mixiユーザー(id:2439568)

2026年08月30日10:02

18 view

武神闘宴 第五章 鏖魔 二 三

二

――笹島志摩介(ささじましますけ)
容貌美しく、剣にも優れる。まさに天が二物を与えた存在である。しかし抱える悪癖には、周囲の者たちのみならず、笹島本人ですら、ただ手をこまねいていた。どのような癖か。一言でいえば――「女癖」である。
剣術において「達人」の領域。それは、常人であれば五年、十年、あるいはそれ以上の歳月を費やしてもなお、届かぬのが常である。しかし笹島は、わずか数年で達人の域に辿り着く。だが、難はそこからであった。
いずれの流派に入門しようとも、笹島はみるみる頭角を現し、達人の域へと駆け上がる。そして免許皆伝を目前にした、その時。剣が――「鈍る」。決して、傲って鍛錬を怠っているわけではない。それは傍目からも明らかである。
内なる意気込みと身体の操作が、噛み合わなくなる。焦れば焦るほど、自身を覆い尽くす濃密な「靄」は、さらに濃くなる。乳白色の暗闇。標的が見えぬまま、素振りを繰り返す虚しさ。混迷の極みに達したとき、笹島は決まって、どこかの女性に一目惚れする。
茶屋で器量良しのおなごを見かけた。あのような者と一緒になれたら――。といった一時の世迷言では、到底、収まらない。全身全霊を懸け、それも狂熱的なまでに身を焦がすのだ。
女性への想いが引き金となって、靄に閉じ込められるのか。あるいは、靄の中から這い上がるための活路として、本能が女性を求めるのか。
容貌美しく、苦悩を抱える剣の達人。母性を刺激された女性が、激しく求める笹島を無下にするなど、あろうはずもなかった。そして笹島は本懐を遂げ、その肉体を貪る。
笹島の癖が「悪」なのは、一度きりの閨を以て、煉獄の炎で身を焦がしたその想いを解消してしまうことにある。それと同時に、剣を覆っていたあの靄も霧散し、流派の最高奥義を体得してしまう。
しかし、求められた女性にとっては、たまったものではない。翌朝、女性は、これから二人の物語が始まるのだと恍惚の中にいる。けれど、その時にはもう、笹島の関心から棄てられている。
笹島は、かような薄情な解脱を繰り返し、これまでに毟り取った奥義は、すでに四つを数えていた。
未だ籍を入れぬ師の娘、あるいは人妻。相手の立場など、お構いなし。
笹島が体得した奥義の数だけ、その陰で人生を狂わされ、涙を流した女性たちがいた。
――そのように、行く先々で問題を起こしては、流浪を続ける笹島。
ここ駿府城代で禄を得るに至ったのは、素行よりも技量を重視する御家の気風もさることながら、藩士・成瀬大四郎(なるせだいしろう)の推薦に拠るところが大きかった。

三

話が飛んで申し訳ない。
駿河御前試合の最終戦、牛股権左衛門の対手である笹島志摩介。その経緯を語る上で、「石切り大四郎」こと新当流の達人、成瀬大四郎の物語は外すことができない。
成瀬が城内最強の一角として名を馳せるのは、事実に基づく異名「石切り」に所以がある。その所以とは、かつて新婚の成瀬の妻・絹江(きぬえ)が、浮浪の輩どもに襲われた一件にある。
成瀬の妻・絹江の美貌は、思わず唾を呑むほどの妖艶さであった。げに恐ろしきは、美女の業。絹江は、自身の生身が放つ艶を自覚しており、男どもに色香を振り撒いては、その気になった相手を冷酷に袖にする。これを愉悦としていたのだ。
それ故、絹江の周囲に不義の噂は絶えなかったが、どれも噂の域を出ない。成瀬がこれを問い質しても、絹江に平然としらを切られれば、証拠などどこにも無い。これこそが、成瀬にとって最大の悩みの種であった。
袖にされた者たち。絹江に恨みを持つ者は少なくなく、奴らがどう知り合ったのか、徒党を組み掠奪を決行したのだ。
この不埒な企みを事前に察知できたのは、奥祐筆・児島宗蔵の情報網によるものであり、現行犯で押さえることができたのは、疾風・佐伯修次郎の働きによるところが大きい。
犯人共を前にしたその時、成瀬は溢れんばかりの凶暴な怒りに、我を忘れた。
絹江の眼前で、下手人どもを次々に斬り、斬り伏せる。
残る最後の一人は逃げ惑い、庭へ転げ出ると、石灯籠を盾にして隠れた。
この時、成瀬が無心で放った一刀が、下手人を石灯籠諸共、両断したのである。

この一件は、駿府城代に「石切り大四郎」の名を残した。
だが成瀬は、戸惑いとともに、この呼び名を好まなかった。というのも、激昂のあまり己を失って放った斬撃だったからである。その後、再現を試みたが、二度と石を斬ることはできなかった。
成瀬の持つ「石切り」の名声。その噂を聞きつけた笹島が門を叩く。
――これこそが、卑劣極まりない事件の幕開けであった。

成瀬はその手合わせで、笹島が新当流の同門で技量は達人であると確信し、駿府城代へと推挙した。そしてその後も、二人の交流は深く続く。同門の達人同士、気が合ったのである。
この頃にはもう、「石切りを再現できない」という成瀬の言葉が謙遜ではないことも、笹島にはわかっていた。石灯籠の断面を、共に見分したこともある。しかし、達人二人を以てしても、石切りの仕組みの解明には至らない。
ただ、沈黙の証拠として、切断された石灯籠だけが残っている。

当の本人である成瀬上に、石切りの奥義に取り憑かれた笹島。
そして、いつもの如く深く濃い「靄」に包まれた笹島の目に映ったのは、成瀬の妻・絹江である。すでに親友と呼べる仲であり、藩に推挙してくれた大恩もある。いつにも増して、禁忌を自覚すればするほど、笹島の内なる劣情は凶暴な焔となって燃え上がった。それを、絹江が見逃すはずもなかった――。
成瀬が城の宿直を命じられた夜。絹江の呼び出しに応じ、成瀬の屋敷へと忍び込んだ笹島は、これまでに経験したことのない深淵へと引きずり込まれた。

笹島が果て、精根を失おうとも、絹江は切ない眼で見つめる。濡れた唇は無理矢理にも滾らせ、なおも求める。終わりなき快楽は、煉獄の如く繰り返された。
容貌美しい笹島は、これまで女性関係には足りており、吉原などの手練れを知らなかった。これほどまでに貪欲で、能動的に貪る雌との交わりは、文字通り初体験である。
三刻(約六時間)に及ぶ絶頂の渦は、骨の髄まで笹島の精根を搾り尽くした。
しかし、成瀬が帰宅する前に、この場を去らねばならない。だが、あまりの疲弊に、鍛え抜いたはずの足腰が立たない。
夜が明けても、笹島はそこを離れることができなかった。そして――暁の光が部屋に差し込み、二人の頬を照らしても、笹島は疲弊の泥濘から目覚めない。
巳の刻(午前十時)を過ぎ、宿直を終えた成瀬が帰宅した。

主人である自分が不在の自宅に友人が居る。妻の様子も、どこかよそよそしい。
聞けば笹島は、新たな剣の工夫を思いつき、居ても立ってもいられなくなって、早朝にもかかわらず訪問してしまったという。成瀬が不在と知り、出直そうとしたが、知った仲だからと絹江に引き留められた、という。剣の道に生きる新当流の同輩として、一応の道理は立つ。
「……ならば、その工夫とやらを、ここで見せてくれないか」
疑念にすぎず、確信は持てぬ――いや、持ちたくない成瀬。
その胸元に笹島が放ったのは、あまりにも卑劣で、恩知らずな一撃であった。

フォト


この時、成瀬は理解した。
絹江によって全身の精を吸い尽くされ、足腰に力のこもらぬ極限の「脱力」。一切の力みのない剣――これこそが、成瀬の石切りと同じ仕組みであった。
あの日、成瀬は大勢の下手人らと斬り結び、肉体の疲弊の極致にあった。怒りの執念だけで振るった最後の一太刀は、疲労ゆえに脱力の極みとなり、石灯籠ごと不埒者を一刀両断にせしめたのだ。
己の身体を以て、成瀬の奇跡――石切りを完全に解読し、体得した笹島。
だが、この一件。いかに絹江と口裏を合わせようとも――同藩の、それも恩人を斬って、お咎めなしで済むとは考え難い。だが、近日行われる真剣を以ての御前試合――これを制して見せれば、どのような恩赦もまかり通るであろう。
打算と女の肉欲から得た脱力剣『石切り』。これを腕に宿した笹島志摩介は、虎眼流最高硬度たる牛股権左衛門と対峙することと相成った。

1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年08月>
日 月 火 水 木 金 土
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031