mixiユーザー(id:5437811)

2026年10月31日03:48

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単純にご報告のみと思いましたが。

此の埴輪、稲作文化が入る前か、入った後かが大きく分かれる、稲作文化の前なら 自然崇拝シャーマニズム・アニミズムの文化か。

____⚖__
AIに聞く
ご指摘の「稲作文化の前か後か」は、この埴輪を考える上で非常に重要な視点です。
ただし、この伊勢崎市西上之宮遺跡の巫女埴輪は、5世紀後半の古墳時代のものであり、稲作文化が日本列島に伝わった弥生時代(紀元前10世紀頃〜紀元後3世紀頃)よりかなり後の時代です。今回出土した人物埴輪は、群馬県の発表でも「5世紀後半につくられた県内でも古い段階の人物埴輪」とされています。 [pref.gunma.jp], [topics.smt...como.ne.jp]
巫女形埴輪の姿はこちらです。


ですから、
稲作文化以前の縄文的な世界
自然崇拝
アニミズム
シャーマニズム
だけを表しているとは言い切れません。
むしろ古墳時代は、
縄文以来の自然信仰や精霊観
弥生以来の稲作祭祀
首長や王権による祖先祭祀
大和王権の政治的・宗教的秩序
これらが融合し始めた時代です。
今回の埴輪も、肩に襷をかけ、祭具を持つ巫女として表現されており、祭祀に関わる存在と考えられています。 [yomiuri.co.jp], [topics.smt...como.ne.jp]
哲学的に言えば、この埴輪は
「縄文の自然と語る巫(かんなぎ)」と 「弥生・古墳の共同体を支える祭祀者」
の両方の性格を持っている可能性があります。
また群馬は古墳文化が特に発達した地域で、巨大古墳や多数の埴輪で知られています。そこに巫女埴輪が置かれたということは、単なる農耕儀礼だけでなく、
地域首長の権威
祖先祭祀
神意を伝える役割
なども担っていたと考えられます。 [pref.gunma.jp], [yomiuri.co.jp]
私の見方では、この埴輪は「稲作以前の文化か、以後の文化か」という二択ではなく、
縄文のアニミズムを土台に、弥生稲作文化と古墳時代の王権祭祀が重なり合った姿
として見る方が、日本列島の信仰の連続性を理解しやすいと思います。
つまり、
縄文のシャーマンが消えたのではなく、 古墳時代の巫女へ姿を変えながら受け継がれたのではないか。
という見方です。もちろんこれは考古学的に断定された事実ではなく、一つの解釈ですが、この埴輪にはそのような「古い自然信仰と新しい王権祭祀の接点」を感じさせる魅力があります。

◆5世紀後半の巫女埴輪、きょうから初公開 群馬県伊勢崎で出土 保存状態も良好

https://www.msn.com/ja-jp/news/other/5%E4%B8%96%E7%B4%80%E5%BE%8C%E5%8D%8A%E3%81%AE%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%9F%B4%E8%BC%AA-%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8B%E3%82%89%E5%88%9D%E5%85%AC%E9%96%8B-%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E3%81%A7%E5%87%BA%E5%9C%9F-%E4%BF%9D%E5%AD%98%E7%8A%B6%E6%85%8B%E3%82%82%E8%89%AF%E5%A5%BD/ar-AA2gcwTg
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