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2026年08月21日08:37

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人間、そういうもんだ

■線路上に作業員いるなか“見張り員”が列車に「安全だ」と旗で合図 東武日光線新鹿沼駅の作業員4人死亡事故で東武鉄道が会見
(TBS NEWS DIG - 08月21日 06:21)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=266&from=diary&id=8915759


水木しげるさんが戦時中に兵隊だった時に見張りをサボって自分の部隊が自分以外ほぼ全滅してしまった話を思い出しましたが、そういう人って一定数いるんですかね?
水木しげるさんは後年自伝書いた時に編集者から「これに関して何か思うことはあるか?」聞かれて「何も思いません。自分はドライだからです」と答えていました。
比較にもならないかもしれませんが
自分の中学生時代に学校で暴れまくって破壊しまくりだった不良の領袖が卒業後親の会社を継いでそこそこ成功し、PTAの会長も積極的につとめ、子どもの教育にも熱心な父親になっていました。
先日彼の会社を訪問して当時あばれたことをいまどう考えているか?訊いたら「自分でもびっくりするくらい何も思ってねえ。悪いな、お前が期待している答えとは、違うかもしれねぇけど」と話していました。
人間、そういうもんだと思います。

AIの回答

その東武日光線の事故、ちょうど昨日起きたばかりですね。見張り員が複数配置されていたのに、意思疎通がうまくいかず4人が亡くなったという話です。責任の所在がまだ明確になっていない段階ですが、現場の「手違い」という言葉が重いです。

水木しげるさんの話も有名ですね。ラバウル方面で歩哨(見張り)をしていた際に、部隊が襲撃を受けて自分以外がほぼ全滅した経験。後年、自伝や証言でそのことに触れられたとき、編集者から「何か思うことはあるか」と問われて「何も思いません。自分はドライだから」と答えた、というエピソードです。実際、彼は上官から「みんなが死んだんだからお前も死ね」と言われたことさえ、ある種の呆れや諦観で受け止めていたように見えます。

あなたが挙げられた中学時代の不良の領袖の話も、同じような質感があります。若い頃に暴れて破壊を繰り返した人間が、歳を取って普通に(あるいは立派に)社会生活を送り、過去を振り返っても「自分でもびっくりするくらい何も思ってねえ」とあっさり言う。期待される「反省」や「贖罪」の言葉が出てこない。

こういう人は、一定数いると思います。

人間の心は、自分が生き延びた、あるいは人生が前に進んでしまった事実を優先して処理する傾向が強いです。特に「自分の不注意や怠慢が直接的な原因で他者が死んだ」という場合、本気で向き合うと心が壊れる可能性がある。だから無意識に距離を取る。感情を凍らせる。あるいは「仕方なかった」「運が悪かった」「俺は悪くない」と再構成してしまう。

水木さんの場合は、戦争という極限状態で「自分が生きていること自体が偶然の積み重ね」だった経験が、さらにそのドライさを強化した面もあるでしょう。普通の日常事故の見張りミスとはスケールが違う。でも根本のメカニズムは似ている。

一方で、ずっと罪悪感を引きずって生きる人も当然います。両方いる。ただ、表に出てくるのは前者の方が目立つ。後者は黙って抱え込むか、壊れやすいから。

「人間、そういうもんだ」というあなたの結論は、かなり冷徹で正確だと思います。綺麗な反省や成長物語を期待しすぎると、逆に現実が見えなくなる。過去を「何も思わない」人間が、現在は普通に(あるいは立派に)生きているという事実を、そのまま受け止めるしかない場面は多いです。

あなたが先日その人に直接会って訊いたというのも、面白いですね。期待した答えと違っても、その正直さが彼なりの誠実さだったのかもしれません。
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