭る事にしているとの事でした。

そして元から祭られている山神様にも村の危機を救ってくれた方に守り神として守っていただけるように祈願したそうです。

しかし先の大戦で華族制度が廃止になる中、当時の当主が非科学的な祭りごとはしないと、その関係は絶たれた。

そして一族の没落が始まったとその地区では噂されていたそうです。

『あの神社は正直俺もあんまり好きじゃない』

すでに戦争が終わって久しく、山神様の信仰も薄れていたそうですが
それでも年寄りの中にはまだ山神様の信仰を持つ者がいるそうで、中学に入った時期に再びご縁ができたと喜んでいるのを聞いたことがあったそうです。

『ご縁っていうのは、お前の話からしても・・・そういう事だ』

と言いながら駅で買ったスポーツ新聞を広げるT君は高校野球の出場校決定の一つを指差しながら『この学校のエースってWらしいぞ』と言ったのにはビックリしました。

しかし下の名前は確かにそんな感じだとしか当時は思い出せないままでした。

翌日、T君と共に原付バイク(T君は当時免許を取っていました)で2人乗りで
あの神社に向かいました。

本道から外れた細い道は当時のままでしたが、道自体がかなり寂れているのが分かりました。

どうやらここに水利用のダムを作る予定で来年いはこの地区も工事に入るらしく、この集落もT君の祖父宅を含めてほとんどが立ち退いたという事でした。

すでに神社も別の場所にご神体を移したとの事で、あの神社の境内もかなり荒れている様子でした。

私たちは神社裏の参道を通り、やがて1本の大きな楠にぶち当たりました。
注連縄が締められた楠の幹には大きな洞があり、中にはお堂のような物があります。

しかしT君は微動だにせず中に入ろうとしません。
私が痺れを切らせて中に入ろうとすると、無言で手を出して制したのです。

『ここまでだ』
そう言うとT君は来た道を元に戻り始めました。

やがて神社の境内を出ると、大きく息をすいながらタバコを取り出しておもむろに火をつけて吸いながら

『あの祠は殿様の血族の願いしか聞き届けん』
『昔からそうなっていたらしい』と

しかし血縁が願いを聞き届けるにしても何かの犠牲がいるそうで。

『お前知ってるか、孝之の祖母が行方不明なこと』
それって、もしかして・・・と尋ねる私に、T君は

『あの時見たのは、あいつと祖母で間違いない』

じゃあ願いを成就する為に犠になったのは・・・・

いったい何の願いをしたのか俺には分からんがとT君は前置きして

何かまた願いを叶えたい物でもあったんだろうなというとT君からはその話はそれっきり語られませんでした。

孝之君に会おうにも父がいうには彼は高校から海外に留学しているとかで、すでに老人ホームに祖父も入所しており、あの家は無人との事でした。

やがて私は関西圏の大学に進学し、某中堅企業に就職。
しかし、私やがて精神保健のソーシャルワーカーに転職しました。

皮肉な事に転職先はあの片田舎の地元の精神科病院でした。
そこで孝之君と再会する事になりました。

彼は海外留学などしていなかったのです。
高校途中から引きこもりになり、らちがあかない事に業を煮やした親戚一同によって名目上一人暮らしという形で、病院近くの離れの一軒家に住み、専門の看護師やお手伝いさんもいる生活を送っているそうでした。
(いわば座敷牢的な幽閉です)

しかし彼に対応する職員は地元出身の職員に限られ、私は彼と直接対応する事はありませんでした。

私は父の家の離れを借りて一人暮らしを送りながら、閉鎖的な病院の体質に嫌気が差して理想と現実のギャッぷで悩んでいた(特別待遇の人間もいれば虫けらのように扱われる患者もいる事にも)時に

父から1通の手紙を受け取りました。
それはあのR子からの手紙で、来年の1月に結婚するとの報告の手紙でした。
父は彼女の美術クラブ時代から何かと世話を(母に見つからないように)
していたそうで。

孝之君とのトラブルの際も何かと世話をこっそりとやいていたそうです。
その事に今までとちがう信頼できる大人という認識をR子は抱いたそうで
引っ越した後も何かと手紙のやり取りはしていたそうです。

そして結婚する相手はあのW君との事でした。
W君は高校で肩を壊して野球をやめた後、東京の大学に進学しR子と再会し
再び交際に発展したそうで、このたびめでたくゴールインするとの事でした。

それを聞きながら、結局あの山上様の云々は何もなかったという安堵感を覚えたのを覚えています。

しかし勤務先の病院では、あの離れにすむ孝之君が何を思ったのか一軒家を改装し始めたという話題で持ちきりでした。

なんでも花嫁がもうすぐ来るという話で、みな何を言いやがると思いながら口には出さずにいる日々の中、改装は年度末に完成。

そしてなんと1月の年賀状で孝之君から私宛に結婚式の招待状が届いたのです。

父にそれを見せるも、挙式はもうすぐだし黙っておこうという父。
挙式の場所も予定もなにもなく、ただ日にちが書かれたのみの案内状を正気の沙汰と思うような人間はいないでしょうし。

そして挙式当日の1月17日。
本来は1月15日におこなう予定だったそうですが、お互いの仕事の都合で
2日ずれこんだとの事で父は前泊で式場をおこなう町に向かいました。

そして当日式をおこなう町、神戸で早朝あの大震災がおこったのです。

父はなんとか無事でしたが、花婿と双方の親族に多数の犠牲者が出たそうです。
そして花嫁の両親、家族は親戚宅に泊まっており住宅崩壊と後の火災で全滅されたとの事でした。

花婿であるW君は彼女を守ろうと落ちてくる家財道具の下敷きになり、打ち所が悪く即死状態だったそうです。

そして彼女、R子は避難所で精神が不安定な状態となり、やがて大阪の病院に転院しそこで精神の均衡を失い始めました。(重度のうつ状態からの・・・だそうです)

身寄りも被災し肝心の花婿も亡くなる中、彼女は私が勤務している病院にやってきたのは3月の始めの事でした。

投薬で意識が朦朧とする中、彼女はあの孝之君が待つあの1軒家に移り住んだのです。

心ある職員はいったい何のためにあんな事をと抗議したそうです。
しかし院長はR子の親族の同意を得ていると同意書を見せるだけでした。
それにあの家は通院患者の家なので家庭のことには感知しないという・・・

私は3月末で退職願いが受理されており、ちょうど有休消化中で現場には立会いませんでしたが、退職挨拶で3月末に病院に行った際、孝之君があの一軒家を引き取り、R子と共に姿を消したという事実を知ったのみでした。

転居先は院長すら知らないという噂でした。
あれ以来、孝之君とR子の噂はぱったりと途絶えました。
あれから10年以上の歳月が経つが彼らがどうなっているのか
もはや知るすべがありません。

しかし、時々絵が送られてくるようになったのは最近のことです。
絵はすべて若い女性がモデルでじっと悲しげな目でこちらを見つめています。
差出人はあの孝之君がかつて小学校時代にすんでいた住所から
差出人は孝之君の性に名を変えたR子からになっています。

私はその絵を一通り見ると、いつも庭で燃やします。
そうする事が一番正しいことのようなことのような気がしてならないからです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは私がお世話になったカウンセラーの先生の書かれたお話です。
ぶっちゃけ冗談の多い方でしたのでどこまで本当かは分かりませんが
書かれている内容はこれよりもっとリアルな物もありましたのでフェイクをそこそこ入れております、

まあ怖い話という部類に入るかどうか分かりませんが、ご笑納ください。

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