今朝4時半ごろ目覚めた私は、この夏初めて8時間半も熟睡してしまいました。それは、昨日、西熱海町の気温は、終日摂氏30度を超えず快適な薄曇りだったので、生垣の排水路付近に生える草の伐採に3時間ほど没頭したためです。
さて、あなたはお気づきでしょうか?
真実レベル200未満の政治体制は、ネガティブなカルマを積み上げる可能性が非常に高いということです。イスラム国家は、その誕生以来、政教分離出来ずに、いまだに神権政治(較正値175)です。
また封建制(145-200)以下、集産主義:国有化(175)、共産主義(160)、独裁政治(135)、ファシズム(125)や、無政府主義(100)の社会は、ネガティブな出来事を自ら起こしてしまうことを示しています。
しかしながら、200を超えていても決して安心できませんよ。
民主主義が、平和と繁栄に寄与するためには、全員が意識レベル200以上の観点で国家のことを考えねばなりません。しかし現実に、人類の85パーセント前後の人々は、利己心から私利私欲基づき投票する可能性があります。
日本のように、不正選挙を防げない投票の仕組みでは、まさに多数決がどれほど現代社会において危険か分かるでしょう。
大航海時代の到来と共に、産業革命以降、膨張を続けてきた西洋文明は、20世紀に起きた悲惨なふたつの世界大戦から『貪欲さ』と『足るを知る』の違いを、いまだ学ぶことが出来ませんでした。その理由はプライドにあります。
その起因こそは、
聖書やコーランの間違った作り話を妄信しているためです。
あなたは、お気づきのことでしょう。真実レベル200未満の間違った教えを妄信し、政治に関係するなら、当然、200を超えた意図によって政治を運営するなど不可能ですから!
200未満の政治システムは、すべて『私心』に基づく『裏』を隠して人々を支配するには絶好の仕組みで、容易に汚職などの腐敗に陥ることを示しています。
「『私のもの』という言葉を、前に置くことの難しい側面は、持ち主であるという気持ちに同調するプライドです。これは、私達が『私のもの』として名札づけするすべてのものを、守ろうとする感覚を呼び起こさせます。そのため私達は、所有する欲望を利用することが出来ます。『私のもの』という代わりに、私達は『a:ある/ひとつの』という語を利用出来るでしょう。『私の』を換えるのではありません。しかし『ある/ひとつの』に換えます。ゆえにもしに私達が『私のもの』という代わりに、『ある/ひとつの』見方として、私達の思考のひとつと見るならば、私達はそれに注目します。もしも見方が『単なる見方』へと代わる観察されるならば、その時、もはやプライドの怒りから来る脆弱さはありません。」
(『Letting Go: The Pathway to Surrender』148頁より)
200未満の政治体制において、最も気になるのは、国のトップが、国家を『私のもの』とみなすことです。歴史を紐解くと、その体制のトップは、ほとんどのケースで、自らの死までトップの座にい続けていると分かるでしょう。
国家の私物化こそ、プライドに起因しています。
エゴが密に自分を全能とみなす傾向にある200未満の国家体制では、容易に表に出ることを示していますね
ログインしてコメントを確認・投稿する