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2007年11月08日12:36

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必殺シリーズ 中村主水について その二

『暗闇仕留人』期〜

中村主水は自己実現と世直しを兼ねたような仕置人の活動を
終了せざるを得なくなってしまったが、そのギラギラとした充実感を
どうしても忘れる事を出来ずに不遇の日々を再び囲っている処から
このシリーズは始まる。前作が中村主水サーガとして異色ならば、
今作のスタートも異色な幕開けをする。

中村主水自身が率先して仲間となり得る人間をスカウトしていくのだ。
在りし日の幻影を追い求めるかのように。
そして、その人選も旧仕置人時代を共にした情報係の半次とおきん、
鉄になぞらえられるような心臓掴みの必殺技を持つ村雨の大吉(近藤洋介)と
蘭学者であり、初のインテリである糸井貢(石坂浩二)であった(彼が前作の
棺桶の錠的なポジションとなるが、錠はなんと文盲である(!)。
当時は当たり前の事ではあるが、こと時代劇としては現代では
決して描けない人物造型だろう)。

主水はここに仕置人の夢の再現を目論んだのであろうが
その夢は早々に崩れ去る。

当然の事である。似たようなものを持ってきた処で、
それは再現出来る筈はない。逆に差異に気を取られる。
開明思考である糸井と主水は徹底的に気は合わず、
時代は黒船来航からの幕末の混乱期に差し掛かって
きており、仕留人の関わる事件も殺伐とした遣り切れない
物が多くなる。作中の描写は無いが、戦闘能力的にも
糸井と大吉は鉄と錠に及ば無い。

『仕置をする事での自己実現』など、薬にしたくもない
状況である。無論、人殺しを自己実現の道具に具する
というのは論外の所業である。だが、主水はそれでしか
充実感を得る事は出来なかった。彼の最大の悲劇は
そこにある。有り余る才能も剣の腕も彼には充実を
与えなかった。それをフルに活かせたのが、唯一『殺し』
であり、以後それを片時も忘れられなくなる。
それが、若き日の最も信頼できる仲間達と一時共有出来た
爆発するような『青春の時間』であった事にも気づくことなく。

主水と貢と大吉は中村家の三姉妹を嫁(内縁もいるが)
に持つ義兄弟であり、それが切れぬ縁として作用する。
気のいい大吉はいる物の、貢は嫁のあやの為に仕置を
行い、徹底してクールなイメージを崩さない。
それに対する違和感を主水は持ちつづけ、度々衝突する。
しかし、最早賽は投げられなんらかの目が出るまで止める事は
出来ない。その目はある時唐突に現れる。
妻あやの死である。

裏稼業同士の抗争という自家撞着的な争いの中で
妻を失ってしまう糸井貢はすっぽりと虚無の中へ
落ち込んでいく。主水はあやの死に何を思ったろう?
いつか返る自身への刃をみたか。
だが、この時点では、彼はまだそれを認識していないように
思われる。貢に対しても『これで一人前』のような
考えを無意識にしても抱いたのではないか?

だが、最終話で糸井貢から、決して主水が
回答は出来ない問いを投げかけられる。

「俺達は何をしてきたんだ?、少しでも世の中良くなったか?」
「俺達に殺されてきた奴らにだって、妻や子供がいたかもしれないし、
好きな人がいたかもしれないんだ」

この問いの前に主水は沈黙せざるを得ない。
主水の想像の埒外の事を問われたのであるから、
当然である。

そして、糸井貢もまた、自身に返ってきた刃によって
倒れる。開国主義の老中を仕留なければならなくなった時、
「自分が死ねば開国は遅れる」という言葉に貢の刃は
止まる。糸井貢という人格は、最後に『仕留人』である事より
『蘭学者』である事を選んでしまった。
その死は主水にも強い衝撃を与える。

初めての組んだ仲間の死。
返す事の出来なかった貢の問いかけに対しても
何も結論を出せず、矛盾を孕んだまま主水は
仕置を続けていく事となる。
中村主水は生涯に渡りこの問いに答えを出す事はなかった。

そして、決して『在りし日の輝き』が取り戻しえない事も
知りつつ、最早抜け出せえぬ人殺しの泥沼へ
はまり込んでいく事となる。
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