あなたは、創造主たる神を唯一無二の絶対者としない限り、道徳の規準は個人の判断になるため、意識レベル200を超えることはありません。。。
何故なら、例えば、『モーゼの十戒』を絶対視しないなら、誰であれ、その人の道徳の良い悪いは、悟りを開かない限り、意識レベルに応じて相対的に変化するためですよ。
健全な倫理道徳観念と精神性の絶対性を示した『意識マップ』の発見は、あなたに神から授かった「モーゼの十戒」などについて、意識レベルに応じた良し悪しの判断ではなくなります。先日論争したカルト信者達は、道徳に絶対も、ア・プリオリ(先見性/先天性)など存在しないとうそぶきました。しかし、それは詭弁です。それは獣性のレベルにとどまることを意味します。
あなたは、『意識マップ』を完全に理解するなら、利己性に基づく私利私欲の行使は、道徳的ではないことに気づくためです。
あなたは、「道徳を守らねば、いけないんだよ」という強迫観念といってもいいほどに、健全な倫理道徳観念と精神性を、絶対視することでしょう。それは創造主たる神(天)に敬意を表している証拠です。するとあなた自身も、またはじめて意識レベル200の臨界点を超えて、人間の精神性を取り戻します。
日本人は、「お天道様」に見られているからこそ、健全な道徳律を守ります。あらゆるものに「神宿る」からこそ、すべてを大事にできます。他方で、神を含め権威を否定する意識レベル200未満のとき秩序は崩壊しますからね。
「人類の目的は、自分の人生を、暗闇へ導く物質主義と感覚の追求よりも、むしろひかりである自分の魂から離れ悟りに捧げること」とソクラテスは述べています。(プラトンの国家より)
この格言は、ホーキンズ博士の『Power vs. Force: Hidden the Determinate of Human Behavior』の注釈に引用されていたものです。ギリシャ時代に無機の物質から、有機の生物へ、さらに人類へ、さらに天使へ、そして頂点におわす神へという、この宇宙に在するあらゆるものの意識の成長段階を『永久哲学』とされた中間層こそ『意識マップ』であった証拠となる発言です。
「ユーモアは、人前で話す際に、価値のあるものが発見されました。それは、聴衆から離れ、人が本来持っている性質のひとつであり、またそれらの同情を掘り出すことは、まさに人間の流儀です。一旦、同情心のあるユーモアと一体になると、そのユーモアは、私達に声援を送るようになり、私達は、そのユーモアを激励と感じることでしょう。私達の恐怖を紛らわし、ユーモアある恐怖そのものを受け入れることから、私達はそれらを愛します。するとまさに恐怖は、それら自身で、恐れていることをするために、私達を、そのお返しであるユーモアに愛します。一旦、この感情のレベルを通しての進歩が手に入れられると、人前で話すことは楽しいものとなります。人前で話す機会が生じた時、マインドの役柄は、全くこっけいなものに出来ると分かります。」
(『Letting Go: The Pathway to Surrender』88頁より)
あなたは、「赤っ恥の自分」を茶化すことが出来れば、人前での緊張を避けることも可能と博士は述べています。
しかし私の場合、幼い頃の両親の不和が原因で、人前や試験などで集中を妨げる「頑張らねば」精神が頭をもたげ、失敗した際の不安な気持ちが芽生え思考停止になります。私はすぐに頭は真っ白になってしまうため、それを茶化しても完全に克服することは出来ない深刻な問題を抱えていいますが・・・。
それについて博士は、「幼い頃の両親の不和は、その子の生涯に影響を与え続けます」との論述を読み、大分気が楽になり、かなり改善されたのも事実です。
私は、問題解決には原因の特定が必要であることを、身をもって経験しています🥰
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