革マル派批判(労資関係論について)。
1950年代、アメリカ人学者ジェイムズ・アベグレンは、日本の労使関係の特徴は、企業別組合、年功賃金、終身雇用にあると発言し、この言葉は、白人を神として崇拝する日本人に広がった。
革マル派も、この言葉を無批判に受け入れ、こうした「日本的雇用慣行」が破壊されつつあるとしてきた。
しかし、まず、日本の組合の基本的形体は、企業別組合ではない。
新日本製鉄には、多くの製鉄所があるが、各製鉄所に、一つの独立組合があり、それが、鉄鋼労連という産業別組織と、新日鉄労連という企業連に加盟しているのである。
三井鉱山も場合も、六つの鉱山に、六つの独立組合が、存在し、相互に激しく対立していた。
三菱重工の各造船所の組合も独立組合である。
すなわち、日本の労働組合は企業別組合ではなく、事業所別組合であり、それが、産業別組織と企業連に加盟しているのである。
この形体は、アメリカの労働組合と同じである。
アメリカでは、事業所(鉱山、製鉄所、造船所、工場)の組合を「ローカル・ユニオン」と呼ぶ。このローカル・ユニオンが、産業別組織と企業連に加盟しているのである。
革マル派は、かつての日本には、終身雇用制が存在したと断言している。
しかし、日本史上、「終身雇用」なるものが存在した事はない。
戦前の大企業の労働者は、不況になれば、すぐに解雇された。
戦後も、敗戦時の大量解雇、1949年ドッジラインによる大首切り、1954年の朝鮮戦争終結(1953年)による大量解雇、高度成長期の石炭産業における解雇と、首切りの連続であった。
1960年から1973年の高度成長期には、成長産業では、人手不足、また、解雇が、三池闘争のような激烈なストライキを引き起こす事を資本家が恐れたため、目立った大量解雇は無かった。
しかし、1973年の第一次石ショック、1979年の第二次石油ショックでは、数百万人の労働者が解雇された。
1987年、国鉄分割民営化でも大量解雇が行われ、一時的なバブル景気が終わると、再び、大量首切りの時代となった。
いつの時代に、日本に「終身雇用」など存在したのか。
革マル派は、労働者間に競争が、あまり存在しない「年功制」が存在したと
年齢、勤続年数が多くなれば、自動的に昇進、昇給できる傾向が強いシステムが「年功制」だと革マル派は言ってきた。
「年功制」「年功的労使関係」の語を、初めて使用したのが藤田若雄東大社会科学研究所教授であった。
藤田によれば、年功制とは、「コネと実力」による激烈な昇進、昇給のための競争が行われる体制である。
競争に敗れた労働者は、解雇される。
テレビドラマ「白い巨塔」のような世界なのである。
藤田が明らかにした、日本の雇用形態は、従業員が、正社員、準社員、雇員、準雇員、職工、傭人の身分に分割され、企業に残るために「コネと実力」に基づく激しい競争が行われるというものであった。
そこには、年長の上司に対する卑屈な隷属が存在した。有力な上司の派閥に入るための競争も存在し、上司に対する下男のような態度が一般化していた。
これが、年功制なのである。
戦後、労働組合の闘争によって、身分制が廃止され、全従業員が社員となった。昇進、昇給競争にも歯止めが、かけられ、昇進できない者も解雇されなくなった。
しかし、現在、労働組合が産業報国会と化することによって、再び、正社員、嘱託、派遣労働者、アルバイトなどの「身分差別」が復活し、労働者間競争が激化している。
戦前のよう、競争に敗れた者は解雇されるようになった。競争と言っても、スポーツのような実力だけによる競争ではない。「コネ」をつかめない者は、いくら実力があっても、解雇されるのである。
革マル派最高幹部は、黒田寛一を含めて、日本の労資関係について無知蒙昧である。
それでいて、革マル派は「唯一の労働者階級の前衛党」だと名乗っているのである。
藤田若雄の著作を読んでいない革マル派最高幹部に、日本の労資関係を語る資格は無い。
今後も、断固たる革マル派批判を継続する。
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