徳川四天王をつくったのは家康ではない…徳川の人事にグイグイ介入した秀吉が家臣に欲しがった武将の名前
https://news.yahoo.co.jp/articles/ebca823bbd0c04d4c0323d82a7907c9414c916aa?page=1
原型は秀吉が目をかけていた本多・榊原・井伊の「三傑」で、後世に酒井を足して「四天王」になったという話。他家の有力家臣を厚遇して、豊臣との両属のような立ち位置にするというのは 秀吉がよくやる手口。「三傑」もそういう意図はあっただろう。
たまたま家康が長生きして求心力を保ち続けたので、三傑も徳川家臣団として生涯を全うしたけれど、そうでない未来も十分あり得たと思う。秀吉と変わらないようなタイミングで家康が死に、代わって徳川家を継いだ秀忠やその側近とのソリが合わなかった場合、三傑もふと太閤殿下からの厚遇を思い出してしまうかもしれない。
もっとも徳川家臣団はかなり整備されていたので、三傑の誰かが抜けたとしても、代わりとなる人物は出てきただろうとは思うけれども。
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