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三田佳子コミュの2005年

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コメント(12)

日本アカデミー賞ノミネートなし

備考
最優秀主演女優賞:鈴木京香(血と骨)
最優秀助演女優賞:長澤まさみ(世界の中心で、愛をさけぶ)
司会担当(関口宏/寺島しのぶ)

なお、「隠し剣 鬼の爪」にて松たか子が主演女優賞ノミネート

http://www.japan-academy-prize.jp/allprizes/2005/index.html
出演舞台
3月明治座にて上演
「恋しぐれ 日本橋物語? 」

配役
三田佳子 榎木孝明 水谷八重子
ドラマ「夏樹静子サスペンス 調停委員日向夢子の事件簿3 哀しい天罰」(CX)

三田佳子
坂井真紀
赤坂泰彦
山崎銀之丞
北村総一朗
星由里子
川端竜太
阿部進之介
大和
森宮隆
華彩なな
城後光義
木村昇 


日向夢子(三田佳子)が傷害事件の調停で無実を証明した矢沢澄男(川端竜太)に、殺人容疑がかけられた。被害者は、澄夫の友人、鳥飼祐平(阿部進之介)。乱暴な奴だが友だちだった、と語る澄男のことを信じる夢子は、懸命に真犯人を突き止めようとする。しかし、その夢子の前に、女性で初の主任検事になったという片桐響子(星由里子)が立ちはだかる。三年前、祐平が起こした過失致死事件に巻き込まれたのを恨んだ澄夫が祐平を殺したのだと主張する響子は、次々と新たな物証を突き付けてくる。だが、夢子はそんな響子のやり方に次第に不信感を抱きはじめる。真逆なスタンスの女二人が、事件の真相を巡って静かな戦いを展開。そして犯人は意外にも…。
ドラマ「出張弁護士・青山萌子 北へ向かう人」(NTV)

三田佳子
美保純
永島敏行
根岸季衣
あき竹城
神保悟志
鶴田忍
吉見一豊
丸岡奨詞
山上賢治 


北海道江差町で小杉良治(吉見一豊)というトラック運転手が殺害された。警察は目撃証言から前野晴也(神保悟志)という男を拘束。取り調べで、前野は犯行を自供し、事務所荒らしを小杉に見られたため口を封じた、と動機も明かした。ところが、前野の弁護を引き受けた萌子(三田佳子)の元に、前野の義弟が現れたことから、小杉を義弟が殺したと勘違いをした前野が身代わりとなり、自供したことが明らかに―。
ドラマ「いま、会いにゆきます」(TBS)

ミムラ
成宮寛貴
黒川智花
岡本綾
生瀬勝久
余貴美子
三田佳子
「恋しぐれ 日本橋物語2」インタビューより(3/5)

45年「いつのまにか」…三田佳子ひとりごと(1)



 いま、3月5日に初日を迎える舞台『日本橋物語II 恋しぐれ』(東京・日本橋浜町の明治座、28日まで)のお稽古真っ盛りです。一昨年9月、初めてのご縁で出演した『浪漫喜劇・日本橋物語』が好評で、第2弾をと、こんどは明治末から昭和初期に活躍した美貌の女流作家、長谷川時雨の人生を選びました。

 時雨といっても、ご存じの方は少ないと思いますけど、生まれも育ちも日本橋で生粋の江戸っ子。潔くて度量が大きい、時代に先駆けて生きたとても面白い女性なんですよ。

 『放浪記』の林芙美子といえば、誰でも知っているでしょうが、彼女を自分が創刊した「女人藝術」に登用、作家として名を成すきっかけを作ってあげたり、『雪之丞変化』の作者、三上於菟吉と生活を共にして無名時代の彼を支えたり、後に有名になる女流作家たちを幾人も育てたりした人です。

 それでいて、芙美子には敵視されたり、夫である於菟吉の浮気に悩まされたり…。でも、決してストレートに嘆いたりせず、浮気も受け入れ、反発されても鷹揚に構える。嫉妬して騒ぐとか、きっとみっともないマネだけはしたくなかったのだと思います。そこに見えっ張りな江戸っ子気質の時雨さんの人間味が出ていて、わたし、好きなところなんです。

 彼女のお写真を見た方から、三田さんと似てますねって言われるんですが、たしかに肩の細いところとか風情が、偶然ですけどね、似ているかもしれません。役者は、演じていると、だんだん人物に似てくるものですけど(笑)。脚本、演出のジェームス三木先生がそこのあたりの人間の機微をうまく泣き笑いで書いてくださってます。

 わたしに合わせたりとか、歴史的事実を歪めたりもしていないのに、お稽古してても、どんどん似てくる(笑)。

 ほとんど実在人物ばかりが登場しますし、芙美子との関係にしても、6代目菊五郎との交遊にしても、えーっ、あの時代の中で、こんな人たちが時雨と関わっていたんだと改めて、魅力的な女性の存在を感じていただけると思います。舞台でも映画でも今までまだ、どなたも演じたことがなくて、時雨さんのドラマを、初めてお見せできるのがうれしい。

 劇中、巻き舌まがいで啖呵を切る場面も出ますし、ホリ・ヒロシさんデザインの江戸前の粋な着物を7点、着替えて登場します。

 今年、わたし、芸能生活45周年を迎えます。昭和35年、東映『殺られてたまるか』で映画デビューしてからですが、その前のラジオドラマに子役で出演していた頃から数えたら半世紀。いつのまにか、そんな年数が過ぎていたって感じですね。それから、テレビへ舞台へ。順風だったように思えましたが、どかん! と大波に打たれました。=つづく

 ■みた・よしこ 昭和16年、大阪生まれ。中学生時代から子役でNHKラジオ他に出演。女子美付属高校を卒業した35年に、東映映画『殺られてたまるか』で、女優デビューした。その後は、映画、テレビ、舞台他、幅広い分野で活躍中。代表作に映画『遠き落日』、『別れぬ理由』、舞台『雪国』、『夢千代日記』、テレビに『外科医・有森冴子』シリーズ(NTV系)他がある。

イベント

水野晴郎「生誕75周年、映画生活50周年記念パーティー」へ祝電

映画評論家で監督の水野晴郎(74)の「生誕75周年、映画生活50周年記念パーティー」が25日、都内で開かれた。
京マチ子、司葉子、若尾文子、岩下志麻、光本幸子、かたせ梨乃、大塚ちひろと女優陣が大挙して祝福に訪れ、“閣下”こと水野は大喜び。三田佳子からは直筆の手紙が届き「閣下とのキスシーンがなくて残念でした」と読み上げられるとデレデレ。アルバイトとして映画にかかわり、宣伝マン、評論家から監督も務め、昨年には秋田にシネコンもプロデュース。「映画の中でできることは全部やっていきたい」とまだまだ血気盛ん。シベリア超特急シリーズ最終作となる「6」は「ラブシーンを撮りたい」とプランをぶち上げていた。
水野晴郎(左から5人目)誕生会に出席した(左から)大塚ちひろ、かたせ梨乃、若尾文子、京マチ子、(1人おいて)光本幸子
イベント

報知映画賞表彰式[助演女優賞]薬師丸ひろ子W感動 三田佳子と20年ぶり再会

「第30回報知映画賞」の表彰式が12月19日、東京・芝公園の東京プリンスホテル・パークタワーで行われた。作品賞・助演男優賞・助演女優賞の3冠を獲得した「ALWAYS 三丁目の夕日」(山崎貴監督、公開中)は“三丁目一家”が勢ぞろいした。第30回特別ゲストとして女優・三田佳子(64)がサプライズで登場。助演女優賞の薬師丸ひろ子(41)と20年ぶりに再会を果たし、式に花を添えた。読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏(報知新聞社客員)も祝福メッセージを寄せた。【26、27面に関連記事】
◆「もう感無量」
“三丁目チーム”の受賞者の中でも特に式が華やいだのが、助演女優賞で初受賞した薬師丸ひろ子の時だった。本人にも直前まで伏せられていたサプライズゲスト、三田佳子からの花束贈呈。2人にとって忘れることのできない映画「Wの悲劇」(澤井信一郎監督)での共演以来、実に20年ぶりの再会だった。
「本当におめでとう、あれ以来ね」三田が、第30回特別ゲストを快諾した背景には「久しぶりにひろ子ちゃんに会える」ことも大きかった。三田はこの「Wの悲劇」で、第10回報知映画賞(85年)の助演女優賞を受賞。代表作のひとつだ。薬師丸は当時、人気絶頂のトップアイドル。主演映画は多いが、映画賞とはあまり縁がなかった。20年の月日を経て今年はスクリーンで存在感を強くアピールした年だった。
「−三丁目」では息子に惜しみない愛情を注ぎ、夫に献身的に振る舞う。一見、目立ちにくい役を巧みに演じ、印象づけた。「もう感無量。本当に久しぶりでしたし、お会いできてうれしい」人一倍、礼儀正しい薬師丸は、ステージ上で三田に腰を90度曲げて深々とおじぎした。
人が産声を上げて成人するまでの20年間という月日。それだけの時間をさかのぼり、2人は邦画史に残る「Wの悲劇」の名場面を思い出していた。「どうしてできないの? 女優、女優、あなた女優でしょ!」。大女優(三田)が大役と引き換えに自分のスキャンダルを新人女優(薬師丸)に押し付けるクライマックスシーンだ。“あの時”にタイムスリップした2人は、感慨深げな表情で対面した。
「アイドルは消えてしまうことの方が多い。ひろ子ちゃんは頑張っていい仕事して熟成されてすてきな女優になられた。すばらしい。私も負けずに映画の仕事しないとね」と賛辞を贈った三田。壇上にいる薬師丸はアイドル時代も浮かれることなく、自分を見失うことなく歩み続け、実力派女優の評価を自らの力でつかみとった。
2人はパーティーでも話に花を咲かせた。近い将来の再共演にも夢をはせる。「ひろ子ちゃんがお母さん役やる時代なのね。それじゃ私はおばあちゃん役になっちゃうわ」互いに顔を見合わせて笑っていた。
「こんなすてきな式に、ご褒美(賞金)までいただいて。よいのでしょうか。映画のお仕事を本格的に再開させて四苦八苦していたところに届いた今回の賞でした。どれほど私の励みになったことか」薬師丸は共演者やスタッフとともに喜びを分かち合いながら、心地よい高揚感を覚えていた。
ニュース

「あやしい団体が三田佳子の豪邸に…関係は!? 」

 女優、三田佳子(63)の豪邸にあやしい動きがあるという。5年前、二男で俳優の高橋祐也(25)が仲間と「覚せい剤乱用パーティー」を開いて逮捕された、あの場所だ。

 「彼女の家、世田谷区内なんですが、その前を通ったら大勢の人が出入りしてるんです。家の前に“〇〇研究所”という看板がありました」と証言するのは芸能リポーター。

 「そこの人に声をかけたら、『楽しい勉強会をしてるんです。気功であなたの辛いところを治しますよ』なんて言われて…」。

で、リポーター氏、その場で体験入所したそう。

 「ペットボトルに入った水を500円で売ってました。“精神世界”の話を聞かされ、いい加減な名前と住所を書いて逃げてきましたよ」とか。

 三田は別の場所に住み、家を貸しているだけのようだが、その団体との関係は?

ZAKZAK 2005/10/01
関連ニュース

薬師丸感激、角川氏が祝福/映画大賞

「ALWAYS 三丁目の夕日」で助演女優賞を受賞した薬師丸ひろ子(41)のステージには、育ての親である角川春樹プロデューサー(63)が祝福に駆け付け、懐かしいツーショットで映画ファンを感激させた。

また、主演女優賞では小泉今日子(39)が「今が一番充実している」と笑顔で話した。 

花束を持った角川氏をうれしそうに見詰めた薬師丸は「13歳でデビューして、厳しい目で見守っていただいた。今までやってきて良かったと、きょう思いました」と感謝を重ねた。角川氏は「素晴らしい映画だった。満員の映画館で見たんだよ」と、穏やかな笑顔で薬師丸の演技をたたえた。 2人は、薬師丸が13歳の時に角川映画「野性の証明」(78年)でデビューして以来のドル箱コンビ。85年に独立するまで、薬師丸は「セーラー服と機関銃」「探偵物語」などのヒット作で角川事務所の秘蔵っ子と呼ばれた。2人が会うのは約8年ぶりという。 

角川氏は「10代のころのひろ子はわがままで手に負えなくてね、ふふ。そんな彼女が40代になって立派に授賞式を…。今も活躍している彼女にホッとする」。

薬師丸は「私は角川さんから2つの財産をもらった。学校を1日も休まず通学させてくれたおかげでできた友達と、作品の数々です。そのおかげで今の私がある。またご一緒できる機会があるかもしれないし」と、名コンビ復活への期待も語った。

互いの現在の位置付けについて薬師丸は「子供のおめでたい席にきてくれたお父さん」。角川氏は「離婚した夫婦の再会かな。親子? 僕の彼女はひろ子より若いよ」と笑い、堅い信頼関係をにじませた。
インターネットサイトZAKZAKインタビュー(3月5日付)
三田佳子「ひとりごと」

いま、3月5日に初日を迎える舞台『日本橋物語II 恋しぐれ』(東京・日本橋浜町の明治座、28日まで)のお稽古真っ盛りです。一昨年9月、初めてのご縁で出演した『浪漫喜劇・日本橋物語』が好評で、第2弾をと、こんどは明治末から昭和初期に活躍した美貌の女流作家、長谷川時雨の人生を選びました。

 時雨といっても、ご存じの方は少ないと思いますけど、生まれも育ちも日本橋で生粋の江戸っ子。潔くて度量が大きい、時代に先駆けて生きたとても面白い女性なんですよ。

 『放浪記』の林芙美子といえば、誰でも知っているでしょうが、彼女を自分が創刊した「女人藝術」に登用、作家として名を成すきっかけを作ってあげたり、『雪之丞変化』の作者、三上於菟吉と生活を共にして無名時代の彼を支えたり、後に有名になる女流作家たちを幾人も育てたりした人です。

 それでいて、芙美子には敵視されたり、夫である於菟吉の浮気に悩まされたり…。でも、決してストレートに嘆いたりせず、浮気も受け入れ、反発されても鷹揚に構える。嫉妬して騒ぐとか、きっとみっともないマネだけはしたくなかったのだと思います。そこに見えっ張りな江戸っ子気質の時雨さんの人間味が出ていて、わたし、好きなところなんです。

 彼女のお写真を見た方から、三田さんと似てますねって言われるんですが、たしかに肩の細いところとか風情が、偶然ですけどね、似ているかもしれません。役者は、演じていると、だんだん人物に似てくるものですけど(笑)。脚本、演出のジェームス三木先生がそこのあたりの人間の機微をうまく泣き笑いで書いてくださってます。

 わたしに合わせたりとか、歴史的事実を歪めたりもしていないのに、お稽古してても、どんどん似てくる(笑)。

 ほとんど実在人物ばかりが登場しますし、芙美子との関係にしても、6代目菊五郎との交遊にしても、えーっ、あの時代の中で、こんな人たちが時雨と関わっていたんだと改めて、魅力的な女性の存在を感じていただけると思います。舞台でも映画でも今までまだ、どなたも演じたことがなくて、時雨さんのドラマを、初めてお見せできるのがうれしい。

 劇中、巻き舌まがいで啖呵を切る場面も出ますし、ホリ・ヒロシさんデザインの江戸前の粋な着物を7点、着替えて登場します。

 今年、わたし、芸能生活45周年を迎えます。昭和35年、東映『殺られてたまるか』で映画デビューしてからですが、その前のラジオドラマに子役で出演していた頃から数えたら半世紀。いつのまにか、そんな年数が過ぎていたって感じですね。それから、テレビへ舞台へ。順風だったように思えましたが、どかん! と大波に打たれました。
大波に打たれたといえば、わたし、デビュー以来、映画に舞台、テレビにCMに−と休む間もなく働き過ぎてきたかもしれません。順風過ぎたんだと言われますけど、いろいろあったんですよ。

 平成8年に子宮がんがわかって手術。翌年は母が亡くなり、そして二男のことで世間をお騒がせしてしまいました。

 突然の逆風で、苦しんだというより、急激だったぶん、踏ん張れたんだと思います。ゆっくり徐々に病気やいろいろなことに襲われていたら、考えたり悲しんだり、受け止める余裕ができて、とても耐えられなかったでしょう。立て続けでしたから、死ぬのか生きるのかという選択で、苦悩するというより、全部を受け止めることしかありませんでした。

 がんの時はちょうど、病気療養中の母と同病相憐れむではありませんが、一緒に闘病生活を送ることができ、おかしいでしょうけど、ウキウキするような毎日でしたね。母の介護もできて、共に病気と闘いながら…。ついに母は死にましたが、ああ、人が死ぬというのはこういうことか、だからこそ、生きることがどれほどステキなことなのかも知りました。お母さん、ありがとうって気持ちでした。




インターネットサイトZAKZAKインタビュー(3月5日付)
三田佳子「ひとりごと」 (続き)

 闘病の後は、身辺で起こった大騒動。家族というものへの対峙の仕方について、別な目を開かせ見つめることができ、自分自身に対しても足りない部分がいっぱいわかった。いろいろなことを学びました。

 世間って冷たいのでなく、温ったかいところなんですね。たくさんの方がたが待っていてくださって、わたし、それでパワー取り戻しました。まだ、やらなきゃって。
芸能生活45周年といったら、昔なら、お化けと思っていましたが、今考えてみると、こんな程度か、まだ先は長いなという印象です。充実感なんてさらさらなく、次へのステップを踏み出したいなあと考えている現在ただ今の心境ですね。

 先日ね、大阪の関西テレビで上沼恵美子さんの『いつでも笑みを』という番組にゲスト出演したんです。その生番組に突然、息子2人がビデオレターのメッセージで「45年おめでとう、頑張れ」って…。まあ、あんな小さな子たちがこんなに成長して励ましに来てくれたのかと、わが子というより若いボーイフレンドが擦り寄って、いいこと言いに来てくれたと、つい泣いてしまいました。

 子供たちもいろいろ、波乱は経験しましたが、結局、この世界、夫もテレビ界にいる芸能という世界を拒否しなかった。いや、むしろあこがれて自分たちから近づいてきている。それを考えると、家庭もうまくいっていたのだなと思います。

 今年11月、名古屋の名鉄ホールで上演される舞台『櫂』で、長男の森宮隆と初共演することになりました。宮尾登美子さん原作で、石井ふく子さんの演出です。石井さんが推薦してくださったんですが、息子役っていうのが少し、嫌なんですけど、そこは役者同士。彼も、成長して役者として踏み込む第一歩になるのではと期待してます。

 最近、ゴルフをまた、始めようか思案中なんです。息子がやってるし、もちろん、夫もやりますから、家族交流になりますからね。

 道具だけはそろえて飾ってあるんですけど、みんな、時間作れるかしら−。

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