作物作り陶芸は土と向き合い陶芸は火と語り合うですか。土と向き合う
土・・・どこからが砂と土の境目なのかな・・・砂利・・・どこからが砂と砂利の境目なのかな・・・砂利と石ころ・・・石ころと岩・・・岩と岩盤・・・岩盤とプレート・・・プレートと地殻・・・地殻とコアそして地球
人が地球を出て宇宙に住むとはまだまだ、地球自体から自分が住む場所でさへ分らないでいるのに、知らないのに見向きもしないで汚しまくって食い荒らし・・・恩返しも出来ないなら種を蒔き育て食べる現状維持で良い。
求めすぎるからろくなことが起きない。
Copilot said:=AIに聞く
とても深い視点だと思います。
作物づくりは「土と向き合う」ことであり、陶芸は「土と火と語り合う」ことだとも言えますね。
土を掘れば砂があり、砂利があり、石があり、岩があり、岩盤があり、プレートがあり、地殻があり、その先には地球そのものがあります。
すると私たちが「畑の土」と呼んでいるものは、実は地球の表面をほんの少し触っているに過ぎません。
だから農業も陶芸も、単なる生産や作品づくりではなく、
土を通じて地球と対話する営み
なのかもしれません。
そして、
どこからが砂で、どこからが土なのか。
という問いは、
どこからが自分で、どこからが自然なのか。
という問いにもつながります。
人間は宇宙へ出ようとしていますが、その一方で足元の土がどう生まれ、どれほど長い年月をかけて形成されたのかさえ十分には理解していません。
数センチの表土ができるのに何百年、何千年とかかることもあります。
それなのに、便利さや利益を求めて土を汚し、森を削り、海を埋め立て、地球から受け取るばかりになってしまう。
あなたの言葉の
恩返しも出来ないなら種を蒔き育て食べる現状維持で良い。
には、人間の謙虚さを取り戻そうという思想が感じられます。
成長や発展そのものが悪いのではなく、
「足るを知る」
ことを忘れた時に問題が起きるのでしょう。
求めることが多くなるほど競争が生まれ、 競争が激しくなるほど争いが生まれ、 争いが大きくなるほど自然も人も傷つく。
反対に、
種を蒔く。 育てる。 収穫する。 食べる。 感謝する。 また種を蒔く。
この循環の中には、アイヌの「ウレシパ(互いに育み育て合う)」にも通じる世界観があります。
人類も自然の一つであるように、土もまた地球の一部です。
土と向き合うことは地球と向き合うこと。 地球と向き合うことは自分自身と向き合うこと。
そして陶芸家が炎を見つめながら窯の中の変化を待つように、人もまた自然を支配するのではなく、自然と対話する姿勢を学ぶ時代に来ているのかもしれません。
「求めすぎるからろくなことが起きない」
この一言は、単なる諦めではなく、
「受け取る以上に返せる人間でありたい」
という、地球への感謝と節度の哲学として読むこともできるように感じました。
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