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映画監督・前田陽一コミュのはじめまして

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このたび、前田陽一さんのコミュを立ててしまいました。

赤線最後の日を背景とした傑作「にっぽん・ぱらだいす」で監督デビューし、戦中派の真情を込めた「喜劇 あゝ軍歌」「喜劇 命のお値段」「喜劇 男の子守唄」などが代表作でしょうか。

その一方、大阪が日本から独立するという設定の「スチャラカ社員」、箱根が独立する「喜劇 昨日の敵は今日も敵」など、過激な設定を好み、亡くなる寸前まで、今度は名古屋が日本から独立する話の映画化への意欲を燃やしておられました。

「進め!ジャガーズ 敵前上陸」では、中原弓彦名義で小林信彦氏の脚本を得ています。

人情喜劇を得意とする大船にあっては異色の喜劇を作り続けた異端児ではありましたが、映画ファンには前田ファンが多いのも事実です。

亡くなってもう8年が過ぎたんですね。

前田さんのことを忘れてはいけないと思い、このコミュの活性化に努めたいと思います。

コメント(16)

前田陽一は亡くなった時の特集上映でかなり拾いました。
戦争に対するこだわりが「作家」ですよね。
どんな作品にもなんらかのカタチで出てきます。
そういう部分では岡本喜八に似てるかもしれませんが、けっしてうまい監督じゃないですよね。瀬川昌治からテクニックを引いたら前田陽一になるって感じかな。
「あゝ軍歌」や「昨日の敵は今日の敵」や「神様がくれた赤ん坊」が好きです。
なんきんさん、

ご参加ありがとうございます。

確かに前田陽一監督はテクニックのある人ではなかったですね。

黙々とストレートばかり投げ込みながら、フォームが変則なのでクセ球に見えてしまう、というタイプの人だったように思えます。
知り合いのプロデューサーが遺作の「新唐獅子株式会社」をやっており、現場に遊びに行く予定だった日に倒れて、その夜に亡くなりました。是非お会いしたかったです。
なお、そのプロデューサーによると、クランクイン前に医者から話されて、たぶんクランクアップまではもたないとご本人は知っていたにもかかわらず、そして、スタッフに心配をかけないようにと、黄色いサングラスと黄色いジャンバーを着て(顔の黄疸が目立たないように)、とても現場で明るくふるまっていたそうです。
前田さんとの出会いは1970年9月15日だったと思いますが、「仁鶴・可朝・三枝 男三匹やったるでぇ!」という吉本のユニット映画が目当てで入場したのが最初です。

そっちはどうにもならない喜劇で、笑うトコなし。

ですが、「喜劇・あゝ軍歌」には涙を溢れさせ感動しました。ボクは16歳でした。

親父から戦争の話をよく聞いていたからでしょうか、当時の16歳には戦争の話は決して想像もつかない世界ではありませんでした。

前田さんには自主映画会を通じて晩年までやさしく接していただきました。

たしかに上手な、そろばんを弾かせることのできる作家ではなかったですが、エモーションだけは溢れさせた方でした。

それは侘助さんも、よくご存知です。

ボクタチがお世話になった前田さんも山根さんも、おなじような庶民のこころを忘れない人々でした。
管理人としてレスの怠慢をお詫びいたします。

秋山さん、

現役の監督さんにご参加&書き込みをいただき、感謝に堪えません。

亡き前田さんも喜んでおられると思います。

遺作「新唐獅子株式会社」はほとんどを前田さんの弟子にあたる南部英夫さんが撮ったものではありますが、まさに職場での殉職を果たしたという意味で、前田さんも深作さんも監督冥利に尽きるでしょうね。

北京波さんともども、晩年の前田さんと個人的に親しくさせていただいた機会が持てたことは、わたくしにとっては誇りです。
メンバーが前田さんのことを心底好きな人だけで増えて来たみたいでうれしいですね。

あの『揖保の糸』のCMのアイデアを課題にしていたなんて、前田さんらしいじゃないですか!

こたにんさん、
ご参加ありがとうございます。
前田監督を個人的にもご存じの方がご参加いただくのは、管理人てしても喜びです。
トピも自由に立ててください。
早速入らせていただしました。今はなき中野武蔵野ホールで前田陽一映画祭に連日のように通ったのが思いおこされます。
細○の影響ですが(笑)
よろしくお願いいたします。
m(._.)m
ロビリンさん
ご参加いただき、ありがとうございます。
わたくしも中野武蔵野ホールには何回か足を運びました。
このコミュ、放置したまま活性化を怠ってますが、何とぞお許しください。
はじめまして。DVDボックスの発売を記念して書き込ませていただきます。

にっぽんぱらだいす・坊っちゃん・神様のくれた赤ん坊 のセットが来週発売されるそうです。
映画秘宝、キネマ旬報でも特集されてました。
坊っちゃん の、原作とは異なりマドンナに自我を持たせている点、松山中学の生徒が見送るラストには感動しました。

神様の〜 の、お城の原風景が目の前の風景と重なった場面、劇場のお客さんからはため息がもれていましたよ。

忘れない名シーンです。
はじめまして、参加させていただきました。
前田監督のテレビドラマ等で三本ほど助監督としてお仕事をさせていただきました。
最後にお仕事をさせていただいた撮影の後、演出部で食事に行きました。その時「助監督には二種類あって〜監督になるためにやる人と職業助監督で通す人がいる、どちらに進んでもいいと思う。」と帰り際に話されました。
僕はこの人の中では“監督”も“助監督”も映画を作るというくくりにおいては同じなんだなぁと驚いた覚えがあります。
そういえば、監督は“私が監督だ〜”って感じではありませんでした。演出で迷うと僕らに「アイデアないか?」と聞いてくる方でもありました。
食事をして飲んだ帰りに僕は監督と二人東海道線で帰りました。
笑い話や失敗談義をしました。ふと監督は寝てしまわれました。その時変な鼾だったので僕は急に怖くなって「監督、監督!」って起こしてしまいました。起きた監督に「変な鼾でしたよ、死んでしまうかと思いました」って冗談っぽくいいました。監督はニャッと笑って「どんな鼾だった?」と聞いこられたから僕は「こんな感じでした」って真似をしました。監督は笑って僕の真似を見てました。
今思い返せばもうご病気だったんですね。
ゆ〜さん
DVD情報ありがとうございます。
知りませんでした。
買います。
マサヒロさん
監督晩年のエピソード、ありがとうございます。
その鼾、もしわたくしが聞いたとしても、怖くて仕方なかったでしょう。

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