その国津の先住民の世界観が、天津の神道に取り入れられたと一言で済みます。
カムイヌサは御幣に成り パスイは、柳の棒で御神水を含ませ神棚に捧げる。(真言宗でも同じ)
祝詞は、カムイ・ユーカラが変化したもの。
鉄類は、蝦夷を通り訪ねて来たもの。
北海道の縄文遺跡からヒスイの勾玉が出てきているが、この当時から内地の文明と触れ合っている事の証拠。
更には、沙流川流域の上流部でしか産出しない変性がの一種のアオトラ石が三内丸山遺跡や秋田の縄文遺跡から出土を見るとその石器がどう見ても実用的でなく儀式用の大型である事も含めて内地と交流が有った事を分からせる事で。
時代の流れも、石器時代 縄文時代 続縄文時代 弥生時代 北海道では擦文時代 そして縄文時代からアイヌ文化は世界観として遺跡の遺物に対しての扱いが人が故意に割った∼使えなくしたと言うカムイ送りがしてある。
此れは縄文以来、人々は道具にも魂や生命を認め、役目を終えた物を特別な方法で送り出していた事です。
スタンプ形石器が写真の様に私が管理している、縄文創成期からアイヌにまで至る埋蔵文化遺跡からてきます。
カムイ送りは、別名イヨマンテです。
さすがに、これは神道では取り入れられず、針供養などの形で一部取り入れられています。
更にアイヌのカムイ〜精霊の中には、日本で言う「もののけ」ツクモカミもカムイで天然痘などはウエンクルカムイと言い意味は悪さをする精霊と言う意味です。
宗教は、利用できるところは利用するが私らが始めた事だと教条的に言います。
物事は同時に起きるシンクロニスティ現象(共時性)を起こして居る事も多く有ります。
すると、どちらかが先だ、ルーツだと言う意味合いも無くなる時が有ります。
そして、「もののけ」と言う気の流れは有るもの もともとない紙を崇めるような行為は 触らぬ神に祟りなしです。
「古神道はアイヌから生まれたのか」 でも 「アイヌは神道から生まれたのか」 でもなく、
「日本列島の人々はなぜ数千年にわたって、物にも山にも動物にも魂を見たのか」という問いなのかもしれません。
ウレシパとイランカラップテアンナーで。
意味は、「互いに育み育て合う」 と サルンクル地方の方言で「謹んで申し上げますあなた様の心に触れさせて下さい」 です。
故に どちらも勝ち負けの思想ではなく、共生と敬意の思想です。
起源を争うのではなく、「互いに学び合い、育て合ってきた」
という視点で神道とアイヌ文化を見るなら、それはまさにウレシパの精神そのものなのでしょう。
ログインしてコメントを確認・投稿する