マザー・テレサの人生に、見事に映し出されていた、神の本質である『愛』。
人類はそれが、ひとりひとりのこころの内側にしっかりあるからこそ、生きとし生けるあらゆるものとの共栄共存のために、神から生物において最高の能力を与えられました。
人類の全員とも、神の代理として、『愛』を実行に移さねばなりません。
あなたが、嘘をつくこと、裏切ること、盗むことや、人を傷つけることなどするなら、あなたは、神に嘘をつき、裏切り、盗み、傷つけるのと同じであると気づくでしょう。ゆえに、それらの発想や行動は、ネガティブなカルマは積みあげてゆく結果に終わるのですよ。
あなたは、この唯一無二の絶対者たる神の愛によって、あなた自身の心臓も呼吸もなされ生かされています。そう、あなたは自律神経とは神の愛であることに、気づかねばなりません。その神の愛に、あなたが応えるためにも、どのような行動をすべきかお分かりでしょう。
明らかです。あなたは、生きと生けるあらゆるものと仲良く『共栄共存』してゆくことであり、『悟り』を目指し、『解脱』した後、天使として人類をささえましょう。それが『愛』。
ところであなたは、お気づきでしょうか?
チャーリー・カークの暗殺後、世界中のリベラリストが『極右』と呼ぶ人々は、誰もリベラリストに暴力を加えていませんよ。
リベラリストから『極右』と呼ばれるアメリカ人は、アメリカの独立宣言(較正値710)とアメリカ合衆国憲法(705)に忠誠を誓う人々です。それらの人達は、神の『愛』に基づく人類の普遍的精神の発露に忠誠を誓っているため非暴力です。
一方、先日、エプスタイン島の常連客と判明したポストモダン主義(無政府;無神論)の重鎮ノーム・チョムスキー博士に代表されるリベラル(極左の全体主義)派は、概ね意識レベル200をかなり下回るため、獣性むき出しです。ゆえに、リベラル派は、暴力を行使するのです。リベラル派は、結局は暴力を用い民主主義を否定しています。その行為は、単に自分自身の内面にあるネガティブなエネルギーを発散しているに過ぎないということです。
そして大事なこととして、民主主義と多数決は同じカテゴリーではないことですね。
本来、民主主義の議会とは、すべての人々が、損得や好き嫌いを超越し、中庸の精神を用い誰もが、納得出来る政策を話し合う場であるべきです。すなわち全会一致こそ民主主義です。
しかし、多数決は、イギリスの18世紀から19世紀にかけ活躍した哲学者ジェレミ・ベンサムの『功利主義(較正値170)』に基づきます。『功利主義』とは、少数意見の切り捨てを正当化し、『最大多数の最大幸福』を実現するために考案された決定方法『多数決』であって、民主主義とは、全く別の概念です。
マザー・テレサなら言うでしょう。
「愛に、えこひいきや、少数切り捨てなどの発想はあり得ません。」と・・・
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